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「れ」


2020年鑑賞作品

Red
2020年 123分 日本 カラー
監督:三島有紀子 脚本:三島有紀子 池田千尋
撮影:木村信也 音楽:田中拓人
出演:夏帆 妻夫木聡 柄本佑 山本郁子 酒向芳 余貴美子 片岡礼子 浅野和之 間宮祥太朗


2020/3/1/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
主演の二人はレロレロキスしまくり熱演だし、切なくて狂おしくて美しい恋愛映画だとは確かに思うのだけれど、何か感覚的なものなのか、スルッと飲み込めない感じがして。
何だろうなあと思いながら鑑賞後探っていると、“原作とは違う映画オリジナルのラスト”とゆー文言が飛び込んできて、そうなのか……と。未読なんだから、どこがどう違うのかも判らないんだから、それが原因だというのもおかしいのだけれど、でも時々見かける“映画オリジナルのラスト”という選択に、なんで?と毎回思ってしまうから……。

ならばなぜ、その原作を用いたのか、オリジナルのラストにするぐらいなら、最初からオリジナルストーリー書いたらいいんじゃんとか思ったり。だってラストって、やっぱり結論っていうかさ、その原作における本質であると私個人としては思うっていうか……それを変えてしまうのだったら、もはやそれはその原作を映画化したと言えないんじゃないかとか。
そりゃ、原作と映画は別物というのはよく言われることだし、私もそれは思わなくもないけれど、でもそれは、踏み越えてはいけない部分はやっぱり絶対、あると思うんだけれど……。

とにかく、映画作品に対峙するしかないんだから、このスルッとしない感覚がなんなのか、探ってみたいと思う。夏帆ちゃん演じる塔子は夫と幼い娘と姑と、豪奢な一軒家で暮らしている。夫はエリート官僚かなんかなのか、とにかくエリート!!という感じ。姑もセレブリティ!!という感じ。
二人とも悪い人物じゃないし、悪気は決してないのに、じわじわと塔子を苦しめる、のは、よくある、息子は母親を優先し、母親はやはり息子大事、という図式が見え隠れするのもあるのだが、決定的に、なんで塔子がこの夫と結婚したのかと思うほど、彼女自身の実質にそぐわないからじゃないかと思われるんである。

後半、塔子の母親がお呼ばれして、クリスマスを祝う場面がある。いかにも居心地悪そうに退席するこの母親が、幸せなのはあちらさんだけでしょ、とズバッと口にする場面が印象的である。塔子は父親が出て行ったことも夫家族に隠していて、海外で単身赴任しているとかいうウソをついており、そのことも母親を苛立たせるんである。
「あんた、どうしようもなく男にホレたことないでしょ」きっとこのはすっぱな母親は、そういう経験が……それが夫だったかは判らないが……あったのだろう。そしてそういう自分を娘が疎んじているのも判っているのだろう。

余貴美子氏演じるこの母親のワンシーン登場一発だけで、そこまで観客に感じさせるのは、さすがだと思う。ただ……この母親が口にする、なぜ塔子がこの夫と結婚したのか、幸せそうに演じているだけで、まるで幸せそうじゃないのを、この母親ならずとも、観客だって一発で見抜けてしまう、っていうのが。
てゆーか、あまりにも型どおりの金持ちで、ちょっと笑っちゃうぐらいで。塔子がセレブリティ奥様を演じているっていうのも、わっかりやすい奥様ファッションでアリアリで。

それは後に彼女が仕事復帰する時に着ている、モダンでカジュアルな可愛らしいファッションとは宇宙と地上ほどに違い、塔子がこの家庭に息が詰まっていたことをこんなところにも感じはするのだが、それにしてもベタすぎる、と思ってしまう。
あの家も、あの豪華なリビングも、ひざ丈の奥様スタイルも。ちょっと笑っちゃうぐらいの。

その中に押し込められているから、せっかくの間宮祥太朗君も、決して悪い人じゃないんだけど、ちょっと古びた価値観の、妻の気持ちを汲み取れない夫、というのを、型どおりのエリート君ってだけに済まされてしまうのだ。
母親の方をなんとなく優先する描写もカスッた程度なのは、その部分に踏み込むとそれこそベタベタになってしまうという危惧もあったのかもしれんが、それにしても淡すぎる。塔子がこの家庭に息が詰まっているのを、ベタな見た目だけで押している気がしちゃうんである。

