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「ま」


2017年鑑賞作品

真白の恋
2017年 97分 日本 カラー
監督:坂本欣弘 脚本:北川亜矢子
撮影:山田笑子 音楽:未知瑠
出演:佐藤みゆき 岩井堂聖子 福地祐介 長谷川初範 山口詩史 杉浦文紀 及川奈央 村上剛基 内田もも香 深川格


2017/3/20/月・祝 劇場(渋谷UPLINK)
あぁー、もうやられた。涙止まらぬ。ちょっとね、迷っていたのだ、観に行くかどうか。ハンディキャップの持ち主、それも知的の、という題材で、納得のいく作品に出会えるかどうか、正直難しいんじゃないかという気持ちがあった。
日本はまだまだ理解がなくてバリアだらけの国だし、ハンディキャップの持ち主を主人公に据えると、都合のいい感動物語に作り上げちゃうキライがある……最近は感動ポルノなんていう言葉でも言われる、某24時間系チャリティ番組的なソレが代表的で、映画でもテレビでもまだまだ横行しているのだから。
健常者ばかりが見えている世の中自体が異常で、普通に登場人物として障害者(といういい方もあまり好きじゃないが……)が出てくるべきだと思っているけれど、さてそんなことはいつの時代に可能になるのやらと。だから、信じてなかった。納得できる作品に出会えることなんて。

主人公、真白は“見た目では判らない軽い知的障害を持つ”女の子。この設定は若干ズルい……とまでは言わないけれど、突っ込まれる可能性はかなりある、と思う。でも作り手側もそれは承知の上だろうと思う。
ならば、重い障害を持ったキャラならいいのかとか、軽い障害を持っているならここまでは許されるのかとか、そういうことを“健常者”側が無意識に思っているってことを、あぶりだしてくるからなんである。
そう、それこそ私がね、見た目に判りづらいハンディキャップなら、そりゃ物語は作りやすいよねー、などとうがって見ていたのだもの。でもそれが落とし穴?策略??いやいや!!作り手側の真摯な作劇にすっかり落とし込まれてしまったのだ。

障害があるとは気づかなかった、お相手のカメラマン油井は、仕事相手の地元人から、だから関わらない方がいいと進言され、憤る。障害ってなんなんですかね、世間に適応できないっていうことなら、自分だってそうだと思います、と。
こういう言い回しは、それこそ感動ポルノものでもよく聞く言葉で、ベタっちゃあベタであり、健常者がおいそれと使ってしまうには危険な表現なんだけれど、ここまでの油井と真白の関係性があってこその台詞であり、そしてここにこそ、日本の無理解が陥る落とし穴がぽっかりと開いていることに改めて気づくのだ。

見た目では気づかない、人間関係も良好、真白を知る人は皆こだわりなく彼女のことが大好き。なのに、「知的障害がある」というカテゴリが挟まると途端に、超えようもない線引きがなされる。
油井の言葉は一見ベタだけど、このくだらない矛盾にこそ言及しているんであり、人対人以外の何が必要なのかという、根源的な答えをもうここで、出しているんだよね。

で、まあその、なんかコーフンして話が判んないまま進めていますけれども(爆)。舞台は富山の雪深い街。この純白な街のピュアな空気感が、なんともはや物語にひそやかな雰囲気と深淵を与えるんである。
自転車屋の娘の真白は両親と共に暮らしている。隣に住んでる、東京で不倫の破たんの末戻ってきたいとこの雪奈(岩井堂聖子、て高橋真唯なの!名前変わってたら判んないよ、ビックリ!!)とは姉妹のように仲がいい。
仲がいい、というか、壁がない感じ。そう思ったのは、クライマックスで、理解があるように見えた両親も近隣の人たちも、実はバリアバリバリに見ていたことが判った時点で、なんだけど。

それまではむしろ雪奈は真白に対してつっけんどんでなんかハラハラするぐらいなんだけど、それはつまり、彼女以外の家族も周囲の人々も、真白には優しいしにこやかに接するけど、それが日常で流れていくから“理解がある”ように見えていたけれど、“理解がある”っていうのは、“理解している”とは違うんだよね。
それが親でさえも、ということに思い当たると凄く痛い。親は凄く娘を愛しているし心配している、けれども、“理解する”には至っていない。

雪奈にそれが出来ているのは何故だろうと考える。あるいは出会ってほんの数週間の油井にそれが出来ているのは何故だろうと。
雪奈も油井も、真白に対して“障害があるコ”という前提がないからなんじゃないだろうかと思うのだ。両親にとっては、最初からそれが判ってしまっているということもある。雪奈は真白と年も近いし、後に判るようになるにしても、幼い頃から一緒に過ごしてきた真白は、ただ真白であり、それ以上でもそれ以下でもない、気の置けないいとこ同士というだけなのだ。

だけ、っていうのは凄くいい価値観だと思う。そしてそれは油井にとっても、そう。
後に地元の仕事関係者から秘密を打ち明けるように聞かされる“知的障害者”という言葉は、真白という女の子とシンプルに出会い、心を通わせた彼にとっては、なぜそんな言葉でこんなイイ子をカテゴライズするのかという憤り以外、感じられないのだ。
このたった二人の、でもかけがえのない“理解している”人が、心にズシンと響いて。

もう一人、いるかな。真白のお兄ちゃんのお嫁さん(後述)。そもそもこの物語は、真白のお兄ちゃんの結婚式から始まる。神前結婚式に居合わせたのが、東京から仕事で来ていた油井。
真白とは手水舎のところで出会う。油井のカメラのシャッターを思わず押してしまった真白の、自撮りのような偶然の写真が、まるで無防備でとても可愛くて、油井は彼女と別れた後、その写真を現像して持っていたのであった。
その後、街中で偶然出会った彼女に写真を手渡し、街のおすすめスポットを紹介してほしい、ってな具合で、スタートするんである。

