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「え」


2012年鑑賞作品

エクスタシーの涙 恥淫
1995年 61分 日本 カラー
監督:大木裕之 脚本:伊藤清美 大木裕之
撮影:土原剛 音楽:ジョン・ゾーン
出演:田口朋毅 大杉暁子 葉月螢 伊藤清美 永井卓


2012/6/20/水 劇場(銀座シネパトス/PINK FILM CHRONICLE 1962-2012/レイト)
大木裕之と園子温の二本立てというのはかなり刺激的で、これは足を運ばずにはいられない。奇しくも二本ともゲイ・ポルノというのも面白いけど、大木監督はなんといっても「あなたがすきです、だいすきです」で名を馳せた人だから、どうもゲイ映画のイメージはある。本人がそうなのかどうかは特に探っていないので判らないが……。

メジャーシーンでは名前を聞かなくなったとも思ったが、彼の活動は現代美術から、映画というよりもっと先鋭的な映像芸術にまで多岐に渡ってて、なんたって高知をフィールドにしているから、やはりこんな大雑把な首都に住んでいるとなかなか目に触れる機会がないのかもしれないのが惜しい気がする。
そう、それこそ園子温監督がこんなにも大きな存在になったぐらい、それぐらいの感性の高さが彼にはあったからさ……。

本作は驚きの実験感覚映画。実験性が強すぎて、正直観ていて???という感じではあるのだが……。
ピンク映画の60分を60シーン60カットで撮るという、思いつきそうで思いつかない、いややっぱり思いつかない、思いついてもやろうとは思わないであろう手法。
まあピンク映画の60分という尺だから、やっちゃえば出来るかも!という感覚はあるかもしれない……これが120分120シーン120カットだったら、目が回りそうになるもの。
でもいくら60分でも、やっぱり思わないかもしれない……だって1分ごとにカットを割り、しかもそれがワンシーンワンカットという縛りではあまりにあまりに、継続した流れの物語を語るなんて、至難の業じゃない。

だから語ってない、というか、最初から語る気はない、というか。
これは大木監督の現代美術家としての側面も大きく作用している作品で、枯れ果てた草原にたたずむ、空と交信しているトップレスの女や、おたふくの面をかぶった和服の女や……といった、何か民話の夢のような画がさっと挿入されてくる。
それは1分1カットだからこそ、思わせぶりにも、さりげなくにも、とにかくさっと入れられる絶妙の感じ、なんである。

いわゆるメインストリーム、というか、物語的な部分はやはりこの手法ではズタズタに分断されて、正直どんな話だったのか、登場人物の関係性さえも、見終わってもイマイチ判然としないというのが正直なところなんだけど。
現実もあの世もこの世もあるいは宇宙も、このザ・日本の、懐かしいような怖いような風景の中にざくざくと収められている感覚はやはり、大木監督独特の感性のように思う。

それでも一応設定。設定……?一応家族。後に、自分たちは宇宙人、というか、とにかくこの世の人間ではないと主張する四人家族。アキコとトモキという兄妹、その父と母は、彼らの父と母というにはあまりに若い。
彼らが拠点のようにして集う、古民家風の一室。金色のブーツを履いたトップレスの女、吊り下げられた細紐、移動カメラで家族の集合場所に移り、宇宙人とか、この世に残るとか、現実で子供が出来たとか、なんとも不思議な会話が繰り広げられる。
この移動カメラは“現実世界”でも多用され、彼らの淡々とした様をひどく印象的に映し出す。

でも、アキコに関しては全然ドリー撮影はなかった。彼女はただただ、恋人のケンと彼の部屋でセックスするだけ。そういう意味ではピンク要素を担っているともいえる。
いや、でもホタルという自身の名で登場する(他の登場人物も皆そうらしい)葉月螢とタカシ(多分。役名うろおぼえ……)も、狭い部屋を二つに区切った同居部屋の左側でよくセックスしてるけど、いつも俯瞰だし、外セックスもいつも引きだし、何より葉月螢だから、全然エッチな感じがしない。

