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「も」


2014年鑑賞作品

物置のピアノ
2014年 115分 日本 カラー
監督:似内千晶 脚本:斎藤三保 橘内裕人 笠原希
撮影:岡雅一 音楽:
出演:芳根京子 小篠恵奈 渡辺貴裕 西野実見 平田満 赤間麻里子 神田香織 佐野史郎 長谷川初範 織本順吉 佐々木優和 佐々木祐芽 今江佑翔


2014/10/5/日 劇場(ポレポレ東中野/モーニング)
本作は地元の先行上映で母親に先を越された(爆)。ということは、地元ではそれなりに盛り上がっていたということかな?
確かに地元有力新聞二社ともが協賛しているし、震災≒福島ではどうしても原発、放射能、つまりは浜通りということになってしまうのだが、本作は私の実家もある中通りが舞台。
浜通りではない福島で、そして福島市という、福島の名前が入る土地で、フクシマ、原発という何とも言えない距離感がある感覚を、すくいとってくれた映画だと思う。

つまりそれは、フクシマ=原発=放射能という図式に疲弊しきっていた中での救いでもあり、言ってしまえば本作は原発も放射能もなくったって成立する物語なのだからなァ。
などと思うと、そもそも本作は震災の前に製作がスタートしていたのだし、当然最初のシナリオにはその影響はなかった筈だよね??と思うと、本作からそれをすっぱり取り去ったらどうなっていたのか、少し興味があるところでも、あるんである。

そもそも本作は、実際に舞台である桑折町出身の方によって書かれた脚本だというし、ならばその最初は本当に、純粋に、福島県中通り、東北だけど東京に近い、だけど桃畑と田んぼがどこまでも広がる田舎町での物語であったはずなのだ。
ピアニストを夢見る少女、優秀な姉との確執、幼くして死んでしまった弟への哀惜と後悔の思い、等々……普遍的、王道なテーマを盛り込みつつも、やはり私的には、福島県中通り、という、ここに住んだことがなければ判らない、東北地方だけど東京との微妙な距離感とか、東北としての強烈な個性として他と負けてしまっているような思いとか、なんか色々ある訳で、そういうことが描けていたら面白かっただろうなあ、と思ったんであった。

当然、震災後、脚本家さん自身が、なんたってその地元出身なんだから、正直な気持ちを折りこんで改稿を重ねたんだとは思うし、震災、福島、原発に関する微妙、なんとも言えない距離感は確かに、そうそう!と溜飲が下がる部分もありつつ……。
うん、なんかね、複雑だよね。震災後に現代の映画を作ろうと思えば、そりゃ影響を受けずにはいられない。ずっぱり震災映画じゃなくったって、震災があったことをスルーした現代劇はどうしても描けないのだ。少なくとも10年ぐらいは、それは避けようがないと思う。

でも、それこそこの映画館、ポレポレ東中野でさんざっぱら、雨後の筍のように、いやボウフラのように(爆)湧き出てくる震災関連の社会派映画を、いくら福島民だからって、全て観たいとは思わない。てか、もう見たくない。正直言うと、ウンザリなんである(爆)。
皆が真摯に作っているとは思うけど、正直正直、いいネタなんでしょと、こうも次から次へと出てくるともう本当にウンザリ。

深刻な事態だってことぐらい判ってる。でも日々日常、眉間にシワ寄せて暮らす訳にはいかないでしょ。
震災後も福島のどこかに暮らしている人たちなら、日常があるんだもの。普通に、暮らしているんだもの。
それが、もはや住むことを許されなくなった沿岸部から、そう遠く離れていない中通りの人たちにとっては、この距離感はなかなかに……微妙なんである。

と、個人的な感慨ばかりで話を進めてしまったが。そう、これが震災がなくして作られていたら、それこそ東京の劇場にだってかかってなかったかもしれないんだけど(爆)。
でもね、本作は、音楽映画としても意味ある作られ方をしていると思うし。タイトルから示す通り勿論、ピアノもそうなんだけど、ヒロインの春香が所属している吹奏楽部、そして感動のクライマックスにかぶさる合唱、福島市はどちらも全国的にもかなりお強いんですもの!

