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日々雑感



2002/3/11/月

函館旅紀行。その目的は……。

3月9日、午後2時55分、私は羽田から函館へと飛び立ちました。
当然、魚河岸は土曜日も開市なので、仕事を途中でほっぽりだして?の旅紀行です。
連休でゆっくりできるわけでもないし、その次の日の昼には帰ってくるという強行スケジュールを押したのはナゼか?それはですねー、このサイトのこのコーナーではすっかりおなじみ??村松健さんの函館ライヴを見に行くためなのでした!

と、いうのは、職場の人にはナイショです。たった一人、帳場の先輩にはちょいとヒントを出したらズバリ当てられてしまいましたが、でも多分私があわただしく出て行ったあとには他の皆にもバレて、今日の月曜日にはステキなイジワルで私の机の上に菊の花でも飾られているかもしれません(笑)。
函館は一応、私の故郷ということにはなっているのですが、そこんとこはちょっとビミョウであります。私にとっての函館は

@両親ともに函館出身で、親戚一同は函館に住んでいるが、

A母が里帰り出産をして生まれたのが私で、つまり本当に“そこで生まれただけ”で、その後は父親の仕事の都合でいろいろな土地を流れ流れた身であり

B福島に住んでいた小学校時代は、毎年夏休みに列車6時間、青函連絡船4時間の計10時間をかけて“里帰り”していた土地ではあるけれど、

C実は一度も住んだことはないし、中学に入ってから今にいたるまでは、数えるほどしか“帰って”いない

のです、ね。
でも私の本籍は函館にあるし、流れ者の身とはいえ、やはり故郷といえば函館なのです。うん、とってもビミョウだ……。

村松さんの函館ライヴは以前からずっと行ってみたくて……今回久しぶりに函館ライヴが決定したということなので、やもたてもたまらずチケットを入手しました。恥ずかしながら、私の問い合わせが全国で一番だったとのことで、整理券001番をゲットしてしまいました(笑)。
なぜそれほどまでに、函館ライヴを……?というのは、私の(ビミョウな)故郷だということ以上に、それが、函館山の山頂のホールで、夜景をバックに演奏される、というものだからなのです!

羽田から飛び立った飛行機が函館空港に着いたのは4時過ぎ。ライヴ開場時間まで2時間を切っています!バスが出るのも待てずに大急ぎでタクシーに乗り込み、ホテルにチェックイン。バタバタと支度をして、5時過ぎにはホテルをあとにしました。
まず、いつものように夜景を見に行く時に乗るバス停に向かったのですが、
「今の時期はバスは出ていません」あれ?
まあいいや、とタクシー乗り場に行き、函館山の展望台まで、と言うと、ロープウェイの駅までだね。今の時期はまだ車は山道行けないから、と言われ、ようやく気づく私。

私ってば、夏以外の函館に来たことないんだ!!(ビックリ)

以前から、北海道には冬にこそ行かなくちゃ、なーんて豪語しているわりには、実際北海道に住んだことがあるのは高校時代の旭川に2年間だけだったし、函館の“里帰り”もいつも夏だけだったんです。実際の私は、北海道人というにはおこがましく、高校卒業後上京するまでに過ごした土地のパーセンテージは、その多くを東北地方で生成された東北っ子なんだったっけ……。

とはいうものの、タクシーの窓から見る春先の北国の風景、というのは、やはり懐かしさをかきたてます。東京ではもうすっかり日も長くなり、夕方の5時ぐらいでもまだまだ明るいものですが、もはや夕暮れの薄暗さの中に、ところどころ残った雪がホコリをかぶって黒く汚れていて……そうそう、春先というのは、雪の白さで一種の明るさを持っていた冬よりもちょっと暗い色になるというか、雪道を走る車のタイヤで削られた“車粉”(北海道は杉がないので花粉症がない代わりに、そのゴロに引っ掛けた春先の車粉症というのがあったりするんです)も舞い上がるし、雪の湿り気がなくなって余計にほこりっぽくて、春の明るさを感じるにはまだまだ時間がかかるんだよなあ、なんてことを思い出しつつ……。

