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恋のいばら
2023年 98分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:澤井香織 城定秀夫
撮影:渡邊雅紀 音楽:ゲイリー芦屋
出演:松本穂香 玉城ティナ 渡邊圭祐 中島歩 北向珠夕 吉田ウーロン太 吉岡睦雄 不破万作 阪田マサノブ 片岡礼子 白川和子
リベンジポルノを恐れて元カレのパソコンから自分のプライベート写真を取り戻す、というそもそもが、リベンジポルノというのは復讐したいと思う相手がすることだから、フラれた元カノがそんなこと思うのヘンじゃないのかなあと思ったんだけれど、そもそものオリジナルではどうなっていたんだろう。
自分の恥ずかしい写真が、今カノや友達なんかに面白半分に共有されるのがイヤだから、という方が普通だと思うけれど、それだと理由として弱いというか、今カノを動かすためには単なるわがままというか、説得力がないということだったんだろうか。
リベンジポルノというのが、実際現代の社会問題になっているから、その言葉の強さが確かに、本作で観客をぐっと引き寄せるインパクトにはなっている。
そしてもちろん、リベンジポルノなど行われないし、それは単なる口実で、元カノが今カノに近づいたのは、違う理由があったという展開なんである。
元カノ、桃を演じるのが松本穂香嬢。銀縁眼鏡にうっそうとした前髪の図書館司書女子は、もちろん彼女自身がとても可愛いからフツーに萌えるが、今カノとして玉城ティナなんか持ってこられちゃその対照の意味は明確すぎるほどなんである。
今カノ、莉子はダンサーの卵で、ポールダンサーがセクシーに踊るセレブなバーで働いている。対照的も対照的だが、それは外見上の問題であって、結果的に二人は、なんたって同じ男子を好きになったぐらいなんだから、似たところがあったというか……お互いがそれぞれの影のような存在、だったのかもしれない。
本作のキモは、恋人関係とは、付き合うというのは、どういうことなのか、という根本的なところに降りて行っていて、桃は健太朗から、付き合ってって言ったっけ?と彼氏彼女の関係であったことさえ否定されるというサイアクのフラれ方をした。
だからこそ納得がいかず、というか、落としどころがつかないまま健太朗のSNSをさまよい、今カノの莉子を発見し、健太朗ではなく莉子を追わずにはいられなくなった。
誰もが思うだろう。健太朗の言い草、付き合ってと言っていない、そもそも彼女なんかじゃない、というのが、桃がめんどくさくなったからの言い訳に過ぎないってことは。
付き合ってください、で交際がスタートするんだといい年して公言したら、誰もが失笑するに違いなく、メンドクサイ女を切って捨てるには格好の口実なのだ。
だからこそそれを反転する形でラスト、今カノの莉子が健太朗に同じ文言を叩きつける訳なのだが、おっとおっと、またしても先走ってしまった。
そう、これはつまりさ、それなりにミステリ要素もあるし、中盤までは桃が暗くて粘着質な元カノっていうように見える演出もされているから惑わされちゃうんだよね。
莉子のような派手な美女で、エンタテインメントを目指してて、バイトしてる場所も華やかで、っていう女子に臆する、手の届かない、っていう思いを抱く方に共感出来ているのに、その桃にちょっと怖い、と思わされちゃってるから……上手いんだよなあ、そこんところが。
写真集が、一つのカギになっている。健太朗の自宅の本棚にうやうやしく置かれているそれを、まず莉子が自身が同じものを用意してすり替え、元の本をゴミ捨て場に捨てた。
かなり後半にならなければ、この意味合いは判らない。桃が一方的に、今カノの莉子に接触し、リベンジポルノを恐れて健太朗のパソコンから写真を取り戻す提案をしたように見えていた。
桃が健太朗と出会ったのは、この写真集がきっかけだった。図書館に探しに来たのだ。とても素敵な出会いだけれど、後から考えれば、絶版になっていて入手が難しい、と図書館に探しに来た、っていうのは、まぁ辻褄はあっているけれど、本当に見たいと思うならば国会図書館とか、置いてありそうなもっと大きなところに行くんじゃないのと思うし、桃も、そして莉子もあっさりそれを手に入れているのを見ると、こりゃあ最初から女漁りに来ただけだな、と思っちゃうのだ。
この写真集っつーのが、いかにもいい感じにアーティスティックなのも上手いというか、腹が立つというか(爆)。
でもその矛盾に、桃も、莉子も、気づいていただろうか??桃だけではなく莉子もあらわな写真を撮られた記憶があるので、健太朗が頑なに自分のパソコンを死守するのを、おかしいと思ってはいても、それが自分たち以外の何人もの女たちの写真があきれるほどに出てくるなんて、想像していただろうか??
