home!

「ゆ」


2022年鑑賞作品

ユンヒへ
2019年 105分 韓国 カラー
監督:イム・デヒョン 脚本:イム・デヒョン
撮影:ムン・ミョンファン 音楽:キム・ヘウォン
出演: キム・ヒエ 中村優子 キム・ソへ ソン・ユビン 木野花 瀧内公美 薬丸翔 ユ・ジェミョン


2022/1/15/土 劇場(シネマート新宿)
小樽の雪景色と抒情的な音楽に、こりゃ「Love Letter」じゃーん!!と全員が思ったに違いない。解説をひもとかなくったって、監督さんがそれを十二分に意識しているのは当然である。
しかしかの作品が大ヒットした韓国では、初恋の映画といえば「Love Letter」という方程式が出来上がっているという事実は知らなくって、それを知ると、なるほどなあと、いろんな角度から思ってしまうんである。

確かにこれは初恋の物語。遠く日本と韓国に引き裂かれた二つの魂。20年後、いま現在初恋を謳歌している小さな恋人たちがその案内役となる構成は、それを聞いただけで胸がぎゅっとくる切なさなのだが、コトはそう簡単ではないのだ。
20年前の初恋は女の子同士。そしてそれが引き裂かれたのは家父長制度が色濃く残る韓国という地で、今でこそ世界に打って出る最新コンテンツを次々と打ち出すトレンドの国であるけれど、20年前としたならば。

そうだ日本との文化交流正常化だって、せいぜいそれぐらいしか経っていないし、それ以前の韓国は、国としての名前は知っていても、本当に壁の向こうの国で、そっとその歴史を覗いてみると、ほんの少し前の日本に確かによく似ている。
そして今の日本にもそれは……例えば昨今の天皇家騒動などによく表れていると思うんだけれど、やっぱり残ってて、監督さんがそれを意識しての作劇だってのが、めちゃくちゃ勝算あったんだなって。
そしてそこに、日本はもとより韓国ではさらにドキュン度の高い「Love Letter」をまんま思わせる、冬の小樽である。音を吸い込むほどにただただ降り積もる雪の中に、記憶と感情が交錯するんである。

私の感じ方が間違っているのだろうとは思うんだけれど、最後まで行っても、私は、ユンヒとジュンが本当に小樽で再会したのだろうかと、思わずにはいられなかった。

本作は、それこそ「Love Letter」に象徴されるように、手紙、そのモノローグが印象的に使われる。実際はどちらも韓国語で書かれているんだろうけれど、ジュン側の手紙は日本語でモノローグされる。
20年ぶりにユンヒに書かれた手紙、ジュンはそれを自身で投函することはなく、彼女と同居する伯母がポストに入れるところから物語が始まるのだから、それを疑うのもおかしな話なのだが……。
ジュンからの手紙に、彼女に再会するとは思わずにユンヒが書いたと思われる返事の手紙のモノローグが、彼女たちの再会の後、それぞれの地でそれぞれの道を歩み始めて、ユンヒの再出発のシークエンスに重なるもんだから、あの再会が本当だったのか、まるで夢のような、なんたって小樽の雪景色の中なもんだからさ、そんな風に思ってしまって。

きっとそれも、計算のうちなのだろうなと思う。二人は確かに再会した。でもそれは、彼女たちが時間を巻き戻して関係を取り戻すという意味ではないのだから。
しかも二人が恋人同士だったということすら、明確には示されない。ユンヒの娘、セボムが卒業旅行にかこつけて母親をジュンと再会させるのだけれど、セボムはどこまで気づいているのか。
セボムは徹頭徹尾、ジュンのことを他人に対して説明する時に、母親の友達だという。とても微笑ましい恋人、というかボーイフレンドと言った方が正しいような子犬がじゃれ合うような仲の良さのギョンスに対してもそうである。それが、実際を知ってて隠しているのか、本当にそう思っているのかが、絶妙に判然としない。

母親が自分を育てるためだけに人生を捨てているようなやさぐれ感を充満させているのは、そりゃあ一人娘としてはキツいだろうと思う。よくぞグレなかったと思うぐらい。
離婚した父親とセボムが会話する場面で、なぜ別れたのかという理由に父親が、寂しい人だったから、というのは、思いもよらない言葉で、セボムよりも観てるこっちが衝撃を受ける。
愛されてなかったとか、そういう表現じゃないのだ。結婚というものがどういう感情で結ばれるかなんて、それぞれ違うと思う、愛してなくったって、友情で結ばれててもいいかもしれないと思う。