んでもって、塔子は運命の元カレに再会しちゃう。夫の同伴として出席したエリートパーティーに彼、鞍田はいたんである。腕利きの建築デザイナー。彼女と再会した途端に、物陰に引っ張り込んでレロレロキッスである。
この性愛物語で結局夏帆ちゃんは脱いではくれないのだが(やはりそこはこだわってしまう……)、やたらレロレロキッスはお見舞いしてくれる。
確かにそれは、おっぱい出すよりもエロい感じはするが、しかしてヤハリ、そこまでするならなぜおっぱい出してくれないのと思っちゃう。その見切れる寸前の技術にばかり目が行ってしまう私がおかしいのか。……こーゆーことばかりここで言っている気がするなあ……。

鞍田を演じるのはつまぶっきー君である。全身全霊入り込み、夏帆ちゃんとの刹那を見せてくれる。塔子と鞍田の出会いは10年前、まだ学生だった塔子が建築デザイン会社を立ち上げていた鞍田のアシスタントにバイトで入ったのがその始まりだった。
……というのは口で説明するだけで、それはいいんだけど、ヘタな回想シーンで不自然な若作りされるより、いいんだけど、そもそも塔子の建築デザインへの想いっていうか、一度はその職で就職したけれど結婚を機に引退、という過程が見えてこないっていうか。
育児が落ち着いたら仕事に復帰したいと言っていてそれを了承してもらっていた、と夫に訴える場面はあるが、そもそも鞍田と再会するまではそんなことも考えている様子もなく、ただ漫然と娘を幼稚園に迎えに行き、夕食を作り、姑や夫の悪気ない言葉に一人傷ついている、みたいな。

つまり鞍田が塔子が抱えていたフラストレーションを突破したということなのだろうが、結局は鞍田ありきなんだよね。だからこそ、「塔子が働く必要、ないよね?」という夫の邪気のない無神経発言が、普通に考えたら女として、フェミニズム野郎の私としてはぶん殴ってやろーか!!と思うほどのイラッと発言なのだが、塔子自身がアイデンティティを大事に思っての仕事への復帰じゃなかったから、なんかあれれ……と。
勿論きちんと仕事はしているし、信頼も得ているんだけれど、まあ正直、職場でも鞍田とどこでイチャイチャするかという部分が目に付くし(爆)、こういう描写は難しいとは思うけど、でもさ、今の時代、こーゆー問題はホント重要だと思うから、気になっちゃって……。

正直言って、鞍田が末期ガンを抱えているとゆー設定もあまり好きではない。原作でもそうなのだろうからそんなことを言ってしまったら始まらないのだが、余命いくばくもないことがモラルを超えて性愛に突っ走ってしまう、という感覚になんだかなあ……と思ったのはつい最近の「ロマンスドール」でも(男女逆だが)あったことである。
そもそも鞍田は塔子の事情を、自身の病状一発で顧みなさすぎである。いや……ちょっと違うな。そもそもが、鞍田自身にも家庭があって、だから10年前は逆の立場で不倫関係にあった訳で。それは劇中なんとなく二人の口から語られるけれども、まるで作用しないというか。うっかり忘れちゃうぐらい、彼はずっと独身で、塔子を思い続けていたんじゃないかと思っちゃうぐらい、その設定は薄く、飛んでしまっているのが、かなり気になる。

男性側はただ余命いくばくもない、カウントダウンが始まる中で愛する女を抱きたいと願い、家庭のある女は苦悩する。まあいいよ。それはなかなかに切ないよ。でも鞍田、気にしてないよなー。ぶっきーの魂を込めた演技でうっかり飲み込まれそうになるが、鞍田、全然彼女の事情気にしてないよなーと思っちゃう。
そしてこの段になってくると、なんたってベタな設定だっただけに彼女の苦悩も薄まりまくる。

だからね……なんか段々、ダンナちゃんが可哀想になってくるのよ。確かに彼はそれほど深くは妻を理解してなかった。でもそれは、彼が悲痛に訴え、塔子が言い訳しながら認めるように、「言ってくれなければ判らなかった」ことなのだ。
なんとはなしにイラッとする気持ちが否めなかったのは、何も言えなかったくせに、一人苦しい顔して、元カレとのエロエロにのめり込んだ、とまあぶっちゃけて言っちゃえばそーゆー展開に見えちゃうからなのだ。

