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「な」


2010年鑑賞作品

名前のない女たち
2010年 105分 日本 カラー
監督:佐藤寿保 脚本:西田直子
撮影:鈴木一博 音楽:川端潤
出演:安井紀絵 佐久間麻由 鳥肌実 河合龍之介 木口亜矢 鎌田奈津美 草野イニ 新井浩文 渡辺真起子 森山翔悟 大野かなこ 桜井まり 辻岡正人 江面貴亮  田尻裕司 田宮健彦 佐藤ゆりな 安部智凛 本多叶奈 寺田万里子 LUY


2010/9/5/日 劇場(新宿K'scinema)
佐藤作品は久しぶりのような気がする。なかなか観る機会がなかった。
だけど、私をピンクに引き込んだ四天王の筆頭の監督であるということが、いつも彼の作品を観たい欲求を駆り立てた。海外でもカルト的な人気を誇るとかは、知らなかったけど。

でも今回は、本当にダイレクトにこの題材に惹かれた。タイトルの「名前のない女たち」は、アダルト業界に身を投じるたくさんの女たちのこと。
たった一度きりで辞めてしまう女性も含め、本当に驚くほどの数の女性たちがAV女優になるのだという。
その彼女たちへのインタビューで構成した原作が元になっているというのが凄く、惹かれた。
だって私には正直……どうしても判らなかったから。これだけ成熟したマーケットだから、AV女優に対していくらでも需要があるのは判る。
けれども彼女たちがどうしてその職業を選択するのか、その理由がどうしても判らなかったから。知りたいと思ったから。

そんなことを言ってしまうのは、不遜かもしれない。最後までAV女優であり続けることにこそ誇りとこだわりを持って、この世を去った林由美香さんが、私は大好きだったんだから。
でも私の好きなのはやはり、ピンク映画で活躍している、つまり“映画女優”としての由美香さんだったように思う。だって実際、彼女のAV作品を観る機会はついぞないままに終わってしまった。

そのことが、由美香さんを好きだと言う資格などないんじゃないかという思いを、常に私の中にもたらしていた。
彼女が真にこだわっていた、AV女優という存在。あるいは彼女は単に仕事に垣根を作らなかっただけかもしれなくて、それこそあの時、ピンクとしてじゃなく、ただ、素晴らしい女優として評価され、一般映画に出て行ける風が吹いていたかもしれないと思ったから、そうしたら彼女はAVに出続けながら映画女優、という稀有な存在になったかもしれない、などと思って。

……なんかどんどん話が脱線していくけれど。でももちろん、由美香さんのような存在は例外なのだ。多くは一般に認知もされないまま、消え去ってゆく。
由美香さんも最初は、そうした企画女優の一人だったのかもしれない。それともその頃は、そういうピラミッドもなかったのかもしれないけれども。その時からでも彼女は、AV女優という存在に誇りを持ち続けていたんだろうか……。
そう、彼女に聞きたかったのだ。なぜなのかと。辛くはなかったのかと。あるいは、早々に単体女優になったから、林由美香として、本来の自分として自己表現出来たから、その仕事に誇りを持っていたのだろうかと。

で、脱線しまくってしまったけれど。由美香さんは別に本作にはまるで関係がないのだけれど……そんな、長年抱いてきた自分の疑問に答えてくれるような作品だったから、飛びついたのだった。
本作は恐らく、インタビュー構成になっているという原作とは、大きくイメージは異なるだろうと思う。いや、未読だから判んないけど。
いろんな事情やきっかけや、そしてその後の運命も様々な女たちのそのすべてを、あるいは平均値を、あるいは一部を集約した二人のヒロインによって、AV業界をあぶりだしていく。

名前のない女たち、というのは、非常によく言ったもんだと思う。ほとんどのAV女優たちは、いかにもそれっぽい名前をつける。本作のメインのヒロイン、桜沢ルルはいかにもである。
つまり、彼女たちはその時点で自分を捨てている。本来の自分で勝負するんではなくて、そこに既に自分はいないのだ。
あるいはそうでなくては、AV女優という仕事に飛び込むことなど出来ないのかもしれない。

もちろん、全ての女たちがそうではないだろうとは思う。それこそ私なんかも知っているような、そこから表舞台に這い上がってきた女たちは、最初から自分自身で勝負していたかもしれない。
ただきっと、このあまたいる、星の数ほどいるAV女優たちは、恐らくは大半が……そうなのだ。