真白は写真嫌いで、結婚式の記念写真でもソッポ向いてブーたれてる。なんか判る気がする。笑顔を作れる人は尊敬するけど、若干ケーベツもしてる(爆)。
だけど、まるで無意識に撮られた真白の写真は、油井も、真白本人も、ムリヤリひったくって見た雪奈もハッとするほど、可愛い、実に可愛いのであった。
そういやー、お兄ちゃんの後輩なのかな、若いお巡りさんが真白に遭遇する場面、知的障害があると聞いて「可愛いのに、もったいないですね」と思わずもらす彼に、お兄ちゃんは激怒したのね。「何がもったいないんだ」と。

この時には、ああ、いいお兄ちゃんと思ったのだけれど、でもお兄ちゃんも、両親と同じく、理解はあるけど理解はしてなかったんだと、思う。
油井の存在を知った時、そして真白が彼を追って行方不明になった時、お兄ちゃんも両親、てゆーか父親と同じ反応をして、真白を送ってきた彼をぶん殴ったんだもの。つーか、同じ女である母親が、もうちょっと真白の気持ちを聞いてあげなくちゃと思ったけどねー。

お兄ちゃんがこの後輩に、「まあいわば、知恵足らず」と言った言葉が象徴している。彼にとって妹は、その年齢に達した女性じゃなく、いつまでも“知恵足らず”の子供なのだ。
でもそれは違う。そうじゃない。後に雪奈が彼らの両親に「あの子もイイ年の女なんだよ!!」と苛立たしげに、なんでそれが判らないのかという気持ちを叩きつけるように言ったあの台詞こそが、その通りなのよね。

……どーも先走り過ぎるな。真白と油井の恋の展開があるんだからね!!……まあでも結果的には真白の片思いではあったと思うけれど。
油井は真白のことを、ちょっと変わってるけど優しくて、チャーミングな女の子、ぐらいな印象だったと思う。油井の存在を真白から聞かされて、雪奈はガンガンに後押しするけれど、彼女だって、本当の恋愛に発展するとまでは思っていなかったんじゃないか。
ちょっと先述したけど、もう一人の理解している人、お兄ちゃんのお嫁さんにしたってね。「デートにはオシャレしなくちゃね」とこっそりカワイイ白いニット帽をプレゼントしてくれたりする、優しいお嫁さん。

こーゆーあたりは、“理解している人”も若干、“理解ある人”に傾きがちな気持ちもある。いやでも、そう思うのはそれこそ、バリアを張って可能性を否定して見てしまう“健常者”の悪しき習慣なのかもしれない。
雪奈の後押しは、恋愛の可能性を疑っているようには見えなかった。お嫁さんも、真白が油井を追って行方不明になった時、「彼氏のところかも」と言っていたんだ。ああ、その可能性をなぜ否定するのだ私、それじゃ全然、“理解してない”じゃないの!!

でもね、でもねでもねでも、片思いでも恋には違いない、恋愛には違いない、と思うのよ。
私ね、ほんっとうに、ひっさしぶりに、もう何年来かってぐらいに、こんなに胸が締め付けられる恋の映画を見たなあと思ったのよ。だってさ、もうロミジュリ並みに家族に反対され、家に閉じ込められて彼との約束を破る羽目になって涙で枕を濡らし、そして目を盗んで彼に会いに家を飛び出す!箱入り娘がさ!だって会いたいのだ、その気持ちだけなんだもん!!!

真白が自由気ままに外出するのには、「悪いことをしている訳じゃないんだから」と“理解ある”ところを示す両親が、その会ってる相手が東京から来たカメラマンの男だと知ると途端に、「たぶらかされてる」となる、というベタな展開。
じゃあどんな相手なら、いいのか。恐らく、というか、確実に、真白と男性の組み合わせは、家族にとってはNGなのだ。「普通じゃないから」「家族が守らないといけないから」その得手勝手な押さえつけに雪奈は激昂し、真白は一人の大人の女であり、これから一人で生きていかなければいけないのに閉じ込めるのか、と反論する。

ここでズルいのは大人の論理で返す両親で、「不倫して帰ってきたお前に言われたくない。真白にはそんな思いをさせたくない」……うっわ、サイアク。それで何も言えなくなる雪奈も悔しい!!
そんな思いもどんな思いも、したいのだし、しなければ人生ではないのだということが、なぜ判らないのだ、親どもよ!!!

この憤りに対して、ハッキリとした反駁がなされる訳じゃない。でも真白の、油井に会いたいという行動こそがすべての答えであり、恋の気持ちの素晴らしさであり、もう今思い返してみても、号泣しちゃいそうになるのだ。 会いたい、会いに行きたい、会いに行く、このシンプルな気持ちと行動って、なんでこんなに胸を打つのだろう!!(嗚咽)。
真白と油井はさ、何を交わした訳でもないのよ。キスどころか手を握ってさえいない、ハグすらないんじゃないの。でも、この富山の街に惚れ込んだ油井に、とっておきのスポットを、彼女自身が大事に持っていたいろんな場所を、秘密をささやくように彼に教えたそのことこそが、二人のかけがえのない親密さを築いたんじゃないの。

忘れられないのだ。心の中にずっしりと残る真白の言葉。真白を誘いだした悪い奴、とでもいうように、油井に会いに行った真白を送ってきた彼を、お兄ちゃんが殴り飛ばし、引きずるように車に乗せられた真白が泣き叫ぶ。
家に連れ帰られた真白、「心配させて!!」と母親に一発殴られ(これは、ないよなー。全然味方してもくれなかったのに)、抱き寄せられてしゃくりあげながら言うのだ。「お母さん……どうしたら、普通になれるの?」

……そんなの、ないよ!!普通って、なんだよ、普通なんて誰がどう決めるの。普通というのがあるとしたら、人を好きになる気持ちは誰もが持ってる普通だよ!!
いや……油井は真白に、「変わってるよね」と言い、それこそ普通の価値観を持ちたいと思っていたに違いない真白が戸惑うと、「真白ちゃんはそこがいいと思うよ」と言ったのだった。さいっこうの褒め言葉であり、全ての人がそうであると思う言葉だった。だから、だから……そんなこと、言わないで、真白!

