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「に」


2021年鑑賞作品

二十六夜待ち
2017年 124分 日本 カラー
監督: 越川道夫 脚本:越川道夫
撮影:山崎裕 音楽:澁谷浩次
出演:井浦新 黒川芽以 天衣織女 鈴木晋介 杉山ひこひこ 内田周作 嶺豪一 信太昌之 玄覺悠子 足立智充 岡部尚 潟山セイキ 新名基浩 岩崎愛 吉岡睦雄 磯部泰宏 井村空美 宮本なつ 山田真歩 鈴木慶一 諏訪太朗


2021/7/22/木 録画(日本映画専門チャンネル)
冒頭、井浦新氏が演じる杉谷が、真っ暗な山中で息も絶え絶えに取り乱している場面からである。
だからこれは、ミステリなのかなと思った。割としばらくの間、そう思っていた。杉谷は自分の出自をかたくなに話そうとしないし、何か犯罪を犯して逃げているとか、秘密を抱えた男なのだと思っていた。

秘密を抱えた男だというのは外れていなくもなかったが、彼はその“秘密”を口にすることさえ怖いのだ。自分が消えてなくなりそうだと、心と身体を重ねるようになった由実に言う。それが特に、彼女の中に射精することがどうしても出来ない、という生々しい場面において繰り返されるのだからなかなかである。
もしかしたらそれで生命を宿してしまうかもしれない。でも自分自身は、その生命の成り立ちがどうなっていたのか判らない存在なのだ。それを吐き出したとたんに消えてしまうんじゃないか、なんつーか、凄い発想だが、私には記憶をなくしたことなどないから判らない。

そう、杉谷は記憶をなくしているのだった。それはなかなか明かされない。そもそも、冒頭のシーン以降、彼が登場するのには少々時間をかけることになる。
もう一人の主人公、由実の事情が明かされる。ところでこの舞台がどこなのかは、ちゃんとは示されない。福島のどこか、といった感じだが、ちょっと解説を覗くといわき市なのだという。うーん、言っていたかな。聞き逃したかもしれない(爆)。

由実はどうやら震災、津波で何もかも失ったらしい。いや、兄がいる。東京に住む兄と連絡を取る場面がある。ということは、おそらくそれ以外の家族は……ということだろうと思う。
叔母の経営する工務店に、居候させてもらっているという形である。叔母夫婦の子供たちは独立して家を出ているので、そこに入らせてもらって、子供たちの残していったお古の部屋着を借りたりして、ただただ、こもりきりの生活。忙しい叔母の代わりに家事を担い、外に出る、といったら買い物か、洗濯物を干す庭ぐらい。

でも由実はその買い物先で、電柱に貼られたパート募集を見つけたのであった。決してお金が欲しかった訳じゃない。それは叔母からおこずかいを渡された時、固辞したことで明らかである。
もちろん時間はある。家事をやってはいるけれど、それは決して強要されたものではないのだ。ランチタイムの数時間なら、と、でもなぜ思ったのか。その直前に兄との電話があって、自分の身のよるべなさを思って、ふとそんな気になったのか。

後に杉谷とそういう仲になる由実を演じる黒川芽以嬢は、良くも悪くも色のつかない女優さんという印象が昔からしている。
美人さんなんだけど、見るたび、えーと誰だっけと思うような中庸さは、堅実ではあるけれど、印象に残らないというか、由実という女性のアイデンティティをいまいち感じさせないものであった。

何度となく杉谷とセックスするシーンがあるのに、チューは舌入れてないし、暗い中うすぼんやりで絶対おっぱい見せないし、しかも絶対マエバリしてるだろうに無粋なぼかしが二人の腰あたりにがっつり入ってて興ざめしてしまう。
井浦氏はしっかりお尻出してくれてんのに、なにこの覚悟のなさ。こーゆーのでめっちゃガッカリしちゃうんだよなあ。だって本作は、性愛こそが重要なファクターでしょ。そのことが命を産み、アイデンティティを産み、そのどちらもその手につかんでいない杉谷が苦悩する、という図式なのだもの。

そういやあ、杉谷にはファーストネームが与えられてなかったんだな、と思った。みんな杉谷さんと、名字だけで呼んだ。彼が切り盛りする小料理屋に由実が面接に行った時、履歴書は明日……と言いかけた彼女を制して、そんなものはいらない、と杉谷は言った。
後に、彼の事情が判ってしまえば納得なのだが、ファミリーネームだけで、それも彼が見つかった時、目にした杉戸谷から名付けられた仮の名前だけで、実にこの8年というもの過ごしてきたのかと思うと、それはキツイ……と思ってしまう。