ということがあんまり知られてないと思うんですが……てか私自身もあんまり判ってなかったし(爆)。
それだけにクライマックスのカンドーの「ふるさと」の合唱が、ま、まさかの東京の合唱団。そ、そんな(爆)。
いやまあそりゃあ、舞台は保原高校吹奏楽、吹奏楽をちゃんと見せりゃそれでいいのかもしれないのだがさあ……。

でも、吹奏楽もそんなにちゃんと見せてなかったような(爆)。せっかくの、仮設住宅の人たちのための音楽イベント、吹奏楽部は紆余曲折あった中、皆で力を合わせて練習を重ねてきたのに、クラシックの音楽にイマイチな反応のご老人方。
結局盛り上がるのは、春香のピアノからスタートする「ふるさと」しかも、彼女のピアノテクを見せるためだけとしか思えない、超絶技巧の前奏にいささか鼻白んじゃうし。
まあ仕方ないか、なんつってもタイトルのピアノ、ピアニストになりたい夢を抱えて言えないままここまで来た地味系妹、春香の物語なんだから……。

うーむでも、ならばヤハリ、このヒロインは福島の子にしてほしかったけど!!てか、当然こうした企画だから福島もメインにしてオーディションをしたらしいんだけど、東京の子に負けた(爆)。
準ヒロインのお姉ちゃんも含め、ほとんどが東京キャストであることが、こうした企画においてはあまりにも悲しい!

……ピアニストが夢で、高校三年の夏が終わった時点で音大に挑戦したいと思うほど(爆。ちょっと非現実的な……)、つまり弾ける子で、演技も出来て、という女の子は、ヤハリ福島では探すのが難しいのか……。
そういう仕方なさはあるかもしれんが、でもならば、せめて、福島言葉で製作するぐらいの気概は見せてほしかった。

地方発の映画って、まだ、いまだに、この部分をクリアできていない、それが悔しい。関西発なら全然出来ているのが更に悔しい(爆)。
福島訛りぐらいなら、字幕も使わずイケるんだから、まあ製作上、時間や費用の問題もあるのかもしれんが、せっかく作るのなら、それ位はやってほしかったと思う!
福島の柔らかな訛りは、とても癒されるのよ。とても素敵だと思うからさ……。地元民のエキストラさんに喋らせるだけで終わりでは、あまりにアイデンティティがなさすぎるよ!!

そう、ヒロインの親友役でさえ、福島じゃないんだもの。あ、でも彼女は茨木出身、なら、結構福島にアクセント近いと思うのになあ……などと、なんかもう、作品自体からどんどん離れてしまっている……。うーむ、いかんいかん。
あ、でもこのヒロインの親友は、赤ちゃんを宿してしまって、それを「放射能とかいろいろあるから……」と言われてしまって彼氏と大ゲンカ、というシークエンスがあり、それはまさに福島。
そして“とかいろいろあるから”ぐらいなところで悩む余地があるあたりが中通りの微妙感であって。

それを茨城出身の子が演じるというのは、まあそうやって何でも意味づけるのもアレなんだけど、やっぱり原発、そして事故、という同じ経験を持つ土地だからさ……。
うーむ、ダメだな、そういう観点の映画にウンザリしているとか言いながら、ついつい結びつけてしまうこのていたらく。難しいわ、ホント!

それが、震災からまだ3年しか経っていない、福島の、中通りの現状ということなのかもしれない。
ヒロインのおじいちゃんが桃農家、というのは、これはさすがに最初の脚本からあったこと……かな?だよね?なんたって福島の中通りが誇る桃!なんだから!!
生産量が二位でも美味しさは日本一!(だと個人的に、いや全福島県民、いや一度食べてもらえればみんな思ってくれると思う!!)

劇中、おじいちゃんが貧乏農家から戦後ようやく土地がゲット出来て、日本一の桃を作るという夢を持ってやっていた、と語るシークエンスがあり、将来の夢に悩む春香が「じゃあおじいちゃんは、夢がかなったんだね」と言う。これは福島県民としては、きっちり言っときたい部分なんである!!
劇中でも描かれているけれど、震災後は、まあ仕方ないかもしれないけど……ホント、ぱったりと市場に出なくなって、今は出てくるようになっては来たけど、でもね、会社でお中元の手配とかやると判るの。有名デパートのギフトカタログには絶対載っからない。それが悔しくてならないの!!

