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「む」


2016年鑑賞作品

無伴奏
2015年 132分 日本 カラー
監督:矢崎仁司 脚本:武田知愛 朝西真砂
撮影:石井勲 音楽:田中拓人
出演:成海璃子 池松壮亮 斎藤工 遠藤新菜 松本若菜 酒井波湖 仁村紗和 斉藤とも子 藤田朋子 千葉愛子 光石研


2016/4/11/月 劇場(丸の内TOEIA)
矢崎監督のもとに集まったこのメンメン、というのはかなり興味を惹かれるものではあったけれども、璃子ちゃんがこれだけの覚悟の役に挑戦するのなら、その覚悟を最後まで貫き通してほしかった、と作品自体とは全く関係のないところが一番気になるし、悔しいんである。
いや、関係ないことはないだろう。一人の少女が恋を知り愛を知りセックスを知りすべての破たんを知る、そのためにその一点だけを除けば完璧に演じているのだから、その一点はまさしく、完璧を成すには致命的な欠陥なのだから。

そうよ、またしても女優よ。おっぱい出さない女優、いやもっと言えば乳首出さない女優!!
こんなこと言うとただのエロ好きとかふざけているように思われるかもしれないが、決してそうじゃない、そうじゃない!!

ここでは何度も言って来ていることだけれど、本当に、不思議なのよ。ここまでやっといて、レロレロチューまでやっといて、乳首以外はすべて見せておいて、なぜそこだけは死守するのかと。あんな面積がそんなに大事なのかと。女優としてのイメージを損なうのかと。
むしろ逆。毎回そうやって乳首を死守するメジャー女優さんに失望し続けてきた私のよーな観客の方が多いのではないの。安藤サクラを見よ、寺島しのぶを見よ!何が女優としてのイメージを損なっているというのかっ。

……怒りのあまり脱線したが、そこを死守してしまうことで、あの時代の息苦しいような熱や、唖然とする秘密が明らかになるクライマックスも、どこかぼやけたものになってしまった気がする……のは、女優乳首隠し症候群にアレルギーがある私だけ、ではないと思うのだが……。
確かに成海璃子嬢はまだ若く、そうした挑戦にはハードルが高いのかもしれんが、だったらこの役を引き受けないでほしいと思うし、それ以外は、池松君とのカラミも見事にやってのけたじゃないの。
なんなのあの、仰向けになって胸をしっかり隠すあの描写はっ。恥じらいを見せているのかなと思ってその後の展開に期待したが、まー、上手く隠すこと隠すこと。矢崎監督もさあ、この女優を脱がすぐらいの気概を見せてよっ。

……うーむ、怒りのあまり更に脱線するが(爆爆)。うーむうーむ、本題に行こう。
舞台は1970年代。そしてメインキャストの年齢を考えると、そう、学生運動まっさかりの時代。半自伝的だという原作者の小池氏は東京生まれなのに、仙台での高校生活。なぜだろう……まあ調べれば出てくるんだろうけれど、めんどくさいからやめとく(爆)。

劇中で両親と妹が転勤で彼女を残していく描写があるから、転勤族ということなのだろう。そしてティーンエイジャー時代を過ごしたここ仙台に、きっと彼女は思い入れがあるのだろう。
半自伝的、という、どのあたりまでが半、なのは気になるところだが、やたら人が死ぬというセンセーショナルな部分はやはりフィクションなのかな。大学の学生運動に感化された高校時代や、バロック喫茶や、何より初めての恋やセックスといったあたりが実際のところなのかもしれない。

メインキャストは四人。璃子ちゃん演じる女子高校生の響子、バロック喫茶で知り合う大学生の男子二人、池松君演じる渉と彼の親友の祐之介(斎藤工)、その恋人のエマ(遠藤新菜)。
新菜嬢は「やるっきゃ騎士」のヒロインだと後に知って、ちょっとビックリする。体当たり演技は共通しているけれど、どこかミステリアスな美女だったあのナンセンス作品とはかなりイメージと違えてきていたから。

んでもって、宣伝的には璃子ちゃん、池松君、斉藤氏という有名どころ三人だけがフューチャーされているが、璃子ちゃんが乳首を死守したために(爆)、余計に新菜嬢の重要性が増した気がする。
彼女はさらりと脱ぐ。ちょっと菊地凛子嬢を思わせる堂々さである。はすっぱな感じが可愛くて、それだけにこの深刻な三人からは浮いていて、だからこそ悲劇的な予感を最初から感じさせるという不思議な少女。宣伝的メジャーキャストに入れられなかったけれど、結局は彼女こそが一番のキーマンだったというこの皮肉。

