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「え」


2015年鑑賞作品

江戸っ子判官とふり袖小僧
1959年 86分 日本 カラー
監督:沢島正継 脚本:鷹沢和善
撮影:伊藤武夫 音楽:高橋半
出演:片岡千恵蔵 片岡栄二郎 花房錦一 沢村宗之助 疋田圀男 喜多川千鶴 島田秀雄 月形龍之介 武田正憲 月笛好子 阿部九洲男 加賀邦男 尾形伸之介 青柳竜太郎 雪代敬子 花園ひろみ 一条由美 佐々木松之丞 瀬川路三郎 中村幸吉 島ひろし ミス・ワカサ 田中春男 中村時之介 尾上華丈 遠山恭二 小田真士 上田吉二郎 加藤浩 徳大寺伸 小田部通麿 浜恵子 源八郎 東日出雄 赤木春恵 明石潮 美空ひばり

2015/2/14/土 京橋国立近代美術館フィルムセンター
ひばりさん映画、間をおかずに二本目体験。しかしそうと判っていなくて飛び込んで、あっ、これひばりさんだったのね!というぐらいだったんだから、面白い偶然。間をおかずに観ると、ひばりさんの魅力がより理解できる気がして楽しい。
この監督さんも、私あんまり観ていないんじゃないかなあ。東映時代劇の記事ではトップに来るお人だから、お名前だけは目にしていたが、本当にこうしたプログラムピクチュアは観る機会が少なかった。
こうして単発単発で観ると、ツッコミどころが面白かったりするけど、当時はこんな華やか賑やかが立て続けにあふれていたんだから、どんなにか楽しかったことだろう!!

構成がちょっと、面白い。まさにタイトル通り、江戸っ子判官とふり袖小僧、の物語なのだが、いわば額縁の中に物語がある感じ。
冒頭とラストに、“本物のふり袖小僧”が、牢獄に入ってきた調子のいい新米罪人との軽妙なやり取りがあって、その新米罪人が書いた芝居の脚本というのが、今お江戸で大人気の遠山の金さんとふり袖小僧の物語、ちょっと聞いてくださいよ、とこれは実際は大阪ことばで調子よくやられるもんだから、ホント笑っちゃう。

北国の田舎者は、大阪ことばをここにリアルに再現できないのがクヤシイ!だってホント、調子いいんだもの!亀谷東西という、鶴屋南北をもじったインチキくさい名前も可笑しい。でもこの時には聞き取れなくて、観客たちが笑ったから、今ここで調べ直してなるほどと思ったんだけどね(爆)。
演じるのが田中春男、知らなーい、と思ったら、これがトンでもない名バイプレーヤーとして有名なお人だった(恥)。ああ、もう私は本当に無知!!でもこうやって、どこまでも底がない日本映画界の深さがステキッ(とごまかすっ)。

それで言えば、ひばりさんの子分となる二人のうち、サブの方、つまり若手の方が、なんか可愛らしいお顔をしていて、当時のアイドルかなんかかなあ、と思ったら、おっとびっくり、ひばりさんの弟さんだった!こっち、だよね?すばしりの虎の方だよね?花房錦一って!
兄貴分の木鼠吉次が、ひばりさん演じるふり袖小僧ことおえんさんにホレていて、まさにこれぞ岡惚れってヤツで。

でも劇中では、それを冗談めかして、自分にしときなさいな、なんてちょっとシナ作って言ったりして、きっぷのいいおえん姐さんにあしらわれるんだけど、彼女に本当に好きな人が出来て、もうかないっこないと知ると、彼女が幸せになるように、上手くいくようにと見守るのが切なく、その気持ちをたった一人知っているのがこのカワイイ弟分なの!
アニキ、カッコイイよ、と涙をふく彼が本当に可愛くて、ホント、どこのアイドルかと思ったら、ひばりさんの弟、しかも42歳の若さで死んでる、しかももう一人の弟も同じ年齢、同じ死因で。し、知らなかった。どんな呪い(爆)。

そんなゴシップ話に脱線してはいけないってば。てか、その前から脱線してるっ。構成の話だったのよ。そう、まだ構成の話。
それこそ、亀谷東西が描く金さんとふり袖小僧の話は、一大エンタメ&ロマンス、男のカッコして、義賊として江戸じゅうの人気者のふり袖小僧が、実は粋なイイ女。イイ男に出会ってしまっちゃ、純愛物語のはじまりはじまり、ちょいと切なくも思いが通じる結末に至るまで、実によく出来ていて、まあそりゃ、ここが上手く出来ていなければこの映画が成り立たない訳だけど、演じる田中春男のテキトーっぷりがお見事なもんだから!

彼は脚本家、と言ったが、舞台となってるこの時代、そういう言葉があったのかしらん、と思ったら、その後も続々と、そういう時代考証のおきて破りな言葉が出てくるから、そっか、これは確信犯か、と納得する。
「ふり袖小僧はお江戸のマスコット」とか、彼らの道中のキーマン&コメディリリーフである大阪新婚夫婦が「私ら、新婚旅行ですねん」(すいません、だから、大阪ことばは上手く再現出来ないの(爆))という台詞も、この時代は新婚旅行はない筈だもんね!!一応バカな私でも、日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬、だという説ぐらいは知っているもの……。そういう、現代の感覚を軽々と取り入れるのが、凄く楽しいの!

