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「ひ」


2001年鑑賞作品

ビジターQ
2000年 84分 日本 カラー
監督:三池崇史 脚本:江良至
撮影:山本英夫 音楽:小原善哉
出演:遠藤憲一 内田春菊 渡辺一志 中原翔子 不二子 武藤洵 鈴木一功


2001/4/4/水 劇場(シネマ下北沢)
うー、三池監督、イくところまでイッちゃった、って感じ?「DEAD OR ALIVE 犯罪者」「DEAD OR ALIVE2 逃亡者」がいくらなんでもその頂点だと思っていた(信じていた)のに、まだ先があったとは……うううう。ああ、お願いします。いいかげんこのあたりを折り返し地点にして、戻ってきてくださいいい、って、どこへ?

あまりといえばあまりのデキゴトばかりが怒涛のごとく展開されていって、だ、ダメだッ!いくら私でも(?)こ、これはダメダメ!と思っていたのだが、もしかしたらこの究極の中にものすごーく深い哲学的洞察があるのかも?と思うほどまでに混乱に陥れられて、どこか深い慈愛すら感じるラストシーンになる頃にはすっかり脱力し、ああ、もしかしたらとんでもない傑作なのかも……と半ばナゲヤリ気味で思う始末。でも生理的に★★★★☆までには到達できない。……三池監督、カンベンしてください。

だあってさあ、私のお気に入りの俳優である遠藤憲一が、しょっぱなからエンコウしている実の娘相手に全裸のボカシつきでぶちかますシーンから始まって、ケツの穴にグリグリ入れられるわ、レイプした女に死姦はするわ、それで抜けなくなるわ、ノコギリ?で中学生の頭をヤイサー、ヤイサー!とギコギコやるわ、と全編狂いっぱなしなんだもんんんー!しかし、彼、東中野でやってた、エロスをテーマにビデオで撮るという、まさしく似たような企画の中の一本「歯科医」でもそうだし、なんでこういう企画に呼ばれちゃうんだよう。

まあ、狂ってるのは、彼だけじゃなく、登場人物全てが狂ってるんだけれど……。えッ、これが内田春菊!?と思わず後ずさりしてしまう、完全にオバチャンの、しかもそのしまりのない肉体を臆すことなく全部見せちゃって、挙句の果てには母乳までびゅーびゅー飛ばしちゃう妻、恵子が、一番スゴいかもしれない……。

大体、この話は一体、ナンなのだ?タイトルのビジターQとは、一体、何のことなのだ?あの、ワケノワカラナイ理由でこの崩壊家族の家に転がり込んできた謎の男のことなのだろうけれど……。この男、理由もなしに遠藤憲一扮する山崎の頭を背後から石でブンなぐり、さらに路上で再会した時も、もう一度ブンなぐり、次のシーンでは、なぜかまるで旧知の仲みたいな風で、この家に迎えられ、山崎から「しばらく一緒に住むから」と紹介されるんである。な、な、な、なんでそうなる!?この男、息子が母親をハタキで(ってあたりもビミョーなのよね……しかもそれを何本もコレクションしてるって、どーゆーこと?)なぐりまくるのも止めもせずにへーぜんと観戦し(てるのは、山崎もそうなんだけど……しかも「顔だけはヤメてー!」って叫んでいる恵子もどうかと思うが……)、この息子を苛めている同級生が毎夜家に投げ入れてくる花火で家中が崩壊している中でももへーぜんと飯を食い、山崎の息子がイジめられているドキュメントの手伝いをこれまたへーぜんとし、ユウウツな毎日をクスリでまぎらしている恵子に母乳飛ばしのワザを体得させ!?いつしかこの家族は究極の崩壊の後の、奇妙な結合を見るにいたり……しかしそこに至るには、数人ぶっ殺してるってワケだが、つまりは、この家族にとっての救世主、なのか?……数人殺してる(のは山崎が、だけど)っていうのに?

息子を苛められ、女を殺してしまった男が感じるのは怒りでも哀しみでもなく、エッチしたい、っていう気持ちなのだ、と言っちゃいけないことを言いやがり、しかしもしかしたらその感覚って、確かにそうなのかも……などという錯覚?を起こさせる。ううッ、と、ともかく、レイプしかけてそのショックからか実際に首をしめてたんだか、とにかく死んでしまったかつての同僚で、どうやら男女関係にもあったらしい女に、エイサッ、エイサッとツッコみ(しかもカメラを回し続けてる……このヘンタイ!)、いけるじゃん、俺、早漏じゃないじゃん!と狂喜し(……死人相手にそんなこと言ったって……ねえ)、「なんと、濡れてきました!死んでるのに!これぞ肉体の神秘!」などとバカなことを言っていたと思ったら、「なんだよう!ウンコじゃねえかよう!クサッ!何食ってやがんだ!死んでからも俺をバカにしやがって!」と女の背中になすりつける!!おいおいおいおい、その行為の鬼畜さもさることながら、なんでウンコとソレを間違えるんだよ。え?モノで感じてたんじゃないの?どこに入れてたんだよ、でも抜けなくなったんだから、ソコに入れてたんでしょ……って、もうあまりに露骨になってしまうんで、やめる……こんなこと言わせんなー!!(絶叫)

死後硬直でどんどん締まっていって抜けなくなって焦りまくる山崎、妻を呼び(呼ぶか!?普通!)、妻は楽しげにスーパーで酢を大量に買ってきて!?二人(夫+死人)をバスタブに入れてその中に酢を入れまくる。身体が柔らかくなるって言うでしょ、てわけである。あああああ、アホかああ!!当然そんなことで抜けるわけもなく、そうすると妻、またまた嬉しそうに常用しているクスリを持ってきて、なれた手つきで夫に注射する。うろたえる山崎だが、ふっと緊張感がほどけて、めでたくスポッと抜けるんである。……めでたいのか?

