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「い」


2023年鑑賞作品

市子
2023年 126分 日本 カラー
監督:戸田彬弘 脚本:上村奈帆 戸田彬弘
撮影:春木康輔 音楽:茂野雅道
出演:杉咲花 若葉竜也 森永悠希 倉悠貴 中田青渚 石川瑠華 大浦千佳 渡辺大知 宇野祥平 中村ゆり


2023/12/14/木 劇場(TOHOシネマズシャンテ)
これは……心してかからなければいけない。単純にいい映画だという訳にはいかない。考えさせられる、などという甘っちょろい言い方も出来ない。
鑑賞後、エレベーターで一緒になったカップルの男の子の方が、これをラブストーリーとして見るのは……と女の子に問いかけてて、慌ててイヤホンを耳に突っ込んだ。観客の中の誰しもがこうした渦巻いた想いを抱えて、でもそれぞれベクトルが違って、ちょっと聞いてしまったら私自身の気持ちがぶれてしまいそうだったから。
でもどうやらその後彼は、杉咲花嬢の素晴らしさについて熱く語っていたようだったけど。それにしてもカップルで見るには、語り合うには、重い、重いのだ。

もうネタバレしなければ、どうしようも書きようもないから先に言っとく(爆。いつものことだ)。杉咲花氏演じる市子は、戸籍がない女性。市子という女性はこの世に存在しないことになっている。
彼女は後に月子、と名乗るが、親しくなった人たちには我慢しきれずといった感じで、私は月子じゃない、市子なのだと言う。……全編大阪弁なのだが、ここに上手く再現できないので、ごめんなさい。でもそれじゃ、細かなニュアンスが伝わらないのだよなぁ。

市子が同棲中の恋人、長谷川(若葉竜也)からプロポーズを受けた翌日、失踪したことから物語はスタートし、幼年期から中学生、高校生と、市子と関わった友人たちからの視点で、彼女の事情がだんだんと明らかになっていく。
どこかラショーモナイズ的手法で、ことに市子に恋してその秘密を知って、自分だけが彼女を守れるんだと思い込んだ北君(森永悠希)に関しては、恋は盲目という言葉がこれほど残酷に思い知らされるほどに、彼にとっては市子は悪魔にさえ、映ったであろう。

ああもう、言っちゃう。市子は死んだ妹、月子の名前を名乗っていたんである。いや、なりすましていたんである。
月子には戸籍があって、市子になかったということは、この姉妹は父親が違って市子の父親がDV夫だったのか。後に産まれた月子には戸籍があるのにというのが、そのあたりの事情は判然としないというか、あえて明らかにしないというか。

後に長谷川が訪ねる人権団体のスタッフの女性は、戸籍がない人たちの事情の中には、DV夫から逃げ出したくて、産まれた子供を夫の戸籍に入れられないままだということを語る。
これは、聞いたことがある。「ねほりんぱほりん」で見たわ。私たちが知らないだけで、予想以上にそうした人たちが沢山、沢山いるのだということ。

この戸籍問題だけでも大きな社会派要素であるのだけれど、市子がなりすましている妹の月子が、死んでしまったと、それは市子が殺してしまったから、というのが後々明らかになっちゃうのがものすごい衝撃なんである。
本来ならただ失踪しただけの市子が、そらまぁ長谷川にとっては納得いかないにしても、だってプロポーズに泣いて喜んでくれたのに、ということであっても、はたから見ればただ単に逃げられただけじゃないの、ということなのが、なぜか警察は深く事情を突っ込んでくる。
市子という女性はいないのですよ、とまで明らかにする。どうやら市子、そしてその母親を警察が追っているらしいことが明らかになってくる。

で、そう、ネタバレよ。妹の月子は、筋ジストロフィー患者だったのだった。ある暑い夏の日、母親は仕事に出かけて行った。市子は淡々と妹の介助をしていた。
その介助の描写ははっきりとは示されない。その手元とかが映される訳じゃなくて、音や動作でなんとなく、痰の吸引をしているのかな、と判る程度で、市子と月子の無表情なカットバックが示されるばかりなんである。

