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「け」


1999年鑑賞作品

月光の囁き
1999年 100分 日本 カラー
監督:塩田明彦 脚本:塩田明彦 西山洋一
撮影:小松原茂 音楽:本多信介
出演:水橋研二 つぐみ 草野康太 関野吉記 井上晴美 藤村ちか 相沢しの 真梨邑ケイ しみず霧子


1999/10/30/土 劇場(テアトル新宿/レイト)
あらためて言及するのもはばかられるほど、原作者の言うとおりこれはモロ谷崎の世界そのものだ。先に谷崎という存在がいてしまうから、どんなに魅力的に物語を作り上げていても、なんだ、これ谷崎じゃん、と言いたくなる。原作漫画は読んでいないのでアレなのだが、多分、原作の方が肉体の生々しさを感じさせていると思う。そしてそこがまさしく谷崎的なのだが、映画がそこから抜け出せている(あるいは全く別物になり得ている)のは、役者たちのリリカルな存在感につきる。生身の人間を使っての描写の方が叙情的だというのはちょっと凄い。水橋研二、つぐみ、そして草野康太もあえて入れたい。瀬戸内地方あたりとおぼしき柔らかな方言が実際に音となって響いてくることも大きい。しっとりとした空気感や、部屋に差し込む光、後述の雨のシーンなど、空間を満たす要素が心地いいのでエグくならないのだ。

最初から紗月(つぐみ)へのフェティシズム&マゾヒズムな思いに自覚的な拓也(水橋研二)と、彼によってサディズムに目覚めていく紗月。結果的に彼らの快楽の道具にされてしまう植松(草野康太)。三人ともやってることは肉欲的なのだけど、そこから感じるのはやはりリリシズム。特に主演二人の目演技だ。拓也が納戸(?)で手足を縛られたり、押し入れに閉じ込められたりして、紗月と植松のセックスを見させられたり聞かせられたりする時の切ない目は「痴漢日記」の大森嘉之ばりなのだが、いや、こいつは切ながってるんじゃない、これは恍惚の目なのだ、とふと気付いた時に背筋がゾッとなってしまう。最初、紗月とごく普通の恋愛をしていた時、彼女とのセックスで彼はイけなかった。あの時彼女もまたバージンだったようだから、彼女の方は自分に原因があるのだと思い込む。しかし、その後彼女がトイレに入っている音を盗み撮りし、その音でマスかき始める拓也は、彼女からつき離されればされるほど快楽を感じるのだ。その決め手は紗月に「死んで!」と言われた時に「そのかわり、死ぬまで僕を忘れるな」と言うクライマックスである。多分あの時、彼は絶頂にイッてたんだろう。

拓也を演じる水橋研二と同等、いやそれ以上にイイのが紗月を演じるつぐみ。「ねじ式」で初めて見た時、そう、初めて見たのにいきなり乳首をいじくられる少女役でのけぞったが、あの時の可憐な色気が忘れられなかった。ここでもあらわなカッコを躊躇なく見せてくれるのだが、それ以上に印象的なのは彼女のテンションの高い表情。じっと内に押し殺した拓也と対照的に、彼女は自覚していない自分が出てくることを彼のせいにしてうろたえまくるのだけど、その怒りと泣き顔が抜群にいい。植松とセックスをしながら、それを見守る拓也と視線を交錯させ、快感をつのらせていく彼女。白く吸いつくような肌と、真っ黒な黒髪が拓也ならずともフェティッシュな感覚をおこさせる。久々にハマッた美少女だ!

どしゃ降りの雨と、その泥にまみれて紗月が投げたソックスを拾う拓也。これはもう彼の射精の象徴。フェティシズムとマゾヒズムが同時に語られているのでどちらかというとインパクトの強いマゾヒズムに比重が傾きがちなのだが(その二つは不可分なものだけど)、彼の足フェチ……紗月の下半身にアングルをあわせた彼の視線のショットや、紗月の足をしゃぶり、なめつくすシーンの耽美さはみもの。つぐみの色白できめの細かい足、しかし少女特有のまるっこさを持つ足が、ただたんにスタイルのいい足とは全く違った情感をそそる。

滝つぼに飛び込んだ拓也が間一髪助かり、左目を含んだ頭部と右腕、左足に重傷を負う。そこになぜか右目に眼帯をつけた紗月が見舞いにやってくる。まるで左目の自由を奪われた拓也の分身のように。「dead BEAT」でもそうだが、眼帯ってなんでかエロティシズムを感じる。眼帯に限らず、拓也のように怪我をしている姿、その自由を奪われた姿は何ともはやエロティック。緊縛のエロと同意義に、相手が抵抗できない状態にあることに対する恍惚感とともに、自由を奪っているその包帯、その眼帯に執着するフェティシズムのエロをも内包している。病室からふいと出ていった紗月を追って、画面を横切るなだらかな土手にたどりついた拓也が紗月の隣に座る。夕暮れ。カットアウトされ、タイトルクレジットにはスピッツの「運命の人」その歌詞がすべて二人を歌ったように聞こえる驚き。そして余韻が不思議と心地いい。★★★★☆


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