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再会
2011年 72分 日本 カラー
監督:榎本敏郎 脚本:佐藤稔
撮影:花村也寸志 音楽:鈴木治行
出演:栗林里莉 津田篤 森山さちか 姑山武司 小林晶 片山徳人 平岡亜紀 工藤博之
これは青春Hシリーズの一作だけれど、出てくる登場人物はみな30を超えていて、決して青春なお年頃じゃない。しかしその登場人物たちはみな同い年。つまり、地元が一緒の同級生なんである。
同じ青春の記憶を共有する者同士、というところにまず青春のかけらが落ちていて、そしてそれは男と女で確かにズレているんである。
あの頃は、まさに青春の、セーラー服に学ランの時代は、同じ青春の甘さを共有していたけれど、それを女は今や捨て去り、あるいは思い出したくもないと思い、男は……。
つまりこの主人公の青年、陽一は、人生の中の最も幸福な時間として懐かしげに思い出し、戻りたいとハッキリと口にも出す。
その頃から付き合っている彼女に、小じわが増え、面影がなくなったことをガッカリしたように面と向かって言い放つことさえも。自分だってあの頃と、ハッキリと違っているのに。
そういやあ、もう一人、同じ同級生の男性が出てくる。彼は結婚していて、奥さんは大きなお腹を抱えていてもうすぐ子供が産まれる。
彼に関しては、ほんのちょっとの出演シーンではあるけれど、陽一とはハッキリ違っているんだよね。その頃から付き合っていると思しき奥さんのことを、今も変わらず愛しいと思っているだろうと推測されるし、そして、「いよいよ俺も人の親か」とワクワクする気持ちも持ち合わせている。
彼が一番、ここに出てくる男よりも女よりも、過去にもとらわれず、現実ばかりに急がず、いつでも同時進行で今だけをきちんと生きている気がする。それは夢ばかり見ている陽一とはまるで違うのだ。
陽一は、一度は大学院に残って研究を続けていたらしい。しかし教授とソリが合わずに辞めてしまって以来、希望する研究職につけずに、先述の友人の紹介で臨時の塾講師をして糊口をしのいでいる。
いや、しのいでいるとは言えないな……。だって、高校からの腐れ縁、長年の付き合いの彼女が地元から遊びに来てくれると、お金を置いていってくれる。その描写は一度だけだったけれど、恐らく毎回じゃないかと思われるのだもの。
もう30を越し、いつかは研究職に、という陽一の言い様がそろそろ信用ならなくなってきた彼女、実家は老舗の旅館をやっていて、彼女は再三婿取りの見合いを迫られている。
「今度ばかりは押し切られそうなの。既成事実、作っちゃわない?」と陽一に迫る彼女。「それはマズいでしょ」と及び腰の陽一。
なんかそれだけじゃなくて、彼は明らかにこの彼女に対して倦怠感を覚えている風があって、焦る彼女の気持ちが判るだけに見てられない。
旅館からくすねてきた材料で鍋をやっててね、「火を止めないと、煮えきっちゃうよ!」と彼女のアプローチを避けるために言う陽一の台詞がさ、普通は、煮立っちゃうよ、とか、煮詰まっちゃうよ、とか言うじゃない?これは明らかに、おめーが煮え切らないのに、という意味合いでの台詞だよね。
ほおんとに、この陽一という男、煮え切らないことこの上ないのだ。正直こんな男サッサと捨てて、話が来ているという金持ちの次男坊と見合いをして婿をとっちゃえばいいのにと外野は思うのだが、これがホレた弱みというものなんだから仕方がない。
陽一が迫る彼女に殊更に気乗り薄なのは、その直前に運命の出会いをしてしまったからなんである。高校三年生の一学期だけいて、あっという間に転校してしまった月夜。
陽一は彼女の下の名前だけ覚えていて、苗字を覚えていなかった。というのも、陽一の陽は太陽の陽、そして月夜の月、その時から運命的なものを感じていたからなんである。
しかも陽一はなんかミョーにロマンチストで、太陽と地球の距離やら、だから光線が地球に届くには8分何十何秒かかるとか、そんなことを知っていて、なんかそれが口説き文句の準備みたいにも思えたんだけど、クライマックスの彼の絶望的なモノローグを思えば、彼の“研究職”というのは、こうした天体に関するものなのかもしれない。
だとしたらほんっとに、救いようがないぐらい、ロマンチストで、だから彼は現実には生きられない人だったのかもしれない。
陽一が覚えていたのは、地元で言い伝えられている男女二人で渡ると戻ってこられなくなるという場所に月夜と行って、そこにしか咲かない花を見つけたという、実にロマンティックな記憶なんであった。
月夜と東京の街の片隅で、巨大な交差歩道橋で、お互いスッ転んだ同士で運命的な再会を果たした時、陽一は即座に月夜だと判った。というのも、月夜が記憶の中の彼女と驚くほど変わってなかったから。
それは、その直後の恋人とのシーンで、小じわを指摘してため息をつくシークエンスにハッキリとつながっている。
月夜が高校時代から本当に変わっていないのかなんて、観客には判らない。ただ単に陽一が倦怠気味の恋人からの結婚攻勢から逃げたかっただけなんじゃないの、とか思っちゃう。だからこそ再会した月夜にのめりこんでしまったんじゃないかと。
……そうなの、“月夜が高校時代から本当に変わっていないのかなんて判らない”てのが、すんごく重要なトコなのだ。
陽一が感慨深く思い出す、くだんの伝説の場所に二人で行くシーン、枯れ野原がどこまでも続き、ゆっくりと日暮れが近づく。
伝説の場所に向かう直前、陽一は後輩の女の子にキッスをしようと(ホント、キッスって感じなのよ。唇突き出しちゃってさあ(照))挑みかかっているところに、遠くから彼の名前を呼ぶ女の子がいる。キッスを断念した陽一。
この時の、「やれば出来る子」という台詞は冒頭で、同級生の奥さんからかけられるのと同じで、この時陽一がその奥さんのことを、妊娠してもりもり食べている彼女のことを、妙にぼーっとした目で眺めていたのが、そういうことだったのか、と。
ほおんと陽一って、青春時代を引きずりまくってるんだよな。女は、いや、その同級生の友達だって、今をしっかり生きているのにさ。
で、その伝説の場所、ヒメワタシに一緒に行った月夜、というのが最大のキーワードであり、だからこそ、その月夜と再会したことで運命を感じた陽一はすっかり彼女に入れ込んでしまって、何度も夜から続く朝を迎えることになるのだが、実は観客には最初から、え?ヒメワタシに一緒に行ったのって、今の恋人ちゃうの?という思いがあるんである。
だから陽一が月夜に、ヒメワタシに一緒に行ったこと、覚えてない?と言った時に、え?あ、そうなの……?と驚いちゃうし、月夜が覚えてない、というのが、どっちの意味なのか、本当に覚えてないのか、やけに入れ込む陽一を牽制するためにそう言っているのか、なんかドキドキしちゃうんだけど。
最終的に、あ、やっぱり長年付き合ってきた恋人だったということを、その同級生の友人の口から明かされると、ほらヤッパリ、と思うと同時に、ならば月夜って女の子は一体?とふとゾッとしてしまうような気持ちを感じてしまうのだ。
そうなんだよね、月夜はさ、この現時点での姿しか見せていない。三年生の一学期しかいなかったという彼女は、陽一の恋人や友人に聞いても、そういやあそんな子がいたような気もする、という感触程度しか得られなくて、当然卒業アルバムにも載っていないし。
卒業アルバムってのはいかにも青春の記憶の記録を象徴していて、彼が早速ソレを引っ張り出してくるのがなんともほろ苦いし、月夜に対して校歌を再三高らかに歌い上げるのは更に苦い。彼の時間は楽しかった高校時代で止まっているように思えてならない。
でね、そう、月夜はつまり、陽一の記憶と、今目の前にいる彼女としてしか存在しないのよ。そんな子がいたような気もする、という程度の恋人や友人の記憶は、まるで雲をつかむようで、まぼろしのようで。
陽一はあの時。ヒメワタシに一緒に行ったのが月夜だと思い込んでいて、太陽と月で運命だ!とか盛り上がっていてさ。普段は恋人のカンパで何とか生活を成り立たせているビンボー男なのに、コースの食事とワインをフンパツするようなオシャレなお店だの、ホテルだのレンタカーだのと、月夜に対してはやたらと散財する。おいおい、カネあるのかよ、と観客の方が心配するぐらいである。
しかし、月夜との関係が恋人にバレ、陽一は恋人との長年の関係を清算するのだけど、それを知ると月夜はあっさりと彼に冷たくなる。
ていうか、陽一はそれまでは月夜に対して見栄を張っていたのに、彼女がワインのお代わりを注文しようとすると、今日持ち合わせがないんだ……少し出してくれると助かるんだけど、と手を合わせ、月夜はいいよ、と言いつつも、一度頼んだワインのおかわりを、栓を抜いちゃったやつを、あ、やっぱりいいです、と臆面もなく断わるんである。
この場面は思わず笑っちゃったけど……やっぱりこれは、ね。甘ちゃんの陽一が双方の女から見限られた決定的瞬間っていうかさ。
陽一から別れを切り出された恋人は、思ったよりもアッサリとそれを受け入れた。これで吹っ切れた、と。それでも別れ際、ひとこと言わせてと前置きして、あんな女のどこがいいのよ!と負け惜しみのひと言を浴びせた。
実際、そうだよ。あんな女、いや……どんな女かすら判らないままだった月夜、長年つきあった、全てを判っているツーカーの仲の恋人を捨ててしまうなんて、なんて男はバカなんだろう。
ていうか、なんかじりじりと脱線してますけど(爆)。だからね、つまりね、月夜は現実味がないんだよなあ。本当にこの時間軸に存在しているのか。いや逆に、陽一たちが高校三年生だった時、三年生の一学期しかいなかったというそれ自体が本当にそうだったのかと思うほどに、現実味がない。
陽一が月夜と一緒に行ったと思っていたヒメワタシへの道行きが、そうではなかったことが明らかにされると、それは実に決定的にそうも思えるんである。
しかも、このロマンティックなキーワード、太陽と月、月は太陽に片方の面だけ見せて公転している。地球から裏側の面を見ることは永久に出来ない。クライマックスの陽一のモノローグは実に悲痛で、そうして言葉で示されると、“月の裏側を見ることは永久に出来ない”と言われると、何か凄く、絶望的な気持ちにさせられる。
一体月夜は現実の女の子だったのか。三年生の一学期に、本当にいたのか。いや、それはいたとしても、陽一が月夜だと思っている彼女は現実の彼女なのか。高校時代から信じられないほど変わらない彼女は、今現実に、生身に、生きている、のか?そんなことまで考えてしまう。
