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「り」


2014年鑑賞作品

竜宮、暁のきみ
2013年 94分 日本 カラー
監督:青木克齊 脚本:青木克齊
撮影:松本貴之 音楽:ミヤタケタカキ
出演:石田法嗣 谷内里早 松本明子 西山浩司 小林ユウキチ 落合モトキ 金山一彦 中越恵美 中川琴音 丸山歩夢 小林あや 高橋寛栄 桂こけ枝 白川哲郎 角谷心之介 高岸陸 藤原由香里 横山透


2014/7/27/日 劇場(K's cinema/モーニング)
文楽の人形の遠き昔から、現代のファンタジーにつながるのは画的にもとても魅力的な気がしたけれど、何故だか乗り切れない。
主人公の石田法嗣君は、そうそう、こういうゴツい風貌の子に普通の男の子として主役を張らせることこそが大事なのよ、なんたって実力派だしね!と思って嬉しくもなるが、そして実際彼はセンシティブに演じているのだが、何故だか……。

何故だか、は実は判ってるのだ。とてもとても個人的な見解だからどうも言いにくいのだが、この女の子、ヒロインの子がどうにも私好みじゃないから(爆)。
女の子は女の子であるだけで素晴らしく、そんなにえり好みはせず女の子であるだけで大好きというのが基本のハズなのだが、おかしいなあ。

この子自体がどうにもなのか、あるいはこの役柄なのか、そこから醸し出されるキャラなのか、どうにも乗り切れない。
あのね、もう早々にオチバレで言っちゃうけれども、この子は実際は昏睡状態、彼の目にしか見えていない。
と、いうのは劇中ではそんな露骨には感じさせず、ただやたらと神出鬼没だったり、どこの子だかわからない風情とかから、そういう方面のワケアリっぽいことは察せられるのだが、まあ、そのファンタジー的オチはちゃんと最後までは持っていけてる。

持っていけてるんだけど、そういう設定だからそういうキャラになるのか、あるいはこういう女の子こそが可愛いということなのか、太郎の周りにキャイキャイまとわりつきまくるこのみずきが、う、うざっ!と思ってしまうのは私がオバハンだからなのだろーか。
いやでも、でもでも、少なくともこーゆー女の子は同性にはあんまり好かれないと思うよ……いや判んないけど(爆)。
こーゆー言い方するとホントオバハンだけど、なんか男慣れしてるようなキャラに見える(爆)。そこまで言うと言い過ぎか……クラスの男子と普通に明るく喋れるキャラ。つまり私がそうじゃなかった、クラい女子だったから(爆爆)。

後から、ああやっぱりそういう設定だったんだ……と思うにつけ、ふっと「月とキャベツ」を思い出したりした。別れの場面でダンスを見せるトコで、かなり確実にそう思った。
月キャベのヒバナは死んでいたんだから、パクリとまでは言わないまでも……まあこーゆーファンタジーはよくある話だからね……、月キャベのヒバナは実に私好み、なんであった。
何が違うと言われれば、何だろう……やはりどこかに、クラい女子がシンパシィを感じる翳があったし、それを持ちながらの明るさがけなげに感じた。そーゆーのを醸し出すのって、意外に難しいもんなんだね……。

本作のみずきはどうだかなあ……。うーん、ただ単に、このやたら薄い唇が決定的に私好みじゃないからかもしれない。
なんじゃそりゃ(爆)。だってだって、やっぱり情のあつい女の子は唇がふっくらとしていなきゃ。いずれエロへと転化していくことを考えてもコレ必須条件、重要。
この薄い唇をアヒル口気味に口角上げて、太郎と私、おとぎ話みたいじゃない?浦島太郎と乙姫!なんてきゃわきゃわ言われた日にゃあ、けっ、勝手にしろと言いたくなる(ああ、オバハン……)。

女の子が私好みじゃないことだけで、全てを忘れてヒートアップしてどうする(爆)。
そう、文楽がオーヴァーラップしていく物語は、確かに魅力的ではあるのだ。それはここまで言ってきたとおり、浦島太郎の物語。だけど、なんかそれは、彼と彼女に似た名前をつけて、時間を戻せたら云々という部分でこじつけただけのような気もしないでもない(爆)。

メインはかなりシリアスな物語なんだよね。大学生の太郎は久しぶりに里帰りをしている。地元の親友と海に来て潜って、はしゃいでいる。
もうあがれよ、と親友が言うのにも大丈夫大丈夫と耳を貸さず、そのことが後悔してもしきれない事故を招いてしまった。
明確には言わなかったけど、潮が満ち、溺れた太郎を親友が助けようとして、親友の方が死んでしまった、という図式だったのだろう。

