home!

「や」


2022年鑑賞作品

やがて海へと届く
2022年 126分 日本 カラー
監督:中川龍太郎 脚本:中川龍太郎 梅原英司
撮影:大内泰 音楽:小瀬村晶
出演:岸井ゆきの 浜辺美波 杉野遥亮 中崎敏 鶴田真由 中嶋朋子 新谷ゆづみ 光石研


2022/4/6/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
わざわざ主演:岸井ゆきの、出演:浜辺美波と記すあたりは、そうでもしなければダブル主演と見えるからだろうか。実際、ダブル主演じゃないのだろうか。それじゃいけないのかな。
出演場面は確かに岸井譲の方が多いかもしれんが……それに、出演、って、せめて共演にしてほしい。なんかガクンとレベルが落ちる気がしちゃう。

それぐらい、むしろそれぐらい、浜辺美波嬢の存在感というか、インパクトが凄かった。むしろ彼女主演と言いたいぐらいだった。実際、物語のカギというか、謎というかテーマを担っているのは彼女なのだから。

でも本作は、言い切れないことが沢山ある。今や死んでしまったすみれが本当はこうだった、みたいな展開に後半はなるのだが、それも死んでしまった彼女の幻影を見る真奈の作り出した物語なのか、あるいは観客だけにこっそり真実が明かされているのか、判然としない。

堂々巡りのたらればに、彼女を愛した人たちは苦しめられる。だって、実は死んだという証拠さえない。
あの時、すみれは東北に旅行に行っていた。そう、そういうことだ。消息を絶って、行方不明で、おそらく……ということだ。真奈はどうしても受け止められない。ここから一歩も進めはしない。

そういうこともあるのか、あったのだろうと思い当たる。不思議と、住民たちだけが被害に遭ったように錯覚していた。でも確かにあの時、サンドイッチマンが営業先で出くわしたのだし、そういう例は当然、あったに違いないのだ。
そういう視点では考えたことがなかった。それなら余計に……そっち方面に旅に出ると聞いてはいたって、受け止め切れなかったのだろう、特に真奈には。

すみれと真奈は、大学入学間もない、キャンパス中がサークル勧誘でお祭りのようになっている中で知り合った。真奈にとっては最初からすみれは眩しい存在だった。強引にチラシを渡され、名前だけ書いてくれと強要されて戸惑っているところに、「私も書いていいですか」とすっと入ってきたのがすみれだった。
見るからに人目を惹く美少女で(そらー浜辺美波嬢だからね)、新歓コンパでもチヤホヤされ通しの彼女だったけれど、すみれは居心地悪そうにしている真奈を気にかけ、ムリに飲んで気分が悪くなった真奈を追ってトイレで介抱する。

そうだあの時、気づいても良かったのだ。手首に巻いたシュシュで手早く真奈の髪をまとめ、「かまないでね」と断って真奈の口に指を突っ込んだ、そのすべてが出会ってこんなに間もないあいだに起こるには、なんとなまめかしいエピソードなのかと。
先輩男子に絡まれる真奈に素早くキスして、私たち付き合ってるんで、と言い捨て、この喧騒を抜け出したオープニングからその可能性に気づくべきだった。

すみれは真奈が思っているような、社交的で明るくモテて、キラキラ女子じゃないのだ。むしろ真奈と似た者同士だったのだ。でもそのことをきっと真奈は最後まで、気づけてなかったんじゃないのか。

たられば推測、妄想、幻影かもという後半シークエンスでいろんなことを思う。謎の女の子、神秘的な女の子、ミステリアスな女の子……でも実際は、そんなんじゃない。ただの女の子。ただ、本当の自分を見せられなかっただけ。
真奈には、それを見せていたように思っていた。親友だと、お互い間違いなく思っていた。あのくだらないコンパから抜け出して、「美味しいもの食べに行かない?あそこの唐揚げサイアク」と真奈に笑いかけたすみれ、自己紹介しあい、その時からファーストネームを呼び捨てにし出した二人は、間違いない親友だったし、すみれが何らかの事情を抱えて真奈の部屋に一年以上も転がり込んだりもしたのだ。

後からあれこれが、巻き戻され、すみれの視点から検証されなおす。でもそれも、何度も言うように、今は死んでしまったすみれなのだから、観客に対してだけ真実を見せてくれているのか、あるいはひょっとしたらそうだったかもね、というところにとどまるのか、正直判らない。
原作小説ではひょっとしたらハッキリと、そうだった、と示しているのかもしれないし、単に本作が提示した結論に私が鈍い反応を示しているだけなのかもしれない。
でも、そうだとしたら、なのだけれど、昨今の多様性、LGBTQ+の問題にかかわってくるから、カンタンに言えない雰囲気は確かにあるのだ。だって、イヤな言い方だけど、すみれは真奈に手を出さなかったのだから。

