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「ち」


2005年鑑賞作品

チャーリーとチョコレート工場CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY
2005年 115分 アメリカ カラー
監督:ティム・バートン 脚本:ジョン・オーガスト
撮影:フィリップ・ルースロ 音楽:ダニー・エルフマン
出演:ジョニー・デップ/フレディー・ハイモア/デイビッド・ケリー/ヘレナ・ボナム=カーター/ノア・テイラー/ミッシー・パイル/ジェームズ・フォックス/ディープ・ロイ


2005/9/13/火 劇場(渋谷シネパレス)
原作が世界的にとても有名な童話ということなんだけど、私は全然知らないものだから、観て、ああすんごいティム・バートンらしいし、ジョニー・デップとのコンビ作って感じだなー、などと呑気に思ってたんだけど、たまたま観た日の翌日に会った、英語圏文化に詳しい友人によると、映画により追加されたテイストがメインのようになってしまっていて、彼女の受けた感じでは、悪い意味でのいかにもティム・バートンになっているんだという。それは、家族愛な部分なのだとか。原作でもそれはあるんだろうけれど、彼女の言う感じでは、映画ではあからさまっぽいらしい。特に最後、チョコレート工場を継ぐチャーリーが映画ではいったん断わる部分が特にそうらしいのね。それは製作サイドの意向なのか、彼自身の意向なのか。原作知らない私は十分シンラツだと思ったけど……でそれこそがティム・バートンらしいと思ったけど、そうでもないのかなあ。
へえー、とか思いながら、こんなサイトやってるくせに普段は映画を観ると自分ひとりだけで完結しちゃって終わってしまうから、たまに人と映画の話をすると、面白いなーなどと思う。

あいかわらず奥さん出しすぎ(前のパートナーの時もそうだったしさ)とか思いつつも、やっぱり主人公、ウィリー・ウォンカを徹底的に作りこんだジョニー・デップは最高だよね。彼はティム・バートンの映画の時には本当に彼を信頼して、思う存分没頭してくれるんで、やっぱり彼とのコンビの時のジョニー・デップが一番イキイキとしているように思う。いや何に出ててもカッコイイんだけどさ。あ、でも本作の彼は、唯一カッコよくないけど(笑)。その友人が「アルフィーの高見沢さんソックリ」と言ったのがいやー、実に言いえて妙だわさ、と思う。ツヤツヤのおかっぱ頭に、白塗りファンデに妙に整った歯。あんなにジョニー・デップ整ってないよね、歯?いや改めてどうだったかと言われると思い出せないんだけど、ここではウィリー・ウォンカの父親は歯科医で、小さな頃から歯列矯正器をはめさせられていたという設定だから(回想で出てくるこの歯列矯正器、唇をグワッと押し広げる形のすんごいSM状態で、ティム・バートンっぽい!)、多分あれも作りもんなんだよね?あまり人との交友がない彼が、会話やウケるツボがどうもズレているというか古くさいというか、英語の判らない私にはわかんないけど、言葉自体も大分死語っぽいらしい。正しい子供時代を送ることが出来なかった、親の愛情を感じられずに育ってきた特殊な大人、みたいなウィリー・ウォンカを、ヘンだしワガママだけど、なんだかちょっとカワイソウというテイストを絶妙に漂わせて演じるジョニー・デップはやはりスゴイ!子供にヘンな質問されて、顔をゆがめて憮然とした顔するトコとか、なんとも言えず、イイ。

この天才ショコラティエ、ウィリー・ウォンカが作り出す絶品チョコレートが大好きで、でも家が大貧乏だから誕生日に一枚買ってもらえるだけのチャーリー少年。この子を演じているのが「ネバーランド」でジョニーと共演したフレディー・ハイモア。彼の才能を高く買ったジョニー・デップ直々の推薦で、その話を聞いたケイト・ウィンスレットも監督にこの子がイイと推薦したんだという。確かに、この個性的な世界観の中で、しかもウィリー・ウォンカの工場に招かれる5人の子供たちの、他の四人は憎まれっ子も憎まれっ子の、超キョーレツなヤツらで、その中で一人シンプルな、普通のイイ子、を主役として演じるのは、目立つアクトができないけど主役として共感を得、印象を与えなくてはならないという点で、とても難しいんだろうな。例えどんなに演技が卓抜でも、いわゆるスター子役ではそれが難しいのは判る気がする。演技が卓抜プラス、普通の感性を失わない、繊細な吸収力を持ったこの子だからこそいいんだろうな。キョーレツなほかの子供たちの中に交じる彼は、そりゃ共感をもたれるのは勿論だけど、でも確かに埋没しかねないんだよね。だって、物語の流れとしては、いつのまにか彼だけが残ってた、みたいな感じなんだもん。前に出ることをしないから、叩かれない、出ない杭だから打たれない、みたいなね。でもそこんところを彼の確かな感性で、前に出すぎず後ろに下がりすぎず、上手いんだな。

