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「そ」


2001年鑑賞作品

空の穴
2001年 127分 日本 カラー
監督:熊切和嘉 脚本:熊切和嘉 穐月彦
撮影:橋本清明 音楽:赤犬 松本章
出演:寺島進 菊地百合子 澤田俊輔 権藤俊輔 外波山文明


2001/10/16/火 劇場(ユーロスペース)
「鬼畜大宴会」があまりにも衝撃的だったから、あの作品のカラーが監督自身のカラーなんじゃないか、みたいなびくびくした雰囲気が観客側に、プロの批評家さんたちの間にもあった気がする。しかし実際の熊切監督は、写真やインタビューで見る限りでもとても温厚な青年で、拍子抜けするくらいで、彼が映画というもので何が出来るのか、ということをしっかり考えて作っているから、「鬼畜……」みたいな作品も出来るし、本作のような作品も出来るんだろうな、と思ってとても頼もしい。ことに、「鬼畜……」が準グランプリを取った時のPFFでのグランプリ作品が、そういう部分で対照的でツマラナかったから。

本作は全編突っ走っていたような「鬼畜……」が頭にあるせいか、テンポを落とした分、やや説明的に感じられる部分が気になった感じもする。ドライブインの名前の由来とか、市夫の両親のこととか。こんなに大地は広いのに、噂があっという間に広がってしまうという部分はやっぱり田舎なこの土地で、そんなことは全く気にしない(ように見える)父親とは対照的に一人孤独をかみしめる市夫。その二人の姿と残された母親のヌードフィルムで、二人のこの土地での立場は察せられるのだから、言葉での説明を聞いてしまうと何となくカクンとなってしまう。まあ、それだけ市夫を演じた寺島進とその父親の外波山文明のたたずまいがとても良かったということなのだろうけど。

こんな、冴えないドライブインに立ち寄ったという時点で、冴えない関係に堕ちきって、冴えない旅行をずるずる続けていたのが判ってしまう、見るからにお互い未成熟な若いカップル。そして女の子は一人、置き去りにされてしまう(この設定、妙に「ホームシック」に似ている……)。無一文の彼女は、寝袋で夜を過ごしたり、無銭飲食をしたりして、市夫の目の前をチラチラと通り過ぎる。やがて、寝床にしていたサイロ?で火事を起こしてしまい、このドライブイン「空の穴」にいつくようになる。程なくして、市夫と関係を結ぶ。この時恋に落ちてしまったのは、ひょっとして市夫の方だけだったのか?

男の方がオジサンで、女の方が少女、あるいは少女的なほどに若い女、というのを、最近、やたらに見るような気がする。いや、最近じゃないかもしれない。昔からかもしれない。オジサンと恋したいのは少女よりもむしろオバサンの方なんだけどなあと、もう躊躇無く自分をそう呼べるようになってしまった哀しきオバサン女の私は思うのである。もちろん、この市夫の孤独と、情けなさと、切なさ、可愛らしさは、妙子ほどに若くて可愛い女の子だからこそ浮かび上がるというのはよーく判ってる。しかし、と思うのである。そろそろオジサンの相手はオバサンの映画が見たい……と。

妙子も市夫に負けず劣らず寂しさや切なさを抱えているのだけど、彼女は彼のもとを去るだけの、漠とはしているけれど、確実に未来を持っている。というより、彼女の存在は、市夫がそうでないということを彼に気づかせるだけの残酷な触媒であったに過ぎないのかもしれない。市夫にも確かに未来をその手に抱えていた時があった筈なのに、彼はそれを知らずに通過してしまった、という感じもする。彼の父親が、子供っぽいほどに無邪気なんだけど、その父親の方がそうした過去の辛さを、自分の内側に大切に思っている反面、その父親を子供っぽいと思っている市夫の方こそが、今までそうした辛さを乗り越えて来ていなかった子供だということ。「いっちゃんが飼い犬に噛まれたの、判るような気がするわ」という、妙子の台詞と、だだっ子のように妙子を引きとめる市夫の姿に、そんな感覚を強く持つ。

スクリーンの端から端まで大地の地平線が広がってて、空も高いビルにジャマされることなんか一切無いのに、この場所は、妙子が出て行く外の世界とは完全に隔絶されている。もちろん外に出て行くなんて簡単なことの筈なのに、この地平線とこの大空こそが、この場所をひどく閉鎖的にしてしまっている、この矛盾。確かに地方の、こうした風景の中に身を置いていると、そういう隔絶感、閉鎖感というのを感じる。多分、今の年だったら、もっと強烈に感じると思う。それまで外の世界(いわゆる都会)に出たことがなくて、学生時代をずっと地方で過ごしていると、そうした感覚はずっと、漠然と抱え続けることになる。だから高校を卒業したら東京に出るとか考えるのは、無意識のうちにも、この閉鎖感から逃れたい、息がしたいと思うせいなんじゃないのかな……というのは、地方から出て10年も経って、こういう映画を観ると思うのだ。

そしてこの土地にい続けた(途中出たのかもしれないけど)市夫が、そうした隔絶、閉鎖の感覚に押しつぶされそうになった時、外の世界から来た妙子に執着するのは、そこに息が出来るわずかな隙間を感じたんじゃないかって、そんな気がした。彼が、妙子のことを意のままに出来ないことにイライラし、彼女の仕草を真似たりするのはいかにも子供っぽく、哀しい気持ちすら起こさせる。

思えば、冒頭、キャベツの中の青虫に叫び声をあげる場面から既にそうだった。その市夫が妙子を再び見かけた時、彼女はあの時の青虫をほうふつとさせるかのように、緑の草のじゅうたんに黄緑の寝袋で這い出てきた。それも何だか凄く象徴的で、今は冴えないけどこれから美しい蝶になる妙子と、青虫に触れない=その蝶を飼いならせない市夫という図式が。ラスト、妙子が出て行った後、その同じふかふかした草のじゅうたんに父親とともに仰向けに寝て、空を仰いだ時、その大地も大空も、やっと解放的な、本当に本来の存在感を取り戻すことが出来た。

なまら、なんて久しぶりに聞くなあ、とちょっとした懐かしさに身を浸らせていた。北海道といえば、広大で緑や空の青が目にまぶしくて、みたいなイメージが流布しているけど、それはあくまで観光としての北海道。本作は、そこに人々が確かに生きている、とちゃんと感じさせる画面だった。妙に隅々まで明るく色彩鮮やかにキレイな映像の映画ばかりが目立つ最近の映画の中で、久しぶりにフィルムの暗みが五感にしっくりくる。家々が離れているから、夜も本当に闇で、その中にぽつんと火事の炎が見えたりするのも、凄く印象的だった。ドライブインの中の、人が居住するのになじむ暗さと、ラストののぼりを持って屋根に立つ市夫の姿に象徴的な、空の明るさ。ああ、人が生きて、生活しているなあ、と感じさせた。★★★☆☆


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