home! |
風流交番日記
1955年 91分 日本 モノクロ
監督:松林宗惠 脚本:須崎勝弥 井手俊郎
撮影:西垣六郎 音楽:宅孝二
出演:小林桂樹 志村喬 宇津井健 御木本伸介 高田稔 倉橋宏明 児玉一郎 菊地双三郎 阿部寿美子 加藤欣子 城美穂 三原葉子 安西郷子 内田あけみ 若杉嘉津子 英百合子 天知茂 多々良純 花岡菊子 伊東隆 加東大介 若月輝夫 小倉繁 井上大助
冒頭、「風流とは、平和を愛する文化のあくびのようなものである」みたいな、解説がなされる。大言海、ってことは、辞書掲載!?凄い言い様だな!
最終的にこの解説に納得できたかどうかは……微妙だけど、この入りは静かだけど強烈、ツカミはオッケーって感じなんである。
おまわりさんモノといやあ、結構最近に見た池部良主演の「33号車応答なし」を思い出すけど、そういやああれも志村喬で、ちょっとくたびれかかったベテランおまわりさんという役どころなんてそのまんまって感じ。
まあかの作品は常駐勤務ではなく、夜回りに駆り出されるおまわりさんで、本作は新橋駅前の交番に常駐しているおまわりさん、てな違いはあるけれど。
常駐おまわりさんの方がなんとなく似合ってるなあ。狭い交番の奥でお茶すすってるところとかさ。
志村喬はこういうおまわりさんが似合いすぎるよねー。大体がお顔だけで人柄がにじみ出てるけど……ってなんか志村喬の話になっちゃう(爆)。
で、そうそう、33号車応答なし」も本作も彼らはさまざまな事件や人間模様に出くわすんだけど、それぞれが事件性が強かった33号車応答なし」とは違って、本作は人間模様、の方が重い感じ。
ていうか、事件なんてほとんど、いや全く起こらない。点数を稼ごうにも、稼げない場所なのに、上司がチェックに来ては「何もないのは平和だが、逆に言えば怠慢だ」などと言うんである。
まあ確かに、要領のいいイケメン巡査はガールフレンドを使ってヨロシク点数を稼いでいるんだけれど。
新橋駅前は酔っぱらいのおじさんがくだ巻いてたり、雨が降ってくれば皆が雨宿りに押しかけたり、孤児の男の子がけなげに新聞売りをしていたり。
税金を食いつぶしている公僕だポリだと言われて、小林桂樹扮する和久井は時に腹も立てるけど、オレは出世も出来そうもない要領の良くない男だ……と、これまた出世から取り残された大坪巡査(志村喬ね)に愚痴ったりする。
和久井、なんていうと和久さんを思い出したり、するのは、ひょっとしたら偶然じゃないかも、などと思っちゃう。
物語の冒頭、新人が刑法の勉強をしているのを、試験を受けて俺を抜かしていくのか、と自嘲気味に揶揄する和久井。
夜の女からお嬢様まで大勢のガールフレンドを持ち、彼女らからもたらされた情報で要領よく点数を稼いでいくイケメン巡査の花園は、物語の最後に出世の上に逆玉にまで乗るし。
なんか、「踊る大捜査線」の要素というか雰囲気をそこはかとなく感じるのよね。
君塚さんはめっちゃシネフィルだし、ひょっとしたら元ネタのひとつなのかも、なんて思ったり。
まあそんな妄想は置いといて。小林桂樹の、あのむすっとした顔のコミカルは絶妙だよねー!そのブアイソな顔なのに、実は単純でお人よしで、美人に「財布を落としたから電車賃がない」とすがられると口では説教しながらカネを出しちゃうし。
同僚だって観客だって判るよ、コイツが詐欺だってことぐらいさ。後にとっつかまったこの美女が「返しますわよ。100円でしたよね。」と千円を出して釣りを要求し、「オレより持ってやがる」と独特の間でつぶやく小林桂樹には思わず爆笑!
しかし何より彼のエピソードでは、同郷のユリとのそれであろう。
だってだってだって、福島、なんだもん。これみよがしのズーズー弁はあんまり福島っぽくないけど(なんか、一般的にイメージするザ・田舎弁って感じ)猪苗代湖、磐梯山に降る雪、なんて台詞が出てくると、今はやっぱりなんともグッときちゃう。
この作品は文化予算によって補修されたというんだから、なおさらなんか、凄い、思っちゃう。
ユリは訛りまるだしだけど、和久井はそんなそぶりは全然見せない。同郷だからと挨拶に来て、国ではセイキチさん(和久井のことだけど、字がわからん)は立派になって有名だと言われても、あの苦虫を噛み潰すような顔である。
元々は松という名前を東京風にユリに変えたという彼女は、そこから察せられるように夜の女、しかもかなり下等な、立ちんぼとして働いている。
和久井は、先述のオシャレな詐欺美女や、戸籍調べの最中に遭遇したピアノを弾くお嬢様風美女などに岡惚れするような、まあちょっと高嶺の花狙いというか、現実が見えていないというか(爆)。
最初から同僚にも観客にも丸わかりなユリの想いを、彼だけが判ってない、んだよね。
ユリは、点数を稼ぐことが出世への道だと知って、和久井に自分の客の現場を押さえさせようと情報を流す、のがクライマックス。
おっと、もうクライマックスを言ってしまうのか。やめた。これは後にとっておこう……。
どうも錯綜している。いや、エピソードが多いからさ(爆)。
和久井とユリ以外だと大きなエピソードはやはり、志村喬演じる大坪巡査の、家出した息子のことだよね。
この息子が天知茂で、なんかケチなことで留置所に連行されてきたところを、たまたま助っ人に行っていた和久井が担当になり、それとなく、大坪巡査が心を痛めていることを伝える。
ほんっとにここだけの出演の天知茂、さすがの存在感で彼を待ってた私を大いに満足させるんであった。
息子を待ち続けている大坪巡査と奥さんのシーンもいちいち、いいんだよね。
夜勤明けの夫を迎える奥さん、一杯飲みたいなという彼に、お茶ですかとジャブをかまし、お茶でいいか……としょげる志村喬の可愛さに観客は爆笑!
押し売りに来たヤクザもんにおまわりさんコスプレで追い返して得意げな志村喬がかわゆく、しかし奥さんは、あの子もこんなことをしているのかと思うと……としんみりとしたことを言う。
留置所に連行されるぐらいだから、奥さんの言うことも当たらずとも遠からずなのかもしれない。
和久井の言葉にほだされたのか、この息子がまっとうな職につき、遠い北海道から手紙を、しかも速達で送ってきたのを、奥さんが喜び勇んで旦那に知らせに来るラストのシーンがイイんだよねー。
そんなことぐらいで来るなと、おまわりさん、そしてダンナとしての威厳を示そうとする大坪に、あらそうですか。ならこれは持って帰りますよ、とさっと速達を引っ込める奥さんに、いやいやいや、と腰引けで手紙に飛びつく志村喬。可愛すぎて、噴き出しちゃう。
てなことは、大分後になってからのことだからなあ。メインの話に戻ろう。
メインの話。和久井の話である。ちょこちょことしたエピソードにギャグが冴えてる本作。
助っ人で行った留置所で、船でも一等室にしか入ったことがない!とがなるエリート男に、ならば前科三犯の殺人犯と一緒にさせましょうか、と言って黙らせたり、向い合わせの鉄柵から、情熱的な投げキッスを交わす(マジでアムールな感じなの!)愛し合う男女に目を白黒させたり、あの仏頂面でやるもんだから、無性に可笑しいのよ!
一番好きだったのは、戸籍調査の途中で、おしゃまな女の子に次々腰から下げた警棒やら麻縄やら手錠やらをチョされ、ついノリで、奥様と自分の手に手錠をかけてしまった場面。
もうどうなるか、わっかりすぎるほどに判るのに、可笑しくてさあ!
