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「め」


2007年鑑賞作品

めがね
2007年 106分 日本 カラー
監督:荻上直子 脚本:荻上直子
撮影:谷峰登  音楽:金子隆博
出演:小林聡美 市川実日子 加瀬亮 光石研 もたいまさこ 橘ユキコ 中武吉 荒井春代 吉永賢 里見真利奈 薬師丸ひろ子


2007/10/2/火 劇場(シネセゾン渋谷)
もちろん、誰もが「かもめ食堂」を心に抱いて劇場に足を運んでいるに違いない。同じスタッフ、キャストが揃って、予告編もあのほのぼの癒しの空気が充満していた。期待しないわけがない。
こういう場合、作り手としてはどういう思いでいるんだろう。いや、演者にしたって。いわゆる大型エンタテインメント映画のシリーズならば、ある程度の約束事をこなせば納得してもらえるという部分はあるだろうけれど、そういうタイプの映画ではないんだもの。
だけど、この映画のプロジェクトがいつ着手されたのか、「かもめ食堂」がDVDになった時にはもう特典映像で入っていたしなあ。
いずれにせよ、監督は多分、「かもめ食堂」を作った時点である程度の手ごたえを感じていたんじゃないかと思うのだ。それまでは秀作を残しつつも結構色々なタイプの作品を生み出してきてて、試行錯誤も感じられたけど、「かもめ食堂」でこれだ!と思ったんじゃないのかなあ。そうでなければ、ここまで徹底的にストイックになれない。
そう、コレは「かもめ食堂」がやっぱり根底にあるのだ。その観客が観に来ること、あるいは「かもめ食堂」の作り手としての自負を感じる作品。「かもめ食堂」に拍手を贈った人なら、皆まで言わずとも判るはず、という、観客への信頼を感じるんである。

それは、まさに私が「かもめ食堂」でグッときた、登場人物たちのバックグラウンドを語らないストイックさにある。
しかも、その「かもめ食堂」の彼らがむしろ饒舌だったんじゃないかと思うぐらい、本作の登場人物たちは自らの過去や状況を喋らない。一番ハッキリしているのはこの土地の高校で教師をしているハルナぐらいで、彼女にしたって最初からこの地にいるわけでもないらしいことが会話の中に匂わせられているし、つまり、どうやら皆、この地に土着した人たちじゃないらしいんである。
「かもめ食堂」では、何たって土地がフィンランドなんだから、そこに日本人というだけでその要素は際立っていたんだけれど、舞台を日本に移しても、彼ら流浪の民の孤独を背負った状況は変わらない。まさに、ガンコなまでに変わらないんである。

タエコを迎える宿のご主人、ユージも、春だけふらっと現われるサクラさんも、そして勿論タエコも、タエコを「先生」と呼んで突然訪ねてくる青年、ヨモギも、みんなみんな、一体何があってここに来たのか判らない。
ことに、春になるとどこからともなくふらりと現われ、海岸でカキ氷を供し、梅雨の雨が降ると共にまたいずれかへと去っていくもたいさんの胡散……いやいや、不思議さは群を抜いているんである。
ウソみたいに透き通ったスカイブルーの海、白い白い砂浜、そこは、「観光で行くところなんて、ありませんよ」とユージは言うけれども、それだけで充分な場所なのだ。
そう、たそがれるための。たそがれる以外、何も出来ないという、至上の贅沢。

ある日、光石研扮するユージ、市川実日子扮するハルナが空を見上げて、「来た」とつぶやく。小さな飛行機で小さな空港に降り立ったのは、もたいまさこ扮するサクラさん。
そして重そうなキャリーバッグを引きずって、ユージの経営するハマダ荘へやってきたのが、小林聡美扮するタエコ。
門柱にちっちゃく記された「ハマダ」の文字。「大きな看板を出すと、お客さんいっぱい来ちゃうから。このぐらいがいいんです」とユージは笑う。
ユージが彼女に与えた注意事項は、「携帯電話が通じないので、必要な時はここの電話を使ってください」ということ。そして、「今日は大事な人が来たので、夕食は外で皆と食べます」と、重箱を詰めていた。タエコはそれを美味しそうに見ていたんだけれど、遠慮した。するとユージは特に引き止めることもなく、「そうですか。じゃあ冷蔵庫の中のもの、適当に食べていてください」と出て行く。なんだか勝手が違う。運んでくれる筈のキャリーバッグも玄関に置きっぱなしだし。
という具合に、タエコは当初、ここの人たちのマイペースっぷりに、少々戸惑いを覚えていた。
観光に行こうと思うと言うと、「ここには観光できるところなんてありませんよ」とそっちがビックリしたみたいに言われるし。
「じゃあ、ここに遊びに来る人は、何をしに来るんですか」タエコは聞いてみる。
「たそがれに来るんです」