……うーむ、なんか全然メインテーマにいかないけれども。そう、タイトル、凄く素敵だと思ったんだよね。物置のピアノ。いろんなことを想起させる。
まあ割と想像通りな気はしたけど(爆)、地味系妹が自分だけの世界、ただ一つの落ち着く場所。それは、埃っぽい物置にせまっ苦しく置かれたアプライトピアノ。
でもボケかけたおじいちゃんの失火で火事になっちゃう。おじいちゃんは、震災後桃が売れなくなって、直接的にも小さな子を持つ若い母親からキツい言葉を投げかけられて、怒り、ショックを受け、ボケがひどくなっちゃう。
この軽トラ市のシーンは、これもまたかなり想像通りではあるけど、もう見たくないセオリーだからさ……仕方ないんだけど……仕方ないだけに!いや仕方なくなんかない!!ちゃんと検査して出荷しているんだもの!!

火事で燃えて、水に濡れて、もう音が鳴らなくなってしまったピアノに、呆然とするばかりの春香。
しかし後半、お盆に幼い弟が帰ってきたのか、蛍の光に誘われて物置に入ると、自動演奏ピアノのように音が鳴り出す。かつてお姉ちゃんと一緒に連弾した曲。思わず伴奏を合わせる。
そうするといつのまにやらお姉ちゃんもやってきて一緒に連弾。お墓参りから帰ってきた両親とおじいちゃん、犬のチビが、鳴らなかった筈の物置のピアノの音に耳を澄ませる……。

かなーり、大事なトコをいろいろと言い落している(爆)。こういう青春ストーリーには欠かせない淡い恋愛模様。
仮設住宅に越してきた、つまり浜通りからの移住者、母親を津波で亡くしたらしい(まだ見つからない、という台詞から推測するしかないが、この震災でそうならば、それしかないだろう……)、トランペット吹きの少年。
仕事が見つからないことでクサる父親に佐野史郎。せっかくの佐野史郎なのに、この設定が……うーん言ってしまえば、まあそれこそ、想像通り、なんか私そればっかり言ってるけど。

でも想像通りだからこそ、どれだけのものを込めるのか、というのは大切だと思うからさ……。
正直言うと、仕事が見つかった途端にあっさり機嫌が直り、鼻歌まじりに焼きそばなんぞ作っちまう父親像にはう、うーむと思うが……しかも会話の最中ずーっと火がつけっぱなしで炒めすぎだし……いやそんなことを突っ込んじゃいけないのか……でも突っ込みたくなるわ……。

この男の子、会川君との関係は、なんか、消化不良だった気がする。恐らくだけど、彼は震災後、改訂後に付け加えられたキャラ、だよね?仮設住宅に引っ越してきた、という部分を単純に考えてそう思ったけど、ヒロインの淡い恋の相手としても、ちょっと物足りない感じがしたし……。
てか、彼はあくまで仮設住宅に引っ越してきた、ここの地元の人たちとはどうしても乖離があるキャラクターであり、春香と音楽を介して心を通じ合わせるにしても、春香自身が震災、そして仮設住宅の人たちに対して、感情も理解もそれほど深く介入していないからさ……。
でもそれこそが、中通りの人たちの正直な感覚ではあると思うし、仮設住宅の人たちを招いた音楽イベントで、夏休み中練習してきた吹奏楽部の演奏も、よくわがんね、と言われちゃう部分につながっていたのだろうと思う。

でもそれは、見てる限りでは、そういう明確な方程式は観客側にはなかなか判りづらくて、結果的に、そうした記号的なものとしてしか機能していないように思えちゃう。
せっかく青春の萌え萌えイベント、浴衣で夏祭りもあるのに、しかもそこで、会川君が前の学校の同級生たちに会って盛り上がって、取り残される春香、なんつー、これまた王道なシークエンスが用意されてるのに。
その王道の記号が、故郷から追われた同志たちに入り込めない中途半端な中通りの人々、という現実的な要素とあいまいに溶け合ってしまって、なんだか結局、その後の、ヒロインの親友の妊娠話の深刻さにかき消されてしまうという(爆)。ああ、作劇って、なんて難しいの……。