滴る汗で室内の暑さが判る。市子は、暑いなぁ、と一言だけ、言った。妹に話しかけたのか、独り言だったのか。そんな姉を妹は酸素吸入のマスクをつけてじっと見つめるばかりだった。黒々とした瞳。

そしてアラーム音が連続して鳴り響き、市子が月子の生命線を断ち切ったことが判る。
帰ってきた母親は、薄暗闇の中に座り込んだ市子と、変わり果てた月子を見て、まさかの、ありがとう、と市子に言った。市子は黙っていた。ただ黙っていたのだった。

もちろん、許されることではない。こうした家族が追い込まれることは、社会問題であることは確かだけれど、もう限界だったから、で済まされることではない。
しかしそうした議論がなされるたびごとに、そういう状況ではない人たちには判らないでしょうという反論になり、それに対して急に弱腰になってしまう。抱え込む家族たちに対する同情が、行ってはいけないベクトルへと向かってしまう。

この描写。市子が妹の月子を、ハッキリとした意思をもって殺した描写、市子は月子を、意志を持った一人の人間として、見ていないように見えた。
そして月子もまた、ただただ真っ黒な瞳で姉を見つめるばかりで、つまりは作り手側が、観客に対して、ただ息をしているだけの物体だとでもいうように、感情を誘導しているように見えた。

後に長谷川が彼女たちの母親を訪ねた時、月子の症状がまだそれほど進行していなくて、姉妹と母親、そして母親の恋人の四人でとても幸せそうにしていた写真を携えていた。母親は、幸せだった時もあったのだと泣き崩れたのだ。

あの時の市子、妹の月子を殺した市子は、じりじりと追い詰められての先ではあったのだろう。わっかりやすく貧困状況。ボロ団地の一室でエアコンもなく、そして市子は、戸籍のない状態で、まともな教育や医療も受けられない状態だったのだから。
でも、でもでも、いつだって、そうした言い訳というか、健常者側さえも抱える家族側の事情を汲んで、そりゃ大変だねと、殺したくもなるよね、みたいな、それが、それが、めちゃくちゃ恐ろしいのだということを、ようやく近年判ってきたってことが、近年ようやくってことが、恐ろしいのだ。
そしてここで描写される妹の月子が、もはや死んだような黒々した瞳で見つめ返すばかりだった女の子が、でも身体が動かないだけで心は死んでいないのだから、お姉ちゃんに殺される、じわじわと殺される時、何を思っていたのか、想像するだけで吐き気がするほどにゾッとするのだ。

正直、そうした月子側にまでは描写がおよんでいないという歯がゆさはある。でも、映画の尺や、あくまで市子が主人公として、こうした複雑かつ深刻なバックグラウンドを背負って描出しなければいけないのだから、とも思う。
それを担った杉咲花氏は、後から思い返せば思い返すほど、時に純粋無垢な天使のよう、時に悪魔のようなのだ。市子は月子だけじゃなく、母親の恋人も殺した。彼は月子殺しの秘密も知っていて、……きっと遺棄にも加担していたんだろう。いつかはバレる、精神的に追い詰められて、市子をレイプしようとする。

この状況に至るまでに、観客は市子の複雑怪奇な人間性をつぶさに見せられてくる。幼少期、幼なじみと彼女たちの親たちは大人の事情を子供たちに隠そうともしなくて、それで衝突が起こったりした。
中学になると親しい友達が出来たけれども、生活格差を如実に感じた市子は、対等に付き合うことが難しかった。高校生になって、彼氏が出来たけれども、実質かなり年下となる男の子の性急な欲求に、自身の家庭環境に対する気おくれも手伝って、上手く付き合えなかった。

高校生男子、なんだもの。好きだけどそういう気分じゃないとか言われて、セックスも、キスさえ拒まれちゃ、そらーもやもやするであろう。そんな彼氏に、母親とその恋人の男の様子を、つぶさに見た訳じゃないのに、ただこの男にカギを渡しただけで、なんだかもう生々しくて、彼は逃げ出してしまった。
この彼氏にストーカー呼ばわりして罵倒されていたのが、市子の事情をすべて知ってしまった北君であって、いわば彼のおかげで長谷川は市子が抱えていた重すぎる真実を知ることになるんだけれど。