そう、だってひばりさんだもの……ミュージカル要素もね!と思うが、それはほんのちょっと。それこそこの額縁部分の、冒頭のみ。
ひばりさん体験一本目でも、ほんのちょっとではあったけど、かなり中の部分だったし、本作に関しては、とりあえずその責務は冒頭で終了!という感じも否めないけど……。もうこうなったら、全編ミュージカルひばりさん映画!!というのを観たい気がするが、そんなのはあるのかな??

それにこの時点では、ひばりさんは“本物の”ふり袖小僧な訳で、マジに凛々しい男装姿な訳。メイン部分、つまりは劇中内劇中のふり袖小僧だって男装姿なんだけど、この額縁部分、リアルなふり袖小僧部分のひばりさんは、まさにリアルな……時々女の姿に返る、なんてことを感じさせない、男装の麗人、なんだよね。
そう思うと、上手い構成なんだなあ、と思う。劇中内劇中の、亀谷東西が書いたふり袖小僧は、結局女、という言い方はちょっとフェミニズム野郎の気持ちが入っちゃったかな(爆)、でもそういうことなんだよね。
義賊としてお江戸の民に“マスコット”としてもてはやされても、それが真に民を救うことにはならないと、“本物の男”に諭され、その男に恋しちゃった事もあって、女の自分に立ち返る。
そして劇中内劇中……つまり、本作のそのものの部分では、ふり袖小僧としてのアイデンティティは失われる、ということなんだもの!!

劇中内劇中では、ホンモノ、ニセモノ、という言葉がめまぐるしく現れ、つまりそうしたキャラクター、展開で見せていくのも、上手いよなあ、と思う。つまりは本作の中では、もうアイデンティティという問題が渦巻きまくっている!!
ふり袖小僧が子分二人を連れての旅がらすになったのは、ニセモノが現れて人殺しを始めたからである。その旅がらすになる前、お江戸を逃亡中に既に出会っていた遠山の金さん、その時にはひょっとこのお面をかぶっていて、彼女はその正体に気づかない。
旅の道中で出会って、ただの遊び人だと思って、その時点でもう、ホンモノ、ニセモノのファクターが入れ込まれてくるのに、彼が逃亡中のふり袖小僧だと思い込まれ、もう、ニセモノのニセモノ、みたいな、複雑な様相を呈してくる訳で。

更に言えば、途中から子分とはぐれる形でおえんと金さんは二人道中になるんだけれど、目明しの連中から追われる時とっさに掴んだ、先述の新婚旅行のお二人さんの笠が名前入りで、清太郎、お夏、として追われ、彼ら自身もお互いの正体を明かしたくないために、清太郎、お夏、と呼び合う。
入れ子構造、とも違うか!とにかくとにかく、そんな感じのイミテーションの使い方が上手いっつーか、楽しいっつーかさ!!

道中の楽しさは凄く沢山あるからもう、言い切れない!でも結局は、このファクターがすべてに関わってくる気がしちゃう。
おえんさんと子分二人は、自分たちはプロフェッショナルだと思ってるけど、常道なスリにあっさりとふところを破られる。この“新米”スリのお銀さんがまず、金さんをふり袖小僧だと思い込む。
その段に至るまでは、このポンコツ悪党たちが手ごわい金さんをノシちまおうと手を組むけど見事に逃げられたり、楽しい場面が満載。
おえんさん三人組が金さんに縛り上げられて押し入れに放り込まれ、三人三様、金さんをやっつける夢を見るシークエンスは笑いどころのひとつで、ひばりさん弟の見る、金さんに山盛りの握り飯を捧げられ、歩きながら両手に持ってほおばる場面は彼の可愛らしさが本当に出ていて、なんともイイの!

そしておえんさんが見る夢は、せっかくイイ感じになっていた彼との仲を裂く女、思い余って金さんを懐刀でブスリ!!床にはじけ飛ぶ、さっきまで彼と乾杯していた酒杯……。子分の二人が、少々バカバカしいながらもスッキリと金さんをやっつける場面だったのに対して、彼女の見る夢はまさに乙女、いや、女なんだよね……。
男の姿で江戸の民を救うヒーローとして人気なのに。いや……!!そうだ、ヒーローと言われるべきなのに、マスコットと言われていた……これはまさしく、そーゆーことなの!!ニセモノの男でも男なら、ヒーローになれると思っていたら、それさえ見抜かれて、マスコットと言われていたの!!

……とまで言っちゃうとフェミニズム野郎も行き過ぎだろうか……。でも、うぅマスコットよりヒーローの方がずっと認知度の高い言葉じゃんと思ったらますます……。……ヒートアップしそうだから、その論は置いとこう……(涙)。
で、そう、なんだっけ(爆)。そう、楽しい場面、楽しい場面よ。新婚旅行の二人を演じるのは、当時の漫才コンビなんだって!どうりで!!

