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「い」


2017年鑑賞作品

イノセント15
2016年 88分 日本 カラー
監督:甲斐博和 脚本:甲斐博和
撮影:本杉淳悟 音楽:岡田太郎 TEYO
出演:萩原利久 小川紗良 影山樹生 中村圭太郎 信國輝彦 木村知貴 久保陽香 山本剛史 本多章一 宮地真緒


2017/4/10/月 劇場(UPLINK)
この日は偶然にも、15歳という同じ共通点の映画を二本観ることになった。東京からほど近い地方都市というところも似ている。でもこんなにも違うのか。まあ違う作品なんだから当たり前だけど。
何もない町にタイクツを感じながらも出て行く気力もない「そうして私たちはプールに金魚を、」の少女たちと、町自体のあれこれに気を回す余裕もなく、自分自身、自分の家庭環境の厳しさと必死に戦っている本作の二人と。
この二人は一度、東京に出る。でも戻ってくる。戻りたくて戻ってくるんじゃないけれど。

銀と成美。中学校三年生。銀はさびれたビジネスホテル(というか、格安旅館のような)を経営する父親と二人暮らし。野球の実績で高校への推薦入学が決まっている。今日も今日とて、学校にも行かずにブラブラしている友人たちと何をするでもなくつるんでいる。
成美は銀のことが好き。物語の冒頭で、実に初々しく告白をする。ごめん……と謝る銀。ひやかす銀の友人たち。一瞬、ヒヤッとするが、後に明らかになるけれどもこの友人たち、実にイイ子たちなのだ。なんで学校行ってないんだろうと思う。いや、学校に行ってるからいいという訳じゃない。そういうことを示したかったのかな。

そういや上映後に監督さんの舞台挨拶があって。普段だったらそういうの聞いちゃうとすっごく左右されちゃうタチなので帰っちゃうようにしてるんだけど(失礼な客だよねー(汗))、この日は次に観る映画までかなり時間があったのでつい(爆)、聞いてしまった。
静謐な映画の印象とは違ってかなりしゃべくりな監督さんで、本業が劇中に出てくるような行き場のない子供たちをかくまう場所での仕事だというのは興味深く、だからこそこの真摯な雰囲気が出るのかなとも思ったが、でもやっぱり聞くんじゃなかった(爆)。

いや、劇中に結構、意味深というか、謎を解きたくなるような人物や設定があって、そういうのってこういう感想文をつらつら書いていると自分なりに解釈したくなる楽しみだからさ、そういうことも語ってらっしゃったからしまった、と思って(爆)。
んー、でも、この友人たちのことに対しては特に解明はしてなかったけど。ただ銀が、「別に、友達じゃないし」とか言う、僕自身もそういうところのある子供だったから、と語っていたのが印象深かったけれども。

軌道修正。で、成美の方はかなり厳しい家庭環境である。母子家庭。母親は成美におさんどんをさせ、受験なんかしないでフーゾクで稼ぎなよ、と勉強している教科書をとりあげてトイレに流すという鬼母。
若干、子供のために食事を作るのこそが母親、という定型が前提になっているような気も少なからずするような気もしたり。最終的には自分の恋人に娘の処女を10万円で売るなんてことをするんだから、まさに鬼畜母には違いないのだが。

でもバレエを習わせていたんだよね。しかもあの感じでは幼い頃からずっと長いこと、という感じだった。お金がかかるから……と銀の前で辞めた理由に言葉を濁した成美だったが、そこからの展開を見るにつけても、この鬼畜母が娘にバレエを習わせ続けていたことが本当に意外で、しかもこのバレエのエピソードが特に物語に影響を与える訳でもないので、なんだろうなあと。
バレエ教室に顔を出すシーンはあるが、それだけで。このシーンで成美ちゃんは助けを求めるのかしらんと思ったがそういうことでもなかったし。