北君は、自分だけが市子を守れると豪語していたし、実際、長谷川君のところから姿を消した市子は北君のところに身を寄せていた形跡があったのだった。
でも、北君はどうやって市子を守ることが出来ると思っていたのか。それこそ、高校生時代、市子の彼氏から罵倒されたように、単なるストーカー的妄信だったんじゃないのか。

市子は一時期、新聞配達所の寮に住み込み、そこを紹介してくれたパティシェ志望の女の子、キキと仲良くなった。彼女と一緒にケーキ屋さんを開くのだと、小学生の女の子のような夢を語っていた、のは、母親の恋人をぶっ殺しちまったのを、線路に放置して自殺に見せかけた、それを北君と共犯した後のことなんであった。
北君にしてみれば、こんな重大な秘密を共有したのに、その事実を知る自分を市子が疎ましがっているようにさえ思えるのは、そりゃあ納得いかなかったのだろう。このあたりから、いや、ずっとだったかもしれない、市子の危うさというか、実はかなり自己中というか、それこそ悪魔的な部分があぶりだされてくる。

これが人間、という、恐ろしさを、本作は提示しているのかもしれない。長谷川は深く市子を愛しているし、どうやらどうしようもない事情を抱えているらしいと知っても、彼女と直接対話しなければ納得できなかったし、それもかなわないらしいと判り始めると、ただ、抱き締めたいだけなのだと、言った。
客観的に見れば、市子、そして母親は、まごうことなき犯罪者だ。子供を戸籍に入れず、その子供は殺人を犯し、母親はそれを見過ごした。そして妹になりすまさせた、なりすました。

市子は、月子として公的に生活しなければならないと判っていても、ティーンエイジャーの頃はやっぱり、それに抵抗があったし、そして大人になって恋人と同棲している直近の人生に至っても、やっぱりやっぱり、市子、なのであった。
月子は妹、そのことを、彼女は、思い出していただろうか。妹の、黒々とした瞳、お姉ちゃんに生命線を断たれたその瞳を、思い出していただろうか。

更にもう一つ、怖いシークエンスがあるもんだから。北君の元に、市子とネット掲示板でやり取りをしていたという、死にたい願望の女の子がやってくる。北君はこの子と一緒に、市子が指定した海辺へと向かう。
そして……二人の男女が海中の車から発見されたというニュースであり、二人の男女、女はどっちなのかと思ってドキドキしていると、どうやら、どうやら、市子は生きている。どっちともとれない、悪魔なのか、純粋な笑みなのか、どっちともとれない表情で彼女は生き延び、長谷川は、市子を抱き締めたいだけなのだと彼女の母親に訴えながら、結局それがかなうことはない。

母親は真実が明らかになることに怯えているけれど、市子は、結局、なにかに怯えていたのかどうかさえ判らない。
妹の月子、母親の恋人を殺したことに対して本当に怯えていたのか、逃げ続けていたのは、自分自身がないことへの恐れなのか、市子としての存在を獲得するよりも、自身が犯した罪を認めることを恐れたのか。

それはそう……そうだろうというか、判る気もするなんて言うのは言いづらいところもあるけれど、本作の着地点が、見えにくい気がしたのは、正直なところかなぁ。
めちゃくちゃ難しい問題をぶっこんでいるし、一筋縄で解決できる問題ではないことは判ってるけど、やっぱり、さ。健常者が障害者を殺す、自身の正義に基づいて、というのが、実際の事件が数多くあって、めちゃくちゃ問題になっていることだから……。
今年度、まさにそれを真正面から取り上げたのが「月」であり、その点に関して、本作のアプローチが弱く感じてしまうのは致し方ないところがある。

恵まれた環境で生活しているから、意見しにくいという風潮を、変えたい。どんな立場でも、あらゆる立場だからこそ、客観的に意見し、議論し、哀しい結果をもたらさない社会になるべきだと思う。その点のアプローチで、少し食い足りなさを感じた気持ちは、正直残った。★★★☆☆


いぬやしき
2018年 127分 日本 カラー
監督:佐藤信介 脚本:橋本裕志
撮影:河津太郎 音楽:やまだ豊
出演: 木梨憲武 佐藤健 本郷奏多 二階堂ふみ 三吉彩花 福崎那由他 濱田マリ 斉藤由貴 伊勢谷友介