カギを交番においてきちゃった、というのもお約束なら、手錠でつながっているのを忘れて、虫が背中に入ったのを気にして無意識に手を上げては、奥さんが控えめにイタタタタ……と訴える、その繰り返しのアクションがたまらなく可笑しい。
奥さんが、自分の子供のやったことだからと、恐縮気味に控えめなのがビミョーな空気感を示してて、ホント可笑しいのよね!
そんな具合にまあ和久井は確かに、出世街道からは外れてるかもしれないのだよな。
でも彼の出世を願ってやまないのがユリ。まあ彼女は確かに彼にホレてはいるけれども、嫁さんになりたいとも思ってるけれども、だから彼に出世してほしいんじゃなくて、彼は故郷のヒーロー、「ノグチエイセイ先生」のような存在なのだ。
ううう、これまたなんとも泣けるユーモラスだ。野口英世のことなのは明白だし、後にお札にもなるほどの、福島のステータス。
彼女の微妙、絶妙な無学さが、なんか後々、泣かせるのよ。
つまりはユリは、夜の女以外にはなれない訳さ。
夜回りの最中、立ちんぼをその時にはスルーする和久井に、ユリが親しげに声をかける。
セイキチさんが知り合いで心強い、と無邪気に言うユリに、ハッと自分の立場をかえりみて足早にユリから逃げる和久井が、可笑しくも哀しくてさ……。
だって、ユリは、判ってないんだもん。いや、判ってるかもしれない、最初から判ってたのかもしれない。
途中、街娼の一斉摘発の場面ではもう充分判ってて、自分を捕まえることで点数にしてほしいと無邪気な笑顔で言うユリ。
そしてクライマックスで、自分の客を現行犯で逮捕させようと情報を流すんだもの。
それはつまり、自分だって捕まるってことでしょ。ユリに、情報を提供したから見逃して、なんてしたたかさはない、なさ過ぎるんだもん。
しかもこのユリの純朴さ以上に和久井はバカで鈍感で、「初めて拳銃を撃つ」経験を新人にさせて、手柄さえも彼に譲っちゃう。
ユリが情報以上の犠牲を払ったことも知らずに……。
その犠牲を知っているのは、大坪巡査のみ。セイキチさんにお別れを言いに来たんですとと言いつつ、どう見ても、和久井がいない時を見計らって交番に訪ねてきたとしか思えないユリは、片耳が聞こえなくなっている。
これは観客には既に示されていて、ユリが警察にタレこんだことを知った客が激昂して、彼女を耳の辺りを激しくぶん殴り、ユリは片耳が聞こえなくなってしまったのだ。
買春の罪で捕まってるんだから、傷害罪でも訴えることが出来るだろうし、治療費だって……でもユリはあっけらかんと、イヤなことは聞かなくてすむから、と言った。
笑って、そう言ったのだ。この台詞は……染みた、なあ。
そのテキトーな田舎訛りから、ユリの造形はコメディリリーフに過ぎないような感じでここまで来たし、実際ここまでは、むしろ志村喬が家出した息子を思うエピソードの方が重いように感じるぐらいだったのだ。
ユリは折々訪ねてきては和久井をうっとうしがらせるし、そのたびに田舎くさい女の子の空気を振りまいて、和久井のみならず同業の立ちんぼたちさえも失笑させるぐらいでさ。
ほんのゆるいひと時を感じさせるだけのキャラなのかと思っていたから、思いがけず、切なくてさ……。
ラスト、和久井が、イケメンの同僚の出世に軽く落ち込んで、自分は出世も出来ないし嫁さんのキテもない、と自嘲気味に言うのに対して志村喬が、いや、君のためなら全てを捨てる女性がきっといる、と。
そりゃあユリのことだろ!と思うんだけど、そんなことは一切口にせずに、そう言うのが……それを和久井が訳も判らずにそうですか……みたいに受け止めるのが、なんか、なんか、すっげー、切ないの!
和久井はさ、ユリが別れを告げに来たと知って、河岸を変えたんですねと、つまり今の稼業を場所を替えて継続してることを、特に疑問も持たずに受け入れるんだよね。
大坪巡査は、ユリが川の向こうの土地の名前を口にした時、それじゃ今までと同じじゃないか!と止めようとしたけれど、ユリはただただあっけらかんと笑うだけだった。
今も女の居場所は少ないけど、この時代は特に……そこで力強く生きていっている女の姿は、一斉摘発にもイケメンおまわりさんの花園に「あなたの手柄になるならいいわ〜」とまとわりついたり。
じゃあねー!と護送される幌トラからぶんぶん手を振ったり、とても力強いんだけど、でも、でも、全ての女がそんなに力強かったり、したたかだったりする訳じゃ、ないじゃない。
あるいは表面上はそうでも、ものすごく押し殺しているかもしれないじゃない……。
ユリはさあ、ユリはさあ……とてもイイ女なのに!和久井の嫁さんになったらいいのに。とてもとても切ない。
大坪巡査は落ち着いたら居場所を連絡しなさいよと言ったけど、なんかこの幕切れ、このまま二人は再会することないままのような気がして、仕方なくて。
和久井が遭遇する街中の結婚式、あれ、ピアノを弾いていた美女がお嫁さんだったのかあ。ちょっと途中ねむねむで、見逃しがちょくちょくありそうでさ(爆)。
和久井が追いかけてたスリの青年が、追い詰めた時に彼の顔を見てハッとしたのも、なんでだか判らなかった(爆爆)。
結婚式の新郎の方が、この青年のように見えたけど、違ったかなあ(爆爆爆)。
時間ギリギリで全速力で飛び込んだもんだからさあ、ゴメン(汗)。
ラストは、あのイケメン巡査が栄転で去って三人になった交番に、重要事件に応援タノムの電話がかかってきて、いつもは留守番一辺倒の大坪巡査までもが、手柄をとってやりまショウと意気込み、全員飛び出していく。
カラになった交番に、ミヤゲの寿司なぞぶらさげた中年男が気楽に入ってきて、なんだ誰もいないのか、とつぶやき、壊れた時計の針がブラリとぶら下がるのを見て更に呆れる、というほのぼのとしたラスト。
大きな流れより、わき道のエピソードの方が魅力的なんだよね。
ホームレス(とは当時、言ってなかったろうなあ。乞食、か)の男が結婚するから、仲人を頼みたいと大坪巡査を小船での結婚式に駆り出すエピソードなんか、もう、大好き。めちゃめちゃ、ほんわか胸が温かくなる。
そもそも「ここが一番安全だから」と交番の裏手で夜を明かしていたのを、大坪巡査が寛大に容認していたのが始まりだった。
彼が結婚する、と言った相手は実は古女房で、子供が出来たからケジメをつけたかったのか、単に仲間で飲みたかったのか。そこに奥さんの陣痛まで重なっててんやわんや!
すぐに帰れ!牢屋行きですか?バカ!産婆だ!みたいなさ、なんかもう、このわたわたが幸せ気分でたまらなく、胸が締め付けられちゃう。
今だったら一本の映画に仕立て上げられそうなのを、さらりとワキエピソードに滑り込ませてくるのとか、メッチャ好きだ!
サンドイッチマンから借りてきたタキシードを来た彼とか、なんか画だけでも、なんとも幸せになるんだもの。
先述した新聞売りの孤児の少年も、最初から登場しているだけに、彼の父親が現われるエピソードはメインに負けないよね。
こうして書くと、こんなエピソードまでさらりと入れてくるのが、おいおいおい、メインがかき消されそうで怖いよ!と思うんだけど、そんな心配もない、のは、“こんなエピソード”が実に贅沢に、というか、もったいなく、めっちゃサラリと流されてしまうから、なのだ!!!
でも、だからこそと言うべきか、忘れられない。そんな具合で、どのエピソードも、メインもワキも忘れられない。って、これは、凄いかもしれない!!
