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「そ」


2017年鑑賞作品

そうして私たちはプールに金魚を、
2016年 27分 日本 カラー
監督:長久允 脚本:長久允
撮影:武田浩明 音楽:丸橋光太郎
出演:湯川ひな 松山莉奈 菊地玲那 西本まりん 山中崇 黒田大輔 高橋元希 クリトリック・リス ユキちゃん 藤原亮 増渕来夢 野口雄大 並木愛枝 石本径代 三科喜代 野上絹代


2017/4/10/月 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
サンダンス映画祭を騒がせたというたった25分の短編が、レイトとはいえ劇場公開、そして平日も満杯のお客さん!確かに私自身もこれは絶対に観なければいけない、という焦燥にも似た気持ちにとらわれて劇場に足を運ぶ。
確信犯的に区切られた予感めいたタイトル、少女四人という鉄壁の設定、宣材写真に使われている、プールの中でびしょぬれになった少女といい、まるで事件そのものが青春映画のよう。

そう、実際に起きた事件を基にした本作、「中学生金魚事件」とはその名前自体があまりにも可愛らしい。建造物侵入だの器物損壊だの、「生徒たちがいっしょうけんめい管理しているのに」と校長先生が憤っただの、なんでこう大人って無粋なのかしらんと思うのは外野の無責任な感覚には違いない。
しかし、うっすらと覚えているこの事件に関して私自身が思ったのもヤハリ、なんという可愛らしいことをするのだろう、「金魚と一緒に泳いだらキレイだと思った」ああ、絵が浮かぶ!!みたいな。
ネットをさらっと探ってみても、映画になりそうとか小説になりそうとか、大体の人がそう思ったみたい。

つまり本作はいち早く早い者勝ちで作り上げた訳だが、……彼女たちに取材した訳じゃ多分、ないよね??……と。いや、インスピレーションを受けてどんな作品にしたってかまわないと思う。それこそそんな無粋なことを言うつもりはないが。
でも、彼女たちがこんなことをした理由が、ずっと変わらないこのタイクツな町、ここから出ていけないし、それなりに幸せな人生を送るのだろうけれど、みたいな、昨今、地方都市を舞台にした学生モノ(特にヤハリ少女モノ)でものすごーく聞き覚えのあることをおっしゃるもんだからさ。
あれれ、この鮮烈な可愛らしい事件を、そんなありがちな理由で収めてしまうの……それこそオトナの無粋な感覚ではないかしらん、と思ってしまったのであった。

25分の中で、そんな彼女たちの感覚は実にスタイリッシュに、スピード感あふれるカッティングで語られる。遊ぶ場所はイオンだけ。ここは天国?いや地獄だろ。父親は母親の浮気を黙認、母親が浮気をするのはそれしか娯楽がないから。
ゾンビのように生きている、生まれながらのゾンビの私たち。お兄ちゃんはAVの設定で興奮するのは何かを追求して、高みまでのぼっちゃってる。ちょっと笑っちゃうけれど、でもそれは、エロよりも征服こそが興奮すると言っているようで、それこそこの狭い町の中で危険な匂いがする。

この狭い町から出て行った、彼女たちの同級生はアイドルになっている。アイドルというが、深夜番組に出るのがせいぜいなトコ。それでもこの狭山というまちでは、充分なアイドルである。
なんたってこの地名、狭いという字がそこかしこに乱舞する……それをカシャカシャカシャと、追いきれないカッティングで次々に映しだしていく。彼女たちの閉塞感をあおるように。

こういう、チャプターごとに細かく分けて、観ている側に息もつかせず描いていくのは、短編を見慣れていないからアレだけど、少なくともスタイリッシュと呼ばれる若手さんにはかなりありがちな手法だと思う。それだけで若い感覚!!斬新な切り口!!みたいに持ち上げるのは、それこそ大人の無粋なやり方だと思う。
というのも、「モラトリアム・カットアップ」の鮮烈な印象があったので、この手法はもはやイチジャンルになっているから、その中でとびぬけるセンスというものがなければツラいかもなあ、という気がするんである。

