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「も」


2015年鑑賞作品

モーターズ
2014年 83分 日本 カラー
監督:渡辺大知 脚本:渡辺大知 磯龍介
撮影:中里龍造 大竹優輝 音楽:渡辺大知
出演:渋川清彦 犬田文治 木乃江祐希 前田裕樹 川瀬陽太 鹿江莉生 菅沼拓馬 山本浩司 中野碧 スギム 中野翔平 酒川雄樹 渡辺大知 森岡龍 片倉わき 冨永周平


2015/11/26/木 劇場(新宿武蔵野館/レイト)
監督の名前に驚いて、慌てて足を運ぶ。レイト、眠い(爆)。トークをパスしなければならなかったのは残念。渡辺大知君ならちょっと見たかった(照)。
そう、渡辺大知!あの!今や朝ドラにも出ちゃったあの!若い頃から音楽の世界でアグレッシブに活躍していた彼だから、役者はトモロヲさんのおめがねにかなっての流れかなと思っていたから、彼が大学で映画作りを学んでいるなんてちょっと驚いた。てゆーか、大学の卒業制作。わ、若い、まだそんなに若い(爆)。
今はホント、大学で学んでの……という流れが珍しくなくなった、どころか王道になりつつあることに感慨を覚える。専門学校で学んで、という流れ自体、どこか異端の目で見られていた時代は遠く遠く、遠ざかったのねと。

でも、その卒業制作がいきなり映画祭に出されたり、しまいには劇場公開されたりしちゃうのは、ラッキー中のラッキーであろう。それはヤハリ、彼自身の知名度も働いているのだろうか、いや、才能だと言ってあげたい気もするが……。
とても初々しく可愛らしい処女作は、それだけではナカナカ計り知れないものがあった。役者が揃えられる幸運もあるのだろう、映画作品というのは。それも彼のコネクションかなあ(爆)。いや、学校側のコネクションかも(爆爆)。
まぁとにかく、彼の監督作品ということもあるけれど、主演の名前も私の足を運ばせる理由として大きかった。渋川清彦。今年はなんだか渋川清彦イヤーじゃない??少なくとも私にとっては!!

群馬の映画には必ず顔を見せると言っても過言ではない渋川氏だが、本作の舞台は……えーと、どこだろう……。劇中で明示してたっけ?してたかもしれない、ゴメン(爆)。
でもとにかく、東京に出るのはそんなに難しくないぐらいの距離が、だからこそ遠さを感じさせるような田舎町。それは確かに、渋川氏がこだわり続ける群馬の地元意識と似ているような気がする。
劇中、近くにコンビニはありますかと聞かれて、コンビニ??ないなー、と即答する場面からも、それは明白。

渋川氏演じる田中は、その田舎の整備工場で働いている。アメリカで働いていたことがあると言う話が冒頭語られるが、果たして本当なのかよく判らない。
少なくとも劇中の彼は、オフィシャルサイトの解説でも語られているとおり、“うだつがあがらない”という表現がピタリである。劇中でも、車を整備しているシーンなんてちっとも出てこないから、腕のほどもアヤシげである。
でもとりあえず、中堅どころではありそう、なのは、川瀬陽太氏演じる村田から、新人教育を任されるくだりから判る。でもアレかな、車はイマイチ任せられないから新人教育、なのかな。

その新人、タケオはもうその最初から、入ったばかりなのに辞めるかもしれない、と言う。厳しく当たる村田が原因かとふと思うが、タケオはバンド活動をやるから辞めるんだと言う。このあたりは大知君のバックグラウンドがやはり、影響しているのかもしれない。
物語のクライマックスでライブ場面も出てきて、それが、田中が言うところのヘビメタ、というのは古すぎ、パンク、も違う。ハードコアと言っていたかな??という……まあ言ってしまえばちょっと一般民衆には難しい絶叫系で、このあたりは皮肉な笑いをとっているのかしらん??などとも思うが、それにしてもちょっと微妙、なんである。

てゆーか、まずは冒頭から。冒頭は田中の人となりを示しているシーンだとは思ったが、正直なところちょっと事態を読み込みにくかった。
職場以外の仲間たちも含めた、カスタムバイクの乗りっこ。とにかくパーツが、パーツが、と連呼するあたり、彼らのこだわりがよく透けて見える。つまりそのあたりが本編の物語にも影響してくるのであろうが、なんせシロートなんでよく判らない(爆)。
バイクが好きな男たちの物語なのかな、と思うと、メインは整備工場でほぼほぼ車だし(爆爆)。