自分を捨てた父親を、口では“捨てた”と言いながら、ちっともわだかまりなく、それどころか恋焦がれて待ち続けている新聞売りの少年。
そうそう、夜の女を取材しに来て彼女たちにつるし上げられた記者、大坪によってこの少年を取材してはどうかというくだりもあるんだよね。
ちょっとの間少年の新聞は大売れ。しかし三日でその波が収まってしまう。
そんな世の空しさをも示しつつ、ワケアリの父親が訪ねてくるシークエンスは……ほんっとうに、ほんのちょっとの尺なんだけど、なんせその父親が加東大介であり、子供を捨てたのは罪を犯して逃げ回っていたからであり、記事を見て子供に会いたくなり、そして改心した、という、ホンットに、これだけで一本の映画になるのに!という……。
だってさ、だって、幼い息子を見つめる、加東大介のあの顔!一本の映画をこの役で経たぐらいの顔だよ!!
罪を償ってあと2、3年という含みも手伝って、じっつにフツーの子供をそのまんま体現した少年の風情もあいまって、もう、もう、もう……。
よく、思うんだけど、この頃の映画って、そういう意味で贅沢っつーか、ムダ使いっつーか(爆)、でもだから、ある意味小さな作品かもしれないけど、ふっと出会ってこんなにグッときちゃうんだろうなあ。
とにかく、確かに佳作、拾い物。ガード下、見上げた目線で走る電車、地方出の老夫婦に山手線を案内するとか、かすかに今の新橋付近と重なる部分もあって、なんか、いいなあ。
映画はやっぱり、文化、芸術と共に歴史文化でも確かに、あるんだね。
★★★★★
とはいえ、高校生役にはちょいとキビしい年齢であるのは否めないけど(爆)。でも仕方ないかぁ。リアル高校生だとこの役を演じさせたら犯罪になっちゃうかもしれないもんなあ(爆爆)。
それにリアル高校生役者でこの役を演じられる俳優っているだろうか……と考えて、ちょっとズレたけど神木君を思わず頭に浮かべ、鼻血が出そうになった(汗)。
軌道修正。そう、これは高校生とある孤独な主婦の情事の話。と言ってしまったらミもフタもなく、そんな単純さからは遠く離れた美しく切ない物語なのだが。
美しく……いや、これは人間の生々しい愚かさが随分と詰まっている物語でもある。物語の最後、助産師の母の手伝いをして担任の女教師の赤ちゃんを取り上げた永山君扮する卓巳は、可愛いおちんちんを見てふっと笑みをもらしてつぶやく。「やっかいなモンつけて産まれてきたな」
それはそこまでに彼が経験した過酷な展開を思えば皮肉にも聞こえそうなんだけど、吹っ切れた笑顔の彼は、幸せそうにさえ、見えた。
田畑智子扮する里美との出会いは、友達に連れて行かれたコミケイベント。少々時代遅れの魔法少女系アニメの同人誌を売る里美はそのヒロインのコスプレバリバリで、同胞の友達と共に卓巳を見初めた。
「ねぇねぇ、あのチェックのシャツの子、ムラマサ様ピッタリ!」三十路周辺のお年頃のかつての乙女である彼女たちが、その王子様も過去をさかのぼる若い世代から探さなくてはいけない悲哀がそこはかとなく感じられ、でもそれは、彼女たちだって充分に判っていた筈。
そうでなけりゃ、「おねえさん、今頃リリカって、ちょっと古いんじゃない」と志を同じうする若い仲間たちからさえ言われても、「えー、今も結構好きな人いますよぉ」と強いハートではいられない筈だもの。
……と、思っていたんだけど。実際は、そうではなかったのかもしれない。里美が自分を“あんず”と名乗って卓巳を誘ったのは、しかもコスプレでの、台本つきでのセックスにカネまで払ったのは、彼から問われて答えたとおり「現実を見なくていいいから」なのに違いない。
正直この台詞を聞いた時には、オタクと呼ばれようとも自分の好きな道にまい進する人たちに対して失礼な気がして、同じ道を歩んでいるように見えて実は邪道なんじゃないかとか思って、なんともぐずぐずした気持ちになったのだけれど……。
何とも、言い難い。彼女たちのようにアニメじゃなくても、私の好きな映画だって、他の世界だって、同じように“現実を見なくていいから”という理由なのかもしれないと思うと、彼女のようにそれを自覚してすっきりと言えてしまうことこそ、その道の王道なのかもしれないと思ったり……。
里美は夫との間に子供が出来なくて、姑にチクチクやられている。いや、チクチクどころじゃない。この姑は、それこそマンガチックにオニである。
画面上出てくる限りでは、ドンカンな嫁にとっては優しい姑と思えなくもないのだが、日曜日の朝に押しかけて、嫁の簡単なタマゴサンドを尻目に見事な野菜たっぷりサンドイッチにミネストローネを作るシーンには背筋がゾッとした。
それを「あれ、なんか懐かしい匂いがすると思ったら」とねぼすけの夫が起きてきて、姑は表面上、今頃起きてきて何よとか、今の時代は夫も家事を手伝うべきなのよとか言うが、後々の豹変を待たなくてもそんなことが仮面であることぐらいは明らかである。
しかも夫はタマゴサンドではなく真っ先に野菜サンドに手を付ける。ああ、ああ……この夫はね、里美のことを本当に愛してるし、優しいし、いい人なんだよ。でも決定的なこと、何も、判ってないの。
赤ちゃんが出来ないことが女にとってどんなにしんどいことか、姑にどんなこと言われているか、いやそれ、ちょっと判ってるのかもしれない。判ってるから、人工授精がダメだったこと「里美ちゃんから言っといて」なんて、ありえないひどいことが言えるんだ!
「三年子なしは……」などと冗談めかしてとも言えない雰囲気で何気なく言われる、あの散歩道の恐ろしさ。今時の夫は家事を手伝えとか現代的な気風を見せていながら、不妊に夫、つまり自分の愛しい息子の精子の元気のなさが原因かもしれないなんて、思いもしない、ていうか、排除してるんである。あー、あー、あああーーー、姑はこの世で一番恐ろしいイキモノ。
卓巳とのことがバレるまでも、散々イヤな思いをしてきただろうに、なぜ里美は別れようと思わなかったのだろう。そもそもなぜこの夫と結婚したのだろう。
夫を演じる山中崇は妻を愛する優しい夫と、母を大事にする一人息子のバランスが奇妙にゆがんだ感じが絶妙で、確かに愛されてる幸せは感じるから、幸福な恋愛期間もあったんだろうと感じられるから、判らなくはないというか……。
でも、「僕たちみたいないじめられっこのDNAを受け継いだ子供なんて、生み出されても不幸だよ」と言って、自分の欲求だけ満たすバックでさっさとコトを終わると彼女の寝室を後にしてしまうシーン一発で、コイツ、ヤバイな、と思った。
卓巳との情事が彼の設置したビデオカメラによって明らかにされるし、しかもそれを母親と一緒に里美の前で見て、「絶対里美ちゃんとは別れない!」と鼻水たらして号泣するし、ネットに画像や動画をバラまいたのもどうやら彼らしいし……そりゃ自宅に男子高校生を引っ張り込んでナニしたのはあまりにも無防備だったけど、それにしてもこの夫は……。
ただ、ただね、姑があまりにキョーレツなこともあって、そして何よりこの夫が確かに里美を、ひとりよがりでも愛しているのは判るから、女って、そういうのにヨワいから、そして山中君のひたむきな感じにちょっとほだされちゃうから、なんか、そう断じきれないの。
それはだって、だってだって、いくら好きでも、卓巳は高校生で、この先なんて、見えないんだもの。
なんてベタなことを思ってしまうのが凄くイヤだ。だって二人の逢瀬は本当にキラキラで、ピュアで、そのセックスはただセックスと言ってしまうのがイヤってぐらい胸が締め付けられるんだもの。
……でも、なぜそんな風に思ってしまうんだろう。
卓巳には学校に好きな女の子がいて、判りやすく、健やかな美少女だった。里美とのことを清算して彼女と付き合おうと卓巳は思って里美に別れを告げた。