ピンク映画を見出した時、その遥かな魅力に釘付けになった葉月螢は、やっぱりここでもエッチじゃないままである。充分いろんな体位でセックスしてるのに、なんて不思議。バナナやぶどうをくわえておっぱいまるだしで道を歩くなんてシーンが、彼女だとなぜか詩的に映る。
防波堤によりかかったり、稲穂の実る田んぼでのセックス。それも、なにか夢の中の出来事なのだ……って、これは夢なのか。
もう、判然としないの。どこから夢で、どこから現実なのか。1分ごとにカットが割られているのに、いや、割られているからこそ、判らなくなる。

アキコが不思議な行動をする。恋人のケンに、ここに射精してと言う。ぐるぐる巻きの模様から一筋たらりと垂れた絵柄。
その途端走り出したアキコを見てホタルは、「あの子は今、はらんだよ。私には見えたよ」と言う。アキコ側の人間関係とトモキ側の人間関係は分かれているんだけれど、夢だかなんだか、この世だかあの世だか宇宙だか判らないところで交錯する。
走って逃げるホタルをとらえたトモキと先輩に遭遇してアキコは、「何してるの、お兄ちゃん。お母さんを呼んで」と金切り声を上げる。
アキコだって走り出してた、その理由をアキコは「あの模様にケンが射精した時、自分の身体の中身が流れ出しちゃいそうな感じがしたの」と後に語る。

そしてその模様は、カバーが開きっぱなしのプリンターで何枚も何枚も印刷される。そしてそしてその不思議な模様こそ、タイトルバックに使われるんである。
無造作なぐるぐる巻きから一筋の涙のようなしずく。エロティックにも見えるし、寂しい涙にも見える。造形美術のひとつとして差し出され、観客が試されているようにも思える。

最初、アキコは自分は子供が出来ないと言ってなかった……?それともあれは違う女だった……?とにかくこんな不可思議な作品だから、なかなか判然としない部分が多くて。
時間軸も結構、前後しているように思えたし。「私、宇宙人だから子供出来ないのよ。ケンの子供欲しいけど」とアキコが言っていたように思ったけど……違った??

だってとにかくとにかく、不思議なのよ。まだ宇宙人とか、この世とかあの世とか、そういうことがよく判らない時点で(いや、最後まで判らないんだけど(爆))、二人が歩いてる訳。あれは……トモキとえーと……タカシ?父親?もう、頭の中?だらけで見てるからさあ……。
「お前、殺されたんだろ」「お前に裏切られてな」他に、ヨハネとか、「お前の目、光るからすぐに判ったよ」とか、1995年にファシストに殺されたとか……とにかくとにかく、高度にファンタジック過ぎてねえ……(爆)。
でもそれでも、わっかんない!と捨てきれないのは、葉月螢を初めとした、それをさらりと体現してしまう役者たちの不可思議な魅力だろうか。

うん、やっぱ、葉月螢だよ。彼女がね、いつも材木置き場でオナニーしてるトモキと話をする。
トモキが「父さん、ホモだから」と唐突に衝撃の発言をするのもなんとも可笑しいが、その父さん役が大木監督自身だということを考えるとヤハリ、かなあ……。 マッチョ雑誌の文通欄にマッチョ写真を送るためにポーズをとる、なんてシーンまで出てくるのはやけに生々しいしさ……。
ひょっとしてこの辺は、ちょっとしたギャグなんだろうか。“ホモの父さん”と母さんの間に子供が出来たなんて、という意味で子供たちが、苦笑気味になったりするんだもの。

そしてその子供は宇宙の子供?この世の子供?とシュール極まりない会話をする、のを、観てる時はなんとなくスルーしちゃったけど、ひょっとしたらこれって、結構深いのかもしれない。
セックスする筈のない夫婦の間に出来る子供は、宇宙の子供……ゲイムービーとして見ると、これはホントに深い問題なのかもしれない。

