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モダン・ラブ
2017年 115分 日本 カラー
監督:福島拓哉 脚本:福島拓哉
撮影:難波俊三 川口紘 音楽:トルコ石 河原弘幸
出演:稲村梓 高橋卓郎 芳野正朝 今村怜央 佐藤睦 ヤン・イメリック 川瀬陽太 町山博彦 大木雄高 園部貴一 草野康太 中野未穂 梅田絵理子 園山千尋 竹内茂訓 岡慶吾 堀井秀子 渡辺イチ 菅原彩香 齋木ひかる 村上玲 椋田涼 染井ひでき 末田佳子
実際、闇の中にぼんやりと浮かび上がるような宣材写真はスタイリッシュで、暗い感じで、そういう作品なのかなと思っていた。実際は脚本にしても芝居にしても、何より映画の色味がぱっきりとしていて、かなり意外な印象を受けた。
親友であるゲイの男性のオネエキャラとか、まるでテレビのバラエティを見ているようである(正直、こういうステロタイプはあんまり好きじゃない。ゲイ=オネエではない筈)。ドッペルゲンガー的展開になってくる後半以降は不思議雰囲気と、運命の恋人との切なさが漂っては来るけれど、正直、旅の場面が長すぎて、疲れてしまう、のはまぁ私の寝不足のせいだろうなぁ。
そもそも、新惑星の発見がこの事態を引き起こす(のかなぁ、よく判らないけど)という設定自体が、運命の恋人との切なさを演出するというよりは、ちょっと幼稚なSFチックな感じがして、まぁこれは私の好みの問題だろうが、あんまり好きじゃないなぁと思っちゃう。
こういう発想って、ちょっと男の子的よねとも思ったりし、監督さん私と同じ年だし、角川SFから育ってきたらこうなるのかもなぁ、と妙に納得したりする。
新惑星、エマノンが発見されたニュース、宇宙研の科学者が見解を述べる。大学の研究室にたむろしている(訳ではないが)四人がのんきに感想を述べている。うーん、なんかこう、恥ずかしくなっちゃうんだよなあ。宇宙研究所とか、SFマンガ的発想っぽくて(実際にあったらゴメン)。
その大学の研究室に、しかしたまにしか顔を出さないミカ。大学院生となって残っているのは、忘れられない恋人がいるからだと、先輩女子は心配しているが、ミステリアスなミカに惹かれている後輩男子は恋心プラス興味津々といった感じである。
研究室の教授はまるで彼らと友達みたいな感じで、今は師匠にくっついて宇宙研に日参するのに忙しい。……しかし、この宇宙研とつながっているようで全然つながっていなくて、特に物語にそこんところが作用しないっていうのはもったいないというか、カックンという感じなんである。新惑星とか、宇宙研とか、言いたいだけだったんじゃないかなぁと思っちゃう。
ドッペルゲンガーやパラレルワールドということに、この設定がもたらすリアリティを考えたんだろうか。正直それは感じられない。むしろ、何もなく、この不思議世界に巻き込まれた方が、よっぽどシンプルでリアリティがあると思った。
ミカは旅行代理店でバイトをしている。そこに不思議な客がやってくる。見た目は普通の男性で、行きたいという場所が、まるで判らない場所なんである。検索してもヒットしない。どこかに行きたいだけだと言い換える彼に安いツアーを紹介するミカ。旅から戻って来た彼がもたらした、脳みその造形のオブジェ、それを受け取った時から、不思議展開が始まる。
だったら、新惑星は別になくても良かったんじゃないのとも思うが、この脳みそオブジェがそこまでの不思議現象を生みだすと考えるには少々安っぽい気もするし。
どちらにしても彼女が体験する不思議展開に作用するほどの説得力はないよなぁ、と思っちゃうのが正直なところ。そもそもドッペルゲンガー、パラレルワールドというだけで扱うには難しい材料なのだから、そこ一本で勝負してほしい気がした。
ミカは突然いなくなった恋人、テルが忘れられず、いまだに部屋で彼の声を聞いている。妄想、と彼女は自覚しているが、結果的に言えば妄想ではなかったということなんであろう。
声だけ彼女に聞こえているテルも、その後、“別のミカ”にとって現れる、初めて出会うテル、姿を変えて出会うテル、すべてが、複数現れるミカと同じように、真実のテルなのだ。
このあたりから夢の中をさまよいだしたので、トンチンカンなことを言ったらゴメン。そもそもオリジナル(?)のミカがテルを失ったのが失踪だった、というのが(オフィシャルサイトでそうおっしゃっているので……)、えっ、そうだったの、という感じ。てっきり死んでしまったものと思っていた。