何とも言えない顔をする父親、抗議の意味合いであろう涙を流す雪奈、母親はただ黙って真白を抱きしめ……てゆーか、娘を持つ母親のおめーがもーちょっとこれまでで何か言ってやれーっ!!(号泣)。
油井に教えてもらった写真、カメラに収められたその記録を見て今更ながら驚く両親、て、それ、真白のこと評価してなさ過ぎだろーっ。
勿論、この写真の技術やそこから彼女自身が発露した表現が彼らを驚かせたにしても、ほおんとここも、何歳程度、みたいな悪しき価値基準を象徴していて、まさにそれが日本のそれなんだよね……。

真白に、幼い頃の誘拐事件があったという設定は、いらなかったような気がするなあ。だからこそ両親は真白が外部の人間と接触するのを心配している、ということになり、障害云々は関係なくなっちゃう。
あるいは、ちょいとオツムの弱い子だから連れて行かれちゃって何されたか判んない、みたいなことじゃないでしょーね??ちょっとこの設定がそんな、余計かつ危険な想像しかさせない気がして、それこそハンディキャップに無理解な負荷をかけさせるだけのような気がしたんだけれど……。

ラスト、東京に戻る油井を見送る真白。絶対に見送りに行かせるから!!と女だけど男気見せた雪奈が泣かせる。美容師である彼女は、真白を可愛くするためにまつげパーマしてくれたり、ほんっとうにイイヤツ、てかイイ女!!
この見送りのシーンはね、真白自身の卒業というか、旅立ちというか、そんな意味合いがあったと思う。油井とこの先、会うことはないかもしれない。あるかもしれない。恋愛関係になるかもしれない。ならないかもしれない。
どっちでもいいの!この恋の気持ちが本当にあふれていることが大事なの。こんなに胸を締め付けられた映画は本当に久しぶり。恋はああ本当に……素敵なことなんだよなあ!!★★★★★


ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど。
2016年 94分 日本 カラー
監督:谷内田彰久 脚本:野村伸一
撮影:音楽:常田大希
出演:ジエン・マンシュー 中野裕太 ワン・サイファー 蛭子能収 リン・メイシュー 大谷主水 岡本孝 与座重理久

2017/7/2/日 劇場(新宿シネマカリテ)
タイトルに心惹かれて足を運んだが、そもそもはFacebookなのだという。まあ実話ということである。特にオドロキの展開がある訳じゃない、つまりは遠距離恋愛が今風の(という言い方自体古い)SNSで展開するというラブストーリーなのだが、なんといってもヒロインのリンちゃん役、ジエン・マンシュー嬢のあまりのかわゆさにやられまくる94分なんである。
彼女の来歴を知りたいと思うのに、オフィシャルサイトのキャストぺージのリンクが死んでいる。な、なぜだ、もうもう!

最初宣材の写真を見た時は色が抜けるように白くて明るい髪色で、北欧あたりの美少女かしらん……と(まったく作品知識がなかったから(爆))思っていたら、お近くのお国の台湾であった。でも、台湾。良かった。台湾というとホッとする。例外は当然あるにしても、親日国家で優しい人たち、というイメージがあるから。
だから彼女の母親がなぜあんなにも強硬にダメだと言ったのか、日本や日本人に悪いイメージがあったのかなあとも思ったが、特に作品中には明らかにされない。ただ単に娘に遠くに行ってほしくなかったのか……タイトルにもなっているぐらいだから、ちょっと気になるのだけど。

で、脱線したが、猛烈に可愛いリンちゃん役のジエン嬢なんである。もっのすごく表情が豊かで、身体表現も全力で、なんつーか、往年の中華圏コメディ映画を観ているような魅力がある。
実際本作は、日本で作られた日本映画ではあるんだけれど、こと台湾サイド、台湾のキャストたちの芝居に関してはものっすごくアグレッシブで、ちょっと懐かしい雰囲気、ホント、ジャッキー・チェンとマギー・チャンが丁々発止していた頃のようなテンション1000%のコメディ映画の雰囲気があるのだ。家族や親せきがわらわら集まってマージャンしたり、とにかく大声でケンカしまくったり、ホントそんな感じ。
今の日本ではそういう感じは、こういうフィクションでもちょっと見られない。それこそモギさんとその父親とがしんみりと焼き鳥屋で会話もなく酒を酌み交わして「親父、金あるの」なあんて感じがまさに日本なんだよなあと思う。ホントにご近所の国でも、同じような顔立ちでも、違うんだよなあ。

で、脱線しまくっているが、だからだからジエン嬢の可愛さがたまらないんである。そりゃこんな娘とコンタクトとれたらあっという間に恋に落ちるに決まっている……と思ったが、どちらかといえば積極的なのはリンちゃんの方なんである。
リンちゃんと呼ばれてはいるけれど、これはファミリーネームの方だよね?家族からはイーハンと呼ばれているんだから。日本と同じように名字・名前の順序で自己紹介した彼女がモギさんから、じゃあリンちゃんだね、と言われる最初のFacebookでの出会いは、だからやっぱりそこは、外国人としての扱いだよねという感じがした。そういう壁は、確かにモギさん側にはあったのだ。

逆に日本大好き、日本語を大学で専攻していて、あわよくば日本人と交流したいという思いがあったのがモギさんとの積極的な交流につながったと思しきリンちゃん側は、そうした壁はまるでない。
まるでないんだけれど、物語の冒頭に占い師に「日本には行くべきではない」と言われ、そこを起点に二人の出会いまでさかのぼって、わざわざその場面に戻ってくる、という、日本に行ってはダメというのが、母親のヒステリックな言い様とは別の角度からも示されるのがちょっと気になってさ。リンちゃんが強引に日本に来て、何かが起こる訳ではない。実際、起こったのかもしれないが、物語中ではそういうこともないしなあ。

Facebookでの出会いをもうちょっとひもとくと、あの大震災の時だというんだから、ちょっと身構えてしまう。何度も見てはいるけれど津波の映像にはいまだに肌が粟立つ。ただそこはサラリと進んでいく。
あの時台湾がとっても支援をしてくれたというのは確かに記憶に残っていて、それがこんな形でひとつの実を結んだこともあったんだなあと思うと、じんわりとした気持ちにもなる。

