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「や」


2015年鑑賞作品

ヤギ、おまえのせいだ
2012年 45分 日本 カラー
監督:柴田啓佑 脚本:柴田啓佑
撮影:佃友和 音楽:鈴木順也
出演:木下あかり 渋川清彦 渡辺行毅


2015/6/11/木 劇場(テアトル新宿/レイト)
「ひとまずすすめ」の併映として上映された本作。作品データを覗いてみて、これがクラウドファンディングというシステムにて資金調達されて作られた映画だということに大きな感銘を受ける。今は当たり前のシステムなのかもしれないけれど、それが実際に実現されている作品には初めて出会った。
その昔、山本政志監督が南方熊楠の映画を同様のシステムで資金調達を図ったけれど目標額に届かず、撮影が途中でとん挫したままだったことがあったことをふと思い出した。だからどこかで、理想的だけど絵空事のようなシステムのイメージがあったんだけど、あれは本当に大バジェットで、一口金額も大きくて、そういう意味では確かに絵空事だったのかもしれない。

でも、こうした無名の、あるいは学生のクリエイターたちが、小さな作品を作るために世に出る方法として、こんないいシステムはないのだ。
達した目標金額が三十万という小ささであることにも感銘を受ける。だってそれぐらいの金額なら、今までのイメージではアルバイトでためたお金を、みたいな感じだったじゃない。でもそれではいけないのだ。プロになるのだから。そのためには資金をアルバイトで貯めたりしちゃいけないのだ。
企画に賛同してもらってお金をもらう、企業ではなく個人というスポンサーを募って。そしてそれが口コミに広がる。なんて素敵なんだろう!

と、作品とは全然関係ないところからスタートしてしまったが、でも全然関係なくもないと思う。この若き監督さんが企画したこの作品は、小さな作品ではあるけれど、近しい人を立て続けに亡くした経験が本作を作るきっかけになっている。作品自体にもダイレクトに反映されている。クラウドファンディングで出資した無数の人々は、この企画に打たれ、若い才能に小さな賭けをしてみたくなったのに違いないのだもの。
そのこと自体が、作品が出来上がる前から作品価値を高めるという不思議な現象。そしてこの作品を経て次の作品では、見事さまざまな映画祭で受賞を射止めるのだもの!

だから、まだまだ作品自体に行けてない(爆)。でも、そう、そういうきっかけだったのねと思った。ちょっと、意外だった。私はてっきりヤギありきかと思ってた(爆爆)。
だってこの迷い子ヤギさん、めっちゃ可愛いんだもの。そののどかなヤギならではのお目めに、ふと「2つ目の窓」で屠殺されてしまうヤギさんが頭をよぎって暗い気持ちになったが、そういう意味では、ペットとして飼われるヤギさんというのはどことなく平和ボケな象徴のように思われなくもない……というのはそれはいくらなんでもうがちすぎとゆーものだろう(ゴメン)。

でも、本当にこのヤギさんが可愛くって、そしてこのヤギさんが彼らを導いていくんだもの。迷い子というのは間違いない。街に捜索の貼り紙が貼られていたんだから。
でももはや相当の時が過ぎたのか、飼い主は引っ越してしまって、電話も通じない。その点ではヤハリ、どこか不思議度が漂う。だって迷いヤギがそんな長い期間無事に生きているのも不思議だし、特に苦労した様子もなく、汚れてもいず、ニコニコ笑ってるような目をして人懐こく現れるのだもの。
ヤギさんの風貌は、どこかそんな仙人にも似ている。遠い高みから悩める人間どもをニコニコ眺めているのだ。

なんてことも、うがちすぎだろうか。でもでもホント、ヤギさんがあまりにも可愛いんだもの!!
んで、登場人物、メインの登場人物は三人。幼い弟、女子高校生の姉、姉の通う高校の用務員のおっさん。この三人。
冒頭、この姉弟がおっさんの転居先を訪ねるシーンから始まり、一度時間が巻き戻される。この手法はいっときハヤリのようによくあったなあ。個人的にはネライ過ぎな気がしてあまり好きではないのだけれど。