でも、ユンヒはただただ寂しさを、夫にさえも感じさせて、たまらなくさせるぐらい、だったのだ。当然、その心の内を打ち明けるなんてことをしてる筈もない。
後に明らかになるが、ジュンへの想いをビョーキ扱いされて、封じ込めるように兄の紹介で早くに結婚した。それだけ聞けばユンヒにただただ同情するが、彼女の夫だって、そうした絶対的家父長制度の結婚の常識に巻き込まれた被害者だったのだ。
彼はユンヒを真実愛していたのかもしれないし、なんたって娘をなしたのだから未練があるのは当然、会話から察するに、彼の酒癖が離婚の理由の一つらしいが、でも根本的なものではないのは明らかで。

セボムが入り浸る、この伯父さんが経営する写真スタジオである。セボムは母親から譲り受けたカメラで撮った現像を、ここに頼んでいる。後々切れ切れに語られるところによると、ユンヒはきっと、大学に進学して写真をやりたかったんであろうと思われる。しかし、「兄しか大学進学を許されなかった」20年前、日本じゃちょっと時代錯誤かと思われる価値観だが、日本だってさらに20年ほどさかのぼればそんな感じだったろうと思われる。
この伯父さんはいかにも物分かりのよさそうな優し気なおっちゃんなのだが、それは姪にはそれ以外の顔を見せる必要がないだけで……家父長制の価値観を彼こそが妹に強いたことが後に示され、物語の前半でユンヒが娘に伯父さんのところに迷惑かけたら借りになるから、と言ったのが、ああそういうことだったのかと、思い知らされるんである。

こんな具合にしばらくは韓国側の描写が続き、恐らくそれは現実の厳しさの象徴である。もちろん、小樽に暮らすジュンだって生きづらさを抱えてはいるんだけれど、ヤハリ基本的にはユンヒからの視点を常に感じるので。なんたって「Love Letter」が下敷きになっている冬の小樽の美しさだし、先述のように本当にここでの出来事は現実だったんだろうかというぐらいの、閉じた空間の魔法があるもんだから。

ジュンの登場は、父親の葬儀からである。雪深い墓の前で10人ばかりの親族があつまり、坊さんの読経に手を合わせている。
このシーンで印象的なのは、イトコと思われる青年である。本作ではここだけの、いわば端役なんだけど、ジュンの社会的立ち位置とか、彼女が隠している感情とか、上手く世渡りできていない感じとかを、この、人の好い、だけど想像力がイマイチ貧弱な青年で見事にあぶりだされる。
「聖地X」で誰これ、えっ、ヤックンの息子??と驚かされた彼、悪気はないけどもちょっと考えろよ、みたいな青年の芝居が達者すぎて驚愕しちゃう。

ジュンは独身、だからこの小さなコミュニティでイトコから無駄に心配されるような視線の中で、生きづらい感じなんである。なぜ独身なのか、なんて、そういう相手がいなかったからで済みそうなのに、特に地方のコミュニティ、いやそれこそ、アジアの片隅のこういう国での価値観だ……ここでこそ、ジュンとユンヒの、女性が一人生きていく生きづらさがリンクする。
しかして一方で望まない結婚ながらも愛する娘をなし、いろいろあったけれど元夫とはまさに子はかすがい、同志のような関係に昇華できたユンヒ、でもジュンは……。

母親が韓国人だったジュン、両親の離婚で彼女がなぜ父親についたのかという理由が、言ってみればセボムとは反対のそれだったのだ。父親は自分に関心がなかったから。自分のことばかり気にしていたという母親を慮って、住み慣れた韓国を離れる決断までして父親についたジュンだけれど、そらあそんなに事情がカンタンだったわけはない。
なんたってユンヒとのことが作用したに違いないんだけれど、でもセボムの理由と反対であることが、20年という時代だけじゃなく、親子関係、あるいは、現代に生きる、つまんない価値観にとらわれない若い世代の頼もしさを象徴しているのは間違いないんだよね。

ユンヒが苦しんだように、韓国にとどまったら、ジュンもまたジェンダーへの無理解に苦しんだだろうと思われる。20年前になると日本は、いい意味でも悪い意味でも無関心と俗な好奇心でそうしたセクシュアリティをとらえていて、カムアウトしなければ、なんとか生きられるような社会にはなっていた。それがいいこととは思わないにしても、ユンヒのように進学が出来なかったり、望まない結婚を強いられずとも済む逃げ道はあった。
あったけれども……。彼女を実質上引き取った伯母さんのマサコ(木野花氏、最高!!!)は恐らく、ジュンのパーソナリティーをすべて判っていたのだろうと思う。マサコさんのそれは明かされないし、ひょっとしたら彼女も、と思わなくもないけれど、そこまで無粋な詮索は不要だろう。

