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「せ」


2020年鑑賞作品

性の劇薬
2020年 89分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:城定秀夫
撮影:飯沼栄治 音楽:林魏堂
出演: 北代高士 渡邊将 長野こうへい 階戸瑠李 千葉誠樹 山本宗介 守屋文雄


2020/3/16/月 劇場(池袋シネマ・ロサ)
今やピンクに限らずあらゆるジャンルの垣根を超えて大活躍なのだから、私がイメージに押し込めてしまっただけなのだが、上映後振り返ってみたら大量の若い女の子たちが客層のほとんどを占めていたことに驚いてしまった。
時世柄皆マスクをつけて、それでも劇場まで足を運んで来たんであろう、マジな原作ファンであろうと思われ、城定監督作品というだけで特に情報をしいれずにのこのこ来たこちとらとしては、城定作品に女の子たちが大挙して押し寄せるとは……と、新鮮なような嬉しいような。

これまでも、淡い腐女子向け的作品はあったものの、こと商業映画ということに関しては、成人向けでない限り、ヤハリ淡く可愛らしい、妄想を刺激するものにとどまっていたと思う。ここまでガチな一般向けBL映画には遭遇したことがなく、かなり驚く。
まあそこんところは薔薇族映画も撮っているであろう(多分……)城定監督だからハードルが高い訳ではないのだろうが、同じ男性同士の映画でも、需要というか受け皿が違ってくると、作品の方向性が違ってくるのかもしれないと思う。薔薇族映画は、まさしくゲイの男性客が需要であり、BL映画は腐女子さんたちにとっての需要であるのだから。日本って、面白い国だな……。

そういう意味では本作は、ゲイの男性にとってはどんな風に映るのだろうという興味もある。
本作は精神的に弱った男性を監禁し、性の快楽で調教して生命エネルギーを取り戻させるというすさまじい設定で、その設定どおり全裸で四肢を拘束された誠を、医者である龍二が思わず目をそむけたくなるようなハードコアな手法で様々にいたぶり、昇天させる描写が繰り返し繰り返し描かれる。

そのエロティックという言葉さえ追いつかないほどの激しい性描写は単純に興奮材料になるのかもしれないけれど、誠はそもそもノンケであり、フツーに彼女とラブホテルにしけこんでいるシーンが出てくるんである。
しかしてその誠が龍二に、自分自身が知らなかった泣き所を責められ、彼に触られる前に勃起してしまうような状態になっていくという展開、そして最後の最後には、なんと二人の純愛に着地するという剛腕な展開で、こ、これは……多分、絶対、ゲイの方々は、ないよないよというんじゃないかと思って……。

だからつまり、これは腐女子が妄想する“尊い”愛の形なのだ。性の嗜好などは、愛の力で変えられると。しかしさすがにそれには強引かつ強力な調教が必要であるという発想は、オンナは中々に強引かつ残酷であるかもしれないと思ったり。

まあとにかく。なぜそんなことになったかっていうと、誠はそもそもは勝ち組な男性。大きなプロジェクトの責任者にも抜擢され、これからという時だった。
両親にプレゼントした旅行、その帰りを迎えに行くはずが、彼女としけこんだラブホテルに何度も不在着信があって「忘れてた……」と呆然とする。タクシーで帰るからという両親の返信にやっちまったと思うものの、そのまま彼女とイチャイチャ。
しかし神様は残酷なもので、両親の乗ったタクシーは事故に遭い、彼はその亡骸と霊安室で対面することになる。……呆然自失した彼は当然この時は気づいていないのだが、運命の出会いをしていたんである。

この病院に勤務していたのが龍二であり、彼の恋人が誠に生き写しだった。このあたり、男性同士のハードな性描写を欲求しながらも、真の部分は純愛を求める女性ファンの心理を感じてちょっと面白いな、と思う。死んだ恋人に生き写しだなんて、なんか懐かしい少女漫画の設定みたいなんだもの。
その恋人は同じ病院の同僚。救急救命でバリバリ働く龍二と違って、終末医療に取り組んでいたその恋人は医師としての無力さに追い詰められていた。