親友の両親は太郎を責めることはしないし、町のみんなが落ち込む太郎を心配していることがそこここで示される。
一年が経ち、業を煮やしたもう一人の親友にぶっ飛ばされるまで、太郎はそのことに気づかず、ただ自分だけで落ち込んでいたことを知るんである。

そのもう一人の親友目当てで、本作に足を運んだようなところがある(爆)。最近気に入りの小林ユウキチ氏の名前をキャストに見つけたからなのだが、気に入りと言いながら唇の厚さでアタリをつけているようなところがあり(爆)、あれ、登場早々死んでしまった第一の親友が彼なのかしらんと、必死にスクリーンを見つめてしまった。
確かに唇の厚さはどっこいかも(爆)、第一の親友、正彦を演じた落合モトキ君もイイ男よ♪

しかししかし、小林氏、いやー、見るたび違う印象で嬉しくなる。何何何、桃農家というだけで桃県同志としては嬉しいが、日焼けしてひげをたくわえて伸びた髪で作業服も喪服も色っぽく似合う、イイ男!
いやー、やはりヨイわ、彼は。主人公の石田君とは色々対照的で(爆)。もちろん、役柄的な意味でよ(爆爆)。

勿論、太郎はこんなツラい体験をしたというのはそうなんだけど、東京の大学に出してもらって、「大学生はいろいろと忙しいんだよ」なんて久しぶりの地元で親友に向かって浮かれて言っていたあの言葉がやはり、物語っていたのだと思う。
その第一の親友、正彦も、桃農家の恭平も、この地元で踏ん張って生きてきたのだ。「いろいろと忙しい大学生」と違って、地に足をつけて踏ん張って。
きっとだからこそ、こんな事故が起こってしまって、太郎はあっという間に足をすくわれてしまった。家族のみならず、地元の人たちがみんな心配しているのも気づかずに、自分ひとり傷ついたような顔をして。

それもあるからかなあ。この“乙姫”のくだりが妙に浮いて感じるのは。
みずきは三年間も眠り続けているんだという。それはやはり海で溺れたんだという。海で溺れた、というだけで、太郎のように人を巻き込んだという話ではなさそうだし、やはりそこが太郎にとって一番重要であることを思うと、余計にみずきの存在が薄く感じられてしまうんである。
正直、浦島太郎の話にこじつけるのもアレだと思ったが、そのあたりを同級生にいじめられているみずきの弟を登場させることでクリアしようというのも更にアレな感じがする。

それにみずきの父親が出てこないのもね……。病室に詰めているのは母親だけで、だからといって母子家庭がどうのということが語られる訳でもなく、親を登場させる手筈の足りなさ、まあ母親を出しておけばいいでしょ、という感覚を感じてしまって、フェミニズムおばはんの私はどーにも引っかかるものを感じてしまうんである。
やっぱりね、大事よ、家族関係って。気になるよ、母親だけだと。そりゃ母親は判りやすく親の存在を示すものだし、一昔、いやふた昔前ならそれもありかもしれないけど、今はないよ。
まーなんつって、そういやー月キャベも母親からの手紙しかなかったけど(爆)、でも病室に、弟まで登場するんじゃやっぱり、ねえ。

そう、周囲は太郎を心配しているのだ。東京の大学を辞めて戻ってきてしまったが、家でゴロゴロしているだけで何をするでもない太郎に、父親は怒り、母親はそれをなだめ、祖母は静かに見守っている。
そうそう、妹もいる。元気な女子高生だが、妹という存在がいるのにそれ以上のキャラを出ないのもちょっと不満である。

この事故は本人以上に家族に大きな影響を与える筈だし、それはこの地元で学生として生活している妹は余計にそうじゃないだろうかと思ってしまう。
まあそんなことを言い出したらキリがないけど、そう考えさせるぐらいなら、妹なんて設定をナシにしてほしかったぐらいである。こういう小さなコミュニティで暮らすっていうのは、そういうことなんじゃないのと思っちゃう。

まあ、周囲が優しすぎるのかもしれない。それがこの香川のコミュニティということなのだろーか。
監督さんが香川の人じゃないのになあと思ったら、さぬき映画祭の応募作品ということなのか。なるほど……。微妙な距離感のズレは、ひょっとしたらそのあたりから出るのかなあ。

