home!

「え」


2018年鑑賞作品

枝葉のこと
2017年 114分 日本 カラー
監督:二ノ宮隆太郎 脚本:二ノ宮隆太郎
撮影:四宮秀俊 音楽:
出演:二ノ宮隆太郎 矢島康美 松本大樹 木村知貴 廣瀬祐樹 三好悠生 新井郁 堀内暁子 辻野正樹 田井竜也 藤田遼平 國武綾 永井ちひろ 岡部成司 嶺豪一 亀井史興 池田薫 いまおかしんじ 二ノ宮哲夫


2018/5/20/日 劇場(渋谷シアターイメージフォーラム)
監督が自身の名前で。お父さんも本人役で。一度乗り越えなければいけないことだったのか。赤裸々すぎる私小説的映画に心落ち着かない。音楽も一切なく、時にカメラの前であっさりと大事なところまでハダカになる監督に、つまりは後々心までハダカになっていく監督に、どうしてそこまで出来るの、と思っちゃう。
だって劇中の彼はハッキリ言ってイヤな男。今ではなくきっといくらか前の彼、ということなのだろうが、無表情で何を考えてるのか判らなくて、でもどうやら周囲のことを見下してて、でも何も出来ない自分にもイラついてて、そんな“自分”を音楽の助けもなくスクリーンの前にさらし続けるなんて、そんなことが出来るなんて。

機械油の匂いが全身に染み付きそうな、小さな自動車工場。同僚たちとは毎日のように決まった場所に酒を飲みに行くし、特に関係に問題があるようには見えないけれど、だからといって信頼し合っているという風にも見えない。
隆太郎は(監督自身のお名前だから、呼び捨てにするのもなかなかはばかられるが……)淡々と彼らに付き合うが、話題にのっかることもなく、ちっとも楽しそうじゃない。高圧的な先輩や、馴れ馴れしい後輩は、時に店の女の子に「ウザいから連れてこないで」と言われるような輩たちなのだが、でもとりあえず酒を楽しんでいる感じはする。

隆太郎にはそれがない。毎日毎日酒は飲んでるけど、酔っている気配がない。それが怖い。友人からも親からも酒はほどほどにしろと言われているけれど、酔っぱらいという感じがない。ただやることがないから酒を飲み、タバコをふかしている。女と待ち合わせて、セックスをする。そんな感じ。
でも時々なんのキッカケなのかと思うほどに突然キレて、暴言を吐き、相手を激怒させる。それは正論のようにも聞こえるけれど、なんの会話も議論もなく突然吐き出されるから、驚くばかりで。だって彼は本当に、その、セックス相手の女の子が言うように、何を考えているのか、判らないのだもの。

友人だったのか、と思う。隆太郎が彼に請われてその母親に会いに行く。おばちゃん、と呼び、そのおばちゃんは隆太郎、と呼ぶから、てっきりおばと甥の関係で、裕佑はイトコなのだとばかり思っていた。
両親どっちの関係かなあ、父親に会いに行けというぐらいだから、父親の妹とかかなと思っていたら、後でオフィシャルサイトをのぞいたら友人のお母さんだと知って結構ビックリする。

だって隆太郎は疎遠になっていた父親に会いに行き、おばちゃんはもういよいよいけないから、会いに行けよとわざわざ申告し、このおばちゃんが肝炎で余命いくばくもないことから、酒はやめろよ、病院行けよと、自分のことは棚に上げて脅迫じみた声の荒げ方で言うぐらいなんだもの。
それはラストシーンであり、画面の両端にとらえられた父子の姿は、息子が声を荒げていて父親がうなだれてはいるけれど、どちらも泣いているようでもあり、そしてこれでラストって、何も何も、解決も進展もしていないんだけれど。