ロープウェイで山頂へと上ります。眼下に開ける港町。私はほとんど内陸で育って、今いる東京も海に面してはいるものの、いわゆる“海”という感覚とは程遠いものがあるので、海に対しては純粋な憧れがあったります。そう言えば高校の修学旅行の時、旭川もまた内陸の土地なので、みんな海を珍しがって、海沿いの列車の窓からキャーキャー言いながら窓の外の海を写真に収めていたっけ……なんてことまで思い出しながら、あっという間に山頂へ到着。観光客でごった返している中に、ライヴのチケットを手にしている人もチラホラ見え、ドキドキしながら開場を待ちました。

“ドキドキしながら”だなんて、随分と久しぶりの気分です。実を言うと、この二日前に東京でのライヴにも足を運んでいたのですが、すっかりライヴにも行き慣れてしまい、本当に気軽な感じでいつものライヴに出かける、っていう感じで、それもまたとても楽しいのだけれど、地方に住んでいて、そんなにライヴを観に行く機会に恵まれてなかった時は、何か月も前から楽しみにして、その日が近付くにつれドキドキが増し、その当日ときたら朝からソワソワと落ち着かない、なんていう感覚で、それってすごく、すごーく幸せだったよなあ、と思い出したのです。

開場され、席につき、まわりの人の会話に耳をすまします。私はいつも一人で出かけるので、映画の時もそうなんですけれど、このまわりの人の会話、というのを聞いているのが好きなのです。東京でのライヴは、顔まで覚えているわけではないけれど、その会話や雰囲気から多分8割がた常連さんなのですが、3年ぶりだというこの函館でのライヴはその“特別感”にワクワクしながら足を運んだ、というのがとても伝わってくる感じ。函館なまりも……私の母親はいまだに函館なまりがとれないのでわりと聞き慣れてはいるのですが……ああ、この土地に住んでいる、村松さんのピアノが好きな人たちなんだなあ、と思ってことさらに嬉しくなってしまいます。

いよいよライヴが始まりました。一曲弾き終え、挨拶をし、村松さんがスタッフの方に合図をおくると、ピアノの後ろにある、ステージ壁面のカーテンがするするとオープンしました。そこにはまさしくダイヤモンドをちりばめたような夜景が!!!実は私、このクレモナホールには夏に夜景を見に行った時にスライド上映かなんかを見るのに入ったことはあるんですが、ここから夜景が見えるというのを、不覚ながら知らなかったのです。ただ単に、“夜景の見える展望台の中にあるホール”という意味だと思っていたものですから、本当に夜景をバックに村松さんのピアノ演奏を聴けるなんて!とまさしく絶句。村松さんの言うとおり、本当に宙に浮かんでいるような感じ。

……なんかねー、2ヶ月前から楽しみにしていたことや、揺れる飛行機におびえながらもここまでたどり着いたことや、夜景が凄まじいまでに美しいことや、村松さんのピアノが本当に澄んだ音をたてていることや、そんなこんなが自分の胸の中でいっぱいになってあつーくなっちゃって、本当に、本当に涙をこらえるのに苦労しました。こんなところで泣き出したら、かなり恥ずかしいもんなあ……でも、ホント、それぐらい感動しちゃった、わけなんです。

いつものパートナー、ウッドベースの安藤浩司さんも登場し、東京でのトリオの演奏とはまた全く違う雰囲気での演奏が心地よくて楽しくて、ワクワクして、ニコニコが止まりません。この時のやたらニコニコしている顔はちょっと恥ずかしくて他人には見られたくないなー(笑)。でも、多分自分の中ではいっちばんイイ顔なんじゃないかとも思ったりして。途中休憩を挟んでの演奏は、ライヴとしては結構長時間だとは思いますが、でもこれほど終わってほしくないと思ったライヴはないかもしれない……やたらと感動屋さんの私ではありますが、本当に感動で胸がいっぱいになりました(いっぱいになっても胸は大きくならないけど……)。