人妻には見えない童顔の可愛らしいお顔の夏帆ちゃんは、それだけにギャップエロエロにかなり萌えまくる。職場の、かるーい感じの先輩、ちょっと危ないというか、女に手を出しまくってそうな小鷹を演じる佑君がとても魅力的である。
それこそうっかり塔子に手を出しそうになるのだが、でもそれも塔子側も織り込み済みというか、仲のいい先輩後輩という関係を最後まで崩さず、塔子の良き理解者、相談相手になるという奇跡の展開で、うーむ、これは女としては理想的な先輩だけど、男性側となると、そんなんあるか!!と思いそうな気もするんだよなあ。

冒頭でもはや示されるクライマックス、その、まるで死の道行を暴走するかのような、雪に降りこめられた北陸の片田舎、酒蔵のオープンの準備に訪れたところが、大雪で閉じ込められてしまう。しかし、夫婦間がぎくしゃくしていたところだったから、夫はとにかく帰ってこいと譲らない。母親だろうと、禁断の言葉さえ口にする。
理解ある夫だったから、この台詞が現代においていかにナンセンスか判らない訳はなく、その事情を聞いた先輩の小鷹が「100年前じゃないんだから」とあきれるのはもっともだが、エリートで、判っているからこそ、判っていないというか……理解あるけれど、本質では100年前の保守的感覚を持っている、そういう男子は、今の日本で、少なからずどころか、多数派ではないだろうかと、疑っている。

そういう点では、本作の意義深いところは確かにあったと思う。嫁姑問題なんて、本当にアナログな価値観だが、ただ、本作ではそれは、塔子が鞍田に傾いた言い訳のように使われた感だし、……なんかね、見た目はベタなのに、夫や姑のキャラ設定に関しては及び腰というか、悪い人じゃないんだけどね、ということを判ってもらいたいんだよなあ、みたいな及び腰を感じちゃった、気がする。
だから、ダンナちゃんに同情はしても、なんとゆーかハリボテ設定なので、同情しきれないというか、でも塔子もそれに甘んじて、責任放棄っていうか……。

冒頭でさんざん、ラストを変えるなんて!!とか言っていたが、鞍田が死んじゃったなら戻れた家庭に、なんたって娘ちゃんがいる家庭に戻らず踵を返した塔子には潔い美しさを感じた。でもなんかなあ……なんか、なんかね!! ★★☆☆☆


レンタル女子大生 私、貸します。(レンタル女子大生 肉欲延滞中)
2017年 82分 日本 カラー
監督:竹洞哲也 脚本:当方ボーカル
撮影:創優和 音楽:與語一平
出演:彩城ゆりな 友田彩也香 酒井あずさ 櫻井拓也 イワヤケンジ 森羅万象 吉田俊大

2020/4/12/日 録画(日本映画専門チャンネル)
タイトルから言ったらそりゃあ、エンコウだろと、そうじゃない、エッチなことしないってんなら今ハヤリのパパ活ってやつだろと、そらー思う。ヒロインの有希は実際、輝雄からそう言われもするが、1時間1000円なのだという。おいおい、高校生のアルバイトの時給より低いわ。
仕事というよりなーんとなく、ボランティア、まではいかないまでも、自分自身も成長させるための人との出会い、コミュニケーション術というか。なーるほどなぁ。それならエッチっぽいタイトルも伊達じゃないというか、ウソついてる訳じゃないしなあ。

有希を演じる彩城ゆりな嬢のボー読みにかなりハラハラとし、オープニングはしばらく、彼女がビデオカメラに向かって明るくボー読みで展開するもんだから、うーん、これはなかなか厳しいかもしれない……と思った。
しかし、後から思えば彼女はちょっと狂言回しというか、コトをおぜん立てする役回りと言った方が正しく、その他のキャストが、特に男優陣が手練れと言いたい芝居巧者ばかりなので次第に引き込まれて行ってしまう。

まず、有希がひそかにホレている輝雄を演じる櫻井拓也氏、風貌から何から冴えなまくりの(失礼!)ダメダメ男子なのだが、もーまっすぐのバカで、有希言うところの“バカが服着て歩いてる”というのに見ていくうちに深く首肯してしまうような純真さに、笑いつつ、なんだかだんだんじーんとしてきてしまうんである。

