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「し」


2022年鑑賞作品

死刑にいたる病
2022年 128分 日本 カラー
監督:白石和彌 脚本:高田亮
撮影:池田直矢 音楽:大間々昂
出演:阿部サダヲ 岡田健史 岩田剛典 宮崎 鈴木卓爾 佐藤玲 赤ペン瀧川 大下ヒロト 吉澤健 音尾琢真 岩井志麻子 コージ・トクダ 中山美穂 神岡実  川島鈴遥 大原由暉 山時聡真 竹村浩翔 清水らら 梁軍 濱佑太朗 加藤剛 掛裕登 加賀義也 西岡竜吾 松島さや 小倉優花 峰平朔良 木下美優 丸岡恵 建石姫来 繻エ百花 千歳ゆず 汐里実栞 橋本乃衣 三原羽衣


2022/6/15/水 劇場(ユナイテッド・シネマ豊洲)
手術、退院後の一発目にコレを選んだのはなかなかキツかったかもしれない。白石監督お手の物の残虐描写からスタートするが、後から考えれば白石監督を一気に有名にした「孤狼の血」から比べれば、直視できない残虐シーンは冒頭と、謎解き的に挿入されるほんの短い尺に過ぎない。
メインはこの恐るべき連続殺人鬼の心理を追ってゆき、それが当の追っている本人に投影されていく、ごくまっとうだと思っていた自分という人間が、実はこの恐ろしい男の中にある何かと共通しているんじゃないか、そしてそれを心のどこかで望んでいたんじゃないか、ということがラストのラスト思わぬ形で確信に至る。

これはつまり……表向きは残酷な、残虐な犯罪へのおののきで観客を連れて行きながら、本当に恐ろしいのは、人間の中にある欲望とも憧れとも違う、可能性というか……。
可能性と言ってしまったら本当に恐ろしいのだが、この男のようになるかならないかなんていうのは、人間社会という退屈な慣例になんとなく従って生きるべきだと思い込んでいる、その薄皮一枚を何かのきっかけでか、それともこの男のようにある意味、自分自身というものを貫く信念のようなもので破ってしまうということなのかもしれないということで……。

実に24人もの少年少女、17歳か18歳に限られた年齢の彼らを次々に殺した連続殺人犯。
しかもその手口は、綿密な計画で相手からの信頼を勝ち取った上で拉致し、執拗かつ残虐なリンチを加えることでより彼らに心身ともに絶望と苦悶をこれ以上なく与え、殺し、骨は粉々にして証拠を残さない。

住んでいる山中でも、降りた街で営んでいるパン屋でも、物腰柔らかく愛想のいい彼は計略をもって近づいた獲物たちだけではなく、彼と接するその誰もが好意を持っていた。
彼の犯罪が明らかになった後も、あの人があんなことをするなんて信じられない、的な、凡百のテレビインタビューのようなことを言う人はいない。それ以上なのだ。そんなことをしたということを知っても、あの人を嫌いになれない、もしあの時彼が逃げてきたらかくまってしまったかもしれない、という会話を、彼の足跡を追って訪ねた山中の農夫とかわす雅也。

雅也というのは本作のもう一人の主人公。主人公はもちろん、殺人鬼である榛村。榛村が獄中から雅也にあてて手紙を書いてきた。オチバレで言えば、榛村から手紙をもらっていたのは雅也だけじゃなかった。
ラストの衝撃はそこにつながるのだが、私が最初、このラストにピンとこなかったのは(てか、私の解釈自体が浅いのかもしれないけど)、雅也は自分だけに向けた榛村からのラブレターのように思っていたのかな、という思いが最初に浮かんだからだった。

榛村からの依頼で調査していく中で、彼は自分が榛村の息子かも知れないという可能性にたどり着き、そのことに、後に榛村から指摘されるように、殺人鬼の息子、という系譜を持っているかもしれない、自分は特別の人間なのかもしれないという奇妙な充足感、高揚感を覚えた彼が、自分以外にもその恩恵をあずかった人間がいたのかという拍子抜け感なのかなという気がしたのだ。
それもなくはなかったのかもしれないが……やはり前述したように、彼自身の中にも、誰もの中にもある、薄皮一枚の手前でとどまっている欲望というか可能性というかそういったものが、それがとどめられているのはつまらぬ俗世間の慣習によるものに過ぎないのかもしれない、という戦慄だと思うから……。

それをあぶりださせるのは雅也の母親である。なんとびっくりな起用、中山美穂氏である。絶世の美人女優である彼女を、夫に家政婦のように、いや違うな、奴隷のように仕えるくたびれた主婦に据えるとは、なかなか考えもつかない。
本作の冒頭は彼女の姑の葬式シーンから始まる。彼女と姑の関係性は明確にはされない。彼女と夫との冷ややかな関係と、雅也と父親のそれ以上に過酷な関係……期待に添わない息子だった雅也は、言われなき暴力を父親に受けていたんである。

母親もまた、彼女の親から同じような仕打ちを受け、救い出されてある人物の養女となった。その人物の元には、同じような境遇の子供たちが集まっていた。
ある人物、その女性の名字は榛村。のちに殺人鬼となる榛村と彼女は疑似家族として出会っていて、心を通わせていたんである。

そうだ、彼女もまた、榛村が恐ろしき殺人鬼だと判っていても、彼からの手紙、その文字に、懐かしいと、あの人の字だと、目を細めた。教科書のようにきっちりとした、懐かしさをおぼえるよりも人間性が感じられないほどにきれいな字体だった。
この時には雅也は、榛村こそが本当の父親じゃないかと疑って母親との直談判に至っていたけれど、結果的にはそうじゃなかった、むしろ妻子ある相手の子を身ごもった彼女を助けてくれたのが榛村で、死産になった赤ちゃんを始末する手助けという後ろ暗い過去があったのが彼女の口を濁らせていたのだ。冷酷な夫だけれど、あなたの父親は間違いなくお父さんだと言った彼女の言葉は真実だった訳で。

彼女は何も一人では決められない女性として描かれる。冒頭の葬式シーンからすでに、ビールの追加注文すら自分で決められない。姑の遺品整理をしつつも、処分をどうすればいいか決められない。
その都度彼女は、息子である雅也に問うのだ。どうすればいい?お母さん、決められないから、と。夫ではなく、息子に、というのが、夫からの仕打ち故ではあるにしても、だったら息子にという、彼女の依頼心の強さをありありと示す。
姑が亡くなってすぐの遺品整理という妙な積極性はあるくせに、捨てていいかどうかの、つまり責任の所在を、弱々しい存在を言い訳に息子に押し付けるという、無意識ならば余計に悪質な、無責任さ。

むしろそんなところが、人間の一般的な性質なのかもしれない。榛村が持つ、自身のアイデンティティが社会と反していることを判っていながらも、自分を否定できないゆえに、社会に知られない形でまっとうしようとする、言ってしまえば誇り高き人生を選択することに、どう対抗したらいいんだろう?
榛村が自身の冤罪をエサに雅也に接触したのは、見え方としては恐ろしき殺人鬼の、更にプラスされた自尊心の巻き添えになる仲間を得る行為、ぐらいなものなのかもしれない。
でもそれ以上のことなのかもしれないと思うと……榛村が、自身がこの人間社会では許されない存在だと判っていながらも、でも本当は、このルールに従った上での善良な人間なフリしてるだけでしょ、ホラみんな正直になりなよ、と言っているような気がしてくるのこそが、恐ろしいのだ。

榛村が、自分のアイデンティティにはそぐわない、最後の殺人事件に対して冤罪を申し立てるも、こんな凶悪な殺人犯なんだからと大した審議もされずに立件されたことを、雅也に調べてほしいと面会希望の手紙を送ってきたことが最初だった。
中学生の頃、塾に行く前に腹ごしらえをしていたパン屋の店長、顔のあざを心配して声をかけてくれたり、ジュースをサービスしてくれたり、優しくしてくれた榛村を覚えていた雅也は、両親との難しい関係に悩んでいたこともあって、榛村に面会に行く。

榛村曰く、自分は絶対にこんなずさんな殺人はしない、自分が狙ってきた年齢層とも違う、と、成人女性の殺人には真犯人がいる筈だと雅也に調査を依頼する。
結果的には……その真犯人が誰なのかという謎解きこそが、榛村と雅也、真犯人なのかどうなのかが結局は藪の中という、推測、憶測、思い込み、思い込まされ、という、つまり本作の言いたかったことというか、メインテーマがここにあるんじゃないかと、いやここにあると断言したい。

“真犯人”、榛村がハタチそこそこの青年の頃に、小学生男児として出会っている一輝である。演じるはなんとビックリガンちゃんである。ビックリッつーのは、彼の美しい顔がすっかり覆い隠され、最初にキャストクレジットを確認していなければ、彼と気づかないぐらいなんである。
生まれつき顔にあざがあるのを隠すために、うっそうとした長髪であざ、というより表情までも隠れてしまっている彼は、ガンちゃんが演じている現在時間軸ではなんかいかにもカツラっぽくてちょっとどうかなあと思うようなキャラなのだが……。
榛村がもともと持つ、殺人鬼気質といよりはこっちこそが濃厚な支配欲というか、操縦欲というか。一輝とその弟が陥った、年上の相手と友達になりたい欲、ああなんか判る……大人と友達になってる自分こそが大人!!みたいな自尊心をくすぐる感覚、あるよなあ。

榛村は一輝とその弟に、恐るべき遊びを伝授した。彫刻刀とナイフでお互いに切りつけ合わせる。子供同士の遊戯だから、そうさせてるから、自身に責任が及ばないことまでも計算上だった。
大人になって再会しても、一輝にはそのトラウマが消えていなかった。榛村は一輝があざのコンプレックスがあって、それはきっと大人になっても持ち続けていることを予測して、長い長いスパンで、獲物としてキープしていたんだろうか。
雅也もまたきっとそう。いたぶりまくって殺す相手としては、17歳か18歳にこだわったのは、言いたかないけど絶望や恐怖のリアクションの美しさが、榛村の欲望を満たしたからなのだろう。性的な描写はなかったけれど、そういう欲望処理もなんとなく夢想されてしまう。