それにしてもこのチャーリーの家族の貧乏っぷりというのはあまりにもベタで、キャベツしか浮かんでない超薄いスープが毎日の食事とか、父親の仕事は歯磨き粉チューブのフタ閉めとか、それも機械にとって替わられたとか、父方母方それぞれの祖父母がこたつを囲むようにみな寝たきりだったり、いかにも寒そうな冬で、すきま風入りまくりって感じで、ドアはナナメに傾いてるし。確信犯だよなー、ティム・バートンは、と思う。そんでこの町にそびえたつウィリー・ウォンカのチョコレート工場は、まるでタージマハールかってぐらいのお城状態で、余計にその対比が際立つし、でも冬のモノクロームみたいな世界の中で、そのお城のような工場はなんだか大きな巨体をもてあましているように寂しげで、チャーリーのボロ家の家族の暖かさの方が際立つ。
こういう、思いっきりプラスチック的な作られた町の中に、不思議にリアルな暖かさがただよう感覚は、私が最初に参った「シザーハンズ」から続くティム・バートンの真骨頂で、この世界観がなんだか「シザーハンズ」に戻ったみたいと思ったのは、多分この町づくりのせいだと思うんだよね。

このチョコレート工場は長い間閉鎖されていた。かつて隆盛を誇った彼の作ったチョコレートが同業者のねたみを買って、レシピが盗み出され、あからさまにジャマをされたから。人間不信に陥ったウィリー・ウォンカは半永久的に工場を閉鎖してしまったのだ。
閉鎖する以前の工場に勤めていたのが、チャーリーのおじいちゃん。おじいちゃんはそのことが誇りであり、その話を聞かされて育ったチョコ好きのチャーリーにとってもウィリー・ウォンカはスーパースターだった。
その閉鎖した工場が数年前から稼動し始める。でも人が出入りしている気配はなく、謎に包まれたまま、ウィリー・ウォンカのチョコレートは世界中に出荷され続けていた。
そんな中、「ゴールデンチケットを引き当てた五人の子供を工場に招待する」とのニュースが世界中を駆け巡る。ゴールデンチケットを当てようと、世界中が騒然とする。一人、また一人と引き当てた子供たちは、親の財力にあかせて買い占めた結果だったり、バカみたいにチョコレートばかり食べてバカみたいに太って頭カラッポな肉屋の息子だったり、まあそれぞれにヒジョーにムカつく子供たちばかりなのね。
チャーリーだってそりゃ、ゴールデンチケットが欲しかった。誰よりもウィリー・ウォンカのチョコレートに思い入れがあると自負していたし、家族みんなもそれを認めていたし。だからチケット当選の子供のニュースの度に彼のみならず家族たちもはあ、と落胆する。ビンボーなこの家では買い占めなんてムリ、いつものようにチャーリーの誕生日に奇蹟を信じて一枚のウォンカチョコを買うも、ハズレ、おじいちゃんのヘソクリで再トライするも、ハズレ……。

でも、世界の誰よりウィリー・ウォンカを尊敬し、そのチョコレートを愛していたチャーリーを神様は見ていてくれたのだ。
道端に落ちていた一枚の紙幣、そのお金を持って小さな雑貨屋で買ったウォンカチョコにゴールデンチケットが!
チャーリーは狂喜するも、その場で高額で買うという大人たちに群がられ、貧乏なウチをすくうためには売った方がいいのかと思ったりもするんだけど、それを説得するおじいちゃんがいいんだよね。
「お金なんて世の中に沢山同じものがあるんだ。でもこのゴールデンチケットは世界で五枚しかないんだろう?」

世界中がウィリー・ウォンカのチョコレートに殺到する場面で、当然のように日本・東京も出てくる。そもそもチョコレートが世界中に出荷される冒頭場面でも、TOKYOは大トリであり、そのTOKYOのダンボール箱がずーっと映りこみながら、トラックが方々へ走り出していくんである。
で、そのウィリー・ウォンカチョコに殺到する東京、は秋葉原なんだよねー。あの見覚えのあるハデハデネオンの街!
よもやティム・バートンならばカン違い日本を出しては来ないとは思ってたけど(今時キモノとかさ)秋葉原かあ!日本のアメリカ(海外)でのイメージ、今のイメージって、秋葉原なんだ!とか思ったりして。
でも今は日本そのものもアキバ系到来って感じだし、その点では当たってるのかも。