ジュンと同じく、声の大きな人が苦手、コーヒーの美味しい小さなカフェを営み、姪っ子の仕事終わりを大好きなSF小説を読みながら待っている伯母さん。
仔細は知らずとも、姪っ子の苦しさを細胞レベルで理解していたからこそ、韓国語で内容も判らない手紙を投函したに違いないのだ。

猫が出てくる映画は、いい映画に決まっていると思っている。ジュンは動物病院を営む獣医さんだけど、家には猫、劇中で診療するのも一匹の猫だけ、伯母さんとのくつろぎ時間に読んでいるのも猫の感染症の専門書で、猫以外を診る気はねーんじゃねーのと思っちゃう。
間違ってたらごめんなさいなんだけど、野良猫の北限は旭川あたりと聞いたことがある。ジュンの患獣の飼い主であるリョウコはその猫を、飼い主が見つかるまではと思ったけど……と言うから、そのあたりがなんとなく気になったりする。
それこそこの冬の小樽で、飼い主からはぐれてどうやって生き延びていたんだろうと思ったり。ああ、そんなつまんないことをいうべきじゃないのだが。

でも、外は寒くても、白い雪景色がなぜかあたたかな気持ちにさせ、部屋の中はほっこりとあたたかな雪国の中で、猫というのはなんとお似合いなのだろうと思う。
患獣の飼い主として接するリョウコとは、それ以上の信頼しあう関係性を登場の最初から示し、それは当然、ジュンの過去とその人となりがしみじみ判ってくれば、ジュンとリョウコが今まさに、恋人になるべくお互いの想いを探り合っているのだろうということが察せられるのだが……。
ここが、なんか、切な哀しい幕切れになってしまうのが、もうここが、今のアジアの国の、発展してるのに、まだまだ女性がいろいろ縛られちゃってるアジアの国の、限界なのかと思うと、さあ……。

お互い、想いを確かめ合ってすらいない。ジュンは相手の想いを封じ込めるように、それ以上の重いシークレット、自分が韓国ルーツであることを隠し通して生きてきて、それでなんとか生きおおせてることを明かし、それを示して、だからあなたも秘密は隠し通してね、だなんて、あまりにあまりじゃないの。
私の言ってること判るよね、って、そんなの、そんなのないよ。この国で平穏に生きていくために、自分という人間を殺すしかないと言っているのだよ。それって、生きていく意味があるの??

こんな、きっついシークエンスを挟むから余計に、先述したように20年越しの再会が夢だったんじゃないかと思っちゃうのだ。監督さんがホントに示したかったのは、こうした痛烈な批判意識であるのは間違いないんだもの。美しき小樽の雪景色の情緒にどんなに心あらわれても、そこに閉じ込められてる女たち、なのだもの。

母親たちを引き合わせた、小さな恋人たちがめちゃくちゃ可愛くて、癒されたのだけれど、でも先述したように、彼らの存在こそが、日韓双方の価値観で正当であり、正義であり、あたたかく母親たちを見守っているみたいなスタンスが、そう考えれば傲慢なのかもと思っちゃういまだにのアジアの現状なのだろうと思う。
でもとっても、可愛かった。それこそ、ちょっとレトロな幼なじみの恋人みたいな可愛らしさ。小樽の小さなゲストハウスで布団をかぶって寄り添ったり、誰もいない雪景色の中、チュッとしたり、キャーン!!て思っちゃう。

そしてそんな彼らも進学で離ればなれ、優秀なセボムはソウルの大学に進学、それに伴ってユンヒもまた転職を目指して人生をやり直す。
そうだ、そういえば、工場の食堂に勤めていたユンヒにも、彼女をちょっと粘着質に心配している美人の同僚がいて、今考えれば、そーゆー関係をにおわせていたのか、そうだったか!!すべての表現がたおやかすぎて、なかなかに難しいのだ……。

ユンヒとジュンは、再び会うことはあるのだろうか。再会のシークエンスの尺は、本当にほんのちょっと。こんなストイックすぎることあるって思う。彼女たちの記憶と気持ちと人生は20年前に結晶しているのだからと思う。でも切ない。★★★★☆


トップに戻る