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「そ」


2003年鑑賞作品

卒業
2002年 分 日本 カラー
監督:長澤雅彦 脚本:長澤雅彦 三澤慶子 長谷川康夫
撮影:藤澤順一 音楽:REMEDIOS
出演:内山理名 堤真一 夏川結衣


2003/3/17/月 劇場(日比谷シャンテ・シネ)
予告編では繊細な表情を見せているように思えた初主演の内山理名ちゃんなのだけれど、実際に観てみると、正直実力不足の感が否めない。ほぼ全編出ずっぱりをまかされるだけの重さがないのだ。繊細な表情も一瞬で通り過ぎ、“演技してるな”っていう遠い目をされたりするとハラハラしてしまう。でも顔立ちは個性的でキュートだし、特に唇なんかちょっと色っぽかったりするし、本人が結構クールでしっかりしているみたいだから、流されずに成長していってほしいとは思うのだけれど……。しかし彼女もまた、芸能人メイクでバッチリしすぎで、それがもったいない。こういうのは、テレビドラマで活躍している人が映画で出てくる時に折々感じることで。ひょっとして、専用のヘアメイクとかそのままつけてくるのかもしれないんだけれども、そういう部分で映画作品に委ねている感じがしなくて、壁があるというか。しかし雨のシーンが多いせいか、時々そのメイクがバッチリじゃなくなる時とかがあってどうもバランスが悪いんだけど、時々ふとそんなスッピン状態に見える時の方が数倍可愛いし、表情も汲み取れる気がするのだ。メイクで隠されているような気がするのは……やはりもったいないと思うんだな。メイク用の表情にしかならないし、そういうのに慣れちゃっている気がするのだ。

この長澤監督、「13階段」「ソウル」を観逃しているので男優に対してどうかは知らないけど、デビュー作である「ココニイルコト」のヒロイン、真中瞳の演じ方と内山嬢は何かさして変わらないというか。実は「ココニイルコト」の真中嬢はそれほどでもなくて、彼女があの映画であんなに評価されるのが不思議なぐらいだったんだけど。女性が主人公の映画が二本目で、似たような年頃で似たような演出で、またしても、って感じだと、ちょっとな、と思う。

しかしこのキャラクターにも少々問題があるかも……切ないラブストーリーに見せてはいるけれど、実はこれは、演じる彼女自身も戸惑ったというほどの、まんまストーカーなキャラ。勿論彼女が彼の娘であるから成立するし、そして父親である彼は何も言わないけれど、気づいているんじゃないかと思わせる節もあるからいいとはいうものの、ホント、まんまストーカーなんだもんなあ。彼の行きつけの場所を追いかけるようにバイトをし、向かいのアパートに住んで帰ってくるのを双眼鏡で監視し、「私を想って」の花言葉のスミレの鉢でベランダを埋め尽くす。……落ち着いて考えてみれば、かなり怖いんである。

彼女はやはり何かを伝えたかったんだろうか。それはあなたの娘であるということなのか、そっと見ているうちに好きになっちゃったことなのか、それとも……どうやら設定では、彼女の母親、つまりこの真山のかつての恋人であった女性は死んでしまったらしいんである。そんなこと、観てても全然判らないけれど。でもそう考えるとますますこの彼女のキャラがふっと怖くなる。彼女は母親の恋を追体験している。母親から、きっとずっと、この恋人(彼女にとっての父親)への想いを聞かされて、もしかしたら会う前から父親に対する思慕の気持ちよりも恋の気持ちの方に近かったのかもしれないと思え、しかもこの母親が死んだことによって、それがきっかけで父親に会いたいと、こんな風に彼に近寄ってきたのならば、彼女の中に母親が宿っているような、あるいは母親そのもののような、日本的な怨念系の恋心の怖さを感じるのだ。ま、その死んでもなお、という怨念系の恋心というのは、映画では結構切ないものとして取り上げられていたりするから問題ないのかも?

そう思うのには、この彼女、偽名ではあったけれどとりあえず麻美ちゃんが、友達とかそういうものがちっともいそうではないところに、現実感のなさを感じるせいかもしれない。いわゆる女子大生である彼女にそういう空気がないのはやはりちょっと異常事態で、もしかしたら彼女は彼にしか見えていない幽霊状態なのではないかという突飛なことまで考えてしまう。彼女はいつも教室の一番後ろの端っこにひとりで座っている。そこは外からの光が白くまばゆく当たっていて、彼女の姿はぼんやりと消え入りそう。誰も彼女を気にしている人はいないらしい。彼女の姿が消えた最後の授業、彼女がいつも座っている席を見つめる真山に、その前に座っている女子学生が誰もいない後ろを振り返るシーンは、もとからそこには誰もいなかったんではないかという感覚を起こさせるのだ。

彼女はこの授業のレポートを出さなかったし、卒業式にもその姿を現さなかった。もしかしたらこの学校の生徒などではなく、彼に近付くためだけに学校に入り込み、モグリで授業を受けていたんではないかとも思うんだけれど……この年頃だったら、別に誰にも怪しまれそうもないし。でもそれよりもやはり、何だか彼女に幽霊めいたものを感じるのは、母親の恋心をそのまま受け継いでいるせいなんだろうな。水族館でのデートで待たされ続けた挙句、説明書きをすっかり暗記してしまったというあのエピソード、公園でひとりぼんやりと座っている彼女がそれをそらんじている場面は、それを母親から聞かされて覚えたというより、やはり母親自身だという気がしてしまうのはうがちすぎなんだろうか?