村松さんの演奏を聴いていると、感動する一方で、打ちのめされるような感覚にも陥ったりします。ああ、音楽には勝てないなあ、と思って……。素晴らしい映画を観た時にも時おり感じることなのですが……そう、音楽とか映像とか、そういう五感に直接訴えるものに、言葉って、勝てない。ここ最近、(自分の)言葉の力のなさを痛感している私は、ことごとく、打ちのめされてしまうのです。こんな風にライヴのことや映画の感想文をつらつらつらつら書き連ねても、当然のことながらそれってホンモノにはかなわない。感想文ではなくてオリジナルな創作だったとしても、言葉が与える印象って、五感に訴える表現の力と違って、頭で理解や印象に変換するというワンクッションを置いている上に、各人千差万別で、本当に力があるかなんて、言葉には力なんてないんじゃないかって、思っちゃうんです。そしてこういう言葉という表現にしか行けない自分が、何だか逃げているような気分にもなるのです。

逃げるといえば、私はなぜ東京に住んでいるんだろう、って考える時も、逃げているんじゃないか、って思うことがあります。こうして函館に来る機会があったりすると、そこで生活している人を見たりすると、私は何で今東京にいるんだろう?って思うのです。東京は人だらけで、その中に埋没して、ホッとする感覚も確かにあって、でも私はこの中に埋もれたくない、平凡なままでいたくない、という気持ちも常に持っているにもかかわらず、それはこの人だらけの中だからこそ思える感覚であって、そう思うことだけで満足しているような、だから逃げているような気分になるというか……。我ながらややこしいんですが。

終わってほしくないと願ったライヴのあとサイン会があり、感動した旨を村松さんに伝えることも出来て大満足。急いでロープウェイ乗り場に向かいます。“函館に里帰り”なのに時間がないからお墓参りもできない、せめて、誰かに会っておかなくちゃ。というより、函館で村松さんのライヴに行くことができたら、絶対このルートだと以前から決めていたのが、スナックのママをやっているおば(母の姉)の店に行くこと。ロープウェイの山麓駅に着き、南部坂をずーっと降りきって、十字街電停から一両の路面電車に乗り込んで、真っ暗になった函館の街中をガタンゴトンと20分ほど。路面電車が残っているというのも、函館の素敵なところです。でも小さな頃、里帰りしていた時によく使っていた路線は廃止になってしまったのは残念ですが……。私の“生まれただけ”の中央病院のすぐ近くにあるおばの店、“サレーヌ”に到着すると、母の妹であるもう一人のおばも待っていてくれました。

この二人のおばに用意したお土産は、築地魚河岸名物、茂助のお団子と丸武の玉子焼。何だか妙な取り合わせですけど……だって、函館の人に海産物を持っていくのもなんだし、ライヴから直行するのに持ち歩くんじゃ余計にムリだし、考えた末、この二つになったのです。でも、この二つは本当に築地のこのお店でなきゃ買えないし、地方発送もしていないし、しっかり美味しいし、東京土産としてはなかなか優秀なのですよ。ことに茂助のお団子は、休み前ともなると河岸の人たちはお土産に皆買っていくので、帳場に入る朝の6時前には確保しておかないと、午前中の早い時間にはもう売切れてしまうという人気の品なのです。私も大好き♪

この二人のおばというのは、まったくもってゴージャスな美人。叶姉妹から胸をとって(……失礼)、ちょっとだけ?年をとらせたようなゴーカさなのです。私の姉の結婚式で、ハデないでたちが実に似合うこの二人が映画スターのように光り輝いて目立ちまくっていたのは、いまだに語り草になっているほど。ちなみに、間に入る私の母親も、今でいえば癒し系?のノンビリした風合いで(要するに天然ボケ?役所広司と鈴木杏樹に似ていると言われている……)、娘の私が言うのもなんですが、なかなか美人だったりします。ほんとにねえ、このゴージャスなおばたちに会うとことさら、母方に似たかったなあ、と思います、つくづく。私は骨格から(首から背中のラインが特に……)、眉のゲジ加減から、何と言ってもその酒豪っぷりと酒癖(酒飲むと輪をかけておしゃべりになって、議論したがる、はた迷惑な酒癖……)、そしてヤクザ映画が好きなことに至るまで、どんなに橋の下で拾ったといわれても(笑)全く説得力がないほど、父親のコピー作品。いや、いいんです。だって、娘は父親に似ると幸せになるって言うじゃない……でもあれって、なぐさめじゃないかと思わなくもないんだけどさあ……。