太郎の実家がやってる酒屋(兼雑貨屋?)の配達でそこここを周るんだけど、ラストに改めて太郎とみずきが立ち寄った場所場所が示されて、あー、やっぱり、名所の数々だったのね、と思う。
いわゆるパワースポット的な、大木だの神社だの貝合わせ祈願の場所だの、海が遠くに見える場所とか、まあ確かに画になる場所ばかりなんだけど、それだけに二人が巡っていくと次第に、配達のついでとはいえ、名所めぐりみたいだよなあ……と感じてくるんである。
こういうご当地映画の場合って、そういうところ、むしろストイックになった方が魅力的になる場合があるんだよね。その映画でだけ映される場所でこそ、というかさ。海に山がこんもりと迫っている画だけで神話的な魅力があると思う。

正直ね、香川ってことは全然、頭になくって見ていたのだ。でもクサッてばかりの太郎を恭平が飲みに連れ出した、中途半端なメイドカフェで、中途半端なかまたまうどんをすすっている恭平に、ああ、そうか、あの山が迫った海の感じとか、桃……は知らなかったけど、そうか、香川か、と思った。
浦島太郎が香川ってことは、知らなかったなあ。そうか、香川なのか。

時を閉じ込めたのが玉手箱で、もう自分の命も長くないと悟ったみずきは、太郎に「玉手箱だよ。開けたら太郎はおじいちゃんになっちゃうんだから」と小さな箱を手渡す。
実際はそれはオルゴールで、箱を開けると音色と共に、最後に太郎に披露したダンスをほうふつとするように、くるくると人形が舞い踊る。
何度となく挿入される、後悔してもしきれない、親友の手が離れた海中シーンは、おぼれてこん睡状態になったはずのみずきと共に手を取り合って、海面へと上昇していくシーンへ昇華する。うーん、上手く行きすぎ。

松本明子と西山浩二という夫婦コンビが、西山君(君と言いたくなる(爆))なんて久しぶりに見たし(ゴメン)、どうにも80年代風味ビシビシ。
西山君はともかく、松本明子ネーサンがシリアスお母さんのままだとゆーことに、居心地の悪さを感じるのはヘンケンなのだろーか。
しかも西山君はお酒飲むのに、彼女はその傍らでお行儀よくお茶をすする……なんかピンとこなーい!イメージって、コワい!

勝手な言い分なんだけど、せっかく文楽という伝統芸能を絡めるんなら、もう思いっきり、その異世界に連れて行ってほしかったなあ。
あんな、まんまワカモンの声を当てるんじゃなくて、その文楽の場面だけは、思いっきり異世界……いにしえの言葉で重々しい声の調子で、そこからリンクする現代の浦島の世界に飛んだら、溝が深いだけ、ファンタジーが伝説、説話、語り継がれる摩訶不思議にあいまってゾクゾクしたような気がして。

まー、つまり個人的にそーゆー風味の方が好きな訳。だってみずきちゃん、現代っぽ過ぎるんだもん。出てくるたびにオシャレに衣装替えるしさ。実際は昏睡してるくせに(爆)。
そこんところはヤハリ、月キャベを思い出してしまったからこそかもしれん。月キャベ、大好きなんだもん!!!★★☆☆☆


リュウグウノツカイ
2013年 60分 日本 カラー
監督:ウエダアツシ 脚本:ウエダアツシ
撮影:松井宏樹 音楽:佐藤和生
出演:寉岡萌希 武田梨奈 佐藤玲 樋井明日香 石橋なつみ 菅原瑞貴 相葉香凛 高木古都 小野木里奈 森田望智 関根大学 佐藤勇真 三浦俊輔 芹沢礼多汐谷恭一 nico 森永悠希 菜葉菜 古舘寛治

2014/8/3/日 劇場(K's cinema/モーニング)
女子高校生たちが妊娠協定を結び、一斉に妊娠した、集団妊娠事件。アメリカの漁村で実際にあった事件……そうなのか。
このアイディア一発で凄くオリジナリティがあって面白いと思ったが、印象としてはホントにそのアイディア一発で終わってしまった気もしたもんで(汗)、そっか、実際にあった事件かあ、とつい思ってしまった。
そりゃあこんな事件を目にしたら、これは面白い、映画になる!と思ってしまうだろうし、それこそ早いもの勝ち、ツバつけたもの勝ちだよなと思う。

でもやっぱり何かのアイディアを元にして創作物を作るならば、そこから発展し、決着するものが欲しいと思う。いや確かに発展させてはいるのだろうけれど……決着、はしたのだろうかと思っちゃう。
いやいや、この物語に決着をつけようとしたら、それこそ彼女たちが赤ちゃんを産み、育て、どんな“国”を作りおおせたか、というところまでを見なければいけない。そうなるとそれこそ、ファンタジーになってしまう。
かといって現実がどうなるかなんてことは、誰にも判らない。ファンタジーのような現実が待っていたのかもしれないし。