かつてこの工場で働いていたジョーおじいちゃんをお供に連れて、チャーリーは他の四人の子供たちと共に未知の工場へと赴く。そうそう、このおじいちゃん、チャーリーがチケットを引き当てたニュースを聞いたとたん、寝たきりから突然元気になって踊り出しちゃって、そんなんあるかい!とか突っ込みたくもなるが(笑)。
ウィリー・ウォンカの登場シーンは、なんつーか……なんかいつの時代って感じの、ニッコリ顔に目が死んでるのがコワい人形たちの電動仕掛けのパフォーマンスから始まって、その人形たちショートしちゃって炎に包まれちゃって、そのコワい顔がドロドロに溶けちゃったりして!その様を「笑えるだろう?」とワキからするっと登場してくるんである。おいおい、初登場がテキトーすぎるよ!

ウィリー・ウォンカは万事こんな調子で。5人の子供たち、そしてそれぞれにつきそってきた親たちは、未知の工場に足を踏み入れる。そこは溶けたチョコレート液が滝を作り、川に流れ、色とりどりのチョコレートのための食材が実っているワンダーランドだった。
ちなみに、チョコの滝は、空気を入れてフワッとした舌触りを実現させるためなんだってさ。
そこで第一の秘密が明かされる。働いている小人族のウンパ・ルンパ。カカオを求めて旅したウィリー・ウォンカが出会った働き者の一族で、彼らにとってのごちそうであるカカオを食べ放題にすることを条件に、この工場で住み込みで働いてもらっているのだ。
一族とかいいつつ、皆同じ顔である。同じ役者が全てを演じていて、動きは同じようでビミョウに違い、そろってカヌーを漕いだり、なんといっても見せ場の、それぞれの子供たちが脱落した時に、彼らを揶揄するミュージカルさながらの歌と踊りを、この同じ仏頂面の小人族で見せるんだから、もうシュールったらないんである。
しかもそのイヤミたっぷりの歌は、何かすんごい懐かしいテイストなんだよな。メロディがね。それぞれに全く違うカラーには仕上げてるんだけど、なんていうか、一様に、ふた昔前ぐらいのポップミュージックとかディスコミュージック風なの。

四人の子供たちはそれぞれにホントイヤミくさくて、彼らを一人ずつ丁寧に片付けていくシンラツさについつい心の中で快哉をあげちゃうぐらいで、そんな自分にハッとして、大人の心を見透かしてるよなー、とちょっと歯噛みしたくなったりして。
最初に血祭りにあげられるのは、肥満ボーイ、オーガスタス。ま、彼の場合はただの食い意地の張ったでぶっちょで、そのワガママを両親が容認しているってだけではあるんだけど。あ、でもここんところはみんな共通してるんだよね。つまり、こんな子供に育ててしまった親が一番悪いんだと、結局は言ってるんだよね。今の親は子供に甘すぎる、ってさ。
いや、今の子供とかいいつつ、この原作はもう40年も前のものではあるんだけど……なんつーか、世界の行く末が思いやられるな。
で、オーガスタスは食い意地が張って張って張りすぎて、チョコの川におっこちちゃって、吸い上げられちゃって、ストロベリーチョコかなんかにさせられそうになる。「大丈夫、オーガスタス味のチョコなんて食べる気しないから」とウィリー・ウォンカは皮肉タップリに言い、親は憮然とした表情で息子の救出に向かうんである。

その次はワガママお嬢様のベルーカ。ナッツ選定室という部屋で沢山のリスがクルミの選定を行なっている。ちょっ、ちょっ、ちょっと!この100匹ものリス、全部生身のリスを調教したって、ウソッ!狂気の沙汰だよおー、そんなこと、出来んの!?カラカラと流れ落ちてくるクルミをこんこん、と叩いてその中身の識別して廃棄か使えるものかを選別する、なんていう動きを、全部調教するなんて!しかも一匹一匹、その選別の仕方といいしぐさといい、凄く個性的で、スゲエ、すげえ、すげえよー!
このリスを一匹欲しいと言い出したのだ、ベルーカ。まあ気持ちは判らんでもないが、父親の財力なら世の中に不可能なんてないと思い込んでる、いかにもワガママお嬢様って感じの高圧的な言い方がホントムカついてさあ、私も単純だけど(笑)。そう、こんなワガママ娘に育ったのは、金にあかせれば不可能はないという育てた方をした親のせいに他ならないんだよね。
あわれベルーカはこんこんと頭を叩かれたリスによって頭カラッポと診断されて生ゴミのたまるダストシュートへ……。

