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「ね」


2004年鑑賞作品

ネコのミヌースMINOES
2001年 89分 オランダ カラー
監督:フィンセント・バル 脚本:タマラ・ボス/バーニー・ボス/フィンセント・バル
撮影:ウォルター・ヴァン・デン・エンデ 音楽:ペーター・フェルメールス
出演:カリス・ファン・ハウテン/テオ・マーセン/サラ・バンニール/ピエール・ボクマ/マリサ・ファン・エイレ/オルガ・ザウデルフック/ケース・フルスト/シャーク・ヴォンテルセ/ハンス・ケスティング


2004/4/23/金 劇場(ポレポレ東中野)
洒落たオープニングクレジットからセンスの良さが全開。ネコってだけで、いきおい点が甘くなってしまうのは否めないんだけど。だって、ネコ、ネコ、ネコー!あーん、お願い、触らせてくれえー!!最近河岸のネコちゃんは警戒心が強くなっちゃってちっとも触らせてくれないんだもの。誰かいじめたでしょう!それとも私が嫌われちゃっただけ?くすん。いや、そんなことはどーでもいいのだが。と、とにかく。確かにネコが出てくるだけでもうとろけちゃってメロメロなんだけど、無論それだけではなく、お話自体もすっごく、可愛いのね。最終的にはかなり徹底した勧善懲悪で悪者がこれでもかと懲らしめられるんだけど、それもまた御伽噺だからいっか、って感じで。やっぱり児童文学が原作の映画って好き。無駄なくキッチリまとまるから。可愛さもさることながらとても後味がいいのよね。

ティベは内気な新聞記者。人にインタビューすることが苦手で、今日もネコの記事を書いてきては編集長からしぼられている。そんな彼が出会ったのは、木の上……たかーいところに登っている女の子、ミヌース。彼女曰く「犬が来ると木に登っちゃうの」ええ?
この台詞だけ聞くと何ともシュール。何なんだ?と思うのだけれど、このミヌースはなぜかネコから人間に変身してしまった女の子なのだ。いや、それでもやっぱりシュールか……。
人間になってしまったミヌースは行くところがなくて、美味しそうなイワシの匂いにつられてティベの部屋の窓から侵入してしまう。そう、ネコのように(だって、ネコだったんだから)屋根づたいにスルリと。
町のニュースは何でも知っているこのミヌースにクビの危機を救われたティベは、彼女を秘書として住み込みで雇うことになる。

何から何までネコそのもののミヌース。屋根づたいに駆け回ったり木から飛び降りる時のしなやかさ、揺れるものについつい手を出してしまうなどのしぐさ、寝る時もダンボールで丸くなったり、シャーッと威嚇してひっかくのでさえ、もお可愛いくてたまらんのだわ。一張羅の緑のスーツだけでなく、彼女の持っているものはバッグからその中身のハンカチとかまで、何もかもがなぜか緑色だらけなのもキュート。
ネコと女の子って可愛さにおいてイメージが重なるところがあるじゃない?気まぐれで、つかみどころがなくて、きょとんとしたり、甘えてくるしぐさが可愛くて、ほっとけなくて。
こんな女の子、あるいはこんなネコならぜひ飼いたい!と思うわけよね。いや、女の子を飼うなんて失礼なもの言いだけど、でもミヌースは元ネコだったんだから、そんな風に思わせるところが何ともたまらないというか。
児童文学の形を借りながら、世の女の子好きの願望を叶えているところがニクいじゃないの!

ミヌースのおかげで、どんどんスクープをものにしていくティベ。彼自身、ミヌースにだんだん惹かれ始めていた。……この時にはまだまだ気づいていなかったんだけど。
だけど、ミヌースがかぎつけた、町の有力者、エレメートさんが悪人だという話には、ティベは難色を示す。ミヌースに言われて彼に取材に行ったものの、イイ人の、というよりこの場合単純なティベは海千山千のエレメートさんにすっかり丸め込まれ、彼をいい人だと信じ込んでしまうのだ。
ミヌースともすっかりケンアクなムードになってしまうんだけど、とある事件に遭遇してティベもエレメートさんが悪人だということを確信することになる。
ただ、証拠がない……でもティベは自分の信念を貫いて記事を書き、その結果、それまでのティベと同じようにエレメートさんをいい人だと信じきっている町の人にソッポを向かれてしまい、あまつさえ新聞社もクビになってしまうのだ。
ここはね、ちょっとヘンなんだけど。だってティベの記事をトップにすることにゴーサインを出したのは一体、誰なの?編集長はエレメートさんの工場の広告が入らなくなると激怒し、同僚たちもなぜこんなデッチアゲを書いたのかといぶかるし。何かね、ここだけはちょっとヘンなんだけど……まあ、いいか。