息子を苛めている同級生たちが庭に乱入してきて、まるでついでとばかりにこの男の子たちを惨殺する山崎と恵子。それがあのノコギリギコギコ場面。このあたりから倦怠気味だった二人は急速にラブラブになり、楽しげに、実に楽しげに死体の始末にいそしんでいる。息子は台所の、母親の母乳(プラスお小水)がひたひたになった床に倒れこみ、あの謎の男に向かって、「僕、今日から勉強する、来年受験だし」と、なにか憑き物が落ちたような、悟った顔で、言うのである。

男はこの家を辞し、外で出会うのが、あのエンコウしている娘。彼女に父親同様石の一撃をお見舞いし、顔じゅうアザだらけになった彼女は久しぶりに我が家に帰ってくる。自分の部屋に入り、ふと窓の外を見ると、母親、恵子が青いビニールシートの中から顔だけを出して微笑んでいる。窓を開ける娘。と、恵子、ビニールシートをのぞいてみせて、山崎がそのオッパイを幸せそうに吸い続けているさまを見せる。ちょっと泣きそうな顔で幸せそうに微笑む娘(って、なんでだ!?)そして外へ降りてゆき、もう片方残ったおっぱいを彼女も口に含むのである。娘と父親が母親のオッパイを両方からむさぼっている図は……なんというのか、なんと言うべきなのか。

息子が母乳とお小水に同化しているさまといい、このシーンといい、源である母親の、しかもより原始的な部分に帰っていくという究極の方法でようやく崩壊家族が収束に向かった、という感じ。それまでの、あまりに鬼畜な展開のおかげ?で、この二つのシーンもある意味かなりエグいにもかかわらず、まるで救いの、慈愛のそれに見えてしまうのだから、コワい。

正視できない激痛な場面ばかり展開しているんだけど、一番痛そうで見るに耐えなかったのは、内田春菊の母乳飛ばしである。勿論ホンモノで、母乳が出るってことは、それだけオッパイが張ってるってことでしょ?張ってるオッパイをもみしだいて母乳を飛ばす……ぐええええ、痛い痛い痛い!しかし母乳を出す経験はしたことないので、同じ張ってても、母乳で張ってる場合はあんなふうにもんでも痛くないものなのかしらん……って、なんでそんなことで悩まなくちゃいかんのだー!恥ずかしいっつーの!

しっかしさあ、母乳が出るとゆーことはだ(恥ずかしいとか言っといて、しつこい私)。赤ちゃん産んでまもない体の状態であるはずで、実際の内田春菊がそうなんだろうけど、この家庭の家族構成ではありえないんだけどねー。そこまでツッコむのはヤボだろうが、それともこれは実際は深い意味があって、生んだはずの赤ちゃんが死んじゃったとか、あるいは堕ろしたとか、流産したとか、いうんだろうか。まさかね。

この、やっちゃいけないでしょ、的トンデモない衝撃は、「ソドムの市」以来かもしんない。ホントに三池監督、カンベンしてください……。★★★☆☆


美少女プロレス 失神10秒前
1984年 72分 日本 カラー
監督:那須博之 脚本:佐伯俊道
撮影:森勝 音楽:スペクトラム
出演: 山本奈津子 小田かおる 渡辺良子 美野真琴 由利ひとみ 志水季里子 井上麻衣

2001/8/21/火 劇場(銀座シネパトス/レイト)
監督の那須博之って、見たことのある名前だなあ、と思ったら、ありゃりゃ、「ピンチランナー」の監督じゃないの!この人もロマンポルノ出身だとは知らなかったなあ。そんでもって、その頃からティーンもの、学園モノが得意だったということだろうか。はっきり言ってこのタイトルだけに惹かれて観たんだけど、女子大のプロレス研ということで、大学生じゃ、少女じゃないやん、といささかだまされたような気分にもなったものの、ヒロインが好きな男性にもなかなか捧げられないウブなバージンで(でも、これはその男が自分のことを妹以上には思っていないということで躊躇しているんではないかとも思われ、そういう意味ではかなり真っ当な女の子なのよね)その時代性もあってか、この年での少女性がそんなに違和感のあるものではなかった。ブリブリファッションだし。