姉弟の両親は交通事故で突然他界、今は祖母のもとに身を寄せている。用務員のおっさんは、後に知れるところによると妻が自殺している。彼に当てた最後の手紙の内容からは、夫婦間は何の問題もない、愛情あふれる夫婦だったらしいが、何が彼女を追い詰めたのかまでは……判らない。
この、交通事故で突然断たれた命、自らの手によって断たれた命、という二つのファクターが、先述した、監督さん自身が経験した近しい人の死であったことを後に知る。
正直観ている時には、かなり用意された設定に思えて、そんなにクラくしなくてもいいのになあ、なんて思いもあったのだが、実際の経験を相当の覚悟をもって作品に盛り込んだことを知ると、スイマセン……とこうべを垂れる気持ち(爆)。こーゆー風にいろいろうがっちゃうのはホント良くないよね(爆爆)。

用務員のオッサンは、だーい好きな渋川清彦。彼は自分のアイデンティティである群馬愛でも知られるが、だからこそこういう地方の風景のやさぐれたオッサンにすんなりとハマる。監督さん自身も、あふれる郷土愛が感じられて、好感度高し。
広大な敷地にズラリと並ぶ墓石は奇妙なスタイリッシュ感だが、それは土地の狭い東京では得られない独特の違和感、何かアメリカあたりの広大な墓地のような感じさえする。

そこに、ヤギさんが紛れ込んでくるんだから、もはやこれはファンタジーワールドである。
まだまだお父さんお母さんが恋しい年頃の幼い弟が墓参りに訪れているところにひょいと現れるんである。なんと不思議な。それこそうがって思えば、お父さんお母さんの化身として見守るために現れたように思うではないか。

お姉ちゃんの方は、すっごく我慢して暮らしてるのね。お世話になってるおばあちゃんに迷惑をかけちゃいけない、と。幼い弟が、「お母さんだったら……」と無邪気に口に出すのに対して敏感に神経をとがらせる。
逆にそういう態度が大人を傷つけるかもしれない、という段階には達していないあたりが、幼い弟よりは格段に物わかりがいい年頃とはいえ、やはり子供なのだ。

渋川清彦演じる用務員のオッサンは、そうした大人の仕組みを意識してるのかしてないのか、ぴょんと飛び越えてしまう。ヤギを飼うようおばあちゃんを説得してほしい、と言われてひょこひょこ現れて、「飼えるよ、こんな田舎なんだからさ」と、確かに古い一軒家でヤギの暮らすスペースぐらいは充分にありそうなのを見取って、言うんである。
実際、おばあちゃんがなぜヤギを飼えないという判断をしたのかが明確じゃなかったのは、難しいところだったかなあと思う。おばあちゃんはエンリョをしている孫たちを気遣っている、その気持ちは明確にされているからさ。
「ヤギは困るけど」というのは、何が困るのか、別に問題なく飼えそうだけどなあ、と思っちゃう。

冒頭の次の、時間軸がいったん戻された物語の始まりは、お姉ちゃんの方が学校の屋上から用務員のオッサンを見つけるところから、なんだよね。何の理由でか、居合わせた教師から罵倒されているオッサン。そしてこの教師が屋上にいるお姉ちゃんを見つけ、危ないだろ、と声をかける。
確かに柵も低い屋上でふらふら歩いている彼女は、まるで自殺しそうに見える。やはりそのあたりも計算内に入っていたのだろうか。

ヤギはいったん、オッサン預かりになる。オッサンの家を訪れる姉と弟。飾られた奥さんの写真におずおず問いかけるお姉ちゃん。「……まあ、事故みたいなもんだな」
後に自殺だったことが明らかになることを考えると、彼にとってはまさに事故みたいなこと、納得なんて到底できないままここまで一人で生きてきた、のだろう。
お姉ちゃんのオッサンに対する恋一歩手前のような共感は、そう思うと何か痛々しい。弟は無邪気にオッサンになつき、太郎(ヤギのことね)を食べるなよ、とけん制する。

恋一歩手前、なんて思うのは渋川氏が大好きなもんだから私がついつい抱いてしまう妄想だろうか??女子高校生の予想以上の潔癖さというか、孤高に生きてる心持が彼とウッカリ共鳴してしまう感じにキュンときてしまう。
弟に言われてしぶしぶヤギを引き受けることも、もういないと判っているヤギさんの飼い主探しも、私の中の、イイ人オーラ全開の渋川氏そのものなんだもの!不器用で学校をクビになってしまって、何の義理もないのにヤギさんをバンの後ろに荷物と一緒に詰め込んで、より田舎に引っこんで再出発する、なんて言うんだもの!!