「今夜、思いっきり抱いてほしい」「お前から誘うなんて珍しいな」なのに龍二は当直だから行けなかった。珍しいんだから、そこまで追い詰められていたことに気づかなきゃいけなかったんだから。
恋人は病院から持ち出した劇薬を飲み、命を絶つ。ひらひらと桜の花びらが、開け放たれた窓から眠ったような彼の亡骸に舞い落ちていた。ああ、女子感涙のロマンティック。

龍二が誠に出会った、誠の両親が亡くなった日、そして偶然はあと2回も起こる。恋人の墓参りに行った時、誠もまた両親の墓前に茫然とたたずんでいた。
そして3回目、仕事にも行けずただただ飲んで荒れていた誠は雑居ビルの屋上から飛び降りようとした。見かけた龍二が彼の後を追って、その手をつかんだ。「死ぬぐらいなら、その命を俺によこせ」と。

落ち着いて考えると、いくら恋人にうり二つだからって、そしてその運命かもしれない相手が死のうとしていたからって、地下に監禁してローションぬりたくり、乳首いじいじし、ペニスを責め立て、バージン(と言っていいのだろうか……)をバックから突破するだなんておいおいおいおいー、と言いたくなる。
しかしその描写がハンパないので、本気なので、観客としても本気度を試されている気がしてきて……。ホントにね、落ち着いて考えてみると、こうやって調教されて、男に愛される身体になって、龍二と純愛に着地するなんて、ランボーにも程があると思うさ。なのに、オドロキ、それを納得させられちゃうのは、手を抜かないハードコアこそがあったと思う。

お互い失った愛する人という設定は、腐女子、というか女子的にはとてもロマンティックでそれだけで説得力があると思いがちだけれど、実はそれはかなり独りよがりな妄想なんじゃないかという気がするんだよね。
そもそもの原作の作り手さんも、そしてもちろん映画化に際しての監督も、そこんところはよく判ってて、いわば龍二は誠を精神的にも肉体的にも虐待に近い形で追い詰めて、純愛という奇跡を勝ち取ったと言える訳で、ギリギリというか、諸刃の剣というか、それを読者なり観客なりに納得させる作り手の力こそが試されている、これはかなり凄いことかもしれないと思って……。

不勉強ながら二人とも私、見知らぬ役者さんで。でもフィルモグラフィー見てみれば、きっと目にはしているんだろうけれど、大きな役としては今回が初なのではなかろうかと思う。
誠は端正な顔立ちだけれど、いい意味でフツー側に傾いていて、“開拓”されていく赤裸々な芝居が衝撃的で、この役は……かなりチャレンジングだと思う。
自分に期待してくれていた両親が無残に死んでしまったというところから、男に調教されて絶頂しまくってしまうという絶望と恍惚、……役者さんとして、なかなかこんな役どころに出会うことはないであろうと思われちゃう。

そして龍二。誠を“調教”している時にはとことん悪魔的で、こんなキチクはないように思われるのに、突然誠を解放し、死んでしまった恋人の秘密が明かされると、急激に観客側、そして誠にとっての彼の印象がガラリと変わってしまう。
まさしく劇的な転回であり、作劇であり、演出であり、そして何よりその役者さんの芝居力がなければ、この強引な人物像の転換、彼へのイメージの反転は不可能なのだ。

これは……凄かった。だってあれだけ、監禁、調教、髭剃りのカミソリを首に当てることさえし、恐怖で人間性を失わせていったいわば犯罪者である彼が、純愛ゆえだったと反転するなんてそんなバカな!!
なのに、それを観客に、そして何より誠に納得させてしまうのだもの!!演じる北代氏は平岳大をほうふつとさせるような美丈夫で、ちょっと見惚れてしまった。