そしてこのヒロイン、めぐに一目ぼれしちゃうのが応援団の男の子。女子プロレスに応援団。それぞれの性が色濃く出た組織を描いていて、その組織の中から抜け出せない、そしてそれをも自分の糧にしていくというのは、いま危険なほどに個人主義の現代ではなかなか描けない世界で、例え描いたとしても、どこかクサさの残るものになってしまう……というのは、「ピンチランナー」のことか?このチーム、団体、大勢での盛り上がりのカタルシスというのが本作では本当にすばらしくって、それは、冒頭でめぐのお姉さんがリングに上がっている場面で既に示され(このお姉さんはめぐの所属させられる女子プロ研の先輩)、強制的にスカウト入部させられためぐが最初はイヤイヤながらも、ラストのクライマックスではライバルに勝利する30分一本勝負で、大いに熱くさせてくれる。そしてその必殺裏ワザというのが、何と……。

この冒頭でねー、おっぱいもあらわに激闘を繰り広げるリング上で、敵から噛み付かれ、「お前、AB型だろう、破滅の味がするんだよ!」という台詞でまず参っちゃった、って感じである。いい台詞じゃない?そしてめぐら一年生が不条理なまでに先輩たちにしごきを受けるんだけど、それがまたバカバカしいのばっかりで、吊り下げられたロープにつかまってみーんみんみんと鳴いたり、ブリッジをさせて×××をつつき、「気持ちいいか、オラ!」とどやしてみたり。そんなしごきの後は、先輩たちを風呂場でファッションマッサージばりに満足させなければならず、その場面はまさしく百合の園の危なさなんである。

彼女らを支援している、いわばスポンサーがアイドル研究会の、いかにもマニアックな男たちというのがまた笑える。色白にメガネとか、太ってて目が線とか、もういかにもなステロタイプの男たちは、彼女たちがパンティいっちょで洗剤液?にまみれながら戦うのを狂喜しながら観戦しているというヘンタイぶりで、合宿の地にも同行し、スポンサーの立場を利用して、マネージャーの女の子を相手に3Pを繰り広げるなんて事までする。このマネージャーも嫌がっているようにはとても見えないのがスゴいが……。メガネをかけてることがブスの定義になっているらしいあたりも、何か80年代っぽい時代性を感じるやね。

どうしても怖気づいていためぐが、その本来の資質に目覚めたのは、その片思いの男性、かずおを、ライバルのしのぶに取られたからである。このしのぶという女の子は多分めぐ以上に彼女に対するライバル心を募らせていて、彼女が好きになる男性を好きになっちゃうというヤツなのだが、それでこのかずおを本気で好きになる。しかし、この男もねえ、……かなり許せないキャラ設定。お前はめぐの気持ちが判らんのかー!そんで、しのぶがめぐに対して、あんたなんかに本気で男の人を好きになる気持ちなんて判んないでしょう、とめぐをひっぺがして愛撫する。ワケわかんないけど、強烈。男女のお決まりのセックスシーンよりも(それこそ、マットの上での団体戦!?プレイなどもあるけど)ずっと濃厚でエロに見えちゃうのはなぜでしょう?

めぐのいる夢の島大学と(やはりこれはあのゴミの島の?)しのぶのいる大学(名前忘却)の女子プロ研は伝統ある、宿命のライバル。めぐの大学が先述したようなかなりアホな特訓をしているのに対して、しのぶの大学は筋トレマシンを使った、マジメな練習を見せている比較がオモロイ。街の映画館で力道山の記録映画を観に来ていた双方が(これもスゴイ設定で笑える)、乱闘騒ぎになるなんていう場面も出てくる。ここでめぐはしのぶと最初の対決をするのだが、この時点ではまだしのぶの方が上で、力不足のめぐはハイキックの瞬間に股を開きすぎて処女膜を破ってしまう(!?いくらなんでもそれはないでしょ!)その時、しのぶがタンポンを勧めたのが、めぐの転機になるのである。つまり、「タンポンをすると、私は力が出る!」って、なんだそりゃー!うーむ、判るような気はする!?この時、姉が恋人(課長とか呼んでたから、ひょっとして不倫?)とのセックスの最中に「すみませ〜ん」と部屋にへこへこ入ってきて、鏡台からタンポンを取り、「ちょっと借りまーす」とまたへこへこ出ていく場面も爆笑モノ。

応援団の男の子と結ばれためぐは、彼の家が薬屋(じゃなくて、下宿しているのが薬屋の上だっていうだけだったかな)だということで、自分の力の源となるタンポンをせしめ、学園祭で催されるタッグマッチで先輩のパートナーになるテストをタンポンをつっこむことで見事にクリアする(しかしあの角度でタンポンは入らんと思うがね)。しかしそれほどまでにタンポンを信仰しているんなら、試合の時も最初からタンポンをしていりゃあいいのに、してないというのも不思議だよねー。というわけで、この彼が、めぐのピンチを救うために、会場を飛び出して、女の子を捕まえちゃあ、「タンポンがあったら貸してください!」と奔走するのはメチャ可笑しかった。

いやいや、この男の子が、ナイナイの岡本君をもっと濃くカワユイ感じにした子で、包茎という設定もカワユく!?(それをめぐが口で丁寧に愛撫するのがイイのよね)「あなたみたいなロリータタイプに弱いんです」などと言っちゃうあんたがツバメ趣味をコロッと参らせるタイプだよなー、なんて思ったり。そんで、めでたくタンポンを調達してきた彼は、場外乱闘になっていためぐに「あなたに入れて欲しいの」と言われてドギマギしながら、リングの下に隠れて装着してあげる(生理でもないのに、よく入るもんだ。しかも他人が……やっぱ無理があるよなー)。そしてめぐはめでたく敵を倒し、この男の子と甘いキスをかわし、しのぶとライバルの握手を固く交わして、大ハッピーエンド!