死んでしまった、というのは、後に彼女が遭遇するドッペルのうちの一人にとってのテルがそうであり、もう一人は出会ってもいない。この三人が同じ時空間に存在し、ようやく見つけた!とテルにすがりつく一人、後にその彼と“初めて”出会う一人、てな具合に、人物と展開は重層化していく。うん、このアイディアの面白さだけで充分だったのになぁと思っちゃうのよ。新惑星も宇宙研もいらないっつーか。
声だけ聞こえる失ってしまった恋人の存在に、自覚たっぷりのミカは時に過呼吸を起こすようなストレスを抱えている。でも結果的にこれは妄想のための声じゃなかったのだし。それだけ彼女が苦しんでいたのだということは判るけれども。
そして突然訪れるもう一人との遭遇。これは彼女の性格なのか、お互い驚きながらも「これは夢だろう。また会ったらヨロシク」てな感じで、コメディと言いたいほどにドライである。こういう感じが、結局基本ベースにあるので、宣材イメージから勝手に想像していた感じと違ってて、カックンとなるんである。作品カラーに沿った宣伝をしてほしいよなぁと思っちゃう。
更にもう一人追加されるあたりはかなり記憶があいまい。ハッと気づくと三人が対峙して、テルが生きていることをうらやましがったりしている対話が繰り広げられていたりして、結構ビックリする。彼女たちを結び付けるキーマンもいたらしいのだが、すみません、すっかり本当にねむねむで……。
どういう理由というか、何きっかけで、彼女(たち)が旅に出ようと思い立ったのかよく判らなかったのだが(眠かったから(爆))、後半はスッカリ、それぞれの、壮大なる旅の展開である。
一人なんぞはなんと、スペインまで行ってしまう。何かの予感を感じたからそこに行ったのか、そのあたりはねむねむだったんで(だから、すみません……)判んないんだけど、まぁ、ここからの旅の展開はかなり長い、長い。眠いから長く感じるのかなぁ(もう、観る資格ナシ……)。
その前に、ミカは何度もデジャブ感に襲われる。バグのような雑音がザザザッと入るのがその合図である。この会話、テルとしたことがあるよね、という具体的なものも含めて、かなり何度も、それこそ三人のミカの中でそれが展開される。
三人はパラレルワールドにいるそれぞれなのだから、ちょっとずつ違った世界にいるという点で、ほとんどの経験を共有(というのとは違うのかもしれないが)しているのだろう。
しかして今三人は同じ空間、というか、これはどういう仕組みなのかよく判らんが、時々壁を乗り越えてしまっているという感じなのか。
実際、壁という言葉は出てきた。ミカをあまりにも愛しすぎて、セックスするたびその中に溶けていってしまうような気がして、怖くなって、「壁の向こうに行く方法が判った」的なことを言った(すみません、うろ覚えで……)一人のテル。死んでしまったテル、ではないということだろう。
その方法が判らなくて自ら命を絶ったのがまた一人、壁を、つまり違う世界に行ってしまったのが一人、それがスペインで姿を変えてミカの前に現れた彼、なのか。
テルを演じる、監督お抱えだという彼は、なかなかイイ雰囲気である。ミカを演じる稲村嬢は判りやすく美女だが、彼は、なんというか、運命の恋人、というのが妙に納得できる繊細さを持っている。風貌も今風?な独特さ。
彼がミカと出会ってなかったり、自殺したり、壁の向こうに行ってしまったり、究極的にスペインで、全く違う姿、スペイン人のちょっと頭が薄くなった男性になってミカを待ってても、なるほど、と思わせてしまう魅力がある。
初めてテルと出会うことが出来たミカはその後、彼とハッピーに過ごしていくのだろうか。実際、接触感たっぷり、距離感超近い幸福セックスを接写カメラで映しだす二人は、他のドッペル二組をエサにしたかのように、幸せそうだから。
テルを死によって失ったミカと、壁の向こうに行ってしまったテルと再会したミカはそれぞれ……特に、違う形であってもテルと再会したのに、「じゃあ、もう帰るね」と言うミカ、うなずくテル。
それは当然の帰結、判ってる、それぞれに違う人生が待っている。この再会はあくまで、ミカをリセットするために必要なことだったのだというのが、なかなかに切ないんである。★★☆☆☆
山崎努。私、大好き。この人って、なんていうかアヴァンギャルド。だいぶ前から年をとっているのに(ヘンな言い方だな)、普通の年寄りじゃなく(なんかヘンだな)、奇妙というか、シュールというか。
思い出すのは「刑務所の中」もう、この時の山崎努のヘンテコチャーミングがサイコーで、ずーっと忘れられないのだ。それは、この沖田監督の世界とすんごく通じるんだよなあ!