このおばの店でやたらと美味しい、何だか高そうなブランデーを、水割りの口当たりのよさをいいことにはっと気づくともしかしてボトル半分ぐらい飲んじゃった!?あああー、ごめんなさい、ママ……。その日来ていた“先生のあつまり”のお客さんたちの一人と話が盛り上がったのですが(母親と同じ高校の1年違いなのだそう!)その方が懇意にしている先輩という人が築地場外市場の蔵まぐろの社長さんだと聞いてビックリ仰天!築地だというだけでもその偶然にオドロキなのに、蔵まぐろといったら、私の会社の事務所の本当にすぐ近く、隣の隣、なのですよ!その道下さん、という方は、俺の名前を社長に言ってみな〜、と……そうしたら安くなるかしらん。蔵まぐろ、とっても美味しいけど、だからそれなりに高いのよねん……。

さんざん呑んで、盛り上がって(私だけ!?)気づいてみれば既に日付が変わっていました。ホテルに戻り、あまりにもめまぐるしく濃密な半日に信じられない思いでベッドに入り、その気分がなかなか静まらなくってうとうととした眠りを繰り返して朝になってしまいました。まだ信じられないような気分でとろとろと朝食をとり、チェックアウトし、お土産を買い、空港に向かい、飛行機に乗り……ここまでの時間が昨日羽田を発ってから一日もたっていないことにあらためて信じられない気分を抱きつつ、羽田に着いてから家に戻るまでにはまたかなりの時間を要したにも関わらず、こうして旅日記を書いていても、何だかいまだに信じられない気分です。1週間くらいの旅をしたような気がするほど。いつもいつも休みが取れないとか、旅行なんて行きたくても行けないとか言っていたけど、たとえ一日もないような時間でも、こんなに奇跡的なほど濃密な旅の時間を過ごせるんだ、と。普段考えないようなこともいっぱい考えて、何だか知恵熱が出そうなぐらい(笑)。

そう、いろいろ考えて、普段の悩みを蒸し返すような感じにまでなったりもしたけど、自分が今住んでいる東京に戻ってきて、まあ確かに空気も水も函館の方がずっとおいしいけど、でもやっぱり住んでいる町に、人生を預けている土地に帰ってきて、ホッとして、ホッとした自分にもホッとしました。東京って、どこでも人と肩が触れ合うぐらいに人口密度が高いし、店や家の間口は狭くてギチギチに建ってるし、確かに息苦しいところはあるんだけど、それは逆にふとした寂しさのすきま風を通らせないようにしているようなあたたかさもちゃんとあるってことに、ひょっとしたら初めて気づいたかなあ、って気がして。日中はいつも騒音がしているけれど、だからこそ私の出勤するような朝の時間帯の静けさに心が落ち着くし。東京の良さはほっといてもらえることだ、なんてシニカルな見方をしてて、それもまた真実ではあるんだけど、そんな見方ばかりしてたかもしれないことに気づけただけでも、この旅をして、良かった……。

そう、本当に、とにかく、めっちゃ行って良かった!のです。

と……このまま終わっちゃあまりにウツクシすぎてテレるので、オチをつけましょう。
帰りの飛行機、もうすぐ羽田に着陸するという時に、ご婦人の楽しげな笑い声が上がりました。
その笑い声はどんどん甲高くなり、しかし別に楽しい話をして笑っているというわけではなく、本当に一人の笑い声なのです。
機内の人々は、不審そうな顔をして笑い声の方を見やる人もいますが、その笑い声は一向に止まりません。何だかだんだんブキミになってくる……。
飛行機が無事着陸して、ようやくその笑い声は止まりました。
次に聞こえてきたのは、スチュワーデスさんに話し掛けるそのご婦人の次の言葉。

「今日の全日空寄席、とっても面白かったわ」

どひゃん!