なんか、ものすっごく健康的なロマンポルノで、こういうのもあるのねー、という感じである。プロレスシーンはスタントも使っているんだろうけれど、しっかり顔が見えているのも結構あって、激マジであり、本気で痛そうでスゴイ。こういうのは嬉しいね。あー、面白かった、という言葉がスルリと出るような爽快な映画。★★★☆☆


ピストルオペラ
2001年 112分 日本 カラー
監督:鈴木清順 脚本:伊藤和典
撮影:前田米造 音楽:こだま和文
出演:江角マキコ 山口小夜子 韓英恵 永瀬正敏 樹木希林 加藤治子 沢田研二 平幹二朗

2001/10/30/火 劇場(渋谷シネパレス)
劇場で、観に来ていた若いカップルの「この人が映画監督って、知らなかった」「私もー」という会話が聞こえてきて、ひえー、と思いながらも、でも私は監督って知っているだけで、その作品は全然観てないもんなあ、と思い直す。つい最近までやっていた二つのレトロスペクティブも、京橋フィルムセンターでやっていた黄金期の日本映画特集の中に入っていたものも、観よう、観ようと思って、結局観られなかった。同じ年代のほかの監督の映画は観ているのに、鈴木清順監督作品だけがなぜかエアポケットのようにキレイに抜け落ちている。まあ、それなら返って新鮮な、何の期待も先入観もない状態で観られるかな、というのはあった。

予告編の、カラフルなクールさが、静かに引き伸ばされたという印象。やけに、静か。衣装や動きのハデさから想像されるようなニギヤカさとはだいぶ離れている。物足りない、と思うのは、昨今のニギヤカな映画に慣れてしまったせいなのか、それとも……。いやこの静かさだからこそイイのだ、という思いも確かにする。それぞれにキャラは華やかだけれども、基本的に闇に暗躍する殺し屋の物語なのだし、和の雰囲気がクールだし、謎の少女が醸す、ひたひたとしたいわく言いがたい色気もそうだし。しかし、なんと言うか、うーん、その静けさと対比する形で、ニギヤカさもやはり欲しかった。

いやいや、そうしたら、結局これはフツーの映画になってしまうんだろう。レトロスペクティブの予告編で監督自身が言っていた「映画は普通じゃあ面白くないんだよ」という言葉を思わず思い出す。凝ったカット割りと目を射抜く極彩色の衣装と美術、強烈なキャラが、アヴァンギャルドな美術画集をめくっていくような印象を与える。思えば、印象を与える、という言葉がぴたりと来る映画だ。ストーリーは、後で記事などを読んでみるとスッキリとわかるけれど、観ている時はキャラの放つ観念的な言葉に振り回されて、??状態、それもまたネライなのだろう。残るのはキャラたちの奇妙な動きと、翻る鮮やかな衣装、その鮮烈な画としての印象である。脊髄を正確に撃ち抜くことによって、笑ったような顔で死んでゆく、というのもそうだし、レズビアンをほのめかせるナンバー3の野良猫が、ピストルをながめながら自慰をするというのもそう。

役者デビューである「幻の光」で瞠目させられたものの、それ以降はスッカリテレビ女優に成り下がってしまった(という言い方はテレビに対して失礼だが……でも、やっぱり光っていた何かが失われた印象は否めない)江角マキコが、久々にスクリーンで光り輝いている。やはりこの人はテレビにばかり置いておくわけにはいかない。彼女が光り輝く場所は、スクリーンの中にこそあるのだ、と改めて思わせる。その長い手足と長い首に長い黒髪を一つにまとめて、ブーツに和服といういでたちは、ああ、確かに銀幕のスターだと思わせる。和服というのはこういうすらりとしたスタイルの人には返って似合わないものだけど、ブーツを合わせることで、こんなにもスタイリッシュになるということに驚かされる。筋肉の盛り上がったふくらはぎをあらわにして、銃をぶっ放す彼女の画になる美しさ!近年の日本映画のヒロインの中でも頭一つ飛びぬけている。というか、こういうヒロイックなヒロイン映画というものが、日本には本当に少なくて(いや、まあ全世界的にそうだけどね)それだけでもかなり嬉しい。

対する、江角マキコタイプの先駆者とでもいうべきベテランの山口小夜子の、人工的に施されたメイクが妖しく艶めくさまも凄い。あんなにドレッシーな格好をしているのに、野良猫(江角マキコ)を訪ねてくる時には、その白いドレスのすそがすすけて黒くなっているのが気になる。それはまるで、若く美しく輝いている彼女の前で、汚れた自分を隠すように布のタップリとしたドレスをまとって、顔まで隠しているのに、その汚れが隠すことができないということのようで。彼女は自分に必要以上の感情を抱いている野良猫の気持ちを充分に知りつつ、彼女の若さと美貌をうらやんでいる。野良猫の駆け出しの頃の話を持ち出して、今は相応に年を重ねた、ということをほのめかしたりするものの、やはりそこには羨望が見え隠れする。野良猫が自分に擦り寄ってくるから、尚更うずくような気持ちになっている気がする。年端も行かない少女たちを集めて、キレイなフリルのドレスを着せ、メイクをし、クリームのたっぷり乗ったケーキを食べさせる。若さと美しさに対するねじれた執着心がほの見える。野良猫にまとわりついている謎の少女、小夜子(韓英恵。この役名と山口小夜子の名前がすれ違うさまが確信犯的)も連れてくる。小夜子は一人、言うことを聞かない。小夜子を殴り倒す彼女。

