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「そ」


2012年鑑賞作品

その夜の侍
2012年 119分 日本 カラー
監督:赤堀雅秋 脚本:赤堀雅秋
撮影:月永雄太 音楽:窪田ミナ
出演:堺雅人 山田孝之 綾野剛 谷村美月 高橋努 山田キヌヲ 坂井真紀 安藤サクラ 田口トモロヲ 新井浩文 でんでん 木南晴夏 峯村リエ 黒田大輔 小林勝也 三谷昇


2012/11/24/土 劇場(有楽町スバル座)
人気劇団の戯曲の映画化だということを後で知り、少々の息苦しさを感じる。知らないで観て、良かった。
人気劇団とか舞台とかにはコアなファンがいて、どうしたって舞台の方がどうの、映画になるとどうのという話になってしまうのがどうにもこうにも息苦しいのだ。最初にそれを知って観てしまったら、そもそも舞台では……と頭の中で予想変換しながら観てしまったかもしれない。それはしたくない。

なんてツマンナイところから入ってしまった。劇団主宰者、この戯曲の作り手、もちろん演出家でもある赤堀氏が映画は初めて手がけるという。何となく名前は見たことがあったから、監督としてはお初のお名前でもそれほど気にせず足を運んだ。
映像としても特に舞台臭さは感じず、かといって映像にこだわりまくるでもなくフラットに観ることが出来る。役者に、特に主演二人の役者に信頼をおいている感じ。というか、もはやこれはこの二人に信頼を置くしか出来ないんだけど。

主演の一翼、あるいはこちらがメインの主演、堺雅人。予告編での彼の姿が、最も足を運んだ原因だったかもしれない。
今まで観たことのない彼……というのは、実力派の彼だからそりゃあ毎回ではあるけれど、それにしても、そう、言ってしまえば“こんなダサい堺雅人は見たことない”んである。
今時どこで売ってんのと思うような時代遅れの大きなメガネはいかにも度が強そうに分厚く、工場の社長である彼はとにかく作業着姿以外を見せない。

しかもその作業着は、まあ機械油の汚れは判るにしても、真夏の暑さで、胸元から腹にかけて汗でじっとりと濡れていて、それがずーっと、ずーっと、なのだ。ひとっ風呂あびてこざっぱりして、なんて様子が一度も出てこない。
同じ工場の従業員たちもまあ似たり寄ったりな感じではあるんだけど、その中でも彼のヨレヨレぶりは群を抜いている。堺雅人だと判っていても、彼の義弟から紹介を受ける同僚の女性教師が気の毒になるぐらい。

社長、なんだけど、なんかそんな風情、あんまりなかったな。そう思うのは、彼がとにかく意気消沈しっぱなしだからだろうか。
妻をひき逃げされて亡くして以来5年間、表面上は穏やかに仕事をこなすも、義弟からの女性の紹介なんぞには「自分はあなたと付き合えるような男じゃないですから」と、頑なに拒絶して空気が固まる始末。気楽に食事や会話を楽しむなんてレベルじゃない。
でもね正直、妻を亡くした日から、中村の様子はさして変わってない感じがする。亡くした日、買い物中の妻から執拗に、電話に出てよと留守電に吹き込まれているのをぼんやり聞きつつ3連プッチンプリンを無造作に食べている様子から、心ここにあらずといった感じで。
だから、妻を亡くして復讐を誓う、とかいう切り替え、あったかしらと思い、あんまり中村に感情移入できない気持は、あったかなあ。

まあ、そんな風に思っちゃうのはめっちゃベタなんだよね。愛する妻を殺されて復讐を誓う、幸せだった生活が突き落とされる、みたいな劇的なギャップを、ついつい求めてしまうクセがある。
中村は最初から最後まで、妻が殺される前から一貫して印象が変わらない、のは、ある意味ストイックに人物像を追っているのかもしれない。……かなあ。

そして、そのひき逃げした方の犯人。山田孝之。へえー、堺雅人と初共演とは。これだけ売れっ子同士、しかもお互い主演ばっかりという訳でもないんだから、どこかで交差しててもおかしくないのに。
山田孝之は、彼の年頃にゴロゴロいるイケメン俳優なるものではない、得難い存在。彼の、言ってしまえば悪相がメッチャ発揮されていて、震えが来るほど怖くて、憎たらしい。
そりゃあ中村の奥さんは道路に突然飛び出してきたけど、「オレ、悪くないよな!」と助手席の子分(だよなー。完全に。綾野剛だってこういう場合は悪相それなりにイケるのに、完全にのまれてる……)に圧をかけ、言うにことかいて「血が出てねぇから大丈夫だよ」
おいおいおいおいー……。ま、つーか、血が出てない、と最初に言ったのは子分の綾野剛君=小林ではあるのだが……。

