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「ゆ」


2004年鑑賞作品

ゆけゆけ二度目の処女
1969年 65分 日本 モノクロ/カラー
監督:若松孝二 脚本:出口出(足立正生 小水一男)
撮影:伊東英男 音楽:迷宮世界
出演:小桜ミミ 秋山未痴汚 オバケ 善兵世志男 青木幽児 風雅超邪丸 マルセル・マキ 加上玲 花村亜流芽 マダム・エドワルド 保根桂和 乱孝寿 江島裕子  松浦康 今泉洋


2004/10/2/土 劇場(銀座シネパトス/若松孝二監督特集/レイト)
時に難解である若松監督作品だけど、これは特にまた戸惑い度が大きい。逆に言ってしまえば戸惑いがない若松監督作品なんてないし、そここそが若松作品の魅力のひとつでもあるんだけれども……。この不思議なタイトルは、そのまま劇中の少女が唱える詩である。長い長い詩。中村義則という詩人の詩らしいんだけれど、不勉強にして私はこの人を知らない。申し訳ないけれども内容がちょっと思い出せないんだけど(かなり、観念的)少女はこの詩を呪文のように、そして繰り返される「ゆけゆけ、二度目の処女」という言葉を自らの主張のように強く差し出す。その時彼女は犯されている。素っ裸にさせられ、抵抗もまるで徒労に終わりながら、時にはあきらめたようにその身を投げ出している。

この、少女。少女というだけで役名はない。少年に名前を聞かれて「あたし、ポッポ」と答えるけれど、無論本当の名前とは思われない。少年はマトモな名前を告げていたようだけれど、忘れてしまった。忘れてしまうぐらい、平凡な名前で、たった一回しか告げられないから。少年も、ただの少年である。丸眼鏡をかけて、オタクっぽい風貌の、弱々しい少年。彼もまた詩を唱える。いや、詩ではなく、歌。「ママ、僕、もう行くよ。僕が行ったら観光バスが止まり、閑古鳥が止まり……」そんな、歌である。これもまた中村氏の詩なのだろうか。この少年は詩人を夢見ているらしい。地下室に、返品されたという自費出版の本が山積みになっている。

このメインの少女も少年も、ひどく印象的であるけれども、全く観たことがない。少女役の小桜ミミはデータベースを見る限り、この同じ年にたった三本の映画に出ただけで姿を消している。そして少年の秋山未痴汚(凄い字)はもともとは若松組のスタッフで、助監督などを務めてる。面白いキャスティング。
少女がマンションの屋上で輪姦されている場面から始まる。辛い場面。少女は抵抗し、顔をゆがめながらも、次の日の朝には日記のように「8月8日、朝」とつぶやいて目覚める。「私はまだ、生きています」と。そのそばには参加もせず、止めも出来なかったあの少年が膝を折って座っている。

少女は、17歳。輪姦されたのは二度目だという。母親もまた、輪姦され、自分を生んだ。その言には、母親が処女であったらしい含みが見え隠れする。二度目の処女、という言い方も、自分に対するそれだろう。女は自分の望んだ相手との望んだ行為でしか、処女を破ることはないのだという、精神的な、意地とも言える、思い。少女はだから、自分はまだ処女だと信じてる、多分。止めも出来なかったけど、参加はしていない少年に、「お願い、私を抱いて」と迫ったのは……あれは、彼女の、初めての懇願ではなかったか。
こういう、強姦モノの成人映画を観るたびヒヤッとするんだけど……割と、それが最終的には歓喜、みたいに描かれることも多いから。でも、ここではそれはない。少女はそれに対して、苦痛か諦めか、どちらかである。というか、若松監督は総じて、セックスに肯定的な感じが少ない。ただのセックスシーンでも、何だか冷ややかに見ていて、おそらく「ヌケ」ない。もの凄く、即物的な印象。