すみれの彼氏(だったのかどうかさえ、こうなってみると定かではない)、遠野君はきっと、すみれの真奈への気持ちを知っていたと思う。ああでも、それも先述のように、すみれの気持ちはたらればだから、断定しきれないんだけれど。
理解のない母親から逃れて、一人暮らしの真奈の部屋に転がり込んだすみれが、真奈の寝顔をこっそり撮影したり、着替えがないからという言い訳で真奈の服を拝借したり、どこかフェティッシュな愛さえも感じ、ここから一歩、踏み出しちゃうんじゃないかと、ドキドキする。

一緒に暮らさない?と問われた遠野君が、真奈のことを気にしたのは、ハッキリ、すみれの真奈への気持ちを知っていたからだろう。実際、この二人はどの程度まで、ちゃんと(という言い方もおかしいが)恋人同士、だったのだろうか?すみれの、真奈への気持ちをハッキリ判っていたら、リアルな恋人ライフが出来るのだろうか?でもすべてを飲み込んで、遠野君は真奈と離れて彼と暮らす決断をしたすみれを尊重したのだとしたら……。

実際ね、真奈からの視点同様、私ら観客の印象でも、遠野君はなんかハッキリしないというか、頼りないというか、まぁ真奈にとっては嫉妬もあったと思うけれど、ぼんやり男子、なんだよね。
それは演じる杉野遥亮君の、とりあえずイケメンではあるけれど、みたいな(失礼な言い方だが)風貌がピタリと似合っている。

まだ何の事情も判らない冒頭、真奈の勤め先であるラウンジに訪ねてくるのが遠野君である。その最初から、親しく見知っているのになんだか距離がある、独特の空気感を醸し出す。
すみれの遺品を整理し、彼女の実家に運ぶための相談に、彼はやってきていた。まだこの時点で、彼らの関係性がよく判っていない。いや、結局最後まではっきりとはしなかった。遠野君はすみれと恋人同士のままだったのか、結婚まで行っていたのか。

真奈は遠野君が苦手だった。そう本人にこの機会にハッキリと言った。その理由は……言わなかった。彼女自身にも判然としてなかったのかもしれないし、嫉妬の感情を言いたくなかったのかもしれない。
遠野君が新しい出会いをして婚約したのだと言い、すみれの母親は、あの子が死んでしまったことで逆に近づけたような気がする、と言った。

すみれいわく、子供と夫に依存していた母親だったのだと。だから家を出たのだと。後にその時の親子の衝突が示されるが、その時母親が言ったのは、一人で生きていける訳ないじゃない、という決めつけだった。それを振り切って、すみれは出ていった。
母親の言い様はお前はどーなんだと言いたい、あまりにも蔑視した決めつけで、そりゃあんまりだと思ったけれど、思ったけれど……結局、学生であるすみれが一人で何とか生きていくことは出来ず、親友の真奈を頼ったのだった。
実に一年以上も、いわば居候を続けた訳だけれど、真奈のことを、真奈がすみれを思う気持ちとは違う感情を持っていたすみれが、この一年あまりをどう過ごしていたのかと考えると……。

ああでも、それも、先述のようにたらればに過ぎないのだ。近作でね、ちょっと似たシチュエイションの作品があったんだよね。その作品では、相手がノンケだと承知の上で、つまり玉砕覚悟の上で、言葉以上の、真実の想いを生々しくぶつけたんであった。
本作に関しては、そこまではすみれは出来なかった訳だよね。てゆーか、そもそもすみれが本当にそうしたアイデンティティを持っていたかどうかも、巧妙に曖昧にされている。

本作は、幻想的な、でも何か怖いような、示唆するようなクレパス画のアニメーションから始まる。ショートカットで赤スニーカー、目鼻立ちも描かれないぼんやりとした、それが不安を静かに感じさせる、電車はこないよ、という文字が弱々しく浮かび上がり、線路が水に沈んでいくような……。
本作が震災、津波を転機点に持ってきていることを当然、冒頭では判っていないから、これはなんだろう、どこで回収されるのだろう、とずっと頭の片隅に置いて見ていた。

これが、この男の子だと思っていたキャラクターがすみれだったなんて。すみれは劇中、二度髪形を変える。モテ女の子らしい長い黒髪から、メッシュを入れたボブカット、この時、前からその髪型だって思うぐらい似合ってるでしょ、と真奈と笑い合った。
そして最後、真奈と会った最後の日に、すっきりとしたショートヘアになっていて、真奈が言う通り、とてもとても、似合っていた。ジョークのように以前の台詞を口にしたほど、最初から、これこそが、意志のある女性の姿がすみれの本当のそれのように思った。そしてその髪型で、津波の中に彼女は姿を消した(のかもしれない)。

ショートカットで、顔が判らなければ男の子かと思った最初のアニメーション、すみれの真奈への気持ち、決して伝えられなかった気持ち……。一方の真奈が、不思議なぐらいヘアスタイル含めて変わっていないのが、逆にというか、ヘンに痛々しいのだ。
冒頭、真奈は勤め先のラウンジで、窓の外をぼんやり眺めながら、自分でも気づかずに涙を流している。上司や同僚たちは、控えめながらもそれなりに彼女を心配していて、このそれなりの距離感が、心地いいなと思った矢先に、真奈が信頼していた上司が突然自死してしまうんである。