女の子四人は鉄壁だが、正直ひとりひとりも見えにくいし……。そこまでやるつもりはそもそもないのかもしれない。
確かに25分の尺ではそこまで見せるのはキツいかもしれない。主人公の、父親がクズで母親が浮気しててお兄ちゃんがAVオタク、というあかねだけで充分なのかもしれない。

以前はそんなに、疑問に感じなかったのだ。地方の閉塞感、どこにも行けない私たち、みたいなことに、むしろ鮮烈なリアリティぐらいなことを感じていたかもしれない。でもこれがイチジャンルになるぐらい頻発されると、本当にそうかなあ……という気持ちになってくる。
私も地方都市育ちだけど、そもそも昭和世代だから感覚が違う。東京は遠く異国のようで、自分が生活している場所こそが世界で、それは彼女たちが感じているような閉塞感ではなく、本当にただ、精いっぱいの世界だった。

時代が進み、地方都市に暮らす若者たちにそうした閉塞感が訪れた最大の理由は、情報が入って来たからじゃないかと思う。東京はこんなところ、すぐ近くにあるのに、みたいな。
でもそれなら出て行こう、というのが単純なスタイルだった。実際そうやって地方から若者が流出した。でも今よく聞かれるのが、こうした、「一生ここから出ていけない」若者たちの閉塞感である。なぜなのかと思う。そりゃ、地元にとどまることは素敵なことだけれど、何かそれとは違う気がする。

この狭山という地は、埼玉県、関東地方だよ、東京に出て行くことなんて難しいことはない筈。でも距離じゃないんだよね。むしろ近いから??
でもね、先述したけど、この閉塞感ジャンルは本当にそうなの、彼女たちもそうだったの??とついつい疑問に思ってしまうのだ。青春映画としては作りやすい設定だけれども……。

ここから出て行ってアイドルになった同級生のエピソードは、一つのキモである。携帯の画像のようなフレームに切り取られた“炎上した”という夏祭りの里帰りステージで、彼女は「こんな町、戻ってきたくなかった……」の後は、あかねがモノローグするような、この地方都市への毒を吐きまくる。
「なんてね!いつも応援してくれてありがとう!!」なんて豹変しても、そりゃムリである。そしてその後、彼女はそれ以上売れることはなかったという。これも何となく、地方都市あるあるであり、結局地元を愛しているゲーノー人なんてのは実際はいなくって、それは美談で、みんなイナカを捨ててきているんだと。
でもね、でもでも、それも凄く、ステレオタイプな描写だと、思うんだよね!!てか、こんなに東京から近くてそんなこと言われたら、やりきれない!!……近いからこそなのかもしれないけどさあ。

「夜だから、金魚はちっとも見えなかった。きれいな金魚を見たくて映画館に足を運んだ人、ごめんなさい」なんていうラストで終わる。実際の事件でも、きれいな金魚と一緒に泳ぎたかったのに、夜で見えなかった、というエピソードがあったという。
それはきっと、彼女たちが純粋に思ったことだろうと思う。こんな風に観客=世間に対してナナメに見た風に言うことじゃないと思う。そういうところがひとつひとつ、なんとなく、違和感に思う。

私はきっと、この事件の表面からだけ感じた可愛らしさで、ステキな青春映画を勝手に想像したがっていたのかもしれないなあ。
実際、このシチュエイションで千差万別、違った映画が出来そうな面白さはあるが、もう最初に使われちゃったら手は出せないのかな??★★☆☆☆


ソ連脱出 女軍医と偽狂人
1958年 75分 日本 モノクロ
監督:曲谷守平 脚本:杉本彰
撮影:岡戸嘉外 音楽:橋本力
出演:細川俊夫 国方伝 西一樹 野崎善彦 高橋一郎 高松政雄 遠藤辰雄 加藤彰堺 御木本伸介 ヘレン・ヒギンス ピーター・ウィリアムス リリー・エルサレモア ジャック・アルテンバイ ウスタク・コスタンチン E・キーン マニヤ・ウィリアムス エリーナ・ビィシタ アンジェラ・ヴィジー

