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「け」


2004年鑑賞作品

ゲート・トゥ・ヘヴンGATE TO HEAVEN
2003年 90分 ドイツ カラー
監督:ファイト・ヘルマー 脚本:ファイト・ヘルマー/ゴルダン・ミヒッチ
撮影:ヨアヒム・ユンク 音楽:サーリム&スライマン/エスターベルグ&ゼーダーベルク/シラー
出演:マースミー・マーヒジャー/ヴァレラ・ニコラエフ/ミキ・マノイロヴィッチ/ウド・キアー/ソティギ・クヤテ


2004/8/10/火 劇場(渋谷シアター・イメージフォーラム)
「ツバル」のファイト・ヘルマー監督の新作ということで、足を運んだ……しかし、観客、少なかったなあ。この回は私のほかになんと一人しかいなかったよ……夏休みで映画の公開数が増える時期は、話題作に一本かぶりする現象がほかの季節より顕著になるけど、それにしてもヒドい。内容が相応ならまだしも、これ、いい作品なのに!

ドイツ、フランクフルト空港を舞台に、実に様々な国籍の人間たちが登場する、国際色豊かな作品なんである。密入国、不法滞在、亡命……そんなシリアスな社会問題を織り交ぜながらも、暗い色合いはない。空港の裏方で働く登場人物たちは皆決して恵まれていない……それどころかかなり悲惨な底辺生活を強いられているのに、夢に向かってひどく、ポジティヴなのだ。
それはこの、空港という夢の場所がそうさせるのかな。どこにでも行ける場所。ピカピカの床やガラスの天井、明滅して飛び立つジャンボジェット。
でも、彼らが自由に行き来できるわけじゃないし、むしろ自由に行き来できるある程度の豊かさを持った人たちとのギャップを感じることの方が多いはずなのに、へこたれないんだな。
空港には、そんなフシギな力があるのかもしれない。

冒頭、いっきなりドギモを抜かれるのだ。ええ!?飛行機が落雷で海上に着水!?いやいや、それはこの飛行機の訓練なんである。その訓練に乗客役として参加しているのは、普段はこんな大きなジャンボジェット機に乗れるべくもない掃除婦たち。そう、普段はこの飛行機の中をせっせと掃除している立場の人間たち。
この時とばかりにシャンパンを注文してみたり、ちょっとリッチな気分を味わったりする。……あっという間に救命胴衣着せられて避難させられちゃうんだけど。
その中の、大きな目が印象的な美女、インドから来たニーシャはスチュワーデスになる夢を持っている。同僚たちはそんな手の届かない夢……と言うけれども、彼女がスチュワーデスになりたいのは単に夢や憧れだけじゃない。掃除婦の収入では祖国に残してきた息子を呼び寄せられないからだ。
そしてもう一人、パイロットになりたくて、ロシアからドイツへ密入国、捕まった収容所から脱獄してきたロシア人青年のアレクセイ。仲介人の手引きによって、空港地下の狭くて汚い場所に他の密入国者たちと一緒に寝泊りしている。一年間、収入の35パーセントをこの仲介人に払って働けば、偽造IDをもらえるという仕組みだ。本当は一年間もガマンせずに、逃げ出すつもりだったのだけれど。
でも、ニーシャと出会ってしまったアレクセイは、働き続けることを決意する。そしてトンでもない騒動に巻き込まれちゃうのだ。

二人が出会ったのは夜のジャンボジェットの中。一日の就航を終わっていわば眠りについているジャンボジェットは未来のスチュワーデス、パイロットを夢見る二人のこれ以上ない出会いの場だ。それにしてもいくらお休み状態の飛行機とはいっても、こんなにカンタンに出入りできるのはマズいんじゃないかしらん(笑)。
掃除の合間にチョロまかしたスチュワーデスの制服着て(コレも激しくマズいよ!)、通路の中をしゃなり、しゃなりと行き来するニーシャ。訓練だと言いながら、楽しそうなスチュワーデスごっこだ。
アレクセイの方もまた、コックピットの中の無数の計器類に狂喜する。いつもは旗を持って誘導しながら見上げていた夢のコックピット。
そして二人は出会う。この時はほんの一瞬の邂逅。最初、アレクセイは本当にニーシャがスチュワーデスだと思い込んでいて、探し回るんだけど、次に二人が再会したのは、労働者たちを運ぶ(実際は荷物用の)ベルトコンベアーの上だった。

