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コドモのコドモ
2008年 122分 日本 カラー
監督:萩生田宏治 脚本:宮下和雅子 萩生田宏治
撮影:池内義浩 音楽:トクマルシューゴ
出演:甘利はるな 麻生久美子 宮崎美子 谷村美月 草村礼子 斉藤暁 榎木兵衛 北見敏之 深水元基 森郁月 柄本佑 上野樹里 光石研 塩見三省
ランドセルに白いハイソックス、胸には安全ピン式の名札。ふっくらとした桃のような頬、大人の半分ぐらいの肩幅、その身体は赤ちゃんを産むにはあまりにも華奢で、想像しただけで怖くなる。
というか、一体なぜ、どんな経過でカノジョは妊娠してしまうのか。ひょっとしたら怖い思いをしてしまうのではないか、傷ついてしまうんではないか。
心の中にドキドキとした不安と、下衆な興味が広がる。
しかし、その全ては、まるであっさりとかわされてしまう。彼女、春菜は怖い思いもせず、傷つきもせず、友達みんなの力を借りて、堂々と赤ちゃんを産むのだ。
いや、傷つきもせず、なんて言ってしまうのは、よくないのかもしれない。
ただでさえ、傷つく年頃だ。今から思い返したって、小学生の頃なんて、すべてのことに緊張して、怯えていて、どうしたらいいか判らない時なんて、もう何度あったことか。
あの頃の時間は、一日一日が長かった。夏休みなんて永遠みたいだった。本当に、濃かったのだ、時間というものが。
それを考えると、彼女が十月十日(とつきとおか)を、特に最初のうちは誰も頼りに出来る人もいなくて、打ち明けられなくて、打ち明けた先生も信じてくれなくて、絶望の日々を送っていたその長さに、震撼とする。
もともと、春菜は現代っ子な感じはアリアリだった。
「皆、死ねだし」なんて大人がドキリとするようなことを平気で、不機嫌そうに言い放ったりした。
そんな言葉のトゲや重さにはまだ気付いていない幼さも感じながら、そんな言葉を吐いてしまう世界の汚さにも気付き始めている、みたいな。
でもね、なんか、なんか、そんなドシリアスは、ベタなシリアスは感じないのだ。
というかね、この題材を荻生田監督が撮ったこと、正直本当に驚いたんだけど、でも観てみたら、まんま、荻生田監督だった。少女への優しい視線が、更に幼い少女に降りてきただけ。なんかそう考えると、高校生から中学生、更に小学生の少女へと降りてきている。
そして彼の見守る少女はいつも、他の凡百の少女映画が陥りがちな色恋沙汰には無縁で、自らが直面する人生の茫漠とした人生に、心が折れそうになりながら、必死に踏ん張って両足で立っているのだ。
でもなんたって彼女は妊娠しちゃうんだから、その相手がいるんだから、そりゃあちょっとは色恋沙汰はあるというか。
でも春菜の相手となる男の子、ヒロユキは、そんな相手ではないんだよね。友達、いや、親友。でもそんな感じともちょっと違う……もっと安心できる雰囲気。
春菜は大きなお腹を抱えながらも、長身で野性的なカッコイイ男の子にちょっとした恋心を抱いたりもするし、ヒロに対してはそんな恋心とは全然違う部分で、それこそそんな恋の打ち明け話さえ出来ちゃうぐらいだし、本当に、懐に入っちゃうぐらい安心できる存在なのだ。
なんか、不思議なんだけどね、この設定も。だってこれからそういう身を焦がすような恋を知って、きっと失恋とかもして、世界が終わりかっていうぐらい苦しんだりもするだろうに、なんだかもはや、恋愛と結婚は違う、結婚するならこういう人、その彼の子供をお腹に宿した、なあんて流れなんだもの。
そんな風に、もう最初から未来の夫が決定付けられるぐらいに安心できる存在のヒロ君は、雪のような色白の従順そうな男の子で、なんだかもう、こっちがキュンキュンしちゃうぐらいなんだけど。
つまり春菜に比して思えば、かなり尻に敷かれるタイプと思しき、なんだけど。しかしそんな彼が、パパとなっちゃうわけである。
街が見渡せる高台、大きな木が、そよぐ風に緑の葉を気持ち良さそうに揺らしている。
タチションするヒロユキに“ヒゲ”を見つけて、春菜は笑った。ヒロユキも屈託なく、ホラ、動くよ、なんて言って。
すると春菜は、まるでおやつを食べようと言うような調子で言うんである。ねえ、くっつけっこしてみる?と。
そして、風をはらんだ大木は、ザワザワと静かに枝を揺らし続けた……。
そんな具合で終わってしまうのが、拍子抜けする?いやいや、そんな風にいつでもゲスな考えを持つ方がどうかしている。案外、今よりずっと若くして子供を持った古(いにしえ)の人たちは、こんなことだって、きっとあったかもしれない。
そんな風に思うぐらい、もしかしたら最も身構えていた部分がスルーされるので拍子抜けするんだけど、でも、そこに身構えていたなんて、とハズかしくも思うのだ。
だって問題は、これからなんだもの。
