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「な」


2022年鑑賞作品

中村屋酒店の兄弟
2018年 45分 日本 カラー
監督:白磯大知 脚本:白磯大知
撮影:光岡兵庫 音楽:総理
出演:藤原季節 長尾卓磨 藤城長子 橘美緒 千葉龍都 新井秀吾 高橋良浩 中村元江 磯崎信浩 磯崎教子


2022/3/27/日 劇場(池袋シネマ・ロサ)
45分という、中編とでもいう尺の作品が、こうしてまったき一本の映画として正式公開でスクリーンにかかるというのがなんだか嬉しい。
登場人物はほぼ、兄弟二人(プラス母親と言うべきか)、舞台となる小さな酒店とその奥の自宅スペースでほとんどの展開がなされるという、ちょっと間違えれば低予算のためとしか見えなくなるのが、決してそうじゃない。
言葉では説明できない、合わせた両掌から零れ落ちそうになる何かたまらなくいとおしくて大切なものが、確かにそこにあると感じさせるのは一体なんだろう。

オフィシャルサイトを眺めていて、そのヒントがあったように思った。実際の酒店だというのは見てすぐに判ることだけれど、2年前に60年の歴史に幕を下ろしたという。
かつてはどこの町にも必ずあって、その地域の生活を支えていた個人酒店が、大手酒販店や通販に押されてどれだけの数、こんな風にひっそりと姿を消していっただろう。
子供の頃を思い出す。父親が飲むビールや日本酒は、近所の酒屋からケースで配達してもらっていた。当然、空き瓶は返却。転勤のたびに母親がまず探すのが、近所の配達してくれる酒屋だったことを思い出すのだ。

そう思えば、閉店してしまったことは哀しいけれど、この酒屋はなんと幸福なことだろう。映画として、私たち映画ファンの中で永遠に生き続ける形を残したのだから。
そしてその酒屋に二人残された兄弟の物語は……二人残された、という言い方はヘンかもしれないが、兄も、弟も、それぞれに取り残されて、今ここで、お互い顔を見合わせている。お互い、自分の事情や気持ちを明かせずに、相手のそれも見抜けずに、仲の良い兄弟として育ってきた気持ちだけを頼りに、今ここにいる。

本編の前にラジオドラマがついている。本作がTBSラジオ賞をとっているというのは、この映画作品がということだろうから、この賞をとったことを受けての製作だったんだろうか??
ただ……このラジオドラマの内容が、私の聴き方が間違っているかもしれないんだけれど、一人、女性がいるのが、お姉ちゃんのように聴こえたのだけれど、違ったのだろうか?

お母さんじゃなかったと思う。お母さんはまた別に登場していたように思う。違っただろうか……違ってたらごめんなさい(爆)。兄弟の恋人とか嫁さんとかいう感じでもなかったと思う。
だって二人とも本編で独身だし、弟が東京に出ようと思うという時間軸だし、そして何より、お父さんの声がする。寡黙なお父さんは、本編映画では一ミリも出てこない。亡くなったのだろうけれど、弟がお父さんの大事にしていた釣竿をダメにしてしまった思い出が語られるだけで、写真一枚も出てこないのだ。

でもそこを気にしちゃうのは違うかも知れない。あれはあくまでオマケであったのだろうから。
今、兄弟は再会したところである。いや、冒頭は弟がせわしない東京の電車に、意味ありげに駆け込んだところである。
そして次のカットでは二両きりの、地方ではよく見る、都会の地下鉄あたりからの払い下げの電車がのんびりと走っている。周囲は軒並みシャッターが下りている静かな商店街の小さな酒店に、弟が帰ってきた。

お母さんは認知症になっている。切ないことに、お兄ちゃんのことを親切に世話しに来てくれている他人だと思っている。口うるさい母親だったことしか知らない弟はショックを受ける。
さっき気にしないべきとか言ったばかりなのに、ダンナが死んじゃったから急速にきちゃったのかなあ、などと想像してしまう。このお母さんがそれ以前にどんな家庭生活を送っていたかは示されないけれど、今お兄ちゃんが継いでいる酒屋、それこそ前段のラジオドラマでは(だから、気にしてるってばよ)継ぐ継がないどころか、兄弟ともまだそれ以前、学生さんだったんじゃないかなあと思われる節がある。夫婦で酒店を切り盛りしていたんじゃないかと思われる。