仙台も学生運動に揺れているけれど、同じく大学生である渉も祐之介も、まるで隠遁しているがごとくに興味を示さない。まねごとのように「制服撤廃運動」を展開している響子に、おてんば娘に対するように目を細めるだけなんである。
彼らが出会うのがバロック喫茶とか茶室とか、表情がよく読み取れない薄暗い場所なのが余計に退廃的なものを感じさせる。
祐之介の恋人のエマはその中で、天然色とでもいうべき天真爛漫さを醸し出しているんだけれども、それだけに、先述したように先が見えているような心細さがつきまとうんである。だってきっと、祐之介はエマのこと、本気じゃないって、最初からなんとなく判っちゃうんだもの。

もうこうなるとオチバレみたくなっちゃうんだけど、祐之介と渉が、そういうこと、だったんである、結局。予測できなくもなかったけど、雷鳴とどろく日、約束していたのに来ない渉を案じた響子が、いつも四人が会う茶室を覗くと、そこで全裸の二人がヤッちゃってたんである。
池松君と斉藤氏という、色気ダダ漏れ俳優二人のそのシーンは衝撃……ではあるのだが、ちょっとぎこちなかったかなーというウラミが。ああ私は何を求めているのだろう(爆)。

だって、男同士で、しかもお互い秘密の想いを隠し持っているんだったら、もっとむさぼり合うとゆーか、なんかそーゆー(爆爆)。斉藤氏が上になって池松君にキスしまくり、乳首とかもなめまくるのだが、下になってる池松君は微動だにせず、なんか苦しそうだし。大体、男同士での体位とも違う気がするし(爆。だから私は何を求めているんだってば……)。
その後、二人の関係が露見した後は、池松君は得意の繊細な感情爆発芝居で、斉藤氏演じる祐之介に対する愛情をもう隠そうとせず、痛々しいほどで、ああこりゃ死ぬな、とそれだけで思わせちゃうぐらいのさすがの表現を見せるのだが、肝心のところだから、ここはもったいなかったなあ。

……何を言っているのか、判らなくなってきた(爆)。ところで、響子が展開している“革命”ってのは、なんというか凄く可愛らしくて、本人と同調している友人二人は真剣なのかもしれないけど、制服撤廃って、とかふふふと笑いたくなるんである。
冒頭、制服を脱ぎ捨てて高らかに宣言し、生徒たちからも熱狂的に支持されはする。その制服撤廃の運動は結局はとん挫し、最後には卒業式拒否運動で“有終の美”を飾るものの、制服を拒否したり、卒業式を拒否したりすることに対する明確な主張が、まあ高らかにいろいろ言ってはいるものの正直見えてこないってあたりが、なんとも青臭くて、可愛らしくて、切ないんである。

それこそが本作のテーマとなっていて、彼女たちだけが幼いのではなく、立派に活動しているように見えていたあの当時の学生運動だって結局は何も生み出さず、熱狂だけで終わってしまった、ということを揶揄しているんだろう。
そうした皮肉な視線というのは、その時代にそこに居合わせて、違和感を感じていた世代が、ベテランの作り手になった今、ようやくぽつぽつと現れ始めた。

でもそれは、そうして描かれても、何かむなしいのだ。結局は何の意味もなかったと、その時代が青春だったと言われるのが。
当時高校生だった原作者の描く、真似事としての革命は、余計にそんな切なさを醸し出す。璃子嬢のおっぱいよりも、重要なところはそこだったのかもしれない。

つまり、彼らはそんな革命から落ちこぼれた人間たちだったんだよね。そもそも渉も祐之介もそうした活動とは無縁だったんだもの。同級生の路上詩人に皮肉な笑いを浮かべるけれども、彼らはそんなことさえ、出来なかったんだもの。
響子はその路上詩人の冊子に、カンパの金額を上乗せして買う。その詩を読み上げて笑うエマに響子はムッとして、返して、と言う。そうか、思えば渉も祐之介も、読むことさえしなかった。ただ微笑を浮かべていただけだ。もうこの時から、何かを世に訴える気さえ、なかったのか。