2002/2/28/木

長野とソルトレイクシティーのオリンピック――フィギュアスケート

フィギュアスケートが大好きな私にとって、冬季オリンピックのフィギュア開催中は、すっかりテレビに釘づけで、映画もオフ状態。今回はいろいろと面白くない事件も起こり、しかもそれが私の大好きなベレズナヤ・シハルリゼのペアを襲ったものだから、すっごくフクザツな気分を味わいました。それでもカナダのペアと再授賞式できっちり笑顔を見せ、エキジビションでは四人一緒のワザを見せる、という心憎い演出を見せてくれたので、選手の方がよっぽどオトナだよな、などと思って何だかホッとしました。

大好きな、というのは、このベレズナヤペアが前回、長野の五輪で銀を取った時に見てからなのですが、この時のベレズナヤがショートヘアでもーうめちゃくちゃ可愛くって、すっかりホレ込んじゃったのです。スピード感のあるスケーティングで、とてもサワヤカな印象でした。今回のフリーではしっとりとした感じで、それももちろん上手いんだけど、結局そのあたりは次に滑ったカナダペアとかぶっちゃって、それが今回のようなビミョウな判定を呼んじゃったような気もして……。確かにカナダペアが滑り終えたとたん、ああ、負けちゃったかな、という感じはして、だから不正発覚はああ、やっぱり、とも思ったのだけど。でもああいうシリアスチックな演技の方が、審査員に対するウケっていいような感じもして、それもどうだかなあ、と思うのです。

職場の同僚の派遣社員の人が、エキジビションを見そこねた、というので、ビデオを貸してあげるついでに、長野五輪のビデオが残っていたので、引っ張り出して見たら、ついついつりこまれて、ずーっと見てしまいました。これはミスター・エキジビションと呼ばれ、長野で2大会連続の銅メダルを取った、男子シングルのフィリップ・キャンデロロ選手が私、すっごい好きで、そのフリーとエキジビションがあんまりステキなので、保存版で取っておいたのでした。この大会でのキャンデロロ選手のフリー演技、三銃士のダルタニアンをモチーフにした演技は本当に素晴らしく、私はこのビデオを何回巻き戻してみたか判らないぐらい。解説者が後世に語り継がれるプログラムですね、とベタ誉めするのにウンウンとうなづいていたものでした。で、今回、見直してみると、やっぱり素晴らしい。ことに、この時にも絶賛されていた、剣術を模したストレートラインステップは見とれてしまいます。ところでこのストレートラインステップ、今回金メダルを取ったアレクセイ・ヤグディンがフリー演技で見せたステップはこれからヒントを得たんじゃないかあ?と思わず思っちゃいましたね。無論、ヤグディンのステップの方がずっと複雑でスゴいけど、剣の感じとか(「仮面の男」ですからねー)似てるんですよお。プログラムを作った時期とか考えると、そうじゃないのかなあ、と思えて仕方ないんです。そんでもって、そのヤグディンのステップに対抗するために、二位になったプルシェンコも急遽プログラムを変えてステップを入れてきたし。今まではジャンプさえ決まれば、と言われてきたけど、変わったよなあ、と思います。

ヤグディンといえば、長野五輪では5位に入っていたので、その保存版ビデオに残されていました。驚愕!当時17歳のヤグディンはぽちゃぽちゃしていて、ジャンプの失敗で転倒を連発して、それでフテた表情をしていて、とても同一人物とは思えない!今回の五輪では、4位に堂々入賞を果たした本田選手の成長ぶりが、これまた長野の時とは別人のように外見も技術も表現力も様変わりしていたのに驚かされましたが、ヤグディンの変わりぶりもスゴイ!体はものすごく締まっていたし、表情も自信がみなぎっていて、演技を成功させる、というよりは、演技に浸りきっている、という余裕すら感じられました。この四年間、本当に頑張ったんだなあ、と思って、今回の五輪を見た時よりも感動してしまいました。

