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男の紋章
1963年 96分 日本 カラー
監督:松尾昭典 脚本:甲斐久尊
撮影:岩佐一泉 音楽:鏑木創
出演:高橋英樹 石山健二郎 大坂志郎 和泉雅子 近藤宏 小池朝雄 井上昭文 轟夕起子 木島一郎 富田仲次郎 玉村駿太郎 武藤章生 河上信夫 名古屋章 杉江弘 木浦佑三 松本染升 藤岡重慶 柳瀬志郎 雪丘恵介
高橋英樹とクレジット上はツートップ扱いの和泉雅子だが、この古きヤクザ社会にきゃんきゃんかみつくだけで、全然効果ない。言ってることはまさに、女側から見てバッカみたいと思う、義理という名の単なる見栄やプライドだよなという、正当さがあるんだけど、セーラー服着た女学生という夢見る乙女の位置にいるから弱すぎる。
和泉雅子自体は、近年観る機会があった青春映画でやさぐれ女子を圧たっぷりに演じていて、強めのまなざしの端正な美人さんが、そういう役によく似合っていたから、本作の彼女はもったいないなあと思うが、やはり徐々にそういう役を獲得していったということなんだろうなあ。
とゆー訳で、ぴっかぴかの高橋英樹である。物語はまず、彼演じる竜次の幼少期から始まる。もういきなり、非情な現実である。父親と一緒にすやすや眠っていたところに現れる刺客。ふすまにばしゃっと鮮血が飛び散る。
これが渡世人の現実。背中に立派な刺青姿の父、庄三郎は泣きじゃくる息子を諫めるが、いくらなんでも無理な話。
ここから始まって、オープニングのクレジットで、この息子、竜次の成長が描かれてゆく。尋常小学校への入学、みんなで応援する運動会、中学か高校か、隆二が同級生たちと大喧嘩しているのを止めに入ろうとする勘三(庄三郎ときょうだいのようにも思えたが……)をとどめる庄三郎。
そして竜次は大学で医学を学び、今は外科手術まで任される立派な医者なんである。
後から思えば、組を継がせたかった思いがあるのに、なぜ竜次を医者にさせたのか、よく判らんところがあるというか……。
竜次が新時代の青年で、渡世というものが昭和初期になってくると、後に暴力団に移行する勢力に駆逐されていくのを肌で感じてて、むしろやくざとは暴力団的、今で言えば反社な存在だと、世の中から排除されていくものだという感覚があったことは想像に難くないけれど。
でも、医者への教育に導いたのは父親の庄三郎だし、彼自身、古い渡世の世界を本当に竜次に継がせたかったのか、そこに葛藤があったんじゃないかと思うのだが、それは優しい推測かもと思うぐらい、そこんところへの答えが見いだせなかったからなあ。
正直、敵対する斎賀組の鉄砲玉を竜次が手術して命を助けてやるっていう、そしてこの鉄砲玉が次には竜次を守るべく銃弾に倒れるという、その設定のためだけだったんちゃうと思うぐらい(爆)。
もちろんね、竜次の、一人っ子で恵まれて育って、何の力もないアイデンティティの揺らぎに大いに作用するシークエンスはあるよ。
竜次は誰にも言わずに、山奥の採石場の診療所の職を引き受ける。誰もが嫌がる、でも医者のアイデンティティを全うするには最高の場所である。
実際、着いた早々、運び込まれる怪我人にやる気のない飲んだくれ先輩医者、それはブラックすぎる労働条件をどうしようもできないから、という現状に直面する。二日といつかない、君みたいなエリートは来るべきところじゃない、とパイセンは言うが、竜次はがんとしてとどまり、労働者側にたって経営陣とガチのケンカさえする。
パイセンにも労働者たちにも一目置かれたところだったのに、帰るの早すぎるよ!!それはね、労働者のために自分が話をつける、と乗り込んだのさ。でもあしらわれて、この青二才が、ぐらいな場面で訪ねてきたのが地元の親分さん。
それは、庄三郎とも縁の深いお人で、つまり竜次が窮地に陥っているのを察知して、にらみを利かせてくれるわけだけど、そらー当然、竜次は落ち込む訳。自分一人の力では何もできない、結局はヤクザである親父の威を借りるしかないのかと。
この場面で、親分さんが静かに諭す台詞がまさしくでさ。組織は力、使いようによっては善にもなるし悪にもなる。まさに!人一人がどうこうできるなんて、しょせんうぬぼれでしかない、いわんやこんな若造ではさ!