しかも彼らは、みんなこの世に残る選択をする。アキコはケンを愛するがゆえに、トモキはホタル、ではなく、タカシ先輩を愛するがゆえに。
ホタルのことは、タカシを愛するホタルとしてしか愛せないと言った。ホタルがいつもくわえている果物、ぶどうは種無しじゃないとダメだと言った。
バナナも、種はあるんだろうけど、見えない。種無しの、甘く熟した果実。これもまた、何か切なく、しかし爛熟した、性愛の暗喩を思わせる。

で、ちょっと脱線したけど、トモキとホタルが二人、材木置き場でいるシーンが一番多いし、一番印象的。ホタルが作ってきたお弁当を二人並んで仲良く食べたりもする。
その材木置き場から隣のスペースにドリーする。その繰り返しも。右側の材木置き場というある種の聖地と、左にドリー移動する現実の喋り場と。
トモキは、ここでオナニーするとUFOが見えるんだという。ホタルも見たいという。イク時に見えるの?すっごく気持ちいいよ、と。

ホタルはトモキのナニをくわえた。「口の中でさっと光ってね、私の体の中を照らしたよ」
なんか印象的で前衛的な台詞が多くて、記憶に残っているのが誰の台詞だったか……。
これはこの時の葉月螢の台詞だったと思うけど、いかにも彼女が、さらりと言って似合いそうな台詞だからさ。ゴメン、このあたりまで来るとホント、頭ん中ごちゃごちゃで……。

なんかね、レズビアンっぽいベリーショートの人物が現れてね、「やだ、うんこ、うんこ、変わった。こんなんじゃなかった。よく判った。じゃあね」とか、もう、理解不能な台詞の応酬まで来るとナカナカ……。
しかも、葉月螢が口火を切る「うんこしたくなっちゃった」他の三人の男も従う。皆で尻をぺろんと出して、草むらにしゃがみこむ。なんともはや、なんともはや、不可思議!

それにしてもそれにしても、なんと不思議な。あのね、1シーン1カット、1分60カット、最初のうちはそれを生真面目に、英語の発音でナンバーナニナニとか、入れていくのね。
だから最初はしっかりと、1分1カットが刻み込まれていくんだけど、次第に、音楽が入ってるとそれがハショられたりしつつ、後半はすっかりそれがはぶかれる。つまり、最初に気になっていた、分断していた流れをしっかり獲得してる。
こういう“実験的”を出来るのはピンクならではとも思ったし、まさしくそうなんだけど、その中でもしっかと構成力を発揮してんだよなあ。 ★★☆☆☆


越後つついし親不知
1964年 113分 日本 モノクロ
監督:今井正 脚本:八木保太郎
撮影:中尾駿一郎 音楽:池野成
出演: 三國連太郎 小沢昭一 佐久間良子 田中春男 杉義一 谷本小夜子 相生千恵子 北林谷栄 殿山泰司 北城真記子 五月藤江 清川虹子 佐藤慶 山本緑 中村是好 東野英治郎 高橋とよ 木村俊恵 松村達雄 沢村貞子 石橋蓮司 松本染升 明石潮

2012/4/18/水 劇場(銀座シネパトス/今井正監督特集)
“今井監督にしては珍しいR指定”ってことに心惹かれたワケではないが(爆)、でも佐久間良子でR指定?強姦シーンがあってもおっぱい出してんのおー??などと下世話なことを思った私はバカバカバカ。確かにおっぱいは出したが、それどころじゃなく全裸だったが、その時彼女は死んでいたし(泣)。
じゃなくて!そうじゃなくて!!当時のR指定は確かに強姦シーンのせいだったのかもしれないけど、大体そんなことでRになるあたりはやはり映倫の単純さで、これは、これは、もっともっと辛いのは、そんなところじゃ、ないのッ!
いや、そう言うと語弊があるか、確かにその強姦から全ては悲劇、惨劇、悲惨につながっていくのだから。でもでもそうじゃないの。ああ、なんと言ったらいいのか。