そうそう、この時、銀メダルだったエルビス・ストイコが熱を出していてエキジビションは挨拶だけだったので、5位のヤグディンが繰り上げでエキジビションにも登場していたのですが、何せ民放の哀しさで、メダリスト以外は映してくれない(泣)。こういう時に、やっぱりBSはいいよなー、なんて思っちゃいます。もう民放ってCMはうるさいし、コメンテイターはうるさいし。長野五輪の時はコメンテイターは入り込んでこなかったのに、今回は四人も雁首揃えていちいち“解説”を差し挟み、選手がアンコールで出てきたのに気づかないなどという愚行を繰り返し、私はホント、怒り心頭に達しましたね。てめーらの話なんか聞きたくないんだよ!とテレビの前でずっと絶叫していた私……。

長野五輪の時のキャンデロロ選手の話に戻ります。この時、彼は本当に人気絶頂で、会場の黄色い悲鳴がすごかったのですが、彼自身、ものすっごくエンタテインメント精神に長けた人で、そればかりがクローズアップされて苦しんだ時期もあったらしいのですが、それを乗り越えてニ大会連続の銅メダルを成し遂げ、エキジビジョンでは大いに彼本来の魅力を発揮してくれたのでした。わざと音楽を間違えてかけさせたり、会場から投げられたパンダのぬいぐるみを相手に打ち合わせをしたり、審判席に乗り上げて女性にキスをしたり、会場にウェーブ?を起こさせたり、バック宙を三回も披露したり、もうやりたい放題。これぞエキジビション、という感じで、楽しいの何の。今回のオリンピックではこうしたタイプの選手はいなかったですね。皆、結構マジメな感じで。あ、でもベレズナヤ・シハルリゼペアの演じたチャップリンの「キッド」は、“わざと”演出がとっても巧みで、オチャメなプログラム構成でやっぱりとっても可愛かった。二人とも長野の時と比べて長めのヘアスタイルでオトナっぽくなっちゃったけど、彼らの持ち味はやっぱりこっちなんじゃないかなあ、なんて思っちゃいました。

ところで、フィギュアの中では、私、アイスダンスが一番好きなんです。優雅で美しく、エロティックでドキドキさせる……。今回はコンパルソリから全部かっんぺきに見ました。長野の時に銅メダルだったアニシラ・ペイゼラ組、圧勝でしたねー。彼らもまた、長野の時より数段、上手くなってて感動しちゃいました。オリジナルダンスの時なんて、アニシラの口紅がペイゼラの鼻についちゃう、なんていう色っぽいハプニングがあってもうドキドキ。ところで、女性の、アニシラって、長野の時にはこんな赤い髪、絶対染めてるんだ!と思っていたんですけど、今回もおんなじ色だった……ということは、あれって地毛なの?信じられない!誰か知ってる人いたら、教えてくださいー。ところで、日本ってアイスダンス(あ、ペアもか)って何で出てこないの?つまんないなー。

日本の選手も、本田君、ほっんとーに良かった!すらりと背が伸び、指先まで神経の行き届いた美しい表現力はロシア選手にも匹敵するほどではないでしょうか。はっきり言って顔はブーなんだけど、ショートプログラムでは元気一杯の力強い演技でパーフェクト、フリーではジャンプでちょこっと失敗はしたものの、柔らかい美しい演技がとても感動的で、私はなんだか涙が出ちゃいました。報道ではメダル届かずとか、ニュースでもジャンプの失敗のとこだけ映したりして、てめえらー、とまたしても私はイカったのだけど、ね。実は長野の時は、同じ高校生で一緒にオリンピックに出ていた田村選手の方が好きだったりしたんだけど……(だって、美少年だったんだもーん)。

