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「ね」


2014年鑑賞作品

ねこにみかん
2013年 110分 日本 カラー
監督:戸田彬弘 脚本:戸田彬弘 上原三由樹
撮影:根岸憲一 音楽:福廣秀一朗
出演:黒川芽以 大東駿介 隆大介 竹下かおり 高見こころ 辰寿広美 中村有沙 東亜優  清水尚弥


2014/3/30/日 劇場(シネマート新宿/モーニング)
タイトルだけで足を運んだのは丸判りだが(爆)、しかし初見の監督さんというのも大きな理由。やっぱり新人さんはチェックしとかなきゃね!
短編では名をはせたお人で、今回が長編デビュー。良かった、そこつかまえとけるの重要。でも、そこで自分の好みが別れちゃうのも重要なところで……。

うーん、私的にはちょっと好みと違うかな、と思った。新人さんがデビュー作でヒューマンドラマを選択し、観客を説得するような作品は、ちょっと苦手なの。
いやいやそれこそが彼の作風と言われちまえばそれまでなんだけど、ヒロインが叫ぶクライマックスの台詞が、監督自身のまとめ言葉、つまりそれで観客を納得させようとしているのかと思ったら、……ちょっと違うかなあ、と思った。
私は判りやすく、あの場面のヒロインにイラッときてしまった。彼女の心の叫びだとしたら、こーゆー子とは友達になりたくないなあと思っちまった。

でも、あの台詞があるからこその本作であるとも言える……なんて奥歯に物が挟まっているにもほどがある言い方。
設定自体は凄くスリリング。内縁の妻三人と暮らす男、17歳の娘二人と息子一人。つまり同時に、ってヤツ。
なのに彼らは和気あいあいと暮らしている。ポストには四つの苗字。つまり誰も正妻がいない。
いや、かつてはいたのだ。それは、有田みかんで有名な和歌山県有田川町に、恋人を連れて帰省した智弘の母。
智弘を演じるは大東駿介君。案外彼を見る機会がないので、ちょっと嬉しい。恋人、真知子は黒川芽以。これが問題のヒロインなんである。

という後の展開はまあおいといて……。私的には「赤い文化住宅の初子」の東亜優嬢がおおっ、と思い、なんせドラマ見ないもんで、「赤い……」以来な気がして(いや、その後、他の映画作品でも観ている筈なんだけどね(爆))そうかそうか、生き残って頑張っているなあと嬉しくなったのだが、悲しいかな、実は最後まで、娘二人のどっちが亜優嬢なのかが判らなかった(爆爆)。
「赤い……」以来の顔の認識という言い訳を省いても、この二人の女子高校生が、明確な印象の違いを感じなかったんだよね……。

いや、キャラとしては全然違う。重たい紺サージのセーラー服に重たくマフラーを巻き付けて、猫を抱いて“散歩”に出かける長女、由美(こっちが亜優嬢)。
そして、キレイにカールさせた今風の髪型で、ミニの制服に手首にはシュシュ?を巻き付けた次女、さやかは、さやかが由美に、恥ずかしいからもっとオシャレしてよと言う場面からしても、上下関係の逆転、女子度の違い、明確に違う筈なんだけど……私が年を食っているせいなのだろーか(爆)。

一応オシャレ系の髪型のさやかと、しかし由美も髪の長さが大して違わないこと、ボリュームも似ていることで、あんまり区別が(爆)。
しかも、由美はとにかく無口、という設定なんだけど、さやかも別に喋る訳じゃない。この風変わりな大家族の子供たちは皆一様に寡黙で、誰が喋るとか喋らないとかじゃなく、皆喋らない(爆)。
こういう、複雑な構成の家族だから、みんなそれぞれを尊重して、自由人なのだと、猫みたいなんだと、お兄ちゃんと呼ばれる智弘はフォロー気味に説明するけれども、自由であることと、コミュニケーションとか性格の違いとかは、また別の問題なんじゃないかと思うんだけどなあ。

あるいは、母親三人に重きを置いたために、子供たち、特に娘二人の描写に明確さが失われたような気もする。しかもそこに、もう一人の女の子、真知子が現れる訳なんだから。
いや、ね、正直、亜優嬢の名前を見ておおっとは思ったけど、「赤い……」から数えれば高校生の年じゃないよなー、と思って結構ずっと、うーん……と思っていたのよ(爆)。
見えなくはない。全然、見えなくはない、女子高生に見えるんだけど、ちょっと躊躇を感じてしまったのは事実、かなあ。
ある程度年齢がいったなら多少の年齢差はいいんだけど、十代に関しては、あまりその辺のラグは感じたくないのが正直なところ。
特に特に、女子に関してはね!だってそれだけ繊細なお年頃だと思うし、その時のリアルな生きざまが大事なんだもん!