月夜が自分の仕事を殊更に隠したがった、それはおそらくフーゾクとかだからだろうというのはまあ当たっていたんだろうな、陽一の誘いを断わってホテルに向かったのは、つまりデリヘル嬢とかそういうことだったんだと思うんだけど、でもそれさえ、現実から目をそむけてしまった陽一の視点では、なんだか判らなくなってしまう。
月夜の客からボコボコに殴られた陽一は、太陽と地球、月と太陽、さまざまな専門用語をぶつぶつとつぶやきながら街をさまよう。
あの歩道橋の上で月夜とまた“再会”するも、お前なんか知らない、月夜じゃない、と言う。彼女は静かに彼にぶつける。「あの頃には戻れないんだよ」一体彼は、月夜の、いや、自分の、いや、現実の何を見ていたのか。
先述のように、あの時ヒメワタシに一緒に行ったのは月夜ではなく、あの頃から長年付き合っていた恋人だったと友人から知らされ、彼は呆然と街をさまよい、そして陽一を吹っ切った恋人はその思い出のヒメワタシ草をあの頃と同じように枯れ草の中から見つけ、物語は終わる。
72分という短い尺の中に、大人になれない男の哀れさと、大人になれない男を愛した女の切なさと、漂う女の哀しさが充満して、やりきれない、やりきれないけれど、不思議な幸福感がある。
役者たちが絶妙でね。陽一を演じる彼は、なんか唇が松ケンぽいなあ、などと(爆)。
抑制の効いたエロは美しく切ない。一方で、彼が月夜に溺れたのが、長年の付き合いの彼女に飽きちゃったというのがリアルに感じられるような(爆)、月夜の裸体がフレッシュな美しさでね。私でも溺れちゃうかも、みたいな(爆爆)。
いやいや、その恋人のハダカは出てこなかったんだからそんなこと言うのもアレだけど(汗)。なんか、ちょっとだけ、男の心理が判ったような気もしたかなあ(汗汗)。
★★★★☆
だが、当然、そうした映画作家は中国国内からは締め出され、制作さえ禁じられている作家さんもいるし、世界的にどんなに評価が高くても、その映画は自国民たちが観る機会がなかったりする。
それでもそうして自国の現状を映画という手段を使って世界に訴える作家さんたちは素晴らしいと思ったし、そこから壁が崩れていったらいいとも思った。しかしなかなか壁は崩れない。
本作も、きっとそうしたインディーズの作家さんであろうと思っていた。10年前とはいえ、たった10年前に、こんな信じられない刑法がまかりとおっていたなんて、中国当局にとってはとても許容できないだろうと思っていた。
劇中、新法が改正されて、「これでわが国も人間重視の法律になった訳だ」てな台詞があって、さらりと言ったけれど、これってなんと皮肉な!とボーゼンとするしかなかった。
だって、つまり、それまで、法律は人間重視じゃなかった、ってことでしょ。私ら日本人はなんか当然のように、法律ってのは国民を守るもの、それが前提に決まってるじゃん、と思っているけれど、実はそういう“平和な国”じゃない国が、中国のみならず沢山あるということなのだ。
車二台盗んで死刑が別に当然でしょ、というのが10年前までまかりとおっていた中国のような国が、今でもたくさんあるということなのだ。
でね、ちょっと脱線したけど、本作はだから、インディーズ映画じゃないっていうんである。そのことにかなり、ビックリした。
だからつまり本作は、本国でもちゃんと上映されているし、一方で国際映画祭でも高い評価を受けている。
監督は、長らく中国のインディーズ映画を牽引してきた人物だという。長らくとはいっても、中国のインディーズ映画の歴史自体がほんの20年足らずだということが、いかにこの国が自由な表現を許さなかったかということを物語っている。
インディーズ映画はそれに反発するものだけれど、結局は自国で上映が許されなければ無意味である、と彼が考えたのは(そこまで言ってる訳じゃなくて、現行システムの中で作りたいと語っていただけなんだけど……なんかひしひしと感じるんだよね)、長らくその世界で闘って来たからこそだと思われる。
実際、現行システムにおもねって、遠慮しているような感じは微塵も感じられない。いやまあ、中国の現行システムを知っている訳じゃないけど(爆)。
でも、これを通したのって、相当、凄いと思う!だってこれって、厳然たる、社会派映画じゃない。ほんの少し前の、つまりは現在に通じる中国の体制をストレートに批判している。
“やっと人間重視の法律になった”あの台詞一発が、それを示してる。だって車二台を盗んだだけで死刑なんて、ガキデカのジョークかよと思っちゃうもの。
これは、実際に起きた事件だというけれど、いくつかの事件を取り合わせて作劇しているということだから、実際に車二台を盗んで死刑判決を受けた青年は恐らく、劇中のようにドラマティックに直前に執行停止がなされて命が救われたなんてことはないんだろう、なあ……。
本作は実に静かに物語が進行するもんだから、恥ずかしながら前半はかなり睡魔に襲われたのが正直なところ(爆)。
睡魔と闘いつつ、まさかまさかの、青年が頭に銃を突きつけられた時点で、「やめやめやめー!!」みたいに主人公の裁判官が止めに入ったところで、あまりの予想外にビックリして目がパッチリと覚めた(恥)。
だってだってだって、それまでものすごーくリアリズムに、もう小津並みの動かなさで、どうしようかと思ってたぐらいなんだもの。
これも、監督の厳然たる意図だったらしいんだよね。役者に徹底的にダメ出しを出し続けて、しまいには動かなくなってしまう程になって、OKが出された、と。
そう言われるとなあるほど、と思っちゃう。ことに、娘を亡くした中で、この青年の裁判の判決を下すベテラン裁判官の動かなさっぷりときたらなく、確かに監督の言うとおり、そうなると、彼がちょっと動くとオッと思って、ドキッとして、凄く大変なことのように思っちゃうもんなあ。
そうなの、この裁判官、娘さんを亡くしているんだよね。職業柄恨み買ってひき逃げされたらしい、ということが示唆されるんだけど、だからといって犯人の目星がつく訳でもない。
娘を亡くして夫婦二人きりの生活は、小さなテーブルに向きあってただ黙って粗末な食事をとるだけ。
白米に、テキトーに炒めた一品だけ、奥には電気ポットが無造作にドン、みたいな感じがなんとも寒々しい。
特に奥さんの心痛が激しいのは、ダンナを全然見てない、飼っている小型犬にじっと目を注ぐばかりなことから明らかなんである。
この、娘さんの事故の件に関しては、物語の最後までなんの手がかりも得られないままなんだよね。恨みかったのかどうかさえ……。
ただ物語の冒頭で示されるこの事故の検分、残された髪の毛や血痕のDNAで判明、だなんて、どれだけ遺体の損傷がヒドい状態だったかがうかがわれるんである。
それこそこの犯人がつかまったら死刑だ!などと思ってしまうのだが……。
そうだ、私ら日本人は、死刑の根拠は少なくとも、殺人罪以上(という言い方もおかしいか。殺人罪の上の罪があるとも思えないし)であると思ってるから、だから窃盗で死刑ということに驚くんである。
この中国の旧法は、物価が変わっても長年改訂されることがなく、現代の車二台は、当時施行された金額とは相当違うから、と、新法直前ということもあって、いかにも人権問題に尽力してそうなキリリとした女性(検事?裁判官?)が意見するんだけど、今までの法律を特に疑問に思うこともなくナアナアに判決を下してきた裁判官たちは、人権って?みたいな態度で、全然疑問に思ってないんだよね。
いや、主人公の裁判官、ティエンに関しては、今はそれどころじゃない、娘を失った哀しみと、そのことで心をどっかに置き忘れているような妻のことが心配で、車二台で死刑になる青年がいようが、どうでもいいって、感じなのだ。
実際、車二台の窃盗と、ティエンの娘の件だけで進行するなら、本当にこのまま行っちゃいそうだったんだけど……。
そこに、これは確かに映画的って感じの、ドラマティックな要素が挿入してくる。
腎臓を患っていて、適合する提供者を待っている富豪の社長。実に判り易く、豪華なベッドで若くて美しい妻との事後のけだるさなぞが示されたりなどして、彼女は「腎臓提供者が現われたから興奮しちゃった」と色っぽく言うんである。
腎臓だからさ、別に生体移植でも大丈夫だから、最初は、そういう話だったのだ。
これもかなり生臭い話になるんだけど、死刑をなんとかまぬがれようと、青年は減刑を狙って腎臓提供を申し出る訳。
で、社長も死刑囚からの移植でもいいじゃないかという方向で最初はいくんだけど、頑なな司法制度の壁に阻まれてそれが叶わなそうだと知ると、ならば死刑になってから、死んでからの提供でいいやと方向転換。
家族の同意を取り付けるために、優秀な弁護士をつけて死刑を回避しますよと、でもそれは100パーセントお約束は出来ない。つきましてはもしもの時には腎臓を……。
いや、勿論お礼ははずみます、息子さんの最後の親孝行ですよ、などと、まあ聞いてるだけでヘドが出そうな、サギまがいの確約をとりつけようとする。
家族は、年老いた母親は騙されそうだったんだけど、年若い弟はさすがに激昂してはねつけ、しかし実際に死刑判決を受けた青年は……家族に金が渡るのならと、OKしちゃうんだよね。
このシークエンスは、リアリスティックな本作の中でもちょっとワザとみたいにドラマティックで、金持ちの社長や豪華な暮らしぶりの描写もそんな感じなんだけど、でも実際、死刑囚からの腎臓提供は中国で存在し、国際社会からの批判の対象になっているんだという。そうなんだ……でもその批判の根拠ってなんだろう……。
最も衝撃的だったのは、中国では死刑判決が出た後、執行まで一週間以内と決められていること、である。
こんな微罪で、というのもあるけれど、一週間以内て!もし冤罪だったらどうするのだ、それを検証する余地も許されないのかと、震え上がってしまう。
いやそりゃあ、日本は死刑囚があふれかえっていて、実際に執行される数が少なすぎるほどに、その殆んどが獄中死を遂げるという、それもまた稀なケースの国ではあるけれど、そのことに対して若干の疑問も感じたりもしていたけれど、いやあ……その点については、ふやけた平和を謳歌する日本で全然イイデスわと思ってしまった。
でもそれでも、日本は、日本人は、そして私も、死刑制度にやむをえないと、あるべきだと思ってるんだから、そしてそれ自体だって、国際社会からは批判を浴びる要素なんだから、何とも難しい話なのだけれど……。