最初は、何気ないやり取りだった。ガンバレ日本!というリンちゃんのメッセージに、ありがとう、台湾!!とモギさんは返した。もともと不思議な縁で、モギさんの友人が台湾になじみがあって、中国語もちょっと喋れたりし、台湾のママがやっている小さなお店に連れていかれたりもしていた。
リンちゃんが最初、どんな気持ちでモギさんにアタックしていったのか、それは単に自分の日本語を試したいとか、その程度の気持ちだったのかもしれないけれど。

友人との連休の海外旅行を、チケットを頼まれていたモギさんはわざと忘れていたのか本当に忘れていたのか、タイに行くつもりが台湾に変更となる。そこで友人交えてリンちゃんと初めてのお目見え。
スローモーションを使って描かれる邂逅はちょっと気恥ずかしい、懐かしいような描写。目にもまぶしいショートパンツ姿でわきもあらわに(爆)「モギさーん!!」と手を振るリンちゃんの可愛さに男たちは狂喜し、モギさんは一瞬目を伏せ……。

言及するのが遅れたが、モギさんを演じるのが決してイケメンとは言い難い(ゴメン!)中野裕太氏だってのが、いいんだよね。彼のことは、うーん、見たことあるような気もする。天パ(かな?)で、目が離れてて、なんとも愛らしい風貌。
彼はジエン嬢と違って大仰な表情などは見せないんだけれど、小さな表情の変化でもふっと笑いが起こってしまうような親近感の持てる感じ。でも身体全体は細く締まってて、ちょっとドキドキのシーンに真顔になったりすると、あれれ、そんなにモギさん、カッコ良かったんだっけ……と思ったり、するのよね。そういうギャップを示せるのが、いいのだよなあ。

私のような古い世代は特にそうだと思うのだけれど、本当に会ったこともない(あるいは、ちょっとしか会ったことがない)、ネット上のやりとりで恋愛感情を育めるのか、という疑念があってさ。アナログ世代は、もうどうしてもそうさ。
でも思えば、恋愛というのは気持ちであって、それこそそこにセックス的なことを持ち出すのがヤボってもんなのだ。そう言うとアナログ世代は、いやそんなことまでは言っていない、目を見つめ合ったり、手を握り合ったり、そういうことだとか言い訳するかもしれんが(爆)。そんなことは成就した後にいくらだって出来る。もしかしたら人間の一番進化した部分は、こういうところなのかもしれんと思ったりする。

とはいえ、やはり一度会ってからが、二人の気持ちは急速に加速する。友だち二人がそばにいた最初の出会いでは、ちょっとやきもきするやり取りはありつつも、それ以上は行けなかった。
でも、この最初の出会いは凄く大事だった。それ以降、凄く二人は密にやり取りをするようになるんだもの。リンちゃんの元カレの出現やそのプレゼントにモギさんがすっかり黙り込んでしまうシークエンスは、お互い、というか特にモギさんの方が自分の気持ちに気づいていない(いや、直面するのを恐れていると言うべきか)もんだから、もう見てるこっちがすっかりヤキモキしてしまうんである。
もー、ホレてんだろ、会った回数や時間なんて関係ない、ちゃんと気持ちをつなぎ合わせてきたじゃんか!と。んー、でも、そう思うのは結果的というか、正直二人のやり取りにそこまで感じ取るのは難しかった気もするけど。

リンちゃんがいかに日本語学科の学生といえど、日本人のモギさんと問題なくSNSでやり取りすることが出来るぐらいの、日本への情熱を持っているってことが、本作ではいまいちピンとこなかったのも要因かなあ。
実際の彼女は日本のアニメとかポップカルチャーに夢中で、つまりはオタクで、その情熱が日本語の上達へ促したことは想像に難くない。だからつまり、モギさんとの接触にもある程度のしたたかな戦略が、無意識ながらもあったと思われる。
そーゆーところが本作ですっかりスルーされているのが、リンちゃん自身のキャラクターの薄さというか、まあつまり、元気いっぱいのカワイイ女の子ってだけにとどまっているのが惜しい気がして……。勿論これはラブストーリーなのだから、オタク物語を挿入する必要はないんだけど、でももったいない気がして。

リンちゃんの元カレに嫉妬して、友人たちとの台湾再訪に参加しなかったモギさんだけど、リンちゃんからの直電にはそりゃー、降参するしかないでしょ。こういう、SNSでも恋は育めるけど、直接会えないという点では同じ通信手段でも、電話っていうね、ある程度アナログに下がる、でも肉声っていうね!ナマなところに触れられるアイテムでグッと引き寄せられるのはイイんである。
キャーキャーなアクションで喜びまくるリンちゃんも可愛いが、自分の気持ちを確認するように、押し殺すように彼女との電話に相対し、一人台湾に行くことを決意するモギさん=中野氏の繊細な芝居がイイ。

モギさんは一人、台湾に来る。つまり一人対一人。デート!!である。この台湾デートもそうだし、日本に嫁ぐ!とリンちゃんが決意して乗り込む日本デートも、まるでミュージックビデオかのようにキラキラと輝いていている。
「友達が帰らないので、今夜は私たち、二人きりです」なんてリンちゃんがせっかく大きな賭けに出たのに、寝たふりしたリンちゃんに毛布をかけるだけで、床に膝を立てて寝てしまういくじなしのモギさんにリンちゃんは、あの豊かな表情で苦々し気(笑)。でも、おはよう、と朝を迎えるしらじらとかすむ場面は、なんだか妙になまめかしくてドキドキしてしまうのだ。
モギさんはリンちゃんに誕生日プレゼントを渡す。それは、あの元カレに対抗してのものだったけれど、それ以上の意味をリンちゃんは汲み取る。どうやら台湾での意味合いがあったらしいが、後々説明されてもなんかよく判んなかった(爆)。

リンちゃんも、嫉妬をしていた。モギさんが使っている財布が、彼の元カノから贈られたもので「それをいまだに使っている」と友人たちが面白おかしく話したことに、顔を曇らせていた。
二日間だけの台湾を後にするモギさんのバッグにこっそり財布のプレゼントを忍ばせる。「プレゼントの意味は??」その後、直に電話で言葉を交わす二人の、その内容は音楽にまぎれて明かされない。ただ二人とも、ひどくひどく幸せそうで、コノヤロー!!と言いたくなる訳!!