「ヤだ、ヤだ!!呪ってやる!絶対あんたは戻ってくるんだから!!」里美の台詞はマズいおばさんに捕まってしまったそのものだったけど、結果そのとおりになった。
その健やかな美少女が、積極的に卓巳の首に手を回してキスをしてきたあのシーンが、ひとつの起点の様に感じたのはうがちすぎだっただろうか。
その、好きだった筈の同級生をやんわりと拒否して、悩みながらも卓巳は里美のもとに戻ってきた。初めて自分から、彼女を求めた。
でも……。
最初から最後まで、卓巳は里美のこと、あんず、って、ハンドルネームで呼ぶんだよね。ハンドルネームという言い方自体、古いのだろうか。
最初はコスプレプレイでも、お互い素裸で求め合うようになるし、昼の陽光がレースのカーテンから差込み、二人の象牙色の肌を輝かせるシーンはとても美しく、お互いをさらけだしているように見えるのに、なのに。
「あんず、好き」
ぎこちない言い方で、でも言わずにはいられないといった感じで卓巳は言う。それは、彼が発射する寸前である。
「ちゃんと計算しているから、出して大丈夫だよ」彼女は言う。
計算なんて、してなかったでしょ。不妊で悩んでいる彼女は、きっと、恐らく、卓巳との赤ちゃんが出来てしまえばと思っていたに違いない。でもそれは、姑への顔向けなのか、卓巳との、いや、ムラマサ様との赤ちゃんが欲しいのか……。
二人の話だけじゃ、ないんだよね。二人の話だけでも、時間軸を何度もずらして、お互いの視点で描いていく。
そういう手法は最近特によくあって、こっちの視点からだとまるっきり、ガラリと変わって見えるとか、そういうしてやったりな作り手側の意識に疲れることも多いんだけど、本作では、視点を変えて見せるごとに、二人の感情が緻密に深度を増していくといった感覚で、これぞドラマを見せる良心だと思った。
人気小説が原作であるだけに、モノローグが活字となって黒地バックに白抜きでひっそりと示されるのも効果的。
で、ちょっと脱線したけど。そう、二人の話だけじゃない。いわゆるワキ役と言うべき人たちが、時折主人公のようにひらりと表に出てくる。
その中でも最も大きな存在が卓巳の親友の福田。一見して屈託のない親友同士に見えるんだけど、だんだんと二人の溝が明らかになってくる。でもそれを、卓巳は判っていただろうか。気づいていただろうか。
福田はザ・ビンボーなのね。痴呆症の祖母を抱え、離婚した母親は借金まみれで、スズメの涙のカネを渡したかと思いきや、「すぐ返すから、この間のお金返して」。息子がこつこつ貯めてきたお年玉やおこずかいを預けている通帳など存在しないことを、彼もうすうす感づいている。
コンビニでバイトをしている彼は、その休憩の合間に卓巳と他愛ない会話を交わす。それが登場シーンである。卓巳も母子家庭だし、あの健やか女子に「お父さんの仕事何?」と問われてごまかすと笑われるなんてシーンがあったりする。
今時そんな事情も汲めない女子もどうかとは思うが、でも今は本当に、そんな具合に“普通”の価値観の幅が離れているのかもしれない。
同じコンビニでバイトをしている同級生の女の子が、ウチらはこの団地から出て行けないよ、と言う。吐き捨てるように言う。学校中に卓巳のウワサをバラまいたのは彼女である。
団地をひとつの監獄のように描くのは、高度成長時代に乱立した団地をステイタスにした親世代が二代ほど続いて、その終焉が見え始めた今、やたらと目にする。
親友の筈なのに、福田もまたそのウワサのバラまきに加担するんである。息子の友達の窮状に同情して、卓巳の母親が届けてくれるお手製の弁当を、能面のような顔でコンビニ裏のゴミバケツに捨てる福田の姿に、親友への哀しい歪みの感情を思う。
でも後々、痴呆症の祖母の奇行にどうしようもなくなって、近所から罵倒されまくって、お金もなくてレジ横のチロルチョコを律儀にレジ通して10円で買ってほおばって、お腹グーグーなってたところにね。
あの弁当が、男子高校生の弁当を作り慣れている卓巳のお母さんが作った弁当が届いてて、もう何も考えずに貪り食うのが、ここから出て行けないよと言ったバイト一緒の女の子と一緒に貪り食うのが、凄く、ずーんと来るのだ。
人の好意は、素直に、余計なこと考えずに、受ければいいのだ。それでいいのだ。だってその好意をさずける人は、あなたと似たような経験をしてきたに違いないんだもの。
の、その好意をさずける卓巳の母親、原田美枝子。ああ、なんと素敵なのだろう。
助産院を経営していて、最初に卓巳が帰宅するシーン、まさに出産している絶叫を近所の子供たちがキャイキャイはやし立てていて、「絶対、AV見てると思われてるよ」と卓巳は文句を言いつつ、母親の手習いで手伝う妊婦へのマッサージは手慣れたモンなんである。
命の近くで育ってきた息子が、里美の苦悩を知ったらどう思ったのか、結局最後まで知ることはないまま、ネットのウワサが駆け巡り、彼は引きこもった。
あられもない写真や動画を見ても母はいっかな動じることはなく、ただバカねえ、と言うだけ。でもそれは、バカ親っていうんじゃないの。そこで勤めている気の強い助産師の女性も動じないのね。あれあれ、おやおや、ぐらいな感じで。
赤ちゃんの骨だと、ご丁寧に骨壷にフライドチキンの骨かなんかを入れて送ってきたバカがいて、卓巳はショックを受けるんだけど、そのシーンでこの助産師が言ったセリフがいいのだ。「バカな恋愛しない人間なんか、いるんですかねえ」
ああ、いい台詞だなと思った。恋愛は、いつだって、バカなものだ。結婚を考えてする恋愛は、恋愛じゃない。恋愛の先に結婚があるなんて、理想、幻想、おとぎ話。それでもできるだけ幸せな結婚がしたいし、それは間違いじゃない。
このカッコイイ助産師さんが、卓巳のオバカな女教師のために、彼女の付き合っている男を説得して結婚までこぎつけたのは、決して間違いじゃない。でも……。
「こんな気持いいセックスで子供が産まれるならば、こんな幸福なことはない」その黒地バック活字に、うろたえるぐらい、共感した。それを、今地球上の人間が、どれほど得ることが出来ているの。
まあそりゃあ、動物のセックスが人間の感覚と同様かどうかさえ判らないけど、そんな不毛な感覚を与えられているのは人間だけかもしれないけど。どうして気持いいセックスで子供が産まれるべき単純なことが、失われてしまったのだろう。
ホルモン注射に顔をゆがめる里美、内診中、静かに目じりから涙を流す里美、姑から欠陥女呼ばわりされ、「結婚する前に、病院で検査してもらえば良かった……あの子がどうしても里美ちゃんと結婚したいって言うから……」と言われてすみませんと言うしかない里美。
……やっぱりそうした描写が心に残っちゃうのは女だからであり、監督も女性だから、なのかなあ。つまんないのかなあ、そんなの……。
卓巳の友達の福田がね、彼は自分が望まれずに産まれた存在だと、堕ろせば良かったじゃないかと、聞いてやしねえドアの向こうの母親に訴えるシーンがキツいのね。
彼は授業料も払えてなくて、当然大学に行くことなど考えてない。そこに、バイト先の金持ちの病院の息子、田岡が、奨学金とか、いくらでも抜け道はあると、ここから抜け出すためには勉強して大学に行けと進言、痴呆症の祖母の入院の手配にまで心を砕いてくれる。
それをあの同じバイトの女の子は、アイツはホモだから、下心があるから。オマエ、何ニヤニヤして、期待してンの、新しいお父さんが来たって言ってた時と同じ顔してる、と言うのね。
このシーン、キツかった。彼と同じく、田岡のことを、信じたかったから。それは半分叶えられ、半分裏切られた。いや、すべて納得の上叶えられたと言えたかも知れない。