物語自体は、さらりと言ってしまえば単純と言えるのかもしれない。女が男に強姦された。それを知らない女の夫が自分の子を妊娠したと喜んだ。でもそれが他の男のタネだと知って頭に血が上り、妻を殺した。そしてその男を道連れにして、断崖から身を投げて死んだ。以上。
おいおいおい、さらりと言い過ぎだよ!でもまあ、そうなんだよね。なぜあんなにも妻を愛していた夫が信じてくれなかったのか、なぜあんなに愛している夫に真実を告げられなかったのか、なぜあの男はあんなにも鬼畜なのか。
シンプルな物語にそんな肉付けをしていくと、こんなに傑作が出来上がる。ああ、辛くてしかたない残酷な物語なのに、傑作と言ってしまう人間てヤだ!

佐久間良子、そう、佐久間良子。この作品で評価が上がったという彼女は、それまではアイドル的存在だったのかもしれない。私が見る限りで最も若い佐久間良子。めちゃくちゃ可愛い。
こんな雪深い山村にもんぺはいて存在しているとは思えない。その雪に映えるほどに雪白な肌、恐らくばら色の頬(いや、モノクロだからね)。
小作りながらぽってりとした唇は少女らしい様だけれど、でも確かにあの鬼畜な男から見たら、ただのエロい唇に見えるのかもしれない。

鬼畜な男、三國連太郎!後から思えば相当なもうけ役で、特に前半は彼の先導で話が進んでいくから、彼が主役級なのかと思って気が滅入った。いやだって、もう見るからに生理的にヤな男なんだもん!
彼、権助は越後の田舎の農閑期に、京都伏見の酒造会社に出稼ぎに来ている。同郷の留吉こそが佐久間良子演じるヒロイン、おしんの夫であり、後半は留吉とおしんの切なすぎる哀しすぎる展開に釘付けになるんだけれど、その全ての元凶がコイツであり、もう、ホントに、ホントに、キショい男なの!一見しただけで、テキトーで口だけで、なのにねたみ気質で、サイアクなの。オメーにはねたむ資格もないっつーの!

正直前半はその訛りがなかなか聞き取れないんだけど、三國連太郎のキショい笑顔とすぐ不機嫌になる表情との落差で、ホント、コイツヤなヤツ!と生理的に悪寒が走っちゃう。自分はなまけながら丁稚小僧をからかい気味にいたぶる場面なんてとっかかりとしては実に上手くて、ホント、ヤンなるほど上手い、と思うし、めちゃくちゃもうけ役。

権助は国もとから、お母さんがいよいよ危ない、という電報をもらうのね。すわ、顔色を変えて駆けつけるかと思いきやヘラヘラ笑って、留吉にことづけはないかと聞いたりする。
まあそれぐらいはいいけど、その流れで留吉が、その働きぶりを認められて昇格することや、国の女房はすこぶる美人だということを聞いて一気に不機嫌になるんである。女房はともかく(いやそれも、権助の気質じゃいい嫁も来んわな)、留吉の昇格は本人の努力ゆえなのに。

それでもまあ、これぐらいなら人間として気持ちは判らなくはない。しかしここからが問題。雪がひどく、汽車は大いに遅れた。ならば余計に焦って駆けつけるかと思いきや、権助はノンキに飲み屋に立ち寄る。どうせ遅れたから、という気持ちさえ見せずに、本当にノンキに。
てゆーか、彼の言い草は「伏見の酒は置いてないのか。地酒?伏見の酒に比べれば、水みたいなもんだな」ムッカー!何こいつ、職場ではサボってばかりいるくせに!