奥さんが心の支えにしている大人しげな小型犬が、許可証を提出していないからと連れて行かれるシークエンスも衝撃である。
いやあ……これは、ワンちゃんのみならず、生き物を飼っている人にとってはあまりに辛くて見ていられない。
しかもそこは中国である。連れて行かれたらどうなるか判らない。許可証を出していなかったのは、娘さんの死やらなにやらでとてもそんな余裕がなかったかららしいのだが、明日出すからと言っても、聞き入れてもらえない。
明日出して引き取りに行けばいいじゃんとも見ているこっちは思ったが、そう、そこは中国、その一日の間に何が起こるかなんて確かに判らないのだ。
実際、抵抗しまくってコトが大きくなってしまい、ティエンに父親の敵を討つためにある罪人を死刑にしてほしいと頼んだ同僚が、それを聞き入れてもらえなかったということでウラミに思ってて、ここがいいチャンスだと、このイヌは俺が責任もって始末してやる、と憎々しげに言うんである。
もうこの場面は恐怖の鳥肌が立って、いやいやいや、本当に、このワンちゃん、殺されてしまうの??と、正直あの窃盗犯の青年が死刑執行されるかどうかよりもそっちの方に心が行っていまい(最悪だな、私……)あんなこんなが解決された後も、あのワンちゃんは……と気になって仕方なかったのだけれど、ティエンが劇的に死刑執行を直前で止めさせ、上司にこってり絞られた後、家に帰ってみると、あのワンちゃんが無邪気にワンワンと迎えてくれた。
そして、ずっとふさぎこんでいた妻が、「今日、病院に行ったの。まだ赤ちゃんが産めるって」と夫に告げるんである。
それまでほぼ会話なんてない状態、ただただ黙々と食事をするだけだったのに。
夫が、前代未聞のことをしでかしてしまって、職を失うかもしれない、と妻に告げていたけれど、そんなことは彼女にとっては関するところではなかった。
いや……やはり、夫が、目を覚まし、“生きて”くれたことで、彼女もまた……きっとそうだと、思うし、思いたい。
そういやあね、冒頭は、ティエンが娘さんの事故が、自分が恨まれているせいかもしれない、と言われて悄然として、そしたら通勤に使っていた自転車が盗まれていた、というシーンから始まるんだよね。
近くには、しれりと自転車を路上で売っている男がいる。それがティエンが盗まれた自転車だったのか、そこで売っているのが盗難自転車なのかさえ、明確にされる訳ではないんだけれど、その後、車二台の窃盗で死刑になる物語が展開されるから、なんとも象徴的でね。
だって多分、自転車二台では、死刑にはならないだろうからさ……。でもこの旧法がそのまま“人間重視”されないまま、改訂されないまま今もあったら、自転車二台でも、死刑になっちゃったかもしれない。
今、中国は“ほぼ”世界一の経済大国に踊り出て、日本がかつて経験したバブルの最中にあることさえ、判っているのかいないのか。
そして時代はネットという、かつては考えられなかった情報網によって民衆が立ち上がり、旧政権をあっという間に倒していくという、本当に、かつては信じられない事態が次々に起こっている。
中国は?どうしても思い出してしまう、あまりに苦々しく、なにも報われなかった、天安門事件を。
今はどうなのだろうか。違うのだろうか。今起こっている国々の民衆革命に、中国も続けるのだろうか。それともあまりに広大すぎて、やはりダメなのだろうか。
あの広大なソ連が崩壊した時って、どうだったっけ……私が子供の頃は確かにソ連だったのになあ、あっという間にそれも過去になってしまう。なんだかとりとめもない……。
そしてきっと、実際に車二台の窃盗で死刑になってしまった青年は、実際の彼は、きっとそのまま、執行されてしまったのだろう、なあ……。
同じ裁判官の、同じ死刑執行に携わる日本の作品、「休暇」をふと思い出した。
あの作品も充分に重苦しかったのに、それはやはり個人のそれであり、個人の苦しみを“謳歌出来る”ことこそが、平和な世だということなのだね。
そしてそれはこんな風に……そうじゃないことに触れなければ、気付きもしないことなのだね。 ★★★☆☆
後にオフィシャルサイトを覗いて、あれ、こんな筋道たって判りやすい“物語”があったけっと思って、ちょっと驚いたぐらいだった。こんなに交通整理できていたっけ、と。
いや、“解説”だから“あらすじ”だから交通整理が出来ているのだ。それで言えば、予告編は見事に交通整理が出来ていた。ああ、こういう映画だと思って観に行ったのに、観に行った先で飲み込まれてしまった。
エピソードが分断されて散弾銃で撃たれて散らばっているみたいな印象は、勿論意図的、というか、この作品、この監督のカラーに違いない。
でも、戸惑っていた。「国道20号線」もそうだけど、情けなくも私はちょっと、苦手かもしれない。情けなくも、交通整理された、着地点のある映画に安心してしまうタチ。そう気づくといかに自分が映画に甘やかされているか、未熟か判るのだけれど。
でも、そうか……彼が提示するのは今の街、今の日本の街、その現状。交通整理も、ドラマチックな筋立ても(いや、だからそれは後から考えてみれば充分、あるんだけれど)何もかもほっといて、その中に飛び込んで、ぐちゃぐちゃに泳いで、ぐしょぬれになってしまうような気分にさせる。
それが、生きている街ということなんだろうと思う。若者にシャブさえも売れなくなった、そうした荒みさえなくなって、カラカラに乾いてがらんどうの街を屋上から見つめて「……この街ももう終わりだな」とビンが言った時、何か急にドラマティックになった気がして、というかフィクショナルになった気がして、うろたえてしまった。
そんな台詞を聞きたくないと、思ってしまった。つまりそれだけ……私もまた、飛び込み、泳ぎ、ぐしょぬれになってしまっていたのだ。
そう、後から考えれば、外国人を毛嫌いする猛がブラジル人を刺して逮捕される大オチだってあるし、実はゆるやかに、大きく、ある意味きちんと収斂されているのだよね。
この長尺に怯えるあまり、その流れに身をゆだねる余裕がなかった。いや、確かに身をゆだねる余裕なんかない。エピソードともいえないショット、場面、それが次々に繰り出されてくる。
正直この甲府の言葉はかなりの確率で聞き取れない部分が多く、それに焦っているうちに次の場面に行ってしまうという印象もある。
予告編では印象的に先導していた今の時代、不況にあえぐ時代を糾弾するラップの歌詞も、実際に見ると殆ど頭に入ってこない。
だから猛が「日本語が判らないから(ブラジル人の客が)ノらなかったんだ」と言っても、大体がいつもの、日本人相手のライブステージでも「あいつら、歌詞なんて聞いちゃいねえ」「バカだから」みたいに言ってたじゃん、と思い、そうして考えると結構皮肉がそこここに効いてるんだよな。
……てか、基本的な構成、あるいは人物組織を書いておかないと、私自身も判らなくなってしまう(爆)。
ここまでに折々出てきたヒップホップグループのボーカル、猛は派遣で土方の仕事に就く。鳶の格好をしてきて笑われ「……イケてるっしょ」と、お前らが判ってねぇんだ、という態度をあらわにする最初から、彼の性質は顕著である。
冒頭の冒頭は、一番謎めいた人物、タイ帰りだという通称ビンが、現場の先輩とラーメン屋でメシを食っている場面から始まる。
この先輩はタイ人パブでホステスのミャオに入れあげている精司。不況で土方の仕事も激減、若い頃は土方の仕事だけはなくならないと思っていたし、体力の衰えなんてことも考えもしなかった。
大型ショッピングモールはどこの地方都市にも押し寄せ、ここでも広大な土地が差し押さえられているけれど、彼が働いている小さな土木会社に仕事が下ってくることはない。
精司の妻、恵子は、まー、なんか、じっつに鼻につくしゃべり方をする元キャバ嬢。メイクといい、パーティーにあつらえるドレスといい、ハデで下品でサイアクである。
彼女はエステティシャンとして働いているんだけど、真っ黒なアイメイクで見開いた目と猫なで声で「絶対お得ですよぉ〜」という彼女にノセられる客の気持ちが判らん……。
ていうか、ノセられているのは実際、彼女の方だったのよね。客から政治家(どっかの政治家にソックリな気がしてならない宮台真司氏)を紹介するのが目的であったであろうパーティーに誘われて、ダンナを強引に誘っていそいそと出かけ、まんまと引っかかって後援会に入って怪しげな水まで定期購入。自分が利用されていることに気づいていなくて、使える女だと思っているあたりがウザい。
なんか人間組織図をさらっと書いておこうと思ったのに、深入りしてしまう(爆)。
えーと、ブラジル人社会もひとつの大きなファクター。この不況で一気に彼らの首が切られていき、続々と国に帰っていく。
日本では10倍稼げると聞いて来たのに、という彼らの嘆きは、かつては確かに経済大国として飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本の失墜を現しているけれど、なんたってずーっと昔昔、日本人を移民として大量に受け入れてくれたブラジル、もうひとつの祖国としてやってきてくれたのに、来てみればハッキリ外国人扱い。彼らの失望は想像して余りある。
キュウキュウで車を売ろうとしても「外国人はトラブルが起こるから」と拒否され、悔し紛れに台頭著しい中国人のせいにするあたりも哀しい。
猛は、ブラジル人たちが祖国として日本にやってきたことなど、まあ考えてないんだろうと思う。ヒップホップも、派遣として働く土方も、まだ若い彼は、先行きの見えなさを真に苦悩している感じは見えない。
ただ彼は、パチンコにおぼれた両親の破綻、そこにのしかかってきた壊れた弟との崩れた生活、というまさに目の前の惨状が、こんな世の中になったのは外国人たちのせいだと、短絡的に考えるところがあって……。
税、税、税、とぜんそくかよ、政治家が本当のギャングスターじゃねえか、ともっともらしいことをラップで歌ってみても、正直彼が本当の意味でそれを判っているかどうか疑問なんだよな……。
あ、また横道にそれてしまった。えーと、そう、そしてタイ人たち。猛は先輩たちに連れて行かれて思いがけず割勘にされてしまって立腹したタイパブを、後に仲間たちに「フィリパンだよ」とフィリピンとさえ言わず軽蔑した物言いをするけど、タイ、なんだよね。
精司が入れ込むホステスはタイと日本のハーフであり、やはり彼女も、祖国であるはずの日本に裏切られた形でここにいる。
22歳になるまでに決めなければいけない国籍。日本にしようと思う、日本人になるというミャオに、精司はバッカじゃねえの、日本なんて何にもいいことない、とグチる。