ここでの、“ただのセックスシーン”は、少年が殺した男女四人である。……その前に、そう、少女は少年に死にたいから殺してくれ、ともらすのである。少女は自殺はイヤだと言う。少女の父親は不倫相手と心中した。そしてその後母親が自殺をした。その時には彼女は判らなかった。母親がなぜ自殺をしたのか。でも成長して判った。母親は父親を恨むというより、相手の女を恨むというより、ただただ、悲しかったのだ。そして彼女は、だから、自殺はイヤだという。悲しすぎるから。ミジメだから。でも、生きていることがイヤでたまらない。死にたいけれど、自殺はイヤ。だから、少年に殺してほしいと懇願したのだ。

少年は、少女を自分の部屋に案内する。そこには、四人の男女が血まみれで倒れていた。モノクロから突然、四人の死体がフルカラーでカットインしてドキリとする。この時代の若松作品では、こういうパートカラーにいつだってビックリさせられるのだ。その前にも、少女の夢のシーンで、……波打ち際で二人の男にレイプされるシーンが青いフィルムで描かれたけれども、それは、そんなシーンなのに、青いフィルムが海の青さを非現実的にファンタジックにさせてて、何だかひどくキレイだった。……ともあれ、そう、この“色鮮やかな”死体もまた、非現実的なのだ。それは、突然のカラーだから、余計に。ありえないくらい、べったりとした鮮やかな赤い血液。

少年は、この四人の男女にもてあそばれた。彼もまた、輪姦されたと言っていいと思う。たまらない屈辱。少年もまた、少女と同じ経験をしていたのだ。でも彼は、少女のように冷静ではいられなかった。輪姦されても処女でいられる彼女とは違った。自分を犯した彼らを絶望的に憎んで……包丁を突き立ててしまう。
そして、その後、少年は輪姦されている彼女に出会った。
彼女はさすがに、この場面にひるむ。「殺すのはカンタンだよ。理由があるなら」そう少年は言い、震える彼女に、「帰っていいよ」とうながす。「帰れる場所があるのは、イイよね」と。
ここは少年の父親が管理人をするマンションだし、少年にだって帰る場所はあるに違いないんだけど、無論、そういう意味ではないのだ。
でも、少女だって、そんな場所はないに違いない。両親が死んで……ずっと彼女はひとりぼっち。

思えば、この二人に、いや、少女を輪姦した不良少年たちやその彼らにつるむ不良少女たち、そして少年が殺してしまったインランな大人の男女にさえ、家族の影はちっとも見えないし、想像も出来ない。かといってひとりで生きていく強さが見えるというわけでもない。ただ、この都会に放り出されてしまった寂しさがつきまとう。享楽にのめりこむほどに、つきまとう。
少年の父親であるという管理人も、影のようにちらりと映るだけである。かえりみられているという感覚は、ない。
欲望のままに少女を輪姦する少年たちに、思わなければいけないほどの憎悪をピークには感じられないのは、そのせいなのかもしれない。それに、だって……彼らは少年に、四人殺してしまった彼にとって、もう何人殺しても同じだ、みたいな感じで、まるでギャグみたいに皆殺しにさせられてしまうのだもの。なんだかこれも、夜の闇の中の、幻のようなできごと。

レイプシーンは痛々しいし、その少女の肉体は本当にまぶしいけれど、でもやっぱり、どこか……言ってしまえばファンタジックなんだな、と思う。少年は少年で、少女は少女、歌うような詩、精神的な処女から生まれた少女、犯されても犯されても、それは肉体だけで、彼女は永遠に……処女なのだ。
そう、永遠に処女だった。少女が懇願しても、少年は彼女を抱かなかった。抱けなかったわけじゃないと思う。そして、少年は少女を愛していたと思う。彼女が陵辱されれば陵辱されるほど。少女にとって愛のシルシは殺してもらうことだった。でも少年にはそれが出来なかった。愛しているから。皆殺しの夜の後、屋上を、死屍累々の中を、少女はそのまぶしい、みずみずしいヌードのまま、メガネまで血だらけで前もよく見えない少年と、おっかけっこではしゃぎまわる。「早く殺してよ」「殺してやる」楽しげに、笑いながら。