で、まあ、ちょっと脱線したかな。そうそう、母親三人、よね。この設定こそが本作のキモである。
先に正妻がいた、というのは智弘のお母さんで、何の理由でか若くして他界。仏壇に飾られた写真は出来過ぎなぐらい美人で角度もばっちり完璧である。

……いや、こーゆーの、気になるのよ。ヒューマンドラマならなおさら、こんなモデル角度の写真、普通の女性ならないよ、と思っちゃうんだもん。
んでもってね、ちょっと回想シーンが挟まれるんだけどね、智弘の幼い頃の記憶、父親にぶっ飛ばされて泣いていた母親の記憶。その理由が何だったのか、言ってなかった……と思うんだけど……(自信がない(爆))。
その後に彼女が死んでしまったこと、父親が心にぽっかりと空いた穴を埋めるかのように、同時期に出会った女性が妊娠したこと、が明かされる。

なんかね、智弘のお母さんの存在が、難しいんだよね。実は一番重要な存在だとも思うんだけど、本作の彼女のさばき方は、ただ、智弘のお母さんであるだけ。
いや、この三人の内縁の妻を描くなら、チチ(と呼ばれている。全ての元凶ね)が正妻に冷たい仕打ちをしたというくだりは必要だったんだろうか……と思ってしまう。
つまり彼がそれを後悔したことも手伝って、三人の女に同時に手を出した、ということなのかもしれんが、その場合、愛していたのに苦しめてしまった、ということを感じさせなきゃダメじゃない??
それが出来ないなら、愛して愛して、最愛の妻だったのに失ってしまった、という方がまだ説得力がある気がする……智弘のお母さん、つーのが、どうにも落としどころが判らんのだよなあ。

まあ、それでいったら他にも落としどころの判らん人物は……と先回りして言ってしまうと終わらなくなるので、それは置いといて。
でね、智弘が恋人の真知子を連れて帰郷。こんな家族であることを言ってなかったが故に、彼女はただただ驚くばかり。
そういやー、突然みんなで温泉に行く、という冒頭のくだり、そこで親睦を深めるのかと思ったら、脱衣所でカカ(一番若い内縁の妻)と話しているシーンだけ。???この温泉場を紹介したかっただけ??

そういう雰囲気は感じなくもないんだよなあ。地元和歌山の全面協力のもとに撮影された本作、そういう映画の陥りやすい危うさ。
地元民と外から来た人ではみかんのむき方が違うとか、てゆーかとにかくみかんを食べさせろとか(爆)、そんな感じに思えちゃう。
同い年だけどいかにも弟っぽい隆志にみかんをころころ転がせてキャッチするとか、普段は会話もしないきょうだいがそんなところでつながっている、というのを素直にあたたかく受け入れる気にはなかなかなれない(爆)。

そもそも、このタイトル、ねこにみかんこそが惹かれた大きな理由だったから、だっていかにもほっこりしそうじゃん。ねこにみかん、だよ?
でもみかんはともかく、ねこの重要性は全くと言っていいほど、ない。猫は一体何のためにいたのかと思うぐらい、ない。
猫好きとしては猫の可愛いしぐさが見たいというワガママな思いがあるが、それをはぶくとしたって一体何のために猫の“ポチ”は存在したのか……。猫なのにポチ、抱かれて散歩するというちょっとしたエピソードのためだけなのか。

いや、カカがスナックの客である若い男を連れ込んでナニしていた場面をじっと見ていたらしいポチが、うっかりそこに足を踏み入れちゃった真知子と対峙する場面がある。
それはいかにも猫の動じなさ、我関せずさを思わせるけれども、確かにそんな冷たさも猫の一面ではあるけれども、私は、私は、タイトルから想起される可愛い猫が見たかったんだよーっ。