ティベの心意気を無駄にはするまいと、ミヌースの呼びかけに応じて町のネコたちが大結集する。おお!これぞ、世にいうネコ集会!加わりてー!
ここで決定したのは、動物友の会の会長職におさまりながら、実は動物も植物も大っ嫌いなエレメートさんを陥れる作戦なのだ。
仔ネコは平気でゴミ箱に捨てるし、植物の鉢にタバコの吸殻をねじ込むし、といったエレメートさんの本性をこの時点で町の人たちは誰も知らない。動物好きの町の人たち(住人たちは、市長さんを筆頭にネコ好きが多い雰囲気)を彼は欺いて、自らの工場拡張計画を実現しようとしているのだ。

ここでミヌースとともに大活躍するのが、ティベの住むアパートの大家の娘のビビ。この子がまた、可愛いのよね。ティベのことが好きだったから最初はミヌースに嫉妬してたんだけど、ミヌースがネコ語を喋れる……ひいては元ネコだと知って大尊敬、たちまち大親友に。おしゃまで正義感が強くて行動派のこの女の子が、内気なティベと人間になりたてのミヌースという危なっかしい二人が主人公の物語を、きちっと締める脇キャラクターになっているんだな。

ゴミに捨てられそうになった仔ネコのくだりはドキドキしたなあー。そりゃ助かるとは思ったけど、こういうタイム・アクションもきちっと入れてくるところもエンタメとして重要な部分。町中のネコが捜索に乗り出し、見つけ出したネコがミヌースとビビを呼びに来るんだけど、ホラ、ネコが通れるところでも、今や人間となってしまったミヌースと、元から人間のビビは通れないじゃない。それで時間を食う上に、苦手な犬に遭遇してしまうのね。でもミヌースは勇気を振り絞って見事、この犬を撃退、仔ネコたちを助け出すんだな。今思えばこの時こそがミヌースが本当の意味で人間になった瞬間だったかもしれない。

全てがバレて町の人たちからつるし上げられるエレメートさんは、でもここまでくるとちょっと可哀想な気もする……のは大人の感覚なのかな。だって追いつめられてもなおエレメートさんはおごった毒舌を吐き、住人たちからブーイングの嵐を受けるんだもの。……何もここまで完璧に嫌われキャラにしなくてもとついついオトナになってしまった私は思ってしまうんだけど、そこをあいまいにしちゃこのファンタジーは成立しないのかもしれない、確かに。でもさ、夫人にまでアイソつかされるんだよね。「私には私の人生がある!」って。完全に、このエレメートさんだけが自業自得って感じで落とされるというのが……可哀想なんて思っちゃ、いけない?
例えばさ、これからはこんなのナシにしましょうとか、ティベとあたたかく握手するとかさ、何かそういうのを知らず知らず夢想していたみたいなのね、私。悪人やっつけてバンザイ!っていう話に、昔のようにモロ手をあげられなくなってしまったのは……純粋なイイ人には絶対なれない自分を言い訳してるのかしらん。

地元の新聞、ローカルな話題がトップ、というようなノンビリした雰囲気が何とも好き。ティベがネコのニュースを書いてきてもいいじゃない、と思ってしまう。それにネコたち。ミヌースが人間になったから人間の言葉が判るというよりも、もともとネコは人間の言葉が判ってるって気がどうしてもするわけね、普通に。それがこういうノンビリした雰囲気の中ではミョーにリアルに感じるワケ。だって、ネコの演技が凄いんだもん。口の動きはそりゃCGだろうにしても、気まぐれなネコをよくあそこまでいうこときかせたなあ。犬なら判るけど……この映画の一番の凄さはそこかも。
そして、ミヌースは人間でい続けることを選択し、ティベと結婚!ファンタジーの最強のハッピーエンドね。ああ、スッキリ。