このダラダラ系……いや、家庭的な整備工場に転がり込んでくるのは、倦怠期のカップル。夜のドライブ中にエンコして、その車はどうやら彼氏いうところのヤバい物件……仕事場のヤツを失敬でもしたのだろうか??なんか見ている限りではそのあたりがよく判んなかったけど(爆)、まあとにかく、持ち込まれたワケ。
しかしその時、タケオのバースデーパーティーの真っ最中で、まあ明日明日、泊まって行きなよ、飲もうや、みたいな、なしくずしに巻き込まれる。そして田中は、そのカップルの女の子、ミキに恋しちゃうんである。

渋川氏だからさー、もう最初から成就しないだろーって思っちゃう(爆)。後輩のタケオにもその思いがバレバレに漏れてるあたりとか笑える。
蕎麦屋のシーン、「そんなにうまくねえじゃねえかよ」とかいう台詞も含め、なんか映画の王道!!って感じがして、ちょっとテレくさくなっちゃう。長回しとかもしちゃうしさ(爆)。
そしてここで田中が披露する、ジョニー・デップがわっかい頃出てた、つまりジョニデがまだ一介のバンドマンだった頃に出演した「クライ・ベイビー」の話をするってのが、それも、お前はバンドマンなんだろ、じゃあ見た方がいいよ、クライ・ベイビー、てな感じでするのが、わ、若い!青い!!青臭い!!と思ってもう……。
いや、何がどうという訳じゃないんだけどさ、上手く言えないけど、なんかハズかしいの。なんでだろう(汗)。いやきっと大知君、20年後に判るよ!!

で、まあ(……収拾がつかない)。そんな具合で、車が直るまでの、このカップルと整備工場のメンメンとの物語、なのだが、なんか時間経過がよく判らん。
田中がなんか部品を隠したのは、ミキともっと一緒にいたかった、からなのか。いや、その前に彼女自身が車をぶっ壊そうとしていたからなあ。
ちょっとね、このあたりの意図がよく、つかめなかった。倦怠期の彼氏にイラついているミキということなのか、田中側はそれをくみ取ったということなのか、それともその前提自体が違うのか……。

そもそも、そう、言いかけて脱線したけど(爆)、時間経過がよく判んないのよ。とりあえずパーティーで飲んでいたんだから、一晩経過したのは判る。でもそこからが判らない。
もう一回日暮れたり、してなかった??二人をなじみのスナックに連れて行ったのは、一晩目?二晩目??……どうもよく、判らないのよね。二人の仕事事情もよく判らないし。あとから示されるに、彼の方はバイト君、でも彼女の方はしっかりと就職している訳でしょ。仕事はどうしたんだろう……。

最終的には、このバイト君、前田はミキと共に故郷の青森に帰っていく訳である。倦怠期だったから苦労している最中だったけど、それに付け入ってミキに言い寄ろうとした田中は玉砕し、二人は逆に絆を深めた、のかな。判らない。
この二人が登場する最初の場面、彼女もまた仕事をやめようかな、と言った。それはタケオと呼応させたのかもしれないけれど、二人、あるいはミキが特にタケオとなにがしかあった訳ではないので、いまいちピンとこなかった。
いや、田中が、タケオがミキに気があるんじゃないかと邪推するという展開はあったけれども……。
タケオはバンドマンへの道を選択して東京へ出る。ミキは「なんか合わないんだよね」という職場を退職して、前田のプロポーズを受ける。う、うう、予測できるでしょ、フェミニズム野郎の私が何を言いたくなるかがさ(爆)。

確かに仕事が合わなくなるということはあるだろう。その話を受けた前田は、つまんなそうに、合ってると思ったけどね……と言う。もちょっと真剣に聞いていたら印象は違ったかもしれないと思う。
倦怠期だから、ということだったのかもしれんが、これでは、女が仕事に未練もないし、同じ倦怠期の中で示された選択肢なら……しかもヘンな男に言い寄られたりもするし……なんてゆー、具合に見えなくも、ないんである。いやそれは、フェミニズム野郎の言い草だからなんだろうけどもさ!!

