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ところで、砂田だし清浦だし、女性キャラが苗字で呼ばれるというのが新鮮、というか、私の理想である。
映画でも小説でも、男性は名字で呼ばれるのに女性は下の名前で呼ばれる、例えば解説とかに書く時とかね……なのが殆どなのが、私もついそういうのに慣れてしまって、字面の見た目で男女の違いが判るという便利さもあってついつい受け入れてしまっているんだけれど、内心忸怩たる思いをずっと抱えているのも事実で。
なんでなん、やっぱり女は結婚して苗字が変わることが前提だから??家を背負えないとか??なんかイチ個人として一段下に見られているような気がしてそれがずっと悔しかった。
本作は、映画はこれがデビューだけどCM界では第一線で活躍してきているという女性監督さんで、なんとなく彼女のそうした矜持を勝手に受け取ってしまうんである。
ツタヤのあの企画かあ。ここまでかなり挑戦的な作品を送り出してきているよね。今話題のENBUゼミナールと共に、こういう独立企画が日本映画をひっかきまわしてもらいたい。
砂田は売れっ子CMディレクターだというんだから、やっぱりきっと、監督さん自身を投影しているんだろうなぁと勝手に想像しちゃう。いや、ダブル不倫しているとかそういうとこじゃなくて(爆)。
現場でバリバリやり、口から出るのは悪態ばかり、いや、実際に彼女自身がそうということはないだろう、きっと、それだけのものを抱えて仕事をしている、ということをこの砂田に具体的に投影しているのだろう。
使えない代理店に電話口でイヤミたっぷりにクレームを入れ、言うこと聞かないベテラン俳優には手練手管で遠回しに言うことを聞かせるものの、打ち上げの席ではドロドロに酔っぱらって不満をブチかます。
だって彼女が現場に入っていくまでに、スタッフがその場を収められなかったってことなんだもの。
砂田はでも、優しい優しい夫がいるんだよね。演じるは渡辺大知君。ああぴったり、こういう役。砂田が砂田と呼ばれているということは、玉田という役柄を与えられている彼とは夫婦別姓なのか、事実婚なのか、判らないけれど、砂田は自分自身のプライドを結婚という人生生活にもきちんと反映させている、ということか。
いや、何かここには意地のようなものも感じるけれども、この優しい優しい夫、玉田君はでも、玉田だからじゃないけれども、たまにしか登場しないし、何の仕事をしているのかも判らない。
ただ、和食派の砂田に対して朝食にトーストを食べることだけを……たとえ味噌汁が用意されているとしても……だけを貫いている、というところだけが描かれる。
あるいは、なんの理由なのかも判らずにべろべろの午前様である砂田を、特に文句もなく、穏やかに受け入れているところと。
何かね、玉田は、すべてを知っていたんじゃないかって、気がするのだ。明確に知っていた、というよりは、察していた、というか。仕事や打ち上げじゃなく、砂田が妻子ある男と一夜を過ごして帰ってきたことを、知っていたんじゃないかと、思う。
砂田が不倫しているのは現場の先輩、富樫で、お互い結婚しているし、割り切った関係だと思っていたんだろうけれど、富樫に“二人目の”子供が出来たことが打ち上げの席で話題になると、砂田はそれこそ、砂を噛んだような表情になって、更に酒を重ねて泥酔してしまう。
……難しいところである。別に砂田は富樫にそこまで執着している訳じゃないと思う。夫の玉田のことを相応に(という言い方はどうだかと思うが)愛していると思うし。
でも、砂田は、自身の仕事を、それこそ古い言い方だが、男に負けないために頑張って、だから子供、ということを思わずに来た。てゆーか、彼女自身の家族の問題もあって、血のつながった、自分の分身に恐れていた。
富樫の子供の話題に動揺したのは、嫉妬というより、それもあったかもしれないけれど、やっぱりさ……男は子供を産めない、産むなら女しか産めない、それを否定する自分に逡巡する気持ちとか、正解を求めてない、気楽な不倫関係とか、なんか判るような気がしちゃって、なんかさ……。
そんな中、砂田は休暇に突然、という感じで田舎に向かう。そこに居合わせるのが不思議な友人、キヨこと清浦なんである。
本当に突然、彼女は現れる。休日の暇つぶし、といった感じで喫茶店でダルく向き合っている二人。いや、ダルいのは砂田の方で、キヨは独特のテンポを持ってはいるものの、基本的には目の前のことを楽しむ気マンマン、といった女の子である。
イケてるとは思えないファッションで、中古で買ったという右ハンドルのアンティークカーに砂田をエスコートし、本当に突然、砂田の帰郷を決めてしまう。
キヨが砂田の幻の友達、なりたかった自分だった、というオチ(という言い方はアレだが)だったことを考えると、砂田は帰りたくないと口では言いながら、帰りたくて、その理由をキヨの存在に託していたのだと思う。
気のいい親友、砂田さんは面白くて好きデス、と言ってくれる、まるで直属の後輩のようなキヨに。
