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「ほ」


2010年鑑賞作品

リトル・ランボーズ/SON OF RAMBOW
2007年 94分 イギリス=フランス カラー
監督:ガース・ジェニングス 脚本:ガース・ジェニングス
撮影:ジェス・ホール 音楽:ジョビィ・タルボット
出演:ビル・ミルナー/ウィル・ポールター/ジェシカ・スティーヴンソン/ニール・ダッジェオン/ジュール・シトリュク/エド・ウェストウィック/アンナ・ウィング/エリック・サイクス


2010/11/9/火 劇場(渋谷シネクイント)
映画好きにとっても、少年好きにとっても、タマラン映画であることは間違いない。女子にとってはやはり少年好きの方が勝つか?(爆)。
二人のうちメインの主人公は語り部ともなるウィルだが、リー・カーターのような、悪ぶってるけど孤独を抱えた少年とゆーのは、いつの時代の女子にとっても心の琴線にキュンキュン触れるものなのよ。
そう、ハックルベリー・フィンしかり、テリウス・グランチェスターしかり(キャンディ・キャンディのテリーだ(照))、もしかしたらスナフキンだって、悪ぶってはいないけど、どこかそんな陰があるかもしれない。

そしてまさに……少年二人の映画といえば「小さな恋のメロディ」のジャック・ワイルドだ!
まあ本作には恋の影はちっともないけど(あっても良さそうだが)、悪ぶってるけど実は孤独な少年、というのは実にジャック・ワイルド的なのだよな!
メインの主人公の少年が、どこか線の細い少年であるというのも妙に符合する。まあ、ジャック・ワイルドと違ってリー・カーターは不良というより悪ガキ、問題児であり、別に美少年というわけでもないのだが(爆)、でも女子はやっぱりひたすら、こういう少年にヨワいんである。

まあでももちろん、主人公のウィルだって虐げられ度はハンパじゃないんだが。
プリマス同胞教会という厳格な戒律の家庭に育ったウィルは、娯楽関係のものを全部禁止されている。物語の後半に、リー・カーターとの映画作りに夢中になるウィルをさとすために、母親が話す体験談……少女の頃胸をときめかせた流行歌を聞くために教会のバザーで買ったレコードとプレーヤーを彼女の父親によって燃やされてしまった話に、まあ残酷な信仰だこと……と思うんである。

でも実は私、最初のうちは“娯楽を禁止されている”というのがイマイチピンと来てなかった。授業で映像教材を使う時間になると先生から外に出されるのが、なんでなのか判らなくってさ。大人しく授業に出ているこの子が罰という訳でもなさそうだし……みたいな。
母と妹と祖母と彼の三人暮らしで、食事のシーンは出てくるけれど、ただ母親がピリピリとしているようにしか見えなくて、戒律に厳しいとか、そういうところには思いが至らなかった。ただ単に、女一人で介護が必要な祖母と手のかかる子供二人を抱えていっぱいいっぱいなのかとか、思って。

ウィルが聖書いっぱいに絵を描きまくったり、パラパラ漫画を作りまくったり、はては学校のトイレの壁一面にまで細かいキャラクターを緻密に描いて、それは勿論、彼の画才によるというのは示されるんだなとは思ったけど、それが、娯楽を禁止されたがゆえのストレスの発散なのだということにまで、考えが至らなかった、のだ。ダメな私(爆)。

でも、判らないままでも、自由奔放なリー・カーターと、今まで見たことのない映画というものに惹かれていくウィルの気持ちは手にとるように判る。
リー・カーターの方は母子家庭、というのは表向きで、その母親は仕事だか男だか判らないが始終家にはいなくて、年の離れた兄に奴隷のように使われ、兄の友人たちにもイジメに近いようなからかいを受けている毎日なんである。
母親がいなくても家では老人ホームが営まれていて、リー・カーターはお年寄りをからかってはウサを晴らしているようなところもあり……こんなんでいいのか、老人ホーム……時代ゆえに、規制が緩かったのかなあ。

そんな日常でも、いやそれ故にか世間慣れしているリー・カーターは、映像授業の間廊下に出されたウィルと、こちらは悪さをして廊下に出された彼として、出会うんである。
廊下に置かれていた金魚鉢を割ってしまって、リー・カーターの口先三寸で校長に拷問されると思い込んだウィルは、宝物である亡き父の時計を彼に差し出して逃げ出してしまった、のが、リー・カーターとの腐れ縁、もとい、友情の始まりだったんである。

