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「た」


1999年鑑賞作品

胎児が密猟する時
1966年 72分 日本 カラー
監督:若松孝二 脚本:大谷義明(足立正生)
撮影:音楽:
出演:山谷初男 志摩みはる


1999/2/25/木 劇場(BOX東中野)
キャストに二人の名前しかないから、あれ?と思っていたら、本当に二人だけだった。密室劇、男が女をいたぶる、「クローゼット・ランド」もそうだし、「完全なる飼育」や「アタメ」(ま、これはいたぶってはいないけど)もそうだった。舞台劇のようにも感じるけど、実はより映画的な設定なんだろうなあ……それとも女を監禁していたぶるというのは男の潜在的願望なんだろうか……。

子供を絶対に欲しがらない男が、身ごもった妻の相手(実は人工受精)に嫉妬の炎を燃やす。妻のデスマスクを作ったり、ベッドに女を縛り付ける時に両手両足を四隅に縛り付けたりと妙に凝るところといい、この男のマザコン的トラウマが不気味。山谷初男(何か違う!)の尖った糸切り歯がその気持ち悪さを助長する。女に逃げられそうになるたび、それまでの態度を一変して懇願する様がさらに気持ち悪い。

女は一貫して抵抗して叫び続けるだけで結構つまらないけど、男の妄想の中でなのか、あるいは女の妄想の中なのか、架空のシーンで女が男の優位に立っていて唇をいっぱいに吊り上げて笑うその笑顔がひどくおそろしい。

ラスト、女に刺し殺される男は血の海の中で倒れていて、まさしく“羊水の中の胎児”。……でも正直言ってタイトルの意味は判らないんだけど……。クラシックっぽい旋律と音色の(弦楽器だろうか……)音楽が宗教的で独特。★★★☆☆


瀧の白糸
1933年 102分 日本 モノクロ
監督:溝口健二 脚本:東坊城恭長 増田真二 館岡謙之助
撮影:三木茂 音楽:――(サイレント)
出演:入江たか子 岡田時彦 菅井一郎 村田宏寿 滝鈴子 見明凡太郎 浦辺粂子 大泉浩二 大原穣 川瀬隆司 沖悦二 小坂信夫 田中筆子

1999/11/11/木 京橋フィルムセンター
相変わらずフィルムセンターなので、サイレントはサイレントのまんま上映するため身動きとれず、くっ、苦しい……弁士とはいわないからせめて音楽ぐらいつけてくれえ。

岡田時彦を見てみたいがために鑑賞。なんたって谷崎の秘蔵っ子だったんだもんね。おおお、予想以上にいい男!&上手い!若々しい馬丁から、立派に出世した検事まで非常に映える。特に検事姿の(独特の中国風?のいでたち)彼はまったく惚れ惚れするほど。この時代の日本人とは思えない(いや現代でも)彫りの深い顔立ちで、ちょっと榎本孝明入ってる。化け猫映画でしか見ていなかった入江たか子も陰影のある美しさ。水芸をやっている“瀧の白糸”の時のこってりメイクの彼女も艶っぽいが、殺人を犯して捕らえられ、自分が貢いで育てた欣さん(岡田時彦)が目の前に現れる以降の、やつれた、しかし目の前の彼の姿に感無量の表情を見せる姿はさらに美しい。やっぱり娘、入江若葉に似てるのね。これで(少なくとも劇中の設定では)25、6だというんだからいやんなっちゃうなー。しかもそれで自嘲気味にお婆さん、なんて言っちゃって。そうか、もうこの年だとババアなのか……。

