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「や」


2019年鑑賞作品

やりたいふたり(悶絶劇場 あえぎの群れ)
2019年 75分 日本 カラー
監督:谷口恒平 脚本:谷口恒平
撮影:金碩柱 音楽:
出演:横山夏希 霧島さくら 永瀬愛菜 関幸治 可児正光 折笠慎也 山本宗介 安藤ヒロキオ 中村無何有


2019/8/24/土 劇場(テアトル新宿)
これはさぁ!これはやっぱり、ラショーモナイズ、だよね!ピンクinラショーモナイズ。本作の監督さんは今回がデビュー、しかも自ら応募して、ということだというが、映画が好きなんだなあ、という感じがしたなあ。
聞き手、いわば狂言回しの女の子、霧島さくら嬢が一番巨乳だというのも凄いうえに、一番巨乳でロリエロなのに、なんと彼女にはカラみナシ!うっそー。
オナニーシーンはあったが、それも途中で遮られるしなあ。もったいない……と思わなくもなかったが、本当のヒロイン、横山夏希嬢の淫乱100%エロに満場一致でノックアウトされるので、まあいいかと。

いや、その夏希嬢演じるカオリという女が実は、実は実は……おさせだのヤリマンだのと別れた夫から言われてはいるが実は……愛に生きる女、愛に生きたい女。なのにそれが出来ない女……という切なさがどうしようもなく胸に迫るのである。
それを言う夫のタモツの方だって、おさせだのヤリマンだのというのは、彼女を判りやすく形容するのに仕方なく言葉を選んだ末であり、彼だって絶望的に彼女のことを愛していたのに。

物語の構成はこうである。さくら嬢は新進漫画家。しかしてチャンスが来たのは実録エロ漫画。あるある、こういう雑誌あるよねーっ。
だが彼女はこんなに巨乳でロリエロなのに、武骨なメガネとガーリーなファッションに身を包む、奥手も奥手のバージンちゃん。んな訳あるかいなと思いたくもなるが、しかし結果的に彼女にカラミシーンは用意されないんだから、なかなかに徹底している。大きなメガネもマンガチックで超カワイイ。おっぱいは見せるが、結果的に彼女を純粋なままで貫徹してくれてありがとー!という気持にもなる。

経験がないから、それに実録なのだから、編集者が用意した情報提供者に取材を試みることになる。その一人目が、タモツ。別れた妻とのエピソードを語り出す。
物語の始まりは、出会いである朗読劇の会場から。まずこの舞台設定のチョイスからして、知的な淫靡でスバラしすぎる。朗読をするのが山本ロザ。なんかで見たことある。ピンク作品に出るなんてかなり意外な向きの女の子だよね??

本当にこの朗読シーンだけで、カラミなんか一切ないが、太宰の「駆け込み訴え」というのがまずドキュンとくるし、駆け込み訴え、その文体の急く感じそのままに、はぁはぁと勢い込む朗読が、監督さん曰く「喘ぎ声みたいになって、良かった」良かったのかーい!!
でも凄く独特だよね。この異国な風貌、キリスト神話の愛憎をモティーフにした作品、本作は男女の愛憎物語だけど、駆け込み訴えは教祖と弟子という形だが、弟子側からの一方的な、歪んだエロのような、愛憎が確かにある作品なんか選ぶってのは。

カオリは、自覚もしている、男とはすぐにヤッちゃう女なのだと。そーゆー女の子って本当にいるのかな……本当かな……そこを疑っちゃたら、そりゃ先に進めないけど(爆)。
タモツとは、長い間親友同士だった。彼もカオリがおさせさんだというのは知っていたし(あまりいい言い方じゃないけど、便宜上この表現を使わせてね)、彼女もそれを隠してはいなかった。

ただ……どんな男とも簡単に寝るカオリなのに、タモツとは決してそうはならなかった。タモツ側が、彼女に恋するあまり、そうした一過性の相手にはなりたくないと思っていたせいもあるし、それとほぼ同じことをカオリも思っていたのだ。
カオリも最初からタモツにホレていた。その、ねっとりとした、湿度たっぷりネガティブな視線に、彼女の恋、というか、率直に性欲がたまらなく刺激された。寝たいというんじゃない、その目に、肉体の本能を通して、恋心が貫かれたのだ。うーむ、フェティシズム。

寝てしまえばオワリ。他の男と同じになってしまう。だからタモツの前では酒も飲み過ぎないように気をつけて、いかにも他の男に呼ばれた風を装って、店を出て行ったりした。
なんてことが、後に明らかになると、自分の性欲を持て余し嫌悪し、愛する人に愛されたいのにと葛藤する女の子の想いがあふれかえって、たまらなく切ないんである。

タモツ側の言い分は、妻が夫である自分では満足できずに、元カレや彼の同僚を含めた複数の男をくわえこんでいた、ということ。反してカオリ側は、複数の男をくわえこんでいたのは、夫の希望によるところ。夫は自分に対してはどうしても勃たず、他の男と自分がヤっているのを見るのが欲情するのだと。
それに応じて、カオリは夫の目の前で男たちと逢瀬を重ね、それをタモツはドローンを飛ばしてまでバッチリ撮影し、シコシコやるという。か、哀しすぎる……。

おっと、ついつい本音が出てしまった。ラショーモナイズの本質は、どこに真実があるのか判らない。どこにも真実はないのかもしれない、というところにあると思うのだけれど、私がフェミニズム野郎の女だからかもしれないけれど、カオリ側の言い分を全面的に信じてしまうのだ。良くないんだけれども(爆)。