そこの酒場に居合わせた客が偶然、権助の兄の伊助と戦線で一緒で、伊助はロシア娘にえらくモテた、ハラショーだった、つきたての餅のような肌やら、とうもろこしのひげのような髪の毛やらと、やたらエロな描写を使って、歯をむき出してケケケと笑いながら語るんである。
それだけでもキモチワルイのに、それを聞いてる権助が、なんだろあの表情、あの時には、モテた兄の話に不機嫌になったのかと思ってたけど、どうやら……なんか身のうちにもんもんとしたものを抱えた、らしい。

てな流れで、雪道で器量よしの女、つまりは留吉の女房のおしんに出くわして、あのヘラヘラ態度のまま、彼女を犯すのだ。最悪、最悪、最悪!!!だって、オメーのおふくろさんは今、死にかけてるってのに!
実家で権助の帰りを今か今かと待っている兄、兄嫁、その子供たちの描写がカットバックされる。それはどこかコメディタッチで、なんたって兄が殿山泰司だから(爆)。てか、ロシア娘にモテまくったのが殿山泰司(爆爆)。まあいいけど(汗)。
子供たちは実に無邪気に、バッパ息してないだの、死んじゃっただの、しまいには顔に白布かけてマネする無邪気な残酷さ。うう、キッツい。

その後も権助のサイアクキャラは続く。死んだおっかさんが清められるために素っ裸でたらいに入れられるのを見て(これ自体、凄い描写!)、雪の中押し倒したおしんを思い出して生唾を飲み込む。さ、サイテー!
更に、ぬけぬけとおしんを訪ねていき(し、信じらんない!)同居している老いた姑の目を盗んで実にヤラしくおしんの尻だの触りまくり(ゾゾー!!)コタツの中で彼女の膝を割って足をもぐりこませる。
うえー、マジに吐き気がする、このコタツの中の描写の方が、何故だか強姦シーンより生々しくて、生理的嫌悪感強大。今すぐコイツのヘラヘラ顔を斧で断ち割りてぇ!

……すいません、理性がぶっとんでしまいました。そう、何度も言うように、もうけ役なのよ。このまま彼で最後まで続いたらどうしようと思ったのはそれで、三國連太郎はあくまで起爆剤であって、メインは……。
あのね、私はこれ、夫婦の愛の物語だと思ったの。ていうか、思いたいと思った、と言う方が正しいかなあ。
留吉とおしんは純粋に愛し合っているのよ。別にドラマティックな恋愛結婚という訳ではない。当時の、そしてこういう地方ならばよくある、紹介されての結婚。結婚するまで顔を合わせたこともなかったであろう、みたいな。でも、二人は、権助みたいな横槍が入らなければ、本当に仲むつまじい夫婦だった筈。

ただ。おしんは留吉に嫁ぐまでは色々あったんだよね。見てる時にはね、これは原作は丁寧に描写しているであろうところを、映画の尺的にはしょって説明してるって感じに思えたの。
おしんには身寄りがない。彼女の最初の記憶は、行商の母親におぶわれている。父親の記憶は皆無。その後、母親の姿はふっつりと消え、曲馬団か芸者に売られるところを助けてやったんだ、と子守に雇われているところから始まって、住み込みの女中を何度か、盲目女芸人の先導やら、砂鉄採取やら、色々と苦労しているんである。

そしてその中で、女中奉公時代に、彼女は”女”になった。いいとこのぼっちゃんに納屋に引き入れられて。それはほんの導入部で、暗示だけで終わるけど。
奉公先の主に夜這いされかけて、おかみさんに嫉妬からひどく殴られたこともあった。つまり、幼い顔をしているけれど、おしんは留吉に嫁ぐまでに、充分に女の修行を積まされていたのだ。

ちょっと、ね。これがなかなかに意味深で。留吉があんな美人の女房を、と、いわばあの強姦は腹いせのようにも思えるぐらい、つまり決して男前じゃないしさ。
なんたって権助は三國連太郎だから、生理的嫌悪感があっても(爆。スンマセン、あくまでキャラ的にですから!)イイ男な訳で、留吉は……。
いや!小沢昭一だからという訳じゃないッス!ていうか!それこそ小沢昭一も、私が見る一番若い彼かも!!ああもう、何で三國連太郎なんかに騙されちゃうの、イヤイヤ!!