こういうものなのだろうか。記憶をなくした身元の分からない人が、その状態で生活するには、仮の名字だけで??
杉谷には料理の腕があり、そのためこの小料理屋を切り盛りしている。保護された杉谷を何くれなく面倒を見てきた行政担当者(諏訪太朗)なのだが、店を持たせるにしても、調理師免許やら何やら必要なのだと思うがどうなのだろう。まあそういうのは誰かの名義を借りるというありがちな形かな。

でも最終的に、杉谷が自分がどこから来たのかをなんとなく予想できる、ふぐがさばける、その手が包丁さばきを覚えている、という展開になる。東京のホテルで聞こえてきた広島なまりにも聞き覚えがあったりして、広島から来たのかも、というぼんやりとした結論に至る。
結局記憶を取り戻すこともないし、この福島の土地で、重ねた7年、8年が生きた証になるんじゃないか、という行政担当者の言葉をよりどころにして、一方は記憶をなくし、一方は家族や故郷をなくした二人が立ち上がって生きていく。

由実は、いずれふぐも出そうよ、と杉谷に声をかける。免許を取って、と。またしても思っちゃう。名字だけしか与えられていない、つまり表面上は行政にも親切にされて、この地で命をつないでいる杉谷だけれど、下の名前さえ与えられてないのに、そんなこと可能なの、とか思っちゃう。
これから先の、新しい人生としてのなにがしかを、明確な形で与えてくれるならば、ふぐの記憶のくだりも良かったかなとも思うのだが。

由実側も割とぼんやりしている。杉谷は最初ミステリかと思っちゃったような劇的な設定、由実もまた震災の被災者なのだから劇的には違いないんだけれど、何にも語らないしさ。
いやそれは、当然よ。辛い思いをしたのだから。でも、辛い思いをしたってことが、そういう設定よね、と思うだけで、リアルに感じられないことが、決定的だと思った。

対する杉谷の方は、さっすがここは井浦氏の全身全霊の芝居で感じさせてくれるわけさ。苦悩しまくりだもん。なんたって射精できないんだもん(爆)。できなくて、うおううおうと吠えるように苦しむんだもん。
由実はさ、そんな彼に対して、理解ある女になろうと努めるばかりで、自身の苦しみに向き合わずに終わってしまうよね。

まあそれは脚本、展開、演出上の問題だとは思うんだけど、なんかこう……由実には、杉谷に匹敵するほどの、あるいは彼の苦しみを受け止め切れるほどの、切実さがどうにも感じられないのだ。
そしてそれが、あの震災、津波、それによって何もかも失い、立ち上がれない状態にいる一人の女、という役柄を与えられているのなら、もっと立ち向かってよ!!と思っちゃう。記憶喪失でミステリアスな井浦新氏の色気ダダもれに負けてんじゃねーよ!!と思っちゃう。

……まあ正直、あの重要な重要な震災に、記憶喪失の男というミステリをぶつけ、しかもそれに圧倒的存在感の井浦氏をキャスティングし、そりゃあ、こんなことは言いたかないが、黒川芽以嬢では受け止め切れなかった気がして仕方ない。おっぱい出す勇気もなく、これで体当たりに挑戦したとか言うんだったら本当にサイアクだよと思っちゃう。

山田真歩嬢が、ゲスト出演的に登場する。叔母の入院している病院に、なんてことなく座っている義足の女性。何も話しかけもしていないのに、由実が近づくと喋り出すんである。
ない筈の、義足の足に、鍼を打たれる話。なのにそれにある足が反応するんだと。ないものにもある感覚、命。彼女は私が心打たれまくった、同監督作品、「アレノ」のヒロインであり、彼女はすべてをさらけ出してくれたことを思い出す。

杉谷が、名も無いと思われている野の野草にも、もれなく名前があることを、その寡黙な会話の中でも由実に伝える場面が印象的である。小さな花瓶に、土手で積んできたささやかな野の花を活け、野の花図鑑でそっと勉強している。
名前、存在、自分が生きている証、その手触り。いつもいつも杉谷はそれを渇望していて、でもその“秘密”を、口に出したとたん、はじけて消えてしまいそうで、言えなかったのだ。