二人が付き合うまでがなんたって盛り上がるコトなので、それ以降はまあ何つーかという気もするんだけれど(爆)。ママの制止を振り切って日本にやってきたリンちゃんを呼び戻すために仮病を使ったママとのエピソードは、若干ムリヤリな感じもしたが……。
ただ、あの時、モギさんが、恐らく一生懸命覚えてきた中国語でママに訴えたのはジンときたし、それこそがあの泣き笑いのクライマックスにつながる訳だから!
リンちゃんがモギさんに口伝えに「娘さんを僕にください」と教えて、訳も判らぬうちにモギさんがプロポーズしちゃって、ママがモギさんの胸ぐらつかんで、娘を不幸にしたら許さないわよ!!と吠え、リンちゃん号泣、ママと抱き合い、「俺、何を言ったの?」と当惑するモギさん、というスリーショットは本作の最高の場面!

本作は、Facebookのファンや映画自体のリピーターが相当数来ている雰囲気があって、普通の映画を鑑賞するのとはまた違った臨場感があった。時代と共に映画の在り方は変わるし、それが凄く面白い。★★★☆☆



2014年 89分 日本 カラー
監督:鈴木洋平 脚本:鈴木洋平 小山侑子
撮影:柏田洋平 音楽:今村左悶
出演:飯田芳 木原勝利 金子紗里 池田将 軽部日登美 田中しげこ 渡辺博行 真弓 芹井裕文 島田芯八 村上ROCK 山西竜矢 月亭太遊 大宮将司 松浦祐也 青生しん 北田千代美

2017/7/10/月 劇場(渋谷シアター・イメージフォーラム)
わー、なんかすっごく変わった感じの映画が公開されてるー、とたまたま劇場のサイトで見かけて足を運ぶ。こういうユニークな作品に出会うと希少感を感じて凄く嬉しくなる。まぁ、面白かったかといえばそれは別の話なのだが(爆)。
んー、つーか、映画というのは時に、面白いか面白くないかだけで判断するのが凄く困難な時がある。特に、日本映画は。これはあれこれ考えなくてはならないのではないだろうかとか、その意味を正しく汲み取らなきゃいけないんじゃないだろうかとか考える方向に持っていかれがちなのが、良かれあしかれ日本映画だなあという気がする。本当は、自分にとっての面白さを発見できればそれでいいのだろうと思うのだけど。

などと奥歯にものが挟まったよーなことばかり言ってしまうのは、んー、まぁつまり、私はきっと自分勝手に期待、というか予期していたところがあって。丸というタイトル、部屋に突然現れた球体、という設定。これはもう、わっけ判らん不条理劇が始まるに違いなーい!ワクワク!みたいな。
んでもってきっと私は、もう、わっけ判んなーい、でも訳判んな過ぎてなんか面白ーい、と思うんだろうとか、ホントに勝手な予測をしてた。あ、あれ、なんか思ったのと違って結構物語るのね、とか思ってしまった。なんじゃそりゃ(爆)。

ああ、SF。そう考えればいいのか。SFと考えたら物語るべきなのだ。なんか日本語おかしい、私(爆)。
でも部屋に突然現れた球体っつったらこれは確実に、実に正しく不条理状態であり、その球体に目を向けたままぴたりと制止してしまう、というのも、そこまではやっぱり不条理状態。
きっとここからどんどん球体がそこここに暴れ始めて、もう画面が不条理マックスになって、何この球体、何この丸!一体これはどこから来てどこに行くの!!みたいなことになるんだろうとドキドキワクワクしていたら、なんと球体はその後、一切出てこない。

まるであの時、彼らがそれを目にしていたのが本当だったのか、なんたって彼らは静止したままの状態がその後も続くのだから、誰一人としてそれを証明できない。
あの時起こったとてもステキな不条理が、警官の不始末を隠ぺいしたという“日本の闇”ってゆー、“今の日本作家には珍しい気骨のある切り口”的な展開になっちゃって、ああ、あんなに素敵な不条理だったのにーっ!と思っちゃう……のは、やはり、正しくないの、かなあ??

真実を追い続ける雑誌記者によって、その現象が鈴木家だけに起こったのではなく、外を歩いていた何人かの人々にも時間がずれて起こってた、つまり球体は移動していた、でもその球体は一体ナニモノなのか??みたいな……人々がストレスと狂気とに陥りながらも、真実に迫りたい、迫っていく、という“物語る”というスタンスは変わらず、というかそれこそが本作の姿勢みたいで、ああ、なんかもったいないなあ!と思っちゃう。
いや、きっと監督さんは人間ドラマというか、役者たちの化学変化を信じているのだろうと思う。それは実際、成功していると思う。

主人公の飯田氏は、なんか奇妙な味わいの作品があるなあと思うと、彼がいる、という感じがする。しかも、小さなバジェットといえど、それらでメインや主役を張っている。不思議な役者さんだと思う。
イケメンと言ってもムリすれば通りそうな(爆)顔立ちだけれど、どこかバランスが悪いというか、あか抜けないコワモテというか(失礼極まりない……)、この人を主役にしたい、と思うクリエイターの気持ちが判るなあ、というタイプの役者さん。

彼が演じる鈴木鉄男はいわゆるプータロー。恋人が訪ねてきてもぐずぐずと寝床にもぐりこんだまま、彼女を言葉巧みに引き入れてヤッちゃう。
いや、言葉巧み、なのかなあ……鉄男の言い回しは凄く独特で、詩の朗読みたいに、恋人の前でもずっと切れ目なく言葉を紡ぎ続けている。喋ってる、とか、話している、とかいうことじゃない、相手のレスポンスをほとんど期待していない、言葉遊びのような言葉のつらなりなのだ。