ところでね、ランボー、なんだよね。娯楽を禁止されていたウィルは、ひょっとして映画なんて存在があること自体、知っていたのか否か。
リー・カーターがお兄ちゃんに命じられて映画館で撮影して作った、バリバリの海賊版のランボー。
こらこらこら、やっちゃいけんぞ、そーゆーことは!てか、あまりにも堂々とカメラを設置して映しているから、こっちがハラハラする。いや、まあ、時代も国も違うけどさ、それにしても……。

そう、時代、ランボーの時代、なのよね。80年代。いい意味でも悪い意味でも悩みなき真夏の太陽のような時代。
ランボーって、今から思えばベトナム戦争がらみの映画だし、あの当時はベトナム戦争が負の遺産だという認識がまだまだ薄い頃だった。そう、こんな風にアクション大作になってしまうほどにね。とはいえ、ランボーはベトナム戦争そのものを描いている訳ではないけど。
なあんて、ね。実は私、ランボーはまともに観てない。私は、ジャッキー・チェンに行っちゃったからさあ(爆)。
改めて、ジャッキーの黄金期とランボーあたりって、ほんとに、もろかぶりなんだね。どっちに行くかで人生変わるかも、とまで言うのはさすがに言い過ぎかしらん??

でも、かようにアクション映画っていうのは、当時の映画少年、少女たちに影響を与えたんだなあ……と改めて思う。それこそ本作のランボー模倣映画のように、ジャッキー模倣映画を作った少年少女たちもあまたいただろうと思う。やはりそこは、欧米かアジアかで別れるのだろうか?
てか、映画作りってだけで、もうキューンなんだもん。近作だと「僕らのミライへ逆回転」なんかを思い出すが、そこで作ってたのも80年代娯楽映画だった。模倣したい映画と、それが出来るだけの材料と余裕が合致したのがあの時代だったのだと思う。

これはイギリス映画(フランスもだが)、イギリスと言えば皮肉、ジャッキーではなくランボーを無邪気に模倣した少年時代、と思えば、いかにもイギリスらしいシニカルな批判を感じなくもないが、それもまったくない。
そもそも本作にはランボーの映像挿入は不可欠であり、それにあたって監督さんはスタローンに直接手紙を送ったという。その文面には「もちろん、皮肉や風刺を交えて描くことはない」と書いたといい、この“もちろん”はつまり、それがあったらOKをもらえないに決まってるから、という思いがあったに違いないと思うんだよね。

まあ、本作に関しては、そんな皮肉だの風刺だのといった要素は確かに必要ないとは思う。皮肉や風刺があるとすれば別の部分……厳格な戒律で信者を縛る教会や、大人の顔色をうかがう子供たち、といった描写にある訳だから。
でも、こういうエピソードをわざわざ披露せざるをえない、ハリウッドやアメリカ社会の暗部を感じずにはいられないんだなあ。いや、スタローン氏自身はそんなこと考えてはいないとは思うけどさ。

まあ、それはおいといて。なんたって本作は少年たちが自主映画づくりに没頭するさまの微笑ましさに、かつてそんな青春を過ごした、あるいは、過ごしたかった大人たちの瞳をうるませずにはいられないんである。
だって、だってさ、ほとんどリー・カーターに脅されるようにして映画作りに参加されられたんだよ、ウィルは。しかもその当のリー・カーターだって、お兄ちゃんのカメラを無断借用していつもハラハラなんだよ。
でも二人はもうホントに、夢中になっちゃうんだもん!リー・カーターは態度ではウィルを下においてはいるけれど、ウィルの絵やストーリーテリングの上手さに最初から驚嘆していた。
“ヤングシネマコンテスト”に応募しようとは思っていたけれど、それが具体的に動き出したのは、ウィルの才能と出会ったからに他ならない。

一方のウィルは、そんな自身の才能を自覚しているのかいないのか、リー・カーターがお兄ちゃんのために作った海賊版、ランボーにすっかり夢中になってしまって、次にリー・カーターと会う時には「僕はランボーの息子だ!」とコスプレもバッチリ。肩から下げる弾薬ベルトを糸巻きで再現するあたりが愛しすぎる。
リー・カーターが「息子でいいのか?」と聞いたのは無論、映画というフィクションの世界なんだから、ランボー自身にだってなれるのに、という意味だろうと思うんだけど、ウィルは、ランボーの息子、で通すんだよね……。
まあそれだって充分フィクションなんだけど、なんかそれが切ないっていうかさ。いやそれこそ、ランボーへの敬意、であろう。本作は監督自身の経験がふんだんに入っているというから。