などと思ったのは、根本的な部分では、フェミニズム野郎としては、この彼女たちには充分に共感する部分があるなと思ったから。
女子高生、つまりティーンエイジャーの感覚的な部分っていうのは、こういう理由だからこうしたい、という部分をすっ飛ばしている、それこそが魅力であり、先述したような、決着がどうこう、なんていうことを言っちゃったらそれこそヤボだとは思う。言っといてナンだけど(爆)。
この妊娠協定の言いだしっぺ、最初からそのお腹に赤ちゃんを宿していたヒロインの真姫が言った、「みんなで赤ちゃん産んで国作ろうよ」という言葉は、そうした感覚的な魅力にあふれていた。
だからこそ、“国”がどうなるのか、予感だけでも感じたかったのだ。せめて予感だけでも、決着が欲しかった。

ちょっとね、どうしたいのか判らなかったんだよね。てか、女の子たちが多すぎて、キャラ構成が既によく判んなかった(爆)。あーもう、それは私のバカのせいです、すんませんね!
言いだしっぺの真姫は父親と二人暮らしっぽく、父親が酒浸りで荒れている。開発工事がこの漁村をメタメタにしたことは、判りやすく書きなぐったのぼりやら、少人数のおっちゃんたちがトボトボ歩くショボいデモ行進(だって誰も見てない)で判るにしても、それがこの少女たちのどこにどう影響が出ているのかがイマイチ判りづらい。

いや、結果的にはこの開発工事側に回っているのが孝子という、このグループの中で出来のいい少女だけで、他は皆猟師たちで、表面上は仲良くしてるけど腹の中では実は……みたいなことらしいんだけど、それも物語がそれなりに進んだ中盤以降で「みんなそう思ってるくせに!!」みたいに正義をかざした女子がいきなり言い出すもんでビックリするぐらいで(爆爆)。

ホント、真姫がなんでブンむくれて孝子と口をきかないのか、それを幸枝が一人、なんでとりもとうとあくせくしているのか、他の女子たちはキャーキャー言ってるだけでイマイチキャラが判んないし。
突然、都会で女優やってた転校生が帰ってきたりするし、それってファムファタルっぽくって、すんごい大きな波紋を投げかけるのかと思ったらそうでもなく、……なんかなんか、よく判んないんだよう!

バカだと言ってください、私を……。でもね、女の子好きとしては、女の子の可愛さが今一つ伝わってこないのはやっぱり不満だったんだよね。
不遜を承知で言っちゃうと、女の子の可愛さがどういうことなのか、判ってないと言いたくなる(爆)。
事実が元とはいえこのアイディアは秀逸だし、そう、このアイディアは女の子の可愛さの中に隠し持った強さを発揮できるアイディアだったと思うし……。
きっと作り手さん側もそういうアプローチであっただろうとは思うんだけど、きっとそうだとは思うんだけど……もう、ハッキリ言っちゃう。女の子が、可愛くないっ。

いや、勿論、ビジュアル的にはみんな充分可愛いよ。いやいや、それ以前に、女の子は女の子であるだけで可愛いんだもんっ。
でもなんかね……ただキャーキャー言ってるようにしか見えないの。ウルサイの(爆)。
それは、メインキャストの数人を引き立たせるための作戦だったのか、いや、結構メインキャストもその中でキャーキャー言ってるしなあ。

いや、ね。女の子は確かにキャーキャー言うイキモンよ。でもそれは、その中からエネルギーが出てきて、何かをなしていくパワーが出てくるキャーキャーなんだもん。
正直、この彼女たちはただキャーキャーうるさいだけにしか聞こえない(爆)。女の子のキャーキャーって、描写がこんなに難しいもんだったのか。

うーん、でも、それも計算なのかなあ。特にウルサイと感じるのは、彼女たちを取材する場面において顕著なんだもん。
リュウグウノツカイを発見した時と、集団妊娠事件が発覚した時に、メディアに取材される時。その時のキャーキャー。

つまり、彼女たちがメディアに対して意識的にそうしていると感じ取れれば、それは確かに深い物語になりそうなもんだったんだけど、皆で群れ集まってる時も、ただただキャーキャー言ってるだけって感じがあったからなあ……。
普段だったらフツーに、そういう女の子たちのかしましさにカワイイと思える私なのだが、なんでだかもう、イラついてしょうがなかったのは、やっぱりメイン以外の女の子たちの顔が見えにくかったからなのかなあ。