その前までは、納豆を食べれなければ日本人の心は判らない、パクチーなんて生ゴミみたいな匂いするのヘイキで食べてるじゃん、とヒッドイこと言ってたくせに。
そして、猛の元カノであるまひる。ずっと連絡が取れずにいた彼女は、以前は暗いイメージだったらしいんだけど、すっかりポジ、ブラジルカルチャーに心酔し、ラブ&ピースを連発して、クラブイベントをプロデュースするなど、猛にはさっぱりついていけないような存在になっている。
彼女に誘われ、デカい態度の外国人をコテンパンにしようと参加したライブバトルも、客の大半がブラジル人だったことで大撃沈、しかもまひるが発するのが「アーミービレッジ(猛のヒップホップグループね)もイケてたよ」的な、完全に下に見る態度だったから、猛はすっかりクサってしまうんである。
地元サブカルの情報を取り上げるネットの掲示板に、猛が苛立っている写真を掲載されたりして、更にクサる。いくら地方でも、閑散とした商店街が示されても、しんねりとこういうコミュニティがネットという暗闇に厳然と存在することが、何より現代の怖さであると思う。
ネット自体が発する、根っこの見えない漠然とした怖さよりも、それが小さなコミュニティに活用される、周りにいる誰か、自分も知っているかもしれない誰かが発信しているかもしれない怖さの方が相当、怖い。
自分がクサしながらも、アイデンティティである地元自体に否定される怖さは……想像を絶する。
ジモティーである“美心会”なるケバ女四人組が、まひるを「男を廃人にするヤツ」と毛嫌いするのもそれはそれでイタいが、でも結局は男とクスリでポジという名のハイテンションを保っていたまひるの方がイタかったことが後段示される訳で……。
懇意にしている(てか、男女関係があるんだろうな)ブラジル人に「まひる、東京の方がいいだろ」と問われ、「東京もね……」と言葉を濁す彼女は、猛に対しては東京であちこちのパーティーに参加して人脈を作ってた、皆自分の世界を大事にする凄い人たちだった、などとキラキラに語るけど、それがどこまで本当だったのか。いや、本当だったとしても、つまりは彼女自身はそんな存在にはなれなかったんじゃないのか。
以前とは別人だというまひる。いい方向に変わることはいいことだけど、でもそれが、彼女自身の内側から変わったパワーがないのならば……。
あのね、女性キャラはなんか総じて、ドラマティックなんだよね。時にワザとらしいと思えるほど(爆)。ワザとらしいのは、先述した精司の妻、恵子はホンットにこのキャラ造形はワザとに過ぎるだろ!ってぐらい。
怪しげなミネラルウォーターの造成に立ち会う、湧き水のあふれる岩の前に華奢な傘をさしてたたずみ、水をいとおしげに愛でるナゾの女といい、そしてこのまひるといい。
そう、この水、日輪水は一体なんなの。怖いよ。“デトックス効果がある”とされ、最初は下痢とかするけど、というあたりもアヤしい。テレビスポットで流れる悲鳴のように裏返るソプラノがコワ過ぎる。
ギャグ的とも思われる、ウソくさい政治家と共に売られる日輪水。ニセモノに踊らされる日本人を象徴しているよう。
しかもそれは、政治家のウソくささというだけではなくてね、日本を変える政治だと信じた政権交代、あるいはもっと言ってしまえば、その前からの、政治自体、政治家自体をそう言ってるような辛らつささえ感じたりして……。
やはり、最も面白い造形はビンである。一体彼は何者?と思う。何でタイに行っていたのか、何でタイから戻ってきたのか。
流暢なタイ語を操るビンに、ミャオに入れ込む精司はまるで師匠のように彼にも参ってしまう。なんか知らんうちに水タバコ?みたいなもん吸わされてるし……あれ、ヤクちゃうの。
このシーンに至ってくると、一体精司がビンにどんな世界にいざなわれているのか、判らなくなってくる。
ミャオのみならずタイそのものに惹かれ、懐かしいと感じ、土の下の温かみを感じる、と語る精司。土の上のことばかり考える人間と違って精司さんは判ってる!と持ち上げるビン。
みずみずしい緑がつたい、きらびやかなタイの民族舞踊が披露される……もう、このあたりになると訳が判らない。
だって途中、ビンは姿を消してしまうし、それまではまったく判らなかったけどどうやらヤクの裏社会に手を染めていたらしいし、なんだか本当に、意味が、展開がよく判らないんだもの……。
でも、精司がミャオにフラれる段は一番判りやすく、いわばベタに判りやすかったかもしれない。
営業ばかりに奔走して現場に来れない社長、ポンコツで故障してしまう重機に、手堀りするしかなくなる現場。時には大きなカブトムシにいい年した大人の男が狂喜、社長が重機で根こそぎ獲ろうとするなんてほほえましい場面もあるが、仕事がなくて現場でビール飲みだして、代行車呼んで現場から帰るなんてていたらくにまでなる。
そんな先には当然……会社の解体。精司は仕事をなくし、妻からは鷹揚に私が養うと言われ、ラッキーだったよ、もう土方なんて未来がないって、センセー(政治家)も言ってたよ、と言われ、激昂。
だってあのパーティーの場では、土方の彼に対して、あなたたちが日本を支えてるとまで言ったのにさ、と……。
で。妻にキレて飛び出し、ミャオの元へ向かう訳。でもカネがないから店で飲めない。そうするともう、当然だけど、冷たいミャオ。それまで恋人のような関係まで築いていたのに。
いや、精司が客でなくなっただけなら、まだミャオは彼を切ったりしなかっただろうけど、精司が、一緒にタイに行こう、向こうで俺、働くから、もうここはヤだよ、なんて言ったもんだから。もー、判ってない!と。
タイは楽園だとでも思ってるのか。賃金は安いし、何より自分たちだけを養うんじゃない。私は妹たちのために日本で働き続けなければいけないんだ、って。
……なんかこうして書いてきたら、えっらいベタな感じがしてきた……。それが、混沌とした地方都市の現状に、観客がそこに立ち会っているかのように巻き込んでいくんだから、やっぱりこの監督さんの手腕はただごとではない、のだろうと思う。
まあだから……そのう、だから正直、あまり好きにはなれないけれども。
でもそれは、私が今この、日本の、地方都市に、それもかなり大きめの地方都市に、じわじわと侵食してきている現状から目をそむけているからなのかもしれない。
東京もね……とつぶやいたまひるが、この街に帰ってきて何を思ったのか。私ね、彼女が挫折してふるさとに帰ってきたとは思えなかった。
東京が「もうこの街も終わりだ」と言われたら、そこまで気づかないままに来ちゃったら、プライドがジャマして破綻するまで何も手をほどこさなかったら……元が大きいだけに、本当に終わりであるような気がした。
だってきっと、東京のような大きさと雑多さの中では、移民外国人の不満も、彼らに対して右翼的な感情を抱く地元の若者の気持ちも、家族という小さな組織の崩壊も、ありがちなこととして、誰にも拾い上げられずに、そこここに埋没しているだろうから。
だから逆に、ひどく希望的観測かもしれないけど、シャッター商店街という判りやすい衰退の提示がなされている地方都市には、大きなショッピングモールによって形骸化されるという判りやすいのっとられ方に危機感を感じている地方都市には、逆にまだ、かすかな希望があるような感じがした。
それはあまりにもあまりにも、ムリクリな希望的観測に過ぎるのだろうか……でも……。
ブラジル、ボサノバ文化には欠かせない優しい言葉、saudade。でもこのタイトルはなぜか、なぜだかひどく殺伐としている気がして。
ラスト、猛がまひると一緒にいたブラジル男性をナイフで刺す場面。ナイフを購入するシャッター商店街のガンショップはあの秋葉原の無差別殺人事件をふと思い起こさせた。店主が自慢げに外観の美しいナイフを披露したりして、なんだかヒヤリとした。
それでも、このガンショップも、この街に出てくる店は勿論、地元のフィルムコミッション、あるいはこの作品の製作に寄付した大口小口個人、さまざまな関わりがバーッとラストクレジットに表示された時、なんとも複雑な気分に襲われた。
だってだってだって……ここにはこんなに、人の絆があるのに。あんなラストに使われたガンショップだって、協力に収まっているのに。
やっぱりラストに引きずられちゃうかなあ。仲間に向かって手錠をかけられた両手を掲げてにっこり笑う、なんてそれこそベタなのにさ。
でも、猛が、彼一人がとんがってて、実はお気楽に音楽を楽しんでいただけかもしれない仲間に苛立って、彼らもまた戸惑って、離れていくのがなんか、なんとも言えず寂しかったから。
そんなところに、判りやすいところに、着地点が見えやすいところによりどころを求めたがるのって、やっぱりダメなのかなあ……。
★★★☆☆
……と言うぐらいに、ひょっとしたらお札になった野口英世あたりより科学者として大きな実績を残した人なのに、なぜこんなにも無名なのだろう……それとも私が知らないだけ?
いやいや、その無名っぷりに歯がゆさを覚えて今回の映画化がなされた訳だから……。でも野口英世の方が有名だってのは判る気がする(いや、ジャンル違いだってことは判ってるのよ。何となく同じ方向でっていう、大雑把な感じで(爆))。
異国の地で民のために力を尽くして命を落とした、ってあたりに日本人は実に浪花節を感じて、そーゆー話は好きなんだよね。
一方の高峰譲吉は企業人として、つまり商人としても大きな成功を収めた人であり、つまり浪花節とはちと違う。恐らくそのあたりも、あまり語ってこられなかった要因じゃないのかなあ。
それにしても、それ以外にもじっつに映画的要素をたっぷり持った人だというのにも驚かされる。恐らく日本で初めて国際結婚をした人!それもひとまわりも年下の米国人女性と!
更に言えば、ああこれは私だって知ってる、ニューヨークの河畔に咲き誇る桜並木、これが高峰譲吉が日米融和のために送った桜だったなんてね!
そんなこんながあるのに、なぜ彼の名前は日本に知れ渡ってないんだろう……確かに故郷がヤキモキするのも仕方ないかも。
まぁ、アドレナリンの結晶化に際して、米国人科学者との盗作だのなんだののトラブルがあったってこともあるみたいで、実にそれは本当につい最近、2000年も後半になって汚名が返上されたというのも不幸だったのかもしれないが。
いやいやいや、こんな風に彼の功績やら人生やらをウィキペディア風にひもといていたら、映画作品としての本作に全然入れなくなっちゃう!