この時点では、ちょっと変わっているけれど、言葉や文学が好きな青年なのかな、ぐらいに、まあつまり好意的に眺めていた。
しかし、球体&静止事件が起こり、時々正気(?)に戻る鉄男が、ここに至ると詩の朗読ってんじゃない、呪文みたいに、呪いをかけるみたいに、意味がタップリ盛り込まれているのに全く意味不明、みたいな(凄く矛盾した言い方だけど、そうとしか言いようがない)状態に陥ってしまうと、うっわ、つ、ついていけない……と焦ってしまう。それこそ先述したように、ここから何かの意味を汲み取らなければいけないのではないかと身構えてしまう。

こういうタイプの作品だから、そもそもなんだったのか、などと考えること自体無意味なのかもしれない。ただハッキリとしているのは、これは家族の物語だということ。鈴木家という、一見平凡で、結果的にはやっぱり平凡だと思うけれど、起こったことは非凡極まりないから、平凡な家族の一人一人があぶりだされると、何かが浮かび上がる、そんなことだったのだと思う。
なんかそんな言い方しちゃうと、それこそ平凡極まりないんだけど(爆)。そのあたりなのかなあ、なぁんとなく、物足りなく感じるのは。

最初は、一人息子なのだと思っていた。後に出てくる裕太は鉄男の兄なのだよね??しばらく、鉄男のおじなのかなあと思うほど、この家族から離れた雰囲気で、独立している感があった。
つまりそれぐらい、鉄男は甘やかされている感があった。特に、祖母から。まあありがちな、孫猫かわいがり。ただちょっと、このおばあちゃんはおかしかった。恐らく自分の夫を亡くして間もないらしい、それは鉄男の会話からも察せられる。嫁の立場である鉄男の母親の気の使いようからも、そう察せられる。

そしてこの最初から、なんだか判断の仕方が微妙におかしかった。静止アクシデントが起こった時も、なぜそれが、警察を呼ぶことになるのか、まあそうならなきゃこの物語は進行していかないんだけれど、なんかなんとも……おかしかったのだ。
そして警察を巻き込んだから話がややこしくなり、籠城してるんじゃないかとかいうことになっちゃって、鉄男の父親がうっかり射殺されちゃって、それがリストラの苦悩の末の自殺ってことにされちゃって、奥さん納得いかなくて、納得いかない雑誌記者が訪ねてきてもくってかかって、なんか物語る感じなんである。

物語る、けれども、ヤハリ飯田氏一人が不条理を貫き通している感じは、したなあ。彼が時々正気に戻るのは、てゆーか、静止状態に陥るのは、その事態に陥った時がトラウマになっていて、その話題やなんかが出されると途端に固まってしまう、ということになっているのだが、それもまたどうも判然としないんである。
正直、このステキ不条理設定を、物語るいわば戦犯(爆)は、雑誌記者である出口なのだが、そもそも彼がなぜ鈴木家の窓を撮影していたのか判らないし……何も起こっていない状態だったのに、まるでスクープでも見つけたみたいに、相棒と共にシャッターを切っていた、なぜ??

彼がその撮影場所で再三遭遇する、意味ありげタップリに彼に鏡の乱反射をしかけるホームレスみたいな青年の意味も、本気で判らない。
それこそ不条理だけで押していれば、わーい不条理ー♪とワクワク受け入れてしまうようなキャラクターなのだが、この出口記者が、真実を知りたいとやたら頑張るので、これは真実を知らなきゃいけない物語なのかしらん……と思っちゃうんである。

出口記者は、言ってしまえばおカタいタイプらしい。いわばお上の闇の部分を馬鹿正直に追及して、やわらかいジャブも出せない。上司から、こんな記事は使えないと言われるのも仕方ない、なんつーかナルシスティックな記事を書くんである。
いや、あれで、フツーなのかな。最初に彼の記事を同僚が朗読するシーン、結構サブイボ立ったのよね。

上司にたてつく形で、なんとしても鈴木家の謎を暴こうと奮闘する出口記者。彼の甘ちゃんぶりを周囲の先輩たちは恫喝に近い形で戒めるが、不思議にチャンスをくれたりする。
その場からトンズラした警官の存在。撮った写真をとっくり眺めてみれば、確かに自殺なぞではなく、誰か別の人の手で鉄男の父親は撃たれているのだ。
そして鉄男やその恋人だけではなく、駆けつけた警官たちも一様に静止状態がその後も続き、日常生活が送れなくなっている。一体何があったのか。

てゆー、まあ観客はすべてを目撃しているので、何があったどころか、何にも起きてないといえば起きてない、ただ球体を眺めて止まっただけ!というところであり。
突然夫を亡くし、しかも訳判らん罪を着せられた鉄男のお母さん、息子の恋人への慰謝料とかいろいろ大変なことになっちゃって、正気なんだけど、なんか最初から最後までヒステリック。

誰か人が死ぬごとに、喪服姿の家族が集合して、そして鉄男が指一本動かない状態で彼らの間にいるのが、奇妙というか、不気味なんである。
そう、やたら死ぬの。まず、劇中には出てこないけど鉄男のおじいちゃんが死んでる。そのためにおばあちゃんがボケかかってる。
こんな奇妙な事件でお父さんが死に、それで一気にボケが加速したおばあちゃんが、ある日、何度も何度も「……それにしても、お父さん、遅いわねえ」という台詞をループし続けて、“享年”となった。あの時のお父さん、は、彼女の夫をさしていたのか、息子を指していたのか、などと考えてしまう。

まるでニュースフィルムのように、最初の人物紹介でもカシャリと写真のストップモーションで紹介され、死んだら享年〇〇才、になる。なんだか妙にドライでゾクリとする。人間くさいドラマなのに、ひどく突き放しているみたいで。
出口記者が、急に取り乱す、というか、ホンット急にキレだすのには、戸惑っちゃうんだよね。あれは一体なんなの??それこそ、それを言ってしまったら作劇にならないと言われそうだが、すんごい、唐突感があった。
いくら鉄男が包丁を隠し持っていたのを発見したとしても、それに取り乱すにしては、自らその包丁を手に人質とりまくって脅しまくるだけの追い詰められ感があったとは思えない。