つまりあの写真集は、この無数の女の子たちに等しく使ったアイテムに他ならないのだと容易に想像できる。桃が愛する健太朗のためにゲットした写真集をもってサプライズで彼の部屋に押しかけた時、ベッド下に莉子が隠れていた。そしてその修羅場はもう一度再現される。今度はクローゼットに桃が隠れ、莉子がサプライズで健太朗を迎える形で。
もう一度再現される時には、もう二人は、共犯者だったのに。共犯者どころか、奇妙な友情関係まで芽生え始めていた。
健太朗の家に忍び込んでパソコンの中の写真を消す、そのためにこっそり合鍵を作るシークエンスがまず最高にスリリング。二人が映画を観ている間に、座席下から受け渡した健太朗の家の鍵を、桃が合鍵を作りに走る。ただ合鍵を作るだけなのに、妙に込んでいたり、職人気質で時間がかかったり。
そもそも桃が合鍵を持っていたのに、それを替えられていた、というのがはじまりだった。そしてそのそもそもは、桃が健太朗にフラれる決定的な原因になったことでもあった。
他の女(莉子)とよろしくやっていたところに、知らぬ間に合鍵を作っていた桃に押しかけられた健太朗は、この時点では莉子は浮気だったかもしれない、桃のことを彼女だと思っていたかもしれないけれど、一気に冷めた、のだろう。
そしてこの決定的な場面に居合わせた莉子は、桃がこの時の元カノと知ったのは少し時間が経ってからであったとしても、好きだということだけで、自分が一番であればいいと条件を緩めても、どんどん不安になっていくのはそりゃそうな訳で。
健太朗に見つかりそうになって、桃はクローゼットに隠れ、莉子が、そう、かつて、自分がベッド下に隠れ、じっと見守っていた桃と健太朗のイチャイチャを再現する。桃はショックを受け、クローゼットの中で涙を流す。
ショックは、何に受けたのか。健太朗のことをまだ好きで、だからショックだったのか。桃は違うと言った。リベンジポルノなんて言い訳。莉子のSNSを追い始めて、惹かれるようになった。こんな風になりたいと思った。
キスまでして、その想いを表明する桃に、百合好き腐女子はおぉ―!!とも思うけれど、そんなに単純じゃない、気もする。
莉子は、私たち親友になれるのかな、と言った。同じ男を好きになった同志、というだけなら、価値観の共有は出来る、気もする。実際そんな事例をフィクション作品の中で聞かなくもないけれど……。でも莉子側は、そんなのあり得ないでしょ、という雰囲気があった。
正確に言えば、今までの自分自身の中には、そんなことあり得ないでしょ、というスタンス。でもそれがくつがえされるということは、価値観の共有だけにスポットを当てられる、その元となる男に執着する女の部分を卒業できている、ということだと思われる。
でも、意外に、桃の方が危うい。なぜフラれたのか、そもそも付き合ってすらなかったとまで言われ(そんな写真を撮られていたっつーことは、最後まで行ってた訳で、そんな言い逃げする男は殺して良し!!)彼に追いすがる中で莉子に心酔するようになった。
健太朗はクソ男だから彼に加担はしたくないけど、桃は思い込んだら一直線な感じがあって、その対象が健太朗から莉子に移っただけかもと思わなくもない怖さがある。
ただ……女の子同士のあれこれが、やはり心に突き刺さる。もちろんそれは、健太朗をオカズにしてのことなんだけれど、合鍵作ったり、忍び込んだり、そんなゲーム性の先に、もう一人の女子が参戦するのだ。
健太朗が同居しているおばあちゃん。ちょっと認知症が入り込んでいる彼女を、介護しながら暮らしている健太朗が、えらいねえみたいな見え方をしたのは最初だけ。結局彼にとっておばあちゃんは、ボケかけの、俺が面倒見てやってる、ぐらいなだけの存在だった。
そして桃も莉子も、まあよそ様だし、健太朗の恋人としておじゃましまーすみたいな感じだったから、やっぱりなんていうのかな……他人のおばあちゃん、だったのだ。でも、でもでも!!ああ、女子、同じ女子、なんだよね!!本作で最も心打たれたのはこの一点。
いくつになっても、身内でも、他人でも、彼氏のおばあちゃんでも、彼氏の元カノと今カノでも、女の子同士は、響き合えるのだ、ってこと!!