竜次はこれも含め、父親がことあるごとに自分に語って聞かせた「正しい男になれ」という言葉を反芻する。医者になるのもよし、乞食になって門前に立つのもよし、ただ正しい男になれ、と。そして、何度となく訪れる窮地を考え抜いて結論を出す。素直でまじめでイイ子なんである。
この場面に、父親が闇討ちされて死んじまったっつー知らせを受けて、竜次は下山。正直、ちょっと残念だったなあ。この時代の社会問題であったであろう、肉体労働者を搾取する労働現場に飛び込んだ若き医師、という図式はそれだけで一本の映画になりそうな勢いだったんだもん。
こういう、なんていうのかな、作劇のための、竜次という一人の青年が立派な渡世人になっていくための、そのためだけの設定じゃねーかと感じられる部分がちょくちょくあって、医者という設定が魅力的なだけに、ねぇ……。
そうそう、和泉雅子だけじゃなかった、女優さんは。まぶたの母。ああ、この言い回しはこの時代設定だからこそしっくりくる。
庄三郎の懐刀である勘三が、自分の不始末のために……と悔やむその詳細は明らかにされないが(こーゆーところが雑っつーか、テキトーなんだよね)、死んだと聞かされていた竜次の母親は、実は、渡世の義理で乳飲み子の竜次を残して泣く泣く実家に引き渡された、村田組の女親分さん、だったんである。
明らかに不逞な輩である斎賀組に請われて力を貸すっていうのも、後々から考えても全く理解できないんだよな。大島親分と、何より愛する息子と引き裂かれたこと、その憤りを口にはするけれど、義理を飲み込んでのことであって、だから斎賀組に加担するというのがなんとも解せない。
でも、卑怯な真似はナシだよ、とかいうあたりの条件もあいまいで、だってコイツら、卑怯な真似しかしないに決まってるし、なのに後はほったらかしで、事後報告だけ聞いて、それは話が違うわとかいうなんて、テキトーすぎるじゃないのお。
しかもその事後報告は、村田の女親分、きよが、望まぬ別離を余儀なくされた、つまりは、乳飲み子の竜次のみならず、きっとずっと、庄三郎を愛し続けていたであろう彼女にとって、許しがたい、衝撃の事実。しかもそれを、当の愛する息子、そうと名乗れない母親である自分、彼から告げられるという辛さ。
このね、庄三郎ときよが、渡世の義理で引き裂かれた、愛し合っていた夫婦の悔しさ哀しさが、その後お互い独り身を貫いたというだけで感じられる切なさがあるだけに、そのラブ、ひろってよ!!描いてよ!!ラブ、聞きたいよ、事情を、お互いの気持ちを、聞かせてよ!!と思っちゃう。
うー、もー、さぁ。任侠ものは、男女のラブは義理に潰されちゃう。男女のラブより、親子の絆だし、生きてる母親より、無念に死んだ父親なのだ。あーもう。フェミニズム野郎は怒っちゃうよ!!