なぜ自分を助けるのかと、意を決して聞いた福田に田岡は言った。てっきり、オマエのことが好きだからとか、薔薇っぽいことを言うのかと思ったら、「オレは、トンでもない人間だから。だからトンでもなくいいことをしないといけないんだよ」その通りだった。
その後田岡は、小学生の男の子のハダカの写真を撮った咎で逮捕される。コンビニで万引きしていた子供たちを諭していた画が一気によみがえる。その時店長は福田に「キミが来てから、団地の子達の万引きが増えてるんだよねえ」とヒッドイイヤミを言ったのだ。
田岡を演じるのが三浦貴大というのも面白い。確かに一見しての優等生っぷりはその通りだが、その裏の少年愛嗜好というのが潜んでいるなんて、彼の風貌からもイメージからも、実際展開が進んでもどうにもしっくりこなくて結構困ったが(爆)。
ただ問題はそこではなく、大分言いたかったところから離れちゃったけど(爆爆)、福田君が、卓巳のことを、環境の違いで苦々しく思っていたとしても、彼のチョメチョメ写真を学校中どころか町内にまで新聞配達ついでにバラまいたとしても、それでも、彼は、卓巳の親友で、彼のことを心配していて、仮に卓巳が福田君がしたことを知ったとしても、それでも、二人は親友でい続けられると、思うんだよね……。
その根拠がどこにあるのか、私自身もよく判らない。判らないけど、でも、あいまいな根拠があるとしたら、二人の人生の環境が決定的に違うことであり、ヘタに中流的に似通っていたら、こんな事件で二人は袂を分かつことになったかもしれないけど……。
なんでなのか、それがなんでなのか、上手く理由が説明できないけど、そもそも人間はそれぞれが違ってさ、似たような環境でも、違ってさ、一億総中流というキッカケがそんな当たり前のことを押し流してしまった。
だから、ほんのちょっと違う環境より、思い切り違う環境の方が、友情は壊れない、気が、する、なんてね。
この、若くて“バカな恋愛”しくさっている連中をシメるのはやはり原田美枝子で、迷惑をかけて、という意味を込めてぽつりとゴメンとつぶやく息子に、何も謝ることなんてないと。
それはあの姑とは全く違う、フラットな価値観に基づいていると確信できるさわやかさできっぱりと言い切り、それが買い被りじゃないと更に強く確信できる次の台詞にジンと目頭が熱くなる。「生きていてね」と。
もちろん、助産師である彼女が、失われる小さな命のかずかずに心を痛め、その短い一生の意味を求め続けていたというバックボーンがあるにしても、でもそれはきっと、全ての母親が、できれば父親も、心ある親たちなら(……大分レート下げたな……)思うことだと、思いたいから。
謝らないで、謝ることない。人を好きになったことを、謝る必要なんてない。本当は、その先の、子供こそが、祝福されるべきだったのに、と言ってしまうことさえ、今は出来ない。
でももっと単純に、アラサー、アラフォー女子の、年下男の子との“純粋なエロ”の理想を実現してくれる映画だったのかもなどとも思い、あー、サイテーかも。
でもそれを知ってほしいよね、アラサー、アラフォー女子のパートナーたちはさっ。★★★★☆
でもそれは、自分がどう生きたいかではなく、それを考えることを放棄して、自分が自分であることを放棄して、生命を受けたありがたみを放棄してしまう、ことなのだと、斬って捨てているのだ。
そうかもしれない、そうかもしれない。ガイコクの個人主義に違和感を覚える一方で、でもそんな風に自分を評価して生きられないのは、こうして脈々と続く、自分自身を見ないようにして生きていくことが美しいとされる、悪しき慣習なのかもしれない。主に仕えること、それこそが美しい、と。
しかもね、それは、そう、現代にまで脈々とつながっているということこそが、本作の最も言いたいところであろうことでね。
だって物語は現代から始まる。救急車で運ばれてくる若い女性、その知らせを受けとる、見るからにエリートサラリーマンである婚約者。
あれ、時代劇じゃなかったかな、プログラム見間違えたかな、と思ったら、彼は、こうなったのは先祖代々続く悪しき慣習であると、残された古い日記をひもといていくのだ。
なぜ武士道が恋人の自殺につながるのか、いわばその謎解きのワクワク(と言っちゃナンだけど)を残しつつ、時代はうーんと飛ぶんである。
7つもエピソードがあると書くのもしんどいので、きっと途中割愛するかもしれないから、先に書きたいことを書いとく(爆)。
あのね、現代のすぐ手前、このエリートサラリーマンのお兄さんは特攻隊員として死ぬのね。特攻機に乗る前に、上司から、おふくろさんに会ったか、恋人はあるか、親父さんには会えたか……間に合わなかったか。インキンは直ったか、便所には行ったか、などなど、コミカルなものも含めて聞かれるのね。そしてそれぞれ、コトを片付けてきたことを確かめて、笑顔で乗り込む。笑顔で、よ。
戦争、特に判りやすく特攻(ヤな言い方だけど)となると、やはりその盲目的に仕える”主君”は天皇陛下であり、もっと言ってしまえば国家、であるのだろうと思う。
ここまでの流れで言えば、ずっと主君に忠義を仕えるがためにヒドい目に遭わされてきた訳だから、当然天皇陛下を指しているんんであろうとも思ったけど、ここだけはもっと皮肉を利かせているような気がした、のは、やはり戦争映画に一家言あるであろう今井監督だから、そんな憶測がしたくなったのかもしれない。
何より、武士道の物語で、現代の、会社に仕えるサラリーマンまでその忠義が、愚かな忠義が同じものであると断じるにしても、やっぱり途中に挟まれる戦争、しかも特攻隊の描写は、凄く、気になった、んだよなあ。
てゆーか、てゆーか!これ、エピソードの主人公、全部、ぜーんぶ、中村錦之介なの!?スゲー!えーっ、結構判んなかった(爆)。まあ、もともと顔の区別のつかん私ではあるが(爆爆)。でも、スゲーッ!
あのね、もう言っちゃうとね、彼らが仕える主君は、総じて、全然、ぜんッぜん、仕えるだけの価値のないヤツなの。
最初のエピソードではね、そう、もう元凶よ。浪人だった次郎左衛門は、自分をとりたててくれたことで主君に恩義を感じてて、その主君の失敗で更なるお上の怒りを買ったことで、家臣たちはさあどうする、ってなるんだけど、次郎左衛門が真っ先に腹を斬っちゃうのよ。
もう、これが元凶よ。これはいかにもサムライって感じで、確かに家臣の捨て身の所業でこの主君は救われるんだけど、でもこの時点では果たして次郎左衛門に、主君への忠義が100パーセントであったかどうかは……。
老い先短い彼は、家族のことを思ったこともあって、いちかばちかで腹を斬ったようなところもあるし、その先の子孫たちよりも、彼が一番、現実的に考えていたような気もするのね。
ただその手段が、メッチャ忠義的だったことで、結局子孫がその忠義思想に苦しめられたということかもしれない、なんて。
次郎左衛門の息子、佐治衛門は、父親が自分の身を犠牲にして救った主君から疎まれる。確かに主君を思うばかりのベッタリな忠言は傍目から見てもウザいが(といっても、お身体のために食べなければ、と食事を勧めるたった1シーン示されるだけなんだけどね)、それだけでキー!と怒った主君が謹慎のみならず減禄までするとは……もうこのエピソードの時点から、こんな仕える価値のない主君に仕えるのが武士道なのか、という思いがふつふつとわいてくる。
そしてそれが、どんどんエピソードが重ねられるにつれて膨れ上がるんである。しかもね、この主君は単純に病死したのに、家臣たちが次々と後を追うのよ。それが当時はフツーだったんだって!それこそが、忠義なんだって!バッカじゃないの!!!
もうホンットに、最初の段階でサムライもブシドーも、観客の中で築き上げられた高貴なイメージががらがらと崩壊。凄い!