言及するのが遅れたけれど、この恐ろしき殺人鬼に阿部サダヲ。もううなづきまくってしまう。白石作品に出会う阿部サダヲ、やばすぎる。役者の阿部氏に出会った最初は一気に時の監督となった「うずまき」だったかと思うが、まあそれも特殊な作品だったということもあるけれど、あの時から私の中の阿部サダヲのイメージは、瞳を緑に塗りたくなる、つまり異世界イメージなんである。
市井の普通の人の感覚がないスタートだったから、実際は柔らかくチャーミングなキャラクターだと認識してからも、なんか、なんだか、異世界から来た人みたいな、根本的に出自が違う存在みたいな、感覚がある。

だから本作のキャラクターは、キター!!と思った。単純に、恐ろしいシリアルキラーなら、演技派俳優が嬉々として演じ、それなりの成果を上げるだろう。でも彼が演じるとね……二重三重に怖いというか、重層的な怖さ。日常社会に溶け込んでいるキャラと、シリアルキラーの恐ろしさが、ギャップなしに、平行線上で、同時に見れちゃう、納得できちゃう。
その上で、日常生活で彼と接していた人間たちは、犯罪の事実を知っても、そのギャップにおののくよりも、ああそうなんだ……でも自分にとってはいい人だったなあとぼんやり感じ、その先に、先述したような、つまりぼんやり思想の先の、ぼんやり自覚の恐ろしさが待っているのだ。薄皮一枚を破った先の、ほんの少しのきっかけで自分も踏み入れるかもしれない、プライドを満たす先の、恐ろしき世界。

本作を改めて顧みる時、やっぱりやっぱり、冒頭や中盤挿入される爪はがしたりぼこぼこ殴ったりする残虐シーンを極力少なくしているのは、言いたいのは、訴えたいのは、メインテーマはそうじゃないんだということをしみじみと感じる。
雅也は大学で地元の同級生だった女の子と知り合い、つまんないサークルに属している彼女をピックアップする形で親密な関係に至るのだが、前述したように彼女もまた榛村から手紙をもらっていた獲物候補の一人で、キラキラと光る瞳で、雅也君なら判ってくれると、私とあなたは同志だと、がっつりメイクラブした後に告げるのだ。
そこまではおっとり癒し系女子で、むしろ雅也が彼女がチョイスしているつまらないくだらないサークル活動から救い出したった、という雰囲気だったのが、ラストのラストで一気に反転、らんらんと光る瞳で、雅也との同志関係を確認する彼女に、おののく雅也。

個人的に気になったこと。雅也はやたらFランクの大学だと連呼し、父方の祖母は校長だし、彼が父から暴力を受け蔑まれ続けた理由の一つと思われるけれども、そもそも学校のランク付けということが現代社会ではもう意味無き事としてほしい。
学部にしても、学校自体の力量としても、もうさ、2000年代、令和時代、変わってると思うし、そもそも世界のランキングにしても、日本の有名大学のランク、低かったりするしさ……。
多様性という言葉がどこか流行語のように言われるところから、もうそろそろ脱皮してほしい。本作に対するもどかしさは、それだけ。でもそれは、確かに前時代のリアルだったから、残しておくべき記憶財産だった、のだと思う。★★★☆☆


姉妹事件簿 エッチにまる見え
2019年 69分 日本 カラー
監督:吉行由実 脚本:吉行由実
撮影:藍河兼一 音楽:
出演:一ノ瀬恋 北乃みれい 倖田李梨 可児正光 ダーリン石川 吉行由実 四ノ宮杏美 細川佳央 折笠慎也 白石雅彦 赤羽一真 桝田慶次

2022/12/14/水 録画(日本映画専門チャンネル)
タイトルでネタバレしちゃってるのはいいのかしらん??ちょっともったいない気がする。だってここが大キモのところなんだもんなあ。
いや、大キモは、性的にイッちゃうと霊が見える、というヒロインのトンデモ設定のところか。このトンデモ設定は一見、いかにもピンクという感じなのだけれど、展開、いや時に転回というべきか、とても上手いんだよなあ。さすが手練の吉行監督。彼女自身の脚本も秀逸。

もちろんいつものように吉行監督自身も出演している。しかも重要な役どころ。ヒロイン、リカの母親で、女癖の悪い夫と別れてから酒浸りの毎日のやさぐれ女を、まぁ本当にこの人はそーゆーのをやらせたらピカイチに上手い。
いや、何をやらせても上手いけど、このトンデモ設定のコミカルな展開が多い中、彼女だけが徹頭徹尾ドシリアスで、観客を惹きつけちゃう。

そして、そうそう、彼女だけカラミがなかった。これも凄く珍しいと思う。少なくとも、吉行監督が役者としても出る時に、カラミがなかった作品は私、覚えがないなあ。
こんな色気しかない熟女にカラミを持たせないなんてそれだけでもったいないと思っちゃうが、だからこそ本作の彼女は、そのどうしようもなさをもてあまして、別れた夫に未練たっぷりで、だからこそ……ああまだ、言っちゃダメ!!

てな具合に、ミステリ要素もあるのだが、まぁ最初から行く。リカは漁港に勤めるきっぷのいい女の子。
幼馴染の幹雄が男を振り回すタイプの女子、愛子にフラれたのに未練たらたらで、ストーカーと化していることを心配、というか、バッカじゃないの!とどつき、そういう経験を小説に書きなさいよ!とケツを叩く。

幹雄は賞をとったばかりの駆け出しの小説家なんである。そういえばそうか、と今書いていて思った。イマイチその設定が生かし切れてない気がしたから(爆)。
同性のリカから見れば、男にブリっ子する愛子からウザがられている幹雄というのはそれだけでイタい。でもこんなにも愛子に執着していたのに、ある雰囲気から割とあっさりリカとイイ仲になるのは、まぁ男なんてそんなもんなのかなあ。

おっと、そもそもの物語を置き去りにしてしまった。で、そう、リカはイッてる時に霊が見えちゃう。それが判ったのは、エロチャットをしていた時である。相手の背後にボサダサな男が二人、覗き込んでシコシコやってる。
サイッテー!とチャットをぶった切ったリカ、その後その相手が弁明することには、それは自分の親友たちであり、事故で死んだのだと、言うのだ!!

リカはそれを確かめるために、その相手とリアルセックス、そしたらその親友たちのみならず、自分の父親が出現!!死んではいない筈なのに……。父親もハダカの娘を前に、自分がなぜここにいるのか判ってない状態。
そしてそこにもう一人。現れるは愛子の母親。これは亡くなっているという事実が明白だからハッキリと判る。……いま改めて思ったけど、イッた時に見える、その後のプラスアルファの時間まで、ということ??シャワーを浴びてたリカはもはやクールダウンしていたんだけどなあ……そーゆー、細かいこと言うのはなしなし。

愛子の母親、弥生を演じるのはこれまたベテラン中のベテラン女優、倖田李梨先生。吉行由実御大とタイマン張れるのは彼女ぐらいであろう。
やさぐれ度合いは拮抗してるが、吉行御大が湿度たっぷりならば、倖田先生はからりとしている。双方違うタイプのイイ女で、リカの、そして愛子の父親の良介がそれぞれにホレちゃったのは判る気がする。

さらりと言っちゃったけど、そう、弥生が登場して、リカと愛子が腹違いの姉妹だということが明らかになるのであった。弥生がママをしている店で、客の良介と関係を持った。その一度で、弥生は愛子を身ごもったのであった。
このシーン一発なので、それが一度きりの客なのか、それなりに通っていたのか、判然としない。娘が産まれたばかりなのに良介は、何が不満なのか、不安なのか、こんなところで飲んだくれて、ナントカブルーなのかなんなのか、君と先に出会えたらとかベタな口説き文句でコトに及んじゃう。

結果的にリカの母親、順子はその事実を知っていたのか、あるいはすべてが終わって後に知ったかどうかさえ、これもまたハッキリとは判らない。
吉行監督演じる順子だけが、他のキャラと違って一人、抜け出せない暗闇にいたし、ハッピーエンドと見えるラストシークエンスでも、全部判ったのかな、どうなのかな、というのは明確じゃないんだよね……。
みんなそれなりに辛い思いをしているのに、結構明るく、エロにも行き、自虐にも行き、その中で順子さんだけが、……でも最後、幸せそうならば、いいのだけれど。

良介が生きているのか死んでいるのか、どうやら意識不明のこん睡状態にあるからこんな具合になっているらしい。弥生が言うには、天国に行くにも査定が厳しい。このタイミングで誰かに憑依して、善業を積めばワンチャンあるかも、という。
弥生が望んだのは娘、愛子の幸せ。付き合ってる男と結ばれるようにすればいいんだろ!と良介は鼻息荒く、しかし相手を間違えた。ストーカー幹雄に憑依してしまったんである。

これがねぇ、上手い!この間違い設定、上手いし楽しすぎる!!良介が得意げにやっぱり幹雄にホレてたんじゃないか、と言わなくったって、観客側には元から判ってたさ。

幹雄はナカミが自分自身じゃなければ愛子は受け入れるんだ(マジ、セックスしようとまでおよぶんだから!)ということに「逆に全否定された気分」と落ち込む。まあそらそうだわな。プロの女好き、良介にかなうわけがないんだから。
でも良介もそこまでの自覚はなかったのか。だって、つまりはその気になっちゃった娘とナニしちゃう寸前まで行ってあわてふためいているのだから。後に、リカと幹雄がイイ感じになったところで憑依交代しちゃう時にも、娘とナニしちゃう寸前になってあわてふためく、意味合いの違う二人の娘とナニしちゃうニアミス、面白すぎる。