ああ、イイんだよなあ、本当に、彼!正直、脚本上、台詞上、なんかムリがあるというか、かみ合わないというか、すんなり、しっくりこない、作劇ありきかも、と感じる部分は散見するの。それは若い役者さんたち……つまりこの幼い弟、女子高生のお姉ちゃん、ではそのままでしかできないところなんだけど、やっぱり渋川氏はそのあたり、味わい深いんだよなあ。
筋骨たくましくシュッとしてて、タトゥーが入ってるようなファッショナブルさなのに、彼の醸し出す、人のいいあんちゃんオーラはなんだろうね!!まぁ、顔だろうけれども!!(爆)

そして、冒頭の時間に戻ってくる。お姉ちゃんと弟は、オッサンを訪ねてくる。田園が広がる、更に田舎の風景。そのど真ん中を突っ切る車のオジチャンに声をかけてもらって乗り込み、到着する。このワンエピソードのみで、オッサンのこの地での受け入れられぶりが判る上手さ。
「わりぃ、太郎は食っちまった。ジンギスカンでな。ジンギスカンは本当は羊なんだけれども……」あからさまなウソで弟を怒らせながら、でも次郎がいるから、というほのぼのオチで観客を幸せにさせる。

大事な人を突然失うという経験から始まったこの物語は、それでも人同士でしか信頼し合えない、という頬が赤らむような理想をまっすぐに掲げて終わるのだ。
今の年の私には、そうまっすぐに言えないかもしれない、このまぶしさ。まぶしさが、とても素敵だ。。★★★☆☆


やるっきゃ騎士
2015年 75分 日本 カラー
監督:平林克理 脚本:平林克理 一雫ライオン
撮影:早坂伸 音楽:野島健太郎
出演:中村倫也 遠藤新菜 柾木玲弥 柳英里紗 アレクサンダー大塚

2015/6/5/金 劇場(池袋シネマ・ロサ/レイト)
好きなタイプのエロナンセンスだっ、と思ってチェックしていたが、上映終了間際まで忘れていて、慌ててスケジュールに入れた。眠さを吹き飛ばす……とまではいかなかったし、劇場のガラガラ加減も寂しかったが、まあそれはこのシネマ・ロサではいつものことだ(爆。だからこの劇場が気楽で好きなんである)。
眠さを吹き飛ばす……とまではいかなかった、のは、去年あたりからミョーにエロ映画の機運が高まっているからであり、その中で、エロといえども懐かしエロ、結局最後まで女の子の最強の武器、おっぱいを出さずに終わってしまったことが、若干の残念感を運んでくるからかしらん、とも思う。

そう、ウリは懐かしエロ、だったんだね。オフィシャルサイトを覗いてみるとまずもう、80年代のエロ漫画を原作とした、当時の懐かしエロこそがメインテーマであると、はっきりと明示してあるんだもんさ。
つまり、ブルマ、スカートめくり、女風呂覗き、なんである。な、なんと平和な時代(爆)。今の時代、高校生のエロを描かせて、セックスはおろかおっぱいも出てこないなんて、あ、あり得ない。
あり得ないのだが、このスカートめくり、スカートめくりなんて80年代でさえ幼すぎやしないか……小学生の文化だよね……と思いつつ、スカートめくりという行為自体よりも、その結果として現れるパンチラこそがひどくエロエロで、私はちょっと、打ちのめされてしまったのであった。

パンチラどころではない、チラじゃない、丸見え、パンツ丸見えである。ああ、女の子のパンティー(この言い方自体、懐かしエロだっ)というものの、なんと非機能的なこと、大事な部分を申し訳程度に隠すだけの、衣服として人間を守る進化を放棄した退廃さよ。
退廃文化を謳歌したロマネスク時代だって、こんなにフリフリ、キュート、セクシー、チャーミング、コケティッシュ、どういい連ねても足りない、この女の子のパンティーのエロエロな魅力には勝てないであろう!!
女の子の下着とゆーものは大概そうではあるが、やはり秘部を隠しているという点においては、ブラジャーもスリップもガーターベルトですら、このパンティーのエロな魅力にはかなわないのだッ。

