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「く」


2014年鑑賞作品

くらげとあの娘
2014年 107分 日本 カラー
監督:宮田宗吉 脚本: 宮田宗吉
撮影:馬場元 音楽:ゴンチチ
出演: 宮平安春 派谷恵美 杉山彦々 あがた森魚 山口美也子 齋藤絵美 朝倉亮子 佐久間としひこ 橋本せつ 齋藤裕樹 中澤莉胡 吉田俊大 菅原さくら


2014/8/10/日 劇場(K's cinema/モーニング)
もう四本目の作品だというのだけれど、私は初見の監督さん。冨樫森監督にずっとついていたというのも心惹かれた理由だけれど、それ以上に派谷恵美の名前に思わず驚いて即チェックを入れてしまった。
派谷恵美!「非・バランス」のあの娘!それ以降も色々出ていたんだろうけれど、私にとってはほぼ「非・バランス」以来な気がする!まあ私が気づいてないだけだろうが……それにしてもオドロキ!
いやホントにあのデビュー以来、彼女、コンスタントに活動していただろうか……などと思ってしまうぐらい、ホントに目にする機会がなかった気がする。“久々の映画復帰”という言い方をしているぐらいだから、映画以外は色々活動していたのだろうか??いやー、ホントに驚いてしまった。

「非・バランス」は優れた少女映画だったけれど、あの時から決して小動物系少女ではなかったから、割と予測を違えずにそのままイイ女になって、彼女はスクリーンの向こう側に再び現れてくれたのであった。
本当に、いい意味で印象が変らなかった。時々、少女映画でインパクトを残してしまうと、その後どんなにコンスタントに活躍しても、彼女がいつオンナになったのだろうとか、なんかいつまでもオンナにならないような先入観がいつまでも抜けなかったりして得手勝手な映画ファンは苦しんだりする訳なのだが(私にとってのちーちゃん(池脇千鶴嬢♪)なんかはその判り易い例)、途中がすっぽり抜け落ちているせいか、彼女はすんなり大人の女として、入ってきてくれた。

でも、喪失感を抱えている。彼女演じる有希のみならず、主人公の男の子、浩平もそうである。
男の子、などという年ではない、彼女も勿論。いわゆるアラサーなお年頃。
この浩平を演じる子は、フィルモグラフィーを見れば目にしている筈なのだが、……とゆー、いつもの言い訳をしようと思ったら、それを見ても私はどうやらマジに初見らしい。

へー!初見でいきなり主役として相対するなんてなかなかない出会いかも!沖縄出身というのはお顔からして想像できたので、ああやっぱりと思ってしまう。
正直、この山形の地元の男の子としての役柄は、お顔がインパクトあって、最後まで、ストーリーにそぐわない何かをしでかしそうで勝手にハラハラしていた(爆)。キャスティングって、難しいんだなあー。

いやだからって別に、彼がこの役にそぐわないという訳ではない、そーゆー訳ではない。そうか、もしお顔が薄い男の子(爆)が、この役を演じたらどうなっただろうと考える。それはそれで、印象が薄くなるだけのような気もする。
かなりの後バレのネタなのだが、浩平がこんなに無気力に、「くらげになりたい」という理由でこの水族館のスタッフになったのは、結婚しようと思っていた恋人が他の男のタネで孕み(ミもフタもない言い方だが……)、彼をあっさりフッて去っていったからなんであった。

途中、彼の妄想で、赤ちゃんを抱いた女性がパパ帰ってきたよ、なんて出迎えるシーンが用意されているもんだから、この奥さんと赤ちゃんが彼のもとを去った、つまり死んだとかなんとか、そーゆーことなのかと思ったりして……。
舞台が東北だと、すぐアッチ方面に考えちゃう悪い癖。山形だと、それもあんまりないかとか(爆)。あー、ヤだヤだ、悪い癖がついてる(爆)。

水族館には子供もたくさん来るし、くらげなんていう身近な素材はそれこそ子供教育の格好のネタであるし。
彼の姪っ子が、自分の弟か妹なのかな?「可愛いさかりだから」誕生日の集まりに来いと浩平を大人びた口調で誘う。
1歳の誕生日の赤ちゃんは、当然彼に、自分が父親になれなかった記憶をよみがえらせる。
くらげの一生は一年だと聞いて、このおしゃまな姪っ子は目を丸くする。「じゃあ、可愛い盛りなんだね」

結構、赤ちゃんとか、子どもとかがキーワードになってるんだよね。いや、もっと言えば、子どもと大人、若者と年を経たもの、その間に選択するもの、といったところだろうか。
これまたさっさと後バレのネタになってしまうが、結構浩平とイイ感じにまでなったヒロインの有希は、二人の仲を突き詰めきれなくて、結局他の男のタネを宿して一年後に再会することになった。
イイ感じになった時に詰めきれなかったことに、結構フツーにガッカリしたりしたのだが、そして一年後にいきなり妊婦になって二人が再会したことにもえーっ、と思ったのだが。

でも浩平が元カノとの記憶で、なぜ自分が父親じゃなかったのかと考えたことや、一歳の赤ちゃんが“可愛い盛り”であることは、誰のタネであろうとランであろうと関係ないこと、おしゃまな子供たちが常に浩平に対してそうした示唆を投げかけていることを改めて思う。
これって結構、私みたいなフェミニズム野郎を納得させてくれるネタなのかもしれないと思ったのだった。だってラストはさ!!