2017/3/12/日 劇場(渋谷シネマヴェーラ/モーニング)
いやー、なんか凄いな。戦争映画でもなし、戦後の厳しい捕虜生活を描いているかと思いきや、まあそうなんだけど、なんか禁断の愛の物語になったり。ミステリーというほどの厳しさは、まあその(汗)。
主演の細川俊夫氏は私、知らなくて、でもウィキってみると急性白血病(!)で亡くなる80年代まで、テレビドラマなんかでもかなりご活躍だったのだから、私だってきっと観ていたんだろうなあ。東京オリンピックで競歩のコーチしてたっていうのが凄い(驚)。

なんてことを調べたくなるのは、知らないという以上に本作の彼が、主演だけどなんともビミョーで、ああどうしようと思ったからであった(爆)。恐らく映画の主演はこれ一作のみではなかろーか(いや、映画のみならず……)。
端正な顔立ち、まさにハンサムそのものなのだが、それゆえにか、この珍妙な映画、珍妙な物語での彼はなかなかに苦しんでいるような(汗)。

ソ連の捕虜生活の中で戦犯の容疑をかけられ、秘密裏に調べられていることを知ったフナハシは、このままだと生きて日本に帰れないかもしれない、という思いから気が狂ったフリをする、というストーリー。
この気違い演技が、なんかもうどうしていいやら、という感じで(爆)。突然大きな声を発し、何かが見えると言い、その後子供の様にぽよぽよとふるまう、といった演技プランは悪くはないと思うが(爆)。

やっぱ、アレね、気違い演技は役者にとっての花だからさあ、これまでの名演技の数々が頭によぎっちゃうのよ。偽狂人、であると思って見ているということもあるが、彼の演技にホンローされる軍人たちが、ホントかよ、と思っちゃう。
仲の良い同僚がイジワルされているのに憤慨したフナハシが、便器と書かれた壺(判りやすいなー)の中身を、無邪気な狂人のフリしてぶちまけちゃうとか、友人関係の二人のことを考えれば、それがどうもおかしいってことぐらいわかりそうなもんだが。

まあだから、「偽狂人かもしれない」という疑いをかけられるということなのだろうが。
考えてみれば、偽狂人かもしれないという程度の演技をしなければならない、とゆーか、プロの演技者ではない人物が演じる狂人、という演技をしなければならないと思えば、これが案外難しい話なのかもしれない??三國連太郎みたいにやっちゃう訳にはいかないとか??いや出来ないだろ!と言っちゃいけない!!(爆)
まあともかく(汗)、最後の方になると何か楽しそうに狂人を演じる細川氏、あるいは演出もさ、先の便器のくだりもそうだが、ソ連美人のシャワーシーンを屋根の上で覗いている悪徳軍人たちを、狂人のフリしてはしごを外しちゃうとか、もうこれは笑かそうと思ってやってるだろー!!としか思えん!!

で、タイトルに並列されている、いわばタイトルロールの両主演であるもう一人、女軍人はそんなソ連美人。軍医ということだが、彼女が医者然としているシーンはあまりなくて。
スラリとした肢体に軍服をまとっているクールビューティーっぷりが、捕虜であり狂人のフリをしているヤサ男のフナハシとの対比とあいまって、何かちょっとSM的妄想をかきたてるのだが、残念ながらそーゆー展開にはいかないのよね。

むしろ、彼にホレちまったこの軍医、リーザがそれ故に苦悩し、日本に帰したくないが、監獄にも行かせたくない、という苦しみに引き裂かれる、という、なんだか浪花節な感じ(爆)。
最初はね、ホンットに冷徹なソ連側の軍人、フナハシの戦犯の証拠をつかんでやる、とばかりにノリノリなんである。それはフナハシも感じているからこそ、最後の最後まで、なかなか彼女を信じきれない。
観客側も、あのキッスの後から突然、彼女がオンナになっちゃったから信じきれないものを抱えたまま見続けることになる、ってのが正直なところで。