うーむ、ついついがっついてしまったぜ。だってさ、スカートめくりの”被害者”になってないのは誰だと、そのただ一人残されたのがヒロインである武道系美女、静香様であり、つまりつまり、スカートめくりが男と女の戦いの火ぶたを切る、最重要項目であるんだもの!!
それだけに劇中ではその描写には、ナンセンスといえどもかなりの力を注いでいて、ストップモーション、スローモーション、女の子のスカートをめくりまくる主人公の誠豪介は曲がりくねる階段を駆け上り、陸上選手のように駆け抜け、時に側転さえしながら女の子のスカートを次々とめくっていくのだ。
彼のそのワザにも感嘆しきりだが、素晴らしいパンティー姿を丸見えにさせる女の子たちのその意気や、良し!だってひょっとしたらこれって、キスシーンよりカラミシーンより、ひょっとしてひょっとしたらおっぱい見せるより恥ずかしいかもしれないんだもの。そう思うぐらいの、エロエロなのだッ。

いい加減本題に行かなきゃね。本題って何だろう(爆)。なんてぐらいにも思うほど、期待通りのナンセンス。聖愛学園という、その名の響きもエロな学園はしかし、その昔は平和な男女共学校。ある厳しい生徒指導教師を怒らせてしまったことから、女生徒が抑圧される恐ろしい学園になってしまった。
しかしその先があった。女生徒の中に立ち上がる者があった。それが美崎静香。自治クラブ会長として名乗りを上げ、この教師をボコボコにして病院送りにしてしまったのだった。

それ以来、この学園は女尊男卑を掲げ、男子生徒にとって生きた心地のしない場になってしまったのだった。男女恋愛はもちろん禁止、男女目を合わせることも、そして何といっても勃起が禁止!
男子所属の部活動は、彼らを縛り付けてエロ写真を見せ、勃起したら部費はナシという、ナンセンスにしても男子にとってはあまりに痛ましいシーンから始まる。勃起した先に電流の流れた網が仕掛けられているんである!!
それを見た誠豪介は激怒、そして自治会長の静香に一目ぼれしちゃったことで、男女の闘いが勃発、そして帰ってきた生徒指導教師との壮絶なバトルに発展するんであーる!!

……うーむ、こう書いてみてもなかなかのナンセンスぶり(爆)。女たちが男どもを下に君臨する世界は好きではあるが、誠豪介以外は男がナヨナヨと弱すぎるなァ(苦笑)。
まず誠豪介を男子生徒会長に持ち上げる山田君は、首から下げたカメラで丸わかりの写真部、つまり文化部で、寮生活を送る男子諸君は総じて文化部っぽい弱々しさなの。
てゆーか、劇中出てくる”全生徒”が少なすぎて、一クラスぐらいしかなさそうなのが、予算の少なさを感じさせるなあ、何とも……。
豪介が女子たちのスカートをめくる時の”補佐”男子たちが、お定まりにバスケットだのそれ風の運動部的ユニフォームを着ているのがなんとも記号的というか。

まあそんなことは割とどーでもいいのよ。こういう物語設定だと当然、ヒロイン、静香様は女の子たちの間で女神のごときに崇め奉られる。それは男子生徒たちにとってもそういう存在だけれど、彼らにとっては恐るべき、ネメシスのような存在だが、彼女たちにとってはまさにミューズ、なのである。
そしてそういう、女の子たちの世界、かしずかれるミューズと美しき天使たち、の図式が、私は大好物、なんである!!なので正直、もっとソッチ系のエロを期待していた、というのは否めないところなのであるが……(爆)。
正直正直、静香様と、右腕であるチカコのエロな場面ぐらいは見たかった(爆)。一緒にお風呂に入ったり、おっぱい大きくなったんじゃないの、なんて触り合うシーンだけでは、男子の妄想世界の中にとどまっちゃうもの!

まあ仕方ない。だってこれは男子コミック、しかも80年代の、妄想の世界が限界なのだから……。
チカコを演じる柳英里紗嬢の、黒髪ボブにメガネの大人しめ、だけど静香様を守ることに全力、の女子は直球ドストレートに好み。絶対見たことある子だと思ったら、私の思っていた作品の子じゃなかったけど(爆。もうこの時点でダメだっての(爆爆))、「惑星のかけら」「チチを撮りに」と、その成長をまぶしく見つめていたあの子!キャーーー!!彼女ならおっぱい出せたのになあ、いやいや(汗)。

でもホント、ドンピシャだった。ああ、こんな女の子!と思う女の子だった。原作のキャラを外見から研究して臨んだというから、きっときっと、原作ファンにもドンピシャであっただろう。そんな気がする。こんな子、タマランもん!
チカコは物語の発端となった、生徒指導の教師の”お気に入り”と彼に公言されている。映画の中ではスカートの丈の長さを股間から測るから股間の位置を示せ、というぐらいがギリギリのエロ。まあ80年代少年漫画そのものが、それがギリギリだったのかもしれんが。

でもそれが、この超文科系女子のおどおど感と相まって、た、タマランのよーっ(泣)。
ヒロインの静香様は見るからの女王様キャラで、彼女がきわどい格闘技系ファッションをしようと、首輪に鎖をつながれて跪かされようと、凌辱される弱さはなかなか感じられないのがもったいなくて、それをもっぱらこのチカコ嬢に担ってもらってる訳。
いやーそれが、何ともタマラン訳よ、彼女はちゃんと?パンチラ、いやさパンツ丸見えも見せてくれるしね!