少年には、少女を自殺へと導くことしか出来なかった。「じゃあ、行くね」そんな風に言い残して、彼女は衣服を脱ぎ捨てて生まれたままの、あのまぶしい姿になり、空を飛んだ。そして少年も後に続いた。

きっとそれは、愛の成就だったと思う。★★★☆☆


油断大敵
2003年 110分 日本 カラー
監督:成島出 脚本:小松與志子 真辺克彦
撮影:長沼六男 音楽:ショーロ・クラブ
出演:役所広司 柄本明 夏川結衣 菅野莉央 前田綾花 水橋研二 津川雅彦 奥田瑛二 淡路恵子 笹野高史 千うらら 綾田俊樹 田中隆三 宮内敦士 角替和枝 斎藤歩 高橋明 三田村周三

2004/2/5/木 劇場(有楽町スバル座)
こんな映画を撮っているなんてぜえんぜん、知らなかった。こんなビッグな顔合わせなのに。何か今ひとつ話題にもなっていないような気がする……うーん、題材的に押しが足りないのかなあ?面白いのに……でもこの映画って確かに、期待せずに時間つぶしとかでフラリと入って、予想外に面白くて嬉しくなった、とかそういうタイプの映画って気もするケド(笑)だなんて、ずいぶんと失礼?
初めて聞く名前の監督さん。それもそのはず、これがデビュー作だからなんだけれど、脚本家や助監督として参加している中には、「シャブ極道」とか大好きな映画も結構入っている。だからこそこの主演二人をはじめとしたゴーカなキャスティングが実現したわけだ。奥田瑛二なんかほんのちょっとですっごくゼータクな使い方してるもんね。

で、これは実は実話なわけ(シャレじゃない)。全部がそうではなくって、原作となった短編集の中の事件とか人物とかを組み合わせているらしいけれど、軸となっているこの刑事と泥棒の関係は実話がもとになっているんだそう。永遠に敵対する関係ながらも、おたがいを尊敬して親友よりも親友度の濃い存在。
こういうのって、「スリ」もそういう話だったけれど、本当にあるんだ、と感心する。ルパンと銭形警部だってそんな感じ?でもこういう職人かたぎ?の泥棒って、もう今や絶滅寸前かも。劇中のネコさんが言うような、美学を持った泥棒さん、っていうのはさ。泥棒を天職だと感じ、天が与えたもうた職だからと、体力づくりから、靴にだけはお金をかけるとか、そういう美学を持った泥棒さんは……今はいないよねえ。それこそネコさんに後継者を育てて欲しいくらい!?それって日本の住宅事情とか、そういうのも影響しているって感じもする。味も素っ気もない集合住宅がズラリと並ぶようになったら、そりゃそういう美学を持った泥棒さんは出てこなくなるって気がする。ま、私もそういう味も素っ気もないトコに住んでるわけだけどさ……ネコさんが狙うところって、人間の生活の生々しさが色濃く出たところばかりだから、ネコさんが仕事できる限り、日本も大丈夫だなんて、ヘンなことを感じてしまうのだ。

それにしても、ネコさんと刑事の仁さんの出会いは振るっている。仁さんは妻に死なれて駐在所勤めから泥棒担当の刑事になったばかり。つまりはかなりのとっぽい刑事で、ネコさんは職質を受けるまで彼が刑事だと見抜けなかった。こんな百戦錬磨の泥棒さんだったのに。
仁さんの娘の自転車を直してくれていたことでの出会いで、そのバッグの中に泥棒の現場で盗まれたピラニアのエサ缶があったことから足がついたネコさん。とにかく落ちないことで有名な大物泥棒ネコさんを引っ張ってきたことで署内は俄然、色めき立つ。しかしさすが職人泥棒、ネコさんはのらりくらりと取調べをかわし続ける。まだぺーぺーの仁さんは記録係。娘の自転車を直してくれたことでネコさんにお礼を言い、ネコさんはこの刑事らしからぬ仁さんの悩みを聞きだすという、この可笑しさ。
だってさー、悩みを話したそうな仁さんに、泥棒のネコさんが、「まあ、座りなよ」なんて言い、調書を取るボードを手にとるんだもん。もう、噴き出しちゃう。役所さんはいかにもそういう悩みを泥棒に打ち明けそうなとっぽさがあるし、柄本明はいかにもそんなクエない泥棒っぽいし。ホント、二人とも100パーセントのはまり役なんだもんなあ。