……すみません、また取り乱してしまって。いやさ、権助がまた、すぐにバレるようなウソつくんだもん。おしんが浮気してるとかさ、ヘーキでそーゆーこと言う訳。しかもさ、「言うつもりはなかったけど、(おしんのことを想っている)お前があんまり可哀想だから」キーーーー!!!死ねオメー!!
この時代だからさ、すぐ連絡もつかないし、いや、留吉は何度も手紙を書きかけて破って捨てての繰り返しで、結局酒造りが終わる春までの数ヶ月、もんもんと暮らすのよ。可哀想で可哀想で(涙)。
その間、権助は気楽に色町に繰り出して、そのしつこさで遊女に疎まれ(笑)、ウブな丁稚小僧をからかってその敵娼にも疎まれ(笑)、つまりコイツ、通ぶってるけど、メッチャ無粋やん!あー、ムカつく!!

自分がウソをついたから気になって留吉と一緒に帰る権助だけど、そこまで気にしていたとは思えないなあ。だって、おしんの涙の訴えで嫌疑が晴れるとアッサリ、自分の思い違いだったとか言って、ずうずうしくじゃが芋の種芋をもらいにきたりするしさあ。しかもその時点でも、おしんの尻を撫で回すのよ、信じらんない!

このあたりでようやく権助の呪縛が解けて、留吉とおしんはラブラブに戻る。でも、おしんのお腹には権助のタネが結んだ命が宿っている。
それを、内職仲間のオバチャンたちがいち早く察知しているのがコワい。「出稼ぎに行く前に、頑張ったんだね」と下ネタ交えて喜んでくれるのが痛い。だって、オバチャンたちが見抜いたように、「五ヶ月にしては、お腹が小さいね」なんだもの!

おしんが、夜半起き出して、重い石臼を持ったり、冷たい川の中に入ったりするのはありがちとは言えど、女としては見ているのが辛い。
彼女のつわりに留吉が妊娠と気づき、当然自分の子だと喜び、おしんは悩みながら産婆さんのもとに行って、時期がハッキリ権助のタネであると判り、その帰途、断崖絶壁から身を投げようとするんだけど……「自分の中に、権助のタネとは言えど、新しい命が宿っている」ことを思って、死ねない。

女、なんだよね。
母親、なのだ。
それが哀しい結果に終わってほしくなかった、のに。

留吉も産婆さんから話を聞いてしまう。顔色を変えて、おしんを問い詰める。この場面、単純におしんが家にいる訳じゃなくて、丘を登って、登って、登って、小さな田んぼのふちで休んでいるおしんに食ってかかる。
12月に入ったタネだ、相手は誰だ、誰の子なんだ!と……。なぜ、なぜ、おしんは、真実を言えなかったの。ずっとずっと、それが疑問だったし、納得いかなかった。
確かに権助はあの時、あのにやけた顔で、誰にも言うな、トメにさえ言わなければ、誰にも判らないさ、と言った。でもそれは、脅しというほどには強い言葉じゃなかった。言ったらどうこうという訳じゃなかったし。
でも、おしんは……権助に言われなくても、留吉には、言えなかったんじゃないの。それは彼を、真実、愛していたからじゃないの。

正直、留吉のおしんに対する想いほどには、おしんのそれが描写される訳じゃない。おしんはその生い立ちの厳しさと、権助に強姦されて後の追い詰められっぷりばかりである。
でも……酒造り期間が終わって、農作業期の春に帰ってきた夫を迎えたおしんの、あのパッと輝くような、花のような笑顔が、全てを示していたように思うんだもの。
真実を言えないながらも、とにかく浮気という疑惑は晴らした場面で彼女が流した涙と、留吉に抱かれた幸せそうな様子が、心に刻まれるんだもの。