で、静香様、である。彼女だけがスカートめくりの被害を受けずにここまで誠豪介と闘ってきた。
後から思えば、彼にだけ、自分の意志で、自らスカートをめくって、その純白の、高価そうな布質の(絹っぽい)、清楚なパンティーを見せることで、敵との戦いへのエネルギーを彼に注入させる、つまりはギャップのパワーがあったんだけれどもね。

しかし彼女の素性はちょいとナゾである。それは映画の尺の限りがある故ではあるだろう、ちらと彼女のつぶやきと、慎ましく飾られた写真立てから推測するに、この学園の創設者の家系に属するのかと思われるが、明確にはされない。
つまり映画となった本作では、そんなツマラナイドラマ部分はさらりと触れるだけでOKという判断らしい。それは確かに正解だったと思う。尺だけではなく、このナンセンスエロの魅力がちょっとの要素の重さのバランスで崩れてしまうんだもの。そこは徹底すべしというのは確かに正解!!

でもさらに、主人公である誠豪介の存在が謎であることが気になるんである。このことに関してはハッキリと、「転校を繰り返しているということしか判らない」とチカコが静かに報告し、不気味がるシーンが用意されているもんだから、さすがに気になってしまうんである。原作ではつまびらかにされているのだろうか?どうなんだろう……。
ナンセンスエロのまま描き切るならば、映画化作品では、ただ救世主として現れたエロヒーロー!ということにしてほしかった気もしたり。

だってなんか気になっちゃうじゃん。何のために突然この学園に転校してきたのか、それまでも転校を繰り返してきたというんだから。まあ恐らく、とゆーか当然、エロを求めてそうしてきたんだろうけれど(爆)。
それは冒頭、ブルマーとスクール水着の洗礼に、やっと見つけた!とばかりに狂喜した彼の描写で勝手ながら推測させていただきましたが(爆)、例えオチがそれでも、大団円のハッピーエンドを迎えるのなら、明確な設定を示してほしかったなあ。

そうなの、予想外に(爆)、大団円のハッピーエンド。サイボーグと化した教師を誠豪介の禁欲でためたエロエロパワーで見事撃破!!
生徒たちからとっときのエロ本(伝説のエロ本含む!)を収集してそれで魔法陣を作ったり、再三天空まで吹っ飛ばされたり、ギャグな描写を繰り返しながらも、ボロボロ、血だらけになっても立ち向かう誠豪介にうっかり感動しそうになる、いやいや(爆)。
でも結局この場面では、静香様からこっそり渡された、「ピンチの時には見てね」という写真は使わずに済んだんだよね。そのエロ写真でパワーチャージするんだろうと思ってメッチャ期待してたのに(爆)。結局は基本に帰った?スカートめくり戦法で見事撃破したんだよね。

で、平和な学園生活が戻り、豪介がこっそりその写真を見て鼻血ブーーーー!という、平和なナンセンスオチで物語は終わる。が、見せてくれない。
結局、ヒロインが見せたのは、純白パンツとセクシー格闘技の、下からあおった食い込みショットのみ、まあそれでも充分エロだったけどさ!!あの首輪に鎖がエロに見えなかったのが、なんといっても残念無念!

本作の収穫はなんといっても柳英里紗嬢である。ああ、やはり、彼女は素晴らしい。この物語の発端、事件のきっかけとなったのが、チカコ嬢にホレてる山田君が教師に仕掛けたワナだったというのが、なんか純愛ぽくて泣かせるんである。
ほんの少しの回想シーンだけど、教師にいたぶられているチカコを助けられなくて逃げ出す山田君を、哀しい目で見送るチカコ、っていうシーンが、切なくてね!それだけに二人のラブなシーン、ラブな展開を期待しちゃった、ということもあるかなあ。★★★☆☆


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