見えにくかったのは、女の子たちだけではなく、先述したように家族、そしてこの漁村の問題も同様、なのだよね。
てゆーか、まあ、私は最近3.11バカになっているらしいことを、外からの指摘で直面させられて、結構ガクゼンとしたんである。それ以前はおおらかに、いわばノーテンキに物事をとらえられていたのかもしれない……。
この漁村の問題は単なる開発工事であって、3.11とは関係ない。しかし3.11バカの私は、魚を返せというのぼりや、仕事を奪われた猟師たちの姿、そしてまるで奇形の怪魚のように姿を見せた、タイトルロールのリュウグウノツカイに、また自分勝手に3.11を頭に上らせちゃったんだよね。

そうじゃないんだ、これはただの開発工事によって仕事を奪われた漁村の物語なんだと思っても、その工事によって海が汚され、それを憂える真姫たちが油膜だの透明度だの成分だのと、水質調査をしてる姿に、どうしてもやっぱりやっぱり、重ね合わせちゃうんだよね。
これはやはり、3.11バカなの?でもどうしようもないじゃない。あの出来事が起こってしまった以上、もうそれを抜きに考えることは出来ない。

でも本作に関しては、リュウグウノツカイや、開発工事は彼女たちの集団妊娠事件にどう影響を与えたという形にしたかったんだろうか。
実際の事件がどういう決着になったのか、ただ、若い女の子たちの浅薄さで片づけられたのか、判らない。
でも本作はなんといってもヒロインの真姫の「国を作ろうよ」という台詞が鮮烈だったし、女の子好き、フェミニズム野郎の私としては、そうそう、女だけで国を作ったら超理想!とか言いたいぐらいだったから(爆)。

男子にとって子供を作るには相手が誰かが明確にならざるを得ないが、女子はその点自由に作れる(爆)、そう、ある意味女子がその気になれば女だけの国が作れるのだっ、とか言い出したら、ホントに危険なフェミニズム野郎(爆爆)。
でも時にそう言いたくなるほど、いつまで経っても女子の社会的立場は上がらないし、国の発展も社会の発展も人であることは明白なのに、それを生み出せる存在の女子に、世界は、日本は、冷たすぎるっ(自分は産んでないくせに……)。

そう、確かにとても魅力的な題材だけど、ウッカリ手を出したらキケンなのよ、と言いたいっ。
そうなの、私は、彼女たちが作る“国”を見たかった。確かにその予感を感じさせなくはないラストではあった。
いくら無敵の女の子たちであっても、まだ未成年、扶養される立場、全てが自由になる訳じゃない。
幸枝はこの漁村の運命に負けて命を落とした父親によって、この地を離れなければならなくなる。成人していたら、親の事情で左右されるなんてことはないのに。

いや、それも日本的な考え方だろうか。たとえ成人していても、親思いの子なら、ついていくということもあるだろうか。
幸枝は猟師をやってる彼氏がいて、その彼の子供を妊娠したいと頑張っていたけど出来なくて、リーダーを担った孝子から厳しく叱責された。
でもその彼氏は、果たして幸枝と子供を作る気があっただろうか。そのことについて話したんだろうか。そもそもちゃんとそんな関係だっただろうか。

そんなところも疑問に思ってしまうほど、なんだか掘り下げに甘さを感じるってのが正直な印象なんである。
そもそも真姫の相手も工事反対のデモに参加している若き猟師だけれど、彼らの間にどんな葛藤があったのかってのはまあ……この人数とこの尺じゃムリだよね。
だからこのキャーキャーの女の子たちに違和感があるんだって(爆)。うーん、せめてせめて、ただ一人の開発工事側の孝子ちゃん、彼女の掘り下げに満足いくものがあったならばなあ。

確かに彼女は、その家は中傷のペイントやのぼりで埋め尽くされ、シュプレヒコールを浴びせられ、他の子たちに気兼ねして、なんたって幸枝の父親は亡くなってしまったんだからひれ伏して謝るし、カワイソーな子なんだけど、そもそも肝心な、その親側が出てこない。そ、それって(爆)。
彼女が友達に対して葛藤し、ならば親の仕事に反発するとか、そこまでいかなくても悩むとか、その親が、出てこないって……。他の、つぶされる親たちは出てくるのに。

