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ロマンスドール
2019年 123分 日本 カラー
監督:タナダユキ 脚本:タナダユキ
撮影:大塚亮 音楽:世武裕子
出演:高橋一生 ピエール瀧 蒼井優 浜野謙太 きたろう 三浦透子 渡辺えり 大倉孝二
賞をとって当然と思った「彼女がその名を知らない鳥たち」でその思いは頂点に達し、「宮本から君へ」も本作も、むしろあまりにも上手く彼女のバストトップを隠してそれ以外はむしろあらわに映すもんだから、逆に気になっちゃって。
しかもしかも本作は、最後には彼女ソックリのラブドールが作られる訳でしょ?そのお姿から、そうかこんなおっぱいなんだと想像させるというのはいかにもヤボではないか。
しかもしかも彼女を看取った夫は最後、「最高の奥さんだったな。スケベで。」とにこやかにつぶやくのだから、美しくベールがかった観念的なセックスシーンではその台詞は全然生きてこないではないか。
……おっぱいおっぱい言い過ぎだが、でもそれ以外は素晴らしいから、本当に惜しいと思うからつい言い過ぎちゃう。むしろならば、それを想起させる作品に積極的に出てるのはなぜなのと思っちゃう。
タナダ監督からそういう提案はなかったのかなあと思っちゃうのは、監督デビュー作の「月とチェリー」で江口のりこがさらりと見せてくれたことを思い出したからなんであった。そういう必要を感じるならば、女優に脱いでもらいたいと考える監督さんだとは思ったからさ……うーむうーむ。
おっぱいにばかり気をとられてもなんだから、取り直していこう。でも考えてみればこれほどピュアなラブストーリーもないかもしれない。ひとめぼれで交際を申込み、結婚し、秘密を持っているといっても可愛いものであり、結局理解し合い、でも妻は病を得て、夫に愛されながら、果てたそのままに抱かれ旅立ってゆく……。言ってしまえば腹上死だが、……この場合、女性側が腹上でも腹上死と言うんだろうか……などとつまらないことを考えてしまう。
こうして書くと私好みのピュアな性愛物語。って、矛盾した言い方だが、例えて言うなら「愛のコリーダ」なんてまさにそうだし、ピュアな性愛物語は確かに成立するのだから。でもその場合、性愛のエロさが増せば増すほど、純愛の精度も増し増していくのだと思うのでまたしても話を蒸し返してしまいそうになっちゃう。耐えてとどめる。
高橋一生がラブドール職人。蒼井優嬢はその工場に訪れた美術モデル。そもそも彼、哲雄は美大の先輩の紹介でただ何となくこの職場に入った。彼女、園子は医療用人工乳房のかたどりの仕事だといつわられて訪れた。
この出会い一発で二人は恋に落ち、その後結婚に至る訳だが、意義ある仕事だとこのバイトを引き受け、夫となる哲雄がその仕事に従事していることに対しての誇りも何度となく口にする園子に、結婚してまでも哲雄はその事実を口にすることが出来ないまま多忙な日々を送り、セックスレスになり、すれ違い、双方浮気をし、……そして園子の余命いくばくもない病が発覚するんである。
昨今のラブドールの精密さは、本気の社会記事で見かけるぐらいまでになっている。劇中に再現される、特に最後の最後、最愛の妻を再現したラブドールはまさに「園子ちゃんが生きているみたい」と渡辺えり扮する管理業務のおばちゃんが絶句するぐらいの出来で、観客もまさに、蒼井優が美しき一糸まとわぬ姿でそこにいる……と息をのむんである(だからね……もういいって)。
ベテラン造形士の金次(きたろう。好きなんだよね、この人のキュートないい加減さが)が再三、ラブドールは技術と芸術の融合であると熱弁していた、まさにその芸術が発露した最高傑作である。
本作においては、芸術の方にかなり傾いた感があるなあと思ったのは、それこそきちんと報道されるぐらいのラブドールの需要というのは切実なもので、その人の生きる術になったり、ひょっとしたら性犯罪の抑止につながるかもしれなかったり、するかもしれないのだから。
ちょっと話はズレるが、性愛対象年齢が幼年である人たちに対して、それがアンモラルであると糾弾することは簡単だが、それで問題は解決しない。それは本来備わった嗜好の問題で、直すとかそういう問題ではなく、だったらそれをどう解決していくか、傷つく人を生みださないために、こういう技術が需要になるのは当たり前で、現実社会はもうそういう議論にまで達しているのだから、本作のラブドールに関しても、そこまでの突っ込んだ描写を期待してしまったのは事実、かなあ。