ちょっとネタバレで言っちゃうと、お兄ちゃんには何もなさすぎで、弟にはあらゆることが起こりすぎた。
そしてお互いを誤解たっぷりにうらやんで、何一つ理解しないまま、ぶつかり合い、何一つホントのことを話し合わないまま、でもなんだか心の内を見せ合った。

お兄ちゃんは弟から、何かしたいことはないのかと問われ、冗談交じりに東京の女と合コンしたいと笑った。ことあるごとに弟に対して、さすが東京だな、と笑いに紛らしたのは、結構本気だったんじゃないかと思う。
東京に出るということが、物理的には至極単純なことが、個人商店を持った家庭に生まれた長男にとっては、そして父親が死に、母親が認知症を患ってしまったら致命的に困難なことになるのだ。

弟が東京に出たのは、明白な理由があっただろうか。ただ、何もないここに、そして跡取りではない次男という立場にいら立っていたのだろうか。
いや、次男であっても、先行きが見えない個人商店に不安を抱いての逃避だったという方が正解のように思う。そして逃げ出してしまえる自分を、負い目に感じていたのだ。

突然帰ってきて、その理由が結婚で、嫁さんを連れて帰ってくるつもり、だなんて大嘘だ。言ってるそばから観客にだってそうと判ったんだから、お兄ちゃんだって最初っから判っていたに違いない。
きっと東京で上手く行かなくて、帰ってきた、結婚すると聞いて安堵したような顔をしたけれど、だったら嫁さんを連れてくるはずだし、当然そのまま受け止めてはいなかった筈。でもせいぜい、“上手く行かない”程度だと思っていたのに。

お兄ちゃんのことはすっかり判らなくなっている母親が、お兄ちゃんが予想した通り、「お前はずっと怒られていたからな」という理由から……多分それは、弟の方が愛されていたから、という気持ちだったんだろう……お前のことは判るかもな、というのが、その通りになるのが、辛い。
お兄ちゃんは割り切って、福祉スタッフぐらいに思われているのを、母親のためにとその役柄になり切ってた。

母親の容体が急変して亡くなった時、弟がそばにいた。彼が言う、兄ちゃんの名前を最後まで呼んでいたというのが、本当だったのかどうかなんて、永遠に判らない。気を使ってそう言ったのか、死の前に正気に返って本当にそう言ったのか、だなんて。

小さな事件があったのだった。酒に弱い弟がたった一杯のコップ酒で寝入ってしまった間に、お兄ちゃんは母親を軽トラに乗せて朝まで帰ってこなかった。
互いに飲み交わした、お兄ちゃんが弟に味を判ってほしかった吟醸酒、つまりお兄ちゃんは飲酒運転だった訳で、それも含めて心配マックスだった弟は当然お兄ちゃんを責めまくる。お兄ちゃんは一瞬激高して弟につかみかかるけれど、ただただ悲しそうな顔をして、謝るばかりなのだ。

静かすぎるこの町で、出会いもなさそうだし、ウソっぽいとはいえ弟の結婚話から心揺らいでいたことは想像に難くなく、たった一人、認知症の母親を、しかも自分を認識していない母親を抱えてのお兄ちゃんのしんどさは想像の範疇を超えている。
だから本作は、そうしたお兄ちゃんと帰ってきた弟の再生の物語なのかと、一瞬思わせた。でも、これだけじゃ終わらなかった。45分の中編、舞台はほぼ一か所というささやかそうに見えて、兄弟それぞれにしっかりと、ドラマが用意されている。

冒頭、意味ありげに弟君が乗り込んでいた地下鉄。背負ったリュックサックの中に実は大金が詰め込まれていた。ヤクザ絡みの強盗事件、逃亡中の男として報道されていた年恰好、ぼやけてはいたもののそうと判るぐらいにハッキリと、防犯カメラの映像は弟君の姿をとらえていた。
帳面をつけながらトランジスタラジオを聞いていたお兄ちゃんは、作業中のパソコンで記事を検索する。パソコンがあるのにラジコじゃなくって、アナログラジオを聞いているっていうのが、この店の世界観を示しているようで。