久しぶりの実家、年若く美しい女性に対してお互いさんづけ、君づけで呼んでいるから、後妻なのだとすぐに判る。彼女の方は特に屈託はなさそうだが、この呼び方の感じで、少なくとも隆太郎の方は他人、と決めているような感じが凄くする。
隆太郎には妹がいる。セックス相手の女の子に妹の制服を着るように、いつもの無表情で指示する場面がある。女の子の方はヘンターイとか言いながら甘く受け止めるが、隆太郎はただただ無表情のまま、着たばかりの制服をはだけさせ、自分だけが真っ裸になってセックスをする。

そして「キモイとかウザイとか、9割そういう話ばっかり、バカなのお前」と突然声を荒げて彼女をドン引きさせるんである。この場面にビックリして、彼に妹がいるということをしばらく忘れてしまった。
後に父親との会話にワコ、という名前が出てくるから、あぁ、妹がいたんだっけ……と思うが、妹の制服を兄の彼がなぜか持ってて、しかも「凄くいい状態」で持ってて、それを着させてセックスするっていうのはどういうことなのか。どういうことなのか、なんて考えちゃうことがヤボなのか。単純に、ヘンターイ、と言ってしまうだけのことには思われないが、じゃあ何なのか、なんだかひどく、考え込んでしまう。

隆太郎が家族に対してどういう思いを抱いているのか、正直よく判らないし、それが作品のネライでもなく、彼自身が判っているという訳でもないのかもしれないとも思うし。
ただ、キッカケとなったのが、お世話になっていたおばちゃんの余命いくばくもないという状況であり、「隆太郎は優しいから、すぐに恋人ができるよ」なんていう、優しいのはそっちだよ!!と言いたくなるようなやせ細ったおばちゃんとのなんてことない会話に、隆太郎が、いつもはぴくりとも表情を動かさない隆太郎が、涙をこらえながら対峙するシーンが、忘れられないんである。

実を言えば、登場人物のほとんどが、イラッとくるヤツばっかりだったり、するんである。
隆太郎の仕事先の人間たちも、そして隆太郎が愛するおばちゃんの息子、つまり幼なじみである裕佑も、好青年そうに見えるのに、自分の恋人に対するマッチョな暴言をサラサラッと普通の会話みたいに言っちゃうことに、うわーっ、と思うんである。

隆太郎がキレるのは高圧的な先輩、ナマイキな後輩、セックス相手の女の子だけなんで(だけってほどじゃないけど)、この幼なじみに対してどう思っているのかは、判然としない。でもまぁ、男の子の本音っていうのは、まだこんなところなのかという生々しさはある。料理のできない女、とゆーか、自分を癒してくれない女に対する厳しさに、いつまでも対等になれない苛立ちを思う。
それは、「アイツのカレーよりクソまずかった」と母親の衰えを嘆く台詞にもつながってくるのだが、つまりはマザコンであるということが、実は男が女を見下す最大の原因なのかもしれないとさえ、思う。自分に美味しい料理を食べさせ、自分を癒してくれた相手がそれが出来なくなった時の落胆。

でも隆太郎にとっては、いわば母親代わりのようなところがあったらしいから。なんかね、そのあたりの事情は判然としないこともあって、なかなか戸惑う部分もあるんだよね。
おばちゃんの病気が発覚してから、寄り付かなくなった隆太郎。それを後悔しているらしい。だってどうやら、メッチャ近所らしいんだもの。歩いて行ってるし。そして自分の実家へもそれをきっかけに足を向けるようになる。これもまた徒歩である。後から設定を知れば幼なじみというんだから、そりゃ近所なんだろうというのは首肯できるんである。

私が思っただけかもしれないけど、この二つの家は妙に似ていて、あれ?今隆太郎が訪れてるのはどっちの家??とか思ったりして。キャストだけじゃなくロケーションも実際の家を使ったりしているということだから、ネライではないのかもしれないけど、なんだか妙な意味合いを感じたりしちゃうんである。
おばちゃんの家を訪ねて、鍵がかかってて、チャイムを押しても誰も出なくて、開いてた窓から侵入しちゃうとか、幼なじみといえども、なんだかヒヤリとする。それぐらい親密だったということだろうが、今は、だって、彼だって、ずっと疎遠だったんでしょう??

