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「よ」


2012年鑑賞作品

夜が終わる場所
2012年 79分 日本 カラー
監督:宮崎大祐 脚本:宮崎大祐
撮影:芦澤明子 音楽:宇波拓
出演:中村邦晃 小深山菜美 谷中啓太 扇田拓也 礒部泰宏 吉岡睦雄 柴垣光希 大九明子 渡辺恵伶奈 佐野和宏 塩野谷正幸


2012/10/10/水 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
やたら身内(関係者)っぽい観客の雰囲気で、居心地の悪さと嫌な予感は既にしていたけども。なんかさ、あの映画はもう10回も観てカット割り全部覚えたとか、そういう会話よ。フツーの映画観客にとって、身の置き所のないこの雰囲気(爆)。
もう、始まる前からこういう雰囲気してる映画って、大抵ダメなの。最初から生理的に拒否反応を持ってしまうせいかもしれない。単なる先入観かもしれない。
でも、なんか、いちいち、ダメ、だったなあ、私は……。なんか見ててムズムズしてしまって仕方なかった。なんであんなにカッコつけて台詞ためんの、とか、そんな風に思い出したらもうダメ。
この映画の世界観に入り込めない、ていうか、最初から入る気がそがれたためにそうなっちゃうんだもん。

でもさ、でもさでもさでもさ……。本作は日本のフィルムノワールを目指して作られたんだという。私ゃーフィルムノワールのなんたるかなんて判らんし、多分そんなにフィルムノワールと呼ばれる映画も観てないし、あくまで雰囲気的に認識しているに過ぎないんだけど、なんか古くさい感じがしちゃって。
それこそ過去においてはその世界観、その雰囲気、スタイリッシュさ等々で世界を魅了したフィルムノワール。その過去の記号はあちこちに感じるけど、記号をおいてるだけな気がしちゃう。

そもそも日本において“殺し屋”あるいは“殺し屋組織の掟”なんていうものが、いかにフィクションの中においてだってリアリティを感じさせるのは難しいし。
それこそフィクションに徹底してこそフィルムノワールの魅力は出ると思うんだけど、なんかそのあたりどこを目指しているのか。
街のすさんだ感じとかリアリティを目指していそうで、その中で殺し屋や殺し屋の掟、なんてものが絵本みたいに子供っぽく見えちゃって仕方なくて。しかし本作はあの世田谷一家惨殺事件をモティーフにしているとかいう話も。仕事後に食べるアイスはそれかあ。

……なんて印象ばかりをつらつらと言っていても仕方ないので、まあ最初からいく。
そもそもこの、タイトルの出し方のもったいつけ方が、あったあった、こういうの昔、と思ってゾワッとしてしまった(爆)。
黒地に白抜きのブロック体で、ご丁寧に英語題までつけてドーンと自信ありげに現われるタイトル。しかも、物語の最後にもう一度、今度は本来の日本語タイトルだけでばーんと、ますます自信満々に掲げられる。うっ、もうダメだ……。

そもそもね、15年後だの、更に10年後だのと、時間経過を示してドラマを展開させるの、個人的に好きじゃないんだ。
もうこれは、単なる個人的な好き嫌いの問題に過ぎないんだけど、なんかそのことによって、いかに主人公にはのっぴきならない事情があった、こうなるのも仕方なかった、と観客に共感を強いている感じがしてしまう。
あくまで個人的な思いとしては、上手いストーリーテラーなら、そんな時間経過を明示しなくても、主人公の今の状態をもっとさらりと示せるんじゃないかと思う。

物語は、主人公がまだワケも判らない赤ちゃんだった頃、殺し屋の為五郎が若夫婦を殺すという“仕事”を片付け、そこで泣いていた赤ちゃんは殺さずに連れ帰ったところから始まる。
電話で意味ありげに、赤ちゃん欲しがってただろ、とか話しているから何かそういう預け先とかあるのかと思ったら、そういう訳でもなく、この赤ちゃん=アキラは為五郎の元で殺し屋としての修行をつんでいく。
いや……それは、“15年後”の一家惨殺事件で、幼い女の子をも非情に絞め殺し、目を見開いた死体の前で腰を抜かすアキラ、という一発描写のみで、アキラが殺し屋としての矜持を得ていくっていうのは、全然ないんだけどさあ。

まあ、だからこそ、その心の弱さが後の展開につながっていくのだろうが。
そもそもこの殺し屋のターゲットが、なぜ殺されるのかが、最初のアキラの両親からして、全然、全ッ然判らんのが、プロとしての殺し屋、つまりフィルムノワールの魅力につながってこないのが、ツライんだよ。
政治家とかなら、判る。劇中、アキラが手がけた仕事のひとつ。でもそれだけ、だよね、判るの。
チョンボしたアキラが刑事につかまって、暴力団のなんたらとか言われてたと思うけど(うろ覚え(汗))実際彼らの仕事のシーンとして現われるのは、市井の人ばかりで。