クライマックスは、自分の記憶をたどれるんじゃないかと、やみくもに向かった東京で、しかし何も得られず、二人は壁の薄い小さなホテルで、身体を重ねる。由実が、いじめて、好きなようにして、と迫るからかなり期待したが、結局は手首を縛るだけで全然いじめられてない、フツーのセックスだし(爆)。
本作においては、井浦氏ばかりが頑張った印象で、彼女の方は、うーん、これぐらいが頑張りの限界なのか。性愛が心のそれにも影響する、そういうタイプの映画は、ぜえったいに、躊躇しちゃダメだよ。正直彼女の顔の印象もぼんやりしていたし。

記憶喪失と聞いたとたんに、昔の少女漫画(手塚治虫氏の作品でもあったな)で定番の、記憶を取り戻すと、記憶を失っていた間の記憶を失ってしまう、という設定を思い出してドキドキしながら見ていたけれど、そもそもそれってホントなのかな。
本作は、積み重ねた杉谷としての今を、更に積み重ねる決意をして、ゆるゆると終わる。こういう、記憶を失ってどこかでサポートを受けながら暮らしている人って、それなりの数いるのだろうか。

冒頭の展開で、ミステリかと思ったことを思い返し、ひょっとしたら、本当に、彼らは、宇宙からか、パラレルワールドの隙間からか、ひょいと出てきたんじゃないかと思ったりする。私がもしそんな状態で放り出されたら、どうなっただろう。★★☆☆☆


虹をわたって
1972年 88分 日本 カラー
監督:前田陽一 脚本:田波靖男 馬嶋満
撮影:竹村博 音楽:森岡賢一郎
出演:天地真理 有島一郎 なべおさみ 谷村昌彦 岸部シロー 大前均 立原博 武知杜代子 三井弘次 山本幸栄 左時枝 沢田研二 財津一郎 北龍二 園田健二 大杉侃二郎 高畑喜之 小森英明 樫明男 水木涼子 林由里 川島照満 江藤孝 今井健太郎 日色ともゑ 大久保敏男 萩原健一

2021/10/13/水 録画(日本映画専門チャンネル)
沢田研二特集でここまでの2本は彼主演だったからそのつもりで臨んだら、いつまで経ってもジュリーが出てこない。天地真理主演だったと気づくのが遅い。
いや、気づいてなかった訳ではないが……だって最初っから彼女の歌がふんだんに使われ、劇中白雪姫と呼ばれる彼女はその通り可憐な可愛らしさで、ダルマ船でぐーたら仕事をしているオッサンたちみんなを魅了してしまうんだもの。

でもなんたってジュリーなんだから、もっと早く出てきて、全般に渡って活躍してくれるもんだと勝手に思っていたから、ああ待った待った。実に1時間も経ってからの登場よ!
登場してからはジュリーと真理ちゃんを軸に話が進むものの、しかし待ちくたびれたわ。だってまさかの、岸部シローの方が最初っから最後まで全編通して出てるんだからさぁ。

まあつまり彼も、ダルマ船のなかのグータラオッサンの一人だが、彼だけはやはり一人若い感じ。八卦と呼ばれて筮竹(っていうんだね)をじゃらじゃら言わせてアヤしげな占いでひっかきまわす。
その他、マフィアと呼ばれるのがなんでなのか判らん、やたら口の立つなべおさみのコントみたいな口上には大いに笑わせられるし、地元ヤクザとして出てくる財津一郎のうさん臭さも最高!なんか往年のコント番組を見ているみたい。

正直言って脚本はテキトーというか(爆)言ってることとやってることが違うとか、さっきああ言ったのにあっさり覆すとか、気づいてないのかしらんと思うぐらいあっけらかんとそーしたことが行われるのだが、まあ気にしない気にしない。
だってこれは天地真理のアイドル映画、いや、歌謡映画というべきなのかな。彼女の可愛らしさを全面に押し出すために、対象としてのこ汚い(爆)オッサン、しわくちゃの(爆)おばちゃんを、配置しているのだからさ。

いやー、ホンットに天地真理って可愛かったんだね(爆)。だって、おばちゃんになってからの彼女に当時の私はいきなり遭遇していたからさ……なるほど、この天地真理がおばちゃんになっちゃったら、その当時彼女に恋していた輩たちはそりゃまあガッカリするわなあ。

