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「く」


2022年鑑賞作品

偶然と想像
2021年 121分 日本 カラー
監督:濱口竜介 脚本:濱口竜介
撮影: 飯岡幸子 音楽:
出演: 古川琴音 中島歩 玄理 渋川清彦 森郁月 甲斐翔真 占部房子 河井青葉


2022/1/17/月 劇場(Bunkamura ル・シネマ)
偶然と想像からなる三つの物語。確かに短編集だけど、ひとつひとつのクオリティが高すぎて、まんま三本の映画を鑑賞したみたい。シューマンの旋律が味わい深い。

第一話「魔法(よりもっと不確か)」 
このカッコつきのサブタイトル(?って実際にクレジットされていただろうか?なかったような気がするんだけれど……。魔法、というのは二人の女の子のそれぞれから発せられるが、それぞれに意味が違う。
てゆーか、最初にそれを発した女の子、つぐみは運命の相手に出会ってしまったその時間をそう表現した。いや、そう表現したのは、その運命の相手の方だったかしらん。
二人目の女の子、芽衣子はつぐみの親友。そして二人は芽衣子がモデル、つぐみがヘアメイクという仕事仲間であり親友。そしてそしてなんと、つぐみが出会ってしまった運命の相手っつーのは、ありえない偶然、芽衣子の元カレだったんである。

この短編集すべてに共通する、明らかに演出として指示された、どこか朗読のように、舞台劇のように、あいまいにせず、はっきりと、喜怒哀楽の感情があったとしてもどこか平坦に台詞を言い合うのが凄く印象的で、まさか三話とも全部とは思わなかったから、この第一話目だけの表現なのかと思った。
でもそれにハッキリと気づいたのは、二つ目のシークエンスに入ってから。一つ目のシークエンスはつぐみが頬を上気させてその出会いを語るタクシーの中。これはなかなかに台詞覚えが大変そうだなと思う一人喋りだが、二つ目のシークエンスの、元カップルの殺し合いのような会話の応酬の方がよっぽどよっぽどこれは大変だなと。

一つ目のシークエンスではね、そう、その印象的な喋り方には気づかなかったのだ。ガールズトークに興じている親友同士、にしか見えなかったし、微笑ましく聞いている芽衣子、にしか見えなかった。
でもつぐみが先にタクシーから降りて、急に真顔になった芽衣子がタクシーを向かわせた先が元カレのところ、まさか、と思ったのがそのとおりの状況に至る二つ目のシークエンスから、聞いてるだけでムカムカしてくるような、戦争のような会話の応酬が始まる。

芽衣子はね、めっちゃイヤな女な訳よ。元カレと別れたのは彼女の浮気が原因。その元カレ君はつぐみと出会うまでの2年間、芽衣子のことを引きずりまくっていた。
正直言ってつぐみの方が判りやすく美人で、芽衣子は、こんなこと言っちゃ、演じる古川琴音嬢に失礼なのだが、ファニーフェイスといった感じだから、モデルとヘアメイクというのも逆じゃないの?と思うぐらいで。

でもそれが、効いてくるんだよなあ。一つ目のシークエンスでは気のいい親友の女の子でしかなかった芽衣子が、2年も前に自身の浮気で別れて、正直今まで思い出しもしなかった元カレが親友と付き合いだしそうになっていると知って、鬼の形相で乗り込んでいく、そりゃまあ観客には反感しか感じさせない訳で。

三話とも監督さん自身の脚本の、その緻密さや意外な展開にほんっとに驚かされて、やっぱり才能ある監督っつーのはまず先に才能ある脚本家であるべきなのだよな、と改めて思ったり。
芽衣子の言うことはメチャクチャなんだよ。自分の浮気で別れることになったってのに、突然押しかけていく元カレに対して常に高飛車、あなたを傷つけて、私が傷ついてなかったと思った?とか、いやその、なんか彼女が理不尽な弁舌立ちまくりで、いろんな言いつくろいを自信たっぷりにするもんだから、もうついていけないぐらいなのだけれどさ。