糾弾する側は、そりゃ描きやすいもんなあ……孝子の親を出さずに、彼女だけを単純に葛藤させるんなら、もっともっと深く葛藤させなきゃしょうがないんじゃないの。
結構アッサリ友達たちに許されて、この集団妊娠協定のリーダーを任されて、なかなか妊娠がかなわないメンバーを鬼のように叱責するなんて変貌を遂げる、そのギャップは、深く葛藤させた上で生きてくるもんじゃないの。
そもそもこの集団妊娠計画は家出同然の集団生活によって実現されるもんなんだし、この集団をきちんと構築せずにただのキャーキャーにさせちゃった気がして、どうもすっきりしないんだよなあ……。

それでいったらかなり意味不明なのが、彼女たちに引っ張り出されるただ一人の男子学生なんである。彼とセックスした子もいたような気はするが、……いたっけ??あんまり印象に残ってない……。
彼もバックグラウンドが全く判らず、中盤まではただ、女子たちにイジられて(イジメられてるキワキワって感じだが)、一緒に戯れてる感じなんだけど、後半のイチシーンで突然、ノイズまじりの意味ありげな、アーティスティックなシークエンスが用意されて、なんか彼、崖から飛び降りた??え、え何何、と……。
作り手側はやっぱり、あの奇形のような大魚、リュウグウノツカイ、そこからつながる集団妊娠事件に社会的な意味を持たせたかったのかなあ。でも、でもでも、全然判んないよー!!

アイディアも、着想も、とてもそそられただけに、それは勝手な期待だったんだけどさ。
いやでも……少なくとも、作り手側が、元ネタとなった集団妊娠事件を、女の子たちの意志としてポジティブにとらえたのだと、それだけは思いたい。

軽くぐぐるとヤハリ、この事件は少女たちのアサハカさで片づけられているみたいだから……女の子は、女は、特に女子同士で協定を結ぶなんて決意をする時には、決して決して、アサハカなんかじゃないよ!!
……あっそうか……そういう、社会的側面と現実とのギャップを、メディアの取材ではただただキャーキャー言ってた彼女たち、という描写で示していたのかなあ……うっ、判んなかった。
それが判ってグッとこれたら超良かったのに!!うーむ、こんなこと言ったらマジフェミニズムだが、これは女性監督に作ってほしかったかも(爆)。★★☆☆☆


リルウの冒険
2012年 117分 日本 カラー
監督:熊坂出 脚本:熊坂出
撮影:熊坂出 音楽:清水靖晃
出演:ジャバテ璃瑠 仲村渠さえら ラミン・ユール・ジャバテ りりィ

2014/9/1/月 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
こういう詩的少女ファンタジーをゆるゆると受け止められたら凄く良かったと思うんだけど、生活時間帯外&寝不足&疲れでなかなかに苦戦。
うーん、本当はこんな言い訳は絶対したくないのだが、少女たちが都会に突然の行方不明あたりから感じた、何となくの社会派のニオイに微妙に過剰反応してしまったかもしれない。
本当にそんなんじゃなくて、この詩の中にその身をゆだねれば良かったのに。

この監督さんは、二作目はどんなんだろう、とちょっと気にしていた人。デビュー作がもう社会派ヒューマンだったから……そんな感じで肩ひじ張って失速する新人さんもいなくはないから。
勿論、作品を見ればその実力は判るんだけど、そんなことで勝手に心配していた(爆)。商業映画を手掛けていたことも知らなかったので、このオリジナル二作目までにずいぶん間があいた感じもしたし。

本作でもキーパーソンと言えるりりィ氏は、その、デビュー作で主演を務めたお人。のみならず、その後も監督さんの作品には欠かせないお人らしい。りりィ氏によって、彼の作品の方向性が決まるのかもしれない。
正直、りりィ氏が本作で演じたキャラは、そうした何となくの社会派のニオイをかっちりと定めるような立ち位置で、だからこそ余計にその方向性を妙に確信してしまう部分がある。本作があの3.11直後に作られたと聞けば余計である。
なあんて、ね。また3.11バカになってしまう私。でも、3.11後に、どうしてもなにがしかの影響を受けてしまうならどう作るのか、それはクリエイターの才能や個性をハッキリと打ち出すものかもしれない、とも思う。

まあ私がごちゃごちゃ言っても、タイトルロールとなっているヒロイン、リルウ、彼女を据えたことでもう、勝負には勝ったと言っていいんじゃないかとも思っちゃう。日本映画でこうした出自の、しかも少女がヒロインとなるなんて、もうそれだけで唯一無二なんだもの。
「リルウって、笑わないよな」と同級生の男の子に言われ(でもあの子はちょっとヒロイックでイイ!)、実際ぶーたれまくっている女の子。
クラスメイトと上手くやっているようにはお世辞にも見えないし、彼女自身、両親にこんなことを聞いてみるのだ。「私って、笑わない子だった?」
今だって充分子供なのに、自分がいつから笑わない”子”だったのか、思い出せないというのだ。