たちまち恋に落ちる二人。デートの場所はおきまり、夜のジャンボジェットの中だ。ニーシャは祖国から持ってきたビデオでインドミュージカル風にセクシーに歌い踊る。アレクセイもまたCDをかけてロシアンダンス風?にコミカルに踊る。翼の上に腰掛けたり、噴射口の中に隠れたり。なんて贅沢なデートスポット!
ニーシャはアレクセイに言う。自分は既婚者で、暴力をふるう夫から逃げて、息子を祖国に残してきているのだと。息子をここに呼び寄せたい。そのためにスチュワーデスを目指していること。
でも、ニーシャには時間がなかった。夫が親権を獲得するという通知が届いた。なんとそれまで三日しかない。

アレクセイは仲介人のダックに頼んで、この幼い息子を密入国させる計画を思いつく。ニーシャの持っている金だけでは足りず、彼の給料を前借する形で。……不足分を払っていることは彼女にはナイショにして。
でも、このダックは確かに密入国者にとってある意味での恩人だけれど、結局はビジネスライク、危なくなればさっさと手を引き、抗議するニーシャにこれ以上やるんだったらもう少し払えよ、とこうくる。途中、手違いがあってニーシャの息子と別の子供が取り違えられてしまったのだ。アレクセイとダックが仲間だと思っているニーシャは取り乱して泣きじゃくり、アレクセイとの仲はこじれてしまうの。もう、ダック!

確かにアレクセイの計画はムチャだったのかもしれない。密入国となれば自分と同じように不法滞在だ。身分の証明がなければ人間一人生きていくのは本当に難しい。こんな風にこそこそ隠れながら、ミジメな境遇に甘んじていなければならないのだ。
ニーシャは空港のお偉いさんであるノヴァクの助力で、スチュワーデスになるための講義を受けていた。ノヴァクはいわゆる何人斬り、とウワサされる女たらしだというんだけれど、今のところニーシャに対してそういう態度には出ていない。むしろ意味もなく親切なもんだから……絶対何かがあると思っていたんだけれど。

まあ、確かに何かはあったんだな。ただニーシャが想像していたようなことではなかった。息子を助けたい一心でノヴァクの元に出向き、泣きながら服を脱ぐニーシャにノヴァクは驚いて、服を着なさい、と言うんで、こっちが驚く。だって彼女を呼んだのは彼だし、迎えた彼ったらハデなシャツに陽気な音楽なんかかけちゃって、こりゃあいよいよだとばかり思ってたんだもの。
何で女たらしなんてウワサを立てられたのか、まあそれまではホントだったのかもしれないけど、えらく純なのね、実はこの人。本当にニーシャのことを気に入ってて、というか愛しちゃってて、だから困っている彼女のため、本当に助けになりたいと思っていたんだって言うんだもの。このあたりは優しいファンタジー味。

……そう、だから、本当はこのノヴァクに最初から頼れば良かったのかもしれないし、もっと言っちゃえば、このノヴァクを好きになってれば何の問題もなかったんだと思うんだけど……そこはそれ、恋は恋だから……仕方ないよねえ。ニーシャとアレクセイは恋に、落ちちゃったんだもの。別にノヴァクは何にも悪いことしてないのに、それどころか彼女の力になってやろうと思ってたのに、ニーシャの仲間たちに、こんなヤツ!みたいに言われてちょっとカワイソウ。
その頃アレクセイは一人奮闘しているのだ。掃除人になりすまして、彼女の息子が入れられている収容所に忍び込み、奪還!でもかぎつけられて警備官に追われて……ああ、だからムチャなんだってば、そんなこと!

彼は確かにノヴァクのような権力もないし、だからこんな力づくのムチャなことしか出来ない。結局はムリだよ、ってさすがに思った、だけど……。
アレクセイには、いい仲間が揃っているんだよね。同じ苦しい思いを共有してきた仲間たち。テレビで同じ密入国者の友達が死んでしまったのを見て、一緒に涙を流した、なんていう、辛い経験を共有してきた絆は固いんだ。そして勿論ニーシャの仲間たちだって。彼らはアレクセイがニーシャに対する思いが純粋でホンモノだって判ってるから、ムチャだってことも勿論判ってはいるんだけど、協力してくれるんだ。このムチャな計画に。
追いつめられたアレクセイが最終的に脱出に成功したのは、この仲間の一人、祖国への帰還を夢見ていたモンゴリアンの男お手製の(!)プロペラ機!