当然佐治衛門も切腹、老使用人に介錯を頼み、その使用人が血がぽたぽたと落ちる刀を下げて、静かに部屋から出てくるシーン、そこまで見せる時代劇、見たことない、生々しくて……。
なんだかんだ言って、全部のエピソード書こうとしてるかも。ヤバい(爆)。えーと次は……うっ、これは、これは、ヤバイっす。あのね、あのねあのね、中村錦之助ですからぁ、美しいですからぁ。あのう……。
彼、久太郎はね、登場シーンでは、新しい時代、学問に打ち込むことに夢中な訳。時は元禄、歴史に疎い私でも、絢爛なイメージぐらいは持ってる。豊かな時代で、切腹だの忠義だのというところからは遠いと思っていたら……お殿様に呼び出された。
”お世話”をするのはお殿様の奥様。寵愛を受ける側室に嫉妬することすら通り越し、「こうして美童の支度をするのが私……」と物憂げにつぶやく。
び、ビドウ!?えっ、それって、まさかまさかまさか……そりゃー、キンちゃんは美童ですけれども、まさかっ。
お殿様はね、森雅之なのさ。これって、これって、かなり、ヤバくない!?肩もみをさせて「白い手じゃのう」とそっと久太郎の手に手を重ねる森雅之。うげっ、うげげ、いくらオフスクリーンにしても、何が、ナニが行われているのか、メッチャ想像しちまう!(爆)
カットが変わり、衝撃に泣きむせぶ久太郎の姿がめちゃくちゃ赤裸々で、更に想像しちゃう!(爆爆)
しかもその久太郎に奥方様が声をかけるその言葉がっ。「なぜ悲しいのだ。殿のご寵愛を受けるとは、誰からもうらやまれるであろう」と。うげーっ!
……エロ殿も、学問なんか、みたいな言い方してたし、奥方様は、ていうか城内の女たちは、殿に寵愛されることが自分の立場を左右することでさ。女もまた、くだらねーブシドーに巻き込まれてる訳!
でもね、ここで予期せぬ展開が。この奥方様と久太郎が恋に落ちちゃう。それでなくてもこのシークエンスは、焚きしめる香や静かに下ろされる御簾や、武士の時代とは思えぬ、さすが元禄時代というみやびやかさで、なんかほうっと見入ってしまう、のね。
奥方様が岸田今日子というのもなんとも空気感があって、後に妖怪風味が加味される(爆)彼女の、その若い頃の、繊細なコケティッシュとでもいう柔らかな妖しさに久太郎ならずともクラリときちゃう。
このお殿様は男色のみならずSヤローでもあって、奥方様と久太郎の気持ちを敏感に察し、それをもって久太郎を痛めつける。さらに、彼らをわざと茶室に二人きりにし、茶室、あの狭い空間よ、「お慕い致しておりました」あーん、めっちゃ大好物な台詞!!紅顔の美少年のキンちゃんと四次元世界の美女?岸田今日子がちょいとかき抱くだけで、ヤバすぎる!
でもそれを「久々に目の保養になった」とニヤニヤ入ってきたお殿様、お前はSどころかMでもあるのか??久太郎を座敷牢に引っ立て、こともあろうにアレを切り落とす!それを奥方様がヤメテー!!と叫びながら見ている!!うええ!
……で、お殿様、充分楽しんで、奥方様を久太郎に払い下げ……茶室の時に、奥方様は久太郎の子を身ごもっていた。そのことを久太郎は喜ぶけど、ふと顔をそむけた奥方様の一瞬のショットが、なんかひどく胸にずんと突き刺さって……考えすぎかもしれないけど……。
次の話もヒドい。これまでも主君は総じてヒドかったが、ここの主君が一番サイアクかもしれない。
天災が立て続けに起こり、浅間山も噴火し、飢饉続発の時代。飯倉家の当主、修蔵は奉納試合で、目隠しをして正確に刀を振るう”闇の太刀”で拍手喝さいを受け、褒美ももらう。
美しい娘のさとと、弟子である好青年、数馬との祝言も近々で、幸せな日々。……てな展開でも、この主君の、唇をゆがめた端正な顔が、どんどん嗜虐的な顔になっていくのがゾゾゾゾーッ!江原真二郎、なんかめっちゃ聞き覚えのある名前、何で見てるんだっけ、何度も見てる筈だが……。
このシークエンスでは、更に上の存在、田沼意次もまたサイアクのエロジジイで、コイツに献上する賄賂として修蔵は愛娘のさとを差し出す訳で。
この時点では、田沼意次ってのは確かにネームバリュー高しだし、逆らえないのもムリないのかなあ、とは思った。でもその描写、京人形を模して巨大な箱の中から綿帽子のさとがうつむいて出てくる描写にはゾゾー!!生き人形、つまり、人間として扱われてないのさ!
田沼に直訴した農民を見せしめのためにノコ引きにするのを、やけに楽しげに見ている主君、悲痛に叫ぶ農民たちの様さえ、彼には楽しそうである。
ますますもって江原氏、顔が怖すぎるよ……。ノコ引きだよ!?そりゃあそのものの描写は見せないにしても(そりゃそうだ!)やたら段階を丁寧に踏んでいくんだもん。それを唇をゆがめて笑う当主が……怖い、怖い!怖い!!
ここだけで充分怖かったのに、それだけじゃないのさ。もう、疲れるよ(泣)。
修蔵の美しい女房に目をつけた主君は、夜伽に呼びつける。げっ、げげげ!てゆーか、この女房、登場シーンからやけに色っぽく、なんか妙に襟元が開き気味なのは気になっていたが……。有馬稲子!?こんなに色っぽかったっけ!
名目はお茶に呼ばれたということだけれど、修蔵は判っていたに違いない。女房が判っていたかどうかは微妙だけど、判っていた、だろうなあ……ご寝所に、と言われた時には驚いていたけど。
でもそれだけに、あの自害は、夫への、抗議の意味が深かったような気がして。つまらぬ主君に忠義をたてる夫への。寝所を汚したことで主君が立腹するのも、こんな鬼畜な主君ならそうだろうと予想していただろうし。
女の方が見限るのは早い。仕えていたって、何の得にもならない。田沼が暗殺されて返された娘のさとが、今度はこのバカ主君に呼ばれて、父親から懇願されてもイヤだと言い通したのは、そういうことでしょ。
そして、婚約者だった数馬と共に抵抗し、とらえられた。このシークエンスの、いや、ひょっとしたら全てのエピソードの中で最も正視に堪えない、あの場面。
捨て身の覚悟で主君に注進に及ぶも、当然あっさりかわされ、あの秘剣で罪人を斬れば許してやる、と言われる。目隠しして斬らされたのは、愛しき娘のさとと、その婚約者で目をかけていた数馬!イヤー!イヤー!!イヤー!!!!
ごろりと転がる生首を見て悲痛な叫び声をあげる修蔵、一体どうするのと思ったら、主君からの“褒美”として手に付き立てられた刀を自らの腹に突き刺し、果てた……。
次のシークエンスはいきなり新しい時代になるから、なんか戸惑う。明治、主君だの忠義だの、勿論サムライだのブシドーだのというのは古臭い価値観として笑われるような時代だ。
飯倉家の末裔、進吾は、そう……あの、お殿様にオカマを掘られた久太郎を髣髴とさせるような、学問に燃える紅顔の美少年。
しかしもう最初から、先輩だか同僚だかから、もう新しい時代なんだから、藩主様もないだろう、と心配される。それよりか、ちゃんと勉強しろ、お前は優秀なんだから、と。
彼がうやうやしく駕籠に乗せてきたのは、一見してもうろくしている老人。進吾曰く、時代と跡目争いに巻き込まれて、座敷牢にいる間に己を失い、身内から見放されて放り出された“おいたわしい殿様”なのだと言う。
進吾にホレてる下宿屋の娘、おふじは、彼に頼まれてこのお殿様のお世話をするけれど、ボケてると思ったこのお殿様、いや、ボケてるが故か、あるいはボケてるフリをしていたのか……。
まあ、予測は出来たけど、出来たけど、ピチピチと若いおふじに見せる、それまではボケ老人のぼーっとした様子しか見せてなかったこの老人の、ニヤリとしたその口元、むき出した歯の間から蛇のようにちろちろと見せる舌の動き!うええぇぇぇ!!めっちゃ背筋ゾゾーッとした!!いやいやいやいやいや!