身寄りがないために学問をやりたいが馬丁をしているという村越欣弥と瀧の白糸の出会いは印象的。彼女とそのごひいき(?それとも同じ一座の人かな)が乗り込んだ馬車を、人力車と競争させろとけしかけられ、従うも、ついには無茶なことばかりいう男達を置いてお瀧姉さんだけを裸馬に乗せて行ってしまう。そのきっぷのよさに惚れ込んだお瀧ねえさん、彼を東京に行かせ、学問をさせるため仕送りをする。……ことを承知させるために彼を口説き落とすお瀧ねえさんの積極アプローチは驚き。キスしたり、彼のウエストあたりにかがんで顔をもっていくなんていうショットまである(何をしてるんだ……私の見間違いか、うがち過ぎ!?)。おいおい、ここは屋外だぞ!?さすがに欣さんはびっくりして逃れるけど(そりゃそうだ)。立派に出世したあかつきにはどうお礼をしたらいいかと問う欣さんにお瀧ねえさん、あたしはただお前さんに可愛がってほしいんだよ、という。うっひゃー、いろっぺー&エロな言い方!

一座の経営状態がにっちもさっちもいかなくなり、さらにはお瀧ねえさんが一座から抜けたがっている若いカップルを逃がしたりするもんだから、さらに状況は悪くなっていく。色っぽいお瀧ねえさんに目をつけたエロじじいが彼女に手を出そうとしても毅然とふり払う彼女。しかし奔走して集めた金を力づくで奪われ(この場面は怖かった。お瀧ねえさん、レイプされるんじゃないかと思ったくらい)、しかもそれが一座の座長がグルになったことだと知ったお瀧ねえさんは敢然とエロじじいのもとに乗り込むも、あとで自害するつもりで持っていった包丁であやまってそのじじいを殺してしまう(死んで当然!)。

そしてとらわれたお瀧ねえさん、成長した欣さんとのご対面とあいなるわけである。検事に呼ばれていると言われて、部屋に入っていく彼女、欣さんを目にしてハッとし、胸に縫い付けられた囚人番号を手で隠す。いわば自分のために殺人をおかした彼女を裁くことは出来ないと苦しむ欣さんに、私の願いはあなたが立派になった姿を見ること、きちんと裁いて下さいと言うお瀧ねえさん。ううっ、泣かせる!独房に入れられたお瀧ねえさんが震え泣くのが忍びなく、思わず中に入って彼女の手を握り、抱擁しかけるも、我にかえったようにその衝動を押しとどめ出て行く欣さんの後ろ姿を監房内の長い廊下に映し出す……哀しい。

裁判の席上、彼女の自白を導くために、万感の思いを込めて、しかし検事としての言葉でお瀧ねえさんに語り掛ける欣さんと、それを涙をためた微笑を浮かべて感慨深げに眺めやる彼女のショットの素晴らしさ。そして判決が述べられた時、お瀧ねえさんは満足げに自らの命を絶ってしまうのだ。なんでも一般に残されていたフィルムでは、彼女の自殺シーン以降がなかったらしいが、今回の上映では関西版とも呼ぶべき、それ以降のラストシーンが残されたバージョンとの合体、最長版が取られている。これは、このシーン以降がなかったら意味を成さないでしょう!彼女が自害するのもそうだけど、ラストシーンでは欣さんが路上に倒れている。あれは、彼も彼女のあとを追ったということではないの!?え、違う?そうだと思ったから私は衝撃と感動を受けたんだけど……。

何度か出てくるお瀧ねえさんと欣さんの巻き物手紙、あの当時はみんなあんな達筆だったんだろうけど、現代に生きる私には読めん。日本文学勉強してたのにナサケナイったら……。★★★★☆


タンゴTANGO
1998年 116分 スペイン=アルゼンチン カラー
監督:カルロス・サウラ 脚本:カルロス・サウラ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ 音楽:ラロ・シフリン
出演:ミゲル・アンゲル・ソラ/セシリア・ナロバ/ミア・マエストロ/フアン・カルロス・コペス/カルロス・リバーロラ