てゆーか、タケオさ。働き始めて早々に辞めるという彼は、その冒頭の印象ではそんな、根性のないイマドキの(というのも死語だが)ワカモンに見えた。でもそんな描写はそれっきりで、その後は同僚たち、特に厳しい村田がだが、ただ当たり前の同僚として接しているのがなんともむずむずと気になるんである。
いや、そこまではいい。そんなそぶりを見せないこと、それこそ社会人としてのたしなみというモンかもしれない。
でも、あの部品消失事件よ。観客たちにはその犯人が田中だと判っていた。でもって、その部品を見つけた功労者がタケオだった。しかも、探したら出てきた、というテイにされていたのだ。
つまり、タケオは犯人が田中だと判ってて、そしらぬ顔してかばう行動に出た訳で、でもその、決定的な理由が、ない……ない、よね??いや確かに田中は優しくて、厳しい村田からかばう形でタケオと親しくなったけれども、どこか表面上のような気もしたし……。

そこが、難しいところ。渋川氏の人懐っこさは非常に魅力的な武器だし、それだけで画面がもっちゃうところがそこここある。それこそ、観切れるぐらいのドアップで雄弁に語るその豊かな表情一発で、吸い寄せられちゃう、みたいなさ。
でも、この整備工場での立ち位置が微妙な感じで、タケオの行動が上手く咀嚼できないのだ。その微妙さは、彼自身の微妙さなのか、作劇としての微妙さなのかが、それこそビミョーだという皮肉さ、というのが……。
最後まで、タケオが告白し始めるのを待ってしまった自分こそが古いセンスなのかもと思えてちょっと恥ずかしくなったが、でもでも、オバチャンは判り易いのが好きなんだもん!!

劇中やたらと流れる「BE MY BABY」。これは渋川氏、いやさ田中のテーマソングということなのだろーか?直球のラブソングであり、カッコイイ(少なくともその当時は)ロック。
ベイベー、ベイビー。まさかの、クライベイビーからのつながりじゃないでしょうね??ビーマイベイベーはハッキリと、時代感たっぷりの恥ずかしさも含めた意識を打ち出していたが、クライベイビーだって、そうなんだからね!そのあたりはそれこそ、“微妙”だよなあ。★★☆☆☆


モーニングセット、牛乳、春
2013年 85分 日本 カラー
監督:サトウトシキ 脚本:竹浪春花
撮影:山内大堂 音楽:入江陽
出演:平田満 水本佳奈子 伊藤猛 明日香 桐島あおい 入江麻友子 吉岡睦雄 高野涼 清水柊馬 川瀬陽太 高尾勇次 ほたる 月川修 みずち涼

2015/2/17/火 劇場(ポレポレ東中野/レイト)
本作が、去年の夏に既に公開されていたことを知って衝撃を受ける。ぜ、全然知らなかった!!六本木は完全に行動範囲外だからなあ、多分それで逃してしまったんだ……。
チラシには“都内未公開作ついに劇場公開”とあり、西方面ではきちんと公開されているのが、六本木での公開は、当初の一週間の予定がたった一日きりの上映で終わっている。それは何故だったんだろう……なんともそのあたりの事情が気になるけれども。

そう、気になるけれども、今回正式な?劇場公開が実現した理由は、想像がつく。それはやはり、いや絶対に、伊藤猛氏が死んでしまったからだろう。哀しいけれど、そうだろう。
主演は平田満ではあるけれど、影の主人公、いや、伊藤猛氏のために作られた映画だったんではないかと、確信に近い思いを抱いてしまう。去年、「つぐない」を観た時には、病身だということを知らなかったせいもあったとは思うけど、ただ、“見るたび心配になるぐらい老けこんでいる”などと冗談交じりに書いた程度であった。

でも本作の彼は……劇中で死んでしまう役、というのを差し引いても、差し引く必要もないほど、役作りだってこんな痩せかた、弱り方は絶対に無理だと正視できないほどに、やせ細り、……言ってしまっていいのか判らないけど、死相が、出ていた。
当然監督は、そして周囲も知っていただろうと思う。そして本人も。そうとしか思えない。
実際に死んでしまう役というのが、あまりにもその思いを符合させるのだ。彼の死に水をとるために、この映画を作ったんじゃないか、って、どうしてもそう思ってしまうのだ。

後悔のないように。人生に後悔のないように。あの時のことを、今、今話しておかなければ。あんなにも小さい頃は仲が良かったじゃないか、なのにきっとあの事件が二人の距離を遠ざけた。
多分、初めて知る死というもののの圧倒的な闇であり、その前に、伊藤氏扮する岡部が目にする、初恋の人がレイプされるという重すぎる秘密があった。さすがにこの出来事に少年の春を目覚めさせるなんていうキチクなことはしないまでも、一ミリもそれがなかったとは絶対に言いきれない。
あの時少年だった岡部が目にした、処理されないままの彼女の腋毛は、その事件を知らなかった佐々木(主人公の平田満)にとっても、淡い初恋のフェティシズムであった。そんなことまで知らずに共有していた二人だったのに。