てか、成美は助けを求めない。もう切羽詰まって、あっくん(その、処女を買おうとしている母親の恋人)から逃げるために東京にいる父親の元に行っても、自分の事情を説明しないし。
なんで説明しないの!!!と思っちゃうが、言えない、のかなあ……これを単純に、親はどんな親でも大好きだから子供は言えない、などと私は言いたくない。そーゆー教育者が言うようなこと、言いたくない。嫌い、大っ嫌い、それでいい筈。なのに、なんで言えないの。

銀はちょっと、事情が違ってる。銀の父親は息子を大切に育てている。それが判るのは、帰宅した銀が宿泊客が来ていると知って「何泊?明日はお葬式に出席するんでしょ、(お客さんの)食事はどうするの?」と的確に確認してくることで、知れるんである。
お客さんというのは、そのお葬式、どうやら同級生か先生なのか、高校時代の関係者が亡くなったということらしいが、それもまた明確には示されない。物語に影響のあることなのかな、と思って若干身構えてみたがそういうことではないみたい。
本作にはそういう雰囲気がそこかしこにある。それこそ舞台あいさつで監督さんがちらりと口にしていた、人間にはいろんな面がある、ということなのかもしれない。でもなんか気になっちゃうのよね。

銀は、お父さんとこのお客さん、菊池のラブシーンを見てしまう。菊池を演じる本多氏が、長髪が妙に色っぽい、喪服がよく似合う渋い色男なので、最初からそういう予感は感じていた。ラブシーンは見切れるけど(残念……)。
しかしさ、息子が階段を降りてくる音も、お父さん、と呼びかけた声も、見つかるまでには充分な間があったと思うのに、とりつくろえなかったのかよー!!と思ったり。まあそしたら話が進まないけど(爆)。しかし、結構決定的に生々しい場面を見ちゃったってことだろうなあ……。

でも銀がショックを受けたのはそこではなく、銀自身がゲイであることを自覚し始めていることこそが原因だったんであった。
後にそのことをあっくん経由で知る成美の母親が「中学生でホモって」と、嘲笑することに戦慄する。つまりあっくんもそう思って、その情報をリークしたんである。
ホモという言い方も聞きたくない侮蔑的表現だが、彼女の言い様が、いかに根本を判っていないかということ、そしてそれは日本の大人の知識の未熟さの現状であることをまさにさらしているんである。
アイデンティティを年齢で判定し、しかもどちらにせよ侮蔑している。あんたらはそんなことを判定するほど出来た人間なのかよ!!

……うーむ、ついついコーフンしてしまった。でね、銀君は「ゲイって、遺伝するの?」と問うのだ。そんな、何それ。それって、まるでビョーキみたいに思ってるってことじゃないの。
ああでも、成美の母親が嘲笑したように言ったあの言葉が、いまだに世間の感覚のように銀の心に突き刺さっているのだ。遺伝じゃないし、悪いことである筈がない。ただその人のそのもの、ただそれだけなのに。
そして銀君は、お父さんの恋人の菊池を、優しく理解してくれている彼を、そういう懊悩のうちに殴打してしまった……。

成美と銀は、そうしたお互いの厳しい状況から抜け出さんとするために、東京に向かう。
この地がどこであるのか、明確にはされていない。でも、東京に列車で行ける範囲内ならば、やはり近郊都市であるんだろうと思う。
東京から近くても、バイパスが通っただけで、町は廃れてしまう。その感覚、地方都市を渡り歩いていると本当によく判る。そしてバイパスを通す時には甘い言葉で住民を騙す(と言ったらアレだけれど)ということも。
それこそ「そうして、私たちは……」で、イオンだけが遊び場だという描写があったが、そのイオンにバイパスを通すことで、地元商店街は廃れる。それが地方都市のリアルなのだ。

正直、成美のお父さんには期待してなかった。ソデにされると思った。でも思えば母子家庭で、母親が何の仕事をしていたのかも判らなかったけど、決して稼ぎのいい感じには見えなかったのにバレエが習えていたこと、「大きくなったな」「もう15だよ」の台詞からして、離婚してからかなりの年数が経っていることを考えると、このお父さん、養育費はちゃんと払っていたのかしらんと考えたり。