幹雄のキャラ変があっという間すぎるみたいに言っちゃったが、こんな異常事態に巻き込まれ、説明されてなんとか飲み込み、お互いの幼い頃の記憶を手繰り寄せて懐かしみ、そして……というシークエンスが愛しすぎる。
なかなかヘビーな設定なのだ。二人とも施設育ち。幹雄は両親ともいなくて、リカは両親が離婚した時に母親が育児放棄になった。施設での思い出話をして、改めてお互い思い出したのだろう。今は強い女を押し出しているリカだけど、幼い当時も、そして今も、雷が怖いんだと。

そんな話をしている間に、なんだかいい雰囲気になって、それもエロの雰囲気というよりかは、楽しい親密さというところから、ちょっとチュッとかやっちゃって。
ああ、こういう感じのセックス、めっちゃいい。お互い照れ笑いを挟みながら、これまでの親密な年月があるから信頼関係があるから、いざキッカケ、チャンスがあると、こんな風にバチッとはまるというかさ、なんかめちゃくちゃセンシティブで、ドンピシャで、ドキドキしてしまった。

まぁだから、お父さんに入れ替わってイイところで遮られるんだけど(爆)。お父さん=良介がなぜさまよっているのか。そもそも海辺の崖の下で倒れているのを、ツアーガイドをしていた愛子が発見、ストーキングしていた幹雄も一緒にいた。現場に落ちていたイヤリングの片方は、リカの母親、順子のものだった。
つまり、良介の借金の申し出に、久しぶりに会えたのにと激高した順子さんが、彼をがけ下に突き落としてしまったんであった。イヤリングは、彼から結婚記念日にもらった大切なものだった。そうだ、このイヤリングのことを良介が忘れていたことも拍車をかけていたのだった。
記念日を大切にする女と、そうでない男。もう判りやすく。そして男は、時と場合に応じて複数の女を愛することができる、うらやましいとは思わないけど(爆)、だから……女とは決定的に違う生き物なのだ。良介のようにシュッとしたイケメンさんならなおさらだろう。

その意味では、幹雄は対照的なんだよね。みるからに素朴系男子。女子の母性本能を掻き立てるという意味では、イケメン良介よりモテ系かもしれない。愛子に執着している時には、恋に恋してこじらせているめんどくさい男子だったのが、本来の運命の相手、リカときっかけをつかむと、もう一気にナチュラルにステキ男子になっちゃう。
ピンクにおいてはカラミシーンは義務みたいなところがあってホントに心ときめく、キュンキュンきちゃうような、そう……つまり女子的萌えるエロシーンってなかなかないんだけれど(本能的シーンばかりじゃ、疲れちゃうのさ……)、久々に、乙女のハートとエロ煩悩がつながったと思った!

幹雄を演じる可児正光氏のぼさっとした純情さ、純粋さがキュンキュンくるし、本当に自然な流れで、なーんだ、みたいな、幼なじみと、きっかけでチュッとしちゃった後の、押し寄せる怒涛の如くの愛のエロ欲望!!
ああ、なんといったらいいのか。ただエロじゃないし、ただ欲望じゃないし、彼らの中で長年ウロウロしてきた年月があるのがもうたまらん、高まっちゃう!!

本作の中には、そんな具合にいろんな関係性が交錯しまくってる。だから脚本力の勝利である。結果的には、異母姉妹になる愛子も含めて、幹雄と命拾いした良介も参加して、海辺でのバーベキュー、ビーチバレー大会である。
愛子がリカに、犬猿の仲だったのに、お姉ちゃんなんでしょ、なにかあったら相談に乗ってよ、というのもキュンときたなぁ。

愛子、良介、順子という、微妙なメンバーでビーチバレーしているのを尻目に、こっそりセックスしちゃうリカと幹雄である。そしてそこに、弥生さんが登場、もうなんつーか、これまでもこんな、やめてくれよという状況は何度となくあったけど、なんかここは、ああ、来てくれた、ああ、ありがとうございます!!という気持ちになってしまう。
ファンタジーだしミステリーだし、軽い感覚だったんだけど、吉行監督、吉行女優でしっかり重かったし、問題提起されていたんだと思う。簡単には終わらせないぞ、みたいな。★★★★☆


しゃぼん玉の詩(股がり天使 火照りの桃源郷)
2022年 78分 日本 カラー
監督:竹洞哲也 脚本:小松公典
撮影:坂元啓二 音楽:與語一平
出演:高橋りほ 友田彩也香 辰巳ゆい 工藤翔子 吉田憲明 伊神忠聡 なかみつせいじ バクザン 巌屋拳児

2022/12/12/月 劇場(テアトル新宿)
コロナ禍の中、竹洞監督の近作を思いがけずCS放送で観る機会があって、同時設定で違う視点で二本撮っちゃう、コスパも良ければ二本合わせてより深い世界観を味わえるという作戦が面白いなあと思った。それが今回の特集にも用意されていて、もーこれは二本絶対観なければ、と足を運んで大満足。
主な登場人物はほとんど同じ。多少入れ替わり、追加人物はあれど、という感じなのだが、ヒロインを誰に据えるかで、大きくカラーが変わってくる。とはいってもメインのヒロイン、であり、登場する風俗嬢たちすべてがヒロインと言いたいぐらいなのだけれど。

そう、舞台は風俗店。ロケットワイフという、協力クレジットにもそのままの名前で出ているということは、実際にも風俗店なのだろうか??
風俗店を舞台にヒューマンドラマを作り上げる、だなんて、ピンク映画でしか出来ないよなあ、と、ありそでなかったこのアイディアにうなる。風俗嬢が出てくることはあっても、風俗店自体が物語の舞台になった作品は、案外なかったかもしれない。

店長は巌屋拳児、てゆーか、凄い漢字になっちゃったな。ピンクの時にはイワヤケンジ、一般映画では岩谷健司表記じゃなかったっけ。川柳をひねるのが趣味で、新しく入ってきた女の子たちの研修相手も務めるけれど、フェラをされるぐらいでカラミはなし。意外。
意外なのはもうひとり。風俗嬢たちのお母さん的存在として、総務的スタッフ、洋子に工藤翔子。抜群の安定感。

店長はこの店のかつての客、洋子はかつての風俗嬢。熟した大人の男女のカラミもありそうなもんだが、ない。若い頃の回想が続編にも出てくるけれど、そこでもない。
二人は全き戦友であり、同志なのだ。そして女の子たちを娘のように思っているのだ。胸アツ。メインストーリーは当然、風俗嬢視点の物語なんだけれど、なんたって年が近いから、彼らのこれまでを思って、グッときちゃう。

いやいや、なんたって、ヒロインの舞花を演じる高橋りほ嬢の素晴らしさよ。彼女は初見。ピンク初お目見えの女優さんは時々見てられないような芝居の方もおられるが、まぁ彼女も若干そんな感じはあるが(爆)、彼女自身の持つ圧倒的なキュートさ、チャーミングさ、太陽のような明るいオーラで滝のように押し流されちゃう。

本作、そして続編ともども、竹洞監督とのゴールデンコンビ、小松公典氏の脚本が冴えに冴えまくってるのだけれど、そのコントみたいな絶妙の会話劇を、りほ嬢のキャラクターが見事に吸い込んで、クスクス笑っちゃって、もうこの子、カワイーッ!!って思っちゃう。
彼女は自分自身でもカワイイと思っている(口に出しちゃう(笑))のだが、全然イヤミじゃなく、そうだよね!と思う。風俗初挑戦なのに各店を渡り歩いたとか虚勢を張って、でもそれを早々に自白しちゃう。あっけらかんとしているんだけれど、どこかウェッティーで、この店のナンバーワンのいつきのようになりたいと語る。

いつきは続編のヒロインとなる女の子なのだが、まさに舞花とは正反対、プロフェッショナル、その笑顔は客の誰をも癒す。その技をいつきは舞花に伝授してくれるのだが、その心はつまり、いつきはナンバーワンであることが苦しい、風俗嬢であり続けることに疑問を感じていた、のか。
中盤、彼女はふっと姿を消してしまう。店長は、これまでも何人もの風俗嬢がそんな風にいなくなったと語る。そうなんだろう……。舞花に技を伝授したことで、店長もちょっと予期していたんだろう。

この天真爛漫で暴走気味な舞花がナンバーワンになるかどうかはアレだけど、舞花のやる気と、何より舞花が、まるで恋しているみたいにいつきを尊敬していて、その想いに応える形で、技術を伝授、つまり百合プレイで(照)、お客様の気持ちを先読みする心がけまで、教え込んだのであった。

舞花ちゃんは本当に可愛らしくって、洋子さんの心もとろかす。お腹すいたー!という舞花に、豚汁を供するシークエンス、大好き。明日も洋子さんの手料理食べたい!と無邪気に言う舞花ちゃんに、忙しい中なんだけど、なんだかほだされちゃって、洋子さんは息子が高校時代に使っていた弁当箱を探し出す。

洋子さん自慢の息子。バツイチの洋子さんは息子と二人暮らし。登場シーンがいきなり、風呂上がりの上半身裸で冷蔵庫のお茶を飲んだりしちゃう、おいおいおい、これは母親とのナニがあるのか!?私はどんなゲスなんでしょう……AVならまだしもピンクではないわ、そんなん。
洋子さんは新しく入った女の子がね、と話すし、彼女の仕事、あるいはかつての仕事のことも判っているのかと思っていた。いや、判っていた。洋子さんが、息子は知らないと思っていただけで、息子は知っていた。就職が決まった彼が、内定のお祝いにと先輩に連れられてきたのがなんとまあ、母親が働いている風俗店だったという。