家に忍び込むためにおばあちゃんの関心を惹く猫の鳴きまね、庭にばらまくキラキラしたガラクタ、その中に莉子は、健太朗からもらったネックレスも混ぜたのだ。
本物でもニセモノでも、キラキラしてれば女子はオッケー。本物とニセモノの見分けなんて、それに価値を見出す本人にしかないってことを、このおばあちゃんが見事に言い当ててる。
その“ガラクタ”で、とってもとっても素晴らしい、独創的なお城をハンドメイドで作り上げ、桃と莉子はすっかり魅了され、その後健太朗は関係なく、女子三人友達同士の画が示される。
鳴きまねでおびき寄せた猫、それがホントに、捨てられていた猫が仲間に加わったのがめちゃくちゃきゅんと来る。きっとあの猫は女の子に違いない。女の子四人組、きっかけになった男子に感謝はするけど、関係なく楽しく生きていくのだ!
私がフェミニズム野郎だから、ただただ女の子同士の関係性に尊さを感じまくっちゃって、ゆがんでる気はするんだけど(爆)。
松本穂香嬢、玉城ティナ嬢という、対照的な、でもリリカルな呼応感がたまらぬ美少女二人の、友情の先のちょいレズまでくれて、あーんもう、満足っす!★★★☆☆
トワは植木屋さん、というより造園業。公園や歩道脇の木々や植え込み、邸宅の庭をばっさばっさと刈り込む仕事。川瀬陽太氏演じる大沢さんは社長と言うところだろうか、自称役者と言っているけれど。
そして兄貴分の脇坂さん(奥野瑛太)との三人一組で、トワはまるでアルバイトのようにさえ見えた。補助的な仕事しかしていないし、二人からはコンビニの女の子にさっさと声かけて来いよ、とあきれたように言われるし。
そう、園子はコンビニの女の子。まるで高校生がバイトしているみたいな雰囲気だったから。そう……きっと園子は、そんな風に見せていたんだろう。
もうオチバレで言っちゃうと、女の子、なんてとんでもない。彼女は死産を経験した辛い過去から逃げて、今ここにいる。逃げて、というのは適切じゃないかもしれない。今ここでの園子が、本来の彼女ではないと、誰が言えるだろう。
そしてそれはトワもそう。一見して風変りな、無邪気な男の子に見えながら、深い傷を負っている。
結局は離婚してしまった不仲の両親の、ケンカばかりしている中で育った。彼のポケットにいっぱいに詰め込まれている雑誌の切り抜き記事だけがトワを支えていた。
イギリスのEU離脱とか、ミツバチが絶滅したら人類が滅びるとか、新聞記事じゃないってところがミソ、真偽もオチもあやふやな雑誌の切り抜き記事っていうのが、いまこの現実を断定できないことに生きる隙間を感じているようなトワにぴったりで、そしてなんだか切なかった。
そんなトワのもろさに園子がいち早く気づいたのは、彼女自身の中にもそうしたものがあったからなのか。
もろさ、というのは、物語もだいぶ中盤になってから明らかになる。最初はね、本当に風変りな二人のボーイミーツガール。毎日先輩の分も含めてペットボトルドリンクを買いに行くトワ。レジ係の園子に恋をしちゃって、毎日毎日先輩の脇坂さんに話すもんだから、もう彼、うんざりしちゃう。
というのも、トワは独特の妄想で楽しむタイプで、好きなものはこれかもとか、朝は強いんじゃないかとか、歩くのが早いんじゃないかとか、あれこれ楽しそうに話すばかりで、全然アプローチしないから。
社長の大沢さんも再三、さっさと声をかけろよ、とせっつく。ようやくそのアプローチの仕方を思いついたのが、コンビニから自分の居るところ(この時は公園)まで木の葉で道を作るという作戦。
まるでチルチルミチルだ……大沢さんがはいはい、と受け流したこの作戦がまさかのヒット、本当にやったのかと驚く彼に、「だって、木の葉が並んでいたら、気になるじゃないですか、人間の心理として」トワが大沢さんに語っていた通りの言葉を、園子も言ったのだった。