でもね、劇中、春菜の出産後にこの事実を知った父兄たちは、そりゃあ勿論、その部分にばかり目を奪われるのよね。先生が性急な性教育なんかをするからこんなことになったんだとか、これはれっきとした非行だとか。
妊娠、出産の部分じゃなくて、新しい命がこの世に生まれ出たという奇蹟の部分じゃなくて、セックスのことだけに、集中してるんだよね。
それは、私がこの物語に対峙した時に真っ先に思ってしまったことだから、大人の下衆さはそりゃあ、充分に良く判る。
そして、こうして、そうじゃない、春菜にとっては“くっつけっこ”であり、心から信頼し、安心できるヒロユキだからこそ、そんな思いつきが浮かんだであろうことが、なんかそれが、凄まじく羨ましく思うのだ。
そう、先生がね、このクラスを担任する若い女教師、八木先生が、父兄たちが問題視した“性教育授業”をするんだよね。
それというのも、クラスに産婦人科医院の息子がいて、彼が父親の仕事を拒絶していること、それはクラスの子たちがからかうことにあったりして、そしてそれは無論、世にはびこるセックスの扇情的な情報によるからであって。
八木先生は、命が生まれるためのセックスの正しい知識を教えたいと、慎重論の校長の反対を押し切って、授業を敢行してしまう。
彼女の気持ちはよく判るんだけど、扇情的にならないように、ことさらに学究的に説明する“コドモが出来るには”の授業は、結局は子供たちの好奇心を下世話な方向にあおることにしかならないのだ。そう、「先生も、その“気持ちのコミュニケーション”したの?」みたいなね。
彼女が、人間のセックスが動物と違うのは、そこに気持ちがあるから。ひとつのコミュニケーションだ、と言ったのは、後に父兄たちに糾弾されることになるんだけど、それこそ妙に高い棚に持ち上げてハレモノに触るように分けて論ずるから、ヘンなことになっちゃうってのも、事実なんだよね。
セックスは尊くて、そして同時に日常的なものであるべきだと。それは勿論、気持ちを共有する相手同士においてはってこと。秘密の部屋に閉じ込めるから、ヘンなことになっちゃうのだ。
なんかね、でも、凄い胸がいっぱいになっちゃったのは、そりゃ子供たちは、世の扇情的なことに敏感で、だから産婦人科の息子のミツオにも、春菜やヒロユキにも勿論、軽蔑の視線を向けていた訳なんだけど、でも、“実際”を体験すると、違うのだ。
いや、体験する前、春菜が本当に妊娠していると皆が秘密を共有した時から、彼らはエロを面白がる子供から、大人以上の大人に成長した。
それまでの間、ずっと春菜は一人で、苦しみ続けていて、恐らく急速な速度で大人に成長していったんだと思われる。
いつも仲良し三人組だった珠と真由は、近頃ヘンなことを言い出す春菜から距離をとるようになって、春菜はひとりぼっちだった。
浴衣を着てオシャレするのを楽しみにしていた夏祭りだって、せり出たお腹がバレないように、着れなくて、私服で祭りにいったら、二人は別のクラスメイトと仲良く群れてて、春菜に気付いても、視線を合わせようとしなかったのだ。
春菜にはお姉ちゃんがいて、高校生で、その友達の朋子が妊娠してしまうっていう騒ぎが持ち上がるのね。お姉ちゃんが彼女のカンパのために、親のカネをこっそりくすねちゃって、そのことが明らかになるんである
その朋子のこと、春菜はちょっと憧れてる雰囲気っぽかったし、彼女も春菜に優しくしてくれていたから、そしてつまり……同じ立場だったから、春菜は朋子の話を聞こうとする。
当然、産むんだと、朋子の赤ちゃんなら可愛いだろうと思っているところが、なんか切なくて。
つまり春菜は、お姉ちゃんがお金を集めているのは、彼女の出産費用だと思っている訳でさ。
でも朋子は春菜に、赤ちゃんをヘラでかきだす中絶を、赤裸々に語るのだ。それに12万円もかかるのだと。
それを聞いた春菜は、一体どう思ったんだろう……。
春菜がようやく得た協力者は、彼女とは縁遠い、というか、相性の悪い、品行方正な学級委員長の美香だったのね。
今までは天敵同士と言った方が正しい。騒がし屋の春菜を、いつもマジメな美香が注意していて、春菜はいつも、なんで私ばっかり!と憤っていたから。
でも、夏祭りで、親友の二人にシカトされた春菜が、物陰でツワリに襲われていたのを、背中をさすってくれたのが美香だった。
マジメ一徹な美香が、もしかしたら春菜よりももっと激的な変化をして、そしてクラスメイトたちを巻き込んでいくのも、信頼の厚い美香だからでさ。
でも美香は恐らく、それまでは先生の、あるいは親の信頼に応えることが、クラスをまとめるという責任の原動力になっていたのが、今、彼女は恐らく初めて、一人の女の子としての、人間としての決断を下した。
それは親や教師や学校に反することで、でもそんな委員長に、それまでの彼女の実績があるから、信頼してるから、皆がついていくっていうのが、泣けてさ!