1999/5/14/金 劇場(Bunkamura ル・シネマ)
タンゴダンスが全編を、本当に全編をつらぬく映画。タンゴと言えば、サリー・ポッター監督自らがその魅力にとりつかれた人物としてドキュメンタリー風に撮った「タンゴ・レッスン」を近年の秀作として思い出すが、本作でもタンゴ・ダンスの舞台を映す映画のメイキングといった面持ちで、どこかドキュメンタリズムの匂いがする。タンゴには映画監督にそんな手法を取らせるような、人の感情を発露させるところがあるということかもしれない。緻密な技術に裏付けされていながらも、その感情が、官能性が見る人を釘付けにするタンゴダンス。劇中監督のマリオ(ミゲル・アンゲル・ソラ)が、しばしば自分の仕事も忘れてダンサーたちのダンスに見惚れるのはけして彼らのテクニックなんぞではなく、その体からほとばしる、沸騰しそうなエナジーになのだ。

「タンゴ・レッスン」が軽やかに街にまで駆け抜けていったのに対して、本作は徹底して、まるで意固地になっているかのように、インドアである。舞台劇(と同時に映画劇……ややこしいな)を作り上げる過程という内容なのだから当然なのかもしれないが、虚構の世界を作り上げる様子を、これまた完全に、虚構の世界の中に描き出す。例えばマリオがその若々しい魅力に魅了された新人ダンサーを夕食に誘う時も、カメラは彼らが街の中を歩く、なんてところは映さず、もういきなりレストランの中にジャンプする。マリオが見ている幻想から本当の(かどうかも判らないが)リハーサルシーンや本番シーンに移行したり、シルエットを多用したり、スライドで映し出された一瞬本物かと見まごう街並みの中に人が入り込むとその体にも街並みの映像が映ってしまったり。ドキュメンタリー風だと浸り込んでみている観客を、巧妙に、しかし心地よく軌道修正する。

マリオのかつての妻でベテランのタンゴダンサーが、この新人女優と絡む場面。彼女の、これまたほんとなんだか演技の上でなんだか判然としない嫉妬の感情が全身からみなぎるようなダンス。同じタンゴを踊っているはずなのに、ここまで違うかという圧倒的な貫禄で、この新人女優とは天と地の差である。何が違うのだろう、テクニックと言ってしまえばそれまでだが、それだけではない。キャリアの差なのか。ここでは新人ゆえのフレッシュな魅力なんていうあやふやな言葉も使えないほど、圧倒的に実力に差があるのだ。実力……感情の差だろうか、官能の差か。

そしてこれはみものの、男性同士のタンゴダンス。やおい系の妖しい雰囲気になるかと思ったら、これが意外にならない。かといって官能的でないというのではなく、色っぽいんだけど、そんな言葉を近寄らせないこれまた圧倒的な力強さ。その男性ダンサーの目……!あの目の力は一体なんなんだ!力強さ……そうこの舞台は最終的には戦争をタンゴダンスで描くというちょっと信じられない試みをやってのける。その、力強さ、力わざ!女が犯される場面までもダンスで表現する。広野の夕暮れを背景のスクリーンに映し、疲れきった移民の格好をした圧倒的な群舞がその舞台を、画面を覆いつくす、あるいは、窪みの中に次々に投げ入れられる死体(役)のダンサー達……思わず目を背けたくなってしまうほどのリアルさ。

コンテンポラリーダンスでやりそうな試みだが、おそらくタンゴで描くこれにはかなわないだろう。だってそこにはその“感情の発露”があるから。タンゴの持つほとばしる感情は、官能しか表現できないのではないのだと、思いもよらなかったことを眼前に突きつけられる。合間合間に挿入される監督と新人女優のロマンスなんて、吹き飛ばすほどの威力。ここでは言葉も無意味なのだ。冒頭に未練たっぷりのマリオに別れた妻が「今は別の男と暮らして幸せなの」と言う。後半、もともとスポンサーの愛人だったこの新人女優にもこの同じセリフを言わせるのだが、そんな構成の小細工がうっとうしいほどに、ダンス自体の素晴らしさが心に、体に衝撃を与えるのだから。そういう意味では、ダンスの威力に監督は負けてしまったのかもしれない。あるいは脚本が。そうするとこの映画は成功なのか、失敗なのか?