この設定は、ささやかな本作の雰囲気にちょっと波風立てすぎるかな、という気もした。弟君が東京にいられなくなった理由として、この舞台設定ではかなりの冒険のように思えた。
確かに、いくらでもある。人間関係に上手く行かなかった。恋愛が上手く行かなかった。この設定に通じるとしても、もう少し抑え目な、ギャンブルに溺れてしまったとか、いくらでもあると思う。
でも確かに、そういう理由で小さな故郷に舞い戻っての物語は、凡百で、いくらでもあって、いくらでもあるから、一つも思い出せないのは事実なのだ。

弟がどうやら強盗犯らしいと知って、足がつきそうなかぶっていたキャップを焼き捨てたりしちゃうお兄ちゃん。弟君、お兄ちゃんが気づいていることに気づいちゃう。二人、何もそのことを告白しない、言い合わない。お互い判ってるって判ってるのに、言わない!!
ああ、こんな風なのだろうか、男の兄弟って。姉妹はまた、違う気がするんだよなあ。演じる長尾卓磨氏と藤原季節氏の、心の底から信頼しあっているのに、心の底を明かせないこの感じ、切な過ぎる。
ああでも、姉妹もそういうとこ、あるかなあ。あるいは、親友にだって、心の底を明かせるかどうか。そう考えると人間って、なんて悲しい存在なんだろう。

一度東京に帰るわ、弟君はそれだけ言って、旅立った。きっと、多分、弟君は自首するのだろう。兄弟は長いこと、会えなくなるのだろう。
リュックの中には奪った大金が入っているのに、東京に旅立つ時にお兄ちゃんが弟に餞別として手渡した、くしゃくしゃの封筒に入った、20枚ほどの一万円札を、帰京した時に弟君がお兄ちゃんに返し、更にお兄ちゃんはこの地を再び去る弟君に更に返す。また、返しに来いよ、そう言って。★★★☆☆


なん・なんだ
2021年 107分 日本 カラー
監督:山嵜晋平 脚本:中野太
撮影:山村卓也 音楽:下社敦郎
出演: 下元史朗 烏丸せつこ 佐野和宏 和田光沙 吉岡睦雄 外波山文明 三島ゆり子

2022/1/30/日 劇場(新宿K's cinema)
この映画のことは知らなくって、伊集院さんのラジオに烏丸せつこ氏がゲストで来ていて知ったんである。
「相手役の下元さん、佐野さんもピンクの人なのよ」とざっくばらんに烏丸さんが言った言葉で飛び上がった。下元史朗!!佐野和宏!!私の大大大好きな二人ではないか!なんということ!!

昔、下元氏が同じ時期にピンクに出ていた大杉漣氏から、まだお前尻出してんのかよと言われたというエピソードを妙に覚えていて、確かにあの頃はピンクと一般映画は明確に分かれていて、ピンクから抜け出して一般映画に行った人はもう戻ってこない、という時代だった。
その頃から見たら今はどうだろう。そもそもピンクの製作数が激減しているということはあるにしても、クロスオーバー、役者も監督も、そして媒体もまさに多様性の時代になって、烏丸氏は特に偏見もなくピンクの人と言ってて、別に偏見も感じなかったけれど、まさにそうだったのだ。
ピンクの人を長く続けてベテランになって、身体を張って心の芝居を積んできた彼らが、こうして誰にもまねのできない胸を打つ老年の男を演じられるんじゃないか。なんか本当に胸が熱くなってしまって。

だって、本作は、まさにそういうところに斬り込んでいるんだもの。どんなに年を取ったって、恋愛の感情やそれに伴う性愛、年をとったからってなくなる訳が、ないんだもの。

子供の頃は判らなかった。それこそ私ら昭和世代は、自分が産まれてきた仕組みを知った時には大いにショックを受けるほどに、夫婦というものは、セックスの匂いがしないものだった。
日本の体質や教育の幼さもあったにしても、“子供を得た夫婦になってまでセックスするなんて恥ずべきこと”ぐらいの、改めて考えてみれば実にトンチンカンな価値観が確かに、あったのだ。