彼らはたそがれるという言葉をこともなげに使う。普通はそんなに使わないだろうと思う言葉が、ここでは日常語なのだ。
たそがれる、という言葉は、なんとなく夕方を想像させて、だからタエコも、夕焼けにならそんな気持ちを感じる、と言ったんだろうけれど、そしてそれをハルナに、案外ロマンティックなんですね、と笑われるのだけれど、この地では、ずーっとたそがれていられるんである。
最初のうち、タエコも時間を持て余して「……ムリ」と苛立ったりするのだけれど、でもいざ宿を替えてみると、それこそがこの土地での正しい過ごし方だということを身に沁みて知るんである。
この地には、宿は二つしかない。このハマダ荘と、マリンパレス。「私はここにたそがれに来たわけではないので」そう言ってマリンパレスに移ると言うタエコに、皆「マリンパレス!?」と驚きを隠せない。しかし人を強請することがないのが、このハマダ荘なのだ。「確かに、気分を変えるにはいいかもしれません」そう言って、ハルナはタエコを送ってくれる。

そのマリンパレス、名前だけではリゾートホテルのようだけど、ペンキのハゲかけたそっけないアパートみたいなところで、しかも午前中は畑仕事、午後は勉強会、そうやって感謝していただく食事は何より美味しいんですよ、とニッコリ笑う女主人(薬師丸ひろ子!)に、次の瞬間、ヒロインはきびすを返しているんである。そのあまりの早さ、後ろ姿でキャリーケースをガラガラ引く逃げ足に、思わず笑ってしまう。
しかし、ここまではハルナに送ってもらった。帰り道が判らない。携帯も通じない。道なき道をひたすら歩く。日もかげってくる。
ユージもサクラさんもハルナも、タエコがいずれ帰って来ると思ってた。送り出す時、ユージは「それでは、また」と言っていたし。まあ、こんなに早いとは思ってなかったかもしれないけど。だって、タエコは何より、このハマダを目指してきた。迷いもせずに来たんだもの。
ハマダ荘に来る人は、大概、迷うんだというんである。ユージの地図があまりにアバウトだから。でもタエコは迷わなかった。そんなタエコにユージは、「才能ありますよ。ここにいる才能」と言ったのだ。そのことを、ハルナは「迷わずにまっすぐ来れたのは、3年前の私以来の快挙なんですよ」とタエコに教えてくれた。
実はそれは、後にタエコを訪ねてくる青年、ヨモギもまたそうなんだけど、それは後述。

さて、マリンパレスからの道に迷い、途方にくれかけたタエコが、ふと自転車の音に気付く。その方向に目をやると、サクラさんがキコキコ自転車をこいでくる。タエコの視線のちょっと先で、キキッと自転車が止まる。サクラさん、ゆっくりと振り返る。その顔は相変わらずもたいさんで、別にことさらに感情を込めているわけじゃないんだけど、判っちゃう。
乗んなさい。そう言ってる。そして、そんなキャリーバッグなんていらないでしょ、と。
ハルナに、ここでは本なんて読めないでしょ、と言われた。時間を過ごすために、タエコは読みたいと思っていた本をつめこんできていたのだ。でもここは、たそがれる場所。生きていくための最小限のことをすればいい。スパルタみたいな畑仕事も、勉強会もいらないのだ。タエコはキャリーバッグを置き去りにし、小さなバッグだけを持って自転車の広い荷台に後ろ向きに座る。おもむろに、ゆっくりと、走り出す。
ハマダに着いたのは、もう日も暮れた頃だった。

ところでね、本作、「かもめ食堂」とは、迎え入れる人と、この地に逃げ込んでた人が逆なんだよね。
自らに何かを抱えながらも、フィンランドの地に根付き、日本から何かに追われて来た女性たちを懐深く迎え入れるサチエさんだった小林聡美。
その、迎え入れられる側だったもたいさんが、彼女自身のまさに本領を発揮して、カリスマ性ただよう迎え入れる側に回った。
小林聡美もチャキチャキとしっかりしたキャラだけど、でも、もたいさんの泰然自若の前にはかなわない。というか、小林聡美ほどのチャキチャキを受け止められるほどの人物はもたいさんぐらいしかいないのだ。