時間が間に合ったんで吹替え版で観たんだけど、これもまた正解だった。ミヌースには室井滋。「ファインディング・ニモ」での好演(怪演?)も記憶に新しいこの人の声は、凄く人好きがするというか、人なつっこいというか、このネコから人間になっちゃった女の子、ミヌースに見事なばかりピッタリなのね。こんな特徴的な声だったかなあ、この人、とも思う。意識的にキャラで声を変えてる?実はかなり声優向きかも!
そして心優しきティベには利重剛。あのね、この人はね、本当に性格そのものが出てるのよ。だって利重さんってホント全身イイ人って感じなんだもん。あ、利重さんだったんだ!って思ったらもの凄く納得しちゃった。監督業よりこっちの方が合ってるかも?(いやいや、そんなこと、ありません!)★★★★☆


猫は、なんでも知っているTOY LOVE
2002年 88分 ニュージーランド カラー
監督:ハリー・シンクレア 脚本:ハリー・シンクレア
撮影:グラント・マッキノン 音楽:ヴィクトリア・ケリー/ジュースト・ランゲベルト
出演:ティーン・オゴーマン/ケイト・エリオット/マリサ・ストット/マイケル・ローレンス/ジェニヴィーブ・マックラーン/ピーター・フィーニー/クィントン・ヒータ/ミリアマ・スミス/キム・ミハリス/ローズ・マックィーバ

2004/6/29/火 劇場(シネセゾン渋谷/レイト)
タイトルに猫、とつきゃあ、もうもちろん、てなごとくに足を運んでしまうんだけど、ここに出てくる猫は生猫?ではなかった。ぬいぐるみ。持ち主の女の子が男とセックスする時に、いつも見守っているぬいぐるみ。彼女はそのぬいぐるみ君が見ていないとセックスしないのだ。
いや、そういう話はとりあえずはどーでもいい。違った。何でこの映画に足を運んだかには、もうひとつ大きな理由があったんだった。監督、ハリー・シンクレア!やあーっぱ、この人ぁ天才かもしれない、マジで。第一作「トップレス」で凄い!と思ったの。で、なぜか第二作を観逃してて、それを今になって激しく後悔している。本作、チラシのちょっとエッチなイメージとか、“巻き込まれ方恋愛”みたいな宣伝文句とか、的を得てないわけじゃないけど、それだけじゃこの映画に客呼べないよって!そんなのを軽く100倍超えるほどの面白さなんだって、私は声を大にして言いたいのだー!

だってね、こんなメチャクチャなラブストーリーって、アリ!?私はただただボーゼンと口を開け放つばかり。まるでジェットコースターにムリヤリのせられてゴールについた、ほどの気持ちだったよ!起こること起こること全てが、何でよ!ってぐらいの唐突で予測のつかないエピソードで、しかもこの間断のなさ、観客を休ませることぐらい考えてよ!と叫びたくなるぐらいなんだけど、こうなりゃ観客も覚悟の上で、このジェットコースターラブストーリーに付き合わなきゃいけないんだ。

だって、幾つかあげてみてもね、彼女がいる家でナンパした女の子とナニしようとしているところを見つかりそうになって、慌てて彼女に対して「だって、オレ欲求不満なんだよ!」と今度は彼女を押し倒してみたり、彼女に指輪を贈ろうとして覗き込んだディスプレイの横に飾られたセクシーランジェリーで浮気相手を思い出して、彼女ホッポリ出してそっちに行っちゃうとか、あ、このへんはマトモな方か……、丸焼きチキンをぶん、と投げてみたら、車の陰の女の頭に命中してぶっ倒れちゃうとか、なぜかマットが両足も乗らないぐらいに小さく切られてて、マットという言葉に異常反応し、「彼女、マットが大嫌いなの。でも必要なものでしょ」!?突然家に押しかけた浮気相手の誘惑に負けて、彼女が家にいるのに二階でナニしようとコンドームを取りに階段を駆け下りるとか、浮気相手と旅行に行きたいからと彼女に金を無心してみたり、あー、こう書いてみるとそれがどうしたと言われそうだけど、と、とにかくほとんど何の脈略もないんじゃないかと思うぐらい、こうした出来事が次から次へと押し寄せるのよ。こっちがぶっ飛ばされて倒れちゃいそうなぐらい。