ウィルとリー・カーターだけで映画作りの蜜月が続けば良かったんだけど、そうはいかなくなる。んんー、でも、この引っかき回しは二人にとっては必要だったかもしれない。
だって見ていてドキドキするぐらい、蜜月過ぎる気はしてた。お互いの掌にナイフで傷をこしらえて握り合い、血の絆を結んだ、なんてさ。
リー・カーターがそれを仕掛けたんだけど、11歳かそこらの子供が、そんなことを知っているほどに大人の映画を、お兄ちゃんのために海賊版を作るために見まくっている訳で、つまり彼が大人の世界を、お兄ちゃんやお母さんにないがしろにされていながらも、どこかで信じたいと思っているのが判って、切ないんである。

でね、そう、蜜月は続かないのだ。彼らに関わるだいぶ前から、二人の通う学校に“熱烈歓迎”されるフランスからの留学生たちが描かれるんである。
ネットなどもないあの時代は、他の国からの留学生ってだけで、もう舞い上がりまくった、のかもしれないなあ。同じヨーロッパなのに。
その中でもひときわ異彩を放つ、パンクな少年、ディディエは登場から学園のスターになり、彼とキスしたい女学生がズラリと並ぶのを、ディディエの取り巻きの少年たちがさばいているような異様な状態。
ディディエがそんなチヤホヤに飽きた、と言い出して焦る取り巻き達は、彼が映画を作っているウィルたちに目をつけると、取り込みにかかるんである。

その間にディディエは旬のオーラを撒き散らして、そんなことにはめっぽう疎いウィルをあっという間に取り込んでしまう。
謹慎が明けたリー・カーターが戻った時には、ウィルはリー・カーター以上にワルで退廃な世界に足を突っ込んでいる。
血の絆を交わしたリー・カーターに見向きもせず、それどころか、彼の大事なカメラをディディエと取り巻き(このフランス少年にウットリな少女たちもくっついてきてる)のために、「僕が監督だから」と我が物顔に使うんであった。

実はこのディディエもカワイソーな少年だった、かもしれない、というのは一瞬、示されるのだが……うーん、カワイソー、というのまでは、言い過ぎかなあ?
多分ね、恐らく彼は、この留学という経験をかなり思い切って演出したんだと思うんだよね。留学初日、バスから降りてきた留学生たちは、フランスからの留学生!という、言葉以上の期待を抱いた学生たちにとって、ガッカリ度の方が大きかったり、したのだ。

それを予測した訳じゃないだろうけれど、大トリで降り立ったディディエは、パンクなファッションにヘアスタイル、サングラス、と、その過剰な期待に応えるのに充分なキャラクターだった。
そしてそのまま、過剰なまでのキャラクターでスターとして君臨、いつでも取り巻き従え、女の子はうっとりし、そんな彼が上級生のパーティーにウィルをご招待するんだから、そりゃ免疫のないウィルは目がくらむ、わなあ……。
でもいわばディディエにウィルをとられた形のリー・カーターは、そんなウソくさいパーティーにも渋い顔で、彼の謹慎中に勝手にディディエ主演の映画を撮り進めてしまったウィルと、絶交状態に陥るんである。

ウィルは華やかな世界に突然誘われて浮かれてたよな、確かに……だって、ディディエのお芝居は「凄く上手い」とは到底思えないもの。ウィルはそう思い込んでいた、というか、本当にそう見えていたみたいだけど……。
日の丸と漢字だか象形文字だか判んない、とりあえず日本をデザインしてみました、ってなタンクトップで意気揚揚と歩いているディディエを見ていると、もうそれだけで痛々しくて涙が出る(爆)。
そう、彼ら留学生が帰るバスの中で、チヤホヤされていたディディエに他の留学生たちが嘲りと冷笑を浴びせ、ディディエが小さくなっている場面を見なくても……。
普段はきっと地味で、いじめられていたかもしれない彼が、誰も自分を知らないこの場所で思い切ったことは予測出来たから、少年同士の友情を一時壊しかけたにしても、憎めないんだよね、なんとも。

でも、このディディエと取り巻きたちが、凄い大ごとを起こすからさ……。ここでまず、ディディエにすっかり取り込まれたウィルと、カメラと何より親友を取られたリー・カーターが大ゲンカ、あの強気のリー・カーターがしおしおと退場してしまう。
うっそと思っていたら、撮影中、ディディエがカッコつけてタバコ吸いながら運転してたらそのタバコを落としちゃって、うろたえているうちに激突、ウィルはなんかしらん、工場の黒い油の中に突っ込み、必死に助けを求めるも、ディディエはおじけづいて取り巻きとともに逃げ出してしまうんである。