……でも、それには理由があるの。本作を見て、高峰譲吉という人を知ることが出来たのはホントに良かったと思った。日本人として、この人のことを知らないのは恥だと思った。
でもでもでも、映画作品の出来としては、うぅ、どうなんだろう……なんか、中学校あたりの映像教材みたい、とか言ったら怒られるだろうか……だって、ところどころ、どうにも看過できない安っぽさに見てられないんだもん……。
判りやすいところでいえば、せめて赤ちゃんを抱っこするシーンで、本物の赤ちゃんぐらい使ってほしい。
後ろ向きにしたって、いくら泣き声足したからって、あまりにも人形バレバレ。人形バレバレだから、死体みたいに見えちゃう(爆)。
しかも、二人目が生まれてまで、二人をおんぶして抱っこしても人形、二人とも頭しか見えずにピクとも動かないのは不自然すぎだろ(爆)。
……そんなに赤ちゃん用意するのって難しいのかなあ……確かにこれは地方発信の映画(多分)だから、そのあたりの融通は難しいのかもしれない。
その後、成長した二人の子供はとてもハーフには見えず、メッチャ日本人で、まあ、どちらの遺伝子が色濃く出るかにもよるよな、とは思ったものの、その後成長した子供がアイデンティティに悩んで言った台詞が「僕は顔はお母さんに似てアメリカ人だけれど……」おいー!!成長した子供も、成長してない?子供も、思いっきり黒髪の顔立ちも日本人だぞ!
……あのね、しかもラストクレジットで、実際の高峰夫妻と子供たちの写真が出てくるのよ。……めっちゃ子供たち、金髪のバタ顔じゃんか……。
こういう部分って、大切だよ。しかも幼い子供たち、彼らが登場する場面は少なくて、しかも重要なところ、職を失われたモルト職人たちが怒りにまかせて譲吉の工場に火を放つ場面でだけ出てくるんだけど、ぼーっとしてて、全然危機感ない(爆)。
いくら事態が判ってない子供とはいえ、これじゃ見てる方も力が抜けちゃう(爆爆)。こーゆーとこって凄く大事だと思うんだけどなあ……。
まあ、他にもいろいろあるけど、きりがないから最初から追って行く。あ、その最初がね、いかにも映像教材っぽいのよ……。
譲吉の妹のひ孫である女性が語り部となるんだけど、看護師である彼女が、医者が止血剤のことをエピネフリンと言ったことに怒って、ちゃんとアドレナリンというべきだと思います!わが国が誇る高峰譲吉が発見した……とぶち出すという始まりっつーのがさ、これってNHK教育の番組でありがちな導入じゃない?
しかもその後、彼女のモノローグ、っていうか思いっきり教育的解説で譲吉の生家を紹介するところから入っていくのもなんともそんな感じなんだよなあ……確かに判りやすいけど、エンタメとしての映画を観にきたこっちの気がそがれるのは事実。
その後はまあ、そんなジャマ(!)な解説はそれほど入らずに進んでくんだけど……でも正直、盛り込みすぎ、なのよね。
いや、確かに高峰譲吉の生涯は、業績もプライベートも波乱とロマンに満ちていて、何ひとつ落とせないというのは判る。
だからつまり、彼が今まであまりにも無名だったということが、彼を題材にした映画作品を作るに際しては、不幸なことなのだよなあ。
少なくとも彼の業績がある程度知られているならば、12も年下の米国人女性と運命的な恋に落ちての結婚、しかも日本ではじめての国際結婚、しかもしかも、約束の1年を過ぎて2年も待たせての、あの時代の厚い文化の壁を乗り越え、しかも彼の家柄は由緒正しき家で長男なもんだから、もうそれだけで、一本の映画を作るにはあまりある要素が盛り沢山なんだもの。
そう、私は年老いたとはいえ(爆)女子だからさ、まー、こんなイイ題材があるなら、それをこそしっかり掘り下げてほしかったと思う訳よ。
正座やお辞儀ひとつ出来ない彼女が親戚一同に笑われる場面ひとつとったって、彼女の苦悩、いや彼女のみならず譲吉やその結婚を許した両親や妹の苦悩だってなみなみならぬものがあった筈でしょ。
そもそもこの結婚が通ったまでだって相当の紆余曲折が合ったはず。フツーの映画なら、それだけで一本出来るじゃん、しかもこれがこんな古い封建的な日本の、初めての米国人との結婚だったっていうんならさ!
……めっちゃ、一瞬なんだよね。それこそちょっとしたコメディリリーフ的なだけでスルーしてしまう。正直、ね、この年若い妻、キャロラインに関しては、本作の彩りに過ぎなかった気がしたなあ。
いや、確かに登場頻度も尺も多いのよ。でもね、彼女の苦悩はかなり表層だけでなぞられてオワリ、な気がしたなあ。
でもそれは、もう冒頭のあり方からして、決まっていた気もするのよ。教育映像よろしく高峰譲吉の業績を辿っていく、業績が第一義ならば、家族愛はまあ……二の次三の次、だろうなあ……。
ヘタに彼がこんな国際的なドラマチックな、つまり業績と同様に見逃せない人生送っていたのがいけなかった??
それこそ野口英世の物語に奥さんだの子供だのって語られないよね……あ、でも野口英世も外国人の奥さんもらってたんだ(知らなかった!)、しかもトンでもなく放蕩野郎で、留学費用だの給料だのを色里に使い果たしたって……ショック!知らんかったわ……。
いやいや、だから、野口英世は全然関係ないんだけど(爆)、なんか、華やかなんだよね、高峰譲吉ってさ。
奥さんの実家も富豪っぽくて、義母がメチャメチャやり手ババア(てのとはチト違うが)で、譲吉の研究を大手にバンバン売り込んだことが、彼の業績を大いに広めたことでもあるしさ。
まあその一方で、助手を結核で亡くしたり、先述の様に嫉妬の末に工場が焼かれたり、研究を買ってくれた社長が失脚したり、色々あったのだけれど……、それさえも、こんな古い時代の日本人が!?と思うぐらい、華やかな話なのよね。
なもんで、ホント二部作にしてほしかったぐらい。科学者、企業家としての譲吉と、国際結婚、日米融和に尽力した人物としての譲吉と。
前者の彼だけでもホンットにお腹いっぱいなのだ。先述のように三共製薬の創始者だってこともカンドーだが、今でもフツーに、というか、大いに使われているリンから作られる化学肥料が、彼が開発したものであること、それが狭い国土の日本の農業に大いに貢献したこと、それも農民たちに受け入れられるにはひどく時間がかかったこと……。
あるいは日本酒を腐らせない麹の開発(これは、母の実家が造り酒屋であったことも大きかった)やら、映画の中では語りきらなかったけど(これだけいっしょけんめい要素を盛り込んだのに、語りきれないものがあったのだ!)電力やアルミニウムの開発にも大いに貢献したという。
どんだけよ、化学の鬼やんか!ホントにこれだけで映画三本は作れるよ……それに国際結婚やら、研究に没頭するあまり妻子と距離が出来るやら、アメリカ生活での軋轢やら、ビンボー生活で妻が内職するやら、出がらしのコーヒー飲むやら、なんてことまで盛り込んだら、もう全てがうわっつらになっちゃうやん!
なんかそのせいなのか、途中ヤケクソになったのか(爆)、タカジアスターゼを薬品会社の社長夫妻に売り込む場面で、キャロラインが大根おろしから始まる漫談?みたいな、なんかいきなりライティングとか変わって、何何?って感じで、なんか、引いちゃう(爆)。
まあそりゃあ、酒飲みの社長夫人に効果バツグンのタカジアスターゼは大好評で、一時は世界中に売り出す契約にサインするところまで行くんだけれど。
そうかあ、もしかして本作のキモは、ここに持ってきてたのかもしれないなあ。世界中への専売特許をウリにしている巨大企業と契約するという、大いなる名誉と成功を手にする目前だったのに、譲吉は日本の専売だけは外してほしい、日本だけは日本人に売らせたい、とそこだけこだわって一度破談になってしまう。
渡りをつけた義母は激怒。奥さんの皿の絵付けの内職で保っていたビンボー生活が継続するかと思いきや、ある程度時間をおいて、社長がまたやってくる。
こんな小さな国(日本ね)の販売網にこだわって契約を破棄するなんて愚かだと判ったのだと。
祖国を遠く離れていても、祖国のためという気持ちを失わなかった、キャロラインと結婚しても日本人のままでいた、サブタイトルにも示されている譲吉のサムライっぷりが示される、大メインのエピソードなんである。
でもねでもね……奥さんはどうだったのかなあと、やっぱり思っちゃう。そりゃあキャロラインは喜んでくれたよ。でもここに至るまでに、譲吉は重い結核にかかって生死の境をさまよったりする。キャロラインが線路上で手を広げて列車を止めたってのは、ホントのエピソードなのかな??