そもそもは、ヤりたいってことしか考えてない、イーカゲンな一人の男、ベンの行き当たりばったりの行動がすべて。あるいはその彼と浮気する奔放で野性的な美女、クローの行動も火に油を注いでるのもあるか。ベンはエミリーっていうカワイイ彼女がいるのに(メガネかけて地味にしているけど、キレイなブロンドに色白でカワイイのよ)、彼女が何でかこの頃、ベンとどうにもセックス出来ないでいることに対する欲求不満から、もう手当たり次第浮気やりまくりなんである。そんな中出会ったのがクロー。彼女の魅力にヤラれちゃった彼は一度はエミリーと別れてみたりするんだけど、このクローの言いっぷりがふるってる。「恋人のいない男になんか、キョーミないの」!?

そもそも、エミリーと別れたのは、彼女がベンとはセックス出来ないでいるのに、そのウラで機械工のフランソワと浮気をしていたのを知ってしまったから。んでベンは激怒して、家を出て行っちゃうわけ。自分はそれどころではない浮気を繰り返しているのに、まー、男なんてみんなそんなもんなのか、女の浮気にはヒジョーに厳しいのね。でもクローからそんな風に拒絶されて、つまりはクローに相手にされたいばっかりに、ベンはエミリーのもとに戻ってくるの。お前なー。
その時エミリーは浮気相手である心優しきフランソワにプロポーズされてて、彼の大きな愛に応えようと思っていたところなのに、そこにこのアホ男が乗り込んでくるのよ。何て言ったと思う?「君のしたことは最悪だ。間違っている。でも許す」お前ねー、お前ねー、その言葉、そのまんまテメーに返すっての!しかもフランソワがエミリーにプロポーズしたと知ると負けじと「結婚しよう」お前ねー、それってつまり、負けず嫌いと、クローとの関係を維持したいってだけなんでしょーが!

あーあ。絶対真摯に愛してくれるフランソワの方がいいのに、なぜだかエミリーは……まあ、これは惚れた弱みというか、恋の気持ちの不可思議というか、やっぱりまたしてもベンの方に行っちゃって。いや、最後の最後、最終的にはおさまるべきところにおさまって、エミリーはこの広い愛のフランソワのもとに行くんだけれども、ホントそこまでに何度もこのアホ男との間を行き来するのね。どーう考えてもフランソワの方がいいに決まってるんだけど。
だってね、エミリー、このアホ男との恋愛に疲れて、発作的だろうとは思うけど、睡眠薬自殺まで図ろうとするのよ。だってムリもないよな。このプロポーズの直後に、ベンってばディスプレイのランジェリーで唐突にクローを思い出して、彼女のもとに行っちゃって帰ってこないんだもん。エミリーがベンのためにステキな服を選んでいた間によ。ベンに再三、昔はもっとキレイにしてたとか言われていたエミリーが、彼のためにと頑張っている間によ。エミリー、キレイにしなくったって充分キレイなのに。そのことをフランソワは判ってたのに。なのになのになぜかやっぱりこのアホ男の方が……好きなのね。

んでさ、ベンはエミリーが薬飲んで床に倒れているのを発見して動揺して、自分も床に転がっている薬をかき集めて飲もうとするんだけど、ぶはっ!出来ねえ!とばかりに吐き出しちゃうの。ヘタレ……つーか、さっさと救急車呼べばいいのにそれも怖いんだか出来なくて、あのフランソワに何とか連絡して、自分は部屋の片隅でぶるぶる泣いてるわけ。ヘタレ、ヘタレ、ヘタレー!!
フランソワが運んでくれて一命をとりとめたエミリー。誰のおかげだと思ってんだか、ベンは単純に有頂天に喜んで花なぞ買いに出かけるんだけど、カネがなくてムリヤリ泥棒行為!しかもその間にクローの恋しているマット(これは人の名よ)を見つけて、すっかり頭の中からエミリーのことなぞ消え去り、クローとマットを結び付けるべく奔走しようとか考えて、マット夫妻の家に押しかけ、子供がいるのを見て取るとこれはオレの子だと突然言い出し(!バ、バカッ!)罪もない夫妻は離婚の危機に瀕しちゃう。ちょ、ちょっと、いくらなんでもやっていいことと悪いことが、って、ベンのやってることは何から何まで間違ってるー!