隆太郎のセックス相手は、彼の行きつけの飲み屋の女の子。そこにはもう一人、「読者モデル並みに可愛い」女の子もいて、同僚たちはどっちが好みかで盛り上がる。
「若い方がおとくでしょ」とオバカ発言をする後輩に合わせる形で「そりゃ若い方だろ」と言い捨ててトイレに立つ隆太郎、後に先輩格の方の女の子と自分の部屋にシケ込む訳だから、あれは照れ隠しかとも思ったが、恋人気分の彼女に対して彼はそういう気持は一切なかったらしいことが判ってしまうと、あの台詞はそれこそ、マザコン的彼のひねくれ発言だったようにも思えてくるんである。

劇中ではピンとこなかったが、若い後妻さんがいるってことは、そして彼女のことをさんづけで呼んで、つまりは母親と認識していないってことは、隆太郎はやはりやはり、父親に対して「お得な若い女と結婚した」という屈託を抱えていたのかな、なんて、ヤボすぎる想像をしちゃったりするんである。ホント、ヤボ過ぎるとは思うんだけど。

妹の制服とか、母親代わりのおばちゃんへの想いとか、ああやっぱりやっぱり、男の子だなという結論にしちゃうのはいけないのかな。でも、それまで保っていた均衡を急に崩しちゃったり、簡単にバカなの?と言ったり、あまりにも男子たちが無防備で、凄くハラハラする。
正直登場する女性たちは、おばちゃんも飲み屋の女の子も、久しぶりーとか乱入してくる脇役の女の子にまで、心の芯の部分が見えない……それこそ、それまでは全然見えなかった隆太郎自身の本心も、最後には湯水のように流れだしたけど、女たちは、ちょっと、形骸化しているかな、という感じがしてしまった。

でもそれこそがリアルかもしれない。特におばちゃんに対する想いは、息子である裕佑が語り出す思い出を遮っちゃうほどに、彼だけにとっての大切な存在であり、それは彼にとってだけのおばちゃんであり、一人の女性としてのおばちゃんではないのだ。そうでしかこの作品は出来なかったし、それが必要だったのだと思う。★★★☆☆


榎田貿易堂
2017年 110分 日本 カラー
監督:飯塚健 脚本:飯塚健
撮影:山崎裕典 音楽:海田庄吾
出演: 渋川清彦 森岡龍 伊藤沙莉 滝藤賢一 宮本なつ 渡邉蒼 三浦俊輔 駒木根隆介 キンタカオ 金子昌弘 諏訪太朗 片岡礼子 根岸季衣 余貴美子

2018/6/20/水 劇場(新宿武蔵野館)
ほぉ、この監督さんは渋川氏出身なのですか、知らなかった。地元をこよなく愛していることがその芸名からも判る渋川清彦氏と同郷。県が同じ、というのはよくあるが、市まで同じ、というのはなかなかない。しかもお二人とも活躍ざかりのお年頃。

正直言うと、あまりこの監督さんは得意じゃない感じ。脚本が達者なのはよく判るのだけれど、……不遜を承知で言っちゃうと、オレって脚本上手いだろ、みたいな感じを受けちゃうというか。言葉遊びというか、そういうところが多い感じがするのかなあ。
例えば、「信号に気を付けることだな。特にモールス信号」なんていう台詞。いやこれは、映画の展開を見なければ全然判らないコトなのだが……でもこの台詞を作りたいためにあの展開にしたんじゃないかと思ったりする。
そういうところは時々感じる。台詞のオチありきの作劇は、私は個人的にはあまり好きじゃないのである。