搬送された病院の若い医師が、お金がないと口ごもるキャロラインに、譲吉の信奉者で株主であること、だから金はいらないと言った彼にキャロラインが頭を下げるシーンは確かにちょっと感動的だが、でもここぐらいなんだよね、キャロラインが彼の仕事に対して奥さんめいた関わり方をするのは……。
だってまあ、これは譲吉が悪いんだけど、めっちゃほったらかされてるんだもん。譲吉の腐れ縁である三井物産の事業家、益田なぞは心配して譲吉に忠告したりもするけれど、全然ダメ。
益田は「あんなに寝る暇もないのに、なんで二人も子供が出来るかね」と呆れ気味なぐらいで(爆)、そのあたりはちょいとユーモラスでもあるんだけど、でもこれも落ち着いて考えてみれば、忙しくて家庭をかえりみるヒマもなかったのに、そーゆー行為はしてた……彼女のことを思うと、なんか、哀しすぎる(爆)。
助手にも結核の症状が出てたのにずっとほったらかされて、そのまま死んでしまったりね、先述の息子の苦悩もそれが示されただけでスルーされちゃったり(つまり、父親の譲吉の苦悩としてすりかえられて終わってる印象)、要素を盛り沢山にするが故の尺の足りなさなところが多すぎる気がする、んだよなあ……もったいなさすぎる。
本当に濃いんだもの。映画一本じゃ足りなさ過ぎる。一本に収めようとしたがゆえに教育ビデオぽくなっちゃったし、業績を押さえようとするがあまり、人間の苦悩が点描になってしまった。
だってさ、何度も言うけど、あんなお堅い家柄……加賀藩の御典医の家柄で、しかも地方で、突然茶髪の(金髪だと親戚は思い込んでたらしいところが……)嫁さんを連れ帰っただけでも相当なハズなのに、そこはほんの5分でスルーされたもんね。
外人さんのお客さんが多かったのよぉ、と田舎ナマリ丸出しでキャロラインに親しく接する、どー見ても高級ではないレベルの芸者……さえも怪しげなイネさんなんて、キャロラインの当地での不安さを描出するのに実に有効なキャラだと思うんだけど、キャラの強烈さを示しただけで、ほとんど関わることもなくフェイドアウトしちゃったしなあ……もったいないなあ。
んでもって、ヘタにドラマチックな要素……地元職人の謀反による工場の火事とか、助手の客死とか、販売網の対立とか、何より国際結婚とかがあるだけに、全てに分散されて、思いっきり薄まっちゃった印象、なのよね。薄まって、安っぽくなっちゃった印象(爆)。
こういう役には英語が出来るのがピタリハマる加藤雅也が熱演を見せているだけに、惜しいんだよなあ、なんとも。 ★★☆☆☆
気楽といえば、このサラリーマンたちも充分に気楽なのだが、植木等が演じたような無責任、傍若無人、なのに最後は仕事大成功、なんていうスーパーサラリーマンではないんである。
そうか、植木等は何気にスーパーサラリーマンだったんだな、と思う。それで言えば始終休んでばかりいる釣りバカのハマちゃんも、スーパーサラリーマンだと言えるかも。
が、このサラリーマンたちは、もうね、涙ぐみたくなるほど、きわめて普通の?サラリーマンたち、あるあるなサラリーマンたち。
だったのは、あくまでテレビでの、コントとしての彼らだったかもしれない。いやそらー、大いに異色のサラリーマンコント番組だが、そのオカしな生態に大笑い出来たのは、やはりそれがあるあるだったからなんだよね。
毎回熱心に見るほどではなかったけれど、ふとかかってると見てしまう。そう、割と、ファンである。割と、ってあたりがこの番組における視聴者の、ある大多数のスタンスであるような気がする。
平均5パーセントの視聴率で映画化など無謀だ、などとラストクレジットで自虐的に暴露するのには思わず噴き出してしまうけれど、でも確かにそうなんだよね。
ゴールデンタイムに大人気のコント番組ではない。逆にそうだったら、出来ないようなシュールなことも数多くやってる。
教育テレビで昼間にやってる体操番組をサラリーマンの生態に合わせてみせるコントとか、私もお気に入りがいっぱいあるが、とてもゴールデンでは出来そうもない。
個人的にはウッチャンがゲスト出演した回、盟友の入江氏と照れまくって共演していたのが何より印象的だったが、思えばウッチャンもサラリーマンコントの名作を数多く残した人で、ゴールデンに上がる前の深夜に生まれたそれも沢山あった。
サラリーマンNEOは深夜までは行かない、サラリーマンが残業してくたくたに疲れて帰ってきてふとテレビをつけるとやっているという絶妙の時間であり、毎回熱心に見るとか、毎回録画して見るとかいうスタンスじゃないファンのゆるさもまた、魅力であるんだろうと思う。
それだけに確かに今回の映画化はメッチャ驚いたけど。え、だってどうすんの、と。短いコント番組を映画にするって、どーゆーこと、と。
まあやはり大筋の物語は作られていて、そこにテレビ版のおなじみのキャラクターや名作コントがねじこまれるのだが、ねじこまれると言ってしまったけれど、それ自体は意外に少ない。
サラリーマンの生態を野生動物のように観察して解説する「会社の王国」、仕事の大失敗をごはんつぶを口の周りにつけておっちょこちょいを演出して乗り切ろうとするコントと、コピーの紙詰まりを放置した男性社員をロッカー室で脅しあげるOL夜叉ぐらいなもんである。
「会社の王国」が解説するのがライバル会社とのゴルフコンペで、“無数のチェックポイントを確認してなかなか打てない”のを、その無数のチェックポイントをグラフィックで示したのには、これぞコント番組!と思い、いやいやこれは映画だと思い……。
でもこのエピソードは、肩に力が入りすぎたあまり、ライバル会社(ですらない。相手は業界第一位、こっちは第五位)の社長に惨敗した伊東四朗が、シェアナンバーワンの商品を作るんだ!とムボーなことを社員にけしかけたところにつながるんだから、重要なエピソードなんだよな。
でもおっちょこちょいとOL夜叉は、どこか番組ファンへの目配せのようなムリクリを感じさせる。でもそのムリクリがこれだけっていうのも、コント番組を劇場版にしたという無謀さを思えば少ないような気もする。
いや、だって、やっぱり、セクスィー部長なんだよね。サラリーマンNEOを象徴する、いや、代表するキャラと言ってもいい。「恋愛とビジネスは、混同なさらぬよう」キャー!!
でもね、沢村一樹はなかなかセクスィー部長になってくれないの。彼は最初のうち、いかにもうだつの上がらないサラリーマンとして登場……てか!まず基本的なライン、物語を示さなくては。
物語、あるのよ。主演、いや主演の一翼は、小池徹平君。彼がサラリーマンNEO初参戦というのはちょっと意外な気がする、のは、「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」であるあるサラリーマンをイイ感じに演じていたせいだろうか。
もう一翼は、ミスターサラリーマンNEOと言ってもいい生瀬氏。
徹平君扮する新城は、業界第五位のビール会社に新入社員としてやってくる。生瀬氏ふんする中西課長は彼の直属の上司で、熱狂的な阪神ファン。新城の査定も、阪神の歴史的試合の経過を彼が答えられるか否かで決める。
てか、ここで新城はちゃんと答えられてるし!劇中ではそれ以降あまり突っ込まなかったけど、新城は相当の阪神ファンだよね!そこを掘り下げなかったことが、惜しい気がするなあ……。
まあ確かに中西の方がもっともっともーっと、コアなファンで、試合経過より実況、解説の言葉を重んじているぐらい。
しかもその解説の言葉は、点を取ればいいとか、早く走ればいいとかかなり単純バカで、新城を呆れさせるのだが、確かにそれは人生の、サラリーマンの解決法をストレートに示しているのかもしれない。
おっと、なんかウッカリマジメな感じに言ってしまったが。えーと、で、沢村一樹のセクスィー部長は……だからなかなか出てこない。
あのね、沢村一樹は、ハッキリ言ってこれで給料もらってていいのかと思うほど、使えないヤツなのよ。それでいったら田中要次扮する部長なんて言葉を発したところを聞いたことがないほど、使えないどころじゃないのだが、彼に関しては後にオチめいた種明かしがあるもんで……。
沢村一樹扮する川上は、もう5年間も通い続けている量販店から、いまだに契約が取れていない。同行した新城も呆れるほどの口下手で、しかし新城が口を挟んでみてもやっぱりダメ。ぶっ飛んだ女社長とガンコな副社長の壁は鉄壁なんである。
後に新商品のビールを置かせてもらうために、女社長の望みを叶えるべく、中南米?に見知らぬ花を探しに行く川上。……てな具合に、えー!いつになったらセクスィー部長が出てくるのよ!と、もうヤキモキ。
だってだってだって、サラリーマンNEOといって一番最初に思い浮かぶのはセクスィー部長だもの。彼を出さずして、この劇場版を成功させるのはぜえったい、ムリでしょ!
でも川上はしばらく未開の地で苦労するし、原住民に追いかけられるし。この場面、ラストクレジットをわざわざ中断して「なんせ、予算がない」苦労を説明するために、メイキングを示されるのが爆笑!こんなこと言っちゃアレだけど、ここが一番笑ったかもしれない(爆)。
その場で止まって走ってる、足踏みしてる沢村氏を、次々大きな観葉植物で殴るスタッフたち。うう、涙ぐましすぎる。
まあ、それはいいとして。そうなの、もう途中からセクスィー部長に焦がれ続けてしまうのだよなあ。というのも、小池君の口から「セクシー……ビール」という、新商品企画がぽろりとこぼれるから。
セクシーがいつセクスィーになり、セクスィー部長が登場するのかッ!もうただただ登場を焦がれるばかり。しかししかし、ほんっとうに、クライマックスまで待たされまくるのだよなあ!
てゆーか、本作のキモはセクスィー部長の登場ではなく、ライバル会社とガチで勝負して勝利を得るという、これが案外マジメな過程にあるんだよね。案外とか言っちゃって(爆)。
だあって、さあ。サラリーマンNEOをどうやって映画化するのかなあと思ってたからさあ。
新城は、自称22歳。同期入社の、見た目はどう見ても60歳越えてるだろ、っていう新入社員(平泉成!)に営業成績を越されて焦りまくる。
いかにもなノミニケーション(毎年サプライズの課長の誕生会!)にもヘキエキ、合コンにいそしむも、勤めている会社を胸を張って言えない。
大学時代の友人が勤める新進気鋭のベンチャー企業に転職を図ろうとするも、うっかり言ってしまった「セクシービール」の企画が通ってしまって留保。
しかもその企画をそのベンチャー企業のいかにも軽そーな社長にぽろりと言ってしまい、それが業界一位の大黒ビールに漏れてしまい、新城たちの企画は水の泡になってしまうんである……。
そのベンチャー企業、広告代理店の社長が入江雅人氏。彼もまたサラリーマンNEOの顔の一人。
独立前はNEOビールの社員で、NEOビール唯一のヒット商品のアイディアを中西にパクられた過去を持ち、そのウラミを晴らすべく、大黒ビールに新城のアイディアをリークしたんである。
まあ新城が外部の人間に企画を話しちゃった時点で、あーあー、いくら新入社員とはいえ、基本だろ、コイツバカだーとは思ったけどね。
でも、テレビのコントではこういう、ガチで深刻なネタはやっぱり意識的に避けていたと思うし、あくまで日常のあるあるネタで構成していたよなと思うと、無謀と言い、(笑)と冠してはいるものの、それなりにはやる気は見せてるのかなと(爆)。
で、そう。セクシービール。セクシーという言葉が出てくれば、そうだよね!なんたってサラリーマンNEOを代表する、象徴するキャラクター、セクスィー部長が出てこない筈がないよね!とワクワクとするのだが、先述のように、いっかな彼は登場しない。密林にとらわれたままなんである。
その間に、まるで川上君を忘れ去ったかのように、情報のリーク、社長からの叱責と企画中止、それでもこれしかないと、有志が立ち上がって、密かに開発を続けるスリリング、とホントに映画みたいな展開でさ(爆)。
閑話休題。今回、小池君と共に初参戦の篠田麻里子嬢のキュートさにヤラれるんである。
彼女もまた、今回が初参戦とは思えないしっくり度なのはなんでかなあ。AKBの中でもお姉さん格で、何か人生経験、落ち着きを感じさせるからだろーか。
キュートなショートヘアーが色っぽさも醸し出し、受付で笑顔と仏頂面を使い分けるだけでツンデレ煩悩がキュゥーンときちゃう。
新城がたびたび訪れる“転職BAR”でナースだの寺の娘?(一休さんのね)だの、球場のビール売りの女の子だの、そのどれもがたまらなく似合ってて、萌えすぎる!