もうひとつ、タモツが浮気する相手、いわば仕事仲間のミキという女の子の証言もある。タモツはAV制作会社に勤めていて、カメラマンという立場。ミキはAV女優さん。
いわば禁断の関係なのだが、ミキが証言するところによれば、タモツは自分と寝ながらも奥さんへのラブラブっぷりを隠そうともしない。ただ、奥さんに対しては勃たない……愛していると、愛しすぎていると、勃たないんだと、一応は恋愛関係にあるミキに対してしれっと言うか!!ということなんである。

ミキもまたタモツのことを本当に好きだったからこそ、嫉妬して、ムカついて、証言する気になったんだろう……その彼女の証言がどこまで本当だったかは判らないにしても、何かこう、何ともこう……。
ふと、平野勝之監督と由美香さんの関係を思い出した。由美香さんも本気で監督と恋愛関係に陥っていたのに、監督もまた本気で恋愛関係を続けながら、その一方で奥さんをハニーと呼んで、そののろけ話をまるで悪気なく彼女に聞かせた、そんなエピソードを読んだ記憶があって……。
それまでも思っていたけれど、男は複数の女を同時進行で、自分の中の独特の格付けで愛せる存在なんだなって。だからこそ一夫多妻とかが成立しちゃうんだなって、極端だけど。

タモツとカオリは、結局別れることになる。でも二人は、お互いはどうしようもなく愛し合っているのに。ただセックスが成立しないというだけで、それをお互い、相手に対してすまなく思っているだけで??
だけで、なんていうのは、良くないのかもしれない。それこそが、夫婦における重要な齟齬なのかもしれないが、でも、愛し合っているのに!!

夫が妻の、浮気現場を、部屋をつぎつぎバタンバタンと開けながら、目撃していく。それを、狂言回しである漫画家ちゃんの愛が、目撃していく。そりゃあ妄想に違いない。しかしこのシークエンスは、まさに本作のクライマックス、キモ、圧巻である。
後にこのシークエンスが、ワンカットであると知る。そ、そうか!!部屋をまたいで男と抱き合うカオリ=夏希嬢が、マッパでマンションのベランダを全力疾走で移動したという裏話に感動する。カメ止めを引き合いに出してそのエピソードを披露したのには笑ったが、しかし、それに勝るとも劣らない、素晴らしき挑戦であり、そしてその臨場感と緊張感と、何より映画への愛が……見事に結実していたと思う。

二人は別れることになる。もう私のこと愛していないんだから、きっと勃つよ、セックスできるよ、しようよ、とカオリは提案し、タモツもそれに応じるけれど、カオリは勃たないことを願っただろうし、もとよりタモツは勃たないことを判っていたし、やはりその通りになって……。
それが、お互い、愛しているしるしだなんて、なんて、なんて切ないの!!ラショーモナイズは、相手に愛されていることを証拠付けたいための、真実にちょっとだけ飾り付けたカワイイ嘘であり……。

性格の不一致、じゃなくて、実は性の不一致なのだということは、折々聞かれることである。そんな下世話な話、と思っていたことは事実だが……実はそこには、こんな切ない愛の物語が隠されていたのかもしれないと思ったりする。
カオリは再婚する。夫の書類の引き出しから見つけたSDカードは、あれ自体は別に、あやしげなものではなかったのだろうか。そこから思い出して、あらためて、ネットで検索した、ということなのだろうか。

愛人のミキが流出させたAVカメラマンと女優とのプライベートセックス映像は、その業界を騒がせ、今もネット上に残されている。それをわざわざ検索し、カオリは夕暮れ迫る台所で、切ないオナニーをする。
この夫婦は、セックスではつながれなかったけれど、第三者を介してのオナニーで、「初めてつながれた」という台詞をお互い吐露するほどに、時空というか、肉体を超えてと言うか、でもそれってつまり……そう、タモツが言うように、本当に愛していたらセックス出来ない、究極の精神性の高みにある、至上の愛というものだってことでしょ。それがゆえに、別れなければならない、セックスが出来ないゆえに、夫婦になれない、だなんて、だなんて!!

……なんていうかね、女はあまり、それに頓着しない気もする。タモツのセックスを“ちょうどいい”と評したのは、本当はカオリだったのかミキだったのか、どちらかは判らないけれど、それは男にとっては屈辱の台詞かもしれないけれど、セックスでイかせられるより、ただあたたかい胸に抱かれて幸せな愛を感じたいという……やっぱり女は、そんな少女的感覚を、セックスの気持ちよさを知って以降も、持っていると思うんだもの。
それこそ、現実的じゃない?甘えた感覚??でもさ、ミキがカオリに嫉妬したのだって、同じ理由でしょ。ミキがちょうどいい発言をしたのかもしれないけれど、セックスが成立しなくても、ただ愛されてあたたかな胸に抱かれる方が断然いい、というのが、女の本音じゃないのかなあ……。

そんな、深遠な世界を見せつけられ、処女のままの愛は、衝撃を受けながらも、作品作りに取り掛かる。
結果として、ただ夫婦がセックスして幸せなだけの漫画だと編集者から却下されるラストというのが、まだセックスも知らない、巨乳ロリエロの女の子が、結果としてちゃんと愛の真実を見たと思わされてステキなんである。うん、素敵だったなぁ。★★★★★


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