三番目はトロフィーマニアの勝ち組少女、バイオレットである。ただいまガムの長期間かみ続け記録に挑戦中。彼女にとって何も出来ない、平凡な子供など侮蔑の対象、ベルーカと負けず劣らずプライドの高い高圧的な少女なんである。
人と違うことに挑戦することこそが至上命題と考える、人と同じことしかできない人間を見下す彼女は、ウォンカの発明品、フルコースを味わえるガムを噛み、未完成のそのガムの副作用はデザートになるとそれそのものになってしまって……巨大なブルーベリーのごとく青く膨れ上がってしまう。
彼女に関してはちょっとムズカシイところもあるんだけどね。人を見下す態度は確かに腹が立つし、それは負け組は軽蔑してよし、みたいな教育をされたせいだとは思うけど、さまざまな記録マニアということはそのためにかなりの努力をしているはずなんだもん。
これはでも、いわゆるスターと呼ばれる人たちへの揶揄もあるのかなあなどと思う。
いくら努力で得られた地位でも、それが他人を見下す権利だと思うのは間違いだってこと。
子供じゃなくて大人でも、そこでカン違いしてる人って結構いるもんね。

四番目は何ごともデータに基づく知ったかぶりの男の子、マイクである。しかもチョコは嫌い。
これはいかにも現代の男の子って感じ。ゴールデンチケットはさまざまなデータを検証して一発ゲットしたと豪語し、残酷ゲームに熱中し、自分の知ってることを他人が知っていないことをあからさまにバカにする。
これってバイオレットとカブる部分もあるんだけど、自分の能力以下の人間を軽蔑しているっていうのが。
マイクが撃沈したのは「2001年宇宙の旅」の音楽がピタリの、近未来的な真っ白く冷たいテレビルームである。ウィリー・ウォンカの発明、チョコレートそのものを映像の中に瞬間移動させ、テレビの中からチョコを取り出せるというんである。
マイクはその発明を、なぜチョコなんかに留めておくのか、人間を移動させたらいいではないかと言い、そんなことに興味はないというウォンカをあからさまにバカにし、自ら映像の中へ飛び、チョコレートと同じく縮小されてしまうのだ。
それにしても、チョコが縮小されたのを見てるのに、データ少年の彼が、なぜそこに考えが及ばなかったのかがムリがあるけど……。
ウォンカの発明自体には凄く驚嘆してて、つまりは尊敬してるはずなのに、他人に対する尊敬の念を決して表わしたくないのかなっていうイヤーなプライドなんだよね。

彼を揶揄する歌と踊りを披露するウンパ・ルンパ、テレビを見てると頭ぼんやりで目はうつろ、そんなものを子供に近づけないで、頭も感性も鈍り、想像力もなくなるとかね、歌うわけ。判らなくもないけど、何か単純に断じすぎのような気がするんだよなあ……それこそ、今時、こんなこと言うかな、っていうか、それまでは親のしつけの甘さを言ってたのに、まあここでも、テレビやテレビゲームにばかり子供を任せていた点について言ってるんだろうけど、テレビやテレビゲームのせいだ、みたいに言ってる気がしてさ。
例えば彼の反射能力や分析能力は、得がたい才能であるに違いない。ただの肥満デブや、親の財力だけの子供とは違うわけだし。それが彼の場合テレビやパソコンで培われたわけだから、それをたんにバッサリやるのはどうなのかなあ……。

そして、結局は、何も知らないシンプルな、思いやりのあるチャーリーが残るわけでね。まあ確かに道徳的だよな……。
しかもチャーリーはこの憧れの工場を受け継ぐことを、家族と別れるのが条件と言われて拒否するんである。
ウィリー・ウォンカは家族の暖かさを知らない男。だからチャーリーのこの反応が理解できない。
せっかくのチャンスをフイにしたにもかかわらず、チャーリーの貧乏な家はその後からツキだして、父親は機械に奪われた、その機械を整備する仕事にありつき、その途端チャーリーの家はにわかに色つきになって、幸せな、カラーの家族の暖かさを得るんである。
一方、チャーリーにフラれたウィリー・ウォンカは、それまでの天才的な思いつきがなりをひそめてしまって、どうしていいか判らない状態に陥ってる。そして街角で靴磨きをしていたチャーリーに近寄り、チャーリーにとってそれほどまでに大事な家族、チャーリーの、「子供を思わない親なんていない」という言葉に後押しされ、子供の頃出て行ったっきりの実家に帰ってみる決心をする……。