ミニスカから覗く太ももが、はつらつさではなく、適度に熟した萌え色香を感じさせる、この、今の、この年頃の、まさに奇跡の一瞬、なのよねー!
……かなり脱線したが。そうそう、新城は悩み多いあまりに、転職に失敗したこともありつつ、イメクラ(だよね)の“転職BAR”の客となる訳。
篠田嬢扮する受付嬢と顔を合わせたのは、彼がタイミングを逸して転職を失敗した時だった。
彼が医者、彼女がナース。も、萌えすぎる(爆)。
後にアイディアが欲しいと、小池君が一休さんになってボウズ頭に指をなめてくるくる渦を描くのにも噴き出したが、この時傍らに居る太ももがまぶしい篠田嬢がっ。
正直、平泉さんがアゴの割れた美青年、新右衛門さんになっているのは納得いかないけど(爆)。
そう、この時、平泉さん扮する見た目60歳の22歳新入社員(ウソだろ!!!)の訛り、セクスィーに新城は気づく。これなら、大黒ビールのパクりにはならない!と。
平泉さんが「俺のアイディア、パクられたっすー!」と地団太踏んで悔しがるのは、中西と皆川(入江さん扮するベンチャー企業の社長さんね)の関係を模してるとはいえ、一休さんと新右衛門さんのカッコじゃ……。
でも確かに絶妙だよね。そういう熾烈な戦いがサラリーマンの間にはあって、でも表面上はノミニケーションなくだらなさがあってさ。
デザイン部門の地味な女の子が、スケッチブックにまんまセクスィー部長のスケッチを描いた時から本格的に、いつセクスィー部長は出てくるんだろう?と、もう待ちきれない思い。
小池君がセクシービールと言った時から確実!!!とは思ったけど、なかなか、なかーなか、出てこなかったからさあ……。
このデザイン地味メガネ女子が、修羅場の仮眠で「パジャマじゃないと眠れないんです」とプリティーなフリフリパジャマでやってきて、再三上げる色っぽい声に男どもが仮眠どころじゃなくなるのが、微笑ましくって、好きだったなあ。
勿論コメディ要素なんだけど、同じく地味部門の研究職員が「地味だけど、マジメだよね」と彼女のことを気に入っててチームメイトからからかわれてさ、なのに、この意外なセクシー要素でしょ!
それでも最後には二人の結婚が報告されるっていうのがなんとも微笑ましくって、なんともほっこりしちゃうのよね。
なんか、なんだかんだとクライマックス先延ばしにされてるけど。もう、そうなの、そうなのー!!!セクスィー部長、出てくるの、遅すぎ!!!
てゆーかさ、セクスィー部長はセクスィー部長たらしめなかったなあ、と思うのは、あまりにセクスィー部長に思い入れ強すぎ??
だってそもそもの登場理由が、CMに起用するはずの郷ひろみが敵の大黒ビールに取り入れられてしまって、撮影現場に来れなくなった、ということなんだもの。満を辞して、のセクスィー部長じゃ、ないんだもの!……どんだけ私、セクスィー部長好きなのよ……。
大黒ビール側は、“旬の若手俳優10人を揃えた”と、10人は揃えすぎだけど、まあなんか昨今のCM事情を思うと、想像がつくっていうかさ。
確かに若手10人に対してだって、郷ひろみ一人で充分対応出来るけど、その郷ひろみ、色仕掛けの買収に撃沈!
もう撮影時間まで間がない、そんな中、突然川上にセクスィー部長が降臨。正直、その脇下ビームな圧倒的フェロモンでどんなオバチャンでも倒してきた猛者、セクスィー部長が、ライバル会社に勝つための話題づくりなんだという“オチ”は、ファンとしてはあまりに寂しすぎる。
だってセクスィー部長は、セクスィー部長なのだ。CMのために作り上げられた社員が頑張って演じてるキャラじゃないのに。
直前までは、なりきってる川上の可笑しさが示されていたりしただけに、ちょっと残念な気もするなあ。セクスィー部長は最高、最強のキャラなのに!!!
今回はやはり、初参戦の小池君の存在が大きかったのかもしれない。彼がいい意味で、普通な、一般的な、共感を引き寄せた。
最後の最後、結構信頼を寄せた中西課長に、「お前が阪神ファンだったから。人間性?才能?判る訳ないじゃん」と言われてボーゼンとするシーンなんて、メッチャサラリーマンNEO的であり、それを彼が的確に示してくれた。
ノミニケーションなんて大ッ嫌いだった新城が、課長とならそれもしたいと思ったのに、まさかの下戸!うっそお!新城をじんわり感動させた言葉も、カレンダーやら額縁の書やらにテキトーに、あるいはうやうやしく書かれていることばっかり!
まあでもこれでいいんだろうな。だって各会社、各持ち場にカリスマ上司がいることはさすがに……期待出来ないもん。
中西は充分、イイ上司だと思う。上司の存在は、部下が自分へどう取り込むか、付き合うか、なんだよね。いまや新入社員もそこまで求められるようになった。
上司のみならず、ヘタすれば社長に対しても、というのは、本作でもキッチリ描かれてるのさ。残念ながら(爆)。
個人的には、彼が両国、浅草橋界隈を闊歩してる描写がたまらなくテンション上がった。両国に関しては、この近辺で生活してなければ判らない、ちと気味の悪い絵が描かれてるガード下の壁をバックに歩いている小池君さあ。
隅田川を行きかう屋形船をバックに、小さな橋をとぼとぼと歩くショット、住所も駅も示されないけど、私が毎日歩いてる、浅草橋のささやかな通りだよ!
なんか超感動。特に両国のガード通路なんて、両国らしいスポットをひとつも示していないこともあって、ここを歩いたことのある人しか判らないもの。
て、ことはさ。かなり浅草に程近い……つまり、フラムドールのアサヒビールのお膝元なんだよね。ラストクレジットで、NEOビールとサントリーとの提携商品開発なんぞがまことしやかに示されるあたりかなりの遊び心だと思うんだけど、この場所設定って、かなりの冒険だよなあ!なんか、なんとも、嬉しくなっちゃう。
郷ひろみの豪華サプライズと、彼が歌うエンディングテーマはゴキゲンだったけど、やっぱりやっぱり、エンディングはウルフルズの「ええねん」にしてほしかった。
だって、だってさ。この曲もまた、サラリーマンNEOの象徴とも言える曲じゃん。しかも、メッチャいい曲だしさ。
3.11移行、色んな曲が作られて、正直そのどれもが、同じように頑張れ、大丈夫だ、生きよう、笑おう、って感じで、なんていうか……だんだんしんどかったし、もういいよ、って感じがしてた。どれかひとつをそれぞれがチョイスすればいいんだろうけれど、次々聞かされてヘキエキする気持ちが正直、あったから。
でもさ、「ええねん」は、ずっとこのサラリーマンNEOの最後を締めくくる歌としてさ、結構キワモノな発言を含めた本音をサラリーマンたちが告白するエンディングに、それでも、何があってもええねん、心配せんでええねん、それでええねんと超ポジティブに歌い上げるのが、すんごい毎回、元気もらったからさ。
3.11以降、ひょっとしたらこの歌が一番、聞きたい歌だと思ったからさ……。この歌で、いつものサラリーマンNEOとして、〆てほしかった、なあ。 ★★★☆☆
まあともかく。そうそう、この日の二本立て、麻薬絡みのお話という点でも共通していて、何気にそんなくくりだったのかな、とも思う。
とはいえ本作は、クライマックスにその指名手配犯人、浅沼と遭遇するまでは、印象としてはなんとなく警察24時みたいな趣があるんである。
オープニングの一番最初にね、“警視庁賛助”と掲げられてるのね。つまりは、本作の制作に関しては警察完全協力の下であると。
ヤク中の強盗殺人者に遭遇するクライマックスからは確かに、映画的スリリングがぶわーっと盛り上がるけれど、それまでは、おまわりさんってこんなに大変なんですよう、という彼らの嘆きが大いに反映されているようでね。
つまらないケンカやイタズラの110番、酔っぱらって暴れるトラ女に手こずったりと(私は暴れはしないけど……反省)、こんな仕事してる俺らって……みたいな自嘲が大いに含まれている感じがしてね。
まあいくらなんでもそれだけではなく、パトロール中の無線でのやり取りや、交代で一時の休憩をとってまた出かけていく過酷さや、そんな警察内部の細密な描写こそが、賛助たるゆえんだとは思うけど、なんかね、そんな風に感じちゃう。
だってさ、もう最初からそうなんだもん。新婚の奥さんから、あなた転職する気はない?なんて言われちゃってるんだもん。車が運転できて無線もやれるなら、いい口があるのよ、と。人から嫌われる仕事の割には、給料安いし、みたいな。
いや、奥さんはそこまで露骨に言ってる訳じゃないけど、彼女から言われるまでもなく世間からの目線は重々承知している村上(池部良ね)は、ちょっと過剰反応しちゃうのさ。
ちょっとね、フィルムが古くて台詞がとぎれたけど、どうやら飲んでゴキゲンに歌なぞ歌って帰ってきたところを、税金でただ酒飲んで、みたいにご近所さんから言われたらしい。そりゃないわな……。
冒頭はね、ちょっとの間、村上がなんの仕事をしてるのか判んない訳。ご近所の奥さんたちからはなんか煙たがられている風の奥さんの敦子、彼女が部屋に戻ると、昼日中なのに夫が近所の子供たちとおもちゃで遊んでいるみたいな風だから。
子供に好かれているとかオモチャ好きだとか、後からナルホドと思える伏線が上手く配置されてるんだよな。
で、彼は夜勤に出かける。つまり警察官。夜勤の間に何かあるかと思うと心配で眠れないと、新妻は言う。で、先述のような話になってケンカになってしまうんである。
判ってて僕と一緒になったんだろ!と怒って、別れ話的なニュアンスも匂わせて飛び出す彼に、敦子はそっと涙をぬぐう。
その後、敦子は訪ねてきた姉から、クリスマスなんだからハメをはずさなきゃ!と姉がダンサーをしている店のパーティーに出かけることになるんである。
そう、クリスマス、なんだよね。クリスマスの夜の夜勤、パトロール。普通の恋人や新妻なら、そりゃあ怒るだろってなシチュエイション。だが、敦子はそのことすら忘れていたらしいんだから、結構村上のことを言えないかも(爆)。
で、村上はベテランの原田と組んでパトロールに出かけることになる。この原田巡査部長を演じているのがおーっと志村喬っ。若くて美貌の池部良とのコントラストが素敵!(いや、他意はない……)。
原田巡査はもうすぐ五人目の子供が生まれるという。いやあ、ラブラブじゃないの。
そんな中、彼らに配られたヤク中の強盗殺人犯は、彼らの仲間である警察官をぶっ殺した。しかもその警察官は五人の子供がいる身だったというもんだから、原田巡査は人ごとじゃない訳で……。
と、ここまで書いてきて気づいたけど、本作って子供がかなり重要なキーワードなのかもしれない、と思う。まだ子供がいない新婚の村上に、それ以前にどうやら夫婦喧嘩をしているらしい彼に、とうとうやったな、とからかう原田巡査。
子供にクリスマスのプレゼントのラジコンカーを買って帰る途中、無残にも殺されてしまったタクシー運転手。
その運転手のスピード違反を取り締まったのが村上たちで、オモチャ好きの村上は高価なラジコンカーに思わず目を止め、取締りもそっちのけで路上で試運転させる無邪気さ。
この時二人は、客として乗っていた異様にハイテンションの若い女が、よもやヤク中で、強盗殺人犯の浅沼とつながっていて、このタクシー運転手を殺したなんて思いもよらなかった。
で、殺されたタクシー運転手の元に挨拶に行き、二人のボーナスをはたいて代わりの車のオモチャ(ラジコンカーは高すぎて買えなかった)を残された子供のためにおいて帰る。
恐縮する奥さんは、二人が帰った後、号泣。これで忘年会の会費は払えない、などと言い合う二人が、しかししんみりしている様子といい、なんとも胸に迫る。
その間にも、ぼったくりバーの通報を受けてみると、田舎者の客が「こんなきれいな女は故郷(くに)では見たことない」とキスを迫っただけの話だったり、ばかばかしいと帰ろうとすると、セクシーダンサーにカモにされてからまれたり。
これだけ美貌の男性である池部良だけど、ストイックな印象だから、セクシーダンサーに色目つかわれてからまれて、マジでメーワクなんすけど!みたいなオーラをバリバリ出して憤然と外に出る感じとか、たまんねーんすよなあ!
