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「ゆ」


2010年鑑賞作品

誘拐ラプソディー
2009年 111分 日本 カラー
監督:榊英雄 脚本:黒沢久子
撮影:藤井昌之 音楽:榊いずみ
出演:高橋克典 林遼威 船越英一郎 YOU 哀川翔 菅田俊 榊英雄 木下ほうか 笹野高史 品川徹 角替和枝 寺島進 ベンガル 美保純 山本浩司


2010/4/16/金 劇場(シアターN渋谷)
ねえ、これはねえ。あまりにも不幸な境遇に見舞われた作品として世に知られてしまった訳だけど、でも考えようによっちゃ、公開前にあの事件が起こってしまって良かったんじゃないかとも思う。後だったらねえ、目も当てられないもの。
だって監督デビュー作なんだから。そう、監督デビュー作。このニュースを知った時、彼が監督作品を撮っていたなんてことを知らなかったので、まずそのことに興味をひかれた。まあ昨今は役者さんが監督に挑戦なんてのも珍しくなくなったけど、でも彼の監督、にはとても興味を惹かれたんだなあ……。

なんかさ、彼ってさ、結構特異な風貌の個性的な男優さんだと思うんだけど、意外とそれが活かしきれてないというか……これだっていう代表作がなかった気がする。
私ね、「楽園 流されて」で初めて彼に瞠目したのだ。故郷だという五島列島の言葉を使って、狂気に落ちていく男がとても強烈で、初めて、ああ、彼は今までこれだと思う作品にめぐり合っていなかったのかもしれないと思った。
かの作品もあまり公開環境が良くなくて、話題のハシにものぼらないような状態で終わってしまったけど、そうでなければもっと評価されたんじゃないかという力作だった。映画って、そういうことが凄く作用するから、すごくすごくもったいない気がした。

そして同時に、役者としての彼と、役者としておのれを作り上げるクリエイターとしての彼に興味がわいていたから、監督をしたと聞いて、ちょっと面白いかも、と思ったのだ。

でもさー、更に不幸中の幸いだったのは、彼が監督作品であるこれに、役者としては出てなかったことなんだよね。 だって、大抵出るじゃんか、役者さんが監督しちゃうと。でも彼は出てなかった。
あんな不幸な事件があって“オシオ先生”が出演していた本作が公開の危機にすら立った時、ならば出演シーンを撮り直そうとしてもオシオ先生の代役というのを嫌ってか、替わりが見つからなかったという。

そして、榊監督自身が演じることになった。……でもさ、結局出来上がった作品を見てみれば、これは榊監督が演じて大正解、どころか、もし彼が監督をしながら役者としても出るんであれば、その役はここだっただろうなと思うほどに、それなりの出演シーンで、とてもオイシイ役なのよね。
だからさ、結果的には、ほおんとにオシオ先生はバカだったと思うけれど……自分の監督作品にストイックに自身は出演していなかったことが功を奏した。
しかもあの事件があった後即座に哀川翔から「撮り直すんだろ」と電話がかかってきたというエピソードは、イヤー、イイ話じゃーあないですかあ!

てわけで、エピソードばかりで全然内容に入っていけませんけど(爆)。これはね、ひょんなことからヤクザの息子を誘拐してしまった男の悲喜劇を描く作品。
勿論誘拐した時点では、この子がヤクザの息子だなんてことは知りようがない。ていうか、誘拐をしようと思ってした訳じゃないし、この子は最後までこれが誘拐だなんて思っておらず、自分の家出にこの優しいおじちゃんがつき会ってくれたんだとばっかり思ってる。
だからこれって、擬似親子のロードムービーの趣があって、擬似親子だから最後には避けようのない別れがあって……と考えると、映画の1ジャンルとして実に横道なハートフルドラマなんだよね。

しかも主演はバリバリのスター、高橋克典。まあったく、こんな気合いを入れて作られた、しかも初監督という記念すべき作品をあわやお蔵入りにしかねなかったオシオ先生め!いやー、それを思うと榊英雄は、ほおんとに強運の持ち主だわよね……とまた話が戻ってしまうから(爆)。
高橋克典はさ、確かに背の高いイケメンさんではあるが、どこか人情味があって、フランクで、そしてなんか子煩悩なイメージ(勝手に持ってるだけだが)もあったりするもんだから、この役にはピタシ。長身のイケメンでここまで作業着が似合う人もナカナカいないと思うよ。