左右上下、どこにでも自在にいける透明のエレベーターに乗って、まるでタイムスリップしたみたいにウィリー・ウォンカの実家に着く。子供の頃のウィリー・ウォンカ。歯科医の父親から虫歯になるからとチョコレートを固く禁じられて、でも食べたくて食べたくて、ハロウィンでもらったチョコレート、父親に全部暖炉の中に放り込まれちゃったけど、そこからひとつだけハズれていたチョコレートを口にし、彼の人生は変わった。チョコレートの本場、ベルギーに行きたいと言って父親から勘当同然に家を飛び出した。
大人になったウィリーに父親は最初、気づかない。でも彼の歯を見て気づくの。ウィリーか?って。会いたかった、って。
つきそってきたチャーリーは丁寧に集められたウィリー・ウォンカの記事のスクラップを見ている。
それにしてもこれだけ新聞記事をスクラップしてたら、いくら子供の時以来会ってなくても判りそうなもんだけど……。
この時に、ウィリー・ウォンカがいつもしている紫色の手袋が、ゴム素材の、つまり歯医者さんがしている手袋だと気づくんだよね。彼の口の中をのぞく父親の手袋とおんなじ材質なの。

最後は、工場を受け継いだチャーリーが通いになったらしく、しかもウィリー・ウォンカはちゃっかりチャーリーの家に上がりこんで晩メシを食い、さまざまなチョコレートのアイディアを話し合って、「仕事もほどほどにして」と母親からたしなめられるんである。でもウィリー・ウォンカをずっとずっと尊敬してきたチャーリーは、もう湧き出るアイディアの泉で。

これは、結局は、慎ましさとか、思いやりとかを学ばせる物語なのかなあ。そうだとするとちょっとサムイ気もしないでもないんだけど……。★★★★☆


珍品堂主人
1960年 120分 日本 カラー
監督:豊田四郎 脚色:八住利雄
撮影:玉井正夫 音楽:佐藤勝
出演:森繁久彌 淡島千景 柳永二郎 乙羽信子 淡路恵子 有島一郎 山茶花究 東野英治郎 千石規子 峯京子 小林千登勢 都家かつ江 高島忠夫 若宮忠三郎 市原悦子 横山道代 石田茂樹

2005/6/14/火 東京国立近代美術館フィルムセンター(豊田四郎監督特集)
最近若い頃の森繁久彌にゾッコンLOVE(ふる……)なんで、今回の豊田四郎特集には足しげく通ってしまうんである。あまり他のを観たことがないけど、豊田監督とのコラボは本当に面白い。いや、豊田作品が単に面白いのかな。いやいややはり森繁久彌が面白いのだッ!この人ってさー、この人ってさー、いや役柄ってのは判ってるんだけど、でもやっぱり女たらしっつーかスケベっつーか、それがなんでこれほどに憎めないのかが不思議でたまらないよ。憎めないセクハラ男?ホント、そんな感じよ。もうね、本作にもゾロゾロゾロゾロ美女が出てくるの。妻役の乙羽信子だって充分美女なのに(まあ、この中では地味めだけど)、ハデな美女がゾロゾロ出てきて、もう軒並み色目使いまくり(笑)。いや、色目どころか彼、すぐ手が出るのよね。それが実に自然に、さらっと手を握ったり、さらっと膝を触ったり、ささっと身を寄せて肩を抱いたり、さらっと押し倒したりしちゃう……って、おいおい!自然っつーか、違う違う、それが、下心はありありとミエミエで、ついついその動作に出ちゃう、って感じで、それがね、見てるこっちも、やられてる劇中の女たちもあまりにミエミエに判っちゃうからつい可笑しくなっちゃって、吹き出しちゃって、憎めなくなっちゃうの。こんな人、ホントいないよなー、得というかなんというか、ここまでくると一種の才能よ、実際。

彼は珍品堂さん、と呼ばれている骨董好きの男。商売人としての才能はないんで、あくまで骨董好き、でとどまっているんだけど、その鑑定眼は確かだし、どんな相手にもニセモノはニセモノとハッキリ言うんで、余計に信用が篤いんである。彼に鑑定を依頼する客と、モノを売りたい骨董屋の双方から鑑定料とリベートをもらって生活を成り立たせている。彼の鑑定は信頼されてるから骨董屋としてはニセモノでもホンモノと言ってもらえれば確実にモノを売りつけられるというハラがあるんだけど、付き合いの長い骨董屋のためでも決して珍品堂は魂を売らないんである。……っていう設定だし、実際そう描かれているんだけど、女にからきし甘いスケベな森繁久彌だから、これがあんまり固くないというか、その合い間合い間に彼の女たらしの描写が差し挟まれるんで、このあたりの絶妙の軽さが彼の真骨頂なのよねー。

そう、彼ってばさ、じっつに理解のある、イイ奥さんがいるのに(実際こんな不安定な生活してたら奥さんだって何かと言いそうなもんなのに、言わないもんね)、まずきっちり愛人囲い込んでるし、しかもこの愛人のために豪華な料亭を経営しようとかふいに思いついちゃうんである。鑑定を頼まれた富豪が持っている広大な邸宅を借り受けてね。
この富豪、九谷はやけにものわかりのいい人物というか太っ腹というか、資金は全て出すからやってごらん、と珍品堂に言うのね。珍品堂は平伏しまくり、愛人のためというのも忘れて、すっかりその料亭経営に没頭する。
確かに、すっごい大人物に見えたんだけど……。