ああ、なんだか動揺して、上手く導入していけない。まあいつものことだけど(爆)。いつもの私だったら、素直に平田満主演♪とハートマークつけて足を運んだというところだろう。平田満大好き、でも主演作ってないよねーっ、とノーテンキに言うだろう。
実際、それはとても嬉しくて、リアル初老の平田満が若い女の子相手にオジサンの悲哀を醸し出すなんて、そんな映画が観られるなんて、ああ私も、同じく年を重ねたんだわあ、なんて(爆)。

でも冒頭、映画に観客を誘い込むのは、伊藤猛氏なんだもの。私、かなり展開が進むまで、このシーンが時空を超えていることがなかなか理解できなくて、岡部がレイプ犯なのかと本気で思っていた。バカ(爆)。
紺の作務衣のようないでたちは、後に居酒屋を営んでいるからと判る。佐々木の家の留守番電話に、岡部自身、死の直前だなどと自覚もなしに吹き込まれていたメッセージは、留守電なぞめったにチェックしないがために、彼の死後になって確認されることとなる。
もうこの時点では、佐々木は死んだ岡部の屍に対面し、「お前、老けたなあ」とつぶやき、死後にのびたヒゲをあたってやる、なんていうことまでしてるのだ。そして、遠い過去の、初恋の人を思い出してもいるのだ……。

ヒゲをあたってやる、は当然、その後、この若い未亡人の腋毛をあたるという、本作の扇情的で、だけど哀しいクライマックスにつながる訳なんだけど、そこまでには色々と時間があるので……。
この腋毛のフェティシズムは本作の魅力の一つだとは思うけれど、そんなこんなで哀しいファクターが多すぎるので、なかなかそれを素直に堪能できなくて……。

でも、アレかな、腋毛って、ワキって、凄く弱い部分じゃない。弱い部分を守るために毛が生える、というのは、下ネタチックによく言われるところで、勿論秘所はそうなんだけど、皮膚自体の柔らかさと、実際に大事な血管やらリンパ腺やらがある部分で、隠された部分、そしてついつい処理を怠ってしまう無防備な部分、ということも相まって、独特のスリリングでデリケートな感覚があるよね……。
ワキへのフェティシズムが、そこから発して、その人を守ってあげたいという感覚に行けばいい?と思うけど、まったく真逆の嗜虐性をも喚起することも当然ある訳で……。

無防備な腋毛に、レイプ犯は彼女の処女を確信したかのようにうっすらと笑い、つぼみをへし折る喜びを全身であらわして、彼女を犯した。
そして彼女は死んでしまった。白ワイシャツにひざ丈の紺サージのプリーツスカートを、ゆるゆるの肩紐でぶらさげているような、もうその時点で油断100%の彼女は、死んでしまった。スカートめくりをされているぐらいでは、彼女は自分自身の無防備なエロに気づかなかった、のだ。

それから半世紀近く経っての、主人公の佐々木の生活は、エロからは程遠い。恐らくもう独立した子供がいるのであろうと想像される、妻から“お父さん”とよばれる、夫婦二人暮らし。
お弁当のおかずだけは奥さんが用意してくれるのか、炊飯器から手ずからご飯を詰めて、都内の小さな事務所へと出勤する。
どんな業種の仕事かも判らないような、こんなところであくせく働いている男たちは無数にいそうな、小さな事務所。ひとつ消し去っても誰も気づかないような。

タイトルは、佐々木の生活をそのまま示してる。昼の弁当は持参するけれど、朝ごはんは喫茶店のモーニングセット、弁当に途中のコンビニ(いや、100均コンビニっぽいあたりがイイ感じにリアル)で買った瓶牛乳をつける。
そして始終くしゃみをしているのは春、の花粉症……かと思いきや、高熱を出して、それを押して出勤して、帰路で吐いて倒れてしまう。それを助けたのが、いつも最寄りの駅近くでティッシュ配りをしている若い女の子であった。

春、というのが季節の春ではなくて、彼女の名前であることは、最後の最後の最後の最後、本当にラストになって明らかになる。
ぼんやり仕事をしていて、ティッシュをバラバラこぼした彼女を最初に手助けしたのは佐々木で、だから彼女は倒れた佐々木に手を差し伸べたのだった。「こんなオジサンに声かけて。援助交際なら金なんてないぞ」とこっちがハラハラするような先走り方をして。