これまた聞き取れなかったけど劇場内で笑いが起きたので調べちゃった(爆)のは、、「わては聖心女子学院の出やからなあ。」と彼女がダンナと比べて自分の頭の出来が違うと言うシーンとか、とにかくぽんぽんと言い合う様が本当に可笑しくて、彼女がまた、大口の、歯茎むき出しの笑顔の、でもそれが凄くチャーミングでさ、正直ひばりさん、食われてるかも、と思うぐらいな。
だってこの“ホンモノの”お夏さんのきっぷの良さっていったら、ハンパじゃないんだもの!!“ホンモノのふり袖小僧”が自分たちの笠を持って行ったことで、これは商売になるで!みんな宣伝してな!!とホクホクするあたりも最高!そしてここでバッチリ、ニセモノ、ホンモノのファクターを印象付けるんだもの!!

金さんの方はお夏=おえん=ふり袖小僧だってことが判ってるけど、彼女の方は判っていない。お互いの正体を隠したまま、半年後に橋の上で会いましょう……って、「君の名は」じゃん!
そうか、この時代なのか……。マスコットだの新婚旅行だのと、まったく気にせず入れてきているのだから、これは当然、そうだろう、なあ。二人が花火を見上げる場面は、どうかな??いや、江戸時代から花火はあったか……てか、花火は当時の時代劇を彩る、それこそ華やかな要素のひとつだったよな。

でも、おえんたちが逃亡の旅を始める海岸のシーン、笠を立て掛けて海岸にずらりと並ぶカップルの様相は、これは絶対に、当時の、当世風若者を描いてるよね!!
笠はビーチパラソルかな??ホント、等間隔で点在する、笠で隠してるつもりなのか、もうミエミエにベタベタ、それどころかエロエロなことまでし出しているカップルの群れ、これはなんか、もう、センセーショナルっつーか!だってまさか、昔の時代劇を見に来て、こんな場面を見るなんて、思わないじゃん!!
そうよね、“昔の時代劇”っつーのは、その昔の、リアルタイムの現代こそが刺激的な時代だったんだから、うっかり侮れないのよね!!

まあ、いろいろごまかしてるんだけど、ちょっと中盤ねむねむだったりしたんで(爆)、旅一座の娘さんたちがかどわかされたトコとか、目覚めてみたらあれっ、みたいな(爆)。
ニセモノふり袖小僧が、彼女たちを追っていた目明しの藤兵衛だってのは多分、王道な感じで、まあ私はあんまり判ってなかったけど(爆)、恐らくほとんどの人は推理できていたんじゃないかと。
半年後の感動的な再会は、おえんさんが捕らわれるという、しかも恋する相手に捕らわれるという哀しき場面、子分たちは彼にホレこんでいたから泣き崩れ、しかしおえんさんは蒼白なお顔になりながらも、彼にこそ縄をとられることを幸福に感じている様子が、まさに女、なんである。

そしてお白洲に引っ立てられ、当然、金さんはそこで桜吹雪を見せつけて真犯人をあばき、おえんさんは江戸処払いで済むんである。
まあ正直、桜吹雪を見せられて、あの時の!と藤兵衛がひるんじゃう程度で、彼の罪が確定するっつーのは、物証も何もない脅しじゃないの……と現代の目からはそらー思うが、そこを突っ込んでしまったら、遠山の金さんのキャラ自体が成り立たない。でも結構重要な部分かとも思うが……まあこればっかりは、さすがにしょうがない。

重要なのは、やはりこれが、ハッピーエンドのようで、そうじゃない、のかもしれない、という部分であり。
金さんはおえんさんに、いい人を見つけて幸せになれよ、と言った。結局はちっぽけな盗っ人に過ぎなかったおえんさんが、名奉行、金さんと一緒になれる訳もなく……しかし、濡れ衣を着せられたまま、打ち首獄門とならず、江戸処払い、というのはまあ、落着と言う訳だけれど、でも……。
これが女としての、愛の物語なら、もうこれは、愛する人に打ち首獄門を言い渡された方が、映画としては成立するんだと思うけれど、もう成り立ち自体が違うし、それに、女としての幸せが、女の思いを貫徹することよりも、“いい人を見つけて一緒になる”という程度で収まっちゃう時代(作られた時代も、舞台となる時代も)ならば、もうそこから先は、いけないよねえ。あっ、やっぱりフェミニズム野郎(爆)。

つーか、この映画の主役は、金さん、つまりは片岡千恵蔵。ほとんど無視して話を進めてしまった(爆)。
とにかくイイ男だと劇中散々言われる彼だが、水がしたたりそうな若さと美しさを、男装と女の姿の両方でホレボレと見せてくれるひばり嬢に比してしまっては、ベテランの、ちょっとおじさん男優に見えてしまうのがツラい(爆)。ごめんなさいっ!だってやっぱり、当時のスターには疎いだもの……。
高下駄の天狗の面姿でワルモノ質屋邸宅に討ち入りする場面などは現実離れして楽しかったが、天狗のお面だから、まあ恐らく、どころか絶対、その下は片岡千恵蔵じゃないだろうしなあ……。★★★☆☆


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