確かにね、確かに、おふじさんが陵辱されるシークエンスも重要だけど、もっと重要なのは、彼女と気持ちを確かめ合っている進吾が、この事態に対する自分の落ち度を認めながらも、僕のせいだと言い、それでも君に対する気持ちは変わらないと言いながらも、おふじさんを求め続けるお殿様に、行ってくれと、つまりまた陵辱されてくれと、言いやがることなのだ!!!し、信じらんない!!
……結局、このもうろく殿様は若い女体を求めるがゆえに、階段から落っこちて死んじまい、メデタシメデタシ(!)。
そして、先述した特攻隊のエピソードがあり、現代の時間軸の、この呪われた、いや、ある意味日本人の正統な系譜である飯倉家の末裔である進は、エリートサラリーマンであるし、結婚しようとしているお相手も大手企業のタイピスト。
まるでこんな系譜とは縁がないように思われたけれど、仲人を頼んだ上司が、この相手の彼女がライバル会社に勤めていることを知って、ちょっと情報を、とジョーク紛れに、たわむれに言われたことが、進の心に影を落とし、結局彼女に入札金額の数字を盗ませてしまうんである。
いかにも現代人である彼や彼女が、会社がなければ生きていけない、つまり、結婚も出来ないと考えてしまうことが、ここまで脈々とつながる、どんなにバカな主君でも、仕えることこそがサムライであるという思想であるんだと。
ここではね、会社、つまり、ここまで言うところによる主君がなければ、自分たちだけでは生きていけない、というんだけど、そのバカ主君たちのせいで、先祖たちは死んでいった訳でさ。
おっかしいのは、その忠義の美しさだけを記録と思想に残して、その死など、結局無駄死にもイイトコだったことを、持ち前の日本人の奥ゆかしさ、言い換えれば恥を見せたくない驕りの気持ちで伝えなかったってことなんだよね。
私がメッチャ興奮した(爆)、あの美童の話は、話を進める現代のサラリーマン、進が、あまりにも何も書いていないから、推測を交える、とナレーションするぐらい、なんだもの。
でも、その推測は間違ってないと思う。絹の寝巻きを“拝領”したらば、そりゃー、夜伽だわさ(爆)。ああ、日本人の奥ゆかしさって、ホンット、イライラする!!
で、進の話に戻るけど、彼を暗にそそのかして情報をとらせた上司が、相手企業と気まずいから、結婚を伸ばしてくれと言ってきて、そりゃー、彼女は激怒、てゆーか、進、オメーが激怒しろよ!
てな訳で、冒頭の彼女の、自殺を図って救急に運び込まれたシーンにつながる。このまま彼女が死んで、呪いの歴史が繰り返されるのかと思いきや、先祖の呪いの歴史を思い返して後悔にくれている進の目の前で、昏睡状態から彼女は目を覚ます。
進はすぐに結婚しよう、と言って、彼女が嬉しげに微笑んで、ちょっとオフィス街の画を映して、ジャッ!と終わる。
お、おおお、てことは、これは、現代でのろいを断ち切った明るい未来と考えていい訳??え??ここまでこれだけ残酷無残だったのに、なんか信じ難い!でも現代の映画としてこれを作ったのなら、それを信じていい、んだよね??
あー、あああああ……凄かった。ハショるつもりが、ハショれなかった。まさに、武士道残酷物語。
武士道も侍もありがたがるもんじゃない!と斬って捨てたのが凄い。確かにその呪縛は、この作品が作られてから半世紀も経つ今の日本にも、今でもやっぱり残ってると思うし、なあ。
★★★★★
まあ、クライマックスの驚きを思えば、そんな“判りやすい”を連発することもないのだが……。でもそれも、不倫の果てのひとつのエピソードとしたら確かにあるひとつの可能性だし。などと言っているとまたしてもオチまで言ってしまいそうなので(いつものことだが)。ちょっと落ち着いて、私。
でも、しつこく繰り返すと、もしその“判りやすさ”の原因があるのだとしたら、監督さんがヒロインの女優さんに寄せた思いこそにあるのかもしれない、とも思う。
ちらりと公式サイトを見た……いつもの青春H作品と違って、ちゃんとした形の公式サイトが作られていることにもちょっと驚く……うーん、井土監督は格が違うの?それとも監督自身のそんな思いがあるから??
まあともかく、井土監督がね、主演女優、澤木柚季江嬢に寄せる思いが、ちょっと驚いたのよ。実に詩的な表現を使ってて、それまでのシナリオも演出プランも捨てて、彼女の存在感にだけ賭けてみようと思った、と。
そ、そんなに??いや……正直私は彼女にそれほどまでの印象は……いや……ごにょごにょごにょ。初めて見る女優さんだけど、こと青春Hのヒロイン女優は時に見てられないほど破綻することも多いが(爆)、きっちりと芝居の出来る女優さん。
今までどんな仕事をしてきたんだろうか、という興味はあるし、きちんと脱げる、お腹ぺったんこなのも素晴らしい。けど、そこまでの印象は……どうなんだろう……。
それは単に私が、このヒロイン、都の造形にちっとも共感出来ないから、なのかもしれない。いや、ね。こういう女の子って、いるよ。女の子なんて年じゃないか、女、か。
それこそ都自身が「もうちやほやされる年じゃないし」なんてぶつくさ言う台詞もあって、彼女のそれなりに、年齢を重ねた苦悩はあるんだろうけど……若い頃でもちやほやされた覚えないもん、私(爆)。
あ、ダメだ、もう、この時点で、ダメだ、女としての経過、展開、それはもう、若い頃どころか、子供の頃から決まってるの。
私はそういうタイプではなかった。“そういうタイプ”の女の子たちを、いつも遠く、ちょこっと苦々しげに(爆)見ていたタイプ。そして、そういう女の子たちがようやく「ちやほやされる年じゃなくなった」と嘆息することに、遅いわ!!とツッコミたくなるタイプ(爆)。
でもね、やっぱりそういう女の子、女たちは、違うのよ。彼女たちはちやほやされなくなった、とぼやくけど、やっぱり基本、違う。そのフェロモンが男を引き寄せ、切れさせない。まあ、それが幸せとも思わないけどさっ(負け惜しみ)。
いや、実際、ちょっとヤダなあ、と思う。特に前半の展開は、キビしい。私はメッチャ一人が好きなんで、「男にフラれて寂しいから」と年下の男の部屋、しかもあのメッチャ狭い、プライベート空間も何もない一室に転がり込むなんて、もーう、ありえない。そう言ってる時点で、モハヤこの作品についていくのは不可能(爆)。
加えて、転がり込まれる男の子の方に関していうと、更に不可能。転がり込む方は自分の意思があれど、転がり込まれる方は、巻き込まれ型でしょ。もーう、ありえない。
一人暮らしをするのは、一人になりたいから……という訳でもないか、私だって、最初はホームシックがひどかった、が、それはホームシックであって……あれれ?