殺し屋組織、ギルドの抗争の中で見えない敵、ナンバー1の百眼と対決することになる野良猫。最初、自分が百眼だと言って現れた男(永瀬正敏)は、ホンモノの百眼に操られたコマだった。彼に某かのシンパシィを感じていた野良猫は、息絶えていく、血で染まって苦しげに動く彼の唇にくちづけを贈る。鮮烈で美しいシーンだけれども、それはこの先、野良猫自身の息絶える場面をも予期させる。そしてその予感は当たってしまうのだけれど、彼女の死は、美学としての死。勝利の死。それを目にした、コソクな手段でトップを狙っていた花田(平幹二朗)の、ンガッという、かなりカクジツに愚かでナサケナイ表情にバンと重なる黄色い終マーク。

トップに執着する、落ちぶれた殺し屋に扮して枯れた味わいを見せる平幹二朗。若い頃の荒々しさを想像させるのが余計に哀しく、愚かな男が良く似合う。まだほころびかけたつぼみの状態の幼い裸体をするりとさらして、観客のドギモを抜く韓英恵は、幼さゆえの無防備が、これ以上はない鋭利な武器になって、作品中、最も強い印象を残すと言ってもいいかもしれない。生に執着せず、愛する?相手やその時感じている大切な価値観のためにあっさりと、美しく死んでしまえる少女の特権。昨今の出演作品の中では、最もカッコいいかもしれない永瀬正敏。銀髪と黒い装束が細身に良く似合う。加えて、これまでは若い女の子相手が多かったのが、年相応の江角マキコが相手だと、これまで以上にクールに決まるんだなあ。そうそう、最近のエーガは男性はいくら年をとっててもイイのに、女の方は若い子ばっかり(ま、美少女は好きやけどね)。これじゃいかんよお。

今年一番の予感を持って観たけど……画は凄く好きなんだけど、うーん、ノリきれなくって、残念。★★★☆☆


ビバ!ビバ!キューバUN PARAISO BAJO LAS ESTRELLAS
1999年 90分 キューバ=スペイン カラー
監督:ヘラルド・チホーナ 脚本:ヘラルド・チホーナ
撮影:ラウル・ペレス・ウレタ 音楽:ホセ・マリア・ビティエール
出演:タイス・バルデス/ウラジミール・クルス/サンティアゴ・アルフォンソ/アンバロ・ムニョス/エンリケ・モリーナ/デイジー・グラナドス

2001/9/28/金 劇場(有楽町シネ・ラ・セット)
この邦題から、いかにこの映画を買い付けした人が文句なく惚れ込んだか判るような、ハッピーな作品。ヤボなツッコミは無意味になるほどの、100%確信犯なご都合主義に殆ど椅子からズッコケ状態!しかしこの殆どギャグにまでなっている徹底した“ご都合主義”が、割と凝っているというか、バカバカしいまでにきちんと練られているというか、とにかくこっちが文句を言うスキもないほど先手先手に打って出てくるから、こちらは椅子からズッコケ続けるしかないんである。いやー、しかしびっくりした。いまどきバナナで足滑らせて死んじゃうだの、キスで生き返るなんて場面が出てくるとは……しかも、それが、診た医者が酔っ払ってたから死んだなんて判断を下したなんて、そりゃねーだろ!?

キューバ音楽やキューバがちらっと舞台になった映画は時々見かけたことがあったけれど、実際のキューバ映画というのはもしかしたら初めて観るかもしれない。エンタテインメントなインド映画と初めて出会った時ほどじゃないけど、それでもかなりのカルチャーショック。社会主義とかキューバ危機とかいう言葉から連想されるシビアなものは何一つなく、そこにあふれているのは、人生と恋と音楽とダンスをとことんまで楽しんで吸い尽くそうという、もはや貪欲なまでの人々のエネルギー!それが象徴される場として出てくるのが、キューバのみならず世界的に有名だというきらびやかなキャバレー、「トロピカーナ」劇中の女たちの夢と現実、そして人生を飲み込んできた舞台。

ヒロインのシシーはかつてスターダンサーだった母親、オリビアのようになりたいと思い、やはりスターダンサーだったマベルの助言を受ける。このマベルはかつて、シシーの父親で同じトロピカーナの専属歌手だったカンディドと恋仲だった。そして数十年の時を経て再会したマベルとカンディドは再び激しい恋に落ちる。一方でシシーは“ハリウッド映画のよう”に一目惚れしあったセルヒートと出会う。しかしセルヒートのお尻にはカンディドと同じ、その一族の男にしか出ない星型のアザが……。それを見つけてしまったカンディドの仕事仲間(昼間はトラック運転手をやっている)プロメディオは、実の兄妹である(と思われる)シシーとセルヒートが恋に落ちることを恐れるが、予感は的中。セルヒートはマベルがカンディトとの間にもうけ、生まれてすぐに孤児院にあずけてしまった子供だったのだ。