屋上から見事空を飛ぶ痛快さに、思わず心の中で拍手喝采!で、でも、大丈夫なの!?だってピストンエンジン(とかいうやつ)がないとか言ってたじゃない(アレクセイはさすがパイロットになりたいだけあって、そういうことにも詳しいヤツなのだ)。
案の定、空港を出たとたんにあっという間にきりもみ状態に!うっそお、と思ってたんだけど木々の茂みにひっかかりながら落ちたのが良かったみたいで、見事無事!洗濯カゴに入れられた彼女の息子も無事!
この男の子はね、強い子だよ。一人になっちゃってからもニコニコして泣かなかったもの。彼が強運を連れてきたのかもしれない。

あ、もう一人、すっごい強運の持ち主がいるの。アレクセイの収容所時代の仲間だった、トーゴ。アラーを信奉する彼は、不思議な運でこの境遇から脱し、しまいにはアレクセイたちを救出することまでしちゃう。うん、たしかにアラーのおかげだったのかもしれない。トーゴが脱出できたのは、護送される途中に一緒に搬送されていたヤギが逃げ出しちゃったから。そのヤギと何とはなく戯れているうちに、逃げる気もないのに(ってとこが凄い)、彼一人になっちゃって。で、フラフラしてたら彼の木彫りの人形が日本人観光客たちの目に止まり(この日本人たちはかなり有り得なかったけど)チョーカワイイーとか言ってみんな買ってくの。んであっというまにお金持ちよ。その金でバリッとしたスーツを買って(身分証明のために、居眠りしてた民族衣装着たオジサンのポケットからちょっとだけ搭乗券を拝借して)で、ダックの元から偽造IDをニコニコ持ってっちゃって(……邪気がないんだよなあ)んで、あの車はどっから手に入れたのか判んないけど、その車でニッコリアレクセイたち新家族三人を出迎えるのだ。彼こそが神様みたいな人!

彼の存在で、ここまでは(基本的には)シリアスな話が、あっという間にハートウォーミングなファンタジーになっちゃうのね。それは現実味がないっていうんじゃなくって……ここまでふんばったんだもの、神様の助けがあったっていいじゃない、って思わせるような幸せなファンタジー。確かに身分証明がなければこの世界は暮らしていけない。自分が自分のことを一番よく判っているのに、ここはそんな窮屈な世界。でも自由を手に入れた彼らはそんなこと関係なく、幸せになれるだろう。そう、自分が自分のことを一番よく判ってるんだから、どうとでもなる!そりゃスチュワーデスにもパイロットにもなれなかったけど、自由がどんなに大事なものか、彼らには一番よく判っているし、それに何たってトーゴが持ってきちゃった偽造IDがあるんだからさ!(笑)。

確かに(ほぼ)ノースター映画だけど、こういうオリジナリティあふれたハッピーな映画が当たってくれればいいのになあ!ノースターだけど、ニーシャ役のマースミー・マーヒジャーなんてホント、すごい美人なの。インドは美しい人が多いけど……本当に冗談みたいに目がでっかくて、吸い込まれそう。あのインド映画風ミュージカルな場面、可愛かったなあ。★★★★☆


解夏
2003年 114分 日本 カラー
監督:磯村一路 脚本:磯村一路
撮影:柴主高秀 音楽:渡辺俊幸
出演: 大沢たかお 石田ゆり子 富司純子 田辺誠一 渡辺えり子 柄本明 林隆三 松村達雄 古田新太

2004/1/20/火 劇場(日比谷みゆき座)
原作者、さだまさし氏は本当に地元、長崎が好きなのね、と思った。音の印象的な街だったんだ。訪れたことはない。ただ、鎖国の時唯一開かれていた土地ということで、洋の雰囲気が、つまり視覚的な印象が強いイメージがあった。でもお寺の鐘が鳴り、教会の鐘が鳴り、港の船の汽笛がなる、街なのだ。この街だからこそ、さださんの音楽性が育まれたのだろうと思う。そして、この物語が成立するのだろうと思う。音の街、だから。クラシックの素養があるさださんのメロディは、普遍的に美しく、耳にしただけで、泣いてしまう。今回のテーマソングも、やられた。

体が疲れてくると、心も疲れてくるから、やはり弱っていたのかもしれない。やたら、手放しで泣いてしまったのは。磯村監督はあまり得意ではないんだけど、今回はさださんのシンプルで美しい物語がまずその世界を貫いていたし。本当は難病モノで泣くのはあまり納得出来ることじゃない。だって、同情しているみたいでイヤだし、その病気のことを、当事者でなければその苦しみなんて真に判るわけじゃないし、などと思って。
でも、泣いてしまったのは、そういうことではなかったと思う。ベーチェット病を患った主人公の隆之が、いよいよ目が見えなくなってしまったあの場面、白い霧の中に彼女の笑顔が浮かび上がるあの場面。泣きながら彼のそばに寄り添い、その霧の中に私は見える?と恋人の陽子が言った場面。
幸福感といったらおかしいんだけれど、それが一番ぴったりとくる言い換えだと思う。あの時、同情や、あるいは感動というのとも違う、幸福感に満ちた涙だった。哀しいほど優しいとか、幸せとか、そういう感じだろうか……。