なんかね、なんか突然、何かに気づいたかのように鉄男の部屋で、色んなアングルから何かがある筈の人々の視線の先を捕らえようとする。
つまり、彼らが何かを見て止まってしまったのだ、と思い至ったということだろうけど、それでいきなり正気をなくすというのが、それまでの物語っていた彼の様子からはイマイチピンと来ないのだ。それも尋常じゃない狂気の陥りっぷりなんだもの。

それにつられるように正気から動きを取り戻した鉄男は、逆に包丁を取り返して、出口を殺そうと組伏す。このシーンは、長い。実に長い。ワンカットもふんだんに使ってて、監督さんの気合が伝わってくる。
この時に、鉄男お得意の狂気のポエムのような、地獄の韻踏みのような、言葉遊びが全然楽しくないみたいな(爆)、とにかく、「にもかかわらず」を連発するのがもどかしさを爆発させる超長台詞が観客に雨あられと降り注ぐ。

これは、もう、聞かなければ判らない居心地の悪さであり、これで出口を殺してオワリならまだ判ったが(??何が判るのだろう……私何を言ってるのか)、出口は鉄男の刃から逃れるのだ。
何が、何も、ただ不条理なだけでもないし、やだこんなの!そう思わせるのが、監督さんの思惑なのか。そうかもしれないけど。★★★☆☆


まんが島
2016年 107分 日本 カラー
監督:守屋文雄 脚本:守屋文雄
撮影:高木風太 音楽:弥栄裕樹 AKI-RA sunrise
出演:水澤紳吾 守屋文雄 松浦祐也 宇野祥平 政岡泰志 川瀬陽太 柳英里紗 笠木泉 森下くるみ 河原健二 細井学 長平長平 邦城龍明

2017/4/22/土 劇場(新宿K’scinema)
うーん、どうしよう、なんか全然判らない(爆)。これは確かに映画館で観る映画。タイトルからは全然スペクタクルじゃないけど(爆)、なぜかスペクタクルになるクライマックス、島が、山が、噴火し、爆発し、ガクガクと揺れ続ける画面とビリビリとその音で震える劇場、そこだけは、ああ、なんか映画観に来たって感じ……などとふっと我に返ったりして(爆)。

音に関しては徹底的にこだわったのだという。なんでも音の編集に一年かけたとか??
洞窟の中の音を撮り直しに行ったとか??これが監督長編デビュー作になる、脚本家としては私も大大大好きな作品の数々を手掛けている守屋監督。ああ、そうそう、シナリオ入選のデビュー作があの傑作、「ヒモのひろし(SEXマシン 卑猥な季節)」だったんだもんなぁー。DVDも買いましたよ。DVDタイトルがヒドすぎたけど(爆)。

マンガ家以外は立ち入り禁止!の立札を掲げた絶海の孤島。今時まんが家=ベレー帽だなんて。かつてはこのまんが島で生活したこともある“先生”と呼ばれるスター作家が“毛塚先生”だったり、そ、そうかここは無人島版トキワ荘とゆーことなのか……。
最初にそれに思い及んでいれば、主人公の二人、アイゴー沢守が藤子不二雄を模しているようなコンビまんが家であることぐらい、予測がついたのに。

いや、つーか、まんが家たちが共同生活をする閉じられた場所、という時点でトキワ荘を思い起こしても良かった筈なのにぜんっぜん思い浮かばなかったのは……なんかあまりにもキテレツで汚くて(爆)、まんが道にまい進するというよりは、ここから出られない!!という状況に狂っていく感の方が強かったからかなあ。
いや、そんなドラマチックな展開は後であり、正直言うと何が起こっているのか全然判んなかったというのが正直なところ(爆)。

まんが家以外は立ち入り禁止の絶海の孤島というそもそものシチュエーション、ただただストイックにふきっ晒しの中で描き続ける売れないまんが家オッサンたち、後に文明との交信が途絶えて墨汁さえも手作りしだすとか、設定自体はかなり魅力的で、これをまんが家の友人が見たらどう思うか聞いてみたいなあと思ったりもするが。
最初から台詞回しもかなり爆裂気味で、彼らの名前やら立ち位置やらが、いつまで経っても判らない、というのが一番ツラかった(爆)。そう、だから、あの二人がコンビ漫画家だということすら、私は最後まで(!)気づかずにいたのだ……。

まんが島に暮らすうちに、それをなりわいとしていること(一応。全然売れてないけど)を忘れたかのように、船が来なくなることも受け入れちゃって、ここでまんがを描いて生きていこうと決意するという展開は、ばかばかしくも、これはひょっとして芸術家が到達する超理想の高みなのでは??などと錯覚しそうになる……いや、錯覚ではないのか??
次第に飢餓状況から「死んだらその肉が食える」と仲間の死を待ち受けるようになり、しかし死んでもよみがえる??この島に埋められたはずの毛塚先生が?そしてあれは誰?話している言葉は何語??もう判らーん!!

……落ち着け落ち着け。そもそも最初から判らないと言っているんだから、なにも焦ることはない(?)。
主演の一翼を担う水澤紳吾。バイプレーヤーとしてブレイク必至のお人(いやもう、してるのか?)だが、今回主演としてもタッグを組む守屋監督と、そのキャリアの最初から深く親密な関係だったとは。それを知っただけでも今回は収穫だった(なんという言い草……)。そもそも本作は製作からすでに4、5年が経過しており、今はすっかり各方面で活躍著しい役者たちの集結という点で、今後注目される作品になるかも。
……どうも腰引け気味の論調になってしまうなあ。いやあ、だってさ、せめてこのコンビ漫画家のありようだけでも認識できていたら見ている感覚が違ったと思うんだけど……本当に、彼らがどうしてここにいるのかとか、もうその時点で判んなかったんだもん……。