でもここでアッサリ奥さんを疑っちゃうマットもちょっとといえばちょっとだけど。「オレの子にしては色が白すぎると思ってた」って……クローはベンの行動に驚きながらも、沈んでいるマットをなぐさめていると、クローをとられたくないと思ったマット、二人の会話に割って入っちゃう。で、当然ウソがバレバレ。ベン……お前……何のために行動してんのか判んなすぎ……考えなしすぎだよ……。で、チキンなげて奥さんに命中しちゃうし!何やってんの、オマエ!

もう、一事が万事、こうなの。ベンのやってることは、正しいことなんて一割もないんじゃない?でもね、何てヤツだと思うし、コノヤローって思いそうになるんだけど、思っていられるヒマがないの。だってこんなぐあいに、いつでも猪突猛進に思いついたことを突っ走ってっちゃうから、目を丸くしてそれについていくのが精一杯なんだもん。それに……確かに間違ったことばっかりやってるけど、彼はそのつど彼なりに本気というか、恋に対して、あるいは恋している人に対してすっごく必死だから、どんなにイイカゲンでも彼自身にとってはイイカゲンなつもりじゃないから……憎む気持ちを失ってしまうんだよ。確かにね、フランソワの方が人間的にも男としてもイイヤツ、それはそうなんだけど、言ってみれば愛する人をただただ待ち続けているフランソワは、寛容ではあるけれど受身であるとも言えるじゃない?彼女が愛する人のもとに行くのがいいと考える彼は、エミリーの幸せを考えているのはもちろんなんだけど、自分から積極的に奪おうということは……ないんだよね。だから、何度もベンにさらわれてしまう。

でもいくらなんでもベンに惚れてるエミリーでも、堪忍袋の尾が切れる時がやってくるわけで。だってそりゃあさ、クローと東京で遊んできたいから大金貸してくれない?だなんて、そりゃキレるよ。さらさらっと書いて手渡した小切手には、サインではなく「Have a nice day」の文字が。やっとか、やっとか、エミリー!そんなヤツのために泣きながら荷物焼いたりする必要はナイんだよッ!
でもまあ……ベンもただクローと遊びに行きたいからってワケでもなかったんだけど。クローが別の男と東京に旅行に行っちゃうっていうんで、例によってまたそれで頭に血がのぼって,止めに走ったってワケ。つまりはベンもこの辺がいくらなんでも年貢の納め時というか、クローが相手になるわけ、ね。……最初っから最後の相手が判っていれば恋愛もこうややこしくなくてすむのになあ。

クローが旅行に行こうとした相手は妻子持ち。何たってクローは恋人のいる男じゃなきゃヤダっていうコだから。ベンは最初に駆けつけたその男のうちで娘さんに出会い、ママはパパを信じ切っている。浮気なんて許せない!というそのコと奥さんとをともなって空港に押しかけるわけ。この女の子もねー、おもしろいのよ。テンパったベンがしきりにFワードを連発するのを、汚い言葉を使っちゃダメ!とたしなめるんだけど、自分の父親が浮気しているらしいと聞かされると、ファー!ファー!とその言葉を言いたくて仕方ないわけ(笑)。でも空港で母親がこの不倫夫にファック!と浴びせると、ニッコリ。離婚が成立して、ベンが慰め顔になると「だって、実の父親じゃないの」……女の子にゃ、カナワン!