なんか妙に名言めいたことを言うのもおかしいのだ。「豊かさの裏では涙のダムが決壊しているじゃないですか!大体地球あったか過ぎじゃないですか!そこ!冬なのにアイスなんか食うな!!」爆笑!!
彼はとても感じやすい繊細な人なのだろう。だから、“若い人の気持ちを知りたい”と輝雄をレンタルした五島さんの話を聞いただけで、その心持こそに寄り添ってしまう、過剰なまでに(笑)イイ奴なのだ。

ちょっとすっ飛ばしちゃったが、就活に失敗して引きこもっている輝雄を、有希がやっている“自分レンタル”という仕事に引き込むところから始まっているのだが、実は先述のようにビデオ撮影してる冒頭は、すべてが終わって、ある目的のためにこれまでの経過を関係者が語る、という形なんである。
ある目的がラストに判ると、冒頭の彼女にボー読みだなんだと思っちまった自分にごめんなさいと思い、素直にカンドーする。まぁやっぱり芝居はイマイチなんだけどさ(爆)。

有希と輝雄の関係は、男女の性差を超えて親友と言ってもいいような気の置けなさである。よく男女の友情うんぬんと言われるが、それはあると信じたい私にとって(だってそんなこと言ったら、性的嗜好は千差万別というのが常識の現代において、どうにもならないじゃない??)最終的には結婚に至った(あ、オチバレしちゃった!!)彼らだけれど、やっぱり親友に他ならなかったと思う。
たとえ当初、有希は彼にホレている気持ちを隠していたにしても、輝雄は彼女を芯から信頼して、カワイイ女の子だから欲情しちゃうこともきちんと節制して、「ご褒美にしてもいいよ」と言われても胸だけモミモミして(爆。それもどーかと思うが)「フリーハグってのがあるだろ。フリーモミだよ!」とか訳判らんこと言うあたりもなんでこんなにバカなのに愛しいのか。

だからいろいろすっ飛ばしてるけど(爆)。何がご褒美とかも(爆爆)。それぞれのレンタルエピソードが次々に展開されるから、つながってるけどちょっとしたオムニバスのような雰囲気もあって、なかなか書き連ねるのがタイヘンなのよ。

まず輝雄をレンタルした五島さんである。彼を演じたイワヤケンジ氏もめちゃくちゃ良かった。全編に渡って、若き有希と輝雄の良き友人、良き相談相手としてあたたかな理想の大人でいてくれる。
最初、有希をレンタルした男として登場した時には、輝雄が即座に思ったようにエンコウかパパ活か、なんたってピンク映画なんだから、可愛い女子大生とオジサンは即セックス!!だなんてヘンケン極まりないことを一瞬でも思ったことを謝罪したい(爆)。ピンク映画ではそうなるという世間的イメージこそが間違っているとゆーことぐらい、知っていた筈なのに、ああダメダメ(爆)。

五島さんはとっても愛妻家なのだ。8歳年下、でももう42歳の奥さんはただいま妊娠中……諦めかけていた、セックスレスになっていたところに、キッカケをくれたのが、猪突猛進、まっすぐバカの輝雄だったのだった。
レンタルという契約関係を超えて輝雄を気に入って友人となった五島さんは家に招き、奥さんの手料理にカンゲキした輝雄は、“手料理が美味しい”という一点だけで、子供は絶対にできる、そうでなければおかしい!!みたいなムチャクチャな論理。

しかもサイテーの下ネタを連発して泥酔撃沈するというサイテーさなのだが、なんかそれがかわゆくて、で、二人顔を見合わせちゃったりして、一緒にお風呂に入っちゃったりして。
ピンクだから、決まったパーセンテージのエロは必要不可欠なのだが、本作はそういう需要を抱えた向きからは怒られるんじゃないかと思うほど薄く、淡く、なんか少女漫画のようにロマンティックだったなあ。

だって、思い返してみれば、メインの有希と輝雄に関しては、“実際の”セックスシーンって、ないんだよね!!そうだ!!!有希は輝雄に対する恋心を、冒頭は観客に対してさえも隠して、「部屋の感じをチェックして、イイ感じだったら、そうなってもいいかな」みたいに妄想セックスシーンが展開されるんだけど、妄想であって、実際ではない。
それがさらにもう一回繰り返されるけれど、それも彼女のシャワーシーンという、なんとかピンクとしてのエロを補足させたうえでの、あくまで妄想シーンであって、結局結局、最後には結婚するのに、実際は、先述の“フリーモミ”だけである!どんだけ純愛なんだよ!!とゆー話だよ!!!