という、殆ど少女漫画か昼メロのノリの、ひょっとするとドロドロになりそうな複雑な血と愛の関係を、まあ、これ以上カルくてバカバカしいノリはないだろうってくらいにトントンと展開させてゆく。この禁断の血の系譜と共に、マベルとカンディドが別れる原因となった、フェロモンぷんぷんの振付師、アルマンドとその妻も加わり、こねくり回されることで、物語はさらにクサさとご都合主義(ほめてます)の大展開のうねりを見せ、あーらビックリな結末を迎えることとなるのだ。

アルマンドの妻、ソニアはセルヒートと孤児院で一緒に育った、それこそ兄妹のような仲、っつーのもいくらなんでも出来過ぎな関係性の糸で口アングリだけど、今更それを言っても始まらない。とにかく、ソニアとセルヒートの仲を誤解した(というのはプロメディオの策略なのだが)シシーは大激怒。しかし彼女も、あからさまに誰かの謀略だって丸わかりなはずなのに、なんでそうもアッサリ引っ掛かっちまうかねー……好きならもうちょっとセルヒートを信頼しても良さそうなもんだが……。とにかく、セルヒートとさっさと別れちまった彼女は、その腹いせも手伝ってアルマンドに近寄り、めでたく?トロピカーナの主役の座を獲得する。しかしセルヒートの劇的な演出による告白で、これまたあっという間に彼とヨリを戻し、何度も何度も前に後ろに!?アツーく愛し合って、めでたく妊娠。

祝福される二人だが、しかしマベルもまた、セルヒートが自分の息子だということに気づいてしまった。それを確かめるために後ろから彼のパンツを引き摺り下ろし(笑)その星型のアザにキスしまくっているところを(笑笑)ただでさえ嫉妬深いカンディドに目撃される。激怒したカンディドはマベルに猿ぐつわをかませて縛り上げ(そ、そこまでするか!?)、橋の上まで連れて行ってやりこめようとすると、その前にあまりにもあまりな伏線を張られていた、少年の捨てたバナナの皮で滑って、カンディドの方が橋の上から落ちて死んでしまう!?しかし、その葬儀で売女と罵倒されながら、哀しみにくれるマベルがカンディドの唇にキスをすると、彼はあっさり生き返る!?そこにはシシーの母親、オリビアも来ていて、彼が生き返る前から、ほとんどパーティー並みに明るく盛り上がっているあたりも笑える。

そしてシシーの陣痛!もはやシシーとセルヒートが兄妹なのは疑いようもない。本当に怪物が生まれてしまうのか……と思ったら、それよりもビックリ、2人の間には生まれるはずのない、肌の黒い女の子が生まれてしまった!アルマンドとの間の子だろうと、身に覚えのない浮気を責められるシシー。ど、どうなるの!?と思っていたら、これまたアッサリ、「あら、それは母方の血だわ。シシーはカンディドではなくて、アルマンドとの間の子なの。この赤ちゃんの肌が黒いのは隔世遺伝よ」と、オリビアがあっけらかんと告白!たたッ、なあんだ、そりゃ!?と目を白黒させている間に、セルヒートに責められたシシーはなかばヤケクソ気味にアルマンドの毒牙にかかろうとしていた!?それこそ近親相姦だー!と危機一髪のところでセルヒートがシシーを救い出す。というくだりの間にも、鍵を側溝に落としたりといったベタな時間稼ぎを挟むあたりが徹底してる(笑)。

あんなに浮気を責め、責められていた、しかも今まさにアルマンドと過ちを犯そうとしていたシシーとセルヒートが何のわだかまりもなくまたもあっさりヨリを戻して(おまーら、ええ加減にせーよ)アツーい抱擁を交し、周りも一気に祝福ムード。観客と同程度に目を白黒させているカンディドも女たちに圧倒されて、そして何より欲しかった息子と、正真正銘の孫が出来て喜びにひたる。最後はお約束の、トロピカーナの舞台で、登場人物総出演の歌とダンスの限りない祝祭!

という、もう目が回るほどのナンダソリャな展開に、しかし大いにハッピー。顔のパーツが思いっきりおっきい、大迫力のセルヒートがキュート(全裸のサービスシーンがヨシ!)なのが良かった。しかしシシーが白人のせいか、いまひとつダンスに腰が入ってないような気がしたが?期待していたトロピカーナのダンスシーンも同様に、今ひとつ圧倒されるものがなかったのが残念かなあ……。★★★☆☆


非・バランス
年 95分 日本 カラー
監督:富樫森 脚本:風間志織
撮影:柴崎幸三 音楽:川崎真弘
出演:派谷恵美 小日向文世 はたのゆう 中村桃花 羽場裕一 柏原収史 土屋久美子 水上竜士 梅沢昌代 とまと 原田美枝子