サクラさんの自転車に乗せてもらったことを、みんなしてうらやましがったり、果ては嫉妬したりするのよね。ハルナなんてあからさまに敵対視して、「早くここに飽きて帰ってください」なんて言うぐらい。この地に来たばかりの加瀬亮扮するヨモギも、タエコがもたいさんの自転車の後ろに乗ったことを知ると、即座に「僕も乗りたい」と羨望の眼差しを向ける。な、何がそこまでも彼らにサクラさんを惹きつけさせるのか??
もたいさんは確かに、カリスマ性はあるかもしれないなあ。かなり異質なカリスマ性だけど(笑)。彼女自身、どうこうしようという意図や意思は全く感じられない。ただ春にここに来て、美味しい小倉のカキ氷を供して、そして梅雨に入ると去っていくだけ。

サクラさん、タエコの枕元に「おはようございます」とニッタリと笑って正座して待ち構えるんだよね。「朝です」と言って。
勿論この宿はたそがれの宿だから、起きる時間や食事も強制されるわけではない。もたいさんは独自に編み出したメルシー体操なるものを毎朝土地の人たちと海岸で行っているんだけど、それも強制するわけじゃない。食事を一緒にとるのも、強制はしない。
それこそ初日、タエコはそれを拒否して、しかし冷蔵庫の中にはいきなり生の魚が一尾バーン!と鎮座しているだけだったから、バナナをかじるしかなかったんだけどさ。
タエコに何があったのか、ホントに判らないんだよね。彼女はここに来ても一人の時間を大切にしようとするあまり、食事も皆と一緒にとろうとしないし。
もちろん、そんなことは強制しない。マリンパレスとは違うから。でもここで皆一緒に体操し、一緒に食事をとるのは、その皆一緒の時間が楽しいからだ。それ以外はみんな、“たそがれる”ことに努めるわけで、たそがれる時間があるからこそ、一緒にいる時間が別の意味でホッと出来るのだ。
つまり、一人じゃないんだってことを、感じられるのだ。本当に一人だったら、本当に孤独だったら、たそがれることなんて、出来ないのだ。
しかしタエコはたそがれることにすらうまくなじめなくて、「私はここにたそがれにきたわけじゃないですから」とマリンパレスへの移転を思い立つわけなんだけど、その日のうちに戻ってくる。そう、彼女もまた、たそがれることが目的だったに違いないのだ。

タエコを訪ねて、彼女を先生と呼ぶ青年が来るってことは、まあダイレクトに、彼女は先生なんだろうなと思う。だけど、20代半ばと思われるヨモギが先生と呼ぶって、何の先生なのか、恐らくハルナの存在が対照としてあるし、彼の高校時代の先生ではないかと思われる。大学だと教授と言うだろうしなあ。家庭教師というセンもあるけど、わざわざハルナを高校教師と設定した意味はここにあったと思うしさ。
だけどその先生を、なぜこんなところまで苦労して探しに来たのか、ただの先生と生徒って関係だけじゃありえないよね、などと思わず私は口元をおさえて、ムフフと下品な想像をしてしまうのは、悪い癖である。
でもまあ、それがそうであろうがなかろうが、二人の間に特別なものが流れていることは確実なんだし。
そしてラスト、一年後の春、サクラさんを迎えるべく、ユージ、ハルナと共に既に現地入りしている(ていうか、もしかしたらもう住んでるのかも)タエコの目には、彼女がたそがれ時に編み続けてプレゼントした長い長いマフラーを風になびかせたサクラさんと、その彼女に付き従うように歩いて来るヨモギとがいるのだ。
!!!なぜ彼はサクラさんと一緒に来てるわけ!?もしかして、タエコじゃなくてサクラさんとイイ仲になったとか!?って、私、俗な想像をしすぎだってば……。

その加瀬亮が、今回一番の発見だったかもしれない。いつもいつもせっぱ詰まって、今にも死にそうなテンションの加瀬亮が、こんな癒しな映画に出ること自体オドロキだったけど、その中でまさに彼はゆったり青年として息づき、そのダメダメ君なメガネも似合ってるし、小林聡美を先生、と呼ぶ微妙な関係にちょっとドキドキもさせる。
えええ!加瀬亮、こんなちょっとイイ感じの青年がハマっちゃうなんて!そりゃ彼は凄い役者だと思ってるし、大のお気に入りだけど、こんなんまでこなしてしまうとは恐るべし、恐るべし!まさか加瀬亮に癒されてしまうなんて!
でもやはりそれは、小林聡美がそうした年下青年とナチュラルに存在できる人だからなんだよね。色っぽいお姉さんじゃないのに、年下男にモテそうなのが判る気がする。ドーンと構えたお姉ちゃんみたいに頼りたくなる一方で、親しくなっていくほどに彼女が強がっているのが判るから、じゃあ今度は僕が!と思わせてしまうというか。
ヨモギは来た途端にここになじんじゃう。彼もまた、まるで迷わずにまっすぐここにきた“才能”の持ち主。たそがれることにもあっという間に慣れてしまう。「たそがれて飲むビール、最高です」砂浜でたそがれ中の先生に、ビール瓶を下げてやってくるんである。彼にかかってしまえば、たそがれが一人じゃなくちゃいけない、なんていうルールさえ、破られてしまうらしい。
でも確かに、確かにおいしそうだ……こんな、何も起こらない、時間が止まったような昼日中にビールをかっ喰らうなんて、夏中やりたい。