輝雄はね、有希の想いに気づかない間に、他の恋をしちゃう訳。自分をレンタルしてくれたOLさんにね。公園で一人お弁当を食べているというシチュエイションからすでにベタすぎ、OL制服が超ミニというのはそこはピンクなのか、とかいろいろツッコミたくもなるが、このOLさん、美和子の事情は切実である。
彼女はおひとり様ウエディング写真撮影が趣味なのだけれど、新郎との写真を撮ってみたい、と輝雄をレンタルするんである。何が気に入ったんだか(爆)、何度も指名が入る。「やっぱり、新郎さんと二人で撮影すると違いますね」とご満悦で、写真撮影以外でも気安く会話を交わすようになって、カワイイ女の子だし、輝雄はスッカリ恋に落ちちゃうんである。

新郎をレンタルするぐらいだから、シングルだろうとそりゃ思う。しかしてそこには複雑な事情があった。そもそも、ウエディング写真を撮ることが趣味だという裏に、重い重い、事情があった。
「地震で家族はみんな……」地震、って言ったと思う。震災だと思う。特に強調せずにさらりと言ったけれど。その時点で家族への希求はハンパなかった筈だが、更なる重い事情は、「ヒドい男に引っかかって、子供が産めない身体になった」どんだけだよ!!

美和子は付き合ってる彼氏にそのことが言えない。大抵の男子にとって、結婚と子供がセットであることを、この日本という狭い了見の社会でトーゼンと思われていることを、判っているからである。
私のよーな、そもそも社会に貢献するつもりもないババア独女はケッ!!と蹴飛ばすこともできるが、当然子供が産めると思われている若き女子にとって、そして結婚したいと思うほど愛する相手がいる女子にとって、これほど辛いことはない……相手に、愛の条件としてそれを言い出さなければならないなんて、あまりに辛い!!

輝雄は美和子にホレてたからさ、そしてホレられてるかもとかカン違いしていたからさ、「レンタル以上、新郎未満」とかワケ判んないこと言ってニヤニヤしながら言ってたぐらいだからさ、ダメージ大きいんだけど、ホレてたから、そしてイイヤツだから、なんとか彼女のためになりたいと思う。
美和の彼氏を待ち伏せる。このシーンも、「なんですか?」「通りすがりのものです」「いや、待ち伏せてたでしょ!」てな、もー、輝雄らしさ全開で、泣き笑いしちゃう。

この彼氏さん、貴志もイイ奴なのよー。見た目イケメンのシュッとしたエリートサラリーマン。彼が輝雄からの、「彼女がどんな秘密を持っていても受け止めてほしい」という懇願に、「受け止められなかった……」という結果になった時、ケッ!やっぱり世間の男はそーゆーもんか、結婚と子供はセット、女は子供を産むもんだと思ってんのか!!と思いかけた。
しかし、その報告を有希や五島さんら仲間たちにうなだれて話す輝雄の、貴志に対して、美和子に対して、無力だった無念をにじませながら話す事情が泣かせるのよ。

貴志は一人っ子、だからこそ両親は息子が結婚するなら孫を望んでいる。これがまず単純な情報だった。でももう一段階あった。貴志は長男に“なってしまった”。
だから両親は余計に、生まれ来る子供を望んだと、もしかしたら貴志が両親の気持ちを先回りして、“長男”としてプレッシャーを感じていたかも、しれないのだ。勿論、親から発する言葉尻とか、それを感じる部分は充分にあったろうが、である。

やっぱり、ね。竹洞監督だから、東北だから、ハッキリと明言はしないけど、地震で家族がいないと美和子はいい、貴志も自分以外のきょうだいがいたらしい、この舞台がどの土地かハッキリと明示はされないけれど、そういう含みは絶対にあったに違いない。
輝雄がぜっっったいに、この二人を結婚させる、幸せにさせるんだ!!と奔走し、勝手に貴志の両親に直談判し(ご両親は突然の訪問に誰??だよねー!!てのが可笑しい!!)いつものようにウエディング写真を撮りに来た美和子にタキシード姿の貴志を登場させるシーンが、イイ、いいんだよなあ。