元カレ君は当然、怒りまくる訳よ。帰れと言うのよ。彼は、こんな言い方はしたくないけど、芽衣子のような女を相手にしなくてもいい、成功者なのだ。青山に自宅兼事務所を構えているインテリアデザイナーで、最近は投資もしている、とつぐみから聞いた時、チャラいね、と芽衣子はつぐみに合わせて笑い飛ばしたものだった。
彼と付き合っていた頃の芽衣子もまた、きっとそんな視点だったんじゃないか。青二才のくせに、私をセックスで満足させられないくせに、私を好きで好きでたまらないからヒヨって、私と真正面から向き合おうとしない。私の話ばかり聞いて、物わかりのいい男に成り下がって、みたいな……。

なんか書いてるうちに、実際に芽衣子が彼に連射し続けている自分勝手な物言いよりヒドいこと言ってるような気がしてきた……。
偶然と想像。そう、この偶然がなければ、芽衣子は元カレ君のことを思い出しもしなかったのだ。2年間、今まで自分のことを忘れられずにいる、なのに今、親友に心を移そうとしている。この2点が彼女の感情を爆発させたのか。嫉妬ですらないのか。判らない。プライドが傷つけられたのか。

偶然と想像、なのだ。偶然の先には想像が待っている。妄想、と言った方が正しいような気がする。私と再会して、つぐみと私どちらを選ぶのかと、芽衣子は迫った。だからと言って保障なんてできない。
この時、当然こんな芽衣子に対して激怒していた元カレ君に対して、帰れと言われても居座り続けて、観客のはらわたを煮えくり返らせ続けた芽衣子だけれど、でも元カレ君は、揺れてしまうのだ。彼女をハグし、態度を軟化させてしまうのだ。

想像、は、三つ目のシークエンスにやってくる。その前、二つ目のシークエンスの時に、一度退席していた従業員が忘れ物を取りにやってこなければ、事態は変わっていたかもしれない。
てゆーか、この女性従業員、意図的に戻ってきた感じがアリアリである。若い女性。社長である彼から、つぐみとの出会いの話を聞いていたことがこの時明らかになる。「あの人が運命の彼女なんですか」「いや、違う」「なのに、追いかけるんですか。ダメに決まってるじゃないですか」

この時、彼女の忠告を振り切って彼が芽衣子を追いかけていたならば、そういうことだと、思った。でも彼はその台詞一発で踏みとどまった。そしてつぐみが彼と次のデートにこぎつけた時、芽衣子はそこに遭遇してしまう。
“想像”の中で、芽衣子は私とつぐみ、どっちを選ぶの、と自信たっぷりに問い詰める。これが、“想像”であったことがちょっと意外で……芽衣子なら、それぐらいのこと、するだろうなと思ったから……。
その想像の場面で、彼女は負ける。彼はたまらず店を出ていったつぐみを追いかけ、芽衣子は敗北感で顔を覆う。でもそれは、現実じゃないのだ。そこまで芽衣子は想像して、いわばヒヨって、彼を明け渡した。

本当に二つ目のシークエンスがスリリングで、芽衣子がイヤな女で、でもノー天気な美女のつぐみにもイラッと来てしまう自分がイヤだったりして。
人間が武器にしている言葉というものの、重さと軽さを、三話すべてに感じるんだけれども、本作が特に、芽衣子のそれが、巧みなだけに哀しさを伴って、それは人間の哀しさのような気がして。

第二話(扉は開けたままで)
私の中ではいつまでもやんちゃな自由人であるキャラクターが似合ってる渋川清彦氏が、ストイックというより純情と言いたいほどの初老の大学教授というのが意外すぎて。本作に足を運んだのも彼の名前をキャストに見つけたのが大きかったのだけれど、こんな役柄の彼は見たことがなくて。
でも年齢的にもキャリア的にも、まったく不思議はない役なのだ。そして自然に白髪交じりで、くすんだ肌のしょぼくれた瀬川教授が似合っているのだ。誰からも誤解を招かないように、というのか、ちょっと不思議なぐらいの警戒心でいつも教授室のドアを開け放している彼が、まさかそんなトラップに引っ掛かるとは。