2023/3/10/金 録画(チャンネルNECO)
い、いやぁぁ、ちょっとちょっと、イメージと全然違った。宣材写真で勝手に、ノーテンキなファンタジー映画だとばかり思い込んでた。木梨氏だしさ、まさかこんな……。
そういう入り口で観客を釣ろうとしていたんじゃないかと思うぐらい、この写真一発から感じる印象とぜんっぜん、違うんだもの。それこそ、木梨氏なのに、ユーモラスな雰囲気さえ、ゼロなんだもの。

漫画原作で、アニメ化もされているという本作に、映画の尺はヤハリ無理があったんだろうなぁというのは、思わずウィキペディアなんぞで全体の流れを追ってみるとさらに実感するところではあった。
映画となった本作の、獅子神君が無差別殺戮を繰り返す描写はあまりにも辛く、そんなことに至る彼の心理に、さすがに描き切れないものを感じずにはいられなかったから。
それは承知の上で、演じる佐藤健氏の、まさにマシンチックな冷酷な美しさで、人間ではない自分をすぐに受け入れた彼、というキャラクターとして、主人公の犬屋敷おじさんと徹頭徹尾対照的にしたということなのか。

思いっきりオチから行ってしまった。主役は木梨氏だけど、あまりにも佐藤健氏が強烈だったもんだから。
それにしても犬屋敷という名前、そしてそれがタイトルとなる不思議さ。ひらがなでいぬやしき、であの写真じゃあ、そらノーテンキ映画かと思うっつーの。獅子神という名前も凄いけれど……。

犬屋敷はうだつのあがらぬサラリーマン。念願の一戸建てを買うけれども、日当たりの悪いしょぼい物件に、妻子たちは冷ややかなまなざし。奥さんも娘も息子もあまりにも犬屋敷に冷たくて、その描写が繰り返し繰り返しされるので、これもまた辛くなる。
娘の麻理がことのほか厳しく、彼女の友人たちからも指摘されるほどで、その友人が「私は自分のお父さん、好きだけどな」という台詞が挟まれるあたり、よくある思春期の嫌悪感にとどまらない厳しさを印象付ける。
リストラ寸前までなっているぐらい仕事もできないし、奥さんがパートに出ているのは夫の稼ぎではたちゆかないからなのだろう。家族たちに対してひどくおどおどとしている犬屋敷の姿が辛すぎる。

迷い込んできた犬を、奥さんは冷酷に、捨ててきて、と言った。犬屋敷は抗えず、ごめんな、と言って解き放つも、その犬、はな子はついてきちゃう。そしていつの間にかたどり着いただだっ広い広場のようなところでそれは起きた。光が近づいてきて、衝突した。
そこには犬屋敷ともう一人、青年がいた。獅子神という高校生。そして彼らはそこで一度死に、事故を起こした宇宙人がその事実を隠蔽せんとして、彼らを、その記憶と精神はそのままに、機械人間としてよみがえらせたことがのちに明らかになる。

犬屋敷と獅子神とでは、その能力に気づき、それをどう使おうとするというベクトルもスピードもまるで違う。そもそもの原作の重量をどう圧縮するか、というのがあるにしても、犬屋敷はあまりにも立ち止まりすぎるし、獅子神はあまりにも性急に殺戮者になっていく感がある。
ことに、獅子神が、突然見も知らぬ裕福な家庭に入っていって、問答無用に「バン、バン」と指拳銃で家族三人を殺害する場面には度肝を抜かれ、なんでよ!と思う。
ここにこそ唐突感が否めず、見ている間中、この転換点が納得いかなくてモヤモヤしながらだったから、ついついウィキペディアに頼ってしまったのだが、機械人間になってしまったが故のもどかしさが原作の上ではあったのだとしたら、やはりそれは……映画の尺においては難しかったということなのか。

獅子神は一方で、イジメによる引きこもりになっている幼なじみや、シングルマザーで自分を育ててくれている母親に対しては正義の人、だからさ。この力を身につけて真っ先に引きこもっていた幼なじみのチョッコー(直行の音読み)を学校に連れ出し、いじめっ子たちを制圧する訳さ。
こんな具合に力を使うんならそれで良かった。なのになんか突然、先述のような訳判らん家族殺人を犯すから、説明しきれてないというか……。