気まずい感じになって、思い悩む洋子さんに、こともあろうに(爆)舞花ちゃんが、私が話をしたげるから!!と申し出る訳。
ここに至るまでの舞花ちゃんはとにかく可愛くて仕方ない。憧れのいつき先輩に弟子にしてください!!と詰め寄ったり、美味しい料理を食べさせてくれた洋子さんにお礼!!とスーパーで大量のお菓子やらお惣菜やらを買ってきたり。

もしかしたら家族においては悲しいバックボーンがあるのかも、といった会話がちらりと交わされていたような。なのにこの天真爛漫っぷり。いやだからこそなのか。
舞花ちゃんが陽子さんの息子君に突撃すると、先述のように彼は思いがけず事実を知っており、感謝しかないと言い、ただそれを、どう母親に話していいか判らないだけなのだ、と言うんである。

泣けるのは、店に入った時、母親がスリッパを丁寧にならべて差し出した、あの所作だけで、この仕事に対する誠実さが判った、というんである。なんと細やかな。こういうところに、出るんだよなあ。心をつかまされちゃうのよ。

母親の仕事に偏見なんてない、先輩に連れてこられて、むしろ興味はあった、と正直に言う息子君、そうなりゃ舞花ちゃんのお仕事はキマリでしょ!てゆーか、息子君は風俗どころかマジ童貞、舞花ちゃんは、ここで(童貞捨てて)いいの?と問い、うなづく息子君、ああエモエモ(これをエモと言っていいのだろうか……)。
ここは風俗店。恋愛のセックスはない。続編にはそれが用意されているんだけれど、ここにはない。でもなんかね、……人間同士、なんだよなあ。それこそその台詞は、続編に出てくる。ああ、伏線が張られていたんだなあと思う。

なかみつせいじ氏扮する伝説の客のエピソードは、ギャグ篇といったところで、笑ってしまった。とにかく巨根、射精もえげつなく、女の子が吹っ飛ばされて壁に激突するぐらいだという、っておいおい!
ベテラン風俗嬢、梢、演じるはこれまたベテラン辰巳ゆい嬢が、可愛い後輩を危険にさらすわけにはゆかぬ、と立ち向かうのだが(こーゆー、いきなり武士か!みたいな会話が面白過ぎる)、こ、これは、このシークエンスは、いくらピンクといえども、い、いいのか?いいのか……??

フジヤマいう名前に恥じぬ、それどころか梢は、エベレストやん!と驚愕する屹立するアレは、なんと、なかみつ氏のお顔で代理描写され、勃起しているアレを、お顔の表情で表現するという……すげー!!!
私は女子だからわからんが、めっちゃハズいと思うのだが、セックス描写よりハズいと思うのだが、どど、どうなんだろう。てか、こんなん出来るのは確かになかみつ氏しかいないかも!

でもその伝説の客は、立ち向かった梢に、ゆるゆるでイケなかった。ブラックホールと命名して、立ち去るんである。……セクハラどころじゃない、ひどっ。
梢を演じる辰巳ゆい氏が、彼女も当然当初はイケイケ若手だった、その頃から見ているから、感慨深いのよ。だって、イケイケ若手の後、2、3年持つかどうかも難しい。でも彼女は、普通に美人さん、スタイルもいいのに、イイ感じに自分を客観的にぶちのめして、まさに役者、全身さらけ出す役者として、今ここにいる。なんだか嬉しくてね。
だから、ゆるゆるだの、ブラックホールだの、続編では体力の衰えから引退にまで追い込まれるなんてキャラが、彼女自身が貫いてきた役者道があったからこそ、しっかりと成り立つ気がして。

でもやっぱり、いつきである。続編では彼女こそがヒロイン、でもそもそも、その前提があるから、もう本作から、彼女が影のヒロインなのだろうとも思う。
AVの知識満タンでナンバーワン風俗嬢をイカせようと鼻息荒い男子を、プライドを傷つかせずに、そうじゃないんだと、気持ちなんだと、ゆっくり愛してほしいんだと、いわば客を、ガキ男子だった客を、大人の男に育て上げる、いつきはだからこそ、ナンバーワンであった。

これはよく言われるところで。AVで煽情的に描写される激しいプレイは、大抵は女子側には不評だということ。本作の冒頭でまず示される。梢さんが、感じてる演技をしているものの、コトが終わったら、やれやれ、と古風な台詞を声にまで乗せちゃうぐらいウンザリしている。
つまりこの時点でね、やっぱり愛であり、想いを伝えることであり、そこからでしか何も始まらないってことだったと思う。

いつきが、仕事終わりにいつも立ち寄る、ストリートミュージシャン。でも、いつき以外の客が立ち寄ったことがあるのか、と思うぐらいに、暗がりの道で、誰に聞いてもらう当てもないように、弾き語ってる。
この彼といつきがデキるのかと思いきや(単純な予想だ……)、このミュージシャンは本当にストリートミュージシャンのまま、ちなみに本作の音楽をそのまま担当しているあたり。

単純な予想をくつがえされたから、だから余計に深遠な意味合いを感じてしまう。彼女の心の声を、彼が歌っていたのか、なんてベタすぎる考えだろうか。
本作のラストは、なにか思うところがあって姿を消したいつきを、心配していた舞花ちゃんが、このストリートミュージシャンの演奏場所で、再会した場面でカットアウト。でも、いつきの顔は見えないのだ。舞花ちゃんが、あっ!と言ってそして……。

店長は、決めるのは本人なのだと言った。彼自身に、言い聞かせているようにも見えた。風俗嬢という職業柄、入れ替わりが激しいのはそうだけれど、でも入るのも、抜けるのも、深い理由があるのもまたしかり。
風俗嬢として磨いた技術に誇りを持ってはいても、客との相性もあるし、何より年齢的な限界も来る。なんかね、アスリートだな、と思った。実際、アスリートだよね。梢さんのように持久力に自信がなくなったと具体的に思って、辞めていく人もいるんだろうなあ。

続編がまた秀逸で、本作と記憶が混ざっちゃて、大丈夫かな??とにかく本作は、初見のヒロイン、高橋りほ嬢、ダイナマイト並みにぶっ飛ばされました!!★★★★☆


女子高生に殺されたい
2022年 110分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:城定秀夫
撮影:相馬大輔 音楽:世武裕子
出演:田中圭 南沙良 河合優実 莉子 茅島みずき 細田佳央太 大島優子

2022/4/13/水 劇場(新宿バルト9)
「ライチ☆光クラブ」「帝一の國」は同じ原作者さんだったのか!!両作品とも狂っちゃうぐらい好きで、複数回足を運んだ作品だったので、コミックス原作だというのは知っていたけれど、なぜそのことに今気づくのかと(爆)。
その爆裂原作者の、タイトルからしてヤバさ全開であることが判っちゃう作品を、今最も勢いがあると言っても過言ではない城定監督が手掛けるとは。
オフィシャルサイトの解説で、原作を大胆にアレンジした脚本、という文言にヒヤリとしたが、城定監督ならきっと大丈夫大丈夫(爆。いつもはここにもっと噛みつく癖にっ)。

タイトルからは、あくまで妄想の中での、とか、プレイの中での疑似体験、とか、そーゆー変態的性嗜好の男の話だと、まあ誰もが想像するわな、と。しかしこれが言葉通りの意味、女子高生に殺されたいんだと。自殺願望とかではなく、リアルな願望として。
劇中で実際の心理的症状として難しい名前で紹介されるが、あれは本当のそれなのだろうか。架空の設定ではないのか。

劇中では、当時医学生だった春人がその症例を見つけ、まったく研究が進んでいなかったそれに魅入られ、自分の願望を達成できるその相手を見つける、という展開である。
そこには性的欲望を充分に感じさせるけれど、だとしたら、たった一回しか達せられない、人生最後のゴールである。そう考えると、なにか壮大な純愛のような気がしてくる。

しかし、もちろん、この異様なアイデンティティは、正確に、エンタテインメントとして、不気味でミステリアスな空気を充満させて、私ら観客を連れ去ってくれる。
この恐るべき青年を演じるのは田中圭。彼はそう見えにくいけれど、実はカメレオン俳優ではないかと段々思い始めている。隣のお兄ちゃんのような可愛らしい顔立ちは、しかし唇が官能的にぶ厚くて、本作のような役柄の時には、女子高生を惑わせ、口角をあげるだけで邪悪な笑みで悪魔に見えるのだ。

この幼いような顔立ちにギャップのある、がっちりした体つきがスーツの下にもはっきり感じられるのが、本作においては逆に恐ろしく感じる。
その鍛えられた肉体を、女子高生に殺されるために、充分に抵抗して味わい尽くすために用意されたのだと、思ってしまうから。

春人はその相手がまだ幼女と言っていい年ごろに出会い、彼女が高校生となった時を見計らって、その学校に教師として赴任した。16では子供過ぎる、18では大人の手前。純粋な女子高生としての17歳をねらった。
用意周到に、どこの学校にもあるであろう、教師と生徒の恋愛を匿名で告発して、その空きにするりと入り込んだ。自分だって似たような、というか、それ以上、というか、ターゲットに殺してもらうために、複数の女子たちを垂らしこんだのに。

そう、なかなか、春人のターゲット、彼が殺されたいと渇望している相手が、判らないのだ。判らないというか、目くらましされる。それはどんな傾向の作品でも、あくまで観客の興味をつかんで離さない監督の手腕であろうと思われる。
そしてその、誰なの、この中の誰なの!!と思わせる女子たちが、若き才能あふれる彼女たちが、総じて素晴らしいのだ。

まず、もうネタバレで言っちゃうが、春人のターゲットはこの子。彼女が幼い頃、イタズラ目的で侵入した男を、あり得ない怪力で絞殺した幼女、実はその中に16歳のキャサリンという人格がいたから成し得たという、真帆である。
キャサリンの存在はかなり後半になって明らかにされ、その前にかおりという別人格が彼女の中にいるんだということが、起点となって春人の過去もまた遡られることとなる。