そして女子でもショートプログラムでガチガチに緊張していた恩田さんがフリーでリラックスしてジャンプ飛びまくっているのを見て、もう涙が止まんなくて、困りました(年をとるとねー……)。伊藤みどりさんが銀メダル取った時のこと、思い出しちゃったりして……みどりさんショートでつまずいちゃって、フリーでトリプルアクセル成功してから満面の笑顔でパワー全開で素晴らしい演技を披露して、その時も私は涙でボロボロだったのでした。そしてスゴい!5位入賞の村主選手、日本にもこんな美しいタイプの女子フィギュア選手がいたのね、とこれまた大いに感動。なんという美しいスケーティング!衣裳とか表情とか、長野五輪で銅メダルだった中国の陳露を思い出したりしちゃいました。村主さん、長野を逃して以来、悲願のオリンピック出場だったっていうし、そういやあ、陳露も復活で涙の銅メダルだったわけで、天女のように美しいスケーティングが忘れられない選手でした。必ずしも金メダルの人ばかりが記憶に残るというわけではないんですよね。

女子金メダルのサラ・ヒューズは、若さといい、はしゃぎ方といい、クワンを破ったことといい、長野の金メダルだったタラ・リピンスキーをダイレクトに思い出させる女の子。長野の時は、クワンが金メダルを取ってもおかしくない、というぐらいに双方拮抗していましたが、今回はクワンは完全に小さくなっちゃってて、何だか気の毒。エキジビションでクワンが、万感胸に迫る、といった涙を見せたのが強烈に心に残りました。ところで、エキジビションでは、リンクサイドも映していて、それぞれの順番ですれ違う選手同士、何の挨拶や会釈も交わさないんだな、とちょっとガッカリした気分になりましたが、ヤグディンだけは、次のサラ・ヒューズをエスコートするがごとく手を取ってリンクに送り出していて、うーむさすが王者の余裕だぜ、などと思っちゃいましたねー。カッコいいぞ、ヤグディン!

それにしても。映画のサントラを使う選手がすっごく多いのには改めて驚きました。歌なし、という規制の点もあるけれど、クラシックかサントラ、という感じで。アイスダンスの、フリーではなくオリジナルという、サントラはあまり使われなさそうなところで、バズ・ラーマン監督の「ダンシング・ヒーロー」のパソドブレダンスのサントラが使われていたのには感激しました。しかもクライマックスに使われてるドラマチックなやつ!




2002/1/7/月

ピアノvs冷え性の女。

昨年末はやたらと村松健氏のインストアライブばかり追いかけていたような記憶。ここでもたびたび名前の出る、映画ばかりの私が音楽では唯一聴き続けているピアニスト氏、であります。クリスマスにピアノ、のイメージのせいなのか、出たのは10月のアルバムのお披露目ライブが12月にやたらと集中していたんですよね。一回だけ行っときゃいいのに、結局三回も行ってしまいました。無料だったせいもある、ってのはセコい?いやいや、12月の忙しい時にこそ村松さんのピアノを生で聴きたかったんですよね、ホント、これは効くから。それに、三回目は渋谷のHMVだったのだけれど、渋谷のセンター街で村松さんがピアノを弾く!(いや別に“センター街で弾く”わけじゃないんですけど)というのがイメージわかなくて、それで興味がわいて見に行ったんです。この時はほんとに、聴きに行くというより、そういう意味で見に行くって感じでした。その前の二回ともにサイン会に参加したので、さすがに三回目はというと気が引けて、その日はそのまま帰りましたが、あんまり追っかけすぎてコワいファンにならないように気をつけなくっちゃ。ヘタするとミザリー!?ひえええ。

一回目は銀座のYAMAHAでの店頭ライブ。店頭、なので、村松さんファンだけではなく、偶然そこに行きあった人も立ち止まって聴いていくワケです。最前列に陣取ってライブを見つめている5歳ぐらいの男の子が、ピアノではなくウッドベース(その日はベースの安藤浩司さんとのデュオだったのです)の演奏に興味津々、釘付けだったのが印象的でした。あの子は将来、ベーシストになったりして?それと、白髪の上品そうな老婦人が、「Tea For Two」のジャジーな演奏に体でリズムを刻み、熱心に手をかざして拍手をしていたのも素敵でした。音楽の力を感じました。