ある日突然、誠は自分が拘束されていないことに気づく。全裸のままだったのが、着替えも置いてあり、扉の鍵も開いている。地下から順々に地上へ出て行くと、そこは見覚えのある病院で……。
白衣を着た龍二が廊下に立っていて、ふと目が合ったとたんに踵を返してしまう。フツーに考えれば誠はそのまま逃げても良かったのに、彼の後を追ってしまうのだ。もう惹かれてしまっていたのか、愛してしまっていたのか……この時点ではまだ判然としない。ただ、理由が知りたかったというのは、当然そうではあるだろうけれど……。

龍二のおごりでラーメンとチャーハンとギョーザをがつがつと食べる誠。そんな彼を愛し気に眺める龍二。すべての事実を龍二は誠に告げ、恋人に生き写しの誠に生きてほしかった、生きるエネルギーを与えたかったと告げ、去ってゆく。
龍二は海に向かう。その波間に、恋人の姿を見る。ここまでくればなんとなく展開は見えちゃったが、まあカタルシスが得られたからいいやという気がする。

そーらそーだ。海中に没しそうになる龍二を誠が羽交い絞めにし、死ぬんならその命を俺にくれと、自分が言われた言葉を投げかけ、海辺のコテージなのかなんなのか、おあつらえむきのロマンティックなお部屋でラブ!
誠は自分から仕掛けるのは初めてだから戸惑い、しかし自分がされたように攻撃していくのが、しかしてもう純愛に着地しているからロマンティックなラブセックス、シロート腐女子も安心して見ていられるよ(爆)。
しかしこんなんあるかなあとふと立ち止まって思っちゃったりもするが、しかしてゴーイン、持ってかれることが女子にはたまらんのだというのはめっちゃ判るなあ。

誤解を恐れずに言えばね、ストレート女子だって男子にこんな風に強引に組み敷かれたいという妄想というか欲望はあるよ。でもやっぱり悔しいというか、現代においてもやっぱり男性の方がいろいろ優位に立っていることを考えると、一度平等に立った上で、という気持があるというかさ。
なんていうか、腐女子的気分というのはそういうところも作用しているのかもなあと、本作の展開というか関係性を見て思った。
これが調教されるのが女だとしたら、男が勝手すぎるもの、許せないよ、と思っちゃうだろう。相手が男子だから成立する、でもそうされたい妄想はあり、その先の純愛が欲しい。なかなかに女心はフクザツなんだなあ。★★★★☆


戦後秘話 宝石略奪
1970年 100分 日本 カラー
監督:中島貞夫 脚本:中島貞夫 金子武郎
撮影:山沢義一 音楽:富田勲
出演:菅原文太 小松方正 金子信雄 丹波哲郎 戸浦六宏 高城淳一 松井康子 橘ますみ 賀川雪絵 室田日出男 仲塚康介 八名信夫 中田博久 八代万智子 小林稔侍 若山富三郎 片岡千恵蔵 菅原通済

2020/4/22/水 録画(東映チャンネル)
菅原文太には戦後がよく似合う……なぁんて、偶然立て続けに菅原文太戦後映画を観たからだけだけど。復員後、誰かを助けてその誰かの相棒になるっていうのも妙に似ている。一つの物語の王道なのかもしれない。
しかし本作は、戦後の日本のみならず国際社会まで巻き込んだ大きなうねりの、スケールの大きな作品になっていて見ごたえがある。なんたってマカオまで言っちゃうんである。そこの宗という大人物が若山富三郎で、妙に怪しげなのが可笑しい。いやいや、そこまでにはもう色んな陰謀がある訳で。

いつも菅原文太は単純猪突猛進のようだが、珍しく本作の中の彼にも陰謀がある。陰謀というよりは野望であり、願いであり、祈りである。
菅原文太扮する山田は復員し、再会した妹はもはや自分のことも判らなかった。米軍兵のパン助となって、梅毒にかかって死の寸前にあったのであった。この設定もついこないだ見覚えがあるなあ。彼の身内じゃなかったけど。