かつてはダッチワイフと呼ばれ、空気でふくらましたビニール人形であったそれは、ラストシーン、海岸に打ち上げられた古ぼけたそれを、部活中の中学生が見つけてヤイヤイ言い、ブスじゃんと口にし、確かにそうで……。穴に突っ込むだけが目的にしても、それ以外の造形があまりに無造作で、まさに顔のテキトーさがヒドいダッチワイフは、むしろその点においてダッチワイフてあーゆー奴だよね、と言われていたような気がする。
日本の技術をもってしてみれば、精巧な、まるで生きているようなラブドールというのは驚くに値しないぐらいのものなのだが、でもそもそもの、ダッチワイフが確かに担っていたあふれる性欲を受け止めてくれる度量が、この美しすぎるラブドールにあるのかなあと思わせちゃうのは、残念だと思う。
だってそれは大前提なんだもの。その先に、疑似恋愛と思わせるだけの美しさ、精巧さが加わるのは、その大前提があってこそなんだもの。
ピエール瀧氏演じる社長がこだわるのはリアルさで、ただ巨乳であればいいというんではないと、ダメ出しをする。このこだわりは無論だが、それがラブドールの大前提の価値観を揺るがせるのなら、違う気がする。
哲雄が愛する妻を模して、技術的に非常に難しい一体型のラブドールを製作し、あっという間に完売するあたりの展開で、その疑問は頂点に達してしまう。勿論、哲雄は「試さなければならない、試すというのは、そういうことだ」と、自らこのラブドールと、まあ言ってしまえばヤる訳だが、その途中までは愛する妻の顔が見えていて、人形の顔に変わった途端ただただ落涙し、つまり萎えちゃったんじゃないのと観客に思わせるもんだから、……それじゃただ、愛する妻をリアルに再現しただけじゃないのかなあ……むしろ彼の精神状態が、あぶないんじゃないのかなあ……と妙な心配をしてしまう。
あっという間に完売の、その評価も、その精密さ、リアルすぎるために逮捕されちゃうことも見通しての「ここまでやるなんて。バカだね、こいつらは」という、その職人魂に向けての賛辞であり、……なんか違うなあ、という気持はやっぱりぬぐえない。やはりすべてが、性愛の意味を追求しきれなかったことだったんじゃないのかなあと。
だって、社長が言うとおり、おっぱいのリアルさが重要だということを、人工乳房だと偽ってまでそれは追求したのに、その仕事に知らずにとはいえ携わった園子が、演じる蒼井優嬢が、その気概を、社長のこだわりほどに見せてくれなかったことが……ああ、結局ここに帰結してしまう。
いや、本作に関しては本当に、疑問に思ったよ。ラブドールの話で、おっぱいが重要で、なのに、おっぱい見せない!!……ガッツのある女優さんだと思うのに、なぜそこだけは死守するのか……大好きなだけに、残念で仕方ない。
あるいは、テーマが絞り切れなかったのかもしれない。職人気質の話は確かに面白い。緻密な試行錯誤を繰り返して成功目前、スパイにアイディアをすべて持ってかれたり、「お前ら職人は一体型を作りたがる」なんていう台詞に、パーツごとに機械的に作るんじゃなく、愛情をもって技術を注ぎたいという、いかにも日本的な職人愛を感じたり。
そして一方で、どんどん需要が伸びて忙しくなり、あんなに愛していた妻とすれ違いになり、ついには双方、寂しかったからと自分勝手な理由で浮気をする、でもそれも、双方アッサリと自白し、その先には妻の不治の病が待っていて、愛を確かめ合い……だなんてさ!!
盛り込みすぎとは思わない。さばき切れていないという印象とも違う。なんだろう……またしてもがんかよ、がんで死にゆく話はもういいよというのが、一番の本音、だろうか。聞き飽きた、みたいな。
と思うのは、もう国民病だし、早期発見が常識だし。しかも園子の場合、その後の転移が見つかってから余命を意識するんであって、なのに最初にがんがみつかった時にもう、私は死んじゃうからみたいなテンションで一方的に離婚を突き付けるとか、逆に彼を振り向かせるための方策みたいでさあ。
とにかく、もうこの現代で、がんが見つかった、もう死ぬ、愛してたわ、忘れないよ、みたいな描写はヤメてほしい。あまりに陳腐だと思う。だからといって、難病を探せと言うのもアレだが、そもそも病気で死んじゃう展開で愛を表現するのは、もういいかなと思っちゃったかなあ。
“最後までスケベな奥さんで、セックスしながら息絶えた”というのは、確かに魅力的な描写で、それだけ聞けばまさに深い性愛、その意味を感じられたと思うが、ただただ痩せゆく奥さん、というのも指輪がゆるゆるになっている描写だけで説明するにすぎないし、セックスシーンは美しすぎて全然エロくない、切実な愛は正直……なかったかなあ。徹頭徹尾だから、そういう製作志向だったのだろうとは思うが……。★★★☆☆