渉には美人のお姉さんがいる。ひどく印象に残る。響子が嫉妬するぐらい、仲がいい。響子が誤解するぐらい、べったり。
でも、結果的には禁断の恋は姉弟ではなく、親友である祐之介とだったのだ。そしてそれを、姉も知らなかった。響子だけが、知ってしまった。

美人のお姉さんが本当にきれいで、「生理になっちゃったから寒いの」「ちゃんと痛み止め飲んだ?」などという会話を姉と弟はさらりとし、恋人である筈の響子の目の前で腕を組んだりするもんだから、あららら、これは……と観客である私も思ったのだが。
でもこの世でたった二人の姉弟であるということと、お互い報われない恋に身をやつしているということが、二人の絆を強くしたのか。

それにしても池松君はさ、彼こそホント、よく脱ぐよね。カラミが出来る若い男優、ということで呼ばれているような気がしなくもなくなってきた(爆爆)。そしてそのたびに評価されるのは相手の女優の方、というのはなんか報われない。脱ぎ損(爆爆)。
彼の、どこか棒読みのようにつぶやく調子の台詞回しが、この若さにして既に味になっていることに驚きを覚える。旬の役者、斉藤氏のダダ漏れ色気に対して、彼の感情ダダ漏れぶりは見事で……。
響子に対して、祐之介を愛しているけれど、君のことも好きなんだ、という台詞がバカヤロー、と一喝できない切実さに満ちているのは、彼のダダ漏れ演技ならではであろう。祐之介との関係を知って衝撃を受けながらも、渉が好きだという思いで自らを支え続ける響子。

エマが妊娠する。この事件は一気に不穏さを呼び寄せる。「彼は堕ろせと言うけれど、産むの」ひどく無邪気にエマは言って、響子は協力すると言った。むしろ、響子の方が事態の深刻さを判っていないように思えた。そう、むしろ……エマは判っていたんじゃないかって、思った。
そんなことは劇中、語られる訳じゃないんだけれど……ただ、響子には、幼さがつきまとっていたから。乳首を出さないからって訳じゃないけど(爆)、ちょっとバカそうな描写を与えられたエマよりもそう感じるのは、やはり高校生という、庇護される立場だからなのだろうか??

両親と幼い妹が転勤で離れ、響子は父の妹の家に身を寄せた。厳しくするからねと言いつつ、なんだかんだと理解ある叔母は、「ボーイフレンドでしょう。内緒にしておいてあげるから」と渉の存在も認めていた。
ままごとのような革命運動に同調する友人の一人は、きっと響子のあずかり知らぬ理由で入院した。明らかにはされなかったけど、何かこう……“大人の事情”を感じたのだ。今の響子には経験できていないような。

エマは祐之介に殺されてしまう。そしてそのまま祐之介は行方をくらます。戻ってきた時、迎えた渉は憔悴しきっていて、自分が彼の罪をかぶろうとする。冗談交じりではあったけど、エマの殺害計画を共に立てていた、自分がいなければエマは死ななかったと。
そして、祐之介は捕まり、渉は……最後の最後に響子に電話をかけて、海にいるんだと言って、そして、死んだのだ。自ら命を絶って。

矢崎監督らしい静謐でリリカルな画作り。学生運動はエネルギーがある筈なのに、それさえもその中に沈み込む。
個人的な好みとしては、親身になってくれる叔母、藤田朋子が素敵だった。理解の範疇を超えた娘に対してビンタしか出来ない父(自分の兄)光石研との間に挟まって。
独り身、なんだろう、自宅でピアノ教室を開いているというそういう環境、実家を引き継いだのか、古い日本家屋、気慣れている感の普段着の和服。
エネルギーを持て余してる姪っ子を慈しんでいる感じが、何ともいいの。はっちゃけたイメージがずっとあった彼女が、こんな孤独と影と複雑さを持ち合わせるようになったんだなあ、って。
こういう叔母さんに、私もなりたい(宮沢賢治風)。

でもやっぱり、璃子嬢には見せてほしかったよ……。だって、冒頭の制服脱ぎ捨ててスリップ姿になるシーン、前かがみになった時の乳白色の谷間にキャーッと思ったし、その後も隠しまくるものの尋常じゃない豊かなおっぱい、ハッキリ言って巨乳!!あの武器を使わないとは、もったいなさすぎる!!てか、意外、あの巨乳!!★★★☆☆


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