その後は正直逆恨みバクハツ状態で、余命いくばくもない母親を自分の力でその病巣を消えさせたことにも気づいているのかいないのか。
神の力を得たと思っちゃった彼は、自身の犯罪が明るみに出たことで母親が自殺に追い込まれて逆ギレも逆ギレ、ネットで揶揄するネット民たちを手始めに、もう手当たり次第に、画面越しにバンバン殺しまくっちゃう。

てな具合に、獅子神、佐藤健氏に持ってかれちゃうのよ。もうさ、犬屋敷は、後手後手なんだもん。それは確かに彼のキャラ、家族にも会社にも疎んじられているという哀しきおじさん、というものがあるだろう。
そもそも彼は、健康診断で余命いくばくもないがんを宣告されていた。自分に関心がない家族に(と見えている……実際きっと、そう……)言い出せずにいた。それを打ち明けて、哀しんでくれるのだろうか、だなんて、それこそがなんて哀しい葛藤だろう。

一方で獅子神の方もまた、母親が同じく余命いくばくもないがんである。彼女はだから、別れた夫と、その家族とも良好な関係を築いている息子を、そっちの家族に送り出そうとする。
ねじれちゃうのさ。だってさ、獅子神は母親を抱きしめただけで、その病気を治してしまったのに、そのことに気づいていたのかどうなのかさえ判らないまま、殺戮者の道を歩んでしまうんだもの。
犬屋敷の方は、どうやら自分が病気やけがを治す能力があることを知って、助けを求める声を聞き取る能力もさずかって、病院やらあらゆるところに駆けつけて、まさにゴッドハンドを施し、今までの人生では感じていなかったカタルシスを感じ続けていたのだが……。

ああでも、犬屋敷は結局、家族より他人を救っちゃってた訳だからなぁ。一方で獅子神はちゃんと母親を救ってたのに、病気を治していたのに、他人へのうらやみが爆発したのか、見も知らぬ家庭に押し入って殺戮してしまったことを発端に崩れちゃう。
押しかけるマスコミが、母親に責任を問う、マジでこれは、日本の悪しき習慣。親と子は別の人間、別人格なのに、未成年であればなおさら、その責任を親に責め立てる。そして母親は、獅子神の愛してやまない母親は、自殺に追い込まれた。

このことでタガが外れて殺戮犯になる、というのなら判るのだけれど、その前に、突然押し入っての無関係な家族をぶっ殺す、というところから始まるから、彼の心理に対してはどうしても疑問が残っちゃう。
それは前述のように、やっぱり映画の尺ではムリがあるから……でも、佐藤健氏の、美しさ、裸、にまでなっちゃうからさ、もうキャー!!な美しさで納得させられちゃうんだけれどさ!!

その点においては木梨氏も負けてはいない。正直、かなり水をあけられてしまったけれど(爆)、おじいちゃんみたいな父親、というキャラクターを与えられて、ごま塩頭にしみだらけの顔、というショボさを与えられながら、宣材写真で描かれてる空中バトルに至ってくると、マシンがシャツを破ってぎーこぎーこと現れる、その身体はさっすが、しっかり絞られてる!!

クライマックス以降は、親子ほどの年代の違いの男子二人が、その身体の美しさを見せつけ、もちろんCGやスタントやスピード操作も使いながらも、純粋にアクション映画の楽しさを見せつけられる。
ホンットにね、正直犬屋敷のスタートダッシュの遅さ、もうさんざん、獅子神がバンバン人殺しちゃってるっつーの!という歯がゆさはあるんだけれど……やっぱりやっぱり、クライマックス、獅子神の殺戮にさらされている新宿、都庁に課外授業に来ている娘を助けに行く犬屋敷のシークエンスは心熱くなる。