しかしこれでいよいよクローはその男と旅行に行くことに決定してしまった……。でもクロー、いざ乗り込もうという時、ふと気がついたように言うわけ。あ、フランク(猫のぬいぐるみ)忘れた、って。あれがないとセックスしないっていうのはこの男も知っているから、車に置き忘れたんだという彼女の言葉で走ってく。その間にクローはそのへんにウジウジしていたベンを呼びつけて、この男のパスポートで一緒に行きましょ、と誘うの!おいおいおい、そんな、明らかに写真と顔違うだろう!「あなた、役者でしょ」そうだった……一応ベンは役者なんだった。でもサムーいホームセンターのCMにしか出てないけど(ホントサムいCM!)少々逡巡するベンだけど、トライして、何と成功してしまう!うっそお……でね、飛行機のトイレの中でさっそくプレイ開始。そこでか?そこでヤるのか!?そりゃ、猫のフランクは見てるけどさあ……。なぜアイツをフッたのかと問うベンに、だって、私は恋人のいない男なんて相手にしないから、とクロー。自分だってフリーなんだけど、とベンが言うと、クローはニッコリ「いいの、だってあなたは自分のことが一番好きでしょ?」な、なるほど!でもそれはキミもそうでしょ……あ、つまり、似た者同士だからいいってことなのかあ。

ま、ね。クローはマットと話している時既に、ベンに気持ちが傾いていることをほのめかしていたし、ね。し、しかし……はあーあ、ここに行き着くまでにこんなに展開踏まなきゃいけないのお?つ、疲れた……。でもさ、こんな風に恋に必死になれるのって、ゼイタクで理想的なことなのかもしれないって思う。そりゃあここまでやれば、後悔もしないだろうさあ。本気よりも浮気の方に必死で、どっちが本気なのよ!って思ってたら、ホントに浮気が本気になっちゃうなんて、ここまでやってくれりゃ、もうしょうがないかなって思えちゃう??かもだもん。でね、何かエッチっぽい映画みたいに宣伝されてたけど、これがそうでもないの。そのものの場面は生々しく描かれたりは全然してない。というか、未遂の方が多い(笑)。ヤる時もあっという間だし。恋愛とセックスの関係を、これほどまでに明確にあらわした快作もないんじゃなかろーかって、思うのね。セックスそのものの描写におぼれてないから、すっごくドライに見られるからだろうなあ。

それにしても、クローのおっぱいのかたちは、良かった(これで〆かい!)★★★★★


ネバーランドFINDING NEVERLAND
2004年 100分 アメリカ=イギリス カラー
監督:マーク・フォースター 脚本:デイヴィッド・マギー
撮影:ロベルト・シェイファー 音楽:ヤン・A・P・カチュマレク
出演:ジョニー・デップ/ケイト・ウィンスレット/ジュリー・クリスティ/ラダ・ミッチェル/ダスティン・ホフマン/フレディ・ハイモア/ジョー・プロスペロ/ニック・ラウド

2004/11/29/月 試写会(霞ヶ関イイノホール)
あれえ?そういえばピーター・パンってどんな話だっけ……とか考え込んでしまう。というより、私マトモに読んだ記憶がないような……ピーター・パンとウェンディとティンカーベルというキャラ名、そして昔見た映画(しかも年老いたピーター・パンっていう設定の……)もあんまり思い出せない。でもピーター・パンって、ピーター・パンシンドロームとかいう言葉もあるし、色々と人の形成にも影響を与えているんだよなー……ところで。
そういやあ、私、作者の名前も知らんかった。なんか、グリムかなんかの童話系の話かと思ってた……。
……うーむ、この映画を観る前提知識があまりにもなさすぎる……。
「ピーター・パン」の作者、ジェームズ・バリは、なんか、あの、その……いわゆる少年愛嗜好だという説があるんだという。さすがに本作の中にはそんな話は出てこないけど。あ、そういやあ、上映終了後、後ろのご夫人のこんな会話があったなー。
「マイケル・ジャクソンもネバーランド……だったよね」
「やっぱり(ピーター・パンが)好きなんじゃない」
うん。そうですね。好きなのはやはり少年が……バリと同じく?うおおっと、ヤバい。

スランプに陥っていた劇作家、ジェームズ・バリが、四人の男の子とその母親と出会ったことで、あの傑作「ピーター・パン」を生み出すという物語である。……これはどこまで史実が入っているのか全く入っていないのか、気になるところではあるけどちょっと判らない。何にしても、あのファンタジーの王様のような話には、もっと深い、喪失の物語がその根底にはあったということなんである。
バリがピーター・パンとしてインスピレーションを得たのは三男のピーター。父親を亡くして間もないこの男の子たちの中でも、繊細でそのトラウマを大きく抱えていた。子供らしく遊ぶこともなかった。その彼の中にバリは幼き日の自分を思い出す。