ここに九谷の肝いりで入り込んでくるのが、蘭々女史と呼ばれる才女で、とびきりの美人。最初はこの料亭の設計、ということで参加することになったのが、彼女の信頼筋が女中頭に収まり、女中のオーディションも彼女が取り仕切り、女中たちの指導も彼女が行ない……なんてことになるうちに、いつの間にやら彼女は顧問という肩書きに収まるんである。それを勧めたのは九谷で、彼女と上手くやるにはそういう肩書きを与えた方がいい、と珍品堂にアドヴァイスしたんであって、確かにその時にはそうかな、と思ったのよ。九谷はすべて珍品堂に任せる、と言って口出しなんかしなかったから、時々のアドヴァイスは説得力があったし、何より珍品堂を信頼しているんだから、という態度だったもんだから。
でもこれがトンだタヌキだったんだよね。
この時点ではね、何たってこの蘭々女史がね、段々と態度がデカくなってきて、勘違いヤローになってきて、くっそー、美人だけどムカつく!って感じだったのよ。彼女自身も自分は九谷とグルでお人よしの珍品堂を利用して、いつかは追い出してやるんだ、って意識で、それは半分は本当だったんだけど、実際は彼も珍品堂と同じ穴のムジナだったってわけで。

まあ、それはオチなんで、そこまで行くにはもう抱腹絶倒の連続なんである。あー、もう何から書こう。やっぱりあの女中オーディションのとこかな。次々現われるありえん女たちにもう大笑いなんだもん!あやしげな英語を振りかざしてモンローウォークさながらに歩き、面接官である珍品堂や蘭々女子の卓にずずい、と寄って来て「タバコ、あるう?」ありえん、ありえん!次に現われたのがあごもウエストも境目が全然ないようなぼってりオバサンで、間髪入れずに返してくる台詞の間合いも可笑しいんだけど、「何より見てもらいたいのは、日本舞踊なんですわ」と踊り出したのは、どー考えても日本舞踊じゃねーだろッ!裾をからげてエイサ、ハイサとばかりに踊り出し、しまいには珍品堂の目の前でホイ、とばかりに足をあげる始末で、目を白黒させる森繁久彌が可笑しすぎるッ!しかもそのオバサンを蘭々女史は「A判定」で即採用するってのがさらに可笑しすぎる!

何かね、途中からすっかりこの料亭経営の話になっちゃってて、骨董好きの珍品堂としての話が薄れがちなんだけど、でもそんなことをしている間にも、料亭で使う食器類は骨董の名品を模したものを名職人に作らせるために遠いところまで出かけて行くし、蘭々女史の持ちかける「白鳳仏」に心乱されたり、やはり彼の骨董好きはおさまらないのね。で、この白鳳仏なんだけど……ひと目見たとたんホレこんだ珍品堂、それまで決して手放さなかった、彼の鑑定眼の確かさを世に知らしめた灯籠を売って金を作ってしまう。妻は必死にそれを止めるんだけど……。
ああ、そうだそうだ、この場面もちょっと笑っちゃったんだ。旅館経営に没頭してすっかり自宅にご無沙汰だった珍品堂が、灯籠をとりにこっそり戻ってくる。んで、茶室に入ってこの灯籠を包んで出ようとすると、脱いだはずの履き物がない。違う出口から出てみようとしてもやっぱりない。で、縁側から顔をのぞくと、妻とバッタリ、目があって「まあ、帰ってたんですか。履き物は玄関に置いときましたよ」全然帰っていない、ということを皮肉る秀逸な場面(笑)。動揺を隠せない珍品堂がカワイイんだよなあ。

でもね、本当にこの奥さんはいい奥さんなの。めったに帰って来ないダンナだけど、疲れた時には帰ってくるのがこの家だってこと知ってるから、「突然だからこんなものしかありませんけど」と言ってささやかな膳を用意してくれる。「いきなりお茶漬けですか。疲れていらっしゃるのね」そんなことでもダンナの体調が判るのね。で、彼の食事の間も忙しそうに立ち働こうとする彼女に、「少しはじっとしてないか」なんてイラつくように言う珍品堂は、でもそれは、いつも帰らないもんだからテレ隠しっぽくて、つまり奥さんに側についていてほしいっていうのが判って、何かじーんとしちゃう。奥さんもクスリと笑って、そばに座って彼の食事を見守っていてくれる。珍品堂は変わらずムスッとしたまま食事を続ける……何かね、こんな何でもないシーンなんだけど、珍品堂が最終的にはこの奥さんのところに帰ってくるんだ、っていうのが、うん、判っちゃうんだなあ。