ただ、彼らを買っている編集者はいる。川瀬陽太氏演じる冬田は一人、マトモな現代人という感じだけれど、彼らを買っている、という時点で彼もまた軌道を外れているのかもしれないと思う。そして川瀬氏自体が醸し出す崩れた色気が、そんな危険な予感を十二分に感じさせるんである。
いやぁ……どんどん変貌していく川瀬氏は、特に昨今見るたびに枯れた色気ダダ漏れで、既にキャリア充分だけれどメジャーブレイク必至なのではと期待してしまう。

最初の内は、この絶海の孤島と文明の地である東京は、まあまあ行き来できる地であった。だからこそ、こんな状況にある彼らに冬田は、毛塚先生の穴を埋める形で仕事を依頼したのだし。
アイゴー沢守、それぞれの名前も呼び合っていたとは思うのだが、忘れた(爆)。水澤氏の方が、仕事に対してはそれなりに意欲的だが、守屋監督自身が演じる方は、かなり早い段階から世俗から抜け出そうとしている。

その象徴的な出来事は、もうギリギリの状態にいる彼らを冬田が訪ねてきて、その手にはマクドナルドのビッグマックが用意されていて、それを食べた水澤氏に守屋監督が、あんなものは文明のクソだ、みたいな言い方で責め立てる、というね。
しかし守屋監督には恋人がいて、東京に行った時には水澤氏が「女の匂いがする、女とセックスしたな!!」と怒って大ゲンカになる、なんていうシークエンスもあり、この時点では水澤氏の方がそういうストイックがあったと思うのだけれど。

この恋人は、森下くるみ氏だったのね!!今は肩書が文筆家になってる……そうなの!!
最後の最後、冬田から奪い取ったスマホで守屋監督が連絡を取るのが彼女で、もう別れを告げられているのにそうで、ここには愛が、あったかなあ……てゆーか、必死に明確に判りやすいところを探しているような気がするけど。

女性の登場人物は極端に少なくて、彼女と、新進漫画家を演じる柳英里紗嬢と、毛塚先生のマネージャーとして登場する女性の三人のみである。英里紗嬢はこのオッサンまんが家たちをバカにしてたのに最後の最後、まるで彼らの足跡を追わなければ一人前のまんが家になれないとばかりに一人、あの孤島に向かうんである。
この日トークショーで話していた美人ライターさんも言っていたけれど「普通の映画になってしまった」というね、この英里紗嬢が最後にささやく、彼等に捧げるようなモノローグ、そして彼女自身が島へと向かうエンディングは、この破天荒な作品を妙に丸くまとめ上げるウラミは確かにあったかなあ、という気がしている。判んない判んないと言ってきたけれど、結局はそれが魅力だったのだからさ。

と、受け止める側は勝手なことばかり言う(爆)。でもそんなことを言いたくなるぐらい、特に中盤からわっけ判んないカオスに陥り始めるから。
船が来なくなる、というのは、後からオフィシャルサイトのストーリー解説読んで初めて知ったんで(爆)。船の行き来がどういうスタンスでなされているのかも全然判んなかったから、たまたま通った船に乗せてもらってたのかと思ってたぐらいだったから(爆)。

あの可愛いやぎさんは、誰かが飼っていたの??そしてその誰かが死んじゃったから、もう食ってしまえ!!ということになったの??人物の顔と名前が一致しないから(だって台詞が爆裂発射なんだもん(爆))、そんなドラマの基本線もなかなか追いきれない……。
最初はヘビが襲ってくるだけでキャーキャー言っていた彼らが、次第にそんなこともまったく気にしなくなる。ヤモリの足跡さえも、原稿の味にしだしたところから、もうまんがそのもの、ストーリーだのなんだのも度外視になる。

このヤモリの足跡ってのが凄く可愛くて、本作の作品自体のロゴマークになっているぐらいで。更に葉っぱの葉脈のスタンプ、更に色とりどりの絵の具まで取り出し、もはやまんがを描く気はなくなっているのでは…………??
大体さあ、紙もない、墨汁もイカスミやら干したウンコ??やらで手作りしようとやってたのに、基本、まんが描くにはいらない筈の絵の具がどこから??まさか岩絵の具を作った訳じゃないでしょう……。

なんて矛盾点は、つこうと思えばいくらでもあるのだ。風呂は火山のある島の天然温泉(どー見てもドライアイス浮かべたただの川だが)でまかなえるにしても、服はきちんと汚してても歯がいつまでもキレイ、髪もひげもなんで伸びないのかなー、みたいな(爆)。ただ、途中から死人が復活したり、時間軸が明らかにおかしくなるので、まあいいのかなと(爆)。

最初の内はね、まんが家あるあるというか、その苦悩というか。アイディアを先生にパクられたとか、いやそれは提供なんだとか、パクられないために紙に残すなとか、なかなかにシビアな展開が示され、ああこれはまんが家修行道みたいなドラマになるのかなと思ったら、どんどんついていけない展開になり(爆)。
なんつーか、ここにいるのがまんが家じゃなくても良かったんじゃないのと思うぐらいのメチャクチャさ……いや、これはまんが家だからこそ、売れないまんが家だから受け止められるということなのか??

墨汁を作るために島に残された髪染の外箱を「黒髪の女を忘れられないのは判るが、もうあきらめろ!!」とか言われて、ウワァーー!!とばかりに炎の中に投げ入れるシーンは唯一(爆)爆笑。
島の火山が噴火爆発、その後、死んだ人も含めてどーゆーことでかよみがえって東京の片隅でぼーぜんとたたずんでいたり、原稿を持ち込んだ先で門前払いをされるも、ファンだったという若い編集者が「僕がお預かりします」と言ったり、何か急に、判りやすいドラマ展開になり始めたことに戸惑いを覚える。
そのまま先述した英里紗嬢のまとめに入って収束。あれ??てな感じ。あれだけ判んない判んないと言っていたくせに、それが魅力だったのかもとか思うのは、勝手かなあ。

正直かなりツラかったけど(爆)、でも設定の魅力も含めて捨てきれない。これリベンジとかしてほしい気がする。
ほら、最近あるじゃない、ドラマで復活とかさ。これを受けるテレビ局……あるかな??テレ東でも厳しいかも……。★★☆☆☆


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