てか、一番重要なのは、お姉ちゃんとの確執なのであった。優秀で社交的で人気者で有名なお姉ちゃん、平凡で地味で人見知りな妹。うっ、身に覚えがあり過ぎる。
だからか、このお姉ちゃん以上に、この妹にイライラしてしまうのは。この春香みたいに、なにがしかで明確にお姉ちゃんを追い越す結果を持ち得ることが出来たなら、春香のように純粋に、お姉ちゃんを呪うことも出来たのだろうに(爆)。

つまり、春香は、お姉ちゃんがイライラするように、自分がピアノでお姉ちゃんを追い越したことが判ってるのよ。お姉ちゃんが言うように、そのことで遠慮して、心のどこかで、私のためにピアノをあきらめたお姉ちゃんがカワイソーとか思ってるのよ!!あー、イライラ!
しかも弟が死んでしまった事故でも、そう、お姉ちゃんが言うように、同じ場所に同じ条件でいたのに、自分だけが自責の念に駆られている、これは、長女としての責任をそれなりに持っているお姉ちゃんからすればそらー、イライラするわ!!

……妹としては、妹の、優秀なお姉ちゃんに対する苦しい思いに100パー共感したかったのに、これはかなりありがちな、自分をカワイソがってる地味系妹の典型で、つまり、見たくない自分が結構含まれてて(爆)ヤなの、ヤなのよー。

そうそう、桃農家を継ごうとしている妹に、「そういうことは、長女の私が心配するものなんだよ」と、唯一優しいお姉ちゃんの場面、夏祭りの、浴衣姿の妹の着付けとメイクを施す、夕暮れのほのぐらい縁側の部屋。
その後の、火事で音が出なくなったピアノの前にうじうじ座り続ける妹を引きずり出して、馬乗りになって、涙を落として怒りを爆発させるお姉ちゃんを思うと、ほおんと、この妹にイライラする!……自分が妹であることがホントにイヤになる!

……なんかどんどん個人的見解になっていくが(爆)。震災という経過を経たことが、本作にとって本当に良かったのかどうか、なかなか言いきれない部分がある。
言ってしまえば、震災に関係ある部分も、そうじゃない部分も、双方、中途半端な主張になってしまった気もしてしまっている。志は凄く感じるけれども、だからこそ辛い。
吹奏楽顧問を演じるベテラン、長谷川初範氏とかも、ハイテンションキャラばかりが空回りして、見てられないしさ……。

結局、震災後には特に、聞くだけで泣いてしまう「ふるさと」にやられてしまっちゃうからさあ。あの歌詞はホント、ヤバいよな……。★★★☆☆


百瀬、こっちを向いて。
2014年 109分 日本 カラー
監督:耶雲哉治 脚本:狗飼恭子
撮影:梅根秀平 音楽:阿南亮子
出演:早見あかり 竹内太郎 石橋杏奈 工藤阿須加 ひろみ 西田尚美 中村優子 きたろう 向井理

2014/5/19/水 劇場(品川プリンスシネマ)
そうかそうか、ももクロの、って脱退した子なのかあ。観ている間中一生懸命名前と顔の一致を試みてたよ。
あんまりちゃんと区別ついてる自信がなかったし、普通の女の子役だからピンと来ないのかもと思ったら、今はいない子か。そういや、Zがついてなかった(爆)。すみません、無知で……。
ならば「NINIFUNI」 で見ているんだなとは思ったが、あの時がももクロ初体験だったんだから区別がついてる筈もない。
そうかそうか、この早見あかり嬢は脱退した後、モデルや女優をやっていたのかあ。役者をやりたくて脱退したのかな。いやいやいや、すいません、ホント無知で……。ももクロの子は芝居も結構いい感じネ、とかエラソーなこと思ってた、ホントすいません……。

本作に関してはイイ感じのタイトルと、そのあかり嬢の瞬間の表情をとらえたポスターの写真に心惹かれて足を運んだ。そう、この時にはももクロの子なのに、繊細な表情するじゃんとか、またしても不遜なことを思っていた(爆)。
原作が女子の心をとらえたベストセラーだとかも知らなかったし(相変わらず(爆))、監督さんの名前も初見で、初見ならではの期待感と、「NO MORE 映画泥棒」の演出と言われてもなあ、とついつい心の中で苦笑する気持ちもあった(うーむ、思いっきり不遜大爆発)。