ていうか、それ以前に、そんな芸名さえつけられないまま、名前のないまま、ただ傷ついて終わっていく女たちの方が多いのかもしれない、いや、きっとそうだと思う。
この桜沢ルルは劇中、単体女優にまで出世する。その背後にどんなにどす黒いものが巻き起こっていようとも、単体になれる女優は本当にひと握りなのだ。
そういう意味で言えば、彼女は自分を捨てて桜沢ルルになることへの強靭な意志を持っていたとも言えるかもしれない。
けれども……それこそが、“名前のない女たち”の一人。企画女優の一人としてあっという間に消えていく女たちのそれと、もしかしたら大して変わらないのだ……。

そんな、ダブルネーミングは上手い。上手いだけに、痛い。そして、彼女が渋谷でスカウトされ、あっさりとAV女優になってしまう描写はまさに、そんな“名前のない女”になることにこそ甘美な誘惑があったことが、あまりにも哀しいんである。
よくある芸能界のスカウトのようである。後にこのスカウトマンと付き合っている先輩女優、綾乃から、彼がいつも同じ手口と台詞でスカウトしていることを知る。
ぶつかったことの謝罪に食事をおごり、「毎日、つまらなくない?自分じゃない誰かになりたいと思わない?」と誘うんである。
ルル……いや、後にルルとして生きることになる純子は、その言葉に大きく揺り動かされる。

そもそも自分が今日渋谷に降り立つなんて、ほんの思い付きだった。普段なら渋谷なんて来ることさえなかった。
見るからに地味なファッション、髪をひとつにまとめ、極度の近眼を黒縁の眼鏡で覆って、肩を小さくすくめながらうつむきながら歩いている。
自分じゃない誰かになりたいと思わない?その言葉に彼女が過剰なまでに反応したのは、学校でも職場でも存在を否定され続けていたから。

職場の描写は、まあありがちとも言える。もう一人いる、いかにも男好きのする若い女の子が、純子が男性社員たちのためにいれたコーヒーを横取りして、「小倉先輩、郵便局お願いできますか」としれっと言う。
こういう場面は、マンガやドラマでもよく見る。実は男性たちだって、皆が皆だまされている訳ではないとも思うけれど、純子のたまらない気持ちはそりゃあ判る。しかもこの女の子は、いかにも男受けするんだもの。

でも純子だってただ地味にしているだけで、ちゃんと女の子の身体を持っているんだから、それなりに仕立てれば、ちゃんと可愛い女の子なのだ……というのは、世の女の子たちにちょっとした希望を持たせる。
というあたりがひょっとしたら、AV女優になるひとつの小さな……いや、大きな理由なのかもしれないと思う。

劇中、人気AV女優になった純子、いやルルは、様々なコスプレに身を包んで、きゃるん♪とばかりにニッコリしてみせる。
それはどれもこれも、掛け値なしに可愛いんである。そりゃまあ、エロいカッコではあるけれども。
でもカワイイカッコなんて、どれもそれなりにエロイものじゃない?あの同僚の女の子だってさ、いわば態度がそうだった訳でさ。

ただ、純子がルルにのめり込んでいったのにはもうひとつ、大きな理由があった。
母子家庭であるその母親が、娘である彼女を否定しまくっていたから。
おミズな商売をしていると思しきこの母親は、「私の言うとおりにしていればいいのよ!」と彼女を恫喝する。
それでなくても地味な女の子だった純子は、華やかな、女そのものの母親に気後れするところがあって、ただ口をつぐむばかりだったのだ。

その母親を演じているのが渡辺真起子。私が今、一番好きと言っても過言ではない女優。正直、こんな大きな年の娘がいる役というのもビックリだけど、でも年齢的に決しておかしい訳ではない。
熟れた果実のようにまさに“女”で、黒い下着姿がやたらなまめかしい。
終始ヒドい母親なんだけど、でもやっぱりズルいなあと思っちゃうのは……家を飛び出していった純子が遭遇した事件の新聞記事にため息をつき「……どこに行ったんだか」とこの時だけは母親の空気をほんのちょっとだけ漂わせることなんである。
……それまで、純子に対して、生きてる価値がないぐらいの態度だったのに。

と、いうまでにはまだまだ先がある。初めてのAVの現場、訳も判らないままに男優とのカラミに大ショックを受けて、でもなんとかやりおおせた。
クラい印象からマンガオタクのキャラを設定されたことが、純子からルルに変貌をとげさせた。
しかもその設定……金髪のウィッグをかぶり、男に犯されながら「コミケに行けない!!」とか「おしおきしちゃうから!」と叫ぶ彼女を、現場の監督は気に入ってくれて、また起用してくれたのだ。

ルルなんて、単に与えられた名前に過ぎなかったのに、彼女はマンガオタクのルルというキャラでなければいけないという強迫観念に囚われだす。
綾波レイでもあるかのように、常から青いボブカットのウィッグをかぶり、青いミニスカのセーラー服を身につけ、変身スティックに魔法の呪文まで常備している。