勿論ビールばかりじゃなく、「かもめ食堂」と同様、出てくる料理はシンプルながらやたらとおいしそうなんである。いわゆる家庭の食卓に徹底してる。焼きシャケ、目玉焼き、自家製の梅干し、味噌汁。朝食にトーストが出る時でも、ユージが丹精込めて漬けた梅干しはちゃんと食卓に登ってる。「梅はその日の難逃れ」と言って、自慢の梅干しを嬉しそうに勧めまくるユージ。見てるだけで、つばがわく。シンプルな食器がまた、シンプルな料理の素朴な美しさを際立たせる。
この、料理をする男、光石研のステキさときたらね!メガネも似合うしさ。
でもホント、なぜここに来ることになったのか、彼が一番謎なのだ。タエコに問われてこう言うのだ。サクラさんのカキ氷を食べなかったら、僕とコージはここにはいなかった、と。な、なぜ犬のコージがコミなのだ??でも、愛らしい柴犬のコージのことを、ユージは大事な友達を語るように話すのだ。コージは首輪もしていないし、いつも自由に放されてる。飼い犬という感じじゃない。そう、コージもここで、たそがれているのだ。
大切なものを隠すクセがあるんだけど、隠した場所を忘れてしまうコージ。そんなコージをユージは優しく見つめている。

カキ氷は苦手だと言ってサクラさんのカキ氷を食べていなかったタエコに、「食べてみるといいですよ、サクラさんのカキ氷。僕はあれで救われたんです」とニッコリとするユージ。
ある日、タエコは、砂浜にバラックを建ててカキ氷を供しているサクラさんのもとにやってきて、カキ氷を作ってもらった。ここに来る人皆にサクラさんはニッコリと笑って、「氷、ありますよ」と声をかけるのだ。カキ氷しかないんである。
「僕も!」背後からヨモギが声をかける。ハルナもやってくる。そして遅れてユージも。「あー、ズルい」そう口々に言いながら。もー、みんなサクラさんのカキ氷、というか、サクラさんが大好きなのだ。
ハルナなんて、高校教師なのにいっつも一息入れに来てるもんね。「あー、死にたい。カワイイ男の子がいないと、つまらない」なんて言って、遅刻もしょっちゅうだし。
でもそれって、以前はその死にたい、が本気で口にしていたんじゃないかという含みも感じる。今は口癖みたいに言ってて冗談ではあるんだけど、だからハルナがここに来た理由は、きっと凄く深いんだよな。
タエコはカキ氷をひと口、口に入れて、ほっとした、というか、はっとしたような顔を、波の向こうに向ける。
別にどういう味とか、説明されるわけじゃないんだけど、みんな食べてる間は本当にただただ黙って、無心に食べているし。
でもなんだか、判る気がするんだよなあ。

レトロなカキ氷機の風情もいい。それにカキ氷にお金は払わないのだ。皆、心を返していく。
判りやすく、野菜やお酒を置いていく人。幼い女の子は自分で折った折り紙を手渡し、氷屋さんは自分の氷と引き換えに食べていく。そして、ハルナとユージはマンドリン。
ま、マンドリン!?
二人デュオを聴かせてくれるのだ。ゆっくりとした潮風に、皆でたそがれる。最終的には、皆一緒でも、たそがれてるのだ。
お客がいない時のヒマ潰しに、サクラさんとユージは店先でオセロをやってるんだけど、サクラさんのコマ待ちに、ユージはマンドリンをつまびいているんだよね。しかもサクラさんの一手を、すぐに殆んどひっくり返しちゃって、ユージの白いコマで盤が真っ白になるのが可笑しくて。サクラさん、メチャメチャ弱いんだもん。で、またじーっと考え込むわけ。もたいさんが考え込んでいるだけで、可笑しい……。
タエコが、あの二人はどういう関係なのかとハルナに問う場面が出てきたりして、まさか夫婦?などと言うタエコはハルナに笑われるんだけど、「凄い関係ですよ」とハルナは言うだけで、明らかにはされない。多分、ハルナ自身も知らないんじゃないかと思う。だって、サクラさんの素性さえ、知らないんだもの。