物語は、このダルマ船の重鎮が、いつか孫娘が迎えに来る、と唱えながら死んでしまったところから始まる。そのタイミングで天地真理扮する可憐な美少女、マリ(役名が同じってあたりが、実にアイドル映画っぽい)が迷い込んでくるんだから、ホントにこのじいさんの孫娘なんじゃないかと錯覚しかけるが、じいさんのそれは哀しき妄想だったのだろう。
この船で働くメンメンは、このじいさんよりは若いから、抱く妄想はもちょっと現実的で、とにかく家、家が欲しい、というのが本作のいわばキーワードになっている。そんなところに迷い込むマリはばあやまでいるお屋敷のお嬢様であり、マリの父親が後妻に迎える恵子は偶然にも(偶然過ぎるが……)彼らと顔見知りの水上生活者で、つまり彼女は玉の輿をつかんだって訳なんである。

マリだけが現実を知らないお嬢様。ファザコンの彼女は、父親の再婚を表面上は祝福したものの、いざ引き合わされた相手が自分とさして年の変わらないような女性だったこと、そして自分以外の女性が父親をパパと呼ぶこと、それ以外、それ以上、もろもろあったのだろう、飛び出して、行きついた先がダルマ船だったんである。

今の時代の感覚では想像しにくいが、本作の製作当時(私の生まれた年だよ……)はこうしたわっかりやすい格差があったということなのだろうか。今だって格差はあるけれども、隠されているというか、見えにくいというか……こうした、あっけらかんとした格差があった時代の方が、幸福だった気がする。
マリの新しい母親として乗り込んできた恵子は、それこそ最初こそはマリの父親をホステスの客としてのスケベジジイだぐらいに思っていたのが、本当に愛してしまったのだ、というのを、登場シーンのはすっぱさからは予想できない、どんどん印象を変えていく素晴らしさで見せる。なんつーか、日色 ともゑ、役者!!って感じである。

金、家、とにかくビンボーなこのオッサンたちは、人の金を軍資金にバクチをうってはスり、何度も騒動を起こすんである。
お嬢様のマリは無邪気に競艇に同行してあっさり高額を当てて、彼らをビックリさせちゃう。でもそれは彼女を売り飛ばそうとしていたヤクザに巻き上げられちゃうんだけどね。マリは、お金のありがたみも、親のありがたみも、つまりは判ってないのだ。

印象的なシークエンスがある。オッサンたちの中の一人が、ビンボ―故に兄夫婦に預けっぱなしの娘がいて、修学旅行で上京してくる、というんである。見栄を張ってウソをついている彼は、娘に合わす顔がない。それに対してマリは、中学生ならもう子供じゃない、ありのままを見せるべき、と説き、彼もまた覚悟を決める。
あらいい話、と思っていたら、言ってることとやることがちがーう!!マリは、私に任せて!!とか言って、オッサンたちと共に用意したのが、モデルハウスを勝手に拝借して立派な暮らしをしていると偽装して娘ちゃんを迎えるという……おーい!!しかも娘ちゃんはそれを見抜いてて、皆さんの優しさが嬉しかったから……と言わせる始末。なんだなんだ、真理ちゃん何をしたかったんだもう。

こーゆー、言ってることとやってることが違うっていうのは、折々見受けられるんである。
かんっぜんにゲスト出演、スケジュールの合間を縫ってねじ込んだぐらいな雰囲気満点のショーケンは、マリちゃんの幼なじみという設定。家出した彼女と偶然再会(だから、こんな偶然はないって……)、不良の自分が連れだしたんじゃないかと疑われてメーワクしているからと、ムリヤリ連れ戻そうとするも、カットが替わると、俺もマリの冒険に協力するよ、とあっさり解放。なんだそりゃー。

まあとにかくとにかく、ジュリーである。待ちに待ったジュリーである。八卦の見立てでは、海の向こうのお金持ちのオバサンの遺産を受け取るために太平洋横断、その途中で出会ったマリちゃんとは運命の出会い、マリちゃんを世話した自分たちに家をプレゼントしてくれるというなんじゃそりゃな筋書きをとうとうと述べ、オッサンたちがそれに乗っちゃうってのは、どど、どーゆーこと(爆)。
まあ、なんつーか……白雪姫と七人の小人をモチーフにして、ここまで何度となく語られ、その最たるシーンはモデルハウスで娘ちゃんに見せた寸劇であって。オッサンたちがそれぞれ夢見るマイホームを、マンガみたいに、かたわらにぼんやり映し出し、彼らの夢見るきったないオッサン顔(爆)が添えられるという展開。