この女の子、後に春、という名前が判る彼女は、確かに現代の感覚に照らし合わせれば、純すぎるかもしれない女の子だった。でもいつの時代も、一番先頭を突っ走るカルチャーを見ちゃうんだもの。こんな女の子だっているよ、と思った。
母子家庭、母親に出来た若い恋人になじめなくて家を飛び出した女の子、高校も中退、そこまでは確かにちょっとありがちかもしれない。
でも同年代の恋人がいて、お互いに初めて同士で、キスまでしか行けてないのが、彼が自分に魅力を感じていないからじゃないかと悩んでいる、というのが、とてもクラシックな青春で、キミに嫌われるのが怖いんだ、自分だってそうだった、と相談に乗る平田満のステキおじさんにきゅーんとくるんである。私だったらムリヤリ平田満にヤラれてもいいけどっ(えーと、この年齢だと〇〇年前の私……おいおいっ)。

春を演じる水本佳奈子のそれこそ無防備さがトキメキを感じるんである。佐々木の妻も、過去の初恋、サチも、未亡人となってしまった岡部の妻も、言ってしまえばサトウ監督のバックグラウンドであるピンク的エロティシズムを実にクロート的に発するから、いい意味でも悪い意味でも安心して見ていられる。
正直、この未亡人と佐々木が再会するシーン、ぐでんぐでんに酔っぱらった彼女が、夫と同じフェチを持った佐々木に、こともあろうに家庭用はさみで腋毛を剃られるシーンは、リアルにハラハラする感じが欲しかったようにも思う……。メッチャ玄人エロ演技なんだもん(爆)。

でも、いくらそんな家庭環境でも、「お父さんみたい」と佐々木に言い、レイプ未遂されてまでも、「私が泣いたら、出来なくなるんだもん」と許しちゃう春の存在は、まあやっぱり、女子的視点から言ったら甘いかなとも思うが、この脚本家さんはお名前からすると女子……いやいや、今はあんまり判んないからな(爆)。
でも平田満をお父さんに見立てたい気持ちは、やっぱり女子かもしれない(爆爆)。それこそ、伊藤猛氏じゃ、ないんだもの。二人ともセクシーな男だけれど、でも違うんだもの。初恋の相手との思い出である、水切り石を彼女に伝授して別れるシーンは、なんだかまさしく、お父さんなのだ……。

そう、それこそ伊藤氏じゃないのだ……。岡部はすんごい若い奥さんもらってて、お悔やみに訪れて戸惑い顔の佐々木に先を制して、若すぎるとよく言われる、と彼女は言ったものだった。
別に若い奥さんをもらうことなんぞ、個人の自由だが、それこそそれこそピンク出身の監督さんと俳優さんたちだから、そういう設定もあるだろうと失礼にも単純に思うが、そうじゃない、きっとそうじゃない。
そう、勝手に思っちゃうのだ。きっと少年の芽生えを、そう、少年の“春”を、大好きな初恋の相手を汚される形で目覚めさせられてしまった岡部が、ずっとずっと、ずっとずっと、さいなまれ続けて、奥さんをもらうのが遅れたのだと。

その奥さんは、初恋のサチに似た人だった。似ているかどうかは、客観的には判らない。てか、似ていないと思う。後に佐々木が春に対して同じ言葉を言うように、似ているっていう言葉は、純粋に愛しく思う女の中に、原体験を見出したということなのだと思うのだ……。
それが結婚相手であった岡部と、そうではなかった佐々木の、どちらが幸福かどうかなんてことはナンセンス。何も知らずに主婦生活を謳歌しているように見える佐々木の妻だって、夫と同様、いやもしかしたらそれ以上に秘密があるのかもしれないのだから。
秘密を共有することが、かならずしも人生のパートナーに必要なこととは限らない。きっと相手も秘密を持っていると思いながら、それが明かされない限り、お互いを許しながら暮らすのだ。

佐々木が死んだ岡部をお悔やみに訪れる場面、死んだ状態(というのもおかしいが)で横たわっているその胸の部分が、呼吸でかすかに上下していた、気がする。ワンカットじゃなかったと、思う。
通常なら、こーゆーとこ、ちゃんとチェックしとかないと!と思うのだが、あえて、というか、わざと、というか、自然に、そのままにしておいたように思えてしまった、のはうがちすぎだろうか??
死を確信して、伊藤氏も、きっと監督も、周囲も臨んだと思う。でも、当たり前だけど、この時彼は確かに生きていたんだ。このフィルムに生命を刻んでいたんだもの。★★★☆☆


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