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2000年鑑賞作品

蛇女
2000年 88分 日本 カラー
監督:清水厚 脚本:小中千昭
撮影:西久保維宏 音楽:中川孝
出演:佐伯日菜子 石橋保 夏生ゆうな 諏訪太朗 大川浩樹


2000/5/9/火 劇場(新宿シネマ・カリテ/レイト)
てっきり楳図かずおの同名漫画の映画化とばかり思っていたら、違った。何でも今現在、西麻布周辺でささやかれている実際の蛇女目撃&奇妙な体験情報に基づくものなのだという。そしてアジアのホラークイーン、佐伯の日菜ちゃんはその蛇女ではなく、蛇女に翻弄されるモデル役。いやー日菜ちゃんたら、えらくイイ女になっちゃって、いつの間にぃ?という感じ。彼女の顔アップがやたらと多いのだけど、うーむ気持ちは良く判る??いや、これだけ美人になってくれちゃ、私だって寄りたくなりまさあ。

薄暗い夕闇の中、長い長い幅の狭い緩やかな石段、そこに立っている肩をいからせた、血まみれのはだしの少女。その少女に釘付けになっている一人の小さな男の子。アンバランスに大きい制帽をかぶったその姿は、少し昔のイメージなのだろうか。少女が背を向けて奥へと歩き出すと、少年も呪縛から解けたようにふいときびすを返して走り出す。……そして画面は変わり、日菜ちゃん演じるモデルの文が撮影をしている場面へ。

まだまだ新進のモデルらしい彼女は、とある大学のバイオテクノロジーによる肌の老化防止を研究する講義で、肌の老化状況を見せるという、本意でない仕事が入る。しかしそこで出会った研究者である助教授、一樹(石橋保)と互いに惹かれあうものを感じ、彼の家まで行ってみるのだが、そこは古い日本家屋で何かまがまがしい空気に満ちていた。妹と二人暮らしだというその家に、ふとした事から一泊する事になった彼女は、その夜、悪夢にうなされて飛び起き、眠れないまま家の中を探索すると、一樹と妹、匡子(夏生ゆうな)との、見てはいけない場面を見てしまった……。

この匡子との関係に苦しんでいるという一樹と、文に嫉妬して付きまとってくる匡子に翻弄される文。文は一樹を思い切れないらしいのだが、妹である匡子はどうも普通の人間とは思われない。加えて、文に警告する人間がいた。一樹を前々から調べているという猪瀬(諏訪太朗。最近大杉漣なみの活躍ですね)は文に「彼に妹なんかいませんよ」と言う。……。

匡子は一樹の母親であり、蛇の力によって老いを知らない体になったらしい。クライマックスは一樹の研究する培養液の中に放心状態で入れられている彼が、文と匡子、二人の伸ばした手のうち匡子を引き込んで蓋が閉められ、二人とも絶命してしまうのである。この選択は実際に匡子を選んだようにも、文を匡子から救うためだったようにも思われるのだが、……どうだろう。このシーンではいささか訳の判らないバトルが繰り広げられ、文までが常軌を逸し、鎖をレロレロになめて挑発する(これは日菜ちゃんのアイディアなのだとか)。匡子によって文もまた蛇女になってしまったのか……たしかにラスト、冒頭で示されたシーンがくりかえされ、あの血まみれ少女は文の妖艶な姿に摩り替わっているのだが(ちなみに血まみれではない)……。

日菜ちゃんがやたらと悲鳴を上げてはいるのだが、その実恐怖感は皆無に近い。悪夢にうなされる彼女の喉から黒髪がずるずると出てきたり、窓ガラスに匡子の横顔が浮かび上がっていたり、いつでも背後に誰かがいる気配がしていたり、なかなか恐怖演出には腐心しているのだけど……。何よりもマズいのは、夏生ゆうな扮する蛇女の造形が、どこか笑えてしまうようなツクリになっていることで、肌が蛇のそれになっているくらいにしとけばいいのに、顔全体が巨大な蛇の顔になっているという着ぐるみ状態にはいささか苦笑。加えて蛇に取り付かれた女である夏生ゆうなのテンション高い演技が、かなりクサい……。日菜ちゃんは感情のあるがままに、という感じで緩急しなやかな、さらりとした演技なのだけど、夏生ゆうなは彼女と対照的にしたせいか終始力が入っており、台詞回しが妙にわざとらしくて気になってしまう……彼女ってこんな感じだったかしらん。久しぶりに見たけど、ちょっと太った?前はほんとに小枝の様にきゃしゃな女優さんだったけど……日菜ちゃんが痩せているせいで余計にそう思うのかな。