まぁ、単純に好みの問題なので、それはおいといてと。舞台はもちろん群馬県。渋川市、とまでは明確に行ってなかったけど、伊香保温泉なんだから、まぁそうか。
渋川市というより、伊香保の方がネームバリューがあるということか(爆)。そう考えると、わざわざ市の名前を自身の芸名にした渋川氏の想いがなんかひしひしと伝わってきたり。

んで、我が愛する渋川清彦演じる榎田は、榎田貿易堂なるいわゆるよろず骨董屋というか、ガラクタ屋というか、回収も「ゴミ以外は何でも来いが信条」だという、そんな店を開いている。
従業員は人妻(という言い方もアレだが、結構そういう言われ方をしている)の千秋と、ワケありで冷静な清春。千秋を演じる伊藤沙莉嬢は、ああそうか、「パンとバスと2度目のハツコイ」のあのコかぁ。言われてみればその特徴的なハスキーボイス!そして清春は森岡龍。うん、こののらりくらりなクールさが彼にピッタリ。そしてなにがしかの影を抱えているところも。

そしてしょっちゅうこの榎田貿易堂を訪ねてくる、なんかヒッピーファッションみたいなカッコが時代を感じさせる余貴美子さん演じるヨーコさんであり、温泉旅館の跡取り息子で、でも自称“スーパーチーフ助監督”で映画への夢が諦めきれない丈が滝藤賢一氏。
んな具合にまぁ、群像劇なので、私的にはさらにやりにくい。書くのがめんどくさい(爆)。誰か一人にでもシンクロ出来てると、ラクなんだけどねぇ。

そうなの、主演とはいえ、渋川氏演じる榎田は、それほど大きく印象に残る訳ではないの。どちらかといえば、千秋とヨーコという二人の女性の方に監督は重きを置いている気がした。
千秋は表向きはチャキチャキ店を切り回す女性だが、実は実生活では夫と上手くいってないらしい。まぁ、ありていに言えば“もう2年も”ってヤツである。

一方のヨーコさんは、終活中と言いながら、“年上の彼氏”と「バックでパンパン」やっているんである。そのヨーコさんに嫉妬してか、千秋が「バックでパンパン」やっているコインランドリーの呼び鈴を鳴らしてダッシュを繰り返すエピソードは印象的だが、これもまた結果的には、「チンチンダッシュ」と言わせたかったための作劇のようにも思えちゃって。
「後ろ姿しか見えなかった。バックだけに」とかね。なんかいちいち気になっちゃうのよ。あぁ、台詞ありきだなぁ、と思っちゃう。上手いんだろうけれど、してやったり感がどうしても気になるというか。

また脱線してしまった。で、清春の過去が明らかになるのはだいぶ先で、千秋と夫の仲が、ヨーコさん発案の珍宝館でのデートが上手くいってからの先である。
この珍宝館でのデートは……「ダンナと同じサイズ」の木彫りを見つけて、マジ真剣な顔で手コキ、ダンナがたまらなくなる、という……笑いそうにはなったが、観客の中でオッサンの笑い声がやたら先制してくるので、なんか笑えなくなった(爆)。
考えてみれば、かなりアナクロニズムというか、マッチョなネタだよなと、またしてもフェミニズム野郎の私は思っちゃうんである。

まぁ、それはおいといて(ばっかりだな)……清春は、出来のイイヤツで、東京ではエリートサラリーマンだった。ただ、それが当然と思う彼は、人の気持ちが判らなかった。
ゆえに、いわゆるイジメにあった。無言電話、いや、ケラケラ笑う電話。それで彼は電話に出ることができない。そのことを千秋に打ち明けるんである。

そんな重苦しいことに比べれば、渋川氏演じる榎田はノンキなもんである。常に女の途切れない彼は、劇中はずっと、理容室の女主人としっぽりな仲である。
“休憩中”の札をぶら下げて、青と赤のポールがぴたりと止まる。ひしゃげたブラインドの間からおまたを押さえてのぞき込んでいる男の子から小銭を巻き上げたりする。

