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麦子さんと
2013年 95分 日本 カラー
監督:吉田恵輔 脚本:吉田恵輔 仁志原了
撮影:志田貴之 音楽:遠藤浩二
出演:堀北真希 松田龍平 余貴美子 温水洋一 麻生祐未 ガダルカナル・タカ ふせえり 岡山天音 田代さやか
いやさ、ここ数年、いや10年ほど、その年の最初に見る映画はハズすというジンクスがずっと続いてて、まさか吉田監督でそれはないだろうと思いながら、恐る恐る本作に足を運んだようなところがあったからさあ。
そしてジンクスを見事に打ち破ってくれて、嬉しくて、だからそんな些末なことが残念に思えたりして。
前作の「ばしゃ馬さんとビッグマウス」も自分自身の体験を元にしたと言っていたけれど、本作もそうだというから、ええ、吉田監督のお母さんは、まぶたの母だったのかとか、もう死んじゃったのかとか思ったが、そういう訳ではないのかな。
詳しく探ってないから判らないけど、ただ、素直に思いを伝えられないという思いをぶつけただけなのかもしれない。
これがホントに地でいっていたら切なすぎるが、でも麦子のお母さんに対するそっけない態度、素直に気持ちをあらわせない気質、っていうのは、確かになんか、思春期、反抗期を引きずったまま母親に接してしまう男子的な感覚もあるような気がする。
まあ人によって違うとは思うけど、女の子は基本、母親とは女子の部分でつながりあうもんだからさ……。
物心ついた時には家を出てしまっていた母親に対する麦子の戸惑いは、そんな体験したことないから判らないけれど、そうした設定にすることで、母親に素直になれなかった男子的気分を投影しているのかなあ、という思いもする。
そう、体験したことないから、麦子のような立場になった時の気持ちは判らない。
むしろ、松田龍平扮するお兄ちゃんのアンビバレンツな気持ちの方が、なんだか可愛らしくて判る気がする。監督は、このお兄ちゃんの方にも結構、気持ちを投影している気がする。
ホマキちゃんとの年の差を考えれば、まさに彼は物心ついたあたりで母親に去られてしまったと思しき訳で、恋い慕う気持ちとウラミの気持ちがまさにアンビバレンツとはこのことだと、いう感じだろうなあ。
それってもしかして、思春期と反抗期を経て大人になっても、男子が母親に感じる気持ちと似たものがあるのかもしれない……などと勝手に想像する。
ホントにね、男子の母親に対する気持ちって、全然想像つかないの。男子も女子にそう感じてるのかもしれないけど、特に母親と息子のつながりって、凄く特別じゃない。恋人も妻も入れないようなものがあるじゃない。
お兄ちゃんが突然現れたお母さんのことをババアと言い、ババアって?と妹から聞き返されて、ババアって言えば、母親のことだろ、という台詞、本作のキーポイントになる台詞だと思うんだけど、それって女子は絶対言わないじゃない。父親に対してジジイとも言わないしさ。
母親のことを対外的におふくろとかババアとか呼ぶ男子の突っ張った気持ちって、女子にはないものだからさあ……。
などと言っているとよく判らなくなってきた(爆)。まあ今年も、こんな感じよね(爆爆)。
そう、ここまでで何となく判ったかしらん(とテキトーに逃げる)、兄と妹二人暮らしのところに、突然現れたまぶたの母。
兄は即座に追い帰し、妹は突然の母の存在に戸惑う。しかし結局一緒に暮らし始める。
だってお兄ちゃんったら、自分の稼ぎでフリーターの妹との生活をなんとか成り立たせているなんて言いながら、ちゃっかりこのお母さんからの振り込みに頼っていたんだから。
つまりお兄ちゃんは、それなりにお母さんに会っていた、ってことなんだろうなあ……そうでなければ、物心がつくかつかないかの時に出て行った母親のことを、すぐに認識できる訳もないし、ババア、と突き放す訳もない。
だからこそ妹、麦子ちゃんは戸惑う訳である。会いたいと思ったこともなかったと、麦子は後に母の故郷で言い放ち、それは強がりだったという決着がつくけれども、どうだろう……。
その決着は、深層意識下ではそう思っていたと思う、的な解釈で、母親のいない環境のまま育った麦子にとって、会いたいと思ったこともなかった、っていうのは、それなりに直截な気持ちなんじゃないかと思わなくもない。
だってその母親が突然死んでしまっても、麦子ちゃんはぼうっとするばかりで、お兄ちゃんが隠れてむせび泣いているのを見てもぼうっとしていて、とてもとても実感などわく筈もないんだもの。
今の社会環境だと、こういうケースはそれこそ、掃いて捨てるほどあるんだろうと思う。こんな風に、最後の刹那であっても親子が再会できるだけ、幸せなのかもしれないと思う。
突然現れた母親がこれまた突然死んでしまって、呆然としたまま麦子ちゃんは母親の地元に納骨へと向かう。
地元のアイドルだった母親の姿に触れ、書類の不備から数日滞在することになって、更にそれを掘り下げることになるんである。
いや掘り下げるのは母親の姿だけではなくって、母親とつながる人たちによって見えてくる自分の姿、本当の気持ち。
風貌だけでなく、目指す夢までそっくりだった母親と、ずっとずっと離れて暮らしていたこの不思議。
そう、麦子ちゃん、演じるホマキちゃんは、声優を夢見ているんである。バイトしているのがアニメイト(萌)。
学園アニメの、しかも兄妹ラブものらしいそのアニメを、巨乳童顔の同僚の女の子とマネしてアテレコするシーンに萌えまくる。ホマキちゃん、裏返り気味の声がか、可愛すぎる(萌)。
お母さんの故郷に納骨に訪れて、宿の世話になる霊園の従業員、麻生祐未にその特技を披露して、居合わせた地元の女子高生にクスクス笑われて弱々しく弁解するとか、か、か、可愛すぎる(萌萌)。
その麻生祐未が「麦子ちゃんと趣味が合うかもしれない」とBLのコミックスがずらっと並んだ押し入れを披露して麦子が思わずドン引きするシーンが大好きだ!