近いうちに自分の視力が失われることを、偶然出会った林住職に告げた隆之。その時彼が言われた言葉。
見えなくなるまでの恐怖が、行なのだと。そして視力が失われた時、その恐怖からあなたは解放されるのだと。
確かに、仏教的というか、悟りの教えというか、そうは言ってもさあ、と思えるような言葉である。ただ、これを言った林住職、演じる松村達雄の悲壮感のない静かな説得力が、この時点でそうかもしれない、と思わせるものがあった。
そして実際その時を迎えた時。演じる大沢たかおも、側にいる石田ゆり子も、そう思わせるだけのものがやはりあったのだ。

隆之が突然襲われる難病、ベーチェット病。まだまだ謎の多い病気で、様々な症状の見られる中に失明の可能性が数えられている。
隆之は小学校の教師をしていた。いい子ばかりの子供たちに慕われ、まさしく天職だった。
しかし、その病気にかかったことで、彼は職を辞し、故郷長崎に帰ることにする。モンゴルに研究に行っている恋人の陽子には何も告げずに。
この物語は、大きく人間の愛の問題がテーマである。それを豊かに描いている。しかし、こういうところに障害者(という言い方も好きではないけれど)が、健常者優位のこの日本で生きていく厳しさが見え隠れする。
言ってしまえば、人間が持っている能力のうちのたった一つだけが、失われただけなのだ。当然、人間性には何の変わりもない。
しかしそれだけで、この日本、いや世界中でも、人は今までと同じように暮らせなくなってしまう。

隆之の目の診察をした幼なじみの清水は、この病気によって視力を失った患者の一人に会わせる。柄本明演じるその患者、黒田はとてもポジティブで、“困ったことといったら、歯ブラシに練り歯磨きを上手く乗せられないことぐらい。それも、口の中に直接練り歯磨きを入れてしまえばいいんですよ”などと実に豪放で嬉しくなっちゃうほど。隆之も思わず笑みをもらすのである。
でも、やっぱりやっぱり、そういうわけにはいかないのだ。
隆之が視力を失ったって、この教え子たちはやはり変わらずに隆之先生が好きだろう。教師としての資質が失われたとは思えない。
目が見えなくなったら、先生ってやっぱり出来ないんだろうか……。
でも、そんな疑問を差し挟む余裕さえ、今の隆之にはない。とにかく、ダメだからと、職場を去ってしまうのだ。
もちろん、視力が失われる前に、大切な故郷を目に焼き付けておきたいという思いがあるからなのだけれど……。でも、彼がかつての教え子たちから受け取る手紙の中に、イジメにあっている子がいるらしいと、先生助けに来て、という一文があり、彼は、もう、もう、もう……これは悔し泣きかもしれない。手紙を読んでくれた陽子が控えめに「助けに行ってあげたいよね」なんて言うもんだから、さらにこっちの涙もダムの決壊である。
視力が失われても、こんな風に、やっぱり隆之は先生なのに。

彼女との関係にしたって、そう。能力のたった一つが失われただけなのに、陽子は自分と一緒にいたら幸せにはなれないから、と隆之は一方的に姿を消そうとする。「私の幸せを勝手に決めないで!」と陽子は怒る。
当然だ、彼女が怒るのは。彼女が怒ってくれて、そしてめげずに彼を追ってくれて、良かった。一度は自分のふがいなさに打ちひしがれた隆之によって手ひどく追い払われたけれど、でも彼女はずっとずっと、これからも彼のそばにいるのだ。だってそれが、彼女の幸せだから。幸せは、相手から“幸せにしてもらう”んじゃないんだから。
そう、この、隆之が陽子を突き放すシーン、どしゃ降りの雨の中、白いシャツの隆之と、白いワンピースの陽子。立ち尽くす二人……辛くて辛くてもう号泣。
でも、そう、彼だって、それが自分の幸せだとやっと気付く。男だから、彼女を幸せにしてやりたいとか、幸せにしてやらなきゃとか思ってたと思う。それも確かに愛情だけれど、でもそんなのは結局は自己満足と支配欲なのだ。本当に自分が望んでいる幸せはそんなものじゃないはずだし、本当の幸せがそんな風に彼女と同じものなのだと気づいた時に、彼は本当に本当に幸せになれたはず。