音楽はラロ・シフリン。大御所だが、私はラロ・シフリンというと、もう自動的に「燃えよドラゴン」なのだけど、ここで聞かせるタンゴの名曲の数々はもうそれだけで心しびれるのだ。あのバンドネオンの哀切な響き……!★★★☆☆


ダンジェ Danger de mort
1998年 115分 日本 カラー
監督:福岡芳穂 脚本:荻田芳久
撮影:小川真司 音楽(プロデューサー):石川光
出演:金子賢 岡元夕紀子 中村久美 菅田俊 大和武士 寺田農

1999/5/11/火 劇場(シネマカリテ)
まったく、よくもまあ、こんなつまんない映画を作れたもんだ!しかも115分もだらだらと……拷問だ……脚本の段階で、気づけよ……いやこれは脚本のせいじゃないかな。若いカップルがおもちゃのように拳銃を振り回す描写が映画的だとでも思っているんだろうかと苦々しく思うのは単に私の偏見かもしれない。でも嫌いなのだ、こういう拳銃の扱いかた。しかもこの拳銃を“知り合いのヤーさんに頼んで手に入れた”という陳腐な説明もやめてくれ!この手の描写をするのは、日本の若いインディペンデント作家のある一部分にいまだに存在する、観客の存在を全く無視しているかのような自己満足的&私小説的な映画なのだ。「Helpless」もそう、「ユーリ」もそう。そしてなぜかこれが純愛だと言いたがる。この「ダンジェ」にも“破滅的な純愛”という惹句がついていた。さあ、どのへんが純愛なんでしょうか。外階段でいきなりヤッちゃうのが純愛?そもそも純愛って何?……これ、チラシの宣伝文句も意味不明。ちょっと引いてみると……“どこでもないどこか、どこででもあるどこかで出会った誰でもない誰か、誰ででもある誰かとしての男と女がいる。ふたりは現実の彼と彼女であり、誰かのイメージの中の彼と彼女であり、また記憶の中の彼と彼女。現実と虚構、生と死の境界を越えて、ふたりは存在する。この物語に、時間と空間の定点はない。ふたりの生きる時間と時間、空間と空間は互いに影響しあい反射して、その反復と差異の中でさらに新しい時間と空間を作り出していく。その不定形の時間と空間を繋ぐのが、愛、彼らの愛。”……(ちょっと長く引きすぎたけど)一体何が言いたいのか判りますでしょうか?私にはさっぱり判らない。映画を観るとますます判らない。

男(金子賢)の方の背景は全く語られないが、女(岡元夕紀子)は母親が議員と関係を持ち、彼を撃って母親自身も自殺を図って死んでしまっている。議員の方は命をとりとめ、汚職によって逮捕され刑務所の中にいる。物語はこの議員を殺し自分たちも死のうとするこの男女の姿が描かれる。男はバイク便の仕事で届け先のエステで働く女と出会う。一応“偶然”映画館(妙にこぎれいな名画座。なんか気に入らない)で出会ったりもしているのだが、別に何の気持ちの高まりもこちらに感じさせないまま、外階段でいきなりセックスする描写にまず引いてしまう。何の必要性も感じないし、例えば「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のような衝撃的なものを感じさせるわけでもない。「あいつを殺したら私も殺してくれる?」という女に自分に対しても同じ事を約束させる男。判らない。なぜそうなるのか?彼らには別に死にたくなるようなせっぱつまった状況があるわけではないし、彼らの恋愛関係もなんら追いつめられたものではないのに。お互いを殺しあうという展開が映画的だとでも思っているのか?それともそれが純愛だとでも?(私もいいかげんしつこいけど)

金子賢はともかく岡元夕紀子がねー……。あの傑作「バウンスkoGALS」でもさしたる感慨はなかった彼女、外見的には随分と魅力的になったけど(特に唇は好みだ……ちょっとレニー・ゼルウィガーみたい)、演技は……である。いや演技とか以前のキャラクター設定の部分で私があまり好きではないから彼女に罪はないかもしれない。拳銃持ってやたらとキャーキャーはしゃぎまわる女の子、というのがどうにもこうにもカンにさわるのだもの。やたらと男に甘えた言い方をするのも。これじゃファム・ファタルとはとても言いたくない。金子賢もあまりいい感じは与えない。「キッズ・リターン」のもう一方の主演である安藤政信の方はその後の出演作品に確かな選択眼を感じるのに、金子賢はまずそこからしてどうもいけない。俳優としては力がある人だと思うんだけど……。