真帆を演じる南沙良嬢の素晴らしさ。彼女を初めて見たのは「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」だったかなあ。それ以来、彼女が出ているのなら間違いない、というぐらいの信頼度。
本作ではかおり、キャサリンという別人格に移行する様を、表情、というか、目のそれだけでバチッと見せてくれて、本当に戦慄する。たぐいまれなる才能だと思う。

真帆の事情を知っていて、そして自身も予知能力に繊細な自身が耐えられなくなって苦しんでいる親友のあおいを演じる河合優実嬢も秀逸である。そうだそうだ、「愛なのに」の彼女ね!
「愛なのに」で城定監督、城定監督とタッグを組んだ今泉監督の「mellow」で田中圭氏が主演していたことを思うと、監督さんと役者さんの信頼関係がイイ感じにバトンがつながれてるなあと嬉しくなる。

河合優実嬢は、田中圭に匹敵するぶ厚い唇で、これがまたなんとも、いつも何かを言いたげだけど、でもなかなか言えない苦しさを演出させる。
つまりはあおいは、真帆を、親友以上の気持ちで好きだったのだろうと思われるが、愛してるという言葉も直截に使われるが、しかして性愛としての、ヤボな描写は使われない。

それは、春人の方がハッキリと、女子生徒たちに勘違いを起こさせる、寸止めの卑怯な接触をして見せるのと見事に対照的で、真の愛があるのにそこに駆け引きもセックスもないあおい、真の愛がないのに、駆け引きとセックスを期待させる春人なんである。
そしてこの二人が、まさにその一点でクライマックス対決するのだから、実に秀逸な物語展開なのだ。

まだまだいる。私のようなアホな観客は、ずーっと騙されちゃった、この子こそが、春人のターゲットだと思い込まされた、柔道少女の愛佳。演じる茅島みずき嬢の不器用なみずみずしさ。ほんっと、こんな子を貶めるなよ!!って話っすよ!
いやあでも……マジで、目くらましされた。愛佳がターゲットなのだと、ずっと思っちまってた。春人はこの壮大な計画にチョイスする登場人物として、自分に恋してもらう女子生徒にアプローチするのだが、愛佳がその中で最も重要視されていたし、彼女と対照的に明らかに計略に持ち込むために露骨に引き入れたと判っちゃう、文化祭で上演する演劇の脚本を書いている女の子なんてさ、ホンット、明らかに、目撃者とかアリバイに使うだけだろ、と思っちゃうほどの、雑な勘違いのさせ方なんだもの。

スクールカウンセラーとして、春人の元カノである五月が登場する。全くの偶然、お互い顔を合わせて驚いた、という、そんな偶然あるかよ、というのが、本作の中で最大のナイナイだが、緊迫した展開とスタイリッシュな画作りで、ひとときも気を許さずに展開していくもんだから、そういうこともあるかな、と思わせちゃう。
スクールカウンセラーが導入されたのは、真帆の中のキャサリンが、いまだ存在しているのかを試すために、春人が訓練した犬で襲わせて、思惑通り、キャサリンが真帆を助ける形でおもてに現れ、あわれその犬は殺されてしまったからであった。
駆けつけたあおいは、死にゆく犬の言葉を聞く。飼い主の元に行きたいと。その願いをかなえて、犬の血だらけの遺骸を教壇に置いちゃうってのも、なかなかだが……。

なんたって舞台は高校で、新任の男子教師に女子たちはキャーキャーで、可愛いスクールカウンセラーに男子たちもキャーキャーで、そして青春の頂点、文化祭があって……。でもその中に、血塗られる愛憎が待っているのだ。
女子高生、いやさ、真帆に殺されたいと、女子生徒たちに巧妙にカマかけて、でもそれは彼女たちの勘違いのレベルにセーブさせて。愛犬が死んでしまったのは予想外だったのか、あのシークエンスは、コンパニオンアニマルと生活している人たちにとっては、なかなかに受け入れがたいと思うのだが……。

完全に自分の欲望のためだけにしつけたのか、だから犬が死んでしまったことよりも、それがもたらすトラブルに頭を悩ませたのか。
難しい。ひと昔前なら、映画の中で動物は結構雑に扱われていたし、飼い主としてどうなのとか、そんなことは議論さえされなかっただろう。現代においては捨て置かれないのが、いいのかどうかが正直判らない。
でも、あおいが犬の死に際の言葉を聞き取り、飼い主の元に行きたいと言っている、っていうのが、あまりにも突き刺さっちゃうもんなあ。

女子高生たちのヴィヴィッドなオーラに押されちゃうので、せっかくのビッグネーム、大島優子嬢はちょっと損な立ち位置かなあ。いやでも、彼女自身、そんなことは承知の上での、余裕のある存在感。春人が元カレだとあっさり生徒たちに明かして、サバサバとした魅力で彼らの信頼を勝ち得ちゃう。素早く懐に入れたからこそ、主要人物たちの抱える問題をキャッチできる。
あおいの繊細な気質が呼びこむ神秘的な予知能力を信じられたからこそ、その後の危機に対応できた訳だし、真帆の解離性同一性障害、真帆に恋する川原君への信頼、その他、春人が陥れた生徒たちへの聞き取りとケア。本作の中でただ一人、大人としての核心を失わない。

若いからさ、生徒たちとそんなに年は離れてない、せいぜい一回り程度なんだけど、でもこの年ごろ、10代後半と、20代後半から30代にかけての違いは本当に大きいのだ
。学生と社会人という以上に、ことに春人と五月は医学生で、一般的な大学生より長く、内容的にも深い教育を受けてきた。そこから、春人のような、五月のような、どっちがどうと言うのが難しい、違うベクトルが生じるのか。

春人が、キャサリンが潜んでいる、借りている、その肉体が、実際の彼女の年齢になるまで待って、文化祭という大舞台に照準を合わせるクライマックス。それまでにもう、なんつーか、演じる田中圭氏の没入感、この絶妙な、女子高生に対して、恋愛の対象になるかならないかのギリギリ、それを計算でやっているギリギリ、その卑怯さ加減、なんかもう、ヤバい!!
そして、女子高生だけじゃないんだもの。元カレとか言いながら、五月も結局、最後の最後まで春人に未練を持ち続ける。彼が女子高生に殺される最大目標は達成できず(邪魔されまくったから)、しかし自身が事故に見せかけた装置だったのか、真に事故だったのか、とにかく、ホントに舞台上で首つって宙ぶらりん!!コワすぎる……。

その後、春人は入院先のベッドの上で、記憶を失った状態である。記憶を失う、って、もうまんま少女漫画的で、こんっな、エグい話を記憶喪失で回収するのか。
しかし、すべての元凶である、恐るべき人格を内包し、それを春人に、自身の欲望のために呼び出された真帆が、何も知らず、先生が好きだという気持ちが抑えきれずに、控えめながらも慎みながらも、見舞いに訪れるのが、さあ……。そしてこの時に、春人は何一つ、覚えてない、思い出せてない、のだ!!

そして、真帆にずっと恋し続けている幼なじみの川原君、真帆に愛してると連呼したあおい。
なぁんかもう、二人は哀しき同士っつーかさ。プラス五月もあいまって、最後記憶喪失なんてルール違反犯すし、母性本能くすぐる田中圭氏に、女子すべてが、許せない筈なのに、許しちゃうんだもん。

いやー、なんつーか。女子高生たちキャストの凄みが、本当にすごかった。南沙良嬢、河合優実嬢のツートップは言わずもがな。時々、こんな作品に出会う。後から思うと、凄いスターが、ハッキリとその立ち位置を、存在感を示した起点となる作品になってる気がしちゃう。★★★☆☆


不知火検校
1960年 91分 日本 モノクロ
監督:森一生 脚本:犬塚稔
撮影:牧浦地志 音楽:斎藤一郎
出演:勝新太郎 中村玉緒 近藤美恵子 鶴見丈二 丹羽又三郎 倉田マユミ 安部徹 須賀不二男 浜世津子 丸山修 荒木忍 若杉曜子 嵐三右衛門 丸凡太 佐藤幸平 山本弘子 伊沢一郎 光岡龍三郎 寺島雄作 寺島貢 水原浩一 東良之助 市川謹也 高倉一郎 原聖四郎 伊達三郎 武智雅文 玉置一恵 藤川準 浜田雄史 沖時男 井上昭子 芝田総二

2022/10/28/金 録画(時代劇専門チャンネル)
うわっ、マジか、これが座頭市の前身にあったって、ショックすぎるんすけど!だって、だってだってだって、シリアルキラーやんか。連続強姦魔やないか。すっげーヒドい、ワル中のワル!座頭市の市さんが、居合の達人、つまりは武道家、その腕は弱きを助け強きをくじくためにだけ使っていたのとまるで違う!
同じ市という名前なのが憎たらしい。居合の達人どころか、コイツはありとあらゆる手を使って人を殺す。金のために、女がモノにならないために、殺す。彼が力づくで犯した女たちは絶望して自殺する。

マジか……座頭市の市さんが、惚れっぽいし女の方も彼に惚れちゃうチャーミングな座頭だったのに対し、その前身、つまりはこっちが最初のオリジナルである本作の市ときたら、小さな頃から悪だくみに天才的な才を発揮し、長屋仲間のちょっとオツムの弱い(今じゃ絶対に使っちゃいけない形容だ……)同輩を子分に使う、生まれながらのワル、まさにナチュラルボーンキラーズだ……。

そう、この子供時代は、座頭市に通じるちょっとコミカルな、こ憎たらしいけれどちょっと溜飲が下がっちゃうような、欲深大人を陥れる子供である市は魅力的と言えた。だってそれはきっと、愛するおっかさんのためもあったから。
稼ぎのない夫とめくらの息子(というのも、今は絶対に使えない形容だが、当時は台詞にずっぱり出てきちゃうからさ)を抱えて疲弊している母親のもとに、祭の祝い酒を口先八丁で調達してきた市であった。

金が欲しいが口癖であった母親の、それに応える愛の形であったのか、いや……。でも子供時代の市のエピソードは、小癪な、こ憎たらしいとは思うものの、ついついクスっと笑ってしまうようなチャームが確かにある。
それは、盲目の子供であるという、大人たちから同情か、見下されているか、という彼の立場から、鮮やかに逆転ホームランをかっ飛ばすような留飲を下げる狡猾さ、こざかしさ、だったから、可愛い賢さと思っていられた。
でも大人になり、大人の男になり、母親への愛は母親の不在によって失われ、女への愛は性欲が先にたって育まれることなく、金のためなら容赦なく人を殺し、名誉のためなら容赦なく師匠夫婦をもぶっ殺すのだ!!