でもそんなこんなは、最初に感じた、心惹かれる要素が勝つ形になっちまった。まあこんなスウィートな(多少ビターにしても)青春は過ごした覚えはないが、男の子と女の子の成長の具合、お互いに隠している秘密、いや、隠しているつもりの秘密、学校生活の懐かしさは、それまで幾多の学園ドラマを見てきた筈だし、今現在30そこそこの彼らが回想する形の高校生時代は、制服もリボンにチェックのミニスカに紺のハイソで、男の子も同様にチェックというのが私らのツメエリ愛好会には信じられないことなのだが(爆)。

でもでも、不思議と、校舎の感じ、教室の感じ、砂ぼこりの上がる校庭の感じ、屋上に上がる階段、積み上げられた机、何もかもが、懐かしさを覚えるものなんであった。
なーんて、屋上なんて上がったことないけど(爆)。こーゆー青春モノにはよく屋上って出てくるけど、上がれないことの方が多いような気がする……てか、上がろうと思ったこともないあたりで、もう私は高校時代の青春を捨ててるかもしれない(爆)。

どうも脱線しそうな感じなので軌道修正……。そうだよね、これは30前後の視点から回想する物語。
語り部は向井理。小説家として母校での講演を頼まれて、久しぶりに故郷に帰ってくるという設定。いくらボサボサの髪に黒縁眼鏡をダサめにかけたって、向井理は向井理、「僕なんか、モテる訳ありません」な訳ないだろーが、とついついツッコみたくなるが、そこで躓いては先に進めない……。

更に言うと、彼の若い頃、つまり本作のもう一人の主人公を演じる竹内太郎君も同じく、うっとうしげな髪と黒縁眼鏡だけで女子から排除される男子になってるが、無理がある……。これじゃひと昔、いやふた昔前の、「メガネをはずしたら実は美人」的な発想じゃないの。
まあ彼らはメガネをはずすことはないから、結局はダサ男のままなのだが、しかししかし、この相原君の友人である田辺君の方は判りやすく太めのダサ系だから、やっぱりムリがあるよなあ……。
でもこの田辺君の癒し系っぷりの方が断然にはイイと思うが、でも高校生当時の自分がそう思えたかどうかは自信ないから、それは保留にしとく(爆)。いやでも割と、当時から癒し系好きだったよ!(言い訳)

まあそんなことはどうでもいいが。しかし最近の高校生ドラマを見ていると毎回同じことを思うが、もう高校生をリアルタイムに演じる時代ではないのね……みんな20代……もうどうでもいいや……。あかり嬢だけはギリギリ10代だが、一年生の役だからやっぱり、ね。
でも先述のように彼女に関しては実に新鮮な気持ちで臨めたので、15歳の役と思っても違和感があった訳じゃないんだけど。
でも15歳、かあ。高校一年生と15歳は確かにイコールだが、まあ16歳ってことでもあるけれど、でもやっぱりそう考えると、私にはこんな青春はやっぱりなかったなあと思う(爆)。

人生って、やっぱりここらあたりで別れると思う。ここでこんな恋を知ってしまうか否か。
あかり嬢演じる百瀬はウソの恋人を演じることになった相原君に、「人を好きになったことないんでしょ。いつかその気持ちが判るといいね」と言う。15歳の言葉として聞けば顔が赤らむような背伸びした台詞と思うが、演じるのが実際は二十歳手前の女の子であることは、やはり重要であるように思う。
そうか、高校生をぐっと年上の子たちが演じることに違和感を感じていたけれど、私のようなぼんやり高校時代を送った子たちと、そうでない子たちでは、外見はともかく内面に雲泥の差があり、それを映像で示すとなると、外見でもう大人になった子たちを使うしかないのかもしれない。そうか、ようやく判った……。

相原君の幼馴染であり、尊敬するお兄ちゃん的存在、宮崎先輩。学校中の人気者で、これまた学校中のマドンナである神林さんと付き合っている。
が、相原君は宮ア先輩が駅のホームでショートボブの女の子と親しげに話しているのを目撃していて、それは彼だけじゃなく、学校中の噂になっている、というんである。
ひと気のない図書室(魅力的なシチュエイションだが、人気のない図書室って、実際はなかなかないと思う……)に呼び出された相原君は、その女の子、一年生の百瀬に引き合わされる。お前と付き合ってることにしてほしい。そのことで、噂を噂で晴らしたい、と。