この、色っぽいけれど見るからにヤバそうな眼をしている女主人は片岡礼子。ぴ、ぴったり。別れた夫との復縁話をチラつかせて、「だって私にはあなたがいるのに、ねぇ」なんてすきバサミをチラつかせるんである。
彼女にとって思い出の品だというこのハサミの由来を、榎田は聞かなかった。そのことが彼女を激昂させる。そりゃ判るよ、本気じゃなかったってことだもの。彼女のことを、本気で愛してるとか、結婚したいとかじゃなかった。たまのセックスでガス抜き。それにしても榎田、判りやすすぎる。あんな対応じゃ、バレバレじゃないの。

滝藤氏演じる丈に関しては、うん、こういう“未達映画人”は結構いるんだろうなと思ったり……。だから彼が最終的に、映画への夢を選ぶのか、帰って来たこの土地での、実家の旅館の再生に力を入れるのか、どっちにさせるのかなぁと、これは意外に、一番重い命題じゃないかなぁと思った。
だって、映画人を登場させてその末路を描くってことは、映画監督としては、自身やあるいは周囲にいた人たちをそれなりに投影させていると思われる、当然、そういうことじゃない??

丈は、榎田に叱咤されたこともあって、実家の旅館を立て直すことに勝負する道を選び、それはとても素晴らしいことなのだが、彼の設定を、未達映画人にしたことが、彼らへの愛というよりむしろ逆、自分は成功したけど一握りなんだよネッ、みたいな風に思えちゃう。
それは私がひねくれているのだろう、そうなのだろう……。でもさ、書いてるの?と聞かれるたび、「それ、脚本家に言っちゃいけない言葉!」と返す丈、書いてないってことでしょ、つまり、書いてないのに、書けてないのに未練たっぷり、みたいな人物に対する揶揄みたいに思えちゃうのよ。それは私が、ひねくれているのだろう……。
かつては女優だった、丈と現場でも遭遇していた看護師さんなんてのまで登場させて、ひと握り感をさらに出してくるのも、あまり好きじゃないなぁ。判るんだけど……。

んで、ヨーコさんである。恋人の渚とバックでパンパン、千秋が見に行くたびヤッてるって、それもまた過剰な描写だが、「弁当屋の主人」がゲイで、この渚をバックでパンパン、ヨーコさん呆然、という展開に持ち込む。
別にいいんだけど、「あの人、ゲイですよ」と言う清春が、手を握られて、どう?みたいに言われた、と仲間たちに話し、群馬にゲイがいるのかよ……と呆然とする榎田、みたいな。

ちょっとなぁと思う、色んな意味で。なんつーか、清春が話す弁当屋の主人の描写って、世間で流布してるような、オネェ系である。とりあえずボディタッチし、ねぇねぇと迫る、みたいな。ゲイというのは単純に、恋愛対象、性的対象が同じ男性であるというだけのこと。女っぽいとか、そういうことは関係ない。
群馬にゲイがいるのかよ……という台詞も含めて、あまりにも狭い感覚だと思う。いやね、こーゆー重箱隅つつきはしたくないさ。それこそ、面白いものはおおらかな感覚でなければ生まれないとは思う。だけど……私はあんまり面白いと思わないもんでさ(爆)。

モールス信号ってゆーのはね、理容店の女主人が、私、コレが興奮するの、と彼を呼び出してヘッドフォンで聞かせて、路上に放置し、ダンプに轢かせたという、事件で。交通事故には信号に気を付けろ、特にモールス信号にはな、というね、先述したオチありきの台詞よ。
この女主人は復縁を迫られていた元ダンナに心中の形で殺され、それですっかり榎田は魂抜かれて、店をたたむことにする。千秋と清春は丈に誘われて、彼の旅館で働くことになる雰囲気、しかし榎田はどうだろう……。

なるようになるさ、みたいな雰囲気で物語は終わるが、結局彼に対して大した愛情が感じられなかった作劇のような気がするんだよなあ。★★☆☆☆


トップに戻る