そらーこーゆー基準なら、恋愛感情にさえ発展する前の、兄妹みたいな関係の和泉雅子=晴子は、キャラとして成立さえしてない、狂言回し、ナレーター、そんな役割でしかない。
時代は戦時中。軍からの発注で軍需工場を作るという展開は、見ていて苦しいものがある。発注する軍人幹部は、戦争もぼちぼち終わるんだけどな。そうしたら、満州で金儲けの道があるぞ、と誘ってくるんである。
これは、後からの時代で過去を皮肉る、そしてその時代が近いからこそできるリアリティである。でもここぐらいだったかな、そういうナマな社会性を感じたのは。
結局は斎賀が縄張りがどうのと難癖つけての攻防の繰り返し。正直、さあ……まぁ、渡世もの、ヤクザもの、それなりにしょうがない部分はあれど、正対悪、悪の斎賀側の、バカなの?って言いたいぐらいの、ただ悪を仕掛けるだけ、そんなことしたら、こうなるだろ、っていうのを考えてないやり方にうんざり。
まぁさ、大島側の、相手にしたら負けだというのに対しての攻防戦はあるけど、絶対、考えてないだろ。ただ単に、へっへっへ、とワルいことだけをバカみたいに仕掛けてるようにしか思えない。だから、なんでこんなバカ集団に頭のよさそうな、村田きよ女親分が加担した、いや、しようと思ったのかが、解せなすぎる。
山の採石場で、竜次の男っぷりにホレて、彼を頼って大島組に来た青年がいる。賭博ぐせのある彼を判りやすいキャラとして、新生大島組では、賭博は厳禁、清新な組、仕事をする組を打ち出す竜次である。
斎賀組の悪徳すぎるやり方に、譲歩という形ではあったけれど竜次が示したのは、大島組が、ヤクザとしての体裁を捨てる、というものだったんだよね。縄張りというものを斎賀組に受け渡す、つまり捨てる。軍からの仕事(これもまた難しい価値観だけれど……今で言えば、公共事業ということだと言っていいと思う)をまっとうに成し遂げること。
後々のミライから考えれば、渡世人、ヤクザ、暴力団と、世間からの見方も、実際のあり方も変わっていき、本作でなされるような形態は、理想としてだって一瞬も成立しなかっただろうなと思われるのだ。
竜次は父親と同じ刺青を背負うことで、エリート街道を走っていた医者への道を経ったという展開。刺青入れちゃったらオワリ、というのは、つい最近見た鶴田浩二の金さん映画であったが、そう考えると、めっちゃ古臭い価値観と思う。
結局そんな提案を受け入れるはずもない斎賀組、父親の懐刀の勘三までもが無残に殺されたというのに、飲み込んで飲み込んで、一人立ち向かったのに、誰一人殺したくはなかったのに。
卑怯、ピストルを使う斎賀の腕ごと切り落とし、向かってきた彼の子分を三人斬り殺してしまう。そんなことはしたくなかった、したくなかった!駆けつける村田組たちによってその場がおさめられ、駆けつけたきよは、泣き崩れる息子を抱きしめるけど、何の慰めにもならないのだ。でもこの時、初めて、お母さん、と言った。お母さん、仕方なかったんだ、斬るつもりはなかったんだ、と泣きじゃくった。
手負いの彼はふらふらと、その悲しき刺青をびりびりに切り裂かれた着流しの間からのぞかせながら、あてもなく雨の中どこともしれず歩いていく。それで終とは悲しすぎる。★★★☆☆
「しゃぼん玉の詩」では後半ふっと姿を消し、しかし戻ってくるラストが暗示されていたけれど、本作ではもうすっかり復帰している。しかもラブラブの恋人がいる。
それでもどこか彼女は悩み多き感じである。恋人は夢を実現するために正業の他にアルバイトにもいそしんでいる。その夢にはいつきも一緒に、とまで言ってくれている。誠実な青年である。なのに、なぜか。
いつきを演じる友田彩也香嬢は、このコロナ禍、CS放送でいくつか観たピンク作品で、最も多く遭遇した女優さんだったように思う。どれも数年前の作品だったから、いわば「しゃぼん玉の詩」のヒロイン、高橋りほ嬢のようにぴちぴちと若く、立ち位置も、お姉さま、ご先輩方がいての、怖いものナシの女の子、という役どころを多く見ていたように思う。