バリは子供の頃、兄を亡くしていた。そのことで母は大きく悲嘆にくれ、生きている自分より死んでしまった兄を見ている。そんな幼き自分の姿を、バリはピーターの中に見出す。
……ということに解説はなってるんだけど、実はそれほど、このピーターに特に肩入れしているようにも見えない。描写としては割と公平。最初に登場するのは末っ子のマイケルで、まずこの子からしてメチャかわいいし、私は長男のジョージの、自分がシッカリしなきゃ、的なけなげな感じがイイなーと思ったしさ。
いやそのあたりは多分、バリの嗜好にピタリとくる年齢と風情がピーターだったということなんだろうけど(これまたヤバイか?)。いやいや!つまりは、自分と同じ、物書きの才能を彼に見出したことで、恐らくその世界に没頭することでトラウマを克服した自分を思い出したこともあるんだろうけれど。

そして、大人のウソに最初に敏感になる年頃、である。
一番年長のジョージは、大人のウソに、もう理解がある。自分たちのことを思ってやってくれているんだってことを、知ってるから。勿論、それに対して疑問は持ってるから、ハッキリ言ってほしいと詰め寄る強さを持っているわけだけど。
そう、ジョージのそうした、少年から大人になるシーンは心に響くのよ。さすが少年好きの、いやもとい作家のバリにはその瞬間さえ、ハッキリと見えるわけ。自分たちに病気を隠し続ける母親を心配して、バリに詰め寄る場面、バリはそんな彼をどこかまぶしそうに見て、たった今、君は大人になった、と言うのだ。

しかし何より本作がイイのは、バリと、この四人の男の子たちの母親、シルヴィアとの親愛の関係なんである。不可能と世では言われる男女の友情。ま、バリはなんたって少年愛嗜好なんだから、そりゃ可能だろうとは思うけど(って、それはここでは言っちゃいけない?)。彼女の死後(そーよ、死んでしまうのよ。唐突にネタバレだが)、バリはシルヴィアの母親に彼女を愛していた、と一応(って感じに思えたなあ、私には)言いはするけど、正直そんな感じには見えなかったし、違うと思った。
違う方が絶対、いい。男女の友情はあると信じたい。
うーん、でも、やっぱり友情と言うよりは親愛かな。愛情とも友情とも分けて考えられないような親愛。その方が深い気がする。
あの愛しき子供たちもひっくるめた、あるいは愛しき子供たちが糸を引いてくれた、かけがえのないバリとシルヴィアの関係。
信頼しあってて、尊敬しあってて、この人を助けてあげたいと思う気持ち。
何たってシルヴィアを演じるのがケイト・ウィンスレットだから(もちろん、ジョニー・デップだから、とも言えるけど)男女の友情も成立するって思わせてくれるんだよね。でも、ケイト・ウィンスレットが病気で薄命、というのはたくましすぎて似合わなさすぎだけど(笑)。だって四人の男の子をキッチリ育ててる肝っ玉母さんなんだもん。

子供たちと一心不乱に遊ぶバリ。
子供たちに、子供時代の素晴らしさを教えてあげたいと思ったのも確かにそうだろうけれど、それ以上にバリ自身が少年のまま大人になってしまった人なのだ。
遊んでいる場面が、空想たっぷりのものとして提示される。それは、真剣に遊べば遊ぶほど、リアルに感じることが出来る夢の世界。
……というダンナを持った奥さんのメアリーはいくらなんでもカワイソウなんだけどね。
なんでこんな冷めた夫婦になっちゃったの……まあ彼が創作活動に没頭するあまり、だったんだろうけど、それでもシルヴィアとその子供たちには興味を向けるわけでさ。いくら子供たちが一緒とはいえ、別の女のところに悪びれもせず入り浸りじゃあ、彼女だってどうしたらいいのか判んなくもなるじゃない。男女の友情、そりゃそうだとは思うけど、どちらかがコブつきの場合は、そろって友情しなけりゃやっぱり……破綻するよなあ。
ほっときすぎなんだもん……バリってば。あれだけ子供たちと楽しげに遊ぶバリなのに、メアリーとの間に子供がいないのは、子供を作る雰囲気さえ、この夫婦の間には感じられなくて。
まあ、シルヴィアとの間にだってそういう空気は全然なかったけどね。うーん、やっぱり少年趣味なんだろーか……。