今まではそれなりに若い世代を描いてきた沖田監督だけれど、挑戦的企画の「滝を見にいく」で年配女性を魅力豊かに描き、もう、どんな世代も自由自在よ!という感じ!!てゆーか、むしろ、孫ぐらいの立ち位置で演出する山崎氏や樹木氏が自由闊達に翼を広げているのが、凄くイイ感じと思っちゃう。
樹木希林も!沖田ワールドの住人と言う気がするなあ。こんな個性的な人もいないんだけど、沖田監督ワールドを思い返すと、樹木氏もまた、めちゃめちゃピッタリなんだよね。今まで顔合わせがなかったのが不思議なぐらい!
それでいえば、山崎氏と樹木氏も初顔合わせだということに驚く。こんなアンテナが合う二人が。いやそれこそ、沖田作品という触媒がそのアンテナを触れ合わせたということなのだ。孫の世代の才能が。なんという素敵なことだろう!!
実際は10も違わない二人だが、夫婦としての熊谷夫妻は20も離れている。つまり山崎氏がそれだけ老け役を演じているということになる。しかし80も過ぎてくれば老け役っつってもそんな不自然に老けさすこともなく、山崎努!!であるモリさんである。足腰がなかなか自由にならないあたりぐらいだろうか。
樹木氏はいつでもどんな時でも樹木氏だから、素敵に自然体である。だから二人が20も離れているなんて、なかなか思い及ばないんである。
作中ではちらりと触れられる程度だが、二人は子供をあいついで亡くしているという。実際には存命の子供もおられるが、それもまた言及されないし、劇中は夫婦二人とお手伝いさん、そしてひっきりなしにやってくる来客たちでさわがしいので、家族というしがらみからすっかり離れて、仲がいいんである。
恋人同士のように、とは言わないが、食事を共にし、碁を打ち、散歩を見送り、“学校”であるアトリエに送り出す一日、彼女は彼のすべてを把握し、彼は彼女にむっつりと従って、こういうのが、本当の意味での、仲の良さなんじゃないかと思っちゃう。
彼らが住んでいるのはうっそうと木や雑草が茂り、昆虫や爬虫類や猫や小鳥や池には小魚なんぞもうようよいる、ワンダーランド、なんである。
劇中、加瀬亮扮するカメラマン、藤田が助手の若い男の子、鹿島をつれてきて、彼が「ボク、虫が苦手なんです」と虫よけスプレーをまき散らして藤田に怒られる場面があるが、まぁ、正直なことを言えば私だって鹿島と同じ気持ちである。
ただ、鹿島は、モリさんにホレ込んじゃうんだよね。一日中小石やアリを見てても飽きないモリさんに魅了されちゃうんだよね。正直意外だった。先輩である藤田だってそうだろう。
「俺、明日も来ていいですか」と言われた時の加瀬亮の表情ときたら!!でもきっと、藤田もまた、同じような経過をたどったのだろうな。だから彼を連れてきたのだろうし。
そして、後半には熊谷邸のすぐ近くに建設されるマンションに関してひと悶着あるのだけれど、そこの工事現場監督の青年もまたそういう感じで。
演じる青木君が、見た目はコワモテなんだけど、実はモリさんに会えるのが嬉しくてウズウズしてて、息子の描いた絵を見せたりして、なんともカワイイんだよね。
この時にモリさんがアドバイスする言葉が最高である。「ヘタですな。でもヘタがいい。上手かったら、そこで止まってしまう。」きっとモリさん自身も、自分が上手いとは思っていないのだろう。
だってさ、物語の冒頭、展覧会のモリさんの絵を見た、昭和天皇(!!)が、「これは……何歳の子供が描いたんですかな??」とマジに言って、関係者たちが絶句する、っていう、ほんっとうに、象徴的な場面があってさ。
チョイスする絵が最高だよね。伸し餅だよ!さすがにこれを映画の最初に出されたら、まだなーんにもモリさんのこと知らない観客だって、目を白黒だよ!!
そういうあたり、上手いんだよなあ。だんだんと、モリさんの魅力にはまらされるんだもの。いや、モリさん夫婦、更に言えば、この小宇宙と言うべきモリ家の庭というべきかもしれない。
これは自然ドキュメンタリー??と思っちゃうぐらい、驚嘆すべき、そうした小動物に肉薄した映像の素晴らしさなの!!こ、これは、むしろ劇作品よりもこっちにこそ注力したんじゃないの、そうに違いない!!と思うほどに!!