いばら“ぎ”か、いばら“き”か。そんなことにこだわりながら、おんぼろ中古車は砂田の田舎に向かう。河童伝説が残るらしく、ブキミな銅像が鎮座していたり、獅子舞の巨大なのが鎮座していたりするが、ちっとも面白くない。さすがのキヨも、ぶーたれた砂田の隣で“ちーん”という感じである。
土砂降りの中、砂田の実家に到着する。名目はおばあちゃんのお見舞いだが、メールに電話で返してくるような母親をうっとうしがって、帰る日時をきちんと連絡しなかった。家に入れず往生している中、軽トラでお母さんが帰ってくる。
真っ黒に日焼けしたこのお母さん、南果歩が、なかなかの衝撃である。いやこれぞ田舎のお母さん、なのだが、彼女こそが、娘の砂田なんかよりずうっと、女としての孤独と闘っているのだよ。
表面上は世話焼きで、突然連れて来た娘の友達にも世話を焼いて、ひっきりなしに大声でしゃべる、ザ・田舎のおかあちゃん。
娘とその友達のために離れを整えてくれる。でも、砂田が夜半、母屋にビールをとりにいくと……がっちゃがちゃに片付けられていない台所で、カップ麺をすすりながら、携帯テレビに見入っている。そこでもテレビに話しかけるようにひっきりなしに喋っている。
それが、入ってきた娘に話しかけているようにも思えて、砂田は思わず返答するけれども、それに気づいているのかいないのか、娘の方を見もせずにしゃべり続ける。でも、娘との会話も成り立っているんである。
……この場面はなかなかの、戦慄である。「少しは料理もしろっていうから作るけど、でも誰も食べないんだもの」と誰に向けるともなくつぶやく台詞と、冷蔵庫の中に無造作に突っ込まれたコンビニおにぎり。
女に強制された役割を当然のこととして担ってきたのに、歯車が狂い始めたことでそれに疑問を感じてしまった、この絶妙の世代の女の、しかも地方という、家父長的な風土が色濃く残る中での葛藤というか、もはや狂気とも言うべき姿がありありと浮かんでて。
砂田は、ただ田舎で何もなく、友達もなく、家族の誰とも相いれなかったことで、東京へと飛び出した、のだろう。そんなカンタンに言うべきじゃないのかもしれないけど。
父親は年のせいかすっかりやる気をなくして、乳牛の世話は奥さんに任せっぱなし。ただただゴロゴロして、ブキミな骨とう品ばかり集めている。お兄ちゃんは教員なんだけど、部屋に閉じこもっちゃって、帰ってきた妹に、生徒に迫られて困った話をニヤニヤしながら聞かせる。
そういう意味で言えば、そんな夫や息子をもてあましてる風の母親がマトモそうにも見えるが、あの台所のシーンを見てしまうと、ただただ、闇は深いばかり、と思うばかりなのだ。
おばあちゃん、である。救いはそこである。砂田はおばあちゃんに育てられた。おじいちゃんが死んで一人になったおばあちゃんの元に派遣された、と言いつくろっていたけれど、そこにはそれ以上の事情をなんとなく、感じる。
砂田はおばあちゃんに会いに行くことを躊躇している。死にそうになっているおばあちゃんに、会いたくないからである。むしろ今回、足を運んだのは、おばあちゃんの調子が良くなったからだと聞いたからだったのだが、実家でささやかれるのは、まるでおばあちゃんの死を待つような会話ばかり、なんである。
おばあちゃん、彼女を演じているのは、役者さんではない、のかもしれない、と思った。ほんっとうに、リアルな、年をとって、施設に入って、いろいろ不自由だけれど、きちんと一日一日を過ごしているおばあちゃん、なのだ。
この、おばあちゃんとの邂逅のシーンが、シークエンスが、本当に素晴らしく、本作はこのシークエンスによって語られるべきと言いたいぐらい。このおばあちゃんのチャーミングでビューティフルなたたずまいの前では、ダブルカホ親子も、女優としての芝居を、ただただ打ち砕かれるばかりなのだ。
おばあちゃんの爪を孫の砂田が切るシーン、丁寧に描かれるシーンが、心を打つ。おばあちゃんが孫娘に託したものが結局なんだったのか、私が気づかなかっただけじゃなく、明らかにはされなかった、よね??(自信ない……)。
おばあちゃんは、今は元気だけど、いずれくる自分の死期を静かに悟ってて、おだやかに、残された人生をきちんと楽しんでて、理想だ、と思った。
プロなんだから、と娘から言われて、孫娘の向けるビデオカメラにピースサインで笑ってみせるおばあちゃん、こんな最後の日々を過ごせたら、本当に幸福だと思った。
砂田は、自分自身の葛藤が、小さなものだと、打ち砕かれる感が、あったんじゃないかなあ。キヨはあっけらかんと、天真爛漫に、ずっとそんな砂田のそばにいる。
そして、いつまでも手を振る母親の姿を目の端にとらえながら、東京への帰路の中で、砂田は改めて、早朝か、夕方か、思い出せないけれど、青い青い空気に満たされた中で、いつでもキヨが自分のそばにいてくれたことを、改めて思い出すのだ。
運転している筈のキヨを横にみたら、そこには自分がいて、自分が運転している。そこで私はようやく気付く訳。マジか!キヨはそういう……。マジかと。
私がニブかっただけ(爆)。夏帆ちゃんとシム・ウンギョンのゆるい掛け合いが素晴らしく生々しくリアリティがあって、チャーミングだった。アラサー女子の腹を割った感じ。本当にそれが、サイコーだったなぁ。★★★★☆