二回目は同じく銀座の山野楽器。ここはCDを買った人の招待制なので、純粋な村松さんファンが集結、といった感じ。サイン会の時に、初参加とおぼしき二十代前半といった感じの女の子が、村松さんを目の前に「きゃー、どうしよう、ドキドキですー」と舞い上がっていたのがカワユかったなあ。うーむ、私も老成したもんだ……。しかしホント、この女の子は実に私好みで……いやん。という方向に行くのはちと違うので、置いといてと。私の前の席に座っていた母娘とおぼしき二人組、娘さんは中学生ぐらい?御母上の方が全身ピンクハウスで、かなりの迫力。この方がですね、私はもう何年も前から村松さんを聞いていて云々……とずーっと喋っていて、後ろで聞いている16年越しファンの私はいろいろとツッコミたくて口がムズムズ。

こういう感覚って、映画館で行列作っている時とかにもありますよね。特にカップルで、男性が女性に対して、映画の知識をひけらかしているという図式。結構これが間違ってたりして、正したくなっちゃうの。この間、シネクイントで並んでいた時に、前にいたカップルの男性の方が、こんなに並んだら、こんなちっちゃそうな劇場は立ち見に違いない。座れますよと言っておいて、入ってみたら立ち見だったりするんだ。劇場はそういうことをやるんだ、とか言っていて。シネクイントがわりと座席数があるのを知っているこっちとしては、何言ってんの、これぐらいの行列じゃ、せいぜい6〜7割の入りだってば。そおんな知ったかぶったこと言って、いざ入って彼女にどんな顔するんかね、などとずっと口ムズムズ状態だったんですよね。まあ、でもこの男性や先述のピンクハウス婦人と同じようなこと……知ったかぶって回りに聞こえるように会話して、自慢モードに入ってる、ってことを私だって結構やってきたに違いなく、イヤハヤ人のフリ見て、だなあ、などと思うわけです。

ところで私は相当な冷え性、なのです。この日、サインをしてもらうのと同時にチャッカリ握手もしてもらった私は、村松さんの手がとってもあったかいのでちょいとウロタエました。私の手ってば、尋常じゃないぐらい、大げさでなく氷のように冷たかったので、恥ずかしくて。末端冷え性というんですかね。これが私の悩みのタネ。足と手が異常に冷えるんです。帳場というのは、ほぼ屋外で仕事をしているようなものなので、すぐ手が冷たくなって動かなくなってしまうので、自分の首に手を当てては、あっためている(これが一番手っ取り早い)ので、「首凝ってるの?」などと言われるんですよねー。だって、カイロも私の手の冷たさに負けちゃって、すぐ冷めちゃうんだもの。本当、どうしようもありません。

んで、そうそう、村松さんの手がとってもあったかかったので、ああ、きっと手のあったかい人でなければピアニストになれないんじゃないのかなあ、と思ったのです。エレクトーン(このヤマハの商標楽器、今思うと結構イイネーミングですね。電気鍵盤?)をやっていた幼少時から、ピアノをやっている現在に至るまで、手が冷えて指が動かないことに常に悩まされてきたのですから。部屋があったまっても鍵盤だけが冷え冷えとしているんだもの、なぜか。だから余計にそこから冷気が指に伝わってしまって。小さな頃は手が冷えるとお湯で手をあっためてたのですが、それだと逆効果。水分が蒸発する時にさらに冷えてしまうのです。次にやったのは、ビニル袋にお湯を入れて、それをヒョウノウよろしく鍵盤の上に乗せる、というもの。今では、指があったまるまで、数分ごとにファンヒーターとピアノの間を行ったり来たり。

鍵盤があったまるピアノとか、鍵盤の上からあったかい風が出てくるピアノとかないかなあと、本気で思っているんです。いやいやその前に、冷え性が完璧に治る方法、誰か発明したら、ノーベル賞だわ。


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