もうひとつ、エピソードがある。有希、五島さん、輝雄が、どうしてもその心を癒してあげることが出来なかった福田さんである。演じる森羅万象氏がこれまた……もうこの人はベテラン中のベテランだから!!
“親友の運転する助手席に乗っていた娘が事故にあって、娘だけが亡くなってしまった”うーわーである。親友を責める気持ちはない、という気持ちはある、ていう……辛い辛いぐるぐるにさいなまれている。

有希も五島さんも輝雄も、話し相手になるということが、それだけでは済まないことを痛感する。経験がないのだと……それはつまり、いかに自分が、いろいろ悩んだり苦しんだりしていると思っていた自分が、実は幸せな立場だったのかと、思い知らされ、目の前の打ちのめされている人に、一言も声をかけることができないのか、という恥ずかしさである。
しかして、美和子は経験があった。自分以外の家族を失った彼女が、じゃあなんと声をかけたのかと、輝雄は聞いた。「特別なことは何も言わないよ」ただ、娘さんがきっと思っているだろうことを、彼に告げたのだと言った。

それは想像に過ぎないと言ってしまうのは簡単かもしれない。でも……誰しも、出来ることって、あるんだな。
有希も五島さんも輝雄も、それぞれとっても一生懸命でいろんな経験もして、癒せる相手もいるけれど、福田さんに力を与えられたのは、美和子だったのであり、それが福田さんは当然のことながら、美和子にも、そして彼女と結婚すると決意した貴志にも、未来を与えたに違いなく。

なんかめっちゃ濃いよね。見た目はあっさりコメディに見えるのに。でさ、最後に、このビデオ撮影が何なのかって言えば、有希と輝雄の結婚式で流すものなのよ。
ほんっと有希と輝雄は純愛のまま進んでくんだけど、美和子と貴志を結びつけるために奔走する時に急速に接近、夜中の公園でそっと唇を重ねるのがまさしくピュアラブで、心配して見に来ていた五島さん夫妻が、「(キスしようとして)ダメ、ここじゃその続きが出来ないでしょ」なーんてラブなやり取りがたまらん!

このビデオの撮影係になっている貴志が、あずかったビデオカメラにテストのつもりか、新妻とのエッチを録画してたっていうオチが可笑しくてさ。しかも音声だけでアーンアーンと言いだすのにブー!!と焼きそば噴き出すマジメ君貴志にこっちが噴き出したよ!!
五島さんが「新婚だけど、長いこと付き合ってるからマンネリするんだよね」とフォローにもならないフォローを入れるのが更におかしい!!

なーんか……人生を感じたよね。人生は愛とセックスと、運が良ければ子供と、こっちだけが思っているだけでもオッケーの友情で出来ている。そう思ったなあ。★★★★☆


恋恋豆花
2019年 101分 日本 カラー
監督:今関あきよし 脚本:いしかわ彰
撮影:音楽:
出演:モトーラ世理奈 大島葉子 椎名鯛造 真宮葉月 利重剛 シー・チーティエン ヴィッキー・パン・ズーミン

2020/3/13/金 劇場(新宿K's cinema)
恋恋、ときたら否応なしに恋恋風塵。イコール台湾と映画ファンならイメージわくよなあ。
今関監督の作品はあの事件があってからなーんとなく離れてしまっていたのだが、まさにザ・少女映画に帰ってきたと知って、なんとなくフクザツながらも(爆)、足を運んでしまった。近年積極的に映画に出ているモトーラ世理奈嬢が今関監督にどう料理されるのかも興味あったし。

このモトーラ世理奈嬢は本当に独特で、いわゆる美少女フェイスじゃない、ファニーフェイスというのとも違う、ヘタしたらブスッ娘と言われそうな顔立ちに、しかもそばかすが無数に散っているという、ヘタしたらコンプレックスたっぷり持ちそうな感じなのに、なぜかなぜかめちゃくちゃ独特のオーラを持ち、影のある艶というか、目を離せない個性のある女の子。
その独特さゆえにか、少なくとも私が今まで目にした彼女に振られる役柄はクラめのものが多く、まだまだ演技挑戦中といった彼女には時に荷が重いような感じが伝わってきてハラハラしたりして、これから先どうなるのかなあと思っていた。
しかして今関監督は、どんな女の子も可愛く見えるのだろう(爆。それは師匠の大林監督譲りなのかも……)、この世理奈嬢を台湾スイーツにキャーキャー言ってはしゃぐ、カワイイ女の子に仕立て上げてしまった!!なんと!