なんか自分で訳が判らなくなってきたぞ。うーむ、そうか、この青年だって、一人になりたくて一人暮らしを始めた訳じゃなかったんだな。私が一人暮らしを始めた時、上京して、家族から切り離された時のことがあまりにも遠い昔過ぎて忘れてたよ(爆)。
しかも彼は、彼女から捨てられて、この一人暮らしを始めたんだった。しかも、お笑い芸人という夢も捨てて。実家からと思しき電話で「だから、地元には帰らないって」と言い返す彼。
こういう時、地元という言葉、使うかなあ。そっちには帰らないとか、そういう言い方する気がする。地元、って、客観的に話をする時の言葉だよね。地元の友達、とかさ。どーでもいいことなんだけど、最初のこれで、私、つまづいちゃったかもしれない。
この青年、耀一が引っ越してきた日、都は不倫相手の彼氏、稲葉にフラれる。「飽きたんだよ」と痛烈な言葉を浴びせた稲葉にビンタをくらわした都だったけど、無論ダメージは彼女の方が大きい。
耀一と大家さんのそばをすり抜けるようにして稲葉を追いかけていく都のショット、二階のベランダから次々洗濯物(彼のだけじゃなく、自分のブラジャーも落とすのが判らんが)を投げ捨てる画等々、やはり上手いなあ、と思う。
つまり監督さんが、ホレこんでしまったんだよね。捨て去ったシナリオや演出プランがどんなものだったのか、こうなるとちょっと気になるけど(爆)、過去にも不倫が原因で保険会社を辞めてしまった過去のある都は、耀一に言わせると「ブレない女」。
でも監督に言わせると、というか、監督曰くのこの女優さんの印象、“存在の寄る辺なさ”というところ、なんだろう。その二つはあまりにも対照的で、対照的どころか、相反していて、両極で、不思議なぐらいなんだけど、こういう場合によく思い浮かぶ、完全に両極だからこそ、よく似ている、という方程式を思い出したりする。不倫という寄る辺なさに身を任せることに“ブレない”女。
ビールとおつまみをコンビニ袋にがさがさ言わせて、耀一を訪ねる都、女が一人暮らしの男の元に乗り込んだ時点で、まあ逆の場合もそうだけど、ああなることは必然である。
必然だから、彼女がビックリしたような風を見せたことや「後悔しない?」なんて手垢のつきまくった台詞を放ったことにはやや呆然としたが、まあこのあたりはお約束という展開なのかもしれない。
かといって、セックスしたからといって、心と身体が一気に縮まるとかいうことないあたりが、本作の新鮮なところなのかもしれない。
耀一の元には元カノが荷物にまぎれこんだ眼鏡を取りに訪ねてくるし、都にあれだけヒドい言葉を浴びせた不倫相手も、「やっぱり忘れられない」とノーノーと連絡を取ってくる。
そのお互いの出来事に、かすかなヤキモチ(嫉妬までいかない)を漂わせつつも、そこどまりである。都は結局この不倫相手とヨリを戻しちゃうしさ。
でも、不倫相手とは、先がない。結婚とか子供を作るとかいうことを考えていないのなら別だけど、都は、都のような女は、不倫関係ばかり結ぶ“ブレなさ”を持っているのに、そういう価値観もまたブレないという、実にやっかいな女なんである。
いや、ていうか、彼女の場合は、不倫するのに独占欲は人一倍、まあ恋愛なんてそれが第一義だけど、男が複数を愛せる生き物だということを考えると、その懐に入り込んでしまう不倫を選択する女に独占欲があったら、もうダメ、なんだよね。
いや、やっぱり男の方が、割り切ってないのかなあ。重いのは女の方に見えながらも……。稲葉に手ひどくフラれて耀一の部屋に転がり込んでから、そう、ホントに転がり込んだの、徐々に電化製品まで運びこみつつだったもの。
まず転がり込んだ日に調理道具や食材運び込んで、手料理で有無を言わせない描写にはうえーと思い、そのままずるずる自分の存在を耀一の部屋に上書きしていく様にはうえー、うえー、と思って、もう見てられない。同じ女だと思いたくないと思っちゃう。
でも耀一は稲葉に「あなたが思ってるより、都さんはしたたかですよ」と言うぐらい、つまり判ってるわけだし、女が女を毛嫌いするこの気持ちの方が、幼いのかなあ。
そう、一見、割り切っているようなこんな台詞を言う耀一だけど、ちょっとモヤモヤは抱えてるの。最初は2、3日の筈がズルズルとい続けの都、めんどくさいからせめて冷蔵庫だけでも運ぼうか、とか言いつつ、テレビの配線までつなげているところに、稲葉からのメールが来て、二人はヨリを戻してしまう。それまでずっと一緒にいて、セックスだってしてたのに、あっさりと一階と二階の関係に戻ってしまう。
耀一だって、いきなりの押しかけに困惑していた筈なのに、突然自分の部屋に帰っちゃったり、ケンカしたりするたび、なんだか恋人同士みたいにイチャイチャして、ゴメンネって、言ったりして、仲直りしてた。
だから、なんだかヘンな感じなのだ。稲葉と都がイチャイチャ飲んでいる部屋に呼ばれて一緒に飲んでも、年嵩の稲葉から人生の訓話を聞かされても。
都が冒頭、稲葉にフラレた時、「手遅れにならないうちに、いい相手を見つけた方がいい」と言われてかみついた。手遅れって何よ、と。
そして耀一は、もうこの年になってバイトでもないだろ、と焦りを感じ始めていた。都からまたお笑いやればいいじゃん、と気楽に言われて、本気じゃなかったの、と軽く言われて激昂した。本気だったよ、でも向き不向きがあるんだよ、と。
正直、いろんな要素もあって、男の方がいくらでもやり直しが効くと思うけど、やり直しがきかない年齢に気づくのが、女の方が遅い、かもしれない。
耀一はラスト、ちゃんとネクタイして正社員になって働いてるけど、都はまた、恐らくこれまた不倫と思しき髪が若干薄くなってる男と腕組んで歩いてて、耀一に無邪気に手を振るのだ。
なーんてところに至るまでには大きなクライマックスが。稲葉とヨリを戻すも、二人の先行きは見えないままだし、稲葉は耀一から責められても「色々しがらみがあるんだよ」と大人ぶった嘆息つくだけだし。
実際、稲葉はサイテーである。まあ男なんてそんなもんかもしれんが、先行きが見えないまま欲望だか寂しさだか判んないけど、とにかくそんな気持ちだけで都とヨリを戻した。幼い息子に気づかれているのも知らないドンカンさで、その息子は思いつめて、都を果物ナイフで刺す。突進して、刺す。
この少年、アパート近くの小さな公園で一人リフティングをしているところに耀一が遭遇しているという伏線が、上手いこと作用している。果物ナイフというのが切ない。そんなものしか持ち出せず、彼の小さな背中にはそんなものしか隠せないのだもの。
刺された都よりも、稲葉は息子の方を心配する、とこう文字ヅラで書いてみれば、そらまあある意味当たり前なんだけど、痛さにのた打ち回る都をほったらかして、まあ一応耀一に預けつつも、救急車を呼ばない、という有り得ない行為。
それは、「息子の将来はどうなるんだよ!」耀一が「このままだと息子さんは人殺しになりますよ!」勿論、耀一の論の方が真っ当。でも結局、都は浅い傷だったし、人殺しにはならなかった。
でも、彼らの思うとおりにはならず、事件は公になってしまった。そう、彼ら。都もまた、痛さにのた打ち回りながらも、自分の出血を心配するより息子の持っていたナイフの血を落とすことに必死になっている稲葉に幻滅するのではなく、彼の意見に同調したのだ。私だっておおごとにはしたくない、と。
耀一に責められても、こんなろくでなしでも好きなんだもん!と。彼女にとっては死ぬかもしれない自分に対して救急車を呼ぶことより、死なせないからな!とおぶって病院に連れて行く男の行為の方がキュンとくるんであろう。なんと、なんと、愚かな。
いや、やっぱり愚かだったのは男の方なのかな。「奥さんにバレてるんでしょ」どころか、奥さんどころか子供にまでバレバレだった不倫にまるで純愛みたいにウキウキして。
そして耀一もまた、不倫に戻った都に「これで俺たちの関係、終わりなのかよ」とセックスを迫って。“関係”って、ただ、セックス、それだけだったのに。
それだけ、だったのかな、判らない。耀一と都が、彼は自転車、彼女はバイクで川べりにお弁当を持って出かけるシーンは妙に心に残る。
女の手作り弁当というイヤーなベタさでついついイラッときてしまうが(爆)、人生のある時期、ある一区切り、ある諦めをお互い認め合うシーン。
好きじゃない、好きな訳じゃない、愛どころか、恋さえ未満、でも、ちょっとこういうの、うらやましいなんて思うのは、いやいや別に、年下男子にアレな訳じゃ、いや、ちょっとあるかも(爆)。
実際、ヒロインよりも耀一の方により深い印象を覚えるのは、それはヤハリ私が女、それもアラフォー女(三十路なんて遠い昔(爆))だからなのだろーか。
ちょっと加瀬亮をちょっと若くして、ちょっと青臭くさせた感じの彼、礒部泰宏氏がなかなかに、良かったんだなあ。
★★★☆☆