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2018年鑑賞作品

信子
1940年 91分 日本 モノクロ
監督:清水宏 脚本:長瀬喜伴
撮影:厚田雄春 音楽:伊藤宣二
出演:高峰三枝子 三浦光子 岡村文子 森川まさみ 高松栄子 大塚君代 松原操 忍節子 出雲八重子 雲井ツル子 青木しのぶ 三笠朱実 奈良真養 吉川満子 飯田蝶子 三谷幸子 草香田鶴子 東山光子 野村有為子 三浦ハマ子 春日英子 なぎさ陽子 加藤夕未子 三村秀子 青山万里子 日守新一


2018/12/5/水 劇場(神保町シアター)
後半かなり大事な場面で映像と音声が劣化してて、もう息をつめて耳を澄ましても聞こえなくて往生したが、しかし大変面白く鑑賞。
「まだお嫁に行くのも気が進まない」というぐらいの理由で、田舎から都会に女学校教師の口を得て出てくるのが主人公の高峰三枝子。今回清水監督作品二本目で、両方とも彼女がヒロイン。

しかして「按摩と女」の謎めいた薄幸の影を引きずるあの彼女とまーるで違う、田舎の方言丸出しで、生意気な生徒たちに体当たりでぶつかって、そしてそのスタイルの良さを洋装でばっちり見せつける。
しかしそれを芸者置屋の女の子たちが「田舎モダンよ」「なぁんだ」みたいな会話をするのには噴き出す!田舎モダン……それは褒め言葉……ではないだろうなぁ。

でもヒロインの信子がまず身を寄せる、父親の従姉妹(だったかな)がやっている置屋での、おばさんと若い女の子たちのちゃきちゃきとした会話が楽しい。
考えてみればもうこの時点で女だらけ、なんだよね。よーく考えてみれば男は二人しか出てこない。一人は重要人物、女学校のスポンサーともいえる重鎮であるが、もう一人はなんと、寄宿舎に忍び込む泥棒!お、思い切ってるー。

前半は小宮山信子先生のそのなまりで大いに和ませ、生徒にもからかわれて泣いちゃったりご立腹したりする彼女の奮闘が実にほほえましい。
教師も女だらけの学校だから、ちょっと苦労するのかなと思ったがそういう現代で想像するようなインケンなこともなく(爆)、年配のぜんそくもちの先生なんか優しくしてくれて、割といい職場である。

「ぜんそくには、がまを生け捕りにして黒砂糖で煮て……」と田舎の知識を伝授し、この先生が何度も「がまを生け捕りにして……」とつぶやいてメモし、「がまは生け捕りじゃなきゃいけないんですかねぇ?」と小宮山先生に日を置いて問いかけたりするのが可笑しい。絶妙に、こういうユーモアをさしはさんでくる。
そのほかの先生は特に仲いいとかぶつかるとかいう訳ではないが、結果的に小宮山先生が糾弾する、ことなかれ主義でやり過ごしてきた、ということなんである。それにはたった一人の問題児の存在が、あるんである。

細川栄子。栄子の字が合ってるのか判らない(爆)。えいこ、なのは間違いないが、データベースでは頼子になってるし、これでえいこと読むとは思えないし。英子、と出ていたような気もするが自信ないので、ここは栄子で通しちゃう。
つまりは学校にとっては大事なスポンサーのお嬢さん。学校でも寄宿舎でもそのこまっしゃくれたカリスマ性を存分に発揮し、イタズラやらわがままやらで、歴代の先生を困らせてきた。

小宮山先生に「その、けぇとかちゅうとか言うのは、英語ではなんて言いますの?」なんて言って泣かせてしまう。ちゃんと、英語には訛りがあるのか、と布石を置いたうえでの発言で、こまっしゃくれてて憎らしいけど、頭のいい子なんだよね、と思わせる。
初めて小宮山先生に遭遇した生徒たちがその訛りに大いにウケた後、ちゅうちゅうたこかいな、なんて口ずさむのも彼女である。歴代の先生を困らせて来た彼女だけど、この時点ではまだ、同級生たちと一緒にワイワイやっている雰囲気があったのだ。まぁ女の子はわりとしたたかで、その場で都合のいい方に合わせるから。

栄子のハッキリとした攻撃が出てきたのは、小宮山先生が寄宿舎の舎監になってから、である。
芸者の置屋から通うというのはいただけない、という理由が、小宮山先生はちょっと不満そうだったけど、置屋のおばさんもあっさりと、そうだわね、なんて送り出すあたりは時代なのかなぁと思う。

この置屋で芸者になるべく見習いをしているチァー子ちゃんも結構濃く絡んでくる。真面目でしっかり者、級長をやったことだってあるのよ、と小宮山先生に話す彼女はだから、女学校にも行きたかったけど、うちは貧乏だし、せっかくだから日本一の芸者になろうと思ってるの、とけなげな決意を口にする。
でも最後には芸者になりたくないと言って、小宮山先生とおばさんが相談の末、チァー子ちゃんはおばさんの養子として跡取りになり、女学校にも行かせる、ということになる。
昭和15年、まだまだ女の生きる道は狭い時代だけど、“田舎モダン”な洋装がめっちゃカッコイイ高峰三枝子が古い因習を突破していくこの物語の中に、そんな要素が盛り込まれていることに、作り手の意志を感じるんだよなぁ。

で、ちょいと脱線したけど、なんたって女学校での話。そして問題児の栄子。なんつーか、きいちのぬりえみたいな風貌。
眉毛が大きく出たウェーブのかかったボブスタイルにリボンを巻いて、めちゃくちゃ王道セーラー服スタイル。勿論周りの女学生たちもそうなのだが、リボンは彼女だけだったかなぁ。その少女漫画みたいな風貌も相まって、やはり一人浮き上がって見える。