ちょっと、気づかなかったもの。とてもしっとりとしていて、後輩たちに助言し、そして自分は女の子としての、あるいは人生の第一ターンの壁にぶつかっている、なんていう彼女を見たことがなかった。
それでいえば、友田彩也香嬢よりも頭一つ先輩になる辰巳ゆい嬢演じる梢は、本作で引退を決意する風俗嬢、梢を演じている。
前作でも客から×××がゆるゆるだのと言われてヘコんでいたが、本作ではまさしく……フェラしてても息切れしちゃうし、セックスの途中でそれっ!と気合を入れていたのは恐らく、××××を締めて客を喜ばせようとしていたんだろうが、相手はんん??である。その相手、常連客に、常連客だからこそ、彼女を慮って言われちゃう。つまり、潮時なんじゃないかって。
前作の感想文の時にも書いたけど、風俗嬢とはまさしくアスリートであり、技を磨いた頃に体力の衰えがやってくるという哀しさである。
梢はピザ職人となるべく、イタリアへの留学を決意。入れ替わるようにして入ってくる新人さんは、昼間は会社勤めの事務員。その眼鏡姿がエロいと、梢の常連客だった青年に言われ、知らなかった自分自身を発見するのだ。
風俗の世界に飛び込んだのはどういう理由だったのか、でも恐らく彼女は、漫然と働いている自分にもどかしさを感じていたんじゃないかと思う。眼鏡のエロさを褒められて、でも逆に、本当の自分自身で勝負するんだと、眼鏡をはずし、風俗嬢一本でやっていくことを決意するんである。
彼女を指導するのが、あの天真爛漫舞花ちゃんなのだが、突拍子もない眼鏡をプロデュースしたりとか、相変わらずピントがずれていて、それがまた可愛くて大いに笑わせてくれる。
とゆー、サブのエピソードも楽しくてなかなか本題に行けない(爆)。いつきである。本作は、彼女の勤める風俗店やその仕事ではなく、恋人との関係に深くフォーカスしている。その点でも、風俗店、風俗嬢のあれこれを興味深く見せてくれた前作とは大きく違う。
つまり、オーソドックスにラブストーリーなのだよね、と思う。彼氏君はもちろん、いつきの仕事のことも知っている。それでやきもち焼いたり、うるさく言ったりしないんだ、と店長も感心している。なのにいつきは何か不安げである。愛されているのに。その夢にいつきも共に、と思ってくれているのに。
いつき自身の夢ではないからなのか。彼女はきっと背中を押してほしいという思いがあったのだろうと思う。店長に相談する。彼女が恐れていたのは、彼の夢がもしかして破れた時に、自分が支えられるのかということだった。
いや、もっと具体的に、ナンバーワンの彼女が常に求められていた笑顔でいられるかということ、だったのだろうと思う。その笑顔は、客のため、つまり、仕事で、彼女自身の心から出たものじゃないと、笑顔を褒められるたびに、いつきは思い悩んでいたのかもしれない。
彼女は自身の心情をあまり語らないから……それは、前作のヒロイン、舞花ちゃんや、本作のメガネ女子新人さんがハッキリと、明確に言語化するのとは明らかに対照的なのだ。
大人になるほどに、自分の心に正直になるのが難しくなる。風俗嬢という、アスリートの期限が迫っているのなら余計である。店長も、スタッフの洋子さんも、そんな風に人生の岐路に立つ風俗嬢たちを数多く見てきたから、だからこそ、アドバイスなんてできないことも判ってる。
ただ、見守るしかない。そしてそれは、決める権利が、決める自由があるということなんだよと、まだまだ鼻息荒く、野心に燃えた若い子たちに説くんである。いつかその時が来る。それが終わりだというんじゃなく、その先を決める自由が、あるのだと説く。
店長がいつきに諭す言葉はすんごく、普遍的というか、てらいがないというか。いつきが客たちに、いや、客のみならず、同僚やスタッフたちも癒したその笑顔、そしてただただそばにいることで充分なんだとエールを送る。
店長を演じるイワヤケンジ氏(今回のクレジットで使ってる漢字で書くとどうも別人のような気がしてしまうので……)もまた、近年のピンク映画を支えるベテランだが、こんなにカラミのない彼は初めて見る。