そうなんだよなー。いまや寅さんを出来る様な100パーセント人情男優はさすがにいなくなってしまったけれど、そういうのをちょっと違うアプローチでいくなら、彼なんか行けちゃえるような気がするんだよなあ……。
あまり映画でお目にかかることはないけれど、スクリーンで見ると適度の大仰さが好ましく、とてもスクリーン映えする。でもそういう魅力を生かせる作品が今の日本映画にはなかなかないかもしれないけれど……。

まあ、だからという訳ではないけれど若干のベタさ、クサさはある。そもそもこの設定自体がかなりのマンガチックさを感じさせる。でもそれは、しっかり判った上で作りこまれているのも感じる。
ヤクザの親分を演じる哀川翔(現代ヤクザをやらせたら、そらー哀川翔兄さんの右に出る人はいないわな)は、そもそも“子供を誘拐されて組中巻き込んで大騒動”だなんて、劇中の彼の台詞じゃないけど「ヤクザとして失格」に違いない。
しかしその台詞に対して彼の懐刀が「でも親としては合格です」と返すあたりに、メッチャコワモテに見えながらも、この組の、この親分さんに子分たちがついていく図が見えるんである。

まあだからこそ“ヤクザの風上にもおけない”と、子分の中から裏切り者も出てくる訳で、これがオシオ先生が演じるハズだった岸田ね。ギリギリの選択で彼を演じた榊英雄の、ギリギリの選択だからこそだったかもしれない、背筋が寒くなるような“裏切り者”の佇まいは切れ味バツグン。まあだからこそ、オシオ先生がどう演じていたのかもちょっとは気になるところなのだが……。
もしかしたら、このヤクザとしては考えられない子煩悩の親分さんは今のモンスターペアレンツにつながるのかもしれず、でも一方でやっぱりなんだかマンガチックで、でも、そもそも今時こんなヤクザの世界こそがマンガチックでさ。いや、そういう世界も確かに今もあるんだろうけれど……凄くそのせめぎあいが面白いんだよね。

それを端的に示しているのが、哀川翔の超裏声(爆)。誘拐犯である伊達からの電話に出る時、相手を油断させるためと正体がバレないために“子供を誘拐されて慌てている親”をベタに演技する。
それ自体凄い可笑しいんだけど、でも実は彼の内面でそれ以上に子供のことをメッチャ心配しているっていうのがね、いいんだよね。
でも当の子供にとっては、ただただ怖いお父さん。自分の意見など聞いてくれない。伊達にその話を切々と語る伝助は「それでオワリなの。バン!って」伊達は「……殴られるのか」「ううん、ドアを閉めて出ていっちゃう」
ここもねー、絶妙だよね。子供に対して暴力で父親の威厳を示すなんてことはしないってことがさ。

確かに伝介にとっては仲良しのお友達と一緒の学校に行けない理不尽(理不尽なんて言葉もまだ彼の中では咀嚼できていないだろうけれど)を押し付ける父親は、分からず屋の怖い存在なんだろうと思う。でも伝助の話を聞いてみると「論理的に説明しろ」と子供に対してもきちんと自分の立場を説明するという大切さを教え込んでいるし、適当にあしらったりしていないんだよね。
伝助が理不尽だと思うことだって、確かにまだ伝助自身が未熟で、世の中自体が理不尽だから思い通りにばかりは行かないんだということが判らないだけでさ……。実はね、凄くいいお父さんなんだよなあ。

で、そう、すいません。伝助ってのが、この誘拐された子供である。誘拐っつーか、家出してきて、でも家出っていってもその高台の公園から彼の家は目と花の先。
で、伊達はその公園は地元からははるか遠く、つまりここに……自殺しにやってきたんである。満開の桜の枝にロープを引っ掛けて首を吊ろうとするも、枝が折れてあえなく失敗、手首を切ろうとしても恐怖からか上手く行かずじまいのヘタレ大全開。
そこに入り込んで来たのが、こまっしゃくれたガキである伝助。伊達はふと思い出してしまう。ブタ箱に放り込まれていた時、先輩囚人から伝授された“完璧な誘拐の仕方”を。