山田はなけなしの金を妹の仲間のパン助たちに投げだし、こんな商売から足を洗ってくれ、という。一人のパン助が高らかに笑う。パン助はあたしらだけじゃねえんだよ!ごまんといるんだ。そのみんなに金を出せるのかと、噛みつくのだ。
正論である。正義の味方ぶってると言われたって仕方ない。その金は死んでしまった妹のとむらいに使ってくれとはすっぱながらに殊勝に言う仲間たちが泣かせる。

凄いのは、この時山田が決意したのが、到底出来る訳もない筈の、“ごまんといるすべてのパン助”の足を洗わせるという野望なんである。そして山田が関わる彼より一枚も二枚もウワテの、この戦後の混乱をそれこそ陰謀を持って突き進む男たちとの腹の探り合いになるんである。
なんたって単純猪突猛進菅原文太だから勝ち目はなさそうと思われるのだが、意外なところで大人物に信頼されたりするあたりはいかにも菅原文太で、だからこそ私心の野心に溺れるライバルたちをかわすことができるのだが、その結末は……。

なんとなく奥歯にものが挟まったような書き方をしているからお察しの通り、こーゆー、政治的なものまで絡んだ複雑なストーリーは、バカな私は苦手である(爆)。だから、少しでも自分に近い文太さんに寄り添って話を進めていこう(失礼……)。
山田が組んだ大原という男は、シンプルな野心の男。カネがすべてを解決する、まず実業家となり、政治家にわいろを流して自分の会社ともどものし上がる、みたいな。妾を囲って子供もなしてその家庭に入り浸りながら、いざとなると妾一家をアッサリ山田に引き渡すような冷たさもある。
この妾と娘に、山田はホレられてしまう。特に娘の方に、山田は亡き妹の面影を見ちゃうんだからややこしい。

大原がまず近づいた、日本の政治を裏から操る岡村という男は、そういう言われ方はむしろ似合わない非常な理想家。
“保守も革新もカネをばらまいて小物を操ったところで”などと揶揄されても、その先に大アジア計画とも言うべき平和社会、理想社会の実現を、夢のようなものを本気で見据えていて、実は山田よりも子供のように正義を、信じていたんじゃないかと思う。

だからこそ彼の元に、親しくしていたイギリス人から盗み出されたグレートモンゴリアなるとてつもないカラット数のダイヤモンドが託されたのである。
それは誰の手に渡るかによって戦争さえ引き起こされかねない代物であって、ダイヤモンド、という判りやすい形はとっているけれども、人間の真実の姿を映し出す鏡に他ならないのだ。
岡村の大アジア計画と山田のすべてのパン助を救うための金、というのは、全く違うように見えながら、他の有象無象の欲望と比べれば、実は似ている部分があったんじゃないかと思う。

岡村に託されてグレートモンゴリアの換金のために飛んだマカオで、山田は戦時中日本軍の慰安婦として苦しんだ当地の女に出会い、彼女にもまた、足を洗ってほしいと懇願するんである。
当然、この地のすべての女を救うことなど出来ないことは、冒頭でパン助たちに罵倒された時に重々わかっての発言である。それこそ、日本のパン助の数じゃ追っつかないぐらい、この地には、そして世界中に、苦しめられた女たちがいる訳で、山田一人がそれをどうこうできる訳もないのだ。

そこに、岡村の大アジア計画を背負ってきている山田、という存在が意味あるもののように思えてくるのだが……残念ながら、そこまでの大きな構想を本作で実現するまでのことはさすがに出来ない。ただかすかに、そんな理想がちらりと頭をかすめるだけである。
実際は、岡村は死んでしまうし、岡村の死によってグレートモンゴリアをめぐる欲の深い男たちの攻防は、まさに醜い人間模様を呈し、その中に山田も巻き込まれるのは必至である。