園子の子供モデル時代の友達を呼んで合コンしたり、その合コンで大沢さんは彼女をゲットするんだし、風変りな二人だけれど、周囲に幸せをもたらしたりはするんである。
でも……ハッキリと恋人同士にはなかなかなれない。それは、トワの方が、いかにも経験がなさそうという感じがあるのはそうなんだけれど、どうやらそれだけじゃない雰囲気を感じ出したところで、園子に問われる形で、トワの過去が明かされる。
トワがあまりにも天衣無縫に、個人宅の庭の伐採で、お茶を出してくれた女主人に友達みたいにしゃべり続けるものだから、脇坂さんが業を煮やしたのだった。そしてそれまでの、トワの一人語りがどうやら彼にとってはイラつくものだったらしく、もう喋んな!と爆発、でもトワは、一歩も引かなかった。
そして……その苛立ちから、脇坂さんを殺してしまうかも知れない、だから仕事を辞める、という極端な、……客観的に見れば極端なところに達してしまう。
町中華屋で、大沢さんと園子が合コンに連れてきた友達、園子とトワというメンツでメシを食い、トワがポロリとそんな風に吐露した時、おいおい、勘弁してくれよ、という大沢さんに、トワがお手洗いに行った隙に園子は問うたのだった。どれくらい、本気だと思いますか、と。
園子自身が、自分自身の本気を見せずにトワや大沢さんたちに相対しているから、判っちゃったんだろう。トワの中に、抑えきれない何かがあるって。
そして明らかになる、不幸な家庭環境と、彼の中で押さえられない正義の衝動。ああだから、園子とトワは、お互いのことを知らないままなのに、なぜかなぜか、惹かれ合ってしまったのだ。
トワには仕事場以外にほっとできる場所がある。帰り道、声をかけられる商店街の小さな理髪店。店に置いてある雑誌をとっておいてくれるんである。
そして休日の昼下がりには、商店街のおっちゃんおばちゃんが集い、パックの焼きそばやら缶チューハイでひとときを過ごす。
そこに、園子が招待された。彼女はちょっと立派な鍵盤ハーモニカといった感じの、レトロなキーボードを背負って現れた。園子は自分のことを歌手だと言い、誰もが自分だけの一曲を持っているんだと言うのだった。
そして今、トワの誕生日のために、彼だけが持っている一曲が見えた彼女が、その歌を歌ったのだった。
そんな風に、不思議に幸せなひとときを送っていたのに。でもその間に段々と明かされる、トワが保証人を大沢さんに頼めないまま引っ越しのタイミングを逃して、ブルーシートのホームレス状態であること。園子も廃墟のような倉庫で、キャラクター造形をしながら暮らしていること。
ある日、嵐がトワのブルーシートの家を吹き飛ばした。トワは園子の倉庫にやってきて、そして……でも何もなかった。雨に濡れたトワをタオルで拭いてあげて、一緒に寄り添って、気持ちを確かめ合ったけれど、でもやっぱり、何も、なかったのだ。
セックスをすることが、関係を決定づけることになるというのならば、あまりにもヤボだとは思うが、でも残念ながら、それでしか指標は得られない。園子はその時も、すべてが明らかになってからも、トワのことが好きだけれど、夫の元に戻らなければならない、と言い続けた。
夫は、成田凌。このビッグネームが登場するまでにめちゃくちゃ時間がかかった。突然現れた、トワにとっては敵でしかなかったけれど、園子のことを思うという点ではいわば同志の、哀しい、妻を見守り続け、待ち続けてきた人であった。
園子の事情をトワに教えた先述の友人は、離婚すると思っていたから、トワとのことも見逃がしていたのだと、そんなニュアンスで語っていた。死産というキツい事実が、どんなに夫やその周辺が園子をサポートしようとしても、そのことがかえって彼女に辛くはねかえってきたのだろうか。