あ、佐野和宏が暴力団絡みのキャラだったのかなあ。ハデなシャツ着てたし(爆)。
でも「なんでオレを殺すんだよ!」と再三吠えて、逆にアキラにのしかかって形勢逆転、殺される心当たりがないってことかな、とちょっとその後の展開を期待したが、そこに“偶然”落ちていた裁ちばさみで更に形勢逆転、敵の脇腹を何度も刺して、アキラはターゲットを無事始末する。

偶然裁ちばさみが落ちてるとかさ、これってツッコミどころじゃないの?そんな上手くいかねえだろ。
そもそもこのアキラは華奢でなで肩で、力も強くなさそうで、実際佐野氏にカンタンに組み伏せられちゃうしさ、やたらタメにタメてカッコつけてるけど、プロの殺し屋のオーラ、ないよなあ……。
いや、プロの殺し屋こそ、オーラを消してることこそがプロなのかもしれんが、為五郎なんてわっかりやすく殺し屋!だし、アキラも家賃を催促に来た大家さんに、タメまくって超ドアップのコワモテ作って「……来週には払いますから」だもの。一応、そういう雰囲気出してるってことだよね??

てゆーか、なんでアキラはこんなギャグみたいな髪形なんだろう……。それこそ最初からの15年後、少年の頃のアキラは、伸びっぱなしのストレートヘアがうっとうしげに目を隠していて、実に思春期の少年の萌えを感じさせてさ、この時には、ちょっとオッと思ったのよ。
なのに、更に10年経ったら、なぜかオバチャンパーマ。な、何故(汗)。少年の頃の様子をわざわざ示しているんだから、つまり彼、パーマを当てたということよね。こんな、何もかもどうでもいいような風情してるのに、美容室行ってパーマ当ててるんだよね(爆)。
もうその時点でツッコミどころありまくりなのに、そもそもなんでこんな髪形のキャラにしたのか、本気で判らない。

これはひょっとしてギャグなんだろうかと劇中ずっとその要素を探し続けて、しかしどうやらマジらしいと、全てが終わって思い、理解不能に陥った(爆)。
だってさあー、アフロ田中にしか見えないもん(爆)。あるいはサザエさん(爆爆)。
彼はとても印象的な面構えだし、あのサラサラヘアーのままだったら、それこそ美しいフィルムノワールになりえたのに。

ホント、なんでなんだろ……。ふと思いついたんだけど、まさか、まさかまさか、松田優作を意識したワケじゃ、ないよね(爆)。もしそうだったら、どうしよう(爆爆)。
と、とにかく(汗)、このアキラが、最初のうちは冷徹に仕事をこなしているんだけど、女の子に出会ってしまったことで、運命の歯車が狂ってしまうの。
東北弁のフーゾク嬢。役名は……出てきたっけ?(爆)、まあ、オフィシャルサイトによると雪音ちゃん。

東北弁のフーゾク嬢、家族を養うために「おらはこれしか出来ねぇから」と言い、だっぺ言葉を多用するビンボー不幸な女の子、というだけで、私の気持ちは萎えまくる。……いつの時代よ、このキャラ設定。古い上にベタ過ぎねぇか。
別に自分が東北で育ったから腹が立つとか、そんな単純な理由じゃなく(それもちょっとあるけど(爆)“だっぺ”つければいいってもんじゃないでしょ)、ファムファタルが薄倖の女の子で、薄倖の女の子といえば性の奴隷で、そんな仕事しか出来ない、つまりはちょいとオツムがよろしくなくて、つまり白痴こそが男にとっての運命の女、守ってやりたい、そのために男も破滅するファムファタル、っていう図式がね、もうね、これが、私は心底、世界一、大ッ嫌いなのよーっ。

……いやまあその、ホントに私的な生理的な感覚だけなんだけど(爆爆)。でもさ、その大嫌いな図式が、それでも未来に希望を持って生きている女の子が、銃弾に倒れ、呆然と男の子の腕に抱かれる、ってあたりまで、もう臭ってきそうなぐらいベタベタなんだもん。

アキラが彼女に執着するのは、10年前の記憶、彼の“仕事”の生き残り、つまりつまり、自分と同じ立場ってことなのだろうが、それって劇中にあったっけ?
アキラが腰を抜かしたのは、為五郎によって電気コードで首を絞められて殺されていたしなあ……。あ、その女の子に面影があるからとかそういうこと?