フナハシ、とカタカナで書いてしまうのは、字幕で彼がそう呼ばれているから。舞台がソ連の捕虜収容所なのだから、それは当然である。フナハシは絵の才能があって、スターリン(多分(汗))の肖像画を見事に描いて認められ、今度は私の肖像画を描きなさい、とリーザは言うんである。
この時点でモヤモヤな空気はあったが(爆)、リーザはフナハシの戦犯を暴こうと、いわば愛国主義がりんりんと見えていたから、このくだりも彼を探るためだった筈だし、まさかそんな簡単に陥落するとはね、とゆーか(爆)。
でもこの肖像画を描かせている最中既に、「私、こんな美人じゃないわ」とか単純に喜んでる(爆)。うーむ、なんとゆー、聞き慣れた台詞だろう(爆)。それに、そんな美人にも描いてないよ、実物の方がおきれいです(爆爆)。

一応さ、こんな厳しい設定の物語だし、製作年度も、まだその記憶が残るだけの時代だったからさ、やっぱり色々深く読み取りたくなる訳よ。あんまりないけど(汗)。
厳しい捕虜の強制労働生活は、老いて病気も患っている者が容赦なく使われ、死んで、無造作に土に埋められたり、ソ連側に上手く取り入った上官たちが我が物顔で捕虜たちを仕切り、いい目を見たりする。きっとそういうあたりは、社会派としての矜持を持っているのだろう。若干甘めの描写ではあるけど(爆)。

そういやー、狂人として入院させられたフナハシが、明らかにチャップリンの独裁者をイメージしてパフォーマンスするシークエンスもあった。
周りのみんなが手を叩いて喜んでいた、のは、そうした社会派の厳しさよりも単なる大道芸に対するウケのように感じてちょっと物足りなかったけど、それは彼の芸の限界なのか(爆)、それとも当時の大衆の意識がその程度なのか??

捕虜とソ連女性との禁断の恋、逃亡を図ったものの無慈悲に銃殺、というのも、きっとそういう事実もあったのだろうとは思うが、こうした描写からだんだん、社会派のフィルターがアヤしくなってくる(爆)。
まぁでも、この哀しき若い恋人たちの描写は、女軍医と偽狂人よりはよっぽど純粋で美しかったけどねー、って言ったら怒られるかしらん(爆)。

秘密の逢瀬、納屋のようなところでじっと抱き合っている二人。リーザ役のヘレン・ヒギンスとは違って、この恋人役の女性は日本語はダメなのだろう、最後までひとことも喋らないが、何かそれが、妙に哀しみを誘うんである。
捕虜という立場がソ連女性との恋にどうしようもないことは、フナハシとリーザの場合も同じだけれど、この、ワンエピソードのように挿入された二人が、「お前さえいれば、どこでだって生きていける。俺はもう、親兄弟もないんだ」と、まあその最後に付け加えた条件が若干逃げを感じなくもないが(爆)、凄く刹那的で哀しくて。
撃たれた恋人を引きずりながらフラフラ逃げていく彼、そこに容赦なく浴びせられる銃弾、というのがね……まるでこの作品じゃないみたいな(爆)、美しい恋愛の姿でさ、何も喋らず、ただ彼をじっと見つめる彼女が、なんともいいんだもの。

もう一つ男女がらみは、完全にコメディ。ソ連側の軍人の浮気から発する痴話げんか、ヒステリーを起こしたでっぷり太った奥さんが、(偽)発狂して隔離されたフナハシの部屋に押し込まれて、あわや彼、貞操の危機(爆)。
巨漢に押しつぶされそうになったり、柔道技をかけようと思ったら逆にかわされて関節技かけられたり(爆笑!)、もう最後には彼、彼女をベッドの足にくくりつけて、狂人のフリをして助けを求めるしかないという(笑)。ちょいちょいこーゆーくだりが挟まれるから、なんか深刻になれないのよね。