大人になった市が登場するのは、幼き頃の夢から覚めたところである。落ちた金をはいつくばって探している子供時代の夢から、同じように這いつくばって覚めるんである。
市は不知火のおっしょさんのところで修行している。多くの盲目の同門がいるが、如才ない市は、同門からは嫌われているがおっしょさんからは重宝されている。重宝されている、というのはつまり、いいように利用されている……金貸しをしているおっしょんさんだが、どうやら回収がはかばかしくない相手先を断るために市を差し向けたりする。

だけど市はそういう機会を逃さずに、金を稼ぎ、金を奪い、女を犯すんである。うわー、こう書いてみるとヒッドいが、本当なんだから仕方ない。
お使いへの旅先で、癪に苦しんでいた旅人との会話から大金を持っていることが判った市は、針治療と見せかけて殺してその金を奪った。しかしその現場を見られていた、これまた悪党の倉吉に、奪った金の半金を与えて信用させる。倉吉は市にほれ込み、江戸に帰ったら再会しようと掛守(署名の入ったお守りみたいなやつ?)を預けるも、市はそれを、殺した男の手に握らせるんである。

うっわうっわうっわー。大人になった市の、最初のシークエンスでコレである。それも、演じるカツシンはまさに、座頭市の市さんのような軽やかさで、このキチクの所業を演じて見せるもんだから、うう、確かに座頭市の前身と言われれば……でもでも、座頭市の市さんは、こんな極悪非道の男じゃないもん!!と、もう心引き裂かれてしまう。

でもね、殺人だけならば、まだ良かったのだ。って、ヒドい言い方だが……女にとっては、殺人鬼より、強姦魔の方が許せない、かもしれない(そう言い切っちゃうと、いろいろ語弊があるのだが……。

最初の標的は、岡惚れしていた材木屋の娘だった。この時は本当にたまたまだったのか。市が療治にお邪魔していた時に強盗に入ったのが、奇しくもあの倉吉とその親分さんたちだったのだった。
なんたって倉吉は市から山分けされて、そのきっぷにも惚れこんでいたし、材木屋の隠し金を彼らの会話から鋭く嗅ぎつけて情報提供したことで、倉吉の親分、丹治も信用させたんであった。

もうこんときに、材木屋のおかみさんを親切ごかして自分の家にかくまうって形にして、がっつり強姦しちゃう訳。
で、翌朝おかみさんは自殺しちゃっている……幼い頃から市の手下である留吉が、死んじゃってるよ!!と驚くも、市はさして驚かない。あれが死ぬほどのことかよ、なんで死んだか判らんね、俺には関係ねぇよ、とのんびり髭を剃りながらほざくんである!!しんっじらんない!!

市の手にかかる女たちは皆あまりにも哀れなのだが、ヤハリ、後にカツシンとホントに結ばれる玉緒さんが気になりまくる。若い頃の玉緒さんの可愛さには毎回ショックに近いほどに魅せられるのだが、座頭市よりも前の共演、と思うと、もう心躍りまくる。
殿方の奥様というやんごとなき女性なのだが、実弟がお上のカネを使い込み、その補填を、そんなことだから夫には言えず、市のおっしょさんである不知火検校に借金を申し込むのだが、小金を貯め込んでいる検校だけれどもだからこそシワくて、借金を確実に返せそうな相手でなければソデにするのだろうというのがアリアリである。

しかし市は金の欲も凄いが性欲の方が凄い(爆)。この奥方、浪江さんに狡猾につけこんで、見事と言いたいぐらいの作戦で、彼女を手中にしてしまう。
まずは按摩、つまりマッサージ、性感マッサージ、いやその(爆)。若く美しい、可愛いというべきか、可憐な乙女の玉緒さん、薄い浴衣の上から、その太もも、そのお尻、その×××のくぼみ(うわ!)が判るほどにエロエロもみもみ、ダメダメー!!!そしてついにはOPに手が伸び、もう力づく、強姦ですよ。もう、ダメだよ……。

浪江はその時は耐えた。弟のために大金を融通してくれたから。でも夫が帰ってきて、市はしれっと、預けていたものをお返しください。すみませんね、手元にあると落ち着かなかったもので、と、夫の前で、わざわざ!金額まで明確にして!!言うのだ!!!キチクキチクキチク!!
……まぁ最初から、夫を信頼して、相談すればよかったと思ったって後の祭り。市に頼らざるを得ない浪江は、10回の分割借り、つまり、10回通ってセックスしてけと強要され(サイッテー!!!)、結局夫のしれるところとなり、これまた自害。コトがバレたと知った市はすたこらさっさ、各方面を丸め込んで土座衛門であがったと思い込ませちゃう。

そしてその直後、でかい仕事をしたいという丹治たちに、師匠夫婦殺しを持ちかける。自分が不知火検校二代目を襲名するために。
さすがに市が薄気味悪くなってきた丹治たちは、この機に乗じて市もまた始末してしまおうと画策するが、そんなことは市にはお見通しである。丹治たちはお縄になりそうにさせられ、すっかり屈服してしまう。市は彼らを現ナマで縛り付ける。わっかりやすく、それが子供の頃からの彼の信条なのだ。

不知火検校、まさにタイトルロールだが、陥れて殺した師匠の名を受け継いだという、恐るべきタイトルロールだ……。不知火検校、検校という肩書を持つことが、市にとって最大のステイタス、野望だったんだろう。
正直、不知火検校となってから、演じるカツシンの雰囲気がガラリと変わる。同じクズなんだけど(爆)、若く、野心があって、血気盛んで、性欲が抑えられない(爆)市であった頃は、許せないけれど、まだ、見ていられたのだ。

でも師匠夫婦を殺させて、その名跡を奪い取って検校になった彼は、もうそこからは、うっすら残っていた、若い暴走故のチャームも、皆無である。
巷で大評判の、浮世絵に描かれるほどの茶屋娘、おはんを金づくで女房に迎えるも、ああもう、こう書いた時点で先行きが見えている。もう市はいい年になってて、手込めで女に言うことを聞かせられないぐらいの地位も邪魔している。

おはんが金づくでもらわれてきたのは自他ともに認められるところで、口では市に忠誠と愛を誓うけれども、当然、恋人がいるんである。
彼女もさぁ、あまりにもうかつだよね。大金で買われてきて、それでも恋人と切れたくないと思うなら、パーフェクトに周到に立ち回るべき。なのに、市の留守を見計らって、実家に帰るなんていう見え透いたウソをついて会いに行ったり、長持ちをいいものに新調したいという市の計略にまんまとハマって、職人である彼を紹介したり、ワキが甘すぎるだろ!!

おはんの愛人、辰五郎は市の仕込んだ毒酒で、おはんも市の手によって絞殺されてしまう。うーむ、ここに至るとホントイタイというか。そもそもサイテーだが、金のためだけにあっさり殺しに手を染める、幼い頃からいわば天才的な悪人であったことを考えれば、そこで留まっていれば、許せはしないけれど、そういうキャラ……というのはあんまりだな、生来の、どうしようもない気質だと、思えるというか……。
なんか、金に対するつーか、金持ちに対する成敗をついついワレラ貧乏人は思ってしまうところがあって、本作の市はすべてにおいて許せない極悪人なんだけど、金を単純に奪うところで留まってくれてたら、とか思っちゃうところがあって。良くない良くない。殺しも強姦も同じくキチクな犯罪だよと思うのだが。

あまりにも堂々と人を殺し、女を犯し、根回しをするから、そりゃあこんな都合のいいことが続く訳ないだろと思いながら見ていたから、捜査、密告、ついに発覚の当然の捕縛によるラストではある。
本人はついに、やんごとなきお上からの療治を依頼されたと意気揚々、ゴーカなお籠に揺られて向かっている。そこに御用!御用!!まだ彼は、自覚してない。やんごとなき人に呼ばれたことで、もう自分がやんごとなき人だと思っちゃってる。

でももうすべてがバレてるのだ。そもそもなぜここまでバレなかったのかと思うぐらい、その自信マンマンな態度で相手を抑圧していただけで、あれ、おかしいな、という手が入れば、あっさり崩されるぐらいの脆弱さだったのだ。
派手な法衣に身を包み、意気揚々とお籠に載っていた市が、かなり尺を使っての捕物帳の末に、哀れ荷車に無造作に載せられ、ぐったり血だらけで運ばれるラストは見るに堪えない。
だってだって、これが座頭市の、愛すべき市さんの、そもそもの前身??封印してくれよ!!!★★★★☆


城取り
1965年 134分 日本 モノクロ
監督:舛田利雄 脚本:池田一朗 舛田利雄
撮影:横山実 音楽:黛敏郎
出演:石原裕次郎 千秋実 中村玉緒 芦屋雁之助 藤原釜足 内藤武敏 松原智恵子 鈴木やすし 今井健二 石立鉄男 藤竜也 磯部玉枝 芦屋雁平 高山英男 杉江弘 河上信夫 木島一郎 長弘 峰三平 八代康二 葵真木子 黒田 紀原土耕 原恵子 亀山靖博 千代田弘 荒谷甫水 山口博義 田中浩 近松克樹 渋谷辰雄 山根久 十日野戎 大中英二 尾小山安治 藤井重俊 牧野児朗 前川忠夫 山本晃士郎 筒井浩二 前田正 山田裕 太田康人 大崎猛 三沢弥太郎 渡辺強 宮岡俊夫 水木京二 里実 村田寿男 鈴村益代 晴海勇三 柴田新三 河瀬正敏 茂手木かすみ 和田美登里 宇仁貫三 上西弘次 樽井釉子 木村博人 浅川孝二 滝沢修 近衛十四郎 郷^治 上野山功一 榎木兵衛 市村 宮沢尚子 新津邦夫 本目雅昭 瀬山孝司 水城英子 本間節子 緒方葉子 高山千草 二谷英明(ナレーター)

2022/8/26/金 録画(チャンネルNECO)
戦国歴史ものでなかなかの尺もあるので怖気づいたが、意外に筋立てはシンプルで判りやすい。当時30そこそこの、若き青春スターから、自らのプロモーションでこの大作を作り上げるだけの自信とオーラに満ち溢れた、すでに貫禄さえ身につけ始めている石原裕次郎である。
無敵の強さをもつ主人公、車藤三役で、全編に渡ってたっぷりと剣劇を見せてくれる。たった一人で、あるいはもう一人、相棒の俵左内(千秋実)もまためちゃくちゃ強くてたった二人で、冗談みたいな数の敵を蹴散らすのはさすがに画的にもキツいかなとも思ったが、まぁなんたって大スター石原裕次郎だからさ。

時代は豊臣秀吉が死に、家康の強大な力に名だたる諸大名たちがなりふり構わずその傘下につこうと躍起になっている戦国末期。
そんな中、会津若松の城主、上杉景勝だけが気を吐いている。藤三は名門、小早川家で重用されていたのに、そこを辞してこの地にやってきたんである。

上杉に仕えている友人、左内は金の亡者だが、不思議に憎めない男。しかも藤三と拮抗するほどの剣の達人。
藤三が偶然、上杉家に密書を運んできた使者が斬られたのを助けて送り届けたことで、その密書を読まれたのではないか、あの男を斬れ、と命じられた時に、左内は藤三の正体を明かすんである。

でもあくまで藤三は、名も無き自由人であることを貫く。それは本作の最後までである。いつでも風の向くまま、自分の信じる道のまま。上杉家の男気を好ましく思って“見物”に来たものの、そこに仕官する気はない。

しかし、事態は切羽詰まっている。北の猛者、伊達政宗が徳川と上杉の戦いに乗っかって、上杉を乗っ取ろうと画策している。そのために伊達が突貫工事で作っている多聞山城を取ろうというアイディアを藤三が思いつくんである。
城を取る。そんな表現、初めて聞いた。なんかゲームめいた感じ。城取りゲーム。でも戦国時代、あるいは戦争、ゲームなのか、言ってしまえばゲームに“過ぎない”のか、と思うと、急に深い想いになるけれども。

そのアイディアを上杉に進言、柔軟な考えの城主はそれを快諾する。城を取ったら、それは左内のものになる、とまでの確約。しかし現時点でたった二人、左内のため込んだ軍資金で当地の人々を雇う、ということぐらいしか決まってない。
城のある畑谷の町へ向かう途中、一人また一人と、戦力となる人物に出会う。なんか桃太郎みたい、と思っちゃう。猿、犬、キジといった、それぞれ違う能力を持ったキャラがつぎつぎと加わる、みたいな。

最初に出会ったのは、藤三が即座に伊賀の者と見抜いた彦十。若くて可愛い向こう見ずなこの彦十を演じているの、誰だろ誰だろ、と思っていたら、なんとなんと!石立鉄男!まじか!!アイドルみたいに可愛い!!
その軽業を買われてまず一番のメンバーである。伊賀の者と思われたくない、上のものばかりが威張っていて、という彼の言い様は、まさにこの物語の問題そのものであり、家康の天下、そして伊達家が完成を急ぐ多聞山城のために民衆を強制労働させることもまさにそうであり、歴史もの、戦国ものなんだけど、妙に民主主義的映画のようにも感じたりして。

次に加わるのが、畑谷の町から逃げ出し、歩き巫女として京に出るんだと意気込んでいる世間知らずの娘、お千。うっわ、めっちゃ可愛い!!若き日の玉緒さん。巫女と歩き巫女の違いも判らない(後者はつまり……売る女ということだろう)彼女だが、巫女としての実力は確かである。
未来を見通す力、人を見通す力、そして畑谷の町に幼なじみやらなじみのおっちゃんやらが沢山いて、皆強制労働につかされていたから、彼女が藤三を彼らに信用させることによって、加速度的に、味方の人数が膨れ上がっていくのだ。

これは、実に痛快。最初、藤三と左内だけ、軍資金をどう使うかも決まらないまま、ダメモトだし、うっかり成功したらラッキーぐらいのことでスタートしたんである。
もちろん藤三はその軍資金をたくさんの人を雇い入れることを最初から想定していたんだから、それがそのとおり上手く行ったと言っちゃえばそれまでなんだけれど、でも彼らだけで敵地に乗込んで、それでなくても侍に対して敵対心のある、当地の一般民……ほとんどが百姓……を味方につけるなんてこと、すんごく難しかった筈。

それがまず、当地の娘、お千に出会い、しかも彼女がその当地のインフルエンサーつーか、巫女として有名で、誰もが彼女を頼るようなさ。
そして大阪からの商人、長次郎がまた心憎い。演じるのが芦屋雁之助だから!!これまたぴっかぴかに若いんだけどさ、若いだけに、城中のお女中を(シャレじゃないのよ)たらしこんで城の見取り図の情報を得たりして、なかなかやりおるのだ。
だって彼が手掛けているのは、女たちの心とろかす白粉(おしろい)、つまり化粧品。彼自ら慣れた手つきで白粉や紅を女たちに刷り込むのだから、そりゃあいくらお顔が芦屋雁之助でも(爆)ちょっと好きになっちゃうでしょ!!

長次郎が引き入れられた理由は、目の見えないお姫様の心を少しでも浮き立たせるため、なんである。軽妙な口上に笑顔を見せるけれども、自分が美しくなった顔を、結局は見ることはできない……。
このお姫様を演じるのは松原智恵子。メチャクチャ可愛い……。あるデータベースでは緑魔子になっていたが、こーゆーのってそもそもの企画段階での、ってのが残っちゃってるってのを聞いたことがあって、多聞山城を任されている切れ者、赤座刑部の懐刀である渋谷典膳役も、実際は今井健二氏なのだが、某データベースではなんと宍戸錠となっている……面白すぎる!!

お千ちゃんがさぁ……めちゃくちゃ役に立つ、使える、町の誰もが知っている、誰もが彼女を好いているのが判るような、天真爛漫な女の子なんだけど、でもやっぱりやっぱり、歩き巫女が“生娘がやるようなことじゃない”意味が判らないような、ある意味では罪深き女の子なのだ。
若者たちの実力者である源さんと呼ばれる青年は、明らかに彼女のことが好きなのだ。なのにまったく、まったく!!お千ちゃんはそのことに気づいてない。

藤三に恋しちゃってるんだよね。自分たちの町を、そして自分たちを守りに来てくれたヒーロー、ムリもないけど、でもそれが、町→自分たち→自分、にまぁ生娘だけに誤変換しちゃう訳でさ。
源さんは藤三が固く戒めた、決してここから出るな、という言葉に反して、自分たちだけで敵を倒せる、とあおられてタガが外れちゃって、そのことで仲間たちを、そして自分も、命を落としてしまう。かけつけたお千ちゃんはその凄惨さを目の当たりにしているのに、なのに、藤三を追いかけてしまう……。

最後まで、ただただ、お侍さん、と言っていた。つまり、名前を知らなかったんじゃないの。お侍さん、私たちを救ってくれるお侍さん、私を救ってくれるお侍さん、……。
生娘のまま、だなんて言い方はしたくないけど、自分にホレてくれた男の想いにも気づかず、恋に恋する相手を無鉄砲に追いかけて、彼女は死んだのだ……。

本作においてはなんたって、赤座刑部=近衛十四郎である。もう、これしかないっしょ、というところである。このえじゅうしろうー!!オーラが違いすぎる……。
藤三にとっては、徳川におもねる、姑息な手段で上杉を打ち取ろうとしている相手なのだろうが、それはトップの考えであり、刑部はあくまで、その指揮をとっているだけなんである。

彼の武力の強さは伝説的で、手ごわい相手だと感じていた。もちろん戦略的な頭脳も持ち、お抱えの忍者で藤三たちのスパイ作戦を探らせ、ドキドキの展開だった。
でも、ああでも。彼の弱さはまず、盲目の愛娘、そして、彼自身というよりは、懐刀の典膳が人心を掌握できなかったこと、これに尽きる。原作の司馬遼太郎氏の作品意図こそが絶対にそこにあったと思われる、常に物語は、名も無き市民の心こそが、動かすものなのだもの。

いよいよ城を取る!!というクライマックスからの展開は、まるでテーマパークのアトラクションか、サスケのセットかと思うほどに、もういろんなワザが使われるし、先述したように、石原裕次郎という大スターの、冗談かと思うほどの無敵の強さを見せるアクションシーンなのだ。
でも……改めて思い返してみると、合戦という、つまり現代に置き換えれば戦争という無慈悲で不条理な中で死んでいく人たちが、皆、ただただ、従順に、自分の責務に服した人物たちばかりなのだ。

密書を届ける途中に討たれた使者、見せしめのために殺された逃亡人夫、敵の謀略に落ちてしまい、誘い込まれて銃撃された源さん(とその他多数)、刑部の命により藤三たちを探っていた忍者の五貫匁……。
そして、究極は典膳だ。刑部のフリをして、身代わりになって、藤三と対峙した。刑部の愛娘を慮ったのは、彼はきっと、いや絶対、姫を愛していたからに違いない。

刑部だと思い込んで対決し、自害した彼の仮面をはいで藤三は驚愕する。彦十は誤解して、刑部の首を藤三がとった!!と騒ぎ立てるも、その一瞬後に、刑部が高らかにそれを覆す。
そして、ラストのクライマックスは、藤三と刑部の、なかなかに長い、緊迫のアクション決戦なんである。

石原裕次郎のカッコよさ、けれんみたっぷりの千秋実、ピュアすぎてどつきたくなる玉緒さん、哀しすぎるぞ、ただただ従順な故に死んでしまう典膳を演じる今井氏、個人的には驚きしかない可愛すぎる、美少年過ぎる少年忍者(爆)な石立鉄男に衝撃百パーセント。いやー、びっくりしたわ。★★★★☆


親密な他人
2021年 96分 日本 カラー
監督:中村真夕 脚本:中村真夕
撮影:辻智彦 音楽:新垣隆
出演:黒沢あすか 神尾楓珠 上村侑 尚玄 佐野史郎 丘みつ子

2022/3/7/月 劇場(渋谷ユーロスペース)
黒沢あすか。この人は本当に唯一無二の女優さん。誤解を恐れずに言えば異形の女優というか。どこかバケモノじみたところがあって、声や独特のエロキューションが背筋をぞわぞわさせるものがあって。
彼女を主演に据えたらそりゃあ極上のサスペンスが出来上がるに違いない、という本作。シックな画作りも彼女のモノクロームなオーラにぞっとするほどなじんでいて、最初から彼女の狂気が見えるようなんだもの。

いつもガンガンに換気扇を回していた。そうだ、後から思い出せば確かにそうだったのだ。しかも換気扇を大映しにして、ゴウオッ!とばかりに音までもドアップにする。それは彼女の異常さを物語るものなのかなと思ってたのだが……。

一見すると社会派映画の片りんとも思えなくもない。だって題材はオレオレ詐欺。いや、今は様々なやり口があってオレオレ詐欺とは言わないのか。でも本作はまったきオレオレ詐欺だ。息子を名乗り、振り込ませるのではなく金を受け取りに行くというオールドスタイル。
つまり社会派映画と見るにはそのやり口は単純に過ぎるのだ。詐欺グループ内の結びつきも、今では末端ばかりが割を食って黒幕が捕まらないという周到さだと聞くのに、本作はまるでヤクザの、いやそんないいもん?じゃない。チンピラの、兄貴分と子分の小突き合いみたいだ。

二十歳の雄二は受け子である。お年寄りに電話をかけて孫のフリをし、急な入院費用を無心する。コロナだから病院には来てもらえない、というあたりはしっかりと現代の情勢を入れているのに詐欺のやり方はオールドスタイルであるというのが、奇妙な御伽噺感覚を醸し出す。そのあたりの現実感覚とフィクショナルなサスペンス感覚が絶妙である。

黒沢氏演じる恵が雄二と出会うのは、受け子としてではなく、恵の最愛の息子、心平の消息を知っているとコンタクトをとってきたからであった。最初はピンときてなかったが、心平は雄二と同じく受け子をしており、恐らく心平の失踪によって雄二が後釜に入ったということなのだろうか。
恵が心平を息子と言って捜索依頼をネットに乗せている。そこに雄二が心平と会った、と言ってコンタクトを取り、心平からもらったとか、忘れていったとか言って、確かに心平の持ち物であるものを次々と恵に手渡して信用させ、入り込む。“信用させ、入り込”んだつもりだったのだが……。

正直言うと、オチが判っても、このあたりのカラクリはなかなか飲み込みづらい。心平の身分証や持ち物を持っていたんだから、雄二が入る前の受け子だろうと思うんだけれど、心平が恵の息子でないことは彼らは知っている筈で……だって、恵の元にまさにオレオレ詐欺の受け子として心平は現れ、それ以降消息を絶ったのだから、知らない筈はない。
いや、だからこそ不信を感じて雄二を潜り込ませたのか。でも見ている感じでは、雄二は心平が彼女の息子であると信じて疑ってないように思えたけどなあ。

まぁそのあたりは私の理解力のなさによるのだろう(爆)。恵は半ば心平を、本当に自分の息子だと思い込んでいる、というか、思い込もうとしていた節がある、のは、後々明らかになるところで、彼女が息子を幼くして亡くしているから、なんである。
これも結構あっさり明らかな形で、冒頭に示されているのに、鈍感な私は気づかない(爆)。桐の箱に収められた小さな手形と髪の毛。手形なら産まれた時の記念と思えるが、髪の毛というのは、……そういうことだとなぜ気づかなかったのか、バカ!私!!
しかし異常なのは、恐ろしいのは、恵がその手形と髪の毛と同等に愛し気に触れるのが、ネットに捜索依頼を出している心平の写真だということなのだ。そりゃさぁ、この手形の子供とイコール息子と思っちゃうじゃん。

もちろん彼女の頭の中では切り分けられていた。かぎ針で編んでいるのは赤ちゃんの靴下だったのだろうか。後に雄二が引き出しの中に大量のそれを発見する。
赤ちゃん用品を扱う店で働いている彼女は、在庫品をちょろまかしてはうっとりと撫でさすり、ベビーカーの中の赤ちゃんを抱き上げてあやしては、その母親から抗議され、上司から叱責され、在庫品をちょろまかしていたことも相まって、解雇されてしまうに至る。

ほったらかしにされているベビーカーの赤ちゃんをあやしているのを、ほったらかしにした母親から抗議される、という図式は、現代における人間社会の貧弱さ、身勝手さと描くことも出来る、というか、本来ならばそうであろう。でも黒沢氏が演じるとそうならない。本当に、危険を感じ、本当に、気持ち悪いのだ(爆)。
この女、赤ちゃんを連れ去ってしまいそう、というオーラがビンビンに発せられているのは、彼女がその赤ちゃんを、ただ赤ちゃんとしてではなく、その中に死んでしまった息子を見ているからなのだ。
そして、一方では死んだ子の年を数えて、心平にその姿を見た。抗われて彼を殺し、次に現れた雄二を更に身代わりにした。「心平と同じ体格なのね」と嬉しそうにおおぶりのセーターを着せたりして。

恵は、とゆーか黒沢氏が、母親というにはしんねりと女くさくて、それも彼女の年相応の女くささで、ほぼ同じ年である私は、なんかもう見てられないというか。
私はかっさかさの独身女だけど、恵は一度は結婚し、子供をなし、でも離婚し、子供も亡くした。それ以来、たった一人。いや、そのストーリーもどこまで本当なのか。だって雄二が聞いた時には、心平のことを息子だと思い込んでいた(ように見えた)から、シングルマザーで息子を成人するまで育て上げた、という図式に見えていたのが、そうではなかったんだよね。

育て上げたんだったら、その息子が失踪しての今の彼女だったら、こんな女くささは確かに……おかしいのかもしれない。いや、判らない。それこそ偏見かもしれない。でもさ、もう……雄二に対するしぐさというか、触れ方というか、ゾッとするほど女、なんだもの。チンピラ兄貴分が雄二に言う、あのオバサンとヤッてんのかという台詞が、この先の展開でありそう、とすんなり思わせちゃうほどのセクシャルさ。
でもそれは、恵は、演じる黒沢氏は、決して雄二のような若い男の子とセックスするようなセクシャルさとしては提示していないのだ。あくまで母親、失った息子を今ここに取り戻している母親。なのになぜこんなに、むせかえるぐらいにセックスの匂いがするんだろう。

あからさまな描写にもよるっていうのも確かにある。スリップ姿で雄二を風呂場にいざない、雄二もパンイチで、そりのこしの髭を剃ってあげるなんて母親と息子だってあり得ない図なのに、息子の身代わりとしてかくまっている男の子とのそれなのだ。
顔の近づきさ加減も尋常じゃなく触れ合うばかり。ざわざわする。しかもその手には、これまたオールドクラシックなカミソリが握られているのだ。もう判っちゃう。これで心平を殺したんだろうと、雄二でなくったって、判っちゃうではないか。

まるで恋人同士のように、どこか遠くに逃げようと、恵はささやいた。雄二が受け子だってことも承知の上、心平もそうだと判ってて受け入れた時と同じように。
心平の時は、何が齟齬を産んだのだろう。何が彼女を、心平の喉を掻っ切らせたのだろう。押し入れの奥、防虫剤が無数に釣り下がる奥に、厳重に封をされた段ボール箱の中に、変わり果てた彼が入っていたのだろう。
雄二がそれを見つけてしまった後のことは、描かれないけれど当然の帰結。そしてまた、恵はネットに捜索依頼を出すのだ。また息子として、雄二の写真を。

絶妙に二の腕の内側がたるたるしている、私と同じ年ごろの黒沢氏のスリップ姿が、化粧疲れした肌の感じが、ゴウゴウ鳴り続ける換気扇の下にたたずむ姿が、直視できない。
鏡を見るのが年々、日々、辛くなっていく。気合を入れなきゃ鏡に向かえなくなってくる。母親になった経験はないけれど、恵になってしまう可能性を、あっさりなっちゃう可能性を、感じずにはいられないのだ。

本作の中には社会の不寛容さとか、家族のあり方とか、女性の生き方とか、一見して社会性を帯びたテーマがちりばめられているんだけれど、そのどれも、関係がないのだ。恵という一人の女のある意味での力強さに圧倒されてしまう、負けてしまう。
完全な社会的弱者なのに、完全な自分的強者。細かい、スプレーのような、繊細な芸術的な返り血を浴びる、アラフィフスリップ姿の黒沢氏の、悪魔的な美しさに、本作のすべてが投じられている。★★★☆☆


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