小宮山先生が寄宿舎の舎監になった初日に、就寝直後、窓に髪の毛がぶら下がったような影を映したイタズラは、小宮山先生ならずとも、こっちも思わず悲鳴を上げそうになった。
後に、継母と上手くいかず、学校でも特別扱いされて寂しかったと吐露するこの栄子が繰り出すイジワルやイタズラの数々は、念入りに計算されていて、つまりそれだけ時間がかけられていて、頭がいい上に、なんだかいじらしいことが、判るんだよね。

小宮山先生があの年配の先輩先生にごちそうされて、初めてあんみつを食べて感動して、おかわりしたところを見逃さず、アンコ+ミツの二乗みたいな、方程式にして食堂の黒板に書きだす場面とかさ。
もうこの時点では小宮山先生も対決する気マンマンだから、栄子にあえてそれを解かせて、筆跡が同じね、とか言って、だからこそ栄子はどんどん、言えないけれども、小宮山先生を好きになっちゃったに違いなく。

イタズラする栄子をとっちめた!と思ったのが、忍び込んでいた泥棒という衝撃的なエピソード。おいおいおい。おっちょこちょいそうな小宮山先生だから、絶対栄子じゃない誰かを捕まえたとは思ったが。
なかなか顔を見せないこのシークエンスは凄くスリリング!まさかの!女子の寄宿舎に忍び込んでいた男って、泥棒以上にヤバいじゃないのぉー。時代だからそこまで掘り下げることはないが……。
しかしてこの事件で、それまでは栄子同様ちょっとバカにしていた女学生たちから絶大な信頼と人気を得て、栄子曰く「少女歌劇団みたいね」ほんっとに!宝塚みたいにぎゅうぎゅうにキャーキャー言って取り囲まれちゃうの!!なんか笑っちゃう。実際ここは、かなりウケネライの場面だったと思うなぁ。

でね、散々困らせる栄子、明らかに仮病を使って朝の点呼に出てこなかったり、ハイキングで一人勝手にバスやトラックに乗って行方をくらましたり、同じ寮生たちもアイソをつかしだしちゃう。
というのも、みんな小宮山先生のファンになっちゃってるから。その先生を困らせるなんて、みたいな感じがあるから。でも後から思えば、栄子は自分に唯一体当たりしてくれた小宮山先生を彼女もまた大好きだった訳で、他の生徒と同じく、いや彼女はもっと深い愛を持っていた訳で。

ちょっとビックリしちゃうんだよねー。だって自殺未遂なんてしちゃうんだもん!いや、あれは、小宮山先生に追い詰められたというより、寮生たちに追い詰められた、という方が正しい。
ただそうなったのは、小宮山先生が寮生たちを巻き込む形で「あなたが掃除を終わってから、食事にする。それまで待ってるから」と言ったから。なかなか立ち上がれない栄子にそれまでのうっぷんがたまっていて、小宮山先生のシンパになっている寮生たちが、口々に栄子を責め立てたから。

そう……たまっていたんだな。「私たちは、栄子さんの女中でも小間使いでもありません!!」……一体、どんだけのことをさせられていたんだよ……ヤバいじゃねーか。
そして栄子は自殺未遂を起こす。姿をくらました彼女を探し回る寮生たちのシーンはかなりの尺をとるので、こりゃあ……自殺かな、とやっぱり予測してしまう。首吊りを見つけちゃうんじゃないかって思ってたので、ヒヤヒヤした。あー良かった、ガス自殺未遂で。良かったってこともないが(爆)。

で、先述したが、最も音声が劣化していたのが病院で栄子が小宮山先生に涙ながらに、謝罪しながら本音を吐露するシーンで、めっちゃ冷たい継母の来訪あたりからホンットに音がちいちゃくて聞こえなくて、めっちゃ耳を澄ます(爆)。
寂しかったのだと。特別扱いしてほしくなかったのだと。小宮山先生は叱ってくれて、嬉しかったのだと……。

その後、小宮山先生の処分を巡って生徒たちは、栄子が悪いのにさ!みたいな雰囲気になるし、先生たちはやはり波風を立てたくなかったのにあの先生は、みたいになるし。
そこへ栄子の父親がやってきて、娘から話は聞いたと前置きして、小宮山先生への謝辞を述べ、「責任は辞職?とんでもない。こんなことで先生が辞職するなら、親も辞職しなくてはならなくなってしまう。」なんて素晴らしい言葉!

小宮山先生がこの学校では新人ながらも、いわば生意気ながらも信念をもって口にした言葉、教育は愛情なのだと。このいかにも影響力もってそうな口ひげたたえた栄子の父親も、「あの子を特別扱いしないでやってください。叱って、可愛がってやってください」という言葉が胸に染みる。
叱って、はその後の可愛がる、の言葉に内包されるものだ。その人となりをしっかりと見て、叱り、褒め、可愛がる。それが教育なのだと。特別なんてないし、いわば生徒みんなが特別なのだと。

あー、でも、まぁ、先生にとってはその他大勢の生徒、よく出来た生徒、問題のある生徒、あるだろうね。みんなが特別でみんなが平等、はめっちゃ理想だけどさ……。
でもある意味その原点を清らかにうたいあげられた時代の映画で、高峰三枝子のぶつかりようはめちゃくちゃ胸がすくのだ。後に中村雅俊あたりの青春ドラマが男子世界に集約されるのが、時代に逆行したように思えるぐらい。
いわばこの時代は、女性や女学生たちに、まぶしい未来を見られる、そんな時代だったのかもしれない。昭和15年。敗戦の5年前。……私には知りようもない。★★★☆☆


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