ほおんとに、この美香が、当事者の春菜よりすんごくこの事態を心配してるのが、泣けるんだよね。
それは勿論、美香が春菜より、いわゆる世間的な、大人にどう思われるかっていうことを、経験上知っているからに他ならない。だからこそ、マセたそぶりで、5ヶ月入るともう中絶できなくなる、急がないと手遅れになる、なんて台詞も出てくるわけで。
でも、それまでは、それ以外は、春菜よりもずっといろんなことを知ってて経験してて、だからこそ皆をまとめ上げられていた委員長が、ことこのことに関しては、春菜が先輩であることに、譲らなければいけなくてさ。
でも一方で、妊娠した友達を大人たちから守る、なんて経験は、ひょっとしたら春菜のそれより大変かもしれなくてさ。とにかくこのマジメなコの一生懸命さに、うたれるんだよなあ。
そう、美香は当然、誰か大人に相談すべきだと言ったのだ。春菜が産む決意を固めていることを知ったら、なおさら。運良く、春菜のおばあちゃんが気付いてくれて、味方になってくれることを表明してくれて、一安心だった。
でもね、ここまでに至るまで、他の大人の誰もが気付かないっていうのが、おかしいというよりも、いかにやっかいなことから目を背けているっていうのがね、アカラサマに判って、大人の私は、本当に、……なんか若干心当たりもあるような気がして、胸が痛いのだ。
いつもは活発な春菜が、夏休み、当番も忘れてグダグダ寝転がってばかりいるのを、その腹が異様にせりあがっているのを、母親はいぶかしく思っていたのに。
どこかで、春菜は大丈夫と思っていたんじゃないのか。姉の秋美が、高校生という難しい年頃で、友達が妊娠しちゃったりなんてこともあったから、正直そっちに目を奪われてしまったんじゃないか。
でもそのお姉ちゃんが、すんなり春菜のこんな異常事態を判ってくれるのも、嬉しいんだよね。それは衝撃の出産を経てからなんだけど……。
PTAたちから不良だ非行だと責められて、先生が辞職に追い込まれる事態になって、ヒロユキの両親が恐る恐るといった感じで訪れて、本当にウチの子なんでしょうか、なんてヒドイこと言って……。
その時、このお姉ちゃんが毅然と言い放ったのがカッコ良かったのだ。おじさんたちにとって、孫なんですよ、と。
そしてそこに、春菜たちのボケちゃったおじいちゃんが、当の赤ちゃんを抱いてやってきて、本当に本当に、嬉しげに、いとおしげに言うのだ。
「コドモは宝」と。
この事態を認識なんてしてない筈なのに、ほおんとうに、うれしそうに、幼子の顔を覗き込んで、そう言うのだ……。
出産シーンとかも凄かったけど、でもそれよりも、そのおじいちゃんの台詞こそが、腕に抱かれたすうすう眠っている赤ちゃんこそが心に深く刻まれちゃうっていうのがね……。
あ、でもね!出産シーンは、すんごい、感動的なのだ。それは、別に生々しく描かれる訳じゃないの。いや、小学五年生の女の子が、破水してしまう、なんて状態で既に、生々しいのかもしれないけど。
でも、予定より一ヶ月も早くそんな事態に見舞われてしまった春菜に慌てふためきながらも、必死に指示を出す美香の姿に、既に私の涙腺はヤバくなってくる。
そして何より、それまでは父親の仕事に嫌悪感を示していたミツオが、春菜の妊娠を知って赤ちゃんが生まれてくることに真摯な興味を示してさ、春菜に的確な指示を与えて、見事に赤ちゃんを取り上げる場面の、感動的なことといったら!