でもここに至るまでの、獅子神の容赦ない殺戮は、画面越しに人差し指でバンバン言うだけなんだけど、それだけに、辛くて辛くて見ていられない。
そう、それこそ、これが漫画だったら、原作で読んでたら。やっぱり実際の、再現する、もしかしてこういうことが実際にあるかも、という、実写の力がすさまじく、生放送中に獅子神からの電話に出たキャスターがバン!で即死するとか、もう本当に、辛い。フィクションだと判っていても、どんどん、辛い。見ていられなくなる。

獅子神によって引きこもりから助け出されたチョッコーが、犬屋敷と協力し、なんとか彼の暴挙を止めようとする。人助けオンリーでその力を使っていた犬屋敷の戦闘能力を、獅子神のしていたことを伝授する形でチョッコーが特訓するも、全然もう遅くて、その間にどんどん獅子神は大量殺戮を繰り返しちゃう。

自分の母親を侮辱したり、家を特定したりするいわゆるネット民、安全な場所から攻撃する、そんなネット社会の闇は、インターネットが登場してからずっとずっと、言われ続けていた問題だった。名無しさん。自分が見えないから、好き勝手言える。ディスプレイに獅子神が現れてさえも、自分自身が相手に見えていることに自覚がないほどに、その罪は深かった。
獅子神のように、画面越しからぶっ殺したいと思う人は、めちゃくちゃ、いるだろう。誰もがそう、思うだろう。いわば、獅子神は、私たちの願いをかなえたヒーローだった……フィクションの世界ならば。

しかしそれを、こうして実写で、めちゃくちゃリアリティ満載で描かれると、その重大さに慄然としてしまう。犬屋敷おじさんがようやく出発、もう何十人、ひょっとしたら何百人も殺戮しちまった獅子神を抑え込むまでには、ヘリコプターで取材に出ていたキャスターを、なんとか助けた先に獅子神にあっさりバン殺されたショックなんて序の口。
ああでも、このショックが犬屋敷に火をつけたようにも思う。こっから先は、もうすっかりSFアクション、大都会のビル群を爆裂スピードで飛びまくり、トンネルの中の車をかわしまくるし。設定からしてSFだしファンタジーだし、なるほどこのクライマックスに向かっていたんだなと思いはするものの、心理状態が、特に獅子神が重すぎるからさあ。

犬屋敷に関しては、課外授業で都庁に来ていた娘の麻理を救い出すことが大クライマックスである。死ぬわけない、死ぬわけない!!と思いつつ、怖くてたまらない。
このシークエンスに至るまでに、獅子神が心を許した、彼をかくまっていたクラスメイトのしおんとその祖母が、警察の突入により死んでしまって獅子神が逆ギレしてさらに殺戮神になってしまったり、もう、心痛みまくり満載なのだけれど、やっぱりやっぱり、だって犬屋敷が主人公なのだもの!!

特に厳しかった娘の麻理と、せめて和解を、てか、おーっと!!もう獅子神、しぶとすぎるんだもん!!犬屋敷が愛する存在を、ニヤニヤ追い詰める。それ以外は、有象無象は、バンバン指鉄砲で殺しまくるのに、麻理は、じわじわ追い詰める。首をひっつかんで、ガラスが破れた窓外にぶらぶらさせちゃう。

こんなにひっぱるから、麻理は助かるわね、と逆に確信、安心するけれど、怒り爆発犬屋敷によって、獅子神のマシン肉体が破壊され、麻理を助け、獅子神の死が報道されるが、それで終わる訳がなく。
でも、でもでもでも。あのラストはどうなのだろう。チョッコーの元に、獅子神は現れた。チョッコーは、自分を見捨てないでくれた友達だから、複雑な想いはあれど、受け入れた。でもその直後、獅子神は姿を消した。

一方、犬屋敷の方は、事情を知っているのは娘だけ。機械人間だから、食事もできない。思えば、あれだけ冷淡に接している奥さんなのに朝食を完璧に用意してるし、家族四人、朝食に、朝食によ、顔をそろえているなんて、めっちゃ関係性とれてるじゃん。なのに犬捨てろとか,そりゃないよと思うのだが……。

宣材写真と実際の違和感から始まって、やっぱり原作モノ、特に漫画、更に私小説的なものではない、さらに特に、漫画ならではの壮大な世界観を、特に尺という問題を映画化によって解決するのは、至難の業だと思ったなあ。★★★☆☆


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