でもそこには、よもや相手がヤクザの息子かもしれない、なんて要素はなかったし、更に言うと「子供は消すべし。仏心を出したら失敗する」という掟を「この子は漢字が読めないから」とムリヤリ理由をつけて破った伊達に、そもそも誘拐なんて大それたことをする資格はなかった訳なんである。
しかも、「漢字は苦手だけど、歴史は好き」だという伝助は、伊達の免許証から「伊達政宗の伊達、豊臣秀吉の秀吉」とさらりと読んでしまうしさ。

そうそう……伊達には前科があるっていう設定がさらりと挿入されるんだけど、その詳細は明らかにされないんだよな。
伝助から厳しい父親のことを聞いた伊達は、飲んだくれのどうしようもない父親のことをふと思い出し、そして「お前は一人っ子か。オレには兄弟がいた。弟が。今は……」と天を指差す。つまり、彼のたった一人の弟は死んでしまったらしいんだけれど、なぜ死んでしまったのか、それも明らかにされない。
ろくでなしの父親のことを合わせて回想されるので、そこに不幸な過去がありそうなんだけど、明確にしないんだよね。
そして伊達は、親代わりに世話になった工務店の親方を、度重なる借金を咎められて殴ってしまい、飛び出してきたのだ。つまり伊達も、ろくでなしの階段を着実に登っちゃっているトコだったんである。

この伝助っていうのがこまっしゃくれたガキでさー。あまりにクサすぎるほどに妙に論理立った弁の立つスキルを披露する。
ちょっとね、あまりに出来すぎていて、それこそ伝助が一番マンガチックで、だって、理不尽さに対しての未熟は確かに判るんだけど、その割にはなんか説明出来過ぎる弁の立ちっぷりでさ、あまりに子供らしくなくてちょっと引いちゃうんだよなあ……。

ただ、この子は確かにこういうキャラでなければならず、でも実写にしてしまうとどうしても非現実味はある程度出てしまう……その中で、ちょっと信じがたいほど上手い、まさにプロの子役っぷりを見せてくれる彼は、結局は素晴らしかったデスと認めざるを得ないんだよなー。
台詞の達者さだけでなく、クライマックス、伊達との別れで涙をぼろぼろこぼす段に至っては、う、上手い、とうならざるを得ない。まー、子供が別れをきちんと悟ってこんなにぼろぼろ泣くなんてことは、実は現実的ではなかったりするんだけどさ……つまり彼は、こうであってほしい、という子供を憎たらしいほどに体現してくれるんだよなあ。

行き当たりバッタリの誘拐だったのに、一度は大金もシッカリ手にして、確かにあの先輩の言うとおりだったと有頂天になる伊達。
しかしカネを手にしても伝助はついてきちゃう。「だって、おばあちゃんの家に連れて行ってくれるっていうのが約束だった!」と、大人に散々約束を破られてきた伝助に責められては、伊達はひとことも言い返せない。
それでなくても、これまでの旅で情を通じてしまった。コンビニ弁当さえ食べたことのない伝助が「本当だ。友達が言っていたとおり、おいしい!」と夢中でがっついたり、「お父さんにキャッチボールしてもらったことはないけど、いつも壁相手にやってるから出来るもん」と言ったり。
その度に伊達は、彼とは対照的であったであろう自分の子供の頃を思い出し、それでも不幸だった自分を思い出し……理想の子供時代、理想の父親を伝助相手に求め始める。最終的にはそれが、非情な現代ヤクザ、篠宮の心をも動かすことになるわけで。