グレートモンゴリアと直接関わっているのは、岡村亡き後は山田ただ一人であり、もはや山田しか実物を見ていないのだ。まるで幻を追うように、一人は政治家として総理大臣を狙う野心のため、一人はそのコバンザメとなって実業家としてのし上がるため、そこに噂をかぎつけた軍人の黒木まで加わって三つ巴どころじゃない様相を呈する。
しかもややこしいことに、この黒木という男は政治家の関、実業家の大原らの陰謀に負ける形で事故に見せかけて殺されてしまうのだが、これは影武者で、“本物の黒木”として丹波哲郎御大が菅原文太とガチ対決の形で現れるんだから驚く。いつまで経っても丹波さん出てこないなーと思ってたんだよ!!

この男たちの間で、表向きは全員で山分けとか言いながら、他を欺いて自分と二人で山分けしないか、というウラギリがそこここで発生する。
それが複数持ち込まれるのが山田というあたりは、彼はつまり、ある意味ナメられているのだろう思うが、今は亡き岡村や、マカオの宗などは、いわば一目見て山田を信頼したというところが、ヤハリ大きいのだ。

宗は、これほどのダイヤは換金は難しい、まずクスリに替えるしかない、という知恵をまず授けておいてから、本物をそのまま持っているのは危ないと、イミテーションまで授けてくれるんである。
そういやー、岡村も、山田の身を案じて万年筆型の手りゅう弾を持たせる念の入れようである。もうこうなると、観客側は、この二つのアイテムがどう決め手に使われるかをドキドキして待つことになり。

正直言うと、グレートモンゴリアをマジに自分のものだけにするとは、思わなかったなあ。マカオでの銃撃戦、バラック街を逃げ惑うスリリング、決死の覚悟で飛び乗る小舟、しかし腿に銃撃を食らった山田は血だらけになりながらフラフラと貧民窟をさ迷い歩く。
そこで彼と目が合った売春婦の女は、戦時中に日本語を覚えたにしては流暢すぎるが、まあ気にしない気にしない(爆)。日本人への復讐のつもりだったのか、苦しむ彼に手持ちのクスリを注射する。その一発でアッサリ中毒になっちゃうというのもどうかと思うが、クスリの経験はないので実際どうなのかは判らんので(爆)。

山田は腿の傷の中にグレートモンゴリアをねじ込み(うわー……痛い……)帰国し、イミテーションで黒木がつないだ売人との交渉に挑む。アホか、そんなん、バレるに決まっとるやんか。
そもそも、さかのぼるが、このマカオに白スーツで乗り込むってのもどーなの。目立ちすぎやん。血だらけになった時の退廃的な美しさは確かにあるが、その後何日も、マカオから日本に帰国してまでもその血だらけ白スーツのままなのには、着替えろや!!とか叫びそうになったわ。

万年筆型手りゅう弾を使って逃げ出すも、もはやヤク中になっちまった山田はぐらんぐらんである。
岡村の親友で、俗世間と隔絶された芸術家であるmi道斉に連絡を入れる。そちらに向かっているが、もう自分はダメだ。死んだ自分の腿から、グレートモンゴリアを取り出し、売春婦たちを救う金にしてくれと、息も絶え絶えに……。

しかして、その後として語られるも、グレートモンゴリアの行方はようとして知れない。伝説のように語られるのみで、数ある政治の汚い事件はクスリまみれではあるけれど、グレートモンゴリアは現れない。
欲にまみれた男たちばかりが跋扈していた中で、道斉は岡村と共に聖人のように扱われてはいたけど、どうだったかなんて判らないではないか。だって実際、グレートモンゴリアの行方は……もはや都市伝説と化してしまっているんだから。ヤだヤだ!!★★★★☆