話が飛んだけど……サクラさんがカキ氷に使う小倉をゆっくりと煮ている場面も出てくる。そこへちょうどタエコが遭遇する。人差し指を口に当て、ゆっくりとろ火でふつふつと煮ている小倉を、ここだというタイミングで火を消す。
「焦ることだけは、しちゃダメ」小皿に味見を載せてくれる。それを食べたタエコ、カキ氷を食べた時みたいに、ほっとしたような、はっとしたような顔で笑った。

いつもシンプルだけど時々はゴーカな食事も出てくる。ハルナがどっかからもらってきたいいお肉でバーベキューをしたり。
何より印象的なのは、ユージが突然、「そうだ!忘れてた。エビもらってたんだった」と言い出す場面。「(そんなことを)忘れてたんですか!」と驚くも、出てきたエビにまた驚く。なぜこれを忘れるんだと思うぐらい、巨大なイセエビ。蒸しあがって真っ赤に輝いてる。皆、歓声をあげてむしゃぶりつく。無言。美味しい証拠。これを忘れていたなんて!
こんな場面でも、エビをむくというただそれだけで、ちょいとした笑いを起こさせる小林聡美は、やはりプロのコメディエンヌ女優。それがまた可愛いんだよね。

タエコが、何故ここに来たのかと問われた時、それはつまり、何があったのかって意図の質問だったと思うんだけど、タエコはこう答えるのだ。
「携帯の通じないところに行きたいと思ったんです」
その答えには、凄く大きな意味が背後に含まれていると推測される。だって、それまでの人間関係を全て捨てて、ここに来たっていうことだもの。
その意味を感じとって、ふと黙る皆の沈黙を破るように、ユージはニッコリとした。
「そう、ここ携帯通じないの。いいでしょう。いいんですよ」

ヨモギがここに来た時、彼は飽きるまでここにいると言った。その言葉が気に入ったのか、タエコも飽きるまでここにいます、とハルナに言った。
でも、ヨモギは案外と早くこの地を去る。「先生、旅はいつか終わりが来ますよ。僕はそろそろ帰ります」と言い残して。
ただ一人、時間を持っているヨモギ。そんな気もしたけれど、でも彼もまた、この地に戻ってくるのだ。

ユージが描く、アバウトすぎる地図がたまらなく好き。それはこの作品世界を、一番言い当ててる気がする。道は山なりの曲線だけ。そして、「そろそろ不安になったところから80メートルくらい行ったところで、右に曲がる」などという表現に、最初こそ苦笑していたタエコだけど、彼女だってそんな程度の地図でハマダ荘にたどり着いたんだし、そしてこの地を去る時にはしみじみとその地図を眺めて、「慣れると意外と判るもんですね」と微笑むんである。
つまり、そんな地図で判ってしまうほどの、複雑さのないこの地のまろやかさと、そして突きつめてしまえば、どこに行ったって、そんな程度で判ってしまえることを、わざわざフクザツにして、悩んでしまってること。
それが判って、それでもちょっと疲れたら、ここに戻ってくればいい。ラスト、また全員が集まったみたいにね。

タエコが考えたカキ氷の対価は、この地でたそがれながら編み続けた赤いマフラーだった。別に何を作ろうとも思わず、ただ“街”のスーパーで山盛りの特売だったモヘアの赤い毛糸を買い込んで、ただただ長く長く編み続けていた。
ハルナがその網目がキレイに揃っていることをホメると、揃いすぎててつまらないとほどきかける。ハルナがそういう意味じゃない、と慌てて止めると、タエコはそんな彼女になぜか噴き出し、笑いこけた。
タエコに何かと敵愾心を燃やしているハルナが、タエコが傷ついたんじゃないかと思って慌てているのが、可愛かったのかな。
そして、その赤くて長い長いマフラーを、ラスト、また春が巡ってこの地に降り立ったサクラさんが、さっそうと首に巻きつけて、風になびかれて、現れる。素敵!

ところで、メインキャスト全員がめがねをかけてるがゆえのこのタイトルだけど、タエコがこの地を離れる時、車の窓から顔を出していたら、風でめがねが飛ばされてしまうんだよね。
あっという顔をするタエコだけど、でも取りに戻ろうともせず、ただ笑顔で前を向く。
それがなんだか、彼女がここでふき返した力のように思えた。★★★★☆


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