そうそう、もう一人、超ゴーカなゲストが。篠宮組を厳しく見張っているベテラン刑事、黒崎で、演じるのはもうこういう役は腐るほどやってるベという船越英一郎。しかも彼の息子と伝助が友達で、伝助がこの子と同じ小学校に行きたいがために父親と衝突して家出したという、フクザツな経緯があるんである。
最終的に伊達たちが捕まる場面、黒崎が「育ちの良さそうな男の子と、阪神のキャップをかぶったブサイクな男の子が一緒にいた」とカメラを下げた年配の男性からその画像を見せられて、ウチの子だ、と(笑)。
ぶ、ブサイクって、この子役のコに失礼……ふくふくしたほっぺが可愛らしい男の子だよー。しかも双子のダブルキャストじゃないの(爆爆)。

一度はあわや殺されそうになる伊達だけれど、そこに黒崎刑事が出張ってきて一件落着。
それにね、伝助は「おじちゃんにお礼を言いたいだけだ」というパパの、そのパチパチとまばたきをする様で、もうウソだって見抜いていたのだ。だからおかしいと思い、友達のお父さんである黒崎刑事に通報した。それで危機一髪、伊達は命拾いをしたのだ。
厳しく子育てしていたけれども、自分が思うよりずっと、子供は厳しい目で親を見ていたんだよね。子育ては親を育てることだっていうのを、その言葉以上に示した場面だった。

連れて行かれてしまう伊達は、伝助にまた会えると約束するけれど……約束は守るためにあるんだと、この旅の中で何度も誓い合ったけれど、きっとそれは……叶えられない、よね。
この、大人がつかざるをえない切ない嘘を、伝助はいつか許せる時が来る、だろうか……。★★★☆☆


ユリ子のアロマ
2010年 74分 日本 カラー
監督:吉田浩太 脚本:吉田浩太
撮影:南秋寿 音楽:
出演:江口のりこ 染谷将太 美保純 原紗央莉 木嶋のりこ 笠井しげ 外間勝 鈴木ゆか 金子ゆい

2010/5/11/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
江口のりこ主演ということのみが足を運んだ動機で、この監督さんのことは全く知らなかったんだけれども、この作品を生み出した“原作”ともいえる処女作を見てみたいなあ、と思った。近親相姦をモチーフにしたそちらの作品の方が、私的にはなんか興味があったりして!?

世の中“ヘンタイ”がそれほど珍しくなくなり、むしろ刺激を求める現代人たちが“個性”として“恥ずかしげもなく”声高にそれを主張するぐらいの今の世では、本作のヒロインのような“匂いフェチ”はそれほど恥じるものではないのかもしれない、と思ってしまったのがその理由かもしれないけれども、その“別に恥ずかしくもない性癖”が、性欲という名の、この世で最大の恥じらいを生み出すこととなるとそりゃあ話が違うのだ。
“ヘンタイ”である性癖をむしろ自慢げに言い立てる現代人たちは、それが性欲につながるのだということを忘れている、というか、性欲につながらないからこそ言い立てられる、実はそっちの方こそがハズかしいことなのかもしれないなあ、とぼんやりと思った。

そう、ぼんやりと。ヒロインのユリ子は匂いフェチではあるけれど、恋愛にはとことんオクテであるようである。もう30も迎えるようなお年頃だけれど、男の影は一切見えない。
そんなユリ子を、アロマセラピストとして彼女を雇っているオーナー(美保純)は心配をする。実際、ユリ子はこれまで何か恋愛で痛い目にあったからそんな風にオクテになったのか、ただ単に最初からオクテであったのかはちょっと判然としない部分もある。
恋愛はそれなりにやってきたのかも、とも思わせる。それは劇中、禁断の関係に落ちてしまう男子高校生、徹也の押さえ切れない欲望に「上手く出来ないの」と申し訳なさそうに拒む場面に、なんとはなしに現われているんである。

そのね、本作の前哨戦?のような作品であるらしい処女作のヒロインも、江口のりこなんだっていうんだよね。そして、弟との近親相姦の話であるという。
そんなきわどい役を演じられるのは彼女しかいないと、監督が惚れ込んでのキャスティングであったといい、本作もまた、監督が“大好きな”彼女に再登板してもらったのだという。