教授だけれど一方では作家の顔を持つ。でももう20年も書けていなかったのが、50になんなんとして突然大傑作を著し、かの芥川賞を受賞、そのニュースを教え子の奈緒は嬉し気に眺めている。結婚して幼い娘を育てながら一念発起して大学に入った彼女、しかしその時隣にはセフレの佐々木君がいる。

物語の冒頭でこの佐々木君は瀬川先生の前で土下座、それを向かいの教室でゼミをしていた生徒たちがなんだなんだとヤジウマ見学している。
この時にはよく判らなかったが、内定が決まっていたのに単位が取れず、留年になってしまうのを何とかしてほしいと土下座していたんである。土下座しているのに彼の態度は横柄っつーかナマイキっつーか、こんだけ頭下げてんだろ、という態度がアリアリで、最初から瀬川先生は彼をはねつけているけれど、こんな社会を舐めくさったガキャは留年させて当然なんである。

しかしメインはそこではない。佐々木君はセフレの奈緒に、あのクソ教授を思い知らせてやりたい、とハニートラップを依頼するんである。奈緒は、瀬川教授のことを尊敬しているから躊躇するけれど、佐々木君のエロ攻撃に陥落してしまう。
彼女はのちに瀬川教授に対して、私は性欲が人より強いか、自制心が人より弱いか……と誘惑の言葉として意味ありげに使うのだけれど、結果的に瀬川教授と心が通じてしまったことを考えると、奈緒は大好きな相手に自分の一番恥ずかしい部分をさらけ出して、決死の愛の告白をしたにすぎないじゃん、と思っちゃうのだ。

結婚して幼い子供もいる奈緒がどれほどの知識欲か、何かを成し遂げようとして決死の覚悟で大学に進学しても、結局は家庭の主婦に戻っていくしかない。年齢が違うこともそうだけれど、どこか人と壁を作ってしまうらしい彼女は、ゼミ仲間からも避けられている、と佐々木君は楽しそうに言う。グループLINEからもハブられてるんだって?と。
奈緒は一応落ち込んだようなそぶりは見せているけれどどうだろうか。今も昔も日本の大学、キャンパスライフというのは、奈緒のような向学心をもって入ってくる学生は少ない印象がある。大学で学ぶ喜びよりも、人間関係の方が大事だ、なんて。

そんなつまんない空気の読み方は、高校生までで終わりに出来るんじゃないのと思っていたが、それどころか社会に出てさえ付きまとう。
奈緒はそういう意味では微妙な立場にいる。同級生たちと比べて、結婚し子供もいるという経験が一段も二段も大人である一方、どうやら社会人の経験はないらしいことが、奇妙な夢見がちの乙女を思わせ、しかし若い男の子とのセックスの欲望には抗えないんである。
演じる森郁月嬢がそのあたりの清楚な色気を存分に発揮していて、よくぞ渋川清彦、いや、瀬川教授がトラップに引っ掛からなかったなと思っちゃうぐらいである。

本作に印象的な、平坦なトーンで言葉の意味や重みを洗い出すという手法は、この第二話においては、瀬川教授の芥川賞受賞作を奈緒が朗読する、というシーンにおいて最大限に発揮される。
この小説の中盤に、ここだけという感じで描かれる官能的な部分を、奈緒は著者である瀬川教授の前で朗読する。セクシーな読み方ではなく、本作のトーンに従って、あくまでフラットに、読んでいく。それが逆に、ひどく官能的である。

奈緒はハニートラップを仕掛けようと思っていたからドアを閉めようとするのだが、先述のように教授は開けさせたままにしておく。
無造作に廊下を行き来する学生たちのざわめき、彼らはこちらに関心を向けることなどそりゃあないのだけれど、こんなちょっとエロいことをしているのを知られやしないかという緊張感が、開け離れたドアに反響するようで、閉じられた空間とは真逆の、嗜虐的エロが充満する。