でも外では相変わらず女タラシの珍品堂なんだけどさ。というか、このくえない蘭々女史っていうのがね、演じる淡島千景がこれぞファム・ファタルでさー、彼をアゴでこき使うようになってもなんたって絶世の美女だから、なかなか女タラシの珍品堂はそれに対して反抗出来ないのよ。その上この蘭々女史はどうやら同性愛の気味があるようで!?彼女が可愛がっているカワイイ女中は側づきにされ、お給料もいいんだという。何をやらせてるのかってーと、お風呂で足の裏を洗わせるシーンしか出てこないんだけど、でもそれもマニアックっつーか、やけに生々しいよねえ。蘭々女史が可愛がる女中は顔の可愛さもそうだけど結構みんなナマイキで、女中の間でもうとましがられるような輩。でもそのうちの一人に珍品堂もホレちゃって、夕暮れの空き部屋であの調子で手を握り、ひざを触り、「蘭々女史は君に何をさせるんだい」なーんて言っちゃって、この女中も「ヤだ、そんなことおっしゃるの」とか言いながらケラケラとカワイイ顔して笑い(この台詞の応酬は、あー、絶対それ以上のことをやってんだなーとか想像させて生々しい)、流れに流されて珍品堂に押し倒されちゃう(オイー!)しかし途端にパチッと電気がつき(爆笑!)二人が慌てて身を起こすと、ベテラン女中がじとーっと二人を見てきびすを返して去って行くという……(さらに爆笑!)色っぽい含みもふんだんにありながら、笑わせることを怠らないあたりがスゴいんだよなー。

思えば珍品堂は、女たちから対等に扱われることが決してないのよ。これだけ女好きなのにさ。もう一人の蘭々女史お気に入りの女中にも、彼女がさしでがましいことをしたから珍品堂は呼びつけて怒るんだけど全然意にも介さず、「だってえー」みたいな調子で彼のタバコを勝手に吸って、「すいませんでしたあ」みたいに心にもない調子で言い、さすがの女たらしの珍品堂もトサカにきちゃうんである。でもこの超ナマイキな態度に珍品堂の歯が全然たたないのもおっかしくてしょうがないんだよね。森繁久彌には女たちをイヤに見せずにみんな可愛く見せちゃう、そんな才能もあるんだなあ。これぞ真の女たらしよ。
そうそう、そもそものキッカケであった愛人もね、珍品堂が料亭にすっかり入れ込んじゃったこともあってご無沙汰になっちゃって、九谷がもともとこの愛人と懇意だったこともあり、彼女もまた九谷側に引き入れられちゃってグルになってるのね。珍品堂はすっかりほったらかしにしていたから大きなことは言えないけど、でも彼がいろいろあって意気消沈してこの愛人に電話をかけてきた時(最終的な意気消沈、じゃないのよ。それは奥さんでなきゃダメなの!)彼女は九谷とどこぞかへシケこんで朝帰りしてきたところ、ってなワケ。
しかしね、冒頭、まず珍品堂の女たらしが示されるのがこの愛人とのシーンなわけで、それがいきなり先制パンチだったんだよなー。彼女と出かける約束をしていたのに、骨董鑑定に呼び出されてスネる彼女の後ろから、あの調子でさりげなーくうなじやら耳やらをさらりとくすぐるように触りまくる(愛撫、なんてイロっぽい言葉は使いたくないわ(笑))その手馴れた様で一発、この男が筋金入りの女たらしだってことが判るのよ。手やら太ももならまだわかるけど、うなじやら耳やらよ!なんつーかねえ、これはやはり、現在まで続く森繁久彌の地なんじゃないかと思っちゃうぐらいなんだけど。ここまでくるともはや名人芸だよなあ。

んで、蘭々女史があまりに横暴な態度をとってくるんで、従業員たちのガマンも限界に達し、ストライキ決行!なんてことになっちゃう。女中たちの中には蘭々女史の腹心も数多くいるものの、大多数は支配人の珍品堂の味方なんだから!と彼がどんなに落ち着けと言っても、一度ついた火はなかなか消えないんである。オカシイのがね、その音頭をノリノリで取ってるのがぜーんぜん関係ない、料亭に出入りしている呉服屋のアルバイト学生であって、それが高島忠男なのッ!森繁久彌と違ってどんなに若くても彼は一発で顔が判る。いやー、それにしてもこの青二才っぷりは見てるこっちがハズかしいよなー。