そして、彼と共に風俗嬢たちの母親的立場でサポートする洋子さんを演じる工藤翔子氏に至っては、マジ一ミリもなかったよね。洋子さんに関しては本作で、店長との過去エピソードが語られる。かつてはこの店のプレイヤーであった洋子さんが、今スタッフとしてかかわることになった経緯。
シングルマザーの彼女が、生きたいんです、と訴え、店長が通帳と印鑑を差し出し、戻って来いと言われて、でも傷が……と言った彼女に(おそらく乳がんになったんじゃないかと思われるよね)、プレイヤーで戻れと言ってるんじゃない、仕事はいくらでもある、特に彼女たちの心のサポートが必要なんだと説く回想シーンはじーんとしまくった。
双方の若作りはソフトフォーカスにしても若干ムリがあったが(爆)、前作の時にも感じたけど、ついついさぁ、同じ年ごろの男女、長年の付き合い、なれ合い、ピンクだしさ、はい、そうなりますよね!みたいに思っちゃうところが、この二人はそうはならないの。同志、戦友、その関係でずっといてくれていることが、凄く嬉しかった。
いつきの恋人の夢は、自給自足。彼の兄は、その夢を抱いたまま、病身のため亡くなってしまった。その夢が、彼の夢になった。
しかもそれを、海外で叶えたいという。いつきとのデートの時間も確保できないぐらい働きまくる彼を、彼女は愛情深くも、揺れる気持ちで見守っていた。
なぜそんなに自信がないのかと、いつきを知る誰もが思うだろう。なんたってナンバーワン。それは技術ではなく、その菩薩のような笑顔に象徴される思いやり。お客に対してだけじゃなく、同僚、新人、スタッフに対しても注がれる彼女の優しさは、でも彼女自身には向かっていなかった。
ちょっと判る、ような気もする。自分を守るために優しさという鎧で固めて、単なる八方美人なんじゃないかって、自分自身が悩んじゃうような。
だって私が、私を、愛して、癒してほしいのに、と、言えないのだ。今の彼氏さんに、言えばいいのに、彼なら絶対に、判ってくれるのに。
ずっとずっと、仕事でお客に奉仕し続けてきた彼女は、自分自身の価値を、判ってなくて、幸せにならなきゃいけない、幸せになる権利がありありなのに。
周囲が動く。まず動いたのが舞花ちゃんだったというのが泣かせる。彼女にとってメチャクチャ尊敬するパイセン。明確にどう提案したのかは判らないけど、きっと、門出を祝ってあげましょうよ!という感じだったのだろうと思う。
イタリアに留学する前段階で、修行のために働いていた料理店でイタリア人彼氏をゲットした梢からは、その店の絶品ケーキのプレゼント。店の一室を提供し、二人の時間をプレゼント。
改めて考えてみると、なんかすげーな。風俗嬢の仕事をしていると知ってはいても、そこには踏み込んでなかった彼氏、スタッフたちがあえてそれをプレゼントしたのは、彼女のホントを、本質を、上っ面だけで理解するんじゃなくて、本気で受け入れろよ、ということだったのかも、という気がしてきた。
だって、彼ら恋人同士で行うセックスと、職場で行うそれは、全然、ぜんっぜん、ちがうんだもの。エアマットにローション。ローションの作り方も、プロのいつきとシロートの彼氏青年じゃまるで違う。これ、ちょっと面白かった。気持ちいいセックスのためのローション作りも、風俗嬢の技術の一つなのか、そうか、そうだよね!と思って。
いつきと彼氏さんが、海外での自給自足生活という夢を、実現できるかなんて、判らない。本作で投入された新人、メガネ女子が、事務の正社員を捨てて風俗嬢に賭けた人生も、引退を決意した梢さんも、初めての後輩が出来ていつきさんのような先輩、ナンバーワンになりたい!と焦がれている舞花ちゃんも、どうなるかなんて、判らない。
アスリート風俗嬢は、同時に客商売でもあって、めっちゃ厳しい。でもなぜ、なぜなぜ、ほっこりと温かい気持ちになるんだろう。風俗嬢の同僚同士、彼女たちを愛して指名して通ってくるお客さんたち、親目線で彼女たちをケアしている店長と洋子さん。狭い雑居ビルの片隅で繰り広げられている、小さくて大きな物語に、人生が詰まっていて、心が熱くなる。
友田彩也香嬢に心つかまれたなあ。先述したけどコロナ禍で遭遇した、数年前の彼女と全然違って、誤解を恐れずに言えば、女優、になってた。凄く、嬉しかったなあ。★★★☆☆