それが、後に教授によって、興奮しましたという言葉を引き出すのだけれど、結局は奈緒の敗北である。警戒心の強い教授は、いやそもそも自分が誘惑されるという発想すらないのだから、不用意な台詞も態度も示すことなく、奈緒が諦めてすべてを打ち明けると、すべてを録音していたということのほうに彼は衝撃を受ける。
彼女の朗読に興奮していたから、この音声データをもらえるかもという興奮だったという思いもよらぬリアクションに、劇場の観客が噴き出す、という、それまでのエロい、なのにフラットな口調の応酬の奇妙な緊迫感が突然破かれるっていう、そういうのが本作には折々用意されていて、油断ならんのである。

でもさ、第一話で覚悟させられたというかさ、このままちょっとエッチで微笑ましいままには、そりゃならんわなぁと思ったよ。コミカルだけど、残酷。用意周到。
奈緒はハニートラップの件を正直に告白し、先生に音声データを送ることを約束した。なんなら後々、小説すべてを朗読したものを送りますとさえ。ただ一つ、と約束させた。私の朗読を聞いてオナニーしてくださいと。私もそれを想像してオナニーしますからと。

確かにこの会話の応酬はそれだけ聞けば安手のAVにありそうなものかもしれない。でもこれまでの経過、少年のように純粋で警戒心が強く、これまで人と、女性と、深くかかわって来なかったセンセーが、もうこの後は会うこともない教え子との淡い色っぽいキャッチボール。とてもとても素敵なのに、ほんの手違い、文面一発、何より音声データ、二人の奇跡の関係は見事に崩れ去ってしまう。

奈緒が、教えられたアドレス、segawaをsagawaと間違って送信してしまったことが最大の失態ではあったけど、その前に、奈緒は自分の素直な気持ちを、これから心を入れなおして生きていける、みたいなマジメなコメントをつけていたのに、照れくさくなったのか、そんな重いコメントでは引かれると思ったのか、つまり今後もつながっていきたいがためにワザとカルい、ハートマークまでつけた文章にしてしまった。
もちろんこれがまっすぐに教授に届けば何の問題もなかった。でも音声データと共に、約束守ってくださいネでハートマークつけたらそらまずい。

展開は数年後に飛び、あの時のみずみずしく美しい人妻だった奈緒は、すっかりくすんでやさぐれて、バスの中でかつてのセフレの佐々木君と思いがけず遭遇する。彼の述懐を聞かずとも、その後何があったかなんて想像しまくれる。
瀬川先生は大学を追われ、作家としても全く表に出てこない。奈緒は離婚に追い込まれ、今はどうしているのか。娘は夫にとられてしまったのか、そんな雰囲気に見える。

あの時、どうやらアナウンサーの内定をとっていたのが白紙になったことで瀬川教授を逆恨みしていた佐々木君は編集者となり、パリッとしたなりで意気揚々と奈緒に名刺を差し出す。
佐々木君、小説なんか読まないじゃん、と奈緒は言い、佐々木君も悪びれず、否定しない。そういうのも新しいと思うんだよね、と。

奈緒はきっと、本当に文学が好きで、だから瀬川教授のことを本当に尊敬してて、それ以上に好きだったに違いないのだ。あの官能部分の朗読シーン、セフレ君からそそのかされたってのは、言い訳だったんじゃないの。
それまではあくまで優秀な学生として教授と接していた。そういう自分でありたかった。でも一方で……それには、セフレ君の提案は、教授とそういう関係に持ち込める格好の言い訳に過ぎなかったんじゃないの。

セフレ君とは決して、キスをしなかった。それ以外のあれこれはしまくったに違いないのに、唇だけはシャットアウトした。なぁんか、ね。プリティウーマンじゃないのと思うのは、古すぎるだろうか。
キスは感情を引き出してしまう。恋してしまう。娼婦がプロに徹するためにはキスをしないのは鉄則だと。奈緒が佐々木君とセフレ関係にあった時決してキスしなかったのは、まさにプロに徹していたからだろうが、当然瀬川教授とだってさ……。