しかし日菜ちゃんはほんとキレイになった。前からもちろんカワイイ女の子だったけど、ほんとに。演出的には問題あるのかもしれないけど、彼女の顔アップの連続にひたすら見とれる私。それにそのアップの時に、非常に意味深な、微妙な表情をすることがあって、夏生ゆうなのいささか判りやすすぎる妖怪像よりも、日菜ちゃんのこの揺らいでいる感覚の方が恐怖を盛り立てるものがあった気がする。それに、まあまあ、日菜ちゃんの長くてすらりとした、なんてきれいなおみ足!夏生ゆうなとの再三のバトルでどったんばったんと絡み合い、その目にもまぶしい白い足が惜しげもなくさらし出され……ああッ、日菜ちゃんヤバすぎ!彼女の足があんまりキレイだから、夏生ゆうなの足がちょいと大根に見えてしまう……それほど太くもないんだろうけどね。

二人の間で揺れ動く石橋保はちょっとソンな役回りだったですが……彼はでも35歳とは(劇中の設定は32)、もっと若く見えるなあ。そういやあ、「修羅がゆく9 北海道進攻作戦」でも無鉄砲な若さんという役回りで、どう考えても30代の役柄じゃなかったし。

実際に蛇が出てくるのだが、その効果もほとんどなかった気がする。この物語は、その実際の噂を元に組み立てられたのかなあ?楳図氏の漫画を映画化した方が良かった気がするけど……。★★★☆☆


ペパーミント・キャンディー
1999年 129分 韓国=日本 カラー
監督:イ・チャンドン 脚本:イ・チャンドン
撮影:キム・ヒョング 音楽:イ・ジェジン
出演:ソル・ギョング/ムン・ソリ/キム・ヨジン

2000/10/26/木 劇場(キネカ大森)
実を言うと、映画の中盤くらいまでは、★★☆☆☆ぐらいにしようかなあと考えていた。冒頭で迫り来る列車に自ら身をさらして散り行く男の過去をさかのぼるという展開。時間をさかのぼるという手法もなんだか見飽きた気もしたし、一つ一つさかのぼっていくエピソードはどれも陰鬱で辛いし、警官だった過去のあるこの男のヒドい仕事ぶりもイヤだったし……つまるところ、なかなかこの主人公、キム・ヨンホに共感できなかったからだ。それにあまりにも細かくさかのぼっていくので、あーもういいよと、劇場出ちゃおうかなと思ったくらいだった。……それが、なんだって、こんなにも私の中でどんどん存在が大きくなっていっちゃったんだろう。それも、観終わった後からである。観終わって、あの場面での彼、この場面での彼……と、なんだかいつでもいいことのなかった彼をふと思い出す度に、その度になんだか泣きそうになってしまって、気持ちが彼に寄り添って膨れ上がってしまうのをどうしようも出来なかった……。

韓国の現代史をも盛り込んだ本作は、そういう部分日本人で、しかも不勉強な私には自国の人より切実に感じられない部分も多々あるとは思うのだけど。ただ、このキム・ヨンホがどこで道を踏み外してしまったというよりは、一つ一つがどうしようもなく絡みあっている歯車であり、彼が「昔に戻りたい!」と叫んで命を散らしても、やはり変えようのない人生だったのだ。それは、ラストもラスト、20歳までさかのぼった(!)彼が、初恋の人、スニムと他の仲間たちと冒頭で出てきた河原へピクニックへと向かい「初めてなのに、懐かしい気がする」という場面でより一層確信に至る。彼は陽気に歌う仲間達のもとをはずれて、20年後、自分の命が散ってしまう鉄橋の下に横たわり、目の縁を真っ赤に染めて涙を流すのだ。この時の彼は、別になんの悲しい出来事があったわけでもない(筈)。ただ、この場所に運命的な何かを……20年後の自分を感じてしまったからなのだ。このキム・ヨンホの泣き顔でカットアウトされるのには、正直……やられた、と思った。多少、ネラいすぎと思えそうなところが、でもやっぱり、こうしてずっとずっと辛い過去をさかのぼってきたから、ああやっぱりという気持ちと、彼がこれから味わう人生を思ってたまらない気持ちになってしまったのだ。