やたらとガンガンかぶさってくる意味のないロック(?)ミュージック、意味のない部分での長まわし(バイクに乗って帰る場面で、なんでワンカットで長々まわす必要があるの?)、ああもうすべてが意味がない!R−15指定になっているのさえもったいない気がする……R指定って、ある種のこだわりから刺激的な描写を減ずることなく作った映画というイメージが私の中にあるものだから……そんなこだわり、感じられないもの。執拗に月曜日のシュミレーションが繰り返されるのだけはちょっと面白かったかな。それと!許せない!なんなのあの哀川翔の扱いかたは!出演者に哀川翔の名前が、それも四番目にあるから、ワクワクして待ってたのに、いつまでたっても彼は現れず、出たのはわずか3分あまり、彼ら二人がアパートのエレベーターで風呂屋帰りの哀川翔に出くわして世間話をする、ただそれだけだ!なんなんだそれは!おこるでしかし!★☆☆☆☆


ダンス・ウィズ・ミーDANCE WITH ME
1998年 126分 アメリカ カラー
監督:ランダ・ヘインズ 脚本:ダリル・マシューズ
撮影:フレッド・マーフィー 音楽:マイケル・コンヴァーティノ
出演:ヴァネッサ・ウィリアムズ/チャヤン/クリス・クリストファーソン/ジョーン・プロウライト/ジェーン・クラコウスキ/ベス・グラント

1999/5/17/月 劇場(シネマミラノ)
いやあ、素直にやられましたね。ダンス選手権が出てくるところなんかモロ「ダンシング・ヒーロー」だし、競技ダンスに一途な彼女に、ダンスの楽しさ、心を教えるとか、父親(アイデンティティ)探しとか、実に王道、まっとうなストーリー運びなんだけど、こういうのを観ると、新しいアイディアやストーリーばかりを追い求めて、映画本来の持つ魅力を凡庸なアクションや言葉だけの感動モノの中に埋没させている昨今の状況にふと思い当たってしまう。

母親が死に、身寄りのなくなったキューバ青年ラファエル(チャヤン)が、表面上は職探しと言いつつ、実は父親を探すためにアメリカへとやってくる。彼の亡くなった母親の昔の友人だというジョン(クリス・クリストファーソン)を頼って。ジョンが彼の父親だということは容易に推測がつき、ちょっと一悶着あるだろうなというのも非常に期待通りに運び、彼とまた一から出直すこともきっちり予定通り。ラファエルがジョンの経営するダンススタジオで出会うラテンダンサー、ルビー(ヴァネッサ・ウィリアムズ)と恋に落ちるのも。気持ちがいいくらいすっきりとしている。それもそのはずで、この映画はとにかくダンスの魅力を見せたいのだもの。余計な装飾はいらない。ダンスの魅力……いや、ダンスを踊っている人間の魅力といった方がいいかな。

バービードールのようにキュートなヴァネッサ・ウィリアムズ、彼女はもうその体型を見ただけであ、彼女、踊れる、と判る。実際彼女のダンスは恐ろしく素晴らしい。もともとの運動神経やリズム感もあるんだろうけど、アップでしっかり寄っていて吹き替えなんぞ全く無しである。実際大会に出てもほんとに優勝するんじゃないかというくらい鬼気迫るものがあって、凄い。一方でラファエルは彼女とは全く違った方向でこれまたダンスが素晴らしい。ヴァネッサの方は、競技ダンスの持つテクニックとスピードで見てるこちらを圧倒するのだけど、チャヤンのダンスは民族から脈々と受け継がれてきたのがよく判る、楽しむためのもの。陽気で、優しくて、ハートがあるダンス。言葉で言うとあいまいだけれど、彼のダンスを見ていると、それがこういうものなんだと判る。彼自身の甘やかな魅力が加味されて、うっとりとするほど美しく優しく女性をリフトするシーンなど、劇中の女性たちが「私も持ち上げて!」と言うのもむべなるかなの素敵さである。私も言いたかった……かもしれない。