そんな彼女を、最初の現場からウザいような、心配なような態度で見守っていた先輩の綾乃。
元ヤンでキレやすい性格の彼女は、むしろ自分を中に押し込めすぎているルルにイラだつ。
「キャラ作ってんのはバレバレなんだよ。そんなんで殴ってるつもりかよ。殴りたい相手を思い浮かべて、思いっきりみぞおちに入れるんだよ」とルルを挑発するかのように、その魂を救い出すんである。

この綾乃を演じている佐久間麻由は「真木栗ノ穴」で見ている筈だがちょっと覚えがない……(汗)。でも、官能的な唇の美人で、情熱的な芝居が心の琴線に触れる。
なんたってメインのヒロインの安井紀絵ともども、一糸まとわぬ姿を披露してくれる。しかも、カラミじゃない場面でである。
私ね、世のスター女優たちが、いわゆる“体当たり演技”なんぞというモンで、“さすがにバストトップこそ出さないものの……”てな記事で“さすがに”ってナンだよ!!てすごいイラッとくることがよくあるもんだからさ。
私がピンクの女優さんを好きになるのは、そういう意味合いも大きいと思う……ヤハリ。だって、だってさ、女優なんだから、ていうか、役者なんだから、体の隅々まで商売道具であり、芝居道具じゃないの??

この二人の一糸まとわぬシーン、そう、カラミじゃないのよ。いわば友情のシーンなのよ。私ね、鈴木砂羽と片岡礼子が「愛の新世界」でやっぱり一糸まとわぬ姿になって、砂浜でキャーキャーとたわむれたシーン、やっぱりあれも友情のシーンだった、あの場面が思い起こされた。
あの時代は……そんなに昔ではないけれど、それでもあの時代はまだ、“ヘアヌード映画”などと言われる程、それだけで画期的なぐらいだったけど、時代は経て、自然な表現として一般映画でだってヘアも普通に写されるようになった。
だから本作で、ルルと綾乃がハダカになって、キャーキャー言いながら缶チューハイを振ってかけあうシーン、女の子同士のあけすけな感じも可愛かったし、そんな時代の変遷も感じたんだよなあ。
だからこそ余計に、いまだに乳首を異常にガードする“女優”たちが、ひどく時代錯誤に感じちゃってね。

でも、このシーンはまさに、ほんのひと時の幸せってヤツだったのかもしれない。
綾乃もまた、“自分ではない誰か”な台詞によろめいてしまった一人で、そのスカウトマンである裕也と一緒に暮らしているんだけれど、明らかにヒモな彼といさかいが耐えなかった。
いや……イライラしていたのは彼女の方だけで、彼はまったくのマイペース。しょっちゅう帰ってこなくなるのはやはり浮気をしているからなのか。

ふと帰ってきてみると捨て猫を拾ってて「明日には必ず飼ってくれる人を探すから。今晩だけ、ネッ」とまるで善人のような顔をして言うんである。
綾乃は歯を食いしばり、部屋に閉じこもって、隠し持っている金属バットでクッションをバスバス殴るしかない。そんな不穏な音に裕也は「大丈夫、すぐ終わるからネ」と目を丸くしているやけにおとなしげな猫(うーカワイイ……)話しかける余裕っぷりなんである。
演じる新井浩文の余裕ぶっこきっぷりが悔しいぐらいで、しかも、そんな彼にホレちゃうのも判る気がするしさ。
犬好きに悪い人はいないというけれど、猫好きには悪い人はいるかもしれない……なんてふとゼツボー的な気分に陥っちゃう。

でも、綾乃は、彼に一度見切りをつける。売れっ子だった単体女優、リエの凋落と自殺にショックを受けたことと、そのリエの踏んだ轍……陵辱モノAVにルルが、社長の言われるがまま出演しようとしていることがあって……。
しかもルルは、ファンからのストーカー行為で職場を追われ、母親に積年の恨みもぶつけて、もうボロボロになって綾乃の元を訪れたのだった。

この、ルルと母親の場面、つまり安井紀絵と渡辺真起子の場面も素晴らしかったなあ……。
この紀絵嬢は新人さんだということだけれど、確かにダブル主演の佐久間麻由嬢に比べれば、芝居も存在感も弱い部分はあったけれど、でももちろん全編における頑張りと、何よりこの渡辺真起子とのタイマンシーンでしっかりつかんだと思う。
ここがしっかりじゃないと、最後に渡辺真起子が母親の顔になるところにつながらないもの。