山田孝之演じる木島は、もう見るからに、思いっきり、判りやすく、チンピラ。一応タクシー会社に勤めていてコツコツ頑張って二種免許とったとか言ってるけど、自慢できるのはそれぐらいの人間のカス。
……と観客に思わせることこそ、ネライなのだとは、判っているけれど。この卑劣なひき逃げ事件(しかも、クサイメシを食ったってんだから、あっさり捕まった訳で、すぐに救急車を呼んでいたら、彼女は助かったかもしれないのに)を勤務先にバラされたとめぼしをつけた同僚のトモロヲさんを、ボコボコにして石油ぶっかけてライターの火を近づける鬼畜。

工事中で道路封鎖を告げる警備員のバイトの女の子にインネンをつけて、財布をモノ質に、セックスさせろと、まあ言葉では言わなかったけど、しんねりねっちり、イヤーななぶり方する超鬼畜!
トモロヲさんがそんな彼女を助けられないこともイラッとくるけど、彼女が諦念の表情を浮かべて、木島の後について行くのが、そんなに女はバカじゃないよと叫びたくなるも……。

そうなの、トモロヲさんも、谷村美月嬢演じる由美子も、木島にヒドイ目に合わされてるのに、なんか彼の側についていく。解説上では彼の孤独の魂にシンクロしてる的な感じらしいのだが、ど、どーだろー。私は正直理解不能だけど(爆)。
ただ、中村との対決直前、木島が由美子の部屋に逃げ込んで、彼女とトモロヲさんが相対してね、二人はまさに三人の出会いの時、彼女に、行っちゃダメだ、あいつは人間以下だと進言した訳で、だけど木島を介して奇妙な絆で結ばれててさ。
由美子がトモロヲさんに着替えを用意してますからと、彼女のだから、トモロヲさんが着るとつんつるてんなの。なんかそういうのが、妙に切なくて、なんていうかさ……。

中村が、木島にカウントダウンの手紙を送りつけ続けているんである。お前を殺して俺も死ぬ。決行まで何日、と。妻の命日をその日にして。
木島はそれにストレスを感じ(るようなタマでもないと思うが……)中村の義弟を脅しつける。超暴力的な慇懃無礼。100万と共に中村の直筆の謝罪文を持って来い、と。
まあ100万と言ったのは、中村の義弟がウッカリ、ことを穏便に済まそうとしてカネを差し出してしまったからだろうが……こういう男にウッカリカネを出したら、それ以上の金額をシャブられるに決まってる。

後に木島が言ったように、義弟は、義兄の中村がホントに木島を殺せばいいと、思っていたかもしれない。
自分だって被害者の身内なんですからとヒクツな笑顔で木島にへつらった。木島は、被害者?と、まるで見当違いのことを言われたかのように、ヘッといったような失笑をもらした。
普通に考えれば、こんなの、ガマン出来る訳がない。
自分の妹を無残に殺されて、それに復讐を燃やしている義兄に、幸せになってほしいという外見上の顔を保ちながら、本当は、自分自身が手を下す勇気がない、義兄がヤッてくれればぐらいに思っていたのかもしれない。

義弟はホントに、危うく殺されかける。この時の木島=山田君の恐ろしさは……それまでも充分恐ろしかったけど、震え上がる。
なんたって、その殺されそうになっている相手が、普段はコワモテ俳優といえばこの人、である新井浩文だからこそ、余計である。
いやでも新井浩文は最近凄くフレキシブルで、以前はその目がコワイばかりだったのに、なんだか可愛らしく穏やかな感じになって、あらーって感じ。大人になった?なんて言うと失礼かしら。もともとある彼のチャーミングがようやく出てきたと言うべきかもしれない。
このキャラの立ち位置は、そうしたかんぐりをすればしたたかとも思えるんだけど、あの新井浩文をもってして、純粋に義兄のことを思っているように見えちゃうんだから、やはり彼、変わったなあ、と思う。役者になった、なんて言ったら失礼かなぁ。

中村と木島が対峙するのは、豪雨の中。まるで用意されたような、映画的画の中。後に、雨ふらしをする前にリハーサルをやった時にはもっと動けたのにというエピソードを聞くと、豪雨に前が見えず、ぬかるみに足を取られ、お互い無様になりまくる様が、監督さえも意図せぬことだったのだとしたら、ここに映画の神様が降りてきたのだと思う。
中村は日頃から無造作に包丁を持ち歩き、それは見るからに切れなさそうなステンレスで、木島もまた、由美子に言って出させた包丁は取っ手がパステルカラーの可愛らしい女子アイテムで、とてもお互い、殺すモンじゃないの。
でも、二人が発する殺気はただならぬ、でもでも、中村が木島に、にっくき木島に言うのは、思いがけない台詞なのだ。「他愛のない話をしたい」と……。昨日見たテレビの話とか、好きな食べ物の話とか、そんな他愛のない話を、と。