で、そうそう、ちらと言ったが、リーザは日本語が喋れるのよ。日本語学校で勉強した、というが、なんたる都合のいい設定(爆)。フナハシはロシア語が喋れるんだし、別にリーザが日本語喋れなくてもいいと思ったけどなあ。ヤハリ日本映画として観客を捕らえるためには、それが必要だったのだろーか。
狂人として収容所から病院に入院させられる途中、リーザは偽狂人である彼の正体を暴こうと、自分のジープに乗せ、日本語で話しかけ、スピードを上げ続けて揺さぶりをかける。その結果、ハンドルを切り損ねてあわや谷底へ!!
とっさに狂人のフリも忘れて彼女をかばって抱きとめたフナハシ、目と目が合って、熱い接吻、ってコラー!!データベースの解説では、リーザの方から、とあったが、かんっぜんに彼の方からでしょ、差し引いたって、お互いの感情がバチッと合わさったから、だわよ。

そういう感覚がここであったので、その後、リーザの方がイケイケにくるのに対して、不審そうに彼女に対応するフナハシが、なんか不自然に感じたのよね。それはツマリ、あの時の演技プランが間違っていたのか(爆)、あるいは演出の間違いか(爆爆)。
病院に入れられたフナハシは、ソ連側から偽狂人の疑惑をかけられていて、その化けの皮をはがされそうになっている。その第一歩として足の裏を鳥の羽でコチョコチョやるのには噴き出したが、それに必死に耐えているフナハシにも噴き出す(笑)。

催眠療法をやってみたまえ、と言われた時には、すわ、万事休す、と思ったが、これからそれをやりますから、とリーザは彼に言い、つまり注射をされたら正気に戻る演技をしなければいけないのだ、とリーザの好意を受け取るフナハシ。
???どーゆーこと??催眠療法って、自分でそんな、コントロールできないことではないの??それで治った、となっちゃって、良かったなあ、とかなっちゃって、再び戦犯容疑の呼び出しがかかったら、また気違い演技に逆戻り、「治ってはいない、また発作が起こったのです」とリーザ。???なんじゃそりゃ??意味判らーん!!

……悩むだけソンかもしれない。ホンモノの狂人ということにされなければ、命の危険がある。フナハシはその会議の最中に気違い演技に逆戻りして街に飛び出し、竜宮城に招待されている将軍、てなパフォーマンス。駆けつけたリーザから「ここが勝負。本物の狂人の演技をなさい」と耳打ちされ、ヒートアップ。
監禁小屋に送られた彼が次にリーザと顔を合わせた時、彼女は最初、戦犯として別の場所に送られるんだと言ったがそれはウソで、彼女の尽力で、他の捕虜たちと共に無事日本に帰れることになったんであった。

「あなたは、それ以上に私にウソをついたから」というのが彼女のオンナとしての言い訳であり、だから最後に抱いてほしいという(!!!)。しかも風呂場までいざなって(!!!!)。
まー、その前に、彼を誘惑する(とゆーか、彼女にとっては決死の思いでの告白)場面はあったが、まだリーザを信用しきれないフナハシはそこはかわし、この場面がまさに二人がお互いの気持ちを分かち合う、最初で最後の愛の場面なのであった。

イヤーそれにしても風呂場、彼の衣服を上官だからと脱がせるリーザ(照)、イイ身体のフナハシ(照照)、浴槽から上がる湯気は明らかにドライアイス、寒そうだな(笑)。
濡れ場を想起させる演出ではあるものの、風呂場の床は堅そうだ(爆)。いやでもでも、結構エロかったかも、あのキッスはさすが相手はロシア美女、がっつり舌もちょっと入ってそう(爆爆)。

船に乗って帰還するフナハシ、いつか世界中の国が仲良くなったら、という台詞はなかなかに含蓄あれど、あの風呂場の愛のシーンが頭にこびりついて、そんな気になれない(爆)。★★★☆☆


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