あれはヤモリかなぁ、小さくはい回る爬虫類君は、モリさんの下駄に踏みつぶされそうになるが、のんびりと回避する。旅館の看板を書いてほしいとやってきたその時間を測るかのようにみちみちと進む尺取り虫(初めて見た!!)、小鳥、カエル、カマキリ、ハエ、蝶、彼らが捕食する描写までじっくりと描きとっていることに本当に驚嘆する。
でもそうでなければ、そこまでしなければ、モリさんの、熊谷守一の世界を描いたことにはならないのだ。
ほんの小さな庭。でも彼にとっては宇宙。その描き方がたまらなくチャーミング。いってらっしゃいと奥さんに送り出され、まるで探検するがごときに緑の中をはい回る。ここはどこだ……と、見知らぬうっそうとした場所に顔を出したと思ったそこは、まだ奥さんが洗濯物を干している場所から少しも動いていない、あるいは戻ってきちゃったのか。
人間にとってはごくごくささやかな庭だが、当然、ここに生態系をもっている小動物にとってはワンダーランドであり、モリさんもまた、その世界にそのまま生きているのだ。藤田や鹿島や、その他若い人たちがどこか訳も判らずモリさんに惹かれてしまうのは、憧憬も含めて、そういう部分に違いない。
アリがどっちの足から歩き出すかなんて、知らないし、早すぎて全然判りません、と素直に言っちゃう鹿島君にむしろ共感するが、そんな彼がなぜだかモリさんに心酔しちゃう、そういう人たちがわんさかいるのだろう。それこそアンテナというものなんだろうと思う。
やたら足がつっちゃうふくよかお手伝いさん、池谷のぶえ氏が最高に好きだなあ。彼女はモリの姪だったのか。見てる時には全然気づかなかった。
奥さんと同等ぐらいにモリのことを理解している彼女、美恵ちゃん、まず最初にそれを示す朝食シーンがサイコーである。
モリは歯が悪いということなんだろうな、食材を手でつかみ、ハサミで切るのはまだいい、なんかプレスする大げさなペンチみたいなので、ウィンナーなんかをブシャッ!と潰すもんだから、正面の奥さんはとっさにハンカチで防ぎ、隣の美恵ちゃんはあれまぁという感じで頬をぬぐう。日常、という雰囲気満点で無言で進むこの場面にまず爆笑、心をつかまされちゃう。
一番、モリさんの人となりを端的に表しているのは、文化勲章(だったかな)を断るシーンじゃないかなぁと思う。電話がかかってきて、「そんなものをもらったら、たくさん人が来ちゃうじゃないか」「それもそうですね」そうして、「いらないそうです」ガチャン!サイコー!
電話をかけて来たオエライさんがだだっぴろい部屋で電話をかけるだけの机、みたいな、演劇的わざとらしさで示すのが、このチャーミングさを表すのにパーフェクトだよなー。もう笑っちゃう。
三上博史は、なんか知らない人が入り込んじゃった、という形で最初現れる。知らない人をあげちゃいけないよ、と常連は言うが、勝手に上がり込むという点では、枚挙にいとまないから、誰もそのことに頓着しない。しかし再登場する三上博史は、おでこからぴろーんと光を照らした、かんっぜんに、この世のものではない存在である。
モリさんが10年の歳月をかけて掘った、小魚が泳いでいる小さな池を飽かず眺める大きな穴、そこが宇宙とつながったから、行きましょうと彼は言う。でもモリさんは、それを断る。
その時、マンションを建てている若い工事人たちがワンサカ肉を食いにモリ邸に訪れている。マンション自体はメイワクな話で、モリさんに心酔する若き芸術家たちが反対運動の貼り紙を貼ったりしている。
庭に光が差さなくなり、小さな生き物たちが生きられなくなる、ということで反発はしているモリ夫妻だけれど、それを表立って、いわば夫の代わりに妻がおっとりと言うだけで、結局はマンションは建ってしまうのだ。
その前に、あの現場監督と仲良くなっちゃったから、10年かけて掘った穴を埋めるための算段をし、小魚を息子ちゃんの絵を描くために引き取らせるという、なかなかにモリさんはしたたかである。
ヘンクツそうに見えて、若い人なんかとは相いれないように見えて、若い人こそ彼に心酔するってのが、不思議なようで、当然のようで。
ああ、いいな、午後は寝ちゃうってのが。しかも庭にゴザひいてさ。めっちゃ理想だなあ。そして、「学校に行く時間ですよ」と、まるでお母さんに言われるように、20下の若い(とはもはや見えないが(爆))奥さんに、夜のアトリエに送り出される。
そこにはひっそりと、まるで1ミリも動かないようにひっそりと、大きな鳥かごに、ウィンクするみたいに片目ずつまばたきする、フクロウ、フクロウ!!夜の先生!だってフクロウは、知恵の象徴だものっ。
あぁ、なんて、ピッタリなんだろう。それでなくてもモリ邸には、飼ってるのも鳥ばかりなの。オカメインコとか、やたらやたら!そういうあたりのディテールも気になる気になる!!これは、熊谷守一へいざなう作戦かっ。
★★★★☆