男とカラんでいる母親、その場面にコスプレ姿で押し入って、大ッ嫌い!大ッ嫌い!!と母親の首を絞めるルル。どたんばたんとバトルを繰り広げ、最後はさっそうと出て行ったルル。

もう、そうだ、ルルなんだ、純子じゃないのだ。その姿で会社にも出かけ、あっけにとられる社員に微笑をふりまき、AV女優で何が悪いんだと胸を張る。好きだった先輩にも告白する。
でも、その後、ルルには自殺したスター女優のかわりに陵辱モノの撮影が待っている。
そもそもルルが単体女優になれたのも、あのストーカーがライバル女優の顔を切りつけたからだということを知って、ルルは……表面上は明るく笑っているけれども、もう限界だったのだ。

綾乃は身ごもっている。誰の子供なのかとルルから問われ、裕也のだよ、私には判る、産むんだ、と言う。
もちろんルルの問いは、私たちはAV女優なんだから……という思いがあるからに決まっている。ゴムなんてつける訳ないホンバンシーンが日常。外出しなんて、避妊の補償にならないのは女が一番よく知っている。まあ、ホントの現場でそれがどこまでそうなのか、私なんぞには知る由もないが……。

それでも裕也の子供なんだと、綾乃は言った。その確信がないことぐらい、彼女自身が判っていた筈だけれど……。
でもそれでもルルが、ならば、誰も知らないところへ一緒に行こう。そしてゼロからやり直すんだ!とまるで夢物語みたいなことを言った時、最初こそ笑い飛ばしたけれども、その夢物語に乗ったのだ。
その時、綾乃もまた、裕也の女であることを捨てたのかもしれない、のに……。

ここまで見てきて思うけれど、本当にルルと綾乃には、あまたいる、去っていったAV女優だった女たちが込められているのだろうと思う。リエのように自殺した女優もきっと、一人や二人ではないのだろうと思う。
そしてそして、生まれたままの姿になってはしゃぎまわる彼女たちの姿が、最後の幸福だという予感も、きっと間違ってはいまい……。

綾乃は結局、ルルとの旅立ちの待ち合わせ場所に姿を見せることはなく、ヤバい男たちに追われた裕也のために身重の体をさらして、その腹に一撃を食らってしまう。

そしてルルは……綾乃と遠いところに行く筈だったルルは、一度引き受けてしまった陵辱モノの現場にいる。
列を成して順番を待っている覆面姿の男たち。その中にあのストーカー男がいる。
ヒドい目にあうルルの姿に、隠し持っていたナイフを男優たちやスタッフに振り下ろす彼。一面血の海になる。
彼は、ルルのためにしてやったと、返り血を浴びながら満面の笑みである。自分は弱虫なんかじゃないと。虫けらなんかじゃないんだと。

暗い部屋の中で、AVビデオのルルの姿に釘付けになりながらニンマリし、掲示板にしこしこと書き込むばかりの姿しかなかった彼。
その彼に、本当の自分をここに至って取り戻したルルが、私の何が判るのだと、本当のあんたって何なのよ、と今までのルルとは思えない、本当に別人のようなキッとつりあがった目で問い詰める。
ふと、彼が可哀想になってしまうのは、私はまだルルにまで至っていないからなのだろうな、きっと……。
そして、綾乃に指導されたように、見事に彼のみぞおちにこぶしをヒットさせるルル。

でもね、いったいどこからが現実だったのか……綾乃はきっとあの時、男たちの一撃で流産してしまっただろうと思う。
そしてルルもひょっとしたら、あの凄惨な現場で命を落としたかもしれない……いや、母親がその事件の新聞を読みながら「どこに行ったのやら」などと言っているから、そこまでは考えすぎかもしれない。

でも、冒頭にも示された、都会のはざ間を流れる神田川チックな、コンクリに挟まれた小さな川。そこにビニールボートを浮かべて穏やかに横たわるルル、それを橋の上から大きくなったお腹をさすりながら見下ろす綾乃。
そしてラストは、レースのワンピースを着たルルが元気に海に向かって走っていって、笑顔で振り向くラストカットなのだ。
そんなの、そんなの、現実のものとして受け取れる訳、ないじゃない。綾乃もルルも、悲劇の最後を遂げたとしか思えなくなっちゃうじゃない。

名前のない女たち。見終わると余計に、深く突き刺さるタイトル。綾乃もルルもその名前に、自分自身をちゃんと見つけられたのかと考えると、痛々しすぎる。
そしてまた、スカウトマンに声をかけられる女の子が一人いる。同じ台詞で、同じようにもしかしたら私も……の笑顔をのぞかせて。 ★★★★☆


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