でもこのシークエンスは、ちらと先述したけど何気に伏線なんだよね。夫婦喧嘩して姉に誘われてパーティーに来た敦子、エロジジイに目をつけられてあわやという雰囲気もあったりするけど、まあ本作の描くところはそこじゃないから、姉がさりげなくいなして。
で、店を出るところで、警官が大トラ女に手こずっているところに遭遇する訳よ。警官だからちょいと殴るなんて訳にも行かない。ヤジウマたちは、そんな取り押さえたりしてカワイソウとか、判ってるくせに勝手なヤジを飛ばす。
敦子は、夫も今頃はこんなことになってるのかと思い、いたたまれなくなる。まあ確かに、こんなことにもなってたのよね。でもそれ以上に、もっともっと大変なことになってたのだが……。
で、また話は戻る。キーワードである子供のことである。実はもっと悲惨な事例にも遭遇するんである。
薬屋で青酸カリを所望して居座る男。どうもおかしいと彼を家に送り届けると、子供たちが無残にも死んでいた。
勉強しているのかと思った少年は、机に突っ伏したまま絞殺されていて、布団の中ではまた別の子供が……。この場面はやけに生々しくてキツかったなあ……。
村上たちがパトロールの途中に署に戻ると、悪さをした子供を引き取りにきた篤志家の男性と遭遇する。
あんな人がいれば、彼も心中することはなかったのに、と二人は言うも、実はこの篤志家を装った男、須川こそが黒幕、トンでもない男、なんであった。
須川がね、浅沼を囲ってるのさ。んでもって、身寄りのない子供たちを引きとって育てている篤志家なんてーのもトンでもない。子供たちをヤク中にして、ヤクを売らせてる、鬼畜ヤローなんであった。
私、全然気づかなかった。クスリ打ってくれよー、ともだえる子供が子役時代の石橋蓮司だったなんて!
なんでも顔は変わってないとのことだったらしいが、顔の判別がとにかく苦手な上に、なんせ池部良にしか目が行ってなかったから気づかなかった。てか、思いもしなかった!
……つーか、この設定自体凄いし、腕じゃバレるから足に打て、と指示する須川のジジイの老練さも凄いのだが。
いややっぱりこの設定がスゴいよな。愛らしい子役ブームの現代で、彼らにこれをやらせられるだろうかと思うと、いかにこれが凄いかが余計に判るよなー、と思う。
鈴木福君に……いやいやいや!やらせないで!石橋蓮司ならいいけど!(オイ!)
なんか結構すっ飛ばしちゃったが(爆)。このヤサを偶然見つけちゃうのよ、原田巡査が。悪さをしようとしていた子供を追いかけて須川の家、玩具工房を訪ねる。
ここでも玩具というのが、ここではまったく意味合いが違うから、世を忍ぶ仮の姿だから、なんとまあ深い設定だろうと思う。後からね、後から思うのさ。
で、篤志家の須川が出てきたから、やあこれはどーもと辞するんだけど、原田巡査が不審なタイヤの跡を見つけて、それを辿ってみると、あの殺されたタクシー運転手の、そのタクシーにたどり着く訳!
ビックリする原田巡査を背後から何者かが殴打し、原田巡査昏倒。
待てど暮らせど戻ってこない原田巡査に不審を抱いた村上のもとに、須川子飼いの子供がやってきて、もう一人のおまわりさんが……と言うもんだから、村上が須川の工房に行ってみると、原田巡査が縛り上げられてて、で、村上もつかまっちゃう。
そこへ、悪魔のようにケケケと笑う手配中の浅沼、タクシーの客で妙にハイテンションだった女、ユリが現われる。
高飛びするために村上たちの制服とパトカーを借りようという算段。なんとなく須川はこの若い愛人(だろうな、パパと呼んでいたのは、父親という意味じゃあるまい)とその恋人、浅沼に手を焼いている風なんである。
浅沼は完全にイカれたヤク中男って感じ。一応ユリも連れてくけど、彼女に執着しているという感じはあまりない。
村上たちを人質に、高飛びする手はずの整っている港までパトカーで送らせる。縛られた原田巡査は後部座席に転がされ、村上は運転役。
無線に妙にぶっきらぼうに応対する村上たちに、遅まきながら警察本部も異変を感じ取る。
何より原田巡査の奥さんが出産したことに対して「ご苦労さん。後は元気に育ててくれ」なんて意味深極まりない伝言を託したことと、酔っぱらいを保護して託した警察官の名前をデタラメに告げたことが決め手になった。
それ以降ぷっつりと応答が途絶える33号車。そうそう、これがタイトルになるのよね。
なんたってこれ以降は、池部良と犯人とのバトルがっ。なんだろ、なんか巨大なベルトコンベア機械が回ってるところ。石炭?なんかそんなところにね、なんでだか(爆)迷い込む。
ベルトコンベアに乗って村上から逃れようとした浅沼だけど、ユリはその逆走についていけなくてはるか下に落下してあえなく死亡(これかなーりえげつなかった……)。
まあこれで浅沼は相当動揺しただろうしなあ。それにしてはしぶとくて、これ以降の彼らの格闘にはかなり尺が割かれるが、でも池部良が素敵だからいいやっ。
この作業場に到着し、ていうか、横切る貨物列車を避けようとして横転し、他の三人は脱出して、一人残された原田巡査が、縛られた身体を必死に動かして仲間に無線で応援を頼むのね。
実はこの、貨物列車を避けようとして、っていうのも、(結局は)イタズラ通報に焦って駆けつけようとする時に、踏み切りで悠長な?列車の通過に往生したという描写があってね、そういうのも実に上手いんだよなあ。
原田巡査と村上は、そんな具合に点数にならないトラブルにばかり向かわされていて、それをグチっていたりしたんだけど、まあこれ以上ない点数だよなあ、このクライマックスは。
でもね、それこそ点数にならない事例、今にも生まれそうな妊婦を彼女の好きな歌を口笛で歌って励ましながら、リヤカーに乗せて病院に向かっていたビンボー作家を見かけて二人を乗せてやるエピソード。
苦しむ奥さんを見かねて「この車、遅いな」などと言ってしまったビンボー作家に苦笑して、サイレンを鳴らしてスピードをあげて病院に送り届けてやるなんていう話もあって、心にしみるんだよね。
村上が奥さんとケンカして、途中電話入れてみても長屋にいないし、クサってた村上にベテラン原田巡査が余裕たっぷりにチャチャ入れたりして。
で、そういう心理状態の時の警官が、トラブル起こすんだと。まさにこれ以上ないトラブルに巻き込まれたからさ。ほおんと、一つ一つがきっちり伏線になって、よく出来てるんだよね。
こんな、もう大変な一夜であったにも関わらず、泥だらけの顔もキレイに洗って、元通りきっちりと警察官の制服に身を包み、村上は新妻のもとに戻ってくる。
ケガをしている夫を心配する敦子に、村上はいつもどおりだったと、何も語らない。
ちょっと不満げな彼女が、だったらこのクリスマスプレゼントは来年ね、とむくれると、途端に、まるで子供みたいに、見せてくれよ、とせがむ池部良♪
その前に、彼女の機嫌をとるためにか、ネギなぞ買い込んでるのが可愛い。仲良しの近所の子供たちと一緒に、奥さんが買ってくれたラジコン飛行機を得意げに飛ばす池部良っ。
びっちり髪をおさえた生真面目な警察官スタイルの池部良から、白シャツも美しいお顔も泥だらけ、おぐしも乱れた池部良と、もう萌えのギャップも激しくって、もだえちゃう。
はあぁぁ、素敵だった。志村喬とコンビだったから余計に、って失礼すぎるだろ!
★★★★☆