2001/6/5/火 劇場(シネセゾン渋谷)
いや、ね、ちょっとホメすぎかなあ、という気もしないでもないんだけど、でも、ダメ。観ているうちに、そして特に観終わってからどんどんどんどん気持ちが膨れ上がっちゃって。すごい、もう、菊ちゃんが……ああ、菊ちゃん、最高!小日向文世、私って、舞台やテレビもほとんど見ないから、彼のこと、全然知らなかった。なんという不覚。絶対、今年度の助演男優?賞は彼が独占するに違いない。そうでなきゃ、イヤ!女の子ってね、いや、女の子という年齢を超えてしまったって、オカマさんと(という呼称が果たして本当に正しいのかは、ごめんなさい、わからないんだけど)友達に、引いてはこんな風に親友になりたいって思ってると思う。これって、逆はないだろうなあ。良かった、私、女で。私も思うもん。ああ、菊ちゃんみたいな、菊ちゃんと友達になりたい!って。それはなぜかっていうと、彼らは女の気持ちを知っていることだけではなく、傷つく心を充分すぎるほどに知っていて、だから優しくて、あったかいんだもの。

そして大人と友達になりたい、子供のころ、友達としてつき合える大人がいたら、ひょっとして私の人生もいろいろと変わっていたかもしれないな、っていう……。友達って、いろんなタイプがいると思うんだけど、自分と価値観が同じだったり、あるいは全く違ったり。でもただ一点、共通しているのは、自分と心が通い合えること。果たして私にはそんな友達がいるだろうか?本作のチアキはそんな友だちを2人も手に入れた。そのうちの1人である菊ちゃんは大人で、でも、チアキとは心が傷つきながらも強く生きていこうとする点でシンパシィを感じさせる大人。強いけど、弱くて、でもやっぱりしなやかで強くて、そして切ない。なんて素敵な大人!

そしてこの、少女映画としての、そして地方映画としての素晴らしさよ。もともと私は少女映画にコロッと弱いけれど、どちらかというと、丸っこい女の子が好きで、こういうスレンダーな女の子は少女映画としてのリアリティがないッ!なんて思ってたんだけど、でも、このチアキ役を演じている派谷恵美がね、ひょろっと長っ細い背丈と手足が、頼りなげでね。小学校時代に苛められたトラウマで、「クールに生きていく、友達を作らない」というルールをメモに書いて部屋にピンで貼りつけ、頑なに守っていこうとする。父親は単身赴任、共働きで忙しい母親は、そんなメモに気づくこともない。夜1人でレンタルビデオ屋に出かけて、ホラー映画を借りたりしているのも、多分知らない。

そんなときに出会うのがこのオカマの菊ちゃん。ゲイバーのママである菊ちゃんは、最初「願いをかなえる緑のおばさん」としての幻想でチアキの前に現われる。結局緑のおばさんというのは何だったのか、実在したのか、昔あった口裂け女みたいに、いわゆるハヤリモンだったのか、わからないけれど、チアキにとってはそれ以上の存在になってゆく。雨の日に出会ったその後も、チアキがピンチに陥ると不思議と菊ちゃんはその場に現われて助けてくれる。次第に仲良しになる。でも、だんだんと明るく陽気なだけに見えていた菊ちゃんの苦しみが見えてくる。好きな男の借金の連帯保証人になって、骨までしゃぶられて、それでもどうしようもなく好きで、離れられない菊ちゃん。

そんな間にも、チアキは学校でかつての自分のようにいじめられている女の子の存在に気づく。その子はチアキに訴えるような目を投げかけ、ふと発作的に学校の窓から飛び降りてしまう。骨折ですんだその子、ミズエはチアキになら話をしてもいいといい、病院に出かけたチアキは、知らず知らず自分の過去を話すようになっていく。菊ちゃんにも多分話していなかったこと。そして2人は友達になる。

このあたりが、友達の違い、というのかなあ。どちらがどうというのではなくて、菊ちゃんにはそんなことを話さなくったって、もっと気持ちの根源的な部分で共鳴しあっているという感じであって、このミズエとは、これからともに成長していく同志としての、ともに突っ込んで話し合うことによって深まるという友達であって。何かね、友達っていうことに関して、特に年を経るごとにかつての友達とどんどん疎遠になっちゃって、ふと気づくと、私って、友達いたかなあ?あるいは、友達がいなくたって、生きていけちゃうんだよね、なんて考えちゃうこの頃の自分にとって、ひときわこの2人の友達の位置関係というのは心に染みたんだよね。

チアキはミズエと同じ病院に入院している、菊ちゃんが借金を背負わされている男、マサヨシに遭遇する。きれいな奥さんと仲むつまじくしているのにショックを受ける。何で菊ちゃん、あんな男がいいの、とつめ寄るチアキは、確かに幼いゆえの未熟さではあるんだけど、それは一方で確かに真実をついていて、菊ちゃんはホレた男に対する自分の弱さを認めつつも認めたくないという、そういう危ういバランスの上で苦しんでて、それは確かに大人ゆえの弱さなんだけど、そこにすっと入ってくるのがチアキの子供としての強さ、友達としての強さだったのだ。