千姫と秀頼
1962年 85分 日本 カラー
監督:マキノ雅弘 脚本:安田重夫 高橋稔
撮影:山岸長樹 音楽:齋藤一郎
出演:美空ひばり 高倉健 近衛十四郎 千原しのぶ 中里阿津子 沢村貞子 平幹二朗 菅貫太郎 二代目坂東吉弥 北竜二 明石潮 花房錦一 霧島八千代 三沢あけみ 西崎みち子 紫ひづる 富士薫 中村時之介 中村錦司 月形哲之介 遠山恭二 伊沢一郎 香川良介 徳大寺伸 東野英治郎 中村錦之介

2020/4/26/日 録画(東映チャンネル)
美空ひばりだから楽しいミュージカル映画かと思ったらめっちゃ哀しかった。てか、このタイトルからそれを想像できないあたりが、歴史全滅の私だよね(爆)。
千姫。徳川家康の孫娘にして、豊臣家に嫁し、徳川の攻撃の中、返された女。「わらわは豊臣の姫か、徳川の女か、皆、徳川の娘に戻ったことを笑っておろう」というクライマックスの彼女の悲痛な叫びが痛ましすぎる。
政治の道具として、モノ扱いされた当時の権力者かいわいの女たちは、貧しい町民の女たちと比しても、あまりにも不幸、だったのだった。

しかして女の幸せはなんだろうと考えると、この当時は女の独立意識すら普通に語られなかった時代なんだから現代と比するのはムリなのだが、でもでも、人間の本能的な根本的な部分として、変わらないものはあるよ。ある筈。

実際がどうだったのかはしらんが、歴史的にどう言われてるのかは知らんが、本作における千姫、「豊臣の姫か、徳川の女か」という葛藤は、最初から豊臣の姫、いや、秀頼の妻であることを強く自覚していた。いや、望んでいた。夫を愛していたから。
実に7歳という幼さで、権力の均衡を巧みに保つために、菓子折りの下の黄金と同じ意味合いで差し出された。人質、そう言ったって良い立場だろうが、12年の時間はこの慈しみ深いお殿様に対して真の愛情を育てるのに充分だった。

物語は徳川にもはやギリギリに攻め立てられている、豊臣家の立てこもった大阪城、そう、大阪城最後の日、である。外の喧騒がウソのような静けさの中で、夫、秀頼の前で舞を舞う千姫。
後から考えれば、このシーンはクライマックスの、父と祖父の前での舞に完全に呼応しているのだ。
数奇な運命でめおとになった二人だけれど、今や共に死ぬしかない運命だけど、確かな情愛で結ばれているこのシーンと、共に死ぬ筈だったのが自分だけが生きながらえた千姫が、徳川の娘であることより豊臣の嫁であることを高らかに宣言した、つまり、女としてのアイデンティティを命がけで示したクライマックスにつながったのだと気づくと、震えてしまうのだ。

一緒に、死ぬ筈だった。その方がどんなにか幸福だったか。中村錦之助演じる秀頼はなんとまあ見目麗しきお殿様。
家臣の信頼も篤く、もうこうなったら皆討ち死に、いやもはや自害だという瀬戸際で、家臣たちは泣きながら、お殿様、そして千姫の行く末をおいたわしやと嘆いている。

そんな中、孫娘可愛さの家康が、好きに報酬は取らせるぞと、千姫奪還を命じる。……この時確かに、報酬をとらせるぐらいのニュアンスだったと思うのだが、いつのまにやら、救い出したものには千姫をくれてやる、みたいな感じになっている。
まあ、決死の思いで救い出した坂崎出羽守の男気に、一時は家康も惚れ込んでいた部分もあったろうし、千姫自身もまた、なんたって秀頼が彼を信じて千姫を託したということもあって、なんつーか、ギリギリの状況の中での恋心みたいなものは、あったかもしれないと思う。

坂崎を演じるのは平幹二朗。うっわ、めっちゃ美青年!!息子にクリソツ……。なんかさ、今の時代に古い映画を観ると、平親子とか、松田親子とか、めっちゃクリソツで、息子が時代を超えてスクリーンの中に飛び込んだみたいで、鳥肌が立つ。才能の血筋って、凄いな……。