と、いうのは私のわがままに過ぎないから、すいません、聞き逃してください。
えーと、でね、三人の母親、専業主婦担当、ママと呼ばれる料理上手、高校教師として働くハハ、スナックを経営している色っぽいカカ、年齢は順に47、42、35。
それぞれの年代の女性像を描いているとは思うけれど、そう考えるとかなり固定化された、まあいわゆるステロタイプだということも気になってくる。
若くてきれいなカカがスナックの人気ママで、浅黒い肌の、いかにもイケイケな兄ちゃんとイイ仲になっているとか、そんなカカを真知子が糾弾するとか、さあ。

……そうか、だから私、真知子にイラッとしたんだわ。その前段階で、このカカのキャラ設定自体、いや、カカのみならず、年齢に相応したキャラ設定、というのが、女を年齢ごとにカテゴライズしているのを感じてイラッとしていたから。
年若いカカを、まあ言ってしまえばインラン呼ばわりしたのが、判りやすくイラッとしたんだわ。いまだに、こういう若い世代のクリエイターでさえ、こーゆーカテゴライズするのかと、思ったんだわ。

しかも彼女たちは、一時恋愛に身をやつしても、“家族”の元に帰ってくるでしょ。“家族”が大事だからと言って。
確かに家族は大事だ。こういう変則的な形でも、家族は家族に違いない。でもそれが、家族という言葉だけで縛り付けて物語を構築しているような気がして、それ以上に女を縛り付けているような気がして、だからイラッとしたのかもしれない。
しかもそれを糾弾するのが同じ女である、しかも若い世代である真知子であり、それよりも若い世代の、10代の子たちのことを“思って”言っているというのが、なおさらになおさらに、イラッとしたのだわ。

彼女たちは内縁の妻である。三人も内縁の妻がいて、内縁の夫は一人。それでもってこういう展開だと、この三人に、内縁とはいえ妻なのだから、夫に操を立てなければいけないと言ってるも同然、てか、言ってるよね。
確かにこの時間軸では夫が女遊びをしている風はなく、なんとも枯れた風情で“家族”と暮らしている訳なんだけど、そんな描写があるからこそ余計にズルイと思う。
一対一ならまだしも(まだしもというのもアレだが(爆))、三対一で、誰もが内縁で、それでも操を立てろとゆーのか。真知子は子供のことも考えろとゆーが、もう17なんて年齢で、まだ子ども扱いしろとゆーのか。

いやまあ、私はごくフツーの家庭に育ったんで、こんなことを言うのはアレなんだけど(爆))、でもね、そもそもじゃあなんで、この設定を持ってきたのかと思ったんだよね。
この設定、三人の内縁の妻、それぞれの子供、すんごく面白い設定よ。無数の価値観が産まれると思う。
なのにここで示されるのは、一対一の夫婦の価値観でしかなく、子どものために恋も出来ない女たち、なのだ。

いや、それは言い過ぎか。一応、さやかはカカに、恋の継続を勧めたし。でも、その相手が、あんな外見、判りやすく軽薄な男じゃ、カカが「結婚してくれる……訳ないか」な結論に達するのは当然よ。
そういう男の設定もズルイと思うし、高校教師であるハハが恋愛する同僚がぐっと年下なのも、ちょっとそう思っちゃう。
この年下男の子は充分に真剣なんだけれどね、でもハハは、“家族”を捨てられない訳。で、加えて彼女は言うの。
「だったら、うちに来て一緒に住もうか?」ジョークだったけれど、やっぱり、それはちょっと……と苦笑気味に言われると、キャラに文句があったのに、少し、傷ついた。

個人的には、不登校の息子、隆志が一番年若い“カカ”に思春期バリバリに恋しているのがどう展開するのかが期待タップリだったのだが、かすりもしないのが(爆)。
えーっ、だってさあ、スリップ姿で隆志の前に思わせぶりに現れたりしてたから、こりゃーもう、ヤッちゃってる、ドロドロの展開だぁーっ!!ってワクワクしてたのに、結局彼女たちは、“家族”は遵守しちゃうの。つまんなーい!
この設定あってそれなんて、もったいなーい!!絶対それ、アリだろ!でもそれやっちゃったら、それだけで一本映画撮れちゃうか……。
でもでも、そーゆーあたりが、結局はカテゴライズしてるのよ。こんな色っぽい年若いカカなら、そして思春期バリバリの男の子なら、ヤッちゃうよ、普通!普通ってなんだ?判らんけど……。