陽子が、隆之の病気のことを知り、モンゴルから飛んで戻ってきて、そして彼の故郷、長崎の彼の実家で一緒に暮らし始める。母親(富司純子)にもすっかり気に入られる。
母親がいつも寄る和菓子屋さん。息子が帰ってきて、陽子が来て、二人の間にいろいろあったりもし、そのたびに、その店で買う和菓子の数が変化する。
この和菓子屋のおかみも息子が結婚したばかりである。最初はお嫁さんをベタ褒めしていたのに、次の時にはクサしている。そしてこの母親に、気をつけたほうがいいわよ、などと忠告する。
しかしこの母親はまるでムキになって言うのだ。あの娘はそんなんじゃない、と。
ああ、いいな、と思う。なんて理想的な関係だろ。

このお母さん、陽子が本当にかわいいから、こんなことを言う。隆之のそばにいてくれるのは本当にありがたいと感謝しているんだけれど、あなたの将来のことを考えたら、これではいけないと思う、と。
陽子は一瞬黙り、そして言う。そうまで思ってくれること、とてもありがたいと。でも、隆之のそばにいたいんだと。「私、意地っ張りなんですよ」と。
陽子の行動が、彼を助けたいとか、いてあげなきゃとか、そういうことじゃなくて、“そばにいたい”という彼女自身の欲するところなのだということが、素晴らしいと思う。何度も言うけれども、それが彼女の幸せ。幸せはこういう風にある意味自分主導、自分勝手なものでいいのだ。そして彼女は何と言われようと、意地っ張りなほどにそれを押し通す。そばにいたい、そばにいたいのだ。彼女は彼といる時いつも腕をとっている。くんでいるのでもつないでいるのでもなく、腕そのものにすがりつくようにしている。彼女が彼のそばにいたい気持ちがよく出ている。
だから彼女が、隆之からもういいかげんにしてくれと、帰れと言われた時に、ひるんでしまったのもよく判るのだ。これがそれこそ安っぽい同情や義務感からのことだったら、そう言われてもまた、自らを正当化することが出来たろうと思う。でも彼女はこの自分の行動が、自分自身の欲することに従っているという自覚があるから、彼の悲痛な叫びにひるんでしまう。
でも、それがこんな風に、最終的に相手を幸せにする。そういうのって、凄く、救われる。

林住職は彼らを静かに見守るとてもとても優しい存在。きちんと厳しさを内に秘めた優しさは本物だ。
この林住職に出会った時、隆之は自らの病気を告白する。視力はもって三ヶ月だろうということまでも。それは隆之自身でさえきちんと向き合っていなかったことで、そばで聞いていた陽子は驚く。
隆之は、誰かに言いたかったんだ、と言う。自分自身に言い聞かせたかったのだと。陽子は自分に言ってほしかった、と怒る。
でもね、違うよね。林住職に言っている形をとりながら、そして自分自身にも言い聞かせながら、隆之は陽子にこそそれをこの時、告白したんだよね。大好きな人だから、大切な人だから、ずっとずっと言えないでいたことを。
それは、母親にこの病気のこと自体を言えずにいたことも、そう。息子を心配する母親から聞かれた陽子は、言ってしまった、と隆之に言う。隆之は一瞬動揺しつつも、いつ言おうかと思っていた。ホッとした、と本当に安堵した表情を見せる。
一番辛いのは自分のはずなのに、相手が傷つくことを恐れてしまう隆之の、いや人の優しさ。
それは、傷ついた相手を見ることで、また自分自身が傷ついてしまうことを恐れるということでもあるのだけれど、でもやっぱり、そういう人間の持つ感情って、優しいなと思う。
哀しくなるほどの、優しさ。

一番長崎弁が似合っていたのは、富司純子。あれ?長崎弁、初めてだっけ?何か仁侠映画かなにかで喋っていたような……。そしてあっかるくて、地元の気のいいあんちゃんを演じる田辺誠一にもズキュンとくる。うー、意外にこういうの、似合っているんだなあ。相変わらずステキだけど。

目が見えていても、ちっとも見えていない人もいる。
そして、隆之は目が見えなくなったけれども、きっと今まで以上に、あるいは今まで見えていなかったものが、見えてくる人生が始まったのだ。
暗い闇ではなく、明るい、乳白色の霧の中にいる世界。その中に浮かぶ彼女の笑顔。そして彼女は彼のそばにいる。彼も彼女のそばにいる。★★★☆☆


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