決して決して、険悪な関係になったとかそんなんじゃないことは、突然の登場に面食らったけれど、誠実な対応を見せる夫のスタンスでよく判った。
だから、友人が、離婚すると思った、とまで言ったのは、園子自身のメンタルのやられ具合だったのかもしれない。
別居して、コンビニでバイトして、風変りな男の子とデートしている、そんな園子に、こんな過酷な過去があろうとは想像できなかった。でも園子がトワと不思議にアンテナが合ったのは、そうしたあれこれを考えると、なんだか、不思議に納得してしまうのだ。
夫に連れ戻される、っていうんじゃない、園子は、トワに、ゴメンね、と言って、夫が迎えに来た車に乗り込んだ。納得できないトワはムリヤリ一緒に乗り込んで、二人の家に行った。
飾られた結婚写真で証明される二人の人生。トワは壊れたおもちゃのように涙を流しながら、頭の中に蓄積された雑誌の記事を暗唱し続けた。夫に追い出されたトワ、リビングに取り残された園子は、ごめんなさい……と謝り続けながら泣きむせんだ。
その後、夫に承諾をとる形で、再び仕事に出る園子は(元の仕事、と言っていたから、コンビニのことではないのだろう)、路上に並べられた木の葉を見つけ、トワと再会する。抱きついて、トワのことは好きだけれど、夫のところに戻らなきゃいけないんだと告げ、トワは、園子と会えればそれでいいんだと言う。
会って、話が出来れば、それでいいんだと。だから、あの理髪店にまた来てよと、旦那さんも一緒にと。まさかそれが実現するとは思わず、ラストの大団円には衝撃とほっこりが上手く混ざり合えなくて、でも確かに……こんな関係が理想なのかもしれない、って。
本当に、ユルい集まりなのよ。なんかさ、ちょっとオシャレな映画なら、それなりにオードブル的な料理が並んだりするじゃない。パックの焼きそばの隠し味はカツオの削り節だとかいう会話で、あとはチューハイ。
そしてさ、トワがはーい!と皆を制する。園子のための歌を歌うんだという。園子の夫は最初は臆しながらも、おっちゃんたちに囲まれてすっかりリラックスして酒を飲んでいる。
こんなことある?だって、コトはなかったにしても、妻が恋した青年のホームグラウンドでの飲み会だよ。でも……なんだろうなぁ。トワと園子って、今でもお互い大好きだけれど、それは一緒にいる関係の大好きじゃなかったんだろう。園子が夫の元に戻っていったのは、そういうことだし、今臆せず夫をこの場にいざなったのは、そういうことなのだろう。
上手く言えないけど、めっちゃ切ないけど、こんな不思議がこんな風に成立してほしいと思う。それを受け入れられる夫のような、大人になりたい。もちろん、理髪店に集うおっちゃんおばちゃんたち、大沢さん脇坂さんもメチャクチャ愛しい大人たちで、こんな風に若者を支えていけたらと思うけれど、難しいよなぁ。★★★☆☆
皆、かつかつの生活をしている。管理人さんが家賃取り立てに来るで〜と、ドアをカンカンと叩いて回るのは友三。演じる笹野高史こそが管理人のような立ち居振る舞いだが、そうやってこの安アパートの住人たちを取りまとめているような感じである。
取り立てに来ると知ったみんなは靴を手に部屋から飛び出してくる。実際に管理人さんが来る様子は描かれない。その前に首つりさんを友三が発見しちゃったからなんである。この衝撃的事件からそれぞれの住人たちの事情が明らかになってくる。
首つりをした山口さんに金を貸してほしいと言われて断ってしまった、とそれが原因かもしれないと落ち込むのは、可愛い顔して女にモテるのに、キレやすいのがたまにきずの鉄平(倉悠貴)である。でもそんな彼の述懐を聞いて、黙って部屋に行くユリ(馬場ふみか)はつぶやくのだ。私もだと。そして恐らく、皆もだと。