リルウ、その名前から判る、純日本人じゃない女の子。作品中でハッキリとどことどこのハーフ、と言っていただろうか、ただミュージシャンであるお父さんのユール(実際にも彼女のお父さん!)がギニア人で、そりゃー、外見からハッキリと判る。
舞台は沖縄で、沖縄っていえばその土地柄、ハーフは特に珍しくないだろうし、それでなくてもエキゾチックなお顔立ちが多いし、そんでもってキラキラネームは今や時代の風潮、リルウという名前の日本人の女の子がいたって別におかしくないかもしれないし。

でもその中でもやはり、リルウは際立っている。それはアフリカ系の珍しさ以上に、ホントにその”ブータレ”加減、なんである。
小さな目は日本人のお母さん譲りなのだろうか。お父さんはヤハリ”ガイジン”のハッキリと大きなお目めをしているのだもの。リルウが友達になるココロちゃんの方が、よっぽど二重瞼のぱっちり大きなお目めなぐらい。

リルウに扮するジャバテ瑠璃(これで実際にもリルウと読むのか!)と監督との出会いから本作はスタートしたみたいな感じだけど、沖縄というのはどこから出てきたんだろう。
そんな、作品のルーツがいろいろと気になってしまう。だって舞台となる沖縄は、本作のある意味での主人公のようなものだから。
ユールの奏でる音楽が子供たちを解放し、ガラクタを楽器に見立て、身体を風のように自由にゆだねて表現する子供たち。
その中でブータレてるリルウと、友達になるこころ。だからこその際立ち。これが東京だったら、何もかもが違っていただろうし。
いや、物語のクライマックスで、少女たちは夢の世界で東京に飛ぶんだから、東京以外のどこかでなければいけなかったのだろうが。

ネムネムの中でもね、必死こいて(爆)、本作のキモを探していたように思う。もし私が彼女たちと同じ世代の子供ならば、そんなつまらないことを考えずに、身をゆだねていただろうかと思うと、やはり少し、年を重ねることが寂しく思う。
記憶の中では、”子供らしく笑う”なんてことがどんなに難しいことか、そのことで苦しめられた子供時代を思い出すことができるし、ブータレるリルウこそが、あの頃の自分だと思う。

仲良しの友達の前でだけしか、笑えなかった子供時代。いや、そもそも、”笑える”という感覚さえなかった。
リルウとこころはお互いを気にしていた。こころはいつも笑っていたのに突然笑わなくなったから、リルウは気になっていた。そしてこころがリルウを気にしていたのは……子供らしい直感で、運命の友達だと、見抜いていたんだろうか。

こころが笑い上戸だったのに笑わなくなった、というのは、説明的に示されるだけで、実際にそのギャップをイマイチ実感できないのがちょっとツラいところである。
ただ、そのくるくると大きな瞳で、次々と大人びた行動をおし進めるこころちゃんに、背丈も風貌もリルウの方がよっぽど年齢上に見えるのに(まあ、実年齢がそうだから)、どんどん押し切られるのが、面白いんである。
現代的な家族事情、こころちゃんは母子家庭で、そして今、死にゆくおじいちゃんを一人、見舞っている。

そんなこころちゃんをリルウがこっそりつけていくシーンがなんともイイ。このあたりから、少女たちが迷路に迷う感覚が先んじて示されている。
繁華街からいきなり異世界への近道のような路地を抜け、あらっぽく造成された崖道をのぼるあの感覚は、その後の、異世界への迷い道をハッキリと示している……ことを、後から思い返すとなるほどなァと思うんである。

やっぱり、女の子の方が、死の世界に敏感に隣接しているように思う。だからこそ巫女とかイタコとか、女性なのかもしれん、などと思う。
もう植物状態のようなおじいちゃん、年輪をぎっしりとその顔のしわに重ねたおじいちゃんに、野の花を摘んで見舞うこころ、そんなこころをつけてくるリルウ。

仲良くなった二人は、こころの家にお泊りし、こころのとっておきの秘密、夢日記を共有する。
なのに、こころはこの場所に自ら誘い出しはしなかったのだ。でもリルウがつけてきたことは、まるで判っていたような風情にも見えたけど。
そしてその後、こころはこつぜんと姿を消してしまう。今までありがとう、なんてそれっぽい言葉を残して。それも「こころちゃんから緊急事態だって!」なんて電話の向こうで。

携帯やらスマホがこんなに浸透している今でさえ、そうなのだろうか。コードでつながった電話の向こうの異世界感。
こころちゃんが子供らしからぬ深夜にかけてきた電話、そしてこころちゃんとリルウが共に迷いこむ、誰一人知る人のいない大都会、東京での公衆電話。
公衆電話なんてものが、まだギリギリ成立するのか。有線、そしてボックス、やっぱりそれは、携帯やスマホではない、アナログから通じる異世界を感じさせる。これってドラえもん世代かしらん??