そう、この坂崎の存在って、ちょっと面白いというか、スリリングだよね。顔に醜いやけどの跡を負ったということもあって、彼は引け目を感じてるけど、千姫はそれこそが武将の鑑だと言うし、むしろそんなことはまったく問題にせず、千姫にとっては、愛する夫秀頼が、彼を信頼して自分を託したことこそが一番なのだ。

だから、夫への愛と坂崎への想いがどこかリンクしているというか入り混じっているからさ。
坂崎に嫁す筈だったのがまたしても政治的陰謀に巻き込まれて別の男に嫁すことになり、最初の陰謀の時には幼かったから何もわからず嫁いで、その夫を愛したけれども、もはや千姫も様々を飲み込んだ大人の女な訳で。

抗えない嫁入り行列が、しかも更に姦計をなされ、坂崎のプライドを逆なでするようにわざと彼の屋敷のそばを通らせる。激昂した坂崎はそうなることが判っているのに躍り出て、先刻承知の鉄砲隊に蜂の巣にされる。
……なんて馬鹿な!!男のプライドって、なんてくだらないの。千姫の幸せこそを考えていたから苦しんでいた彼なのに、結局は男のプライドなのかと思うと……いやヤハリ当時は、まずは武将としてのプライドこそが大事なのだろうが……。

千姫は大きなショックを受け、夫と共に坂崎の菩提も手厚く弔い、そのあおりを食ったのが、嫁した先の本多平八郎である。
個人的に彼にはちょいと同情を感じる……。そらまあいかにもな政治的結婚ではあったけど、平八郎は美しい千姫に単純にホレていたし、単純な男だからこそ……彼女のかたくなな気持ちをやわらげられなかったのかもしれない。

千姫は、自分がモノとしてやりとりされたこと、なにより平八郎がそれを承知で受け入れたことに毅然として反発し、「夜の出入りは許しません」と言い放つ。
……彼女の気持ちは判らんでもないが、ちょっと平八郎、可哀相だったかなあ。「坂崎を討ったのはわしじゃない!!」て泥酔しながら千姫に追いすがる姿なんかもう、見てられなくて……。

なんかね、そこまで政治的にしたたかな男というんじゃないんだもん。彼もまた、この政治的結婚を無力のまま受け入れるしかなかった、当時の女のように無力な男であり、“当時の女のように無力な男”てのは……自分ではどうすることも出来なかった女よりも、更に無能で無力だっつーことなのだよね。
だからこそ可哀想だなんて……蔑みまくりだけど(爆)、でも彼もまた、千姫にマジにホレたからこそ……ああ、秀頼も、坂崎も、平八郎も、本気でホレたからこそ、千姫は魔女のように言われ出したのだ。本当に不幸なのは彼女自身なのに。

女の幸せは結婚というのが信じられた時代だった。お付きの女、お貢が頬を染めながら結婚が決まったことを報告にくるシーンが忘れられない。同僚の二人のお付きとキャイキャイ言いながらやってくる。
お暇をもらえますでしょうかと、幸せたっぷりに問いかける。目を細めて許しを与える千姫。相手は町人と聞き、感慨深い表情を浮かべる千姫。

お貢の結婚が、恋愛相手かどうかは判らない。当時のことだから、そっちの可能性はむしろ低い。なのにお貢のこのザ・幸福感は、当たり前だけど政治の道具としての結婚じゃないし、女の幸せは結婚だと単純に信じられた時代だからなのだ。
この映画が製作された当時も、大してその価値観に違いはなかったんだろうなと思うと、まぁなかなか思うところはあるにしても、7歳で嫁した夫が政治的策略の元での婚姻であっても愛する人になった千姫にとっては、こんな単純な女の幸せがどんなに喉から手が出るほどに渇望したものだったろう!!