麻生祐未はほおんとに、単なるトレンディ女優を飛び越えて、面白い女優さんになったよなあ!!
実はバツイチで、子供を元夫に残して故郷に帰ってきた、この麻生祐未扮するミチルさんに、いい人ぶってる、自分だけが悲劇の主人公、などと麦子が酔いに任せて罵倒するシーンが本作のクライマックスであり、キモでもあると思われる。
酔いにまかせて、の割にはホマキちゃん、なめるようにしかビール飲んでないけど(こーゆーのは、気になる。やはりぐいぐい飲んでほしい訳!)、とにかくここで彼女は自分の気持ちを吐き出した、んだよね……。
ここの麦子ちゃんの台詞ってね、客観的に聞いて、とても共感するものがあるの。そりゃ客観的だよな、そんな立場じゃないもん。
親が離婚して、どちらかの親、あるいはどちらの親からも引き離された子供が、その親が大人の勝手な“良かれと思って”やったことを糾弾する。
それはその子供の立場じゃなくったって、客観的に見て、本当にそうだと思える。新しく親になった相手に悪いとか、混乱させるのはかわいそうだとか、そんなのは、子供にとっては逃げ口上だと、いい人ぶんなよと、客観的に見たってそうだよなと思える。
今はホントに、そういうことをちゃんと整備する時に来ているんじゃないかと思う。本当に、珍しいことじゃないんだもん。こんな風に、再会した時にはもう末期がんであっという間に死んじゃって、なんていうドラマチックじゃない、その後ドロドロするケースがいくらだってあるんだもん。
でも、実は自分にそっくりだった母親を見つけ出す旅に出かけた麦子が、ドロドロするケースより幸福だったかどうかなんて、判らない。
だって麦子は後悔した。「あんたのこと、母親だなんて思ってない」って言っちゃったこと、そのまま母親が死んでしまったから、本当に後悔したんだもの。
登場して、ほどなくして死んでしまうその母親が余貴美子さんだというのは、本当に大きい。確かに彼女なら、若い頃ホマキちゃんがソックリだったかもしれない。
余命いくばくもなかったという事情を後から知れば切ないけれど、突然押しかけてきて、荷物はちょっとだけと言いながら大荷物で、麦子ちゃんが大切にしていたマンガを捨ててしまって「週刊誌と単行本の違いも判らないなんて!サイン本もあったのに!」と激怒させてしまう。
麦子ちゃんと衝突するたびこのお母さんが言うのが「そんなに怒らないでよ……」っていうのがさ、なんか後から考えると妙に切ないんだよね。
お母さんが出ていったのは、どーしょーもないもお父さんと相容れなかったから。そのことは物心ついていたお兄ちゃんも納得せざるを得ないところで。
「でもババアも口うるさかったし」でもでも、その程度なのよ、口うるさい程度で、どーしょーもない夫と同列の責を負わされるのはあまりに……。
それこそ昔々の話なら、それでも妻はガマンして、子供のために家庭を守って、ってことだったんだろう。その結果、精神を病んだり、命を絶つ結果にさえ、なったんだろう。
そんな最悪の事態を避けるために、本能的に逃げ出す自由がようやっと与えられる時代になっても、子供を捨てた母親、と言われる。
……父親だったらあんまり言われないのにな……それが女(母親)が重視されていることなのかどうか、この時代になっても正直よく判らない。
そんな小難しいことを考えてしまっては、本作を味わうに対して、良くないのかもしれないけれど。
でも麦子さんのお母さんである彩子さんと仲良しで、同じバツイチ、子供を相手方に置いて家を出たという境遇のミチルさんを出してきたってことは、やっぱり、そうだよね、と思うのだ。
女一人の慎ましいアパート暮らしのミチルさんち(超身につまされる……)に世話になって、とってもとってもいい人なのに、なのに麦子ちゃん、酔った勢いでミチルさんを偽善者だと罵倒しちゃう。
それはでも、ハタから見ると、そう、判っちゃうのよ。麦子ちゃんが、もう死んでしまったお母さんに当たってる、って。
そのお母さんに若い頃恋してて、ソックリな麦子ちゃんの登場に舞い上がってつきまとって、でもどうやらミチルさんが好きらしいハゲオヤジタクシー運転手の温水さんが、実にまっとうに諭す。