だから皆、一歩間違えば自分も、という気持ちがあったのだろう。まず語られるのはユリの事情。金髪、スカジャン、なぜかいつも猫を抱いている。ハチワレで耳のところと胴体にちょこっと縞模様があるけれど全体に真っ白な、ああ我が愛猫に似ているキジトラ猫。
行方知れずの筈の姉を訪ね当ててくるのが弟君。あら、前田旺志郎君である。おばあちゃんが危ないのだと言って。実際は命の危機とかそんな感じじゃない入院だったから、弟君もそこらへんは話を盛ったのかもしれない。
ユリは母親と折り合いが悪い。専門学校の費用をおばあちゃんに出してもらって、おばあちゃんのところで暮らしていたのに、ユリは学校をやめて、いま行方知れず状態で弟君に発見され、病院で母親と鉢合わせて派手なビンタを喰らったんである。母親を演じているのが片岡礼子氏で、なんか最近、こんな強烈な母親役が続くなぁと思ったり。
客観的に見れば確かにユリはちょっと、自分勝手というか、大人になり切れていないのかもしれない。だから弟君から言われちゃうのだ。弟君は同棲している彼女が妊娠して、でも彼女には連れ子がいて、だから結婚を決断できないでいる。俺もねーちゃんみたいに逃げようかなと言われて、ユリは怒りきれない。
そして鉄平である。可愛い顔して女にモテるから、今日も部屋でイイことしてるが、キレやすくて殴っちゃって、相手先に父親とともに謝罪の醜態である。
鉄平の父親はいかにもヤクザな男で、鉄平の頭をぐりぐりテーブルに押し付けて、自分の限界に気付けや!と怒鳴られるんである。
そんな中、鉄平は仕事場でバイトに来ていた女子大学生にちょっとホレちゃう。いかにも世界が違うのだ、彼女は。事務志望で来たのに空きがなくて現場に放り込まれてオロオロしている彼女に、鉄平は最初はめんどくさげに世話を焼くのだが、でもこの描写で彼が、実は、優しい青年だということが判る。
確かにキレやすくて暴力をふるうのはサイテーだけど、それは出会う相手次第だったのかもしれない……と思いかけるも、もう就職が決まって、バイトは卒業旅行のためだと語る彼女とは、ヤハリ住む世界が違うのだと鉄平はどこか達観気味に理解してしまうのが切ない。
東出昌大氏演じる中条さんは、キャラ強めのメンメンの中でもことさらに虚構性の強い人物。東出氏の長身、このコーポのメンメンの中ではことさらに強調される、マンガみたいに足が長くて、現実味がないような、彫刻刀で切り出されたようなキャラクター、まさに、キャラクターだ……。
スーツをばっちり決めた様子では、こんな安アパートに暮らしているようには見えないのに、彼の食い扶持は街中で女性を釣りあげて、いい感じにカネを撒き上げちゃうんである。
ユリは中条さんの語る物語は一つも信じていないし、実際ウソばかりなのかもしれない。劇中、彼が出会う女性、その女性はいわゆるそういう出会いをすっぽかされ、男とセックスしてカネを払う状態だったのが空白になり、そこに中条さんが奇跡的に潜り込み、そのお鉢を頂いちゃったという訳なんである。
そういう妙齢女子の寂しさの空気を不思議にかぎ分けるような雰囲気があって、だからまだユリには判らないのかもしれない。
中条さんが語る、父親の後妻と恋に落ちて出奔しようとしたけれど、彼女が自殺してしまったというドラマティックな過去は、ユリが聞き流すように確かに、嘘っぱちなのかもしれない。
でも時に女は、特に、人生を重ねちゃった女は、そんな嘘に酔いしれたいのだろうし、それに中条さん、演じる東出氏の寂し気なイイ男っぷりはピッタリなのだ。
トリを務める友三さん、というか、彼が引き込むエピソードが心痛くて。友三さんが部屋にかくまっているスリップ美女がどういうことなのやらと思っていたら、簡易ストリップ興行とでもいうようなことをやっていたのであった。