それが如実に出ているのが競技ダンス会場でのシーン。頂点を目指すルビーは、別のパートナーと組んでプロ部門に、ラファエルはジョンのパートナーだった女性(ジェーン・クラコウスキ)のたっての願いでアマ部門に出場する。ラファエル達の出る前に踊っているペアが、ものすごいテクニックの持ち主で、圧倒され、逃げ出したいような表情になる女性の背中をラファエルは優しく舞台へ押し出してやる。彼らが踊るのは、バレエの要素が多く入った、スロウでメロウなダンス。前に出たペアのような派手さがないから女性は自信を無くしかけたのかもしれないが、彼女のやわらかな女性らしい魅力と、チャヤンの(前述した)うっとりとするリードで、たちまち観客(映画の観客も含めて)を魅了してしまう。結構引きで撮っているし、アップや編集で魅力を煽り立てることをしないでここまで魅せるのは、実際に彼らの実力だろう(実際、勝ったらしく、その後彼ら二人トロフィーを持っている)。そのリフトの時など、観客からため息にも似た歓声がもれる。二人のダンスが終わった後、「私も持ち上げて!」の大合唱の中から、初老の女性(ジョーン・プロウライト。彼女は以前からラファエルに持ち上げられたがっていた(笑))が進み出て、彼とこれまた優しげなダンスを踊り、もう劇中の観客もこちらもメロメロである。本当に、この一連の名ダンスシーンの素敵さときたら!

そのダンスをルビーも見ている。彼女は見事決勝に残り、かつての夫である元パートナーとダンスを踊っている最中も、目線はラファエルに行っている。ここでのルビーとラファエルの視線の交錯が放出するエロティシズムが強烈で、ルビーはもうその表情、ダンスで全身から表現するし、それを受け取るラファエルの顔が次第次第にアップになっていくのにドキドキしてしまう。割と南国系によくある古典的なハンサムなんだけど、ああ、なんてアップに耐え得るあんちゃんなのかしら……とうっとりである。

そしてルビーは優勝して、有名ダンススタジオからお声がかかるのだけど、予定通り、ラファエルの元へと戻る。ジョンのダンススタジオを二人で引継ぎ、多くの生徒とともに楽しげにダンスを踊っているところで終わるわけだ。ああ、なんと完璧なハッピーエンド!

それにしてもラファエルに扮するチャヤンのハートフルなダンスにはノックアウトされた。彼はかの地ではスーパースター(ラジニカーントじゃないよ)らしいが、もちろんアメリカ、ひいては日本でだって当然全くの無名。それが、強烈な存在感を繰り出すのではなく、やわらかで優しい魅力によって、しかもそれが周りのハードなエネルギーの中に埋没することなく、強力な陽のやわらかさでこちらの心をつかんでしまうんだから、凄い。彼がキューバ人の集うパブで、ルビーとともに踊るダンスの楽しさ!そこにはもう足の踏み場もないくらいたくさんの人が踊っていて「場所がないわ」というルビーに、「フロアすべてが僕らの場所だよ」とニッコリするラファエル。何のことやらと思ったら、そこにいる人たちと自在に交わって、ペアを変えて踊り、また戻ってきて、また違う人とつかの間踊り……老若男女入り乱れる楽しさがたまらない!ルビーを家に送ってきたラファエルが、突然吹き出した庭のスプリンクラーに濡れて肩をすくめながら、チャップリンのようなコミカルな動きで踊るダンスも素晴らしく、可愛らしく、もうほんとにニコニコしてしまう。

ラテンダンスということでそこに付随されるラテン音楽……まさしくオルケスタ・デラ・ルスばりの陽気で楽しく大迫力のそれにも圧倒されっぱなし。いやあ、ダンスって、ほんとにいいもんですなあ!★★★★☆


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