設定では突然の新しいお母さんとの確執とか、束縛する彼氏と上手くいかないとか、大学生活になじめなくて中退を考えているとか、いわばそれまでの世理奈嬢に似合ったようなクラめのものが用意されてはいる。
だけど、お母さんのことはともかくそれ以外が明示されるのは台湾キャーキャーの後であり、台湾キャーキャーだけで作ってもいいんだけど、一応映画として成立するストーリーを作っとこっか、ぐらいの、まあなんか思いつきそうな要素だよねという感じもあり、とにかくこのモトーラ世理奈嬢のイメージムービーではなかろうかと思われるほどのスウィートさなのだ。

つーかもう、マジでお腹すく。海外旅行なんてトンでもない、言葉の通じないところに行くのがイヤな、日本大好き閉じこもり独女子の私ですら、い、行きたいかも……と思わせるのは、前提としてある台湾の親日性の雰囲気であり、中国とも韓国とも違う、ぐっと親しみ深い屋台文化のその料理やスイーツの数々は、根底に庶民性と温かみがあふれていて、食べたーい!!とお腹がすいちゃうビジュアルばかりなのだ。
それは和食というものが、時にその器までこだわる色味の見た目スタイルがあるのと比べて、色味は茶系メイン!!みたいな感じなのに、めちゃめちゃおいしそうで、それをブラックホールの胃で私の宇宙が!!とかモノローグしておいしそうに摂取し続ける世理奈嬢のイキイキとした少女っぷりもあいまって、すっかり魅了されてしまうんである。

そもそもなぜ台湾なのか。それはただこのグルメ旅を可愛い女の子のイメージムービーに仕立て上げたかったから……かもしれないのだが、とにかく(汗)、世理奈嬢扮する奈央の元に現れた三人目の母親候補(まだ籍は入れていない)との距離を縮めるための、婚前旅行ならぬ家族前旅行??
いかにもいいアイディアだろうと父親も母親候補の綾もノリノリなのだが、なぜ他人と一週間台湾旅行に行かねばならぬのかと、奈央は戸惑うばかりなんである。
別に、綾に対して子供っぽく反発している訳ではない(むしろ、その感情は後に育ってくる)。綾はあくまでお父さんのカノジョであり、それに反対する気持ちなどはない。だって奈央ももう大学生だし、自分自身のナヤミで精いっぱいで、そんなことにかかずらっているヒマはないのだ……と思っていたのだけれど。

綾を演じる大島葉子が絶妙にいい。一見、娘となる奈央と仲良くならなきゃ!!みたいな、おしつけがましさを感じながら、なんていうかヌケてて、奈央いうところの、“理解不能”な唐突さを無邪気に出してくるあたりが、なんていうのかな……彼女自身は無論気負ってて、奈央の母親になりたいって、思ってるのは確かなんだけど、なんていうか、あけっぴろげでね。まるで友達同士みたいに自分の失敗や、好みや、やりたいことなんかどんどん開示してきて、前半は奈央は彼女に押されっぱなしなのだ。
それは奈央が、母親候補としていわば自分を懐柔しに来ていると思っての身構えがあったのに、相手はそういう気がない訳じゃないにしても、やり方が、考え方が違うというか、押され押されて、心の中で奈央は、綾のことをあやや、とこっそり呼び名をつける。ママではないのだ。そこが重要。

台湾ではいろんな出会いがある。一番大きいのは、日本人バックパッカーの清太郎。人懐っこいというか、寂しがりというか、旅の先でちょっと行き違っただけの筈が、最後まで彼女たち、最終的には奈央個人に大きく働きかける。
勿論恋の予感も含めてではあるんだけれど、それ以前に、異国での、特に判りやすく食文化の違いにおじけづいていた奈央に目を見開かせたのが彼だったんである。