確かに江口のりこはそのあっさりとした風貌とあっさりとした(ていうか、実にステキにスレンダーな)肢体からは想像も出来ないほど、大胆に脱ぐし、大胆に演じてくれる女優。でも、それでいて後味もやっぱりあっさりとしていて、本当にそういうとこ、不思議な魅力を持った女優さんだよなあ、と思う。
実際本作だって、クライマックス、徹也とひとつになる場面は、別におっぱいぐらい出してと言えば彼女はいいよーとばかりに出したんじゃないかと思うんだけれど、エロがテーマの割には結構ストイックで、せいぜいがとこブラ姿で終わってしまったのは残念だったかも!?(キスも軽かったしなあ(爆))。

でもね、そんな、「上手く出来ないの」と尻込みするほどの、つまり性欲が薄いのか、あるいは性欲がある自分というものを見つめるのに臆しているのか、そんな繊細なアラサー女である彼女にとって、むきだしの欲望を隠そうとしない高校生男子は、そりゃー、まぶしい存在であったに違いない。
いやあ、さあ。一応はタイトルであるユリ子がヒロイン、主人公であることは間違いないんだけれど、そのアラサー女の葛藤が痛ましくも切ないのは確かなんだけど、この、もうとにかくヤリたい、この股間のモヤモヤをどうにかスッキリさせたい!!という男子高校生の生々しさが、何より本作の力に他ならないのだよなあ。

実はね、ちょっと前半は尻込みして見ていた部分があったりもした。オーナーの甥としてサロンに現われた男子高校生である徹也、しかも、剣道部で汗臭い防具を持ち歩き、夏の盛りで全身から汗が吹き出している。
彼が叔母さんに呼ばれてサロンを訪れた時、しゃがみこんでいたユリ子の目に、まず彼の汚れた革靴が飛び込んできたのだった。そんなものは、このサロンにはあまりにも無縁だった。
ふと目を上げると、つやつやとした肌と輝く黒い瞳と無造作に黒々とした眉の男の子が、五分刈りの頭から汗をかきかき立っていた。ユリ子は覚えず目が釘づけになってしまう。

おっと、ストーリーを追ってて脱線してしまった。なんで尻込みしたかっていうと……なんか、殊更にギャグっぽく、音楽が特にそうだったんだけど、ヘンにコミカルに盛り上げるのが、うっ、なんかついていけないなあ、と思って。
湯気があがりそうな彼のボーズ頭から立ちのぼる匂いを嗅ぎ、荷物を物色して篭手を失敬し、その匂いを夜な夜な吸い込んだりとか……そんなユリ子の場面に、そのテレ臭さをごまかすような音楽が鳴り響くもんだから、なんか逆に、そう逆に、それこそがテレ臭くなっちゃったりしたんだよね。
で、これじゃあちょっとついていけないなあ、と思っていたんだけれど、物語が進行するにつれ、ユリ子と、そして徹也の苦悩が段々深刻になってきて、そんなコミカルな音楽も鳴らなくなり、“ヘンタイ”がテーマになっていることも半ば忘れて、物語に引き込まれることになる。

実際、今から思うと、なんであんな、妙にゴマかすような描写をしたのかしらんと思うほどなんだけれど、そのエロ+ユーモラス、エロモラスがこの監督の持ち味だと言われれば、そうなのかと思うしかないんだなあ。
それでいえば、ユリ子に思いを寄せているらしい、常連客であるアヤメのおっぱいサービス(いや、観客に向けてのね。彼女にマッサージを受けているユリ子は眠ってしまって気付いてないから)も、ギャグ的要素に入る感じがしたんだけれど、正直この要素はシリアス的にじっくり見せてほしかった気もする。
エロがテーマなのにおっぱいを出すのがアヤメ役の原紗央莉だけってのに気をとられて、この魅力的なシークエンスが単なるエピソードとしてスルーされたのは、なあんか惜しい気がしたんだよなあ。

でも、ユリ子と徹也の展開は、もうドキドキったらないんである。徹也の篭手を取ってしまったユリ子が彼にそれを返しに行こうと学校の周りをウロウロするのは、極めてアヤしい(爆)。
そして彼女は、徹也が一人惰眠をむさぼる廃墟の中にまで尾行していく。こんな、いかにもおあつらえ向きの場所にまでいざなわれていくのは出来すぎな感もあれど、それもまた、本作においてはお約束的な、もう待ってました!てな舞台のようにも思える。