結局、ネコさんの自供を取れたのは仁さんだった。とっぽい仁さんをネコさんが気に入ってしまったのか「手柄取らせてやっから」と、数々の“業績”を吐いたのだ。しかし一方でネコさんが頑なに椅子に座らなかった理由も判明。それはネコさんが重症の痔だったから。捕まったことでネコさんはまんまと“血税でケツを治す”ことに成功し、仁さんのお手柄も、何となく希薄なものになってしまう。

この10数年後、同じようにネコさんは仁さんに捕まり、胃潰瘍を治すことになるんだけれど、でも誰でも良かったわけじゃない、やっぱり。仁さんだから、なんだ。お医者さんからも「お前はいつも税金でこいつの病気を治してやっている」なんてからかわれるんだけれど、二度目の時には仁さんは、それで良かった、心底良かったっていう顔してる。この時にはネコさん自身もガンとかそういう病気だと思ってて、もうダメだ、こんな体でいい仕事なんかできっこないと、引退を決意してワザと仁さんにつかまるように仕向けてて、仁さんもそんなネコさんの気持ちをくんで彼を捕まえたわけだから、この胃潰瘍、というオチはクスリとさせられつつも、凄く幸福な結果なのだ。仁さんは「100(歳)まで現役だって言ったじゃないですか!」と実際には横にはいないネコさんと酒を酌み交わす。仁さんにしか判らないヒントを現場において鮮やかな手口で盗みを働くネコさんの気持ちが仁さんには痛いほど判る。捕まるのも、取調べを受けるのも、仁さんじゃなければイヤなのだ。だって、仁さんをこんな名刑事に育て上げたのは、ネコさん。ネコさんが手取り足取り教えたのだもの。ネコさんが刑務所に入っている時、入所してくる“仲間”たちから聞く仁さんの成長に、ネコさんは目を細めていたに違いない。勿論、ネコさんには職人泥棒としての自負があるから次にはそう簡単に捕まるつもりはないけれども、もし捕まらなければならない時には、その時には仁さんに、と思っていたに違いないのだ。

ネコさんが、あの時、なぜピラニアのエサ缶なんか盗んでいったのか、それを聞かれた時、ネコさんは「どんな味なのか、知りたかったからだよ。判ったのは、ピラニアは味オンチだってことだ」としれっと言う。
このすっとぼけた言い草には思わず大笑いしてしまうのだけれど、ネコさんのこういうところが名泥棒であり、名“人間”、とも言えるんじゃないかなと思う。
好奇心は生命力とも言えるものだ。これがなければ、人間はただただ息をつないでいるだけで、本当に生きていることにはならない。いわば愛だって、好奇心のひとつだ。相手を知りたい、っていう。この好奇心がネコさんの首を締めた結果になったんだとしても、それが仁さんとの出会いを生んだし、次に仁さんと再会できるきっかけも作ることが出来た。

仁さんには亡くなった妻との間に出来た、一粒種の女の子がいる。ネコさんと出会った時、仁さんは男手ひとつで育てることになってしまったこの娘のことで悩んでいた。駐在所勤めの時にはいつも一緒にいてやれたのに、刑事という忙しい仕事になってから、娘といる時間が極端に減ってしまった。ついには娘が盲腸炎が危ないところまでいくまで気づかず、「どうしてこんなになるまでほっといたんだ」と医者に叱られる始末。
彼の悩みを聞くネコさんは「気になる女ぐらいいるだろ」と仁さんに再婚を勧める。
確かに仁さんには、ホレている女性がいた。娘を預けている学童保育の教会にいる、牧子先生。