でもこのすべてが策略だったのだ。確かにストライキで盛り上がっている従業員たちの心は本当だったんだろうけれど、そこまでやらされてしまった、というのが本当だったのだ。理不尽な理由で会計係を解雇した蘭々女史、そしてさらに彼女にそう仕向けた九谷はこうなるのはお見通しで、このストの首謀者がいつのまにやら珍品堂ってことになってて(まあ……そりゃそうだよね。彼は支配人だし、名ばかりの顧問である蘭々女史を追い出すストライキだったんだもん)彼の方が辞職に追い込まれてしまうのね。珍品堂がやりたいと思って始めて、心を砕いた料亭だったのに、結局利用されるだけされて、蘭々女史に取り上げられてしまった……と思っていたのが、味方であるはずだった九谷が全ての糸を操っていて、九谷に取り上げられてしまって、彼女までもが珍品堂と同じく放り出されてしまった、のだ。しかし九谷というのも律儀な人物というか、この辺がタヌキなんだけど、珍品堂が料亭につぎ込んだ資金に関してはそのまんま返してくる。何かかえってハラが立つけど。でも珍品堂はなんだか気が抜けたみたいに、あれほど熱を入れていた料亭を素直に手放してしまうのだ。

そうそう、何か話がとんじゃってたけど、あの珍品堂がホレこんで手に入れた白鳳仏、ね。実はニセモノだったっていう話があってね。彼の信頼筋の人からそんな話を聞かされて、まさか自分が買ったなんて言えない珍品堂、目が泳いじゃって泳いじゃって(笑)、もー、こういう細かいところまで上手すぎの森繁久彌なんだけど!とにかく彼は自慢の鑑定眼まで衰えてしまった、と意気消沈しちゃうんだけど、全てが終わって、妻の元にしおしおと帰ってきて、言うのね。「こういう風に落ち込んだ時、俺はいつもどうしてたかな」「……博物館、とかに行ったんじゃないかしら」ああ、この場面もホント、好きなの。抱き合うまではしないけど、あの女たらしの珍品堂も妻に対してはそんな狼藉はしないんだけど(というのもおかしな話だけどね)、彼女の胸元にこうべを垂れて、そう、奥さんにだけは彼は素で落ち込んだところを見せるんだよね。それを見せられるのは奥さんだけなんだよなあ。

でね、夫婦二人で博物館に行くわけ。それまでの彼の周囲の喧騒がウソみたいに、ガラーンとした博物館を夫婦二人でゆっくりと回る。するとちょっと先に行っていた奥さんが、「あなた!」と慌てた声で呼ぶ。「なんだ、騒々しいな」彼は奥さんのいる方向へ歩いていく、と!ガラスケースに大切に収められているそれは、珍品堂が手放したあの灯籠だった。
「博物館にあったのか……」驚く珍品堂。そりゃそうだよね。普段金持ちの見栄っ張りでやりとりしているような品が、よもや博物館に買われていたなんて。
奥さんが、説明書きを読む。「近い将来、国宝に指定されるのは間違いない、ですって。あなた、やっぱりあなたの目は確かだったのね」と喜んで顔をあげるとそこには夫はいなくって。
珍品堂、走りに走る!「自分がホレたものは、にらみつづけてホンモノにしてやる!」そう、あのホレこんだ白鳳仏を取り返しにいくんである。あの九谷の屋敷で再会した蘭々女史に、私も騙されたのだとしなだれかかられるのだけれど、珍品堂、そんな彼女になんか見向きもしない。もともと彼はニセモノかホンモノかなんて部分で骨董にたずさわっていたんじゃなかったんだもの。どうしてもホレこんでしまうものを手放せないだけ。彼がホレこむものが、全て見事なホンモノだったというだけ。彼がホンモノだといえばろくに見もせずに手に入れてしまう金持ち達、というあの冒頭の描写は、このラストへと見事につながっていく。

加えて言えばやっぱりこれはさ、奥さんもホンモノだってことだよね。乙羽信子、すっごくイイんだもの。ハデで華やかな女たちの中で、しかもヒロインはハッキリ蘭々女史(淡島千景)なんだけど、いつも地味な服を着て、落ち着いて柔らかな雰囲気が逆に際立つ。ダンナが女たらしなのもちゃあんと承知で、でもそれに冷ややかなんじゃなくて、彼女もまた、自分がダンナにホレていればいいんだ、って思ってるんじゃないかって、感じるんだ。珍品堂の骨董に対する思いみたいにね。
森繁久彌、この人って顔は地味なんだけど、たぐいまれなる演技力と、そしてこれは彼以上の人は出まいと思われる、これぞ女たらしの真骨頂で(彼を見ると、石田純一あたりなぞエセものだよなー)、不世出の役者なんだなあ。ああ、もっと昔に生まれて出会いたかった!★★★★☆


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