笑っちゃう、んだけど、なんか後々考えるにつけ、これは笑えないのかも……と思ってくる。彼らが夢見るマイホームは決して叶えられることはない。その理由の第一は、なんたって彼らがナマケモノだから(爆)。そして第二は、彼らがその貧乏から抜け出せないから。
そしてその理由は彼ら自身の原因もあるけれど、それ以上に、当時の格差社会にあるから、なんである。

彼らに対峙する形として、ハッキリ成り上がり根性で玉の輿をつかみとった、マリちゃんの継母、恵子がいる。結果的にはパパを本当に愛しちゃったから、ということになれど、彼女は計画性も積極性もないこのオッサンたちと違って、計画性と積極性で、未来と幸福と経済をつかみ取っているんである。
その両極を見せられてるマリちゃんが、そのことにちゃんと気づいているかはかなりアヤしい。だって、本作の作り事態がテキトーなんだもの(爆)。

だって、というか、てゆーか、というか、待ち続けたジュリーとのシークエンスだもの。本当に、突然現れた。カジュアルなヨットに乗って現れたのに、アメリカに渡るんだとか言い放って、ホラに決まってるのに、なんだか彼らは信じてしまった。
八卦のテキトーな占いが、二人をぜひとも結び付けなければ、という動きになる。その間、マリは恵子に発見されちゃう。恵子がこの界隈の出身であったことを知れば、彼らに親しんできたマリは反発していた彼女を理解するかと思いきや……。

このあたりを脚本のテキトーさと言うべきか、結局は白雪姫的にチヤホヤされていただけで、彼ら貧しき人々のことを判ってなかったというべきか。うーん、どちらも、だろうな。どちらかとゆーと、前者の方が強いかもしれない(爆)。
本作にずっと感じ続けてきたモヤモヤを解消できたのは、最後の最後、恵子がマリをおぶって、汗だくになりながら連れ戻す、台詞も行為も泥臭いからこそ、ジーンとくる、あのシークエンスによって、なんだもの。

本作の中で唯一と言っていい、ナマな身体、台詞、ナマな芝居を感じられた場面。娘とさして変わらぬ年で後妻に入った恵子を演じる日色ともゑ氏が、その軽さ、その中に持ってた重さ、お嬢様である娘ちゃんへの愛情と、姉妹のような親密さ。なんつーかあらゆる愛しさを感じて、凄く好きである。
パパはさ、娘も新しい嫁も愛してるし、いい人なんだけど、彼はエリートのままで、娘はちゃんと現実社会を見てきた。ラスト、オッサン小人たちがマリちゃんを訪ねてきた時、パパは慇懃に、冷たくはねつけた。それを知らずにマリちゃんと恵子は、彼らを招待して楽しくやろうよ、なんて計画している。男と女。経済格差、血のつながり、性差、年の差、いろんなことを思ったり。

しかして、やっぱり、ジュリーだよな。一時間も待ってようやく登場つかまつる、結局は御曹司でもなんでもなかったただの大学生の昭夫。マリちゃんの恵子へのあてつけ(それはつまり、パパへの、ということだろう)で、彼のヨットに飛び乗って、アメリカならぬ、彼のバイトのヨットの輸送先に向かう途中、台風に遭ってしまう。
エンジントラブルで停泊したところで、思いがけずカワイイ女の子に出会った昭夫がかるーく彼女をナンパしちゃうのは仕方ないにしても、結局は連れ出しちゃって(最終的にはマリちゃんが恵子から逃げ出す形であったとしてもさ)その先が頼りなさすぎる。

直撃した台風に、彼らが乗ってるヨットはまさに木の葉のように、どうしようもない状態である。俺がついてるから大丈夫、と言った舌の根も乾かぬうちに、次のカットではや、もうダメだと弱音を吐き、マリちゃんから、情けない王子様ね!!とケツをたたかれるのであるが……。
この転換の早さはいくら何でも、と思っちゃう。俺がついてるから大丈夫、そのすぐあと、一分も経たないあとで、もう駄目だ、はないでしょ!!こーゆー、なんじゃそりゃ!!がほんっと、多いんだもんなあ。★★★☆☆


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