おーいおーい、また全部すっ飛ばして話進めてるぞー、もう、いい加減にしろや、私(爆)。ヒロイン側の話が重要なんじゃないスか、もう。
ヒロイン、有希はこの土地の人間ではない。友達の子供を連れて水族館に遊びに来る時の、シャレた大きなサングラスなんて、ちょっと都会の女を思わせたが、そういうことでもなかったのかなあ。
それ以外は、ただ、この地元ではない、ワケありのひとり者の女、ということだけを色濃くにじませていた。

でもやっぱり、それを示唆する、いわゆる外に対する防御のサングラスだったのかもしれない。
と思うのは、彼女だけじゃなく、ワケありのひとり者の女は、他にも印象深く登場するから。

まず、有希が勤めるパン屋の女主人。物語の中盤で、倒れてしまってそのまま店は閉店に追い込まれてしまう。
最初、有希だけが店にいて、「実家から送ってきた葡萄で作ってみたんです」なんて新作のパイを紹介したりするから、彼女がこの地に開業したのかと思ったら、浩平が次に心躍らせて店を訪れると、この、初老……は言い過ぎか(爆)、年齢を重ねた女性(言い方が難しい……熟女というとまた意味合いが違うし)が切り盛りしている。

思わずガッカリする浩平を素早く見抜いたのは、たまたま居合わせた水族館の売店のおばちゃんの大久保さん。
このパン屋の女主人ともいかにも長年の付き合い、それ以上の、シングルの女同士の、いい距離感で信頼、心配、親しくしている感じがよく出ているんである。

大久保さん、浩平のお父さんのことを知っているらしく、意味ありげな言動を、いかにも伏線のごとく(爆)発していた。
彼女が有希と仲が良く、家にボトルキープをさせているほどの親密さであるというのは若干の都合の良さを感じなくもないが(爆)、こうした小さなコミュニティーでは案外そんな感じなのかなあ。

でもね、なんたって大久保さんなのだ。大久保さんに扮する山口美也子が一番、アラサーをとうに通り越してアラフォーになってしまったこちとらにピタリときたんだなあ!
水族館では売店を切り盛りしている、しかし冴えないおばちゃん。浩平の先輩も、館長でさえも、ぐずぐずしていると大久保さんみたいになっちゃうよ、と彼女の前でさえあっけらかんと言う。

つまり、適当に出会って結婚しろ、という訳で、館長はその点顔が広いから、と先輩は勧めるんである。
大久保さんの方はそんな風にあからさまに言われても、まあお約束にイヤな顔はするけど、お約束な感じで、彼女は今の人生に後悔はしていないと思う。

大久保さんの言葉からは、浩平の父親となにがしかの関係があったことは察せられるけれど、だからといって、彼と結婚できないのなら他の適当なところで手を打つなんてことは考えもしなかっただろうし。
それはパン屋の女主人も……そこまでのキャラづけをしていた訳ではなかったけれど、大久保さんと親しく話している様子から、そんな同志的な感じはしちゃう訳なんである。

ひょんなことから大久保さんの自宅でパンとチーズとワインのディナーにあずかることになる浩平、あの冴えない売店のおばちゃんの風情からは想像もできないような、ウッディでアンティークなおしゃれなお住まいで、大久保さんも粋なマダムにご変身あらせられるのだ。
アナログレコードなどかけて、その「tea for two」は、浩平のお父さんがいつも口ずさんでいたナンバー。ふと遠い目をする大久保さん。
でも彼女が不幸だなんて、思わない。幸せな記憶があるし、むしろ彼女は今の生活を選んで、楽しんでいるんだもの。

こんな風に若い友人を屈託なく招待できるのも素敵だと思う。それ以上に、彼女が自分の過去にとらわれずに、というか、ハッキリと反面教師として、「一番好きな人と結婚しなさい」と、ちょいと垣根のある有希との恋を応援してくれるのが素敵だと思う。
そう、彼女は、館長や浩平の先輩のようにどこかで妥協や折り合いをつけるのではなく、一番好きな人と結婚できないのなら、その次に手に入れられる、自分が納得できる人生を選んだのだ。少し寂しくても、絶望ではない。