“初恋の話”などと括られる向きもあるようだけれど、そうではない、と思う。確かに彼は死を選ぶ数日前、かつて愛した人、スニムの瀕死の姿に遭遇する。それが彼の心のたがを外したんだろうとは思うけれど、心がどこかでスレ違ってしまって別れてしまった妻だってちゃんと愛していただろうし、その娘だって……。この妻、陽気でどこか子供っぽいところのあるような無邪気な女の子だった。訪ねて来てくれたスニムに、変わってしまった自分を自虐的に見せることしか出来なかった彼を、救ってくれたのが彼女の明るさだったんだと思う。数年後、妻だけではなく彼自身も浮気をしてはいたけれど、この妻が彼をしっかりとつかまえていてくれたら、あるいは……。でも、判らない。この時の彼がちゃんと妻を愛してやらなかったのが原因だったのかも。私は結局は過去の美しい思い出でしかなかったスニムを、彼の人生だったなどと思いたくないのだ。それではあまりにも、空しすぎる。……その思い出が美しければ、美しいほど。

……でも、でもやっぱりそうなのかな。彼が警察官時代、ある犯人を張り込みに行った町が、スニムの故郷で、その晩、「私をその初恋の人と思って」という娼婦?と共に過ごした彼を見てたら……。彼は、彼女に背を向けて、もう事後なのか、それとも手を触れようとしていないのか判らないけれど、とにかく、彼女に何度も「スニム、スニム!」と呼びかけるだけで、言葉にならず、涙を落としてしまうのだ。泣かないで、泣かないでよ、というその少女。……ああ、もしかしたら、あの妻が浮気なんぞをしてしまったのは、夫の浮気に気付いてたとか、夫とのコミュニケーション不足だったとかではなく、もしかしたら……そう、あの時スニムが訪ねてきた時からずっと、彼の中にスニムが住み続けているのに気付いてしまっていたからなのではないだろうか。初恋の人には、勝てない。それも、好きあったまま別れざるを得なかった人には。

キム・ヨンホが変わり果てた姿のスニムを目にして心のバランスを崩してしまうのも、彼の中の初恋の人がいつまでも美しかったからではないのか。彼にとっても、スニムにとっても、そしてスニムにとらわれ続けた彼と別れてしまった妻にとっても、なんという残酷さなのか。女は、ソンだ。年を取ると醜くなってしまう。男は年齢を重ねるほど味わいが出るのに、なぜか女はそうはいかない。しかも、男が愛しているのは、必ずその若い外見を含んだ女だ。その女と共に年を取っていくならば、別の、もっと大事な価値観の方が大切になっていくのだろう。でも、若い時に別れてしまった相手には、外見の幻影ばかりが増大していくのだ。その外見に心の優しさや心惹かれた無邪気なワガママさやなにか、そうしたすべてを投影してしまうのだ。キム・ヨンホが死する時に願った、昔への旅の終着点は、みずみずしい輝きを持つ美しいスニムとの出逢いだったというのは象徴的ではないか。

彼が兵役についていた時、訪ねて来てくれたスニムと会うことが出来ず、その彼女の幻を見た、と思った、迷い込んだ少女を誤って殺してしまう。その凄まじいトラウマは、そうしたスニムへの思いを痛々しいまでにエスカレートさせる。スニムにしても、最期に彼に会いたいだなんて、それも夫に頼むだなんて、……残酷な女だ。でもそれが出来たのは、彼女が自分の夫と、それこそ共に過ごしてきた時間が育てた、“別の価値観”によって結ばれているからだろう。キム・ヨンホにはそれを築くことが出来なかったのだ。……そうした意味でも、この最後の邂逅は、彼にとって残酷だった。

ほんとに観てる時は辛くて出たくてしょうがなかったのに、どうしてこんなにいろいろと感じ、考え、息苦しいくらいの哀しさが一種のノスタルジィのような心地よさになってしまうのだろう。……映画って、不思議だ。うん、でもやっぱり、人生は美しい、よね?キム・ヨンホ、あなたの人生も美しかったって、思うよ。★★★★☆


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