別れてから20年、彼がかつての恋人だった自分のこと、そして自分と彼との間の娘のことをずっと気にかけていた、ということを、離れていながらも気づいていたなら、死んでしまった彼女がそんな彼のことを心配して幽霊となってそういう行動に出た、と考えれば、ストーカーっぽいという気味悪さはかなり減ぜられるし。だって、短大に通い続けていた2年間、ずっと彼を“監視”してて、最後の2ヶ月になって、こんなに近くにいたんだよ、と次々と披露するのって……やっぱり、ちょっと、怖いじゃない?つまりはあのストーカーキャラを自分の中で何とか納得できるものに変えたいのかもしれないけど……。だって結局、彼女自身の名前が明かされることは、ないじゃない?彼女の母親の名前、吉田弥生だけが、そして彼が20年間毎月欠かさず積み立て続けた預金通帳の名義もそうで、それを見つけた麻美ちゃんがその通帳を彼に返さずにずっと持ち続けていたのは、やはり自分自身(母親の方の)に対するダイレクトな気持ちを感じたんじゃないかと思ってしまうんだもの。ひとりの女性としての、娘である彼女が彼に対して恋心を持ったのなら、むしろこれは嫉妬してしまう気持ちになってしまうんじゃないかと、思ってしまうんだもの。

それにラストシーン、真山が彼女にやっと傘を返すことが出来る場面で、彼女、彼に対して、「私と先生は永遠なんだよ」と言うでしょう?あの、永遠、という言葉がそうしたすべてのことを表しているように思えたから。あれは娘としての彼女が言うより、死んでしまった恋人である母親が言っていると考えた方が、ピタリとくるものがある気がするから。もちろん、娘が言ったっていい台詞なんだけど、でもあの言葉にはもう二度と会わない(会えない)けど、永遠、という含みが持たされている気がどうしてもして、それはやはり離れていった、死んでしまった恋人の台詞だって思えてしまうのだ。

しっかし、この「永遠なんだよ」の台詞には正直、うっわ、ヤメてくれえ、と思ったけど。その上、声をオフにして「え・い・え・ん・な・ん・だ・よ」とダメ押し。ぞわっと別の意味での鳥肌(サブイボ?)状態になっちゃうのは……ダメ?何も告げないストイックさはいいと思うけど、でもこれ、現実としての話で見ると、ただの自己陶酔女で寒いんだもん……ああ、私ってば、素直じゃないわ。映画なんだからと思うんだけど、思うんだけど、やっぱりダメッ!それに、雨と赤い傘の効果はやっぱりちょっと判りやすすぎ、ネラいすぎ、でこれもやや寒。確かに印象的ではあるんだけど。赤は「運命」の暗示であまりに象徴的過ぎる。ヤボとさえ思える。この傘が彼女の手元に帰る時が二人の別れで、永遠に会うことはなく……その、永遠。判っちゃいるけど、クサいんだな。しかも、雨から雪に変わるでしょ。そして彼女が帰っていくシーンでラスト……うわあ、定番……入り込めないよー。

そんな彼女の気持ちを受け止める方である堤真一。彼は確かに上手いと思うし、このキャラも判るんだけど、でも彼の気持ちが判りそうで判らなくて、どうにも歯がゆい。この(ほぼ)ストーカーの彼女に対してどう思っているのか、どこかの時点からかは、この子が自分の娘であるとは気づいたんじゃないかと思うのだけれど。……何か解説では、恋心には気づいた、という風になっているけれど、それよりも娘だということに気づいたかどうかの方が重要だと思うんだけどなあ。そして娘だと気づいて、しかもその娘が自分にそういう恋のような感情を持ったことにも気づいてしまったら……確かにあんなふうな、何とも言えない表情のまま、彼女に引きずられ続けるのかもしれない。

この“決心するのに時間がかかる”真山は、恋人、泉に対してもなかなかはっきりとした結論が出せなくてどつきたくなるほどだが、でもまあ、大学の先生、ということで何とか向こうの両親に納得してもらえるはずが失業決定になってしまったんだから、彼の逡巡は、判る。それにそんな彼を受け止める泉、演じる夏川結衣がイイのだ。この人は雰囲気がそのまま演技になっている人。空気で演じられる人。理名ちゃん、学んでほしいですなあ。

特別ゲスト、という感じで谷啓が出ているんだけれど、まさしく特別ゲスト、あまりのチョイ出にアゼン。携帯を探し回る真山に、夜の散歩をしているこの谷啓が出くわすんだけれど、そんな偶然の割には、この時の彼にあまりにご都合主義なまでにピッタリな助言をする。それは、「忘れることも時には必要です。何もかもを覚えていたら、人生なんかツラくてやってられません」というもの。確かにこの台詞は長く波乱に満ちた人生を送ってきた人でなければつとまらないものだけれど、いかにもこの言葉を説得力あるものにするためだけに彼を駆り出した、というとってつけ方に拒否反応を起こしてしまうのだ。おいおい、と。

この音楽。REMEDIOS。いまだに正体の明かされないミュージシャンは相変わらず リリカルな旋律を届けてくれる。見えている画とこの音楽はまさにその点幸福な融合を成立させている、だけに、どうもすんなり共感できない作品に仕上がっているのが残念。このどことなくユルさを感じる監督が、私にはあまり得意じゃないかもしれない。

学食のコーヒーはコーヒーじゃないよ、というのは判るけど、それでスターバックス、かあ……コーヒーを喫茶店で、というのは今や時代遅れなのかな。……まあ、どうでもいいことなのだけれど。なあんとなく、ラブストーリーそのもののお手軽さを反映しているみたいな気がしてしまう。★★☆☆☆


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