つまり、二股。宮崎先輩、まー、しれっとやりやがる。学校中の女子が夢中になるほどのイイ男ってほどでもないような……と思ったが、工藤投手の息子さんとは驚いた。知らなかった。スイマセン、失礼なこと思って……とてもカッコイイです(遅いっ)。
校内一の人気者同士のカップル。非の打ち所がない。後から判明するに、宮ア先輩が神林さんと付き合っているのには打算があって、それは彼が亡き父の思いを継いで、紳士服の店を再興したいと願ってて、それには呉服屋のお嬢さんである神林さんはうってつけだから。

現在の時間軸からまず語られる物語、母校に講演を頼まれて久しぶりに故郷を訪れた相原君は、駅であっさりとこの神林さんに再会、彼女とのやり取りによって当時を回想する形になる訳であって。
最初のうちは明確にはされてないけど、当時の二股のうちの一方であるマドンナの彼女が、今妻として収まっていることは、そう遅くないうちに観客には察せられるんだよね。
まあそれでなくても、二番手のように、「待つわ」的な立場で(古いなー)、「アンケートではカップルの45パーセントは別れる」なんてデータを信じて待ち続ける百瀬が、いつかは別れを言い渡されてしまうことは、彼女が登場した時点で判っちゃっているような感じもあって……。

百瀬、そう、百瀬、なんだよね。苗字で呼ぶ、その感じがイイ。こういう文章書いてると、大抵女性の役名は下の名前で呼ばれる。そして男性は苗字で呼ばれる。……なんてことないことかもしれないけど、こーゆー部分に単純にイラッとくる、フェミニズムおばさん(爆)。
でも、百瀬、なの。そして神林さんで、相原君で、宮ア先輩。“本当の”恋人同士である宮ア先輩と神林さんは、お互いを下の名前で呼び合う。そして“二番手の”百瀬を、宮ア先輩が下の名前で呼んだ場面は……なかったような気がする……聞き逃していたらゴメン……。

だって最後の最後、別れの手紙を相原君に託す場面だって、封筒に書くのは“百瀬へ”だもん。やっぱり普段から、苗字で呼んでいるんだよね。
苗字って社会的には対等、だから先述のように、女性が下の名前で呼ばれがちなことにイラッときたりするんだけど、恋愛関係の場合、こんなに凄く、切ないんだね……。
そして、ウソの関係である相原君と百瀬さんも当然、苗字で呼び合うんだけど、でもそれは、でもそれはなんか……ちょっと違っている気もするんだ。
少なくとも相原君の方は違ってる気がする。だって彼にとっては初恋だった、よね?それは明確に示される。

モテない男同士で仲の良かった田辺君との最後のシーン。ダブルデートから帰ってきた相原君が、もうこの時点で終わりを予感していた百瀬さんの様子に自らの思いを自覚し、友人に吐き出すシーン。
初めての恋の、恋の辛さを、こんな思いを知りたくなかったと、身体の中で怪物が暴れているみたいでどうしようもないと。なんだよあいつ、手をつないだり、人の家に来て母親の作ったカレー食べたり、髪を切ったり、なんなんだよ!と。

ああもう、これぞ恋、恋なのよ。判ってるのに、自分では自覚出来ない。田辺君があっさりと言う。チョコドーナツを頬張りながら言う。僕なら知りたいけどな。百瀬さんのこと、好きになっちゃったんだね。本当に、あっさりと。
思えば、これがウソの関係だと知る前に、唐突に、本当にドラマのように突然飛び出すように現れた百瀬さんに、田辺君は本当に素直に、「可愛い子だね」と言った。
相原君と学校イチの人気マドンナの神林さんを眺めながら、きれいだし、性格もいい、レベル99だよなと男子っぽい会話を交わしながら、そんな情報を何一つ知らない百瀬さんを一目見て、田辺君はその一言で、まるで相原君が彼女に恋することを予言したような気がしたのだ。

確かに可愛い。雪の様に白い肌、まっすぐ素直に伸びたボブカット。口角の上がった唇はぷっくりとふくれてばら色に輝き、両方の犬歯が尖った口元はアンバランスなかわいらしさがある。スケートファン的に、ミカル・ブレジナの口元に似ているなと思ったり……。
イイのはね、彼女に対する相原君の視線が、高校生男子、つまり第二次性徴期男子のそれであることなんだよね。それこそ私らの時代ではこのミニスカは考えられないことだが(爆)。襟足や膨らんだバストは勿論、特にその太ももの奥に相原君の視線は注がれるんである。
いやー、いいねいいね、男子だね!屋上であおむけに横たわってるうちにうたた寝してしまった百瀬さん、なんてシークエンスはさすがに乙女チック過ぎると思ったが、ある意味それを徹底しているんだから、いいのかなあ。