夫を次々に死に追いやった女という陰口が叩かれはじめ、だからこそ狂ったわけではなかったし、狂ってもいなかった。虚偽の狂気だった。長年の迷いと苦しみから、自分は秀頼の妻だと抜け出したことがきっかけだったのか。
それはある宴、町人がうやうやしく差し出した紋所のついた宝物、豊臣と徳川の争いにお力を貸してたまわったと、鼻高々の町人に千姫は「無礼者!!」と激昂し、家臣の刀を抜いて、斬ってしまう。

確かにこの一時は、千姫は狂気にとらわれたかもしれない。刀を持ったまま町中に躍り出て、町民たちを恐怖に陥れる。しかして、ひれ伏す夫婦の夫を斬ったのは、まるで千姫の代わりにやったった、とでもいったような余計な忠義心であり、このことで千姫はまさに狂気の姫として恐れられるようになる。
でも、千姫は冷静に、それを利用して、徳川家を破滅に追い込もうとする。「徳川家を辱めることだけが、女の身に許されたただひとつの敵討ちの手立てじゃ」だなんて、なんてなんて、悲しい決意なの。

もう決意は固まっていたのに、そこにダメ押しのように登場する、ようやくやってきたかとゆー、高倉健である。キャストクレジットで名前を見てから、どーゆー役でどう登場するのかしらんと待っていたが、忘れかけた頃にやってきた(爆)。
それまでの主要男優陣、中村錦之助、平幹二朗、菅貫太郎といったメンメンの男臭さ苦悩の深さと比するといかにも若く青臭く、こんな健さんは初めて見たかも……と思う。

つまり彼は豊臣に仕えていた忠臣の家の者、わざと千姫を逆上させるような言葉を発して打ち取られるのは、千姫が狂ったと思い込んで、改心させるための決死の覚悟。
しかして彼女の本意が判ると涙を流さんばかりに自分の身元を明かし、千姫が大事に持っていた豊臣の小刀を、彼女の手を添えて自分の胸に突き刺すのだ。
「死んではならぬ、死んではならぬ!!」千姫の悲痛な叫びがこだまする。確かに彼女は男を次々と死なせる哀しき魔女だったのかもしれない……。

先述したとおり、クライマックスは、改心したフリして父親と祖父を突き殺そうとする舞である。冒頭のそれといい、実に美しき舞で、美空ひばり、いやこの当時のスターの基本的心得というものを見せつけられる気がする。

家康を演じる東野英治郎のタヌキおやじっぷりが終始いい意味でイラつかせて、時にはちょっと噴き出しちゃうような時さえあってさ。あの出っ歯は、あんなに出っ歯だったっけ?あれはひょっとしてつけ歯??
孫娘を愛しているのはそうなんだろうけれど、タカをくくっているというか、結局は女を蔑んでいるのがミエミエで、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」ガッハッハみたいな!!

「鳴いてきたぞよ」みたいにお気楽に千姫の舞を堪能している彼が、そのなぎなたの切っ先を向けられた時の狼狽よ!彼は散々老獪なことをしでかしてきたくせに、親子、孫子のつながりを単純に信じていたんだなあ、千姫を救い出したことを、彼女が単純に感謝していると、思っていたんだなあ!!
徳川の娘ではなく、私は豊臣の嫁……あの台詞を叩きつけたこの場面は、溜飲が下がったけど、フェミニズム女としては溜飲が下がるだけなハズなんだけど、なんでなんでこのタヌキおやじが受けた衝撃を想像し、ついつい哀惜を感じてしまうのか……。

尼寺へと向かう千姫を、幸福な結婚を遂げたお貢一家が見送りに来る。幸せかと聞かれて、泣き顔になりながら、お貢がはいと答えるのを満足そうにうなずいて、千姫は石段を上がる。
女の幸せって……。いや今や、男の幸せも、それに分類できないいろんな幸せも、単純に言えないけど、その全てのことを考えさせられる要素が詰まってるんじゃないかとさえ、思わされた。★★★★☆


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