いや、でも、やはり、その後の……これを、クライマックスと言っていいんだろうか、逡巡してしまうけれど、やはりそうだと思う。
おしんを殺してしまった留吉、その押しンの亡骸と共に過ごす留吉のシークエンスこそが、二人の純愛を示していた。
これこそが、衝撃だった。強姦シーンよりも、うっかりおしんを殺してしまう場面よりも、何よりも、衝撃だった。

いやさ、確かにうっかりおしんを、そう、うっかり殺すか!!とは思ったよ。なんで信じてあげないの、おしんも、なんで、いくらなんでも、この期に及んで、もうこうなったら、言えよ!!!と思ったのに、なんで強姦されたと言えないの、と思ったよ。
田植え中の泥の中におしんの顔をぐりぐり押し込んで、興奮のあまり加減を忘れて、おしんがぐたりと動かなくなる、なんでよ、なんでよ!!二人ともバカバカバカ!と思ったよ。

でもね、そのおしんを、泥だらけのおしんを、下校途中の子供たちに追い立てられるように運びながらも、川の水できれいに洗って、そう、一糸まとわぬ輝くような裸体を山小屋に横たえるの。強姦シーンには見せなかった美しき裸体。
権助と交わったとかいうことは、留吉の頭からはすっかりなくなっているらしくて、ただただ、この美しき愛しき女房を、もう息もしていないのに、だからこそなのか、ただただ、ただただ、愛しているの、いとおしい目をしてるの!!何これ、何これ、何これ!!!あんなに、嫉妬に狂って彼女を殺したのに!

そして、そりゃあ当然、腐乱してくるのだ。その前に、彼女に着せる着物を取りに家に戻ると、老いた母親(北林谷栄、完璧!)から玉子を持たせられるのさ。
隣の雄鶏のところのばかり行って、ウチで玉子を産まない、とめんどりを叱りながら追っかけるコミカルなシークエンスが、おしんの誤解をそのまま現してて、コミカルで笑っちゃうけど、苦しい。

でね、そう、腐乱してくる愛しい妻に、その美しい裸体に、むしゃぶりついて泣く留吉。……強姦シーンより、こっちでR指定がついたような気もする。
念入りに目張りをした山小屋に火を放ち、泥だらけの留吉は帰途に着く。赤紙が来た権助を送る行列に出くわす。おしんの着物を抱えて玉子を持たされて飛び出した留吉の背中に、老母がそのことを伝えていたのだけれど、彼には聞こえていなかった。
激しい戦線になっている、赤紙が来たら即、死は確実だぐらいに巷で囁かれていることを留吉が知っていたかどうか……。

そう、そのままほっとけば、権助は戦死したかもしれない。身体の小さい留吉には赤紙は来なかったかもしれない。
おしんが妊娠したと知った時、男が生まれたら大きな身体になってほしい、女ならおしんに似てほしい、と無邪気に口ずさんでいた留吉。
権助は、立派なガタイの男だった。そうすると、兵隊にとられて死んでしまうのだ。このままほっとけば。夫婦がお互いを信頼して本当のことを口にしていれば。どうして、どうして、上手くいかないの。

留吉がウラミのある権助に飛びかかって、断崖からもろとも落っこちても、ちっとも溜飲なんて下がんない。しぶきがあがって、浮かび上がらない二人、その水面でジャーン!と終わるのは、今の映画ではありえないオドロキの潔さだけど、スッキリなんてする訳ない。辛い、辛いよ。

やはり権助のタネだと知って、一度は身を投げようとするおしんが、しかしお腹の中の新しい命を感じて思いとどまったことが、その母性が、実は元凶の強姦よりも哀しく切ない要因だったのかもと思うと、辛い。
だってそれは、母性の感情は、本当に本能で、理性で抑えられなくて、やっぱり父性とは違う。それを判ってもらえなければ、アウトだもの。女って……いや、女と男って……。 ★★★★★


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