メアリーがシルヴィアの母親で社交家のモーリエ夫人に野心から近づこうとしたっていうのも、それほど強烈には感じなかった。むしろ、社交づきあいのあまり良くない夫のために、って感じがしたくらい。
現実に重きをおかない夫と、夫のためも含め、現実をしっかと見ている妻。
その点においては、シルヴィアだってそうだったと思うんだけどなあ?
そりゃ、不倫もするよな……だって新作は、バリが入り浸っていた家族からインスピレーションを得た物語。それなのに浮気したメアリーを責めるような顔のバリにちょっとなあ、と思う。それでもメアリーはちゃんと夫の新作の舞台を見に来る。「来てたのか」というバリに「あなたの作品は必ず観るわ」とメアリー。
……いい奥さんじゃないの。
でもここで、夫婦の関係は完全に終わりを告げてしまった。

この「ピーター・パン」は大絶賛を受ける。成功したバリ。忙しくなったバリは病気のシルヴィアに会いにもこないのだと彼女の母親はイジワル言っていたんだけど、違った。バリはシルヴィアのために用意していたのだ。彼女と子供たち(おまけで彼女の母親)だけの、おうちが舞台の「ピーターパン」。自分たちをモデルにしたこの舞台を、彼女は初日に観に行くはずだった。しかし咳が止まらず、行けなかった。夢のような妖精の世界に目をうるませるシルヴィア。「妖精を信じる人は手を叩いて!」とのピーター・パンの呼びかけに、真っ先に手を叩くのは彼女の母親。あんなにもバリをうとましがっていたのに……シルヴィアを愛する気持ちは、バリと同じ、いわば同士だからということだろうか。
庭へと降りていくシルヴィア。輝く妖精たちが楽しそうに遊んでいる、そこはネバーランド。彼女がずっとずっと、行きたいといっていた場所だ。
そして、そう……シルヴィアはネバーランドへと旅立っていった。

シルヴィアが死んで、バリは今まで以上に子供たちの力になりたいと願う。でもそんなバリを誰あろうピーターが突っぱねるのだ。
自分たちの父親はひとりだけだと、あなたに父親になってほしくない。母は父だけを愛したのだと……。
ああ、男の子、だよねー……。本当の、本音は、死んだ父親、というよりは、母親には自分たちを一番に愛したと思いたいんじゃないかって気持ちが、見え隠れするんだもの。
でも、シルヴィアは自分の死後の後見人に、彼女の母親、デュ・モーリエ夫人と共にバリを指名していた。あなたに負担でなければ……と最初はガンコババアの趣のモーリエ夫人だったんだけど、それもこれも、孫たちを心配してのことだってことが、この時点ではよっく判ってるから。バリは喜んでその申し出を受け入れる。
ピーターはイイ子だから、すぐに自分がいけないことを言ってしまったことを悔いてバリに謝るんである。そんなピーターを抱き寄せて、バリは静かに話してあげる。
お母さんは、ネバーランドに行ったんだと。そしていつだって会いたい時に、会えるんだと。見えるんだと。
想像力豊かなピーターに対するにはもってこいの話だけど、「お母さんが見える」と涙を流しながら言うピーターは……この年の少年にしてはあまりにも理解がありすぎるけどねー。

豊かな表情をあえて見せずに、ヒネクレ者の複雑な内面を愛しく見せる役者、ジョニー・デップ。……日本映画向きかも、などとありえないことを夢想したりする。うーん、ジョニー・デップ好きさ。ここでの彼は割りとフツーだったけど。
ところで本作でジョニー・デップがオスカーの呼び声高し!とか言われているんだけど、ええ?なんで?とか思ってしまう。これって、賞取りタイプの映画かなあ。それにジョニー・デップはもっともっとスゴい人なのに。こういう役でもしかしてとっちゃったら、なんだかちょっとヤだなあ。
確かにこれほどの人なのに、さっぱりオスカーと縁がないのも不思議だけど。大体前回ノミネートされた映画も何か違うって気がする。彼はそういうところで勝負する人じゃないでしょ。オスカーと縁がなくてもそこがトム・クルーズと違うのさッ。★★★☆☆


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