それは見た目問題、というか、特に女性側に若く美しいヌードの価値観を求めがちな差別的感覚もあったと思う。なんかどんどん、ヘンな方向に話が行ってるけど(爆)。
AVやヌードグラビアの世界も、現代ではまさに多様性が発揮されて、思いもよらぬ年齢の役者さんたちが活躍している。まだ尻を出してるのかよ、と言われた下元氏こそが勝ちであり、チャーミングな佐野氏にまた出会えたことに涙が出ちゃうんである。

どうも脱線しまくってるけど(爆)。烏丸氏と下元氏が夫婦。一人娘が独立して、夫は大工の仕事を引退して、いかにもなお互い関心もなく、他人同士が暮らしているようなかっさかさした空気である。
いや、この時には確かにそう思っていた。こういう夫婦は少なくないだろうと思う。何も起こらなければ、こんなもんかとお互い関心のないフリをしたまま、過ごしていけたのかもしれない。

妻の美智子は浮気をしていた。いや、後に娘の知美の言葉を借りれば、“浮気ではなく、本気”ということだろう。
知美から、お父さんだってあったでしょうと責められた時、下元氏演じる三郎はそりゃ……と言葉を濁し、女と男は違うだろう、と弱々しく言った。

それにかみついた知美に、女は男にメシを食わせてもらってるんだから、と反駁したもんだから知美は当然、はぁあ!?とばかりに反発するんだけれど、問題は実はそこじゃないんだよね。
その点は確かに、今の時代にそんな価値観自体がNGであるのは当然で、知美の怒りも最もだからそっち側に引っ張られそうになるんだけれど、浮気じゃなくて本気かどうか、ってところなんである。
お父さんだってあったでしょう、ってのは、まぁこれも言っちゃえば男性に対する偏見だということは充分承知で、でも浮気に過ぎなかったんだよね、と思う。

妻が、心も身体も乾ききってしまって、でもこの時代のこの年代、抱いてほしいなんて、言えなかった。すべてが明らかになった時、あの時のこと、覚えてる?と美智子は言った。意を決して自分から誘いをかけたあの時のことを。
三郎も記憶をたどる。お前の尻もおっぱいもさわれなかったと。そして……そう思っていたって、絶対に言っちゃいけないことを言っちゃうのだ。お前は母親になったから、と。

重要なところをすっ飛ばしちゃってることに今気づいた(爆)。そもそもなんで、こんなことになったのか。こんな夫婦はごまんといる、であろう。お互いなんとなく察しながら、深いところに触らないまま過ごしている夫婦が。いや、彼らと同じように、夫側の方だけがなぁんにも判っていないケースがほとんどではないだろうか。
でも、どうだろう……物語の冒頭、文学講座に出かけるという美智子に、化粧が濃すぎるんじゃないか、と声をかけたのは直感だったのか。年寄りの厚化粧はみっともないぞ、は余計だったにしても、なにがしかの予感を感じていたのか。

美智子はその夜、交通事故に遭った。しかもなぜか遠い京都の地で。そして昏睡状態に陥る。彼女はなぜか古いアルバムを持参していた。そして趣味のカメラ。
胸騒ぎを感じたのか、三郎はそのフィルムを現像してみる。見知らぬ同年代の男の写真、しかもホテルの部屋での。

三郎は激怒するものの、この時点で、というか、ここから先ずっと絶え間なく、三郎が美智子のことをなぁんにも知らなかったことが残酷なまでに明らかになってゆく。
美智子は娘の知美にも昔のことを語りたがらなかった。三郎に言わせれば、嫌がる美智子を説き伏せて家族に挨拶に行ったものの、けんもほろろに追い返され、その後没交渉だという。だから、それ以来の、40年ぶりの訪問は、こともあろうに美智子の浮気相手を探しに行く旅、なんである。