演じるのは夏川結衣。うん、彼女なら役所広司とじっつにお似合いである。熱を出した仁さんの娘、美咲の看病のため泊まりこんだ牧子先生、酒の勢いで積極的に仁さんに迫り、それに応える形で彼女を抱く仁さん。この場面は、ロングスカートがめくられてあらわになる夏川結衣の華奢な太ももとレースの下着にきゃー!とか思ってドキドキである。
だけど、娘の美咲は、強固に抵抗するのだ。美咲だって、いや美咲こそが牧子先生のことが大好きだったのに。お父さんが牧子先生に好意を持っていると知るや、激しく抵抗する。病み上がりなのに牧子先生の作ったごはんを食べず、三日にわたってハンストする。
娘の心が判らず、疲れきった仁さん、美咲はパジャマ姿で米をとぎ、洗濯機を回し、掃除機をかけ、と走り回り、お父さんに訴える。私一人で何でもできるんだから、と。
ようやく娘の心を理解した仁さん、判った、判ったから、と美咲を抱きしめる。美咲はお父さんを抱きしめかえして、しゃくりあげて、泣く。
女の子、いや、女なんだなあ、と思う。こんなに小さくても。
その後の牧子先生と仁さんの別れは、もうものすっごく切なくて、彼女を抱きしめようとする仁さんを、そうすると辛くなるからと思ったんだろう牧子先生が泣き顔で押しとどめるのには、ああ、牧子先生なら、良かったじゃない!と思わず美咲をうらめしく思うほどだった。

でも、この時のことを10数年後、仁さんがネコさんを捕まえて取調べをする時、拘留時間があと2時間と迫った時にその話をするんだけれど、泣けるんだよねー、実に。
この場面は、役所広司の独壇場。実に10分にも及ぶ長広舌のシーン。
あの時、仁さんが娘に、もう牧子先生は来ないから安心しろと言った時。仁さんがお腹がすいているであろう娘に買ってきた、彼女が大好物の二色パン、その好きな方のチョコレートを美咲はお父さんにあげる、と差し出したのだという。いいから食べろといっても、聞かずに、こっちをあげる、と。
仁さんは、こいつは謝っているんだ、と思ったんだという。でも彼女に差し出せるのは、二食パンの好きなチョコレートの方しかなかったんだと。
そんな娘が今では、自分自身の力で自由な翼を手に入れて、飛び立とうとしているんだと。裏切られたように思ってしまうけれど、自分は父親として、娘を旅立たせなければならないんだと……。
この独白場面、それを実際の再現シーンで見せられたら、そんなに泣けはしなかったと思う。過去を思い返し、今や白髪交じりになった仁さんが噛み締めるように言うからこそ、何かもう……胸がつまっちゃって、泣けちゃうのだ。

この時ネコさんも、自らの過去を思い出して、そして仁さんの独白にも刺激されて大泣きする。ネコさんの幼少時の記憶はかなり過酷なモノで、彼は家族に恵まれなかった人。ネコさんが仁さんのコト大好きなのは、きっと仁さんがネコさんにはない幸福な家族を(娘だけとはいえ)持っていて、そのことを仁さん自身がすっごく、ちゃんと判っているからだろうと思う。
美咲はお父さんの仁さんを支え続けてきた。彼女はあの時、牧子先生とお父さんを引き離してしまったことを、ずっとずっと気にしていたんだろうと思う。
美咲がお父さんのために作るぬか漬け、ぬか床を一日一回、夏は二回、丁寧に混ぜ返していた彼女。そう思ってなければそんなことまでようせんよ、やっぱり。
実は、牧子先生が、何年経ってもいいからまた出てきてくれないかなー、だなんて当方は思ってたんだけど(笑)、やっぱそううまくはいかないよね。