一方でチアキも、菊ちゃんの苦しむ姿を見て、大人の弱さ、苦しさを学んでゆく。菊ちゃんに元気になってもらいたくて、借金取立て屋にメチャメチャにされた店を1人できれいにして、マサヨシを病院から強奪して、菊ちゃんに会わせる。菊ちゃん、マサヨシさんの前で歌ってよ、菊ちゃんに元気になってもらいたいの、と。当のマサヨシは自分のせいだというのがこの期に及んでも今ひとつわかっておらず、チアキが菊ちゃんのためにと差し出した預金通帳を、こんなんでも足しになるか、とひったくろうとするサイテーな男。そしてさしもの菊ちゃんも、この場面でコイツに決別をする。頭から引っかぶってしまった緑色のペンキに全身を染めて、泣きわめきながら街路を疾走する。慌てて追いかけるチアキ。

この場面からが、とにかく良かった。神社の境内で顔を洗った菊ちゃんをこれ以上傷つけては、と、辞しようとするチアキを菊ちゃんが呼びとめ、あたしを1人にしないでよお!と抱きついて泣き叫ぶ。チアキはそんな菊ちゃんをしっかりと抱きしめて。あああ、涙腺ドバー!そして初めて出会った橋の上で2人はその長い夜を明かす。しらじらと朝が明けてきて、菊ちゃんの膝で眠りこけているチアキ。菊ちゃんはチアキに、あんたのおかげで何とか生きていけそうよ、といい、チアキの唇に軽く、チュッという感じでキスをする。これがねえ、もう、何かすごく、すんごく良かった。ちょっとドキドキもしたりして。そしてまたしても大泣きである。菊ちゃんはいつものように陽気に去っていき、しかしそれが最後の別れとなる。後日、チアキの家のポストにアパートの鍵を残し、彼女がそれで急いで部屋に入ると、緑のマントがぶら下がっていて、そこに手紙がある。今度はあんた自身で幸福をつかみなさい、あんたならできる、と。そしてチアキはようやく、本当にようやく、かつての自分のトラウマだったいじめられていた相手、ユカリに対峙する。

この場面がまたねー、ひたすらいいんである。このユカリの憎たらしさも実に堂に入っているのもお見事だし、チアキが、今まではこのユカリの顔を見るだけで、夢の中でも出てくる彼女にただただ怖気づいていたのが、ひとり飛びかかってゆく。それにしてもこのユカリ、チアキに呼び出されて一人で来ずに友達2人を両脇に携えてくるあたりが、もういかにもホント、憎たらしいんだけど、だからユカリもまた、自分1人ではいられない、自分の存在を誇示するために友達をはべらせたり、あるいはいじめたりするという、だからこれもまた、成長しきっていない、子供としての愚かしさ、なんだよね。実際、チアキはユカリを殴りつけながら、「友達だと思ってたのに、何でいじめた、友達だと思ってたのに、友達だと思ってたのに!」と叫び続ける。この言葉の悲痛さときたらなくって、またしても涙が出てくる(私、泣きすぎ……)。実際ユカリとチアキは友達だったに違いなく、ユカリは友達がどういうものかということを、菊ちゃんに出会う前のチアキのように、ちゃんと判っていなかった(そして、今も判ってない)のだ。だから、ユカリもまた、かわいそうなんだよね。しかし悪役としてのこの子の憎たらしさときたら、ほんとに天下一品。すごい。

懐かしの紺サージのジャンスカ制服、丈もしっかり膝下で、なんだか私は嬉しくなってしまった。ミズエと彼女をいじめてた女の子たちが茶髪ってだけで「三人組」なんてくくられて呼ばれちゃうのも、なんだか北の地方都市っぽくてイイ。寒い色した海も、そこででも精一杯カラフルなビーチパラソルや水着ではしゃいでいるのも。そこで、長さばっかりヒョロヒョロと成長してしまった幼い中学生の少女が、でもその背丈に合わせようと一生懸命成長していく、顔はブータレながらも、そんな、今では、見ることができなくなってしまったように思っていた少女がこんなふうに突然現れてくれると、嬉しいんだ。彼女がレンタルビデオ店の店員に誘われて実に不用意にフラフラついてっちゃって、彼の目的が判ってうろたえる様子も、「なんで(ついてったか)かなんて、わかんないよ!」というのも。なんだかさあ、近頃の子はすごく打算的でエンコウなんかもカンタンにやっちゃうみたいなイメージで、だからこんな子がたとえウソでも、なんだか嬉しくなっちゃうんだなあ。

この富樫森という監督さん、長編は初めてだけど、「かわいいひと」のエピソードの一つを担当した人だったんだ。あの映画はとてもよく覚えている。しかもこの富樫監督が担当したエピソードが一番好きだったから嬉しい。それは、三本の短編の中で、富樫監督だけが男女2人の関係をいわゆる恋愛にせずに、お互い他人なんだけど父親と娘のような関係を描いていたから。その女の子は屈託なく無邪気な女子中学生で、押されまくる椎名桔平も良かったし、彼が住んでいる古びた、しかし手入れのよく行き届いてそうなわびさびの効いた一軒家もツボだった。テーマソングであるウルフルズの「かわいいひと」の“かわいいひと”とは、お母さんのこと。それを思えば唯一テーマに則した作品だったわけで、しかも本作にもリンクしてるんだもの。それに風間志織監督を脚本家として名前を見るなんて初めてで驚いたけど、このコラボレーションはバッチリ。

ああ、もう、とにかく菊ちゃんが!!!菊ちゃんに、菊ちゃんみたいな人に、出会えたら、出会えてたらなあ!★★★★★


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