なんかね、ちょっとずつそーゆーところがずれていくの。妻たちの中でも一番年上のママが、47歳だからなのか、エプロンして、主婦業に徹して、カカの送り迎えとか、悩み相談に応じたりとか、47歳だから、仕事より専業主婦で、二人と違って男の影もない、そーゆーことなのかと思うと、やりきれないの、そうそう遠くなくこういう年になる身にとってはさあ!
まあね、多少は感じなくもないよ。誰よりも朝早く起きて、葉つきの大根洗ってる彼女の横顔がふとさみしそうだと感じるよ。でも、それが47歳の女っていう定義が、ああそういうことなのねと思っちゃうのよ。

でも何より一番うーんと思ったのは、実は真知子よりも、真知子の父親かもしれない。真知子の父親自体、登場させなくても良かったと思うし、させるなら、説得力のある人でないと。
……これが、ビックリするほど、説得力がない。うーん、誰だろうって感じ。このキャラってすんごく重要度高いと思うのに、オフィシャルのキャスト紹介にも出てこない、ってことが判るぐらい、ちょっと、あんまりだった。

まず、この年頃の娘を持つ父親の年齢程度に見えない。白髪を混じらしてはいるんだけど、実際にそういう年齢であるのかもしれないけど、なんだろう……年齢オーラがないの。
スーツ着て、冷たい表情で、仕事があるから夜じゅうに帰るという父親は、真知子が「自分には興味がなく、女を作って出て行った父」であるキャラには相応しているのかもしれないけど、それこそならばなぜここまで出張ってきたのか、一人娘が心配というのが台詞をまんま声にしているだけにしか思えず、いくら年長者のママが「それでも父親なんだから」と諭しても、それこそ口先の台詞にしか聞こえないのよ。

それは、ここまで言ってきたような、単純なカテゴライズの女性像に言わせた台詞が、この全く役作りされてない父親に投影されたってこともあると思う。いやそれ以前に、この父親像はヒドすぎるけどね(爆)。
いくら黒川芽以嬢が頑張って、涙ぐんで糾弾しても、この父親にそんな過去を感じ取ることは出来ないもん。いくら大東君が自分の家族を貶められたことに必死に反論しても、この父親自身がただ台本の台詞を言っているようにしか聞こえないからさあ。
……役者って、やっぱり重要なんだなあ。正直、この父親の登場で、それまで以上にブチ壊しなんすけど。

最終的には、これから新しい家族を作ろう、結婚しよう、という趣で、智弘と真知子は確かめ合う。でもそれが、智弘のお母さんのお墓の前というのは、結局正式な家族じゃないメンメンが外されているじゃんと、イジワルな気持ちを感じなくもないんである。
なんかね、ダメだな、私。日本の家族制度って、女に冷たいからさ。だったらその中で、女はしたたかに生きてほしいと思ってるから。それは私が家族を持っていないからで、だからそんな自分勝手なことを言えるってことなんだろうけれど……。

あ、ちなみに、冒頭やたら私がイカっていた真知子の台詞は、もうここまでくればどーでもいいというか、まあ大体判ると思うけど、「男連れ込んだりして、子供たちの気持ちは考えないんですか!みんな見て見ぬふりして、こんな家族、ヘンですよ!!」とかまあ、詳細はちょっと違うと思うが(うろ覚え(爆))、そんな感じ。
子供の気持ち云々、という時点でほんの数日訪れているだけのお前が言うなって感じだし、それを言い訳するように真知子が父子家庭、しかも冷たい父親というのが後から出てくる父親像も含めてわざとらしさ満開だし。

何よりこんな複雑な家族構成に対して、彼女のような立場で、そんなことを言うとは、しかも糾弾するとは、しかもしかも「誰かが言わなきゃいけないでしょ!」と恋人の智弘、最も難しい立場の彼に泣きながら食ってかかるとは、あ、ありえない。
とにかく、そこまではまあなんとか持ちこたえていた私の気持ちは、完全に崩壊してしまったんであった。
……女子高生二人の、ティーンならではの繊細なエピソードとかもあったんだけどね、もうこうなると、すべてにリアリティをなくしてしまう気がしちゃう。 ★★☆☆☆


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