こころちゃんが突然行方不明になり、なんの脈略もなく東京のビルの屋上で発見されて、マスコミは色めき立った。怪奇現象か、はたまた誘拐か。
少女という魅力あるファクター、沖縄という魅惑の南国から、どんなエセ話も作りやすい東京へ。
マスコミが詰めかけ、教師たちは子供たちに戒厳令を出す。その理由をもっともらしく述べて見せる現代の子供たち。
こころの友達であるリルウが違和感を感じるのは、確かに当然だったかもしれない。

ただすこうし、このあたりから介入してくる社会派の匂いが、少しずつ、子供たちのピュアファンタジーの感覚に影を落としてくる感じはしている。
判らない。何がいいのかなんて。子供だって、大人の世界の庇護のもとに生きている。庇護という名のトゲである場合も沢山ある。無関係ではいられない。
それをしたたかに受け止めているのが、リルウとこころ以外のクラスメイトたちであり、「こころちゃんにいいことないから」マスコミに余計なことを言わないでおこう、と大人の論理でハキハキ論じたりするんである。

そんなかりそめの大人の言葉を持たないリルウが、まるで獣のようにこの女の子に食ってかかるシーンが、大人から見てもこのコドモオトナの矛盾にモヤモヤしている気分を上手く示してくれる。
子役の演じる上手いケンカ演技じゃなくて、押し相撲みたいにぎこちなく怒りをぶつけあうのが、生々しい子供らしさを感じてイイ。

こころの夢日記から、古びたぴこぴこゲーム「CANCANハンター」に行き着くのは、そこが異次元の出入り口になるってのは、さすがにちょっと気恥ずかしい気持ちはしたけどね……。
それに結局、そこが出入り口にもならなかったし、最終的にはこころはCANCANハンターにちっとも興味を示さず、リルウが戻ってきたのもそのゲームとは関係なかったもんなあ……。
たしかにこの、インベーダーゲームをほうふつとさせる、アナログギザギザ系ゲームは魅力的だが、その感覚を抱くのは一体どの世代までなのか……。

こころちゃんは、とにかくおじいちゃんを心配していた。東京のビルの屋上で見つかっても、おじいちゃんと同じような植物状態になってしまった。
同じく異次元の扉をあけたリルウは元気なこころちゃんと再会、りりィ氏が経営する“孤児院”のお世話になる。
私に出来るのはおじいちゃんに夢日記を聞かせることだと、こころはリルウとひたすら夢日記作成に没頭する。早く出口となるゲームセンターに行かなければと焦るリルウに反してこころはマイペース。
こころとママを捨てた“ジャズロックピアニスト”のお父さんを探して、覗き見たりする。なんかケンカとかもして結局、リルウだけが現実の世界に戻る。病院で目覚めるんである。

本作の最初から、何度も何度も、しつこいぐらいに、リルウのお父さんが語り部よろしく出てきて、これはリルウの始まりの始まりの物語だと、言うのね。そこから始まる物語は、残念ながらお見せできない。これはその以前の、始まりの始まりの物語だと。
それはつまり、リルウがまだ大人になっていない、大人の女になっていない、もっと言ってしまえば、やはりそこには、処女性というものがつきまとってくるんじゃないかとも思う。

リルウは実年齢もこころよりみっつほど上だし、この年頃の少女においては、それはとても大きなことだと思うし。
そんなリルウがまだ少女なら、あれだけ影の部分を飲み込んでいたこころは、やはりまだまだ、少女少女、なのだ。心の中は大人に進んでいるからこそ、だからこそ、切なく痛く苦しいのだ。

でもお父さんがあんまりあんまり、何度も何度も、始まりの始まりであって、まだ始まっていないと、本当に何度も言うもんだからしまいにはウザくなったりして(爆)。
それに、リルウは判ったけど、その始まりに現時点でたどり着けていないこころちゃんのことだって気になるしさ……。なんか凄く、難しいの!!★★★☆☆


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