だってここには、子供たちしかいないんだよ!大人だって失神してしまいそうな場面に、子供たちが、友達の危機を救うために必死になる、皆で必死になる、それが、たまらなく胸を打つんだもの……。
ああ、そうだ、実際に見て、聞いて、経験したものが、いかに強い説得力を持つかということなんだ。いくら口で注意したって、眉をひそめて諌めたって、この目で見て、聞いて、体験したことしか、真に納得出来はしない。
なんてこと、大人だってそうな筈なのに、なんで忘れてたの。子供たちはもう絶対に、セックスや妊娠や出産のことを、粗末な価値観で語ったりしないだろう。
それが集大成として表わされるのが、いわば、“最後の授業”でね。八木先生は、子供たちのことを理解してなかったことにショックを受けたこともあって、そしてPTAに責められて職を辞することになる。
心配顔の子供たちに神妙にうなだれ、いまだに信じられないほどのことをやってのけた生徒たちに、その時のこと、話してくれないかと先生は請うのだ。
ここもね、凄くいいの。それは、彼らの言葉で語っているんだもの。まあ、委員長の美香は若干、ヨソユキな感じはするけど、でも、そう、理性を保ってなきゃいけない委員長だからね。
産婦人科医の息子の立場で立ち会ったことを、誇らしげに語るミツオ。そして何より……春菜とちょっと絶交状態だった親友の珠ちゃんが、泣かない赤ちゃんを抱いた時の不安、でも温かかったから、絶対に大丈夫、と思った……とこみ上げる涙を飲み込みながら、潤んだ目で語るのがさあ!
ああ、これは確かに演技なんだけど、でも、幼いながらもこの“女優”は、女なんだと、なんかそんな風に思ってさ、本当に、幼い幼い、小学生の女の子なんだけど、なんかそれだけに、彼女のこみ上げる涙に、グッときちゃったんだよなあ。
その点で言えば、やはり男の子は、あの真摯なパパであるヒロユキ君にしても、まだまだかもしれない。
彼はこの“事件”で両親がこの街にいられなくなり、家族して引っ越すことになる。まだコドモであるヒロユキ君にはどうすることも出来ないし、そもそもほおんと、大人しい男の子だしなあ……。
でもね、駅の待合室に、こちらは赤ちゃんを堕ろしてしまった朋子とその彼氏がいて、ヒロユキ君に声をかけるのだ。しっかりね、と。
そのひと言は、彼女たちの思いも含めて凄く重くて、とてもこんな小学生に課す言葉じゃないんだけど、
でもヒロユキ君は、その柴犬のような従順な表情で、しっかりと、こっくりと頷いた。
妊娠した春菜にね、赤ちゃんができたら、結婚しなくちゃいけないじゃない、と言われた時に、春菜は恐らく、それほど重く考えずにそんなことを言ったんじゃないかと思うんだけど、ヒロ君は、僕でいいの、とそんな言い方をしたんだよね。
それは小突きたくなるほど頼りない表現だけど、小躍りしたくなるほど、嬉しい言葉だった。
一年後、春菜よりもはるかにでっかい頭がまだ据わらないような状態の赤ちゃんの誕生日、友達も、八木先生も、皆集まってる。
ただ一人の大人の味方だったおばあちゃんは、春菜が出産した日倒れて、もう今は鬼籍に入ってしまった。むしろボケたおじいちゃんの方が元気で、カワイイひ孫をあやしている。
そこに、ヒロユキがお父さんと共にやってきた。
ヒロユキよりも更にでっかい、泣きわめく赤ちゃんを、四苦八苦して抱き上げるヒロ君のいたいけさときたら、もー、たまらんくて。
別に父親に頼りがいとか強さとか必要ないわと思ってしまう。大事なのは、ただ純粋なる愛だけなのだ。
いいじゃない、小学生が、コドモを産んだって。タイトルはコドモのコドモだけど、確かに経済的にはそうなのかもしれないけど、彼らは決してコドモじゃない。
そう、春菜のおばあちゃんが言ったように、「神様はコドモを生める身体に、コドモを授けたのだから大丈夫」そして春菜だけでなく、少なくとも、この十月十日の間に、クラスみんなが、大人になった。
セックスの手管や、避妊の方法の知識ばかり豊かになっている“大人”が、オトナなわけは、決してない。
夏のきらめきから、純白の雪の覆う冬へと。雪国の美しさが萩生田ワールドの柔らかさ優しさを盛りたてる。このロケーション、撮影地の協力があったればこそと思う。
スナックのママという意外な役どころでちらりと出演した上野樹里が(春菜の台詞にも“上野樹里”が登場!)、今後荻生田監督のヒロインになってくれるのかもという期待もさせてくれたりして。★★★★☆