すわ、ウィルは終わりか、と思ったところに、いったんは決裂したリー・カーターが彼を引き上げる。そして……。
「兄貴を悪く言うな!いつも一緒にいてくれた。大事な兄貴だ!お前は裏切った!兄貴は一緒にいてくれた!」繰り返し、繰り返し、そう、言うのだ……。
そう、言い忘れてたけど、ウィルは弟をアゴで使うリー・カーターのお兄ちゃんを悪し様に言ったんだよね。それは友達としての気持ちがあったことはそうだろうけれど……。それに確かに、奴隷のように使われていたのは事実だし……。
だから、リー・カーターがこんな風に、自分の孤独ゆえとはいえ、お兄ちゃんへの気持ちを血を吐くように吐露したのが、衝撃だったし、すんごい胸をズーーーン!とつかれちゃってさ……だから、こんなの、当のお兄ちゃんだって、ズーーーンとくるに違いなくてさ!

ま、ウィルも、娯楽禁止に従わない故に、家族みんなが彼のせいで破門されるという脅しにあって、苦悩したりもするんだけどね。
でもそのことでずーずーしく母親に取り入ってウィルに父親ヅラして「もっと厳しくしつけなきゃイカンですよ」などとしたり顔で言っていた(サイアク!)教会の男を、母親がソデにしたことで、一気に溜飲が下がる訳。
まあそれは、彼女が女としてよりも母としての顔を選んだということであって、女に母性を強要する風潮に対する若干の苦さは感じるけれども……。

で、まあ、ちょっと脱線したけど、この撮影事故の場面、ウィルを助けたリー・カーターの魂の告白の後、廃工場の瓦礫が落ちてきて、リー・カーターは重傷を負ってしまう。
すっかり後悔したウィルは、リー・カーターのお兄ちゃんを巻き込んで、ある作戦を練るんである。

ウィルやリー・カーターから見れば、手が届かないような大人に見えるけど、このお兄ちゃんだってまだまだ子供なんだよなあ、と思うのは、彼が年の離れた弟を邪険に扱っていたのは、恐らく母親がちっとも帰ってこないことに不安を抱えていたからじゃないかと推測されるからである。
出張だか逢瀬だかわからん旅先からの母親の電話に、あれは車の電話?それとも携帯電話の走り?巨大な受話器から聴こえにくい声に、いつ帰ってくるのかと苛立ち気味に話す彼の姿に、そんなことを思ってしまうんである。
映画の撮影の延長で偶然撮れていた、リー・カーターのお兄ちゃんへの思いをウィルによって知らされて、お兄ちゃんが撮った行動が、感動すぎるだろ!というラストで明かされた時には、やりすぎだよなー!と思いつつも、素直にじーんと来てしまう。

それはね、リー・カーターが退院になった日、彼が連れて行かれたのは家じゃなくて映画館なのだ。あの、海賊版をコッソリどころかドードーと撮っていたあの立派な映画館。
「愛のイエントル」(懐かしー)の前に、短篇映画の上映があります、とアナウンスされ、流れ出したのはこのひと夏を傾けた映画。結局コンテストには間に合わなかったけど……。
ウィルと二人で撮っていた時にも手ごたえを感じていた映像に満足げに笑みを浮かべ、リー・カーターにとってはにっくき相手だったディディエの、ちっともカッコよくないマヌケなアクションにも大笑いし、そして……覚えのない映像。

弱々しいカカシ姿の敵役の、それはお兄ちゃん!「俺は大佐の兄だ。弟に伝えてくれ」今までの横暴な態度への謝罪と、弟からの言葉で気づかされた、たった一人の弟への愛の言葉。
お約束といえばそうだけど、お約束だからこそ……涙ダー!ここで泣いとかなきゃ、しょうがないでしょ!リー・カーターが笑いこけた笑顔のまま、お兄ちゃんの言葉に涙を流してるのもヤラれたなあ……。
あたたかい笑いに包まれた場内が明るくなった時、近寄ってきたウィルに「兄貴はひどいダイコンだな」て言うのこそが、必然の、お約束なわけよね!

牢獄のような状態の民営老人ホームで、ランボーの息子の父、つまりランボーにムリヤリさせられる入所者のおじいちゃん。そのあまりに笑かすシチュエイションで、年老いたというだけで、家族からも世間からもゴミ扱いされることへの反発を見事に主張する。
しかもそれをウィルとリー・カーターが、これだ!とカメラに収めるのが、やっぱり、やぁっぱり、イギリス映画の皮肉と風刺の矜持を感じたのよね。しかも、このコスプレとのギャップ!最高だった。 ★★★★☆


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