ここもね、三郎の、いわばこの年代の夫という男たちの、怠慢だと思うのだ。女房がイヤだというから、行かなくていいというから、ほっといていいというから。都合がいいとばかりに、触らずにいただけじゃないの。
それこそ昏睡状態になるなんていう事態になれば、没交渉のままではいられないのだ。まさか浮気証拠の写真が出てこようとは思わなかったけど……。

独身のまま一人家を守っていた美智子の姉は、一度は写真の男を知らないと言ったけれど、三郎や知美のただならぬ雰囲気に押されたのか、最終的には教えてくれた。
結婚するしないで大騒動になった、地元を支配する病院の総領息子との大恋愛。

なぜそれが上手く行かなかったのか。どうやら美智子の出自の問題……彼女のタネは水商売をやってた母親の客だという噂、は、結局は本当だったらしい。
何の問題があるの、と今の若者は思うかも知れない。いや、私だってそう思う、思いたい。でも……いやいまだに、こうした地方では残っていそうな気がする。

美智子が、この地元に収まり切れない女の子だった、ということも、姉や元カレに語られなくても想像に難くない。ちっともヘンじゃない。今の価値観から見れば美智子の感覚こそが至極普通なのに、と思う。
そのことで苦しまなけれなばならないなんて、と思う。だからこそ娘の知美は即座に母親に同情する。浮気した汚い母親なんて思わない。

いや……ここにも落とし穴がある。知美は自分も、“浮気ではなく本気”な相手がいるから、なんである。
ただ、両親の場合とは事情がだいぶ違うからこそ、知美の方が深刻な気もする。道理で最初から父親に対してキツい対応だったなとも思うが、それは自分のしでかしを見たくないゆえだったのか、と思う。

そして、そう……美智子の浮気、いや、本気相手、実に30数年も本気を重ねてきた相手が、佐野氏なんである。ああ!
佐野氏が「バット・オンリー・ラヴ」で監督主演で復帰した時に、彼に起きたことを初めて知って衝撃を受けたけど、同時に、ものすごい可能性を感じたし、クリエイターとして自身も演じ手になることで、それを実現させたことに、もう本当に、胸が熱くなるどころの騒ぎじゃなかった。
そうか、あれから7年も経っちゃったんだなあ。佐野氏の監督作品を観たいけれど、とにかくこうして、枯れたチャーミング男子、という、佐野氏にしか出せないお姿を見れて、もう、もう……感慨無量である。

美智子が佐野氏演じる甲斐田に対して、もうさ、関係性は変わらないんだろうね、まさに恋する乙女、10代の頃のままなのよ。だから、だからね、じゃあ彼と結婚したらどうなのかというのは、タラレバな訳よ。
美智子は、美智子こそがそれを、充分に判ってる。まさか夫にバレるとは思わなかった。だってなんたって、30年以上も隠しおおせていたんだから。

事態が発覚して、三郎が激怒して、でも知美夫婦のなんやかやもあったりして、目覚めた美智子にいきなり問い詰めたりはしない、いや出来ない三郎である。
でも甲斐田が訪ねてきたりして、なぁんか青春の恋愛映画みたいに殴り合ったりするんだけど、そこが若い青春映画じゃないところは、よろよろの三郎に、医者である甲斐田が気づいちゃう。なんかヘンだと。自分の病院に検査に来るように、名刺を押し込むんである。

冒頭、もう示されている。三郎の、記憶があいまいなことが。奥さんから届けるように託された荷物、どこに届けるんだっけ?とさまよいまくる。
どこに、って、選択肢はないでしょうと思う。親戚づきあいはおろか、ご近所づきあいもしてなさそう、孫の名前が出たことを忘れたとしたって、一人娘の他に届ける先などないではないか。

この恐るべき冒頭に、もっと気づくべきだったなとノンキな観客である私は反省しきりである。
三郎は治療の甲斐ない進行性の早い認知症と甲斐田に診断される。そこで、離婚するとかしないとか、甲斐田に渡すとかなんだとか、モメる。いや、駄々こねてるのは三郎だけである。