通常の物語づくりならばまずそこでつまづかせ、養育費も飲みつぶすとかしそうだから(昭和な考え??)、意外にこの母親はそんなにひどくない??いやいや、娘の処女を高く売ろうなんてサイテーに決まっているのだが!!
……なんかそういうね、観客をうろうろさせる要素がいろいろあって。決してそれはだからダメということじゃなくて、そういう人間の複雑さという気は確かにしていて。うーん、でも、複雑さを示すようなキャラ設定や芝居は見えなかったけどねえ……宮地真緒、徹底的にヒドい母親だったけど。

で、脱線したけど、成美のお父さんは戸惑いながらも受け入れてくれるし、食事も作ってくれる。でも成美がこっそり銀を引き入れて泊まらせたことで怒ってしまう。「何もしてないよ」「そういうことじゃない。お母さんに連絡したから、帰りなさい」
事情を何も言わない成美にも、事情を何も聞かないお父さんにも超絶腹が立つ!!お父さんが電話で韓国語を喋っていたナゾも解き明かされないまま……。お父さんは在日さんなのかな?
監督さんが言うように人間にはいろんな面があるということではあるけれど、映画という限られた物語世界の中でそれをいくつも示された上で着地点がないと、正直、消化不良の気持ちだけが残ってしまう感もあるんだけどなあ。

で、二人は戻ってくる。当然、成美は折檻される。それをなすすべもなく銀君は見ている。
東京から戻るまでの間に、二人にはちょっと、ロマンティックというか胸が詰まるようなシークエンスがある。結婚式場に忍び込む。銀君のバースデーに合わせてケーキを用意する成美。キスを交わす。

でも成美は判ってる。銀君が女の子を好きにはなれないこと。だからこそ言う。「私、銀君が好きだよ」一度告白した言葉を何度でも。銀君はただ、黙り込むしかないのだ。
最後の最後に、ラストシーンで銀君は、「佐田(成美)のことを好きになりたい」という。そういう表現をする。そういう表現しか出来ない。でも、そういう表現はする必要なかったよ。成美だって判ってる。そして銀君自身だって判ってることじゃないの。

再びあっくんに、処女を奪われる危機に襲われる。勝手な行動をしたから、もう親の裁定から逃れられない。
一方の銀君は、お父さんと菊池にやっと頭を下げることが出来る。言葉は出なかったけど、でも、出来たのだ。
好きにはなれないかもしれないけど、きっと大事な大事な友達、同志であることは確実な成美の救出に向かう。「友達じゃないし」と成美に対して粋がって言ったプーな友人二人も、銀の尋常ならざる様子に心配して駆けつけて、加勢してくれる。

このシークエンスは本当にじーんとする。正直この段に至るまで、このダラダラ友人になんの期待もしてなかった(爆)。「いーなー、俺も推薦で高校行きてーな」「その前に学校行けよ」てな会話をしてた二人に期待するだけムリと思っていた自分が恥ずかしい(汗)。
こういう、素直な友情物語は好きだ。信じたいと思う。人間は、その人間がどういう人間か、それだけでしかないんだと。

逃げ出した二人。あっくんのバイクを盗んで走り出す。途中、トンネルの中で横転する。頭から血を出している二人。うっ、ううっ、まさかまさか、このまま死んでしまうの。
先に目を覚ましたのは成美。息も絶え絶えの銀が、好きになりたかったとつぶやいても、もう遅い、てな感じでその場を立ち去ってしまう。おー、おーおーおーい、せめてせめて救急車呼んでよーっ!!と、心理描写や物語世界をブチ壊すようなことをついつい思っちゃう。うー、でも、思うでしょ、フツーに(爆)。生きてたから良かったけど(爆爆)。

そう、生きてることが大事なのね。二人は走り出す。バイクの二人乗りで走り出す。
いずれこの町から出て行くにしても、出て行かないにしても、まだまだ親に庇護、いや、拘束、いや、影響、から抜け出せない二人は、闘い続けるのだろう。★★★☆☆


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