そして、美咲は旅立つ。看護の勉強をしていた彼女は、世界中の恵まれない子供たちのために、力になりたいと羽ばたいていったのだ。
彼女が看護の仕事を選んだのは、仁さんは妻(つまり美咲の母親)が病気で死んでしまったからだと思っていたんだけれど、違ったのだ。美咲はいつも悪夢を見ていた。泥棒刑事をしている仁さんが、その犯人に刺されてしまう夢を。叫ぶ彼女にお父さんはまるで気づいてくれない夢。彼女はもし、万が一お父さんがそうなったら、そうなっても、自分が助けてあげられるようにと、看護の道を選んだというのだ。
こんなこと言われたら、そりゃもう、何も言えないよね……。
娘と二人の生活を頑張って頑張って続けてきた仁さんは、海外に行くという美咲に動揺して、そんなこと許さん!って声を荒げたりもするんだけれど、結局は娘を送り出す。妻の形見の指輪を渡して。
成長した美咲を演じる前田綾花。彼女のことは結構お気に入りなんだけど、うッ、棒読みかもしれない……お父さんを説得する台詞がさ。こういう王道の展開は、難しいかも……うー、うーむ。

ピンチを脱出するおまじない、“オイッチニ、オイッチニ、オイッチオイッチオイッチニ”が実に効いている。ああー、やっぱり(これを伝授してくれた)牧子先生、仁さんと結婚させてあげたかったなあ!!
そしてこの魅力的なお国言葉。やっぱり方言映画っていいよね。最近は結構多くなってきてる気がするなあ。嬉しいこと。★★★☆☆


夢で逢えたら
2001年 20分 日本 カラー
監督:七里圭 脚本:
撮影:高橋哲也 音楽:侘美秀俊
出演:安妙子 大友三郎

2004/1/13/火 劇場(テアトル新宿/レイト)
現実の音は折々聞こえてくるものの、登場人物二人の声だけが聞こえない、不思議にストイックな物語は、不思議にストイックな展開をする。
果たして、ラブストーリーとは……?だなんて、その定義を考えたくなる。
ラブストーリーは、お互いの気持ちが通じ合う物語なのだろうか。いや、通じ合っていたら、もはやそれはそこで完結しているから、ラブストーリーとは言えない。ならば、ずっとずっとすれ違うこんな物語は、究極のラブストーリーなのではないか、なんてことを思う。
ただただすれ違うラブストーリーは、しかし少しだけ触れ合うラブストーリーでもある。

青年はバスに乗ってやってくる。古ぼけたバス。彼はそのバスの中で居眠りをしていて、ふと思いついたようにバスを降りる。何となく歩いてゆく。あてのないように。
実際、あてなどなかったのだ。彼は自分がなぜここにいるのかが、判っていない様子。
ぼんやりしている彼を見つける女の子がいる。釣り道具など持って、それを彼に持たせたりして、親しげに話し掛ける。……その声は、彼の声も彼女の声も聞こえない。ただ、その様子は、どうやら彼女は彼のことをよく知っているようである。よく知っている……いや、どうやら恋人同士のようである。
しかし、彼には彼女のことが判らない……。

彼女は彼を自分の家に連れてゆく。その感じは、彼と彼女はもしかしたら同棲していたようでもある。彼女が作る夕食は、ひょっとしたら彼の好物なのかもしれない。石焼ビビンバ。やけに、本格的である。ずっとずっと、その会話は聞こえない。彼は自分がこの少女と親しかったらしい事実に困惑しているようである。そして少女は自分のことが判らない彼に、彼以上に困惑している。
彼女が黙々と食事を作る場面が非常に印象的。生活感にあふれているのに、一方で不安な気持ちに満ち満ちている。
彼は、彼女の手の中の彼ではない……。

彼女はお風呂に入る。濡れた髪を拭きながら、彼にも入るように促す。彼の洗濯物などいじりながら、しかし一人ベッドに入る。少し、怒ったように。
最初はソファで眠ろうとしていた彼が、彼女の部屋へ入ってくる……。
しかし、それは何か、不思議に哀しさを感じてしまう。なぜだろう。彼の意識がまだここに戻ってきていないからだろうか。
相変わらず、二人の会話は聞こえない……。

そして次の場面、翌日。二人はあの古ぼけたバスに乗っている。彼女はまた居眠りを始めた彼を残してバスを降りる。歩き出す。

これがタイトルどおり、夢の中の出来事なのだとしたら、きっと目覚めた時、不思議に暖かく切ない涙を流しているんだろう、と思う。★★★☆☆


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