もう彩子ちゃんはいないんだ、彩子ちゃんが麦子ちゃんのお母さんなんだから、もう許してあげなよ、って。
なんという、まっとうな。こんな台詞、過去のなにやかにやで何度も何度も聞いた覚えがある、てことは、つまり、やっぱりいまだ、何度も何度も繰り返されてる、ってことなんだろうなあ……。
なあんて、ね。なんかマトモに書いちゃうとつまんないな。そんなマトモな筋書きをあたたかく包み込む人々に、クスリクスリとさせられるんだもの。
我が町のアイドル、彩子ちゃんの再来、と、わらわらと集まるジジイたちの群れ。パチンコだ麻雀だと親に金をせびり、「親ってウザくね?」と麦子の気を引くように言い、ついには麦子にひっぱたかれてしまう旅館の息子。
麦子自身が、母親を彼と同じように無下に突き飛ばしてしまったから。そして同じようにお母さんってのは、その深刻さを笑って和らげようとするから、かつての自分の非道さが蘇って、麦子ちゃんは耐えられなくなったのだ。
……だなんて、ホントにね、マトモに書くと、マトモ過ぎるよね。でもそんなこんながとても柔らかいの。思わずひっぱたいた麦子ちゃん自身、あ……すいません……と気まずげな笑みを浮かべたり、そういうの、日本人だなあ、日本映画だなあ、と思うんだもん。
こういうのって、ホント、日本的だと思う。良かれ悪かれだけど、全てが主人公、語り手側の正義で抑え込まない、自分の後ろを振り返るところが、日本的だし、そこが素敵だと思う。
美容師だトリマーだ、そして今は声優だと、夢ばかり追いかけているとお兄ちゃんから辛口に言われる麦子ちゃんのような、現代っ子の女の子でも、日本人のDNAとして、そういうところがあるよね、と思えるのが、なんだか嬉しいのだ。
彩子さんが本気でアイドル歌手を目指していたけれど叶わなかったように、“今度こそ本気”で声優を目指して専門学校へ行くためのお金をためている麦子ちゃんも、その夢はかなわないかもしれない。
若き日の彩子さん、親の反対を押し切って上京する筈が、心配してあれこれ持たされた、その一つが寝起きの悪い娘のために持たせたメッチャうるさい目覚まし時計。
寝起きが悪いったらないお母さんにイラついた麦子ちゃんが、叩き壊してしまったあの目覚まし時計だ。
そして今、無事お母さんの納骨を済ませた麦子ちゃんが、お兄ちゃんからの電話で、麦子ちゃんの夢のためにとお母さんが残してくれた貯金のことを知る。
お母さんは自分の親からのお金は断ったのに、麦子ちゃんはお金でしか母親の愛情を受け取ることが出来なかったと思うとちょっと切ない気はする。それもまた、現代世相の切なさかもしれない。
それでもやっぱり、やっぱりやっぱり、お母さんの愛は手料理、なんだね。それしかないのか、やっぱり(爆)。
いや、この短い時間で、お母さんの印象を残すには、やはりそれしかないのかもしれない。かぼちゃがたっぷり入った炊き込みごはん、というあたりの個性的はチャーミングだけど、でもやっぱりそうかあ……と思っちゃう。
最後なんて、病身の辛さで手作り餃子を中断してしまう、なんていう切なさよ。
手料理苦手、あるいはこれが父親だったら、などと思っちゃうのはフェミニズムすぎ、だろうなあ……。
でもね、やっぱりね、ああ、いまだにそうなのか、と思っちゃうのよ。それしかないのかな、って思っちゃう。ちょんまげとれて100年か150年か、まだまだ無理かなあ。
納骨のシーン、お母さんに言ってしまったヒドい言葉を悔いる麦子ちゃんに寄り添うミチルさん。麦子ちゃんがお腹にいた時に里帰りして墓参りした彩子さんのことを話す。
昔から可愛くてきれいで人気者だったけど、あの時の彩子ちゃんが一番きれいだったと、そうミチルさんは言った。幸せそうに大きなおなかをなでる、ノスタルジックな映像のホマキちゃん。
ベタだけど、ついつい涙があふれちゃう。あー、あー、ヤだなー。これで泣いちゃったら、女は母親になることこそが幸福だと認めちゃうようなもんじゃないの!あー、クヤしい。でもそうなのかな、そうなのかもしれないな……。★★★☆☆