いやでも、どうだろう……。美智子は夫の認知症を知って、もうあなたの世話をするのはイヤ、とハッキリ言い渡した。それまでの、辛い辛い、お互い見ないままで済めば良かった過去や感情がさらけ出されたあとの結論だった。
そう言われりゃ、自分と別れたいと思うのは当然、自身の病もあるし、三郎としては潔く離婚届と共に、甲斐田氏に妻を引き渡す覚悟だったのだが……。

そうかそうか、こーゆー考え方こそがマッチョな許せぬそれだとゆーことか。そう言われりゃそうだな。なんか、佐藤春夫と谷崎潤一郎の事件とか思い浮かんじゃう。
妻を交換って、妻たち側からすれば、あんたらの所有物かよ!!ということで、まさにそれは、知美が前時代的父親の価値観に呆れて言い放った台詞そのものであった。

美智子はそんなはっきりとした拒否感を示すんじゃなく、あくまで自分の意志、自分がどうしたいかを通した。そうだ、それこそが正解なのだ。女性がどうだとか、時代の価値観だとか、そんなことに加勢を得るなんて、卑怯だ。女の風上にもおけない!!

知美はそんな両親の経緯を見ていた。最初こそは、父親に反発するばかりだったけれど、揺れ動いた。“本気”の不倫相手に一度は別れを言い出すものの、“本気”に向き合って、撤回した。
しかしてそれを、“本気”の相手は判っていたかどうか……。吉岡睦雄氏が絶妙なんだよね。それまでは正しき不倫相手だった知美が突然職場に訪ねてきてうろたえ、いきなりの別れ話、いきなりのカーセックスにちょちょちょ、ちょっと待って!と、この場を受け流すことしか考えてない。

それを知美だって判ってる筈なのに、それを確かめに会いに行ったはずなのに、やっぱり別れられないという決断を下して、パーン!と去ってゆく。彼は、女って判んねぇ―と頭を抱える。
……なにこれなにこれなにこれ、女って判んねぇって言われるまま、男から、本気の男から真に理解されないまま、離れられないままでいいの?なんということ……。

知美のダンナはさ、知ってるのよ。そこが彼女の両親とは違うとこ。でも、知美のダンナの判断も、間違ってると言っちゃったら簡単なんだけれど……ただ、待つと。彼女が相手と別れるのを待つと。糾弾してもケンカになるだけ。それで別れることになるぐらいなら……というダンナの想いは、彼女を愛しているんだという前提ということをひしひしと感じて辛く、一体どうしたらいいのか……と思う。
でも知美も、美智子と同じように、美智子はまぁ、夫への愛情はどの程度残ってたのか知らんけれども、知美は、夫への愛情、子供への愛情を残してるままの、本気の本気、なのだろう。もうさぁ、そういうことになってくるからさあ。

写真が何より、本作の大きな印象度である。最初こそは、浮気を突き止めるためのアイテムだったが、それこそ、フィルムだから、焼かなければ判らない切なさ、なんである。
夫婦が付き合いたての頃のモノクロ写真、高台から眺められる美しい町並みの写真。美智子は写真家になりたかった。だから大事にフィルムの一眼レフを持ち歩いてた。そこから浮気ならぬ本気が見出されたとしても……。
なんか、ノスタルジック、なんだよね。フィルムの現像、モノクロ写真、薄れゆく記憶……三郎はこれまで思い出しもしなかった両親を、認知症の症状の中の幻視として見るし。

団地というのは、ここ数年の映画で、高度成長期、昭和世代、いろんな意味合いで象徴的に扱われてきた。本作もその一つだと思うんだけれど、なんたって、海辺に林立している光景、波が寄せて返す、リゾートかと思うような風景の中に、おもちゃみたいに白いブロックが林立するのが、なんつーか、非現実的でさ。
冒頭、三郎が、どこに届けるのかもわからずに包みを抱えて坂道だらけの、真夏の暑そうな町中を、しかも誰もいない、異次元みたいな空間をはぁはぁ言いながらさまよう画がシュールで、これが現代日本の、シニアが直面する、時々異次元に放り込まれる日常なのかもしれないと思ったりする。★★★☆☆


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