無邪気に寝息を立てる彼の、汗がしたたる生え際にユリ子は鼻を近づける。すうすうと吸う。そして段々大胆になり、そのゾリゾリとした初々しいボーズ頭をゾロリ、ゾロリと舌で舐めあげる。
そりゃあそんなことされれば目を覚ますに決まってる。ザッと身を引いた彼に「すいませんでした!!!」と絶叫して脱兎のごとく逃げ出すユリ子。
しかしなんたって、ヤリたい盛りでモンモンとしていた彼は、後日ユリ子を訪ねてくるのだ。あの続きをやってくれませんか、と、思い切りよく叫んで。

ユリ子の目的が彼とのセックスではなく、ただその匂いを嗅ぎたいだけだと知っても、ユリ子は匂いを嗅ぎながら手でヌイてくれたから、もう徹也は彼女のとりこになってしまう。
ユリ子自身はどうだっただろう……セックスに対してはあれだけ怖じ気づいていたのに、あんなにテクニシャンなのは、アロマセラピストだからという訳では、ないでしょ。やはりそれなりの過去はあっただろうと思われるんだよな。

ヤリたい盛りの少年を慮って、匂いを嗅ぎたい自分の欲望を満たしながら、彼をヌイてあげたのは、自分ばかりが満足しちゃ悪いと思ったからに他ならない、であろう。
でもね、そのことが裏目に出たんだよなあ。そりゃあ少年だから手であってもヌイてもらえば満足し、執着し、ユリ子にまとわりつくようになる。
そして一方で少年らしくカワイイ同級生にも恋心を抱いてて、その恋のさや当てをしていたライバルの剣道部の友人にユリ子との関係がバレて、「匂いを嗅がせればヌイてくれる」なんて情報をもらしてしまったもんだから、このアホな友人は真に受けて、ユリ子のもとを訪れてしまうのだ。

でもそれは……最初のうちはヌイてもらうだけで満足でも、やっぱりやっぱりセックスがしたくてたまらない徹也が、ユリ子さんがいっこうにヤラせてくれないことに業を煮やしたことで腹いせしたのが本音、なのかなあ……ヤハリ。いや、あるいはその、セックスしたい、という気持ちが、恋心とごっちゃになって、だから彼はモンモンとして、友人をけしかけてユリ子さんを売り渡すような暴挙に出ちゃったのかなあ……。
“恋心とごっちゃ”てのはね、本当に、この年頃の男子じゃ、本人も判っちゃいないと思うのよ。ホント、本作はそのあたりが実に生々しくてさ、男子高校生のヤリたい欲望がもう、スクリーンに充満してるんだもの。

学校のマドンナを首尾よく彼女にしたものの、「アイツ、ヤラせてくれないぜ」と徹也にささやく友人。その女の子の顔写真を拡大して貼り付けた防具に、バックからバコバコやって欲望を晴らす男子諸君。
友人が彼女に告白する場面、部員全員が覗きに来ていて、しかもその告白される彼女は嬉し恥ずかしスクール水着、しかもしかも妙に小さいサイズで、ぷりぷりとしたお尻がはみ出しているというカンペキさである。
でもつまり……お互い女子の肉体とイケメン顔に恋してる状態の少年と少女は、当然上手くコトが運ぶ筈もないんである。

まあそんなのは、どの年齢だってそうだとも言えるんだけれど、ただ……この年頃は顕著だよね。
だから、徹也とユリ子は、年齢的には全くもって離れてるし、恋愛関係としては世の中から奇異に見られるんだけれど、いわゆる性欲に対する希求に関しては、ひょっとしたら一番しっくりくるのかもしれない、などとも思う。だからこそ男女はムズかしいのだよな……。
そして、“恋愛関係としては世の中から奇異に見られる”……だって、奇異だもの、だって、恋愛関係じゃないから、という結論なんだろう、なあ……。