なのになのに、数年後、バスの中で佐々木君と再会した奈緒は、瀬川教授への侮蔑を口にする佐々木君に、とにかく関わりたくない、侮蔑の感情をあらわにしていたのに、戯れのように態度を豹変、名刺を交換し、胸倉つかんでキスをする。
彼が、結婚が決まってると聞いて、突然態度を変えた。当時は決して許さないキスを、押し付けのようにムリヤリかわして。

人生の中で、フィルムに焼き付けられたように、奇跡のような時間が時にあると思う。それが、奈緒と瀬川教授にとってのあの時間だったのだけれど、それがつまらない間違いによって壊れてしまう。
でもそもそも、つまらない提案に乗っかったことが間違いだったのか、素直な欲望で相手に立ち向かわなかったことが、罰を与えられたのか。

第三話「もう一度」
三つの作品の中で、私はこれが一番好きだった。すっかり大人になって、中年になって、会わないまま20年、というのが高校生の頃には考えられなかったのに、ホント今そういうことがあるあるだということが身に染みているからかもしれない。
再会してしまえばあっという間にあの時に戻る、そして、20年経ってしまっていたとしても、再会すれば絶対にお互いが判ると、思っていた。
今も割とそう思っている。実際、20年以上ぶりに再会した小学校の時の友達も、会ったとたんに面影が残ってて嬉しくなった経験もあったけれど、それは確実にその彼女だと判っていたからそう感じたのかもしれないと、この第三話に接するとなんだかちょっと怖くなる。

でも、勘違いでも、全然違う他人でも、むしろその方がどんどん近い感情になるのはなぜなのか。三つの物語を通して、アイディアの思いがけなさと、それを巧みな会話劇に落とし込む剛腕とさえ言いたい脚本力に驚嘆し続けるのだが、第三話はもうそれが……。
結局他人だった、他人の空似だった。お互い忘れられない高校時代の恋人、友達、だと思い込んでいた。他人の空似だったことが会話の噛みあわなさが徐々に露呈されて判ったのに、それまでそう思い込んで会話を続けてきた彼女たちが、その?み合わなさを補正するようにお互いの他人を演じ、いや、自分の中にいるかもしれないその他人を呼び出し、まるで現代的なイタコみたいな?なんだろう、本当に上手く言えないんだけれど。

てゆーか、その前段の設定がふるっている。ちょっとしたSFである。ネット社会が崩壊した。悪質なウィルスが全世界に猛威をふるい、あらゆるデータが流出しまくり、今はすっかり通信が途絶えた状態である、ということは冒頭にしずしずとクレジットで説明されるのだけれど、そして劇中でも彼女たちの会話では語られるのだけれど、特段支障を感じている風はない。

昭和生まれの年代は、特に私の世代なんて完全に大人になってからインターネットというものが登場した。最初のうちはキワモノ扱いというか、オタクのためのツールのように思われていた、と言ったら今の20代あたりは想像できるだろうか。インターネット、SNSがない青春時代を、想像できるのだろうか。
それこそまるで、朝ドラの昭和ストーリーのように感じるのだろうか。そりゃそうだ、私たちは昭和の時代に青春を送っていたのだもの。

だから、最初にかまされるこの設定が、特段意味を持たないんじゃん、と思いながら観ているんだけれど、じわじわとボディーブローのように効いてくる。
ネットがあれば。SNSがあれば。本名、旧姓、出身校、極めて簡単に誰かを特定できる。同窓会の案内を昔ながらのハガキなんかでやりとりはしないだろう。
おたがいを高校時代の友達だと思い込んでいた二人、私のところには案内が来なかった、結婚して名前も住所も変わったから、という理由は、まさにネット、SNSがない時代にはある時は言い訳にさえ使えたのだ。物理的に行方不明になれる自由がある。通信によってぶしつけに追跡されない。

でもその、ネットがあれば、SNSがあれば、誰とでもいつでもどこでもつながれる、という安心感が、青春時代にはそれがなかったにもかかわらず、時代のツールの進化によって記憶をつむぐことがおろそかになり、年齢的な知識の蓄えの衰えもあり。
更に言うとこの同窓会でぜひとも会いたい人がいる、と思って故郷の仙台に出張ってきた夏子にとって、ぼんやりとでも描いていたシチュエイションが、すれ違うエスカレーターという劇的なシチュエイションによって、多少の不足を飛び越えたのだろうというのは想像するに難くないのだ。