まあそれはどうでもいいが、とにかくこの彼女に執着し、こんな世界から救い出してやりたいと思ったのが運のつきだった。
仲間から仕事の出来ない身体にさせられ、それでも彼女の元にカネを運び、「私のファンなんですか?」と彼女はその気持ちに報いようと、粗末な夕飯を御馳走したりする。
一緒に暮らしている幼い男の子が「マズイよね」と言わなくても、いかにもマズそうというか(爆)、判りやすく貧しい食卓。

こういうあたりも、ねえ。なんか、巨人の星でも見てるみたい(爆)。いや、今でもこういう貧しさの家庭はあるんだろうけど、なんかツメが甘い気がするというか……。
そんな貧しいのにこの男の子はバットとグローブ持ってるし、まあそれは、彼女がなけなしのお給料から奮発したのかもしれないけど、そんな高価なものを、ドアの外に立てかけているってのがね。
アキラがそれを目印にしているという設定には役立ってるだけで、ないでしょ、これは。貧しい家庭環境の周りは、貧しい子供たちがやはり集まっている筈で、あんな無防備に外に出してたら、一秒後に盗まれてるよ。
そんなことツッコむのは、細かすぎる?でもそれって、大事なことだと思うんだよなあ……。

アキラが殺し屋組織の掟を裏切り、つまり足がつくようなことになって警察に引っ張って行かれ、父親のように育ててくれた為五郎ですら彼を見限って、拷問をする場面。
てか、こりゃ殺されるでしょと思ったし、あの感じでは耳(聴力)を壊されるのかと思ったけど、結果的には片足を不自由にされただけ。
なんじゃそりゃと思ってるうちに、アキラは恋に走って雪音たちを助け出そうとし、逆に彼女を失ってしまう。……このあたりは、面目をつぶされっぱなしの警察との攻防になる訳なんだけど、この警察、ってか、刑事が、ねえ。

殺し屋たちの仕事によってすっかり面目をつぶされた警察が本腰を入れてチームを結成し、そのリーダーが記者会見、つーか、流しのインタビューに応じてる。
それがね、まんま、ナントカ刑事、なのよ。刑事って刑事ドラマ的軽い肩書きに過ぎなくて、実際はナントカ巡査とかだよね。あまりの安っぽさに一気にガクリとなってしまう。
しかもそのナントカ刑事さん、正義の元に一掃してみせますとか、まあそんなニュアンスのことをキメキメたっぷりに言ってさ、しかもしかもその時も、それ以降アキラをいたぶり、攻防戦の時も、思いっきり無精ひげなの。
ナイよ、ナイナイナイ。それやりたいなら、せめて記者会見でナントカ刑事で正義ですよ、はヤメて。それで一発でウソくさくなっちゃうんだから。なんか、仮面ライダーとか子供向け世界観ならアリって程度になっちゃう。

かつての仲間たち、そしてこの刑事チームとの攻防も終わり、アキラが向かったのは、そう、“夜が終わる場所”である。
なるほど、そういう意味のタイトル、んでもって、自信満々にタイトルをもう一度掲げたのはそういう意味か、と思う。
現在の時間軸のアキラになってからは、確かにずっと、ずーっと夜ばかりだったもんね。まるで吸血鬼みたいに。
愛する雪音を失い、男の子(つまり彼は雪音のなんだったの??)を大家さんに預け(このシークエンスもクサいよなーっ。大家さんから家賃を催促されるシーンでガン飛ばしてる場面しかないのに、そこまでの信頼関係があるとは思えないしさ)、アキラは自分が生まれた場所に向かう。

あの時、まだ赤ちゃんだったのによく判ったなと出迎えたのは為五郎。そうだよ、なんで判ったかを、よく判ったなという台詞一発で終わらせるのかよ(爆)。
あれ?それともアキラがその説明してたっけ?もうこのあたりになると眠くてよく覚えてない(爆)。
25年前から放置されていたらしい、彼の親のミイラ死体が置き去りにされている。椅子に座ってミイラ化している画はまんま「サイコ」そのもの。このあたりも古いよなーっ(「サイコ」は大好きだが……)。

憎しみを込めてアキラは為五郎に銃をつきつける、のに、なんで撃たないんだよ。
で、為五郎は愛しさのような哀しさのような声をあげて、去りゆくアキラの背中に声をかける。アキラはスタスタと去りゆく。杖を投げ捨てる。どんどんスムーズに歩き出す。
あれ?と思うが、足を引きずってるのか引きずってないのか、微妙な速度と歩き方である。わ、判りづらっ。
何よ、これ、「ユージュアル・サスペクツ」をやってる訳じゃないの、歩き方の直り方が、直ってるような直ってないような、微妙すぎるだろ、一体何が言いたいんだよ!!

キャストたちはインディペンデント映画では有名な方たちなんだという。確かにフィルモグラフィを見れば覚えはあるんだけど、顔のインパクトもあるのに、思い出せない。タメまくりの芝居のクサさばかりが印象的である。もう、ダメだ(爆)。 ★☆☆☆☆


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