それ以降、色んな人に出会う。途中までは綾と一緒だったけど、父親の突然の交通事故(ムチウチになっただけ)に動揺した綾は帰国を決意、「奈央はどうする?」と聞いた時……これが、良かったな。当然のようにこの旅行を断ち切って一緒に帰る、というやり方をしなかったのが。
この旅の途中、奈央を心配するあまり、オトナとしての厳しい顔を見せる綾に、母親ヅラしないでよ!!みたいな(こんな昭和な言い方はしてなかったが)衝突があったんだけど、追っかけっこの末に、抱擁一発で無事収束。

双方、判ってる。親子じゃないんだから、親子になる必要はないってことが。それは、今でも脈々とある、日本の保守的価値観をさわやかにブチ壊してくれるもので、でも当然だと思う。お父さんの奥さんになったからって、その子供の母親になる必要はないんだ。
佐藤愛子を思い出したりする。朝ドラで見た描写だったけど、彼女もまたそういう考えの人だったのだろう。家族の在り方は、これぐらいリベラルであるべきだと思う。虐待だなんだということを引き起こす心理も、こういうところにあるんじゃないかと思ったり。

お父さんを演じる利重さんがいいんだな。まず冒頭、結婚……は結局せずに、記念写真だけ(というのがあとに明かされる)の場面で、ムチウチのギプスの上に蝶ネクタイを巻いた姿で笑わせる。一見して二人を心配している様子はないんだけれど、なんたって利重さんだから、きっとメッチャ心配して送り出したんだろーなー!!と思わせるパーソナリティー。
旅先で毎晩、綾は彼と連絡を取り、それを背中で聞いている奈央、という図式は、恋人同士の会話を、その片方がお父さんという何とも言えない感じで、それが徐々に蓄積されて、あなたはママじゃない!!という勃発に至る訳で、なかなか上手く出来ているんである。とにかく、こーゆー場面には男は不要である。女同士でぶつかるしか、ないんだよね。

イメージムービーのようだと感じたのには、これがもう、ミュージックビデオかと思うぐらい、柔らかな台湾シンガーの歌声に癒され、最終的にはふらりと入ったカフェで偶然ライブが行われており、しかもそれが台中ハーフのミュージシャンで、みたいな!!
そのライブシーンもたっぷりに、メロウに聞かせるし、その前座で登場したシンガーが、その前に清太郎を通して出会っていた女性だったりするんである。向田邦子を尊敬してやまないカフェの店員とか、親日たっぷりの出会いが続いて、大丈夫?なんか甘やかされてない……??と心配になるぐらい。

ところで綾には前夫との元にもうけた、長く会っていない娘がいて、彼女が台湾に住んでいるんだという。
奈央のお父さんと一度台湾を訪れたのは、この娘と会えるかもということがあった訳で、この時にスッカリ綾は台湾に魅了された訳なんだけど、特にキッカケもなく、ホテルの廊下みたいな感じで唐突に、私、娘が台湾にいるんだよねーとかいきなり告白する綾に、奈央は戸惑いを隠せないんである。
これはいかにも少女映画って手法だけど、手持ちのパペットに作り声を乗せて「意味不明!!」とかカメラに向かって言わせるという、ちょっとハズかしいやり方(爆)。

奈央が心の中であややと呼び名を決めたのは判る、そしてそのことを無邪気に喜んだ綾も判る。綾が最終的に、結婚という選択をとらずに、関係を築くことを決断したことも、判る。時に、家族という縛りではない部分に、重要なつながりはあるんだよね、って。
そしてその台湾に住む娘さんとの邂逅もいい。足つぼマッサージ師をしている娘さんにマッサージをしてもらいながら、痛い痛いと騒ぎまくる客にうるさいよ!!と娘さんが叱りつけながら。親子であることは無論だけれど、そこはまるで奈央との関係性のように、いい意味でドライで、でもつながってて。

綾にとっての孫に「今は会わない。また会いにくるね。」というのもイイ。なんていうか、大人の判断というか、お互い違う人生を歩んでいる、他人とまでは言わないけど、お互いを尊重している近しい存在として、娘だ孫だとヘンに縛られるんじゃなく、っていう、私は本当に、こういう感覚が理想だと思ってるので、ちょっと、いいなあと思ったなあ。

ホントに全然違うイメージの世理奈嬢を見られたので、今後が一層楽しみ。★★★☆☆


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