喫茶店のマスターにあっせんされての商売らしい。アヤしすぎる(爆)。部屋をカーテンで区切り、その下の隙間からのぞき込む形で、つまりピンポイント、アソコを見せる。
普段の客層は想像できるけれど、友三さんがうっかり釣りあげちゃったのは、授業をサボっている中学生だった。
一回目の時には彼は、気づかなかったということなのだろう。二回目には友達を、一人なら連れてきていいと言われて、ろうそくの炎が消えるまでの数分間、彼は気づいてしまったのだった。出て行った母親だということを。
これは、これは……キツすぎる。母親のアソコを見てしまって、気づいて、だなんて。真っ青な顔をして出てきた彼に中条さんは、自分の生まれたところを見たのか、と言った。ズバリだ。なぜ判ったのだ……。
この彼が学校をさぼっていることを、探しに来ていた友達は心配していたけれど、そこまでの事情を、彼も話していなかったし、それが受け止め切れる年齢でもない。
ここで二人の友情がどうなるのかっていうのは見えないけれど、ことさらに、わざとらしいまでに、友達の前で明るく笑っていた彼だったから凄く辛かったし、息子だと気づいてしまった彼女のことを思うとまたことさらに、辛かった。
彼女は友三さんに世話になった礼として、ろうそくではなく、マッチの火が消えるまでのほんのひとときを、彼の目の前に開いてくれる。そして、出て行ったのだった。
ユリはすべての住人たちと連結器のように関わり合う。この彼女とも、ユリのところに爪切りを借りに来るささやかなシークエンスが心に残っている。そのシーン一発で、きっとこれまでに、心を許して通い合ったあれこれがあったんだろうと推測される。
でも、このコーポでは、なんとなく住人の人生がかいまみえるけれど、深入りせず、そのことで後悔もするけれど、だからこそ、支え合って生きていけるのだ。ストリップの彼女が出て行く時、雨が降っていた。傘をさして、去ってゆく、偶然、橋げた下のユリと出会った。特段、意味のある会話をした訳じゃないんだけれど、彼女が生きていくべき背中を、ユリが押したようにも見えた。
ひととおり、住人のあれこれが描かれた先に、大団円が待っている。ユリが母親に会いに行こうと思い立ったのは、やっぱりやっぱり、このストリップ女子との出会いと別れがあったからだろうと思われる。
母親の勤め先のスナックに会いに行く。会いに行ったくせに、別にたまたまここにいただけみたいな雰囲気を出す。素直じゃない!!母親は客との時間をやりくりし、深夜までやっている喫茶店で待っているように言うんだけれど、この時に限って喫茶店が休業だったことが、駆け付けた母親によって知れる。
ユリは近くで待っていたし、母親も探しまくっているんだけれど、ユリはその様子で満足したのか、母親の前に姿を現さずに自転車をこいで去ってしまうんである。
出会ってほしかったとも思うけれど、でもこの、出会わなかった母と娘がなぜだか暖かくって、胸にくるんである。状況がよく判らなかった(いや、結局、最後までよく判らんのだが)この親子、ユリの事情として最初に語られるシークエンスでは、判らず屋の母親と、ワガママな娘、という、どっちに加担したらいいのか判らない状態だった。そして、お互い嫌い合っているのかと思っていた。
違ったのだ。母親は娘を心配し愛しているのに素直になれなくて、娘はふがいない自分を母親に見せたくなくて素直になれなくて、あぁもう!素直になれない同士なの!!最後まで二人が手を取り合う場面はないんだけれど、それが判っただけで、いいの。心が温かくなる。
最初が山口さんの首つりから始まって、最後は、その山口さんの息子さんが、遺品を受け取りにやってくるんである。