ちょっとね、そういう雰囲気にだってやっぱりなりかけるのよ。だってお互いがお互いを求めているという、目的意識は一緒なんだもん。性欲は恋と同じだと錯覚しているお年頃の男子高校生と、恋と性欲を一緒に感じたいと夢見ているアラサー女と、それは奇跡的に価値感を同じうしていると言えちゃうのかもしれないのは……そうじゃないからこそ、とてもとても間違っているからこそ、なんと痛ましいのだろう。

一度は、決裂する。友人男子をけしかけたことを問いただしにユリ子が学校に向かう。ちょうど徹也と彼女が出てくるところで「私を振るなんて、ヒドイ!」とお門違いにユリ子に訴えてくる彼女に「自業自得なんでしょ。香水がキツいんだよ、クサイ」と冷酷に言い放つユリ子。
しかしユリ子は徹也にも「私に言うことがあるんじゃないの」と静かに問いかけ、何も言えない徹也に「情けないね」と更に静かに言い放って、立ち去った。

徹也がフッてしまったマドンナが、その腹いせにユリ子と徹也の禁断の関係を「剣道部のクサ男と匂いフェチのオバサンが変態プレイをしている」と心ない中傷ビラを全校に撒き散らす。そのことで、ユリ子を真摯に可愛がっていたオーナーとも決裂してしまう。
徹也はユリ子にヌイてもらって調子に乗った友人と大喧嘩し、ボロボロの、雨に濡れた子犬のようになってユリ子の元を訪れる。

あの場面……カギがかかってなかったのか、彼が来るのを予測してかけてなかったのか、ガチャリと入ってきてさ、部屋のドアのところで押し問答するものの、うなだれた徹也が入ってくるのを止められないんだよね。
そして、……そうなりゃあ、こうなる訳で。まあ、ユリ子が彼に激しく当たりもするものの、徹也が望んでやまなかったセックスを、その大喧嘩の果てに、果てだけに、とても甘やかに、本当に二人が同じ深度で自然に求め合う形で行われるのには、めっちゃドキドキしたなあ!

徹也を演じる染谷将太君はほおんとそのあたり、素晴らしくてさあ!
リアルに10代の高校生、もうリアルにヤリたいさかりであろう、その雰囲気も充分に感じさせつつ、子役時代から培った充分なキャリアで、恋とセックスのバランスにモヤモヤと揺れる男子高校生を、ホンットに汗のアロマが立ち上りそうな雰囲気満点で演じてる。
あの江口のりこを相手にしてカラミも(まあ、最終的にはいかない程度にしても)堂々たるもんである。いやあ、やりおるなあ。

でも、最後はなんか切ないんだよな。色々あって、本当に色々あってさ、で、無事ひとつになった二人がさ、彼が本当に満足した表情で、じゃ、と言う。彼女もまた穏やかな表情で、うん、とつぶやく。
ここね……彼は「じゃ」だけで、「じゃ、また」とは言ってないんだよね。そしてそれを彼女も充分に汲み取って、「うん」と頷いてる。
……彼女は……いや彼の方も、二人ともが、セックスをしてしまえば、別れが来ると知っていたんじゃないのかなあ。オーナーに責められなくても、生徒たちから白い目で見られなくても、終わりが来ること、知っていたんじゃないのかなあ。

表面上はね、ヤリたい盛りの彼が、目的を達したから、とだけに見えなくもないけれど、むしろ彼女の方だったんじゃないだろうかと思う。彼女の方が、セックスに怯えて恋愛すらも出来ていないままここまで来ていた。
彼女が達成したのは上手く出来なかったセックスではなく、恋愛だったんじゃないかって。それを感じて、自分じゃそれを遂行できないってこと、本能的に察した徹也は、潔く去ったんじゃないかって。

アロママッサージのほのかなエロさも効いていて、結構心と身体双方にグッと来た作品。男子高校生の汗の匂いが、本当にスクリーンから漂ってきそうな気さえした。アロマの香りは全然感じないのにねえ(爆)。
監督がホレこんでいるという江口のりこ、そのタッグをこの先も見てみたい。★★★☆☆


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