そうよね、ある意味、徹底してる。男の子が女の子に小説を、しかも割と古典的な小説をプレゼントするとか、そのことが彼らの行き先を表してるとかもそうだし。
宮ア先輩が百瀬さんにプレゼントしたのは、森鴎外の「舞姫」日文の近代文学専攻だったくせに、うわっ、どんな話だったっけと固まってしまった私は、死ぬしかない(爆)。

そうそう、男が愛人をソデにする話。そうだったかもしれない(爆爆)。もうこの時点で言い渡されていたようなものなのに、百瀬さんは、一瞬でも愛を共有できるなら幸せなのだと、15歳らしからぬことを言う。それに対して相原君は、一瞬以外は別の相手のものなんだよ、とこれまたらしからぬことを言う。
百瀬さんの方は、感情と経験があっての言葉で、相原君の方はどちらも初心者&未経験者な訳だけど、だからといってどちらがどうという訳でもないのが、恋愛のメンドクサイところであって……。

そうだよね、明確にはしないけれど、二股になるだけの関係、恋愛ビギナーの相原君に百瀬さんが放つ、ある意味上から目線の言葉と態度、先輩とは感情だけじゃない、やっぱりそれなりの関係があったと思われる。
なんてことを気にしちゃうのは、オバチャンのゲスな悪いクセかもしんないけど、そこに対する重きをどうとらえるかが、それでなくても違いがある男と女の、最もその差がぐんと別れるティーンエイジャーの物語に対しては、やっぱり重要と思われる。

まあそんなゲスな、何があった、なかったということはナシにしても、最後の最後、何も知らないような、聖女のような校内のマドンナ、神林さんが彼氏の不貞を知っていたことを示されるだけで、充分だと思われる。
正直、ね、この四人の中では、神林さんはあまりにもマドンナで、同性として、こんな奴いねーだろ、とイラッときてた。学校でもきちんと髪を巻いて、楚々と笑って、それで男子ならず校内全部から認められてる、なんてさ。
そーゆー意味では、女子は総じて宮ア先輩に、男子は総じて神林さんに憧れてるこの校内事情は、まあ、でも、この尺と展開じゃ仕方ないか……。

でね、神林さんが、彼氏の可愛がってる後輩の彼女まで熟知してて、でダブルデートをしたいと言い出すじゃない。この時点で彼女が全てを知ってると察して当然だったんだけど、相変わらず私はバカなんで(爆)、でもそこは、石橋杏奈嬢のお嬢芝居に見事騙されたと言っておこう(爆爆)。
いかにもお嬢。他の三人がTシャツ、ジーンズ、カジュアルシャツ、チノパンスタイルなのに対し、ドレッシーなミニ丈ツーピースにイヤミじゃない程度の軽さのロングネックレス。イヤミじゃない程度ってあたりが、既にイヤミだ(爆)。
化粧室で神林さんは口紅を塗り直し、それを見てリップクリームを塗り直していた百瀬さんがミニ丈ジーンズのポケットにリップをそっと隠すシーンは女子的に言えば、わ、判りやすっ。

しかもその後、「一緒に乗ると別れる」というボートに、カップルを違えて乗り込む、というのが神林さんのアイディアによってなされるというのも、二重の意味で凍り付く。
この都市伝説の聞き覚えにも凍り付き、それに対する打開策に、観客がいち早く予測できたということにも凍り付く。
でも、私はとりあえず、この時神林さんがそこまで計算していたことに気づかなかった。同じ女子なのに、女子の怖さに気付けなかった。バカ、私(爆)。

いやさ、花言葉に詳しい神林さん、っていうシチュエイションに、うわー、乙女チックでコワッと、思った時点で止まったのが間違ってた。全ての花言葉を知っているということば、それ以上にコワいことだってことに、気づけなかった。
ほうずきだって花言葉があったのだ。それをわざわざ「拾った」と言って“彼氏”に手渡した、その意味を、現在時間の相原が問い、マドンナ顔を捨てた神林さん……現宮崎夫人は真顔のまま唇に手を当て、「ナイショよ」と言う。コワイ……女は、コワイ!!