そんな突拍子もないことを言ったのは、義弟が会わせた女性教師が言った台詞。義弟が懇願して、二度目も会わせた彼女はでも、義理だけじゃなくて、少し、ほんの少し、中村のことが気になっていたと、思いたい。
最初に引き合わされた時に、うっかり亡くなった奥さんの話を引き出そうとしてしまった彼女が、二度目に会った時に言ったのがこの台詞だった。「他愛のない話をしたいと思って」。そして彼とぎこちなくキャッチボールをした。
義理だけじゃないとしても、多くは義理も含まれている雰囲気の中でも、そのぎこちななさが、なぜだか忘れられなかった。
他人と接する、言葉を交わす、社会人としての日常で訪れうる当たり前のこと、その苦しさと、そしてかすかな嬉しさがあった。
中村と木島が、他愛のない話なぞ出来る訳がないと思ったし、実際そんなこと、出来なかった。でも……。

木島が、こんな憎たらしいヤツじゃなかったら。生きてる価値もないカスだと、死ぬことが望まれるぐらいのヤツだと思うぐらいのヤツじゃなかったとしたら、どうだったんだろう。
そう思うと、中村が、一応設定上は“愛する妻を殺されて”の動機があるにしても、見てる限りでは、妻とラブラブな描写があった訳でもなく、プリンが糖尿病を引き起こすかもしれないなんて妻が心配してたという設定も、ラスト、やっと喪失感から抜け出そうとプリンを顔中にグシャグシャにつぶす場面のためだけなのかもしれないと思ったりするとね。
木島がこれだけ憎たらしいキャラじゃなければ成立しない、夫婦仲がラブラブという訳ではなく、ひき逃げ犯が臆病だったり、真摯に反省していたりしたら、成立しない話だったのかなあと。

いや、それでも、どうしたって、しこりは残るだろう。むしろ相手が善良であればあるほどそうなる筈。だとしたら本作の設定って……実は単純明快であり、爽快であるとさえ言えるのかもしれない。
俳優はそれぞれの究極のキャラに入っていけて、相手をただ憎み、孤独にたださいなまれればいいのかもしれない、なんて。……そんなことを思っては、いけないだろうか。

中村が冒頭から、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も再生し続ける、妻が最後に残した留守電のメッセージ。隠れてプリンを食べる夫を叱りつけ、冷蔵庫の中に納豆があるかどうかを聞きたがり、そして何度も繰り返す“ケンちゃん”という呼びかけは、最初から最後まで苛立たしげで、決して愛しい響きなどないのに、彼はそれを飽きることなく繰り返し聞く。実に5年間も。
そうか、今の留守電は昔みたいにテープじゃないから擦り切れないのね、などとアナログなことを思ったりする。ていうか、自宅の留守電という時点で若干のアナログ感で、そこに私が感じるような奇妙なギャップが忍び込んでいることに、ふと可笑しくなったりする。こんなことを思ってしまうのは、機械ギャップに敏感になってしまう世代だからだろうか。

木島との死闘の後、どろどろになった中村が雨に打たれて道を歩いている。そこに、義弟の同僚のあの女性教師が車を止める。ラーメンを食べに行くところなんですという彼女に、判りやすく彼を乗せてくれるのかと思いきや、彼女は搾り出すように返答をする中村の言葉を一生懸命聞いた後、彼に傘を貸して、ゆっくりと車を滑り出した。
拍子抜けしたような、ちょっとホッとしたような不思議な気持。ホッとしたのは、私が期待する、映画的ベタが回避されたことか。でもとにかくこのシークエンスがあったことが、映画ファン的には二人のこの後があると信じたい、と思っていることに気づく。

そう、ただ、ただ、ただただ、中村が幸せになってほしいと願うだけなのは、義弟と同じ気持だなと気づいた時、こんなほんのりとした予感だけでもいいから、こんなラストを渇望していたのだ。
ほんのりとした予感だからこそ、リアリティがある、などといい方に考えたがるほどに、中村に幸せになってほしいと願っていたのだ。

色々魅力的なワキの中で、「キツツキと雨」でも人の良さ全開だった従業員役の高橋努(これで名前覚えたッ)。社長の去り行く後姿を見ながら、何だか知らないけど涙が止まらない、なんていう、これもヘタしたら超絶ベタを、人良く見せちゃう。
新人社員のミスに「今日もまた、魚民で6時間説教だな」っていう、キビしいんだか、酒好きなんだか、世話好きなんだか判らない(まあ、全部だろう)あたりがメッチャ好きっ。

最後の夜を覚悟して、中村が呼ぶホテトル嬢の安藤サクラ。下着姿のスレンダーなぺったんこお腹に見とれ、カラオケでMISIAに没頭して歌いあげるその上手さに驚く!彼女そんなに歌上手かったの!って、ここでシメるのって、ヘンかな。★★★☆☆


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