ついつい、一人女の言い訳で話を進めてしまった(爆)。肝心なことを色々言い忘れてる(爆爆)。
この舞台。くらげ専門の水族館。聞いたことはあるような気がしたが、山形、なんだね。
監督さんが師事した冨樫監督の故郷で、ここでのこうしたインディペンデントな映画製作は、かなり目にした記憶がある。
こういうのって、素敵だと思う。小さな力かもしれないけど、続けていくことが、道を作っていくと思う。

ヒロイン、有希は、元々は他の出で、恋人がこの地の出身で、不慮の事故で死んでしまったことで、この地から離れられなくなってしまった女性。
恋人が車ごと海に落ちてしまった、その潮水に使ってしまった車を、もう部品がなくて廃車しかないと、整備工場のおっちゃんに申し訳なさそうに言われるまで、いわばその恋人の存在を、死んでしまった事実を受け入れられずに生きてきた。

「未亡人って、凄い言葉だよね。未だ死んでない人、だよ」この台詞、めっちゃ聞き覚えがあるんだよなあ。めぞん一刻で響子さんが舅さんから「そうじゃない、生きてるんだ」と続いて言われる言葉。
監督さんは私と同世代だから、この台詞の出所はひょっとして……などと思ってしまう。まあ私は何度も言うけどフェミニズム野郎だから(爆)、それが淡く芽生え始めていた当時は、ホントにこの言葉に反応したものだったのだ。

それはまあ、そのまんま、男社会、男を主軸にした価値観に対する判り易い反発であったのだが、時を経て、草食男子なぞが現れて(爆)、未亡人の定義を女の側から言い出す時代が来るとは、正直思わなかった(爆)。
恋人にウワキされて意気消沈し、「くらげになりたい」などと言ってぼんやりと生活し、気になる女性が現れてもイマイチ積極的に行けない男子に、お前それでも男か!とか言いたくなるんだから、自称フェミニズム野郎も勝手なもんである。

だって一応、ちょっとずつでも距離を縮めて、キスまで交わしたのにその後、「一発でエンジンがかかったら、ずっと一緒にいよう。かからなかったらこれっきり」てな彼女の提案にあっさりうなずいちゃうなんて、バカか!
だって彼女、キーをひねる時、いつも引いている、あれ何、車運転しないんで(爆)、と、とにかく、エンジンかかるためには必ず引っぱっていたのを、引かなかった。
それに対してここまでうがった予測をするのはアレかもしれないけど、そんな勝負めいた駆け引きを止めて、彼が、そんなのどうでもいいから、一緒にいよう、そう言ってくれるのを彼女は待っていたんじゃないのかなあ、とついつい少女漫画っぽく思ってしまうんである(照)。

でも、きっと、あんな淡い期待を抱かせるラストで良かったんだと思う。
妊婦の彼女にびっくりしつつも、シングルマザーをするんだという彼女に更にびっくりしつつも、別れの握手をしつつも、しばし悩んで、浩平は有希の乗ったバスを追いかける。その淡い期待を信じたいのだ。
くらげのように、ゆらゆら何も考えずに生きたいと思っていた浩平が、ようやく、ようやく、走り出したのだもの!

そうよ、なんたって、くらげだもの。ここまでうっかり言うチャンスがなかった、タイトルであり舞台であり、主人公の職業よ。めっちゃ大事な要素なのに(爆)。
鮮やかに、ひそやかに、神秘的にスクリーンいっぱいに描かれるくらげたち、人気があるのは知っていたけれど、正直??と思っていたのも事実。
でも確かに本当に美しくて、神秘的で、癒される!!ミクロから巨大まで、形状も様々こんなに種類があるのも驚かされたし、それらすべて、本当に美しくて、神秘的で……ああ、なんか、言えば言うほど陳腐になるばかりだが(爆)、本当に美しかった。

しかもこの元手のかからなさ(爆)。浩平と有希は一年後に再会する。つまり一年がこの物語なんであり、くらげの一生の期間でもある。
物語の冒頭と、その一年後に、有希の恋人が死んだ、祭りの日を起点として、浩平は一年前と同じように先輩と、海にくらげ捕獲へと向かうんである。
数日後にくらげの大量発生のニュースが報じられて、もうちょっと待てば楽勝だったのにな、なんて先輩が言う。
一年しか生きられないくらげだし、こんな感じもあるんで、希少価値なんてなくって、形が悪いくらげは、大きなくらげのえさにされちゃうし。

しかも、「くらげを食べよう!」なんていう子供向けのイベントのために、コンビニ弁当チックなタコライスに、タッパに入れたボイルくらげを無造作にトッピングしてみたりする。
うわあ……まあそりゃ、普段酢の物とかでフツーにくらげ食べてるけど、このシチュエイションでコレは……。ネライなのか、なんなのか……。
有希の勤めるパン屋で浩平が買うソーセージパンはやたらおいしそうでその日の昼食にパン屋に寄ったが、くらげはしばらく食べたくないなあ……。★★★☆☆


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