そういう意味では、百瀬さんこそが、男の理想だったのかもなあ……。だって、彼女の現在時間軸は出てこないんだもの。それで言ったら、宮崎先輩も出てこないけど……。
宮崎先輩は、心も感情もない人だと、相原君と百瀬さんから糾弾された。小説の中に出てきた言葉を使うあたりが、青春だった。
そのことに対して先輩は何も言わなかったし、ただただ、失意と侮辱を受けたまま死んでいった父親の思いを遂げたい一心で、現在時間軸で見事、紳士服のみやざき、を地元に展開している。

それを助けた神林さんは、「卒業後、色々あったのよ」と言いつつ、あの頃の思い出があったから、乗り越えられたんだと言う。世界一幸せだと、幼い娘を伴って屈託のない笑顔を見せる。
屈託はないけれど、ない筈はない。そして宮崎先輩も、今ここにいる相原君も。

でも百瀬さんは??そう、彼女だけが理想のまま、終わってしまった。いや、そう言い切ってしまうには、複雑な事情を与えられ過ぎていたけれど……。
父親は「毎週動物園に連れていくっていう」大ウソつき、母親は看護婦で夜勤の間は「頼むよ、小さいお母さん!」と母親から頼りにされ、百瀬さんが幼い弟妹達の面倒を見ている。
いかにもな長屋の貧乏所帯。このシチュエイションが彼らの切なく苦しい青春恋愛事情に上手くかみ合わなかった気もした。

いや確かに、校内のスターカップル、事情はあるにせよ、それなりの家柄の二人、相原君は「カレーにパイナップル入れんなよ!」と文句つけるような、つまりは愛すべき中流家庭。そんな母親に西田尚美がピタリ!息子が初めて女の子連れてきて舞い上がる感じとか!!
……それだとさ、この三人と百瀬さんの環境って、ちょっと、違うよね。ちょっとどころか、かなり隔たる感じがするよね。
いや、確かに、この年頃には、そんな事情はお互い話さないかもしれない。実際、百瀬さんはあんなに大好きな宮崎先輩のお父さんが亡くなっていたことを知らなかったんだし。でもそれは、それを教えてもらえないだけの存在だという布石でもあって……。

何かね、やっぱり、百瀬さんの境遇だけが、浮いていて、しかもそれがこの関係性にも、展開にも、あまり生かされないままな感じがしたんだよね……。映画における尺の問題もあるかもしれないんだけれど……。
ウソをついたままのダブルデートでも、休日に先輩と過ごせるのが嬉しいと言っていた百瀬さんが、帰りのバスの中でガマン限界、相原君を振り切って帰った後の、長い長い、朝までの一日。
田辺君に促されて宮崎先輩にケンカを売り、百瀬さんへの手紙を携え貧乏長屋に赴き、その手紙と共にしらじらと夜が明けるまで、土手っ原を歩き続ける二人。

タイトルの言葉が近づくのを予感しながら、ドキドキとしながら、待ち続ける。
早く、早く言いなよ、好きだって、言いなよ、田辺君に、そう言われたじゃん、百瀬さんのこと、好きになっちゃったんだね、って、言われたじゃんよ!と思いながら待って待って待って、でも、白い首筋にショートボブを揺らしたその後姿を、振り向かすことは出来なかった。
こっち向いてよ、そう言っても、その泣き顔を、……泣いてないよという泣き顔を振り向かせられなかった。

やっぱり、さ。騙してるつもりで、男たちはバレバレ。台詞で判っちゃう。
すっかりカノジョを騙せたと思ってる宮崎先輩、「あいつ、疑ってたけど、疑いが晴れたよ」と言ったすぐ後で、「あいつは疑うことを知らない奴だからさ」ば、バカ過ぎる……。
しかしそれがまさか、花言葉で反駁されるとは予想外だったけど(爆)。いろんな意味で、男の子目線だった気はするかなあ。
なんか光キラキラ、光充満なあたりも、一見乙女っぽそうで、逆に女の子のエグさを薄めてロマンティックに見せたい逃げを感じる気もするかも……。 ★★★☆☆


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