山口さん。名前だけで、どんな人となりなのか判らないままだった。アパートの住人、いつもタバコの交換を声かけて回ってる ちょっと頭が弱そうな女性(この言い方は良くないのだけれど……そういうキャラの描き方)が、めちゃくちゃ泣いていた。山口さん、優しかったと、泣いていた。
他の住人が、山口さんのそうした人となりに対してあまりピンと来てなかったことを考えると、この彼女が心から悲しんでいる描写は、ものすごく意味があることだったのかもしれないと思う。
残念ながら、その後、彼女はとにかくたばこの交換に回るばかりで、山口さんの人となりを語って聞かせてくれるということにはならないのだけれど……でもこれもまた、人生というものなのだろう。
山口さんは捨てられた家電を集めまくる趣味を持っていて、山口さんの死後、ビンボーな住人達は使えそうな家電を頂戴し、残った家電を友三さんはバザーで売りさばこうとしていたところに、息子さんが遺品を受け取りにやってくる。
鉄平が値札をはがす間に住人たちが息子さんをはぐらかせ、無事送り出す段になると、息子さんはお手当なんぞを出してくれて、それでみんなで寿司パーティー。
思いがけず、鉄平の現場の清楚なバイト彼女もやってきて、不思議に幸福な大団円。
住む場所が違う、生きる場所が違う、そうかもしれないけれど、今こうしてここでご縁があって、この先どうなるのかは判らないけれど、悪くない、住む世界が違うかも知れないけれど、今こうして一緒にいるじゃないの、という気持ちになる。
ここで上手く再現できない、関西なまりのイイ感じが何より魅力で、古い街並みをユリが古びた自転車でガシャガシャ疾走するのが凄く良かった。★★★★☆
それでなくてもうじきつよし氏だの、なんとまあ町田康氏だの(彼を役者で観るのはなんと久しぶりなこと!)が登場するんだから、少なくとも上映時間を調べた時にキャストの中にその名前を見かけておっと思っていたんだから、予測できなくはなかったのに、永瀬氏、ほぉー、あっ、大好きな渋川清彦が出てるなら行かねば!ぐらいなミーハーな気持ちだったもんだから……。
実際に活躍したパンクバンド、亜無亜危異(アナーキー)というのを不勉強ながら私は知らなかったし、本作に足を運ぶのは当然、ファンの人たちがまず数えられるだろうけれど、私のように、ついうっかりといったらアレだけど、そう、これこそ一期一会というもの、出会ってしまう、ということがあるのだと思う。
劇中のバンド、ガンズのメンバー、テラとして登場する増子氏のバンド、怒髪天は知っていたから、その世代の中にはいた筈なのだけれど、今ならまだしも、当時の若き女子だった私は、パンクにはなかなか壁があったから……。
男子だったら、違ったかもなあ。それこそ男子の、鬱屈や、上昇志向や、根拠のない自信が、劇中のバンド、ガンズ、そしてきっと実際の亜無亜危異にもあったんじゃないかと思う。
実際には違ったのかもしれないけれど、劇中の、若き頃のガンズが、技術も方向性も特段なく、なにか時代の流れに乗って、反体制こそがパンクだというだけでこぶしを上げているような、そして親衛隊(ファン、というより強く、彼らを持ち上げるイメージ)の存在で、自分たちをぶち上げていたような、そんな感じが、ああ、そういうのがあったんだ、と思ったり……。
そしてそれが、もうすっかりおじさんになって、それぞれ違う人生を歩み始めているメンバーたちが再び集まっても、ただ一人、時間が止まってしまったハルにだけ、その時が流れ続けている。
当時から神様のように崇め奉っていた親衛隊のメンメンが、年をとっても、むしろ大人になって経済力も持った彼らは、時が止まったハルを、あの頃と同じように支え、持ち上げ、そして、……でもハルだけが、時が止まっていたのだもの。
ハルを投影した、亜無亜危異のメンバー、マリこと逸見氏の死が、当然この映画の製作の動機というか、作らねば、というものになっていたことは違いなく