夏子を演じるのが占部房子氏だというのも絶妙である。恐らく舞台中心のお人で映画では時々しか出会わないんだけれど、初見が「バッシング」で強烈過ぎたもんだから、それ以来彼女の存在は頭から離れないんである。
個性的な顔立ち、高校時代にはボーイッシュだったんだろうというのがめちゃめちゃ想像できるショートカットが似合う、痩身のストイックさがまたイイ感じ。

夏子が会いたいと思っていたのは、高校時代の恋人であった。あやが言うところの、夏子は“生粋のレズビアン”なかなかな言い様で夏子も思わずひるむが、確かにちょっと侮蔑的な響きを感じるものの、言い得て妙というか。
女の子の10代近辺って、てゆーか、私ら昭和世代のその頃って、異性に対する嫌悪感とあいまった、女の子同士の疑似恋愛的な、ボーイッシュな女の子に男の子以上の、というか、後から考えれば男の子という未知の怖さがない安心なトキメキっていう、実に得手勝手な疑似恋愛感情を抱く、何つーか、もはやこれはカルチャーというか、そういうものが確実にあった。
夏子の高校時代を想像してみれば、いかにもそんな女の子であったんだろうと思わせた。しかして彼女は“生粋のレズビアン”だったのだ。そして相手の恋人は、そうではなかった。その時期の、疑似的恋愛感情を抱いたに過ぎない、ヘテロの女の子だったのだ。

あやに対して夏子はそのかつての恋人であると勘違いして、あやもまた、なんか見たことあるかもしれない、高校時代の、音楽室でピアノを弾き合ったあのカッコイイ女の子かも知れない、と思って、お互いそのていで、うわー久しぶり!!ということになる。
あやを演じるのはこれまた私の琴線にふれまくる河井青葉氏である。躊躇なくばんばん巨乳をあらわにエロシーンも辞さなかった彼女が、今しっとりとした大人の女性となって、個性的な占部房子氏と素晴らしき化学変化を見せる芝居に心震わせてくれるんである。

かつての恋人を忘れられず、そして今も彼女以上の存在を得られないまま生きてきた夏子は、何よりその恋人に聞きたいことがあったのだ。今幸せなのか、と。
その恋人と勘違いして相対したあやは、これまた絶妙に、幸せそうではなかった。難しい年ごろの子供、夫とは不仲ではないけれど、まあなんか、それなりな関係というか。

夏子に言われなければ、特段気にもしなかった自分の人生の、幸せか否か、ということにあやは直面するんだけれど、確かにもやもやとしてはいたと思うけれど、改めて考えれば、やっぱり特段悪くない、むしろそのことを見つめなおしたことで、これから先の彼女の人生がきっと違っていくのであろうと思わせてくれるのが、イイんである。
まるで芝居、まさしく芝居、お互いの見知らぬ友人を想像で、エチュードで会話する。こんなん、役者じゃなければできない、リアルでこんなん、とちらりと頭をかすめるが、勘違いした見知らぬ二人が、不思議なえにしでどんどん、それこそまるで恋人のように近づいていくスリリングに胸が高まる。

あやなんて、音楽室の友達を、名前さえ覚えていなかったのだ。それを、思い出すラスト、最初に出会った(そう、再会ではなかったのだ!!)、すれ違いエスカレーターを再び駆け上がって、宝石のような時間を過ごした、あの友達の名前を夏子に伝える。思い出した、思い出した!!と。抱き合って、良かった良かった、と。

ネットなんかなくったって、SNSなんかなくったって、思い出は永遠だと思っていたのに、記憶が失われるなんて思いもしなかったのに。偶然と想像、なんとまあ、無限にイメージを沸かせるタイトルであり、多彩な三つの物語であろう。憎たらしいほどの巧みな脚本力。もう参るわね。★★★★☆


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