この上司が、光石研氏だというのが、なぁんかもう、出てきた時からそんな予感がするというか。優しさだけでパンパンに縫い込められた、ぎゅっとしたくなる、ベッドにいつも鎮座している大好きなぬいぐるみみたいな、さあ。
でも真奈の同僚のシェフは、自分からしたら、愛想がよすぎて得体のしれない上司だったけどな、という。でも湖谷(真奈)にはそうじゃなかったんだな、と。

この上司、楢原さんが、すみれと不思議と連関するというか……すみれが津波に流されたのだとしたら、彼女は決して、自ら死を選んだんじゃないけど、愛想がよくて、他人に悩みを感じさせなかったのに、実は……っていうのが。
真奈が遠野君に想わずぶつけた、テメーに何が判るんだと(いやいや、こんな言い方はしてないけどね!!)というのは、自分自身に対するもどかしさで、大好きなすみれ、大好きな楢原さん、でも結局、彼らのことを私はなぁんにも判らなくって、力になれなくて、死んでしまった。だからこそ一歩も進めない。進んでいってる遠野君やすみれの母親に、得手勝手な憤り、嫉妬を感じてる。

本当のところなんて、誰にも判らない。自分を顧みれば、自分のことは自分さえ理解していればいいと思ってるし、実際のところそうだと思う。
近しい人に理解されまくって幸福な人生を送るなんて、本当にそれが幸福なことなのだろうか?それは結局、他人を満足させるだけのことなんじゃないのか??

震災が、津波がそろりとテーマになっているので、後半、ドキュメンタリー的なシークエンスが挿入される。すみれが姿を消した地を、職場の先輩と共に真奈が旅するんである。
コトが起こった後に建設されたってのを思うと、ギャグにしか思えないほどのそびえたつ防潮堤、その内側には、……すみれが飲み込まれてしまったかもしれない海がある。
思いがけず、さびれた公民館のようなところで開催されていた、震災体験を披露する小さな会に、真奈と先輩は参加、主催している震災未亡人の経営する民宿に泊まることになる。

このシークエンスで突然、ドキュメンタリーチックになる。実際はどうだったんだろう。少なくとも三人は、実際の震災経験者として語っていたんじゃないかと思うけれど、あ、この子はそうじゃない、女優さんだ、だってハッキリ可愛いもん!と判っちゃうのはどーなのかなーとも思うが。
彼女が津波にさらわれたおばあちゃんから教わったというのが、わらべ歌と彼女は言ったけど、内容を聞いても、歌ってる感じも、夫婦の悲しみ、力強すぎる歌声はハッキリ民謡だろ!!ツッコんじゃう。実は本作はところどころ、こーゆー、ツッコみたくなるところが、少なからずあるんだよなあ。

すみれは、ビデオカメラを常に手にしていた。遠野君が指摘したように、それを通さなければ、本音を言えなかったんだろう。だからこそ、最後に残された映像、真奈の寝顔を愛おし気に撮った、もうそこで答えが出ていたんだろう。

もう一つ、印象的なものがある。映像ではなく、音声。まだガラケーの時代だろう、震災直前、社会人となってなかなか連絡が取れなかったであろう時、真奈の携帯に三度、留守録メッセージが残された。
それを真奈はいまだに何度も何度も聞いてしまうのだ。なんてことない内容、ちょっと思い立ってかけてみた、元気?たまには電話してよ、それぐらいの内容。

でも、その内容、すみれの真奈への想いを、たらればとしてもその想いを想像したら、なんと、切な過ぎるじゃないの。最後の最後、ショートカット、真奈にも褒められて、夜更けのバスに乗って、すみれは真奈と別れた。
あの時……すみれは座席に座ったらもう、まっすぐ前を向いて、真奈の方は向かなかったんだよなあと思う。そして、旅に出て、恐らく、であった。オープニングで示された、てっきり男の子かと思ったショートカットで赤いスニーカー、迫りくる水に飲まれたあの子は、すみれだったのか。

男の子かと思った、それが、すみれの真奈への想いを思わせると思っちゃうのは、それこそ端的すぎる、差別的すぎるだろうか。
でも、苦悩しまくってる主人公、そう、冒頭で示した、主演の岸井譲、彼女が演じるキャラクターが、すみれの自分への想いをくみ取っていなかったのだとしたら……。立ち返って、冒頭で言った、主演、出演の切なさを思ったり、してしまう。

すみれが自分の分身のように、代わりに言ってくれる相棒のように、回し続けたハンディビデオカメラ、その中に残されていた、なんてことない日常の、他愛もないインタビュー映像、そして何より、真奈のガラケーの中に残されている、真奈と連絡がつかない時、切なさをにじませながらも、要件を短く済ませて、メッセージを残すすみれの声。
取り返しのつかない事態に至った時、他愛もないと思っていた、残されたささやかなことが、胸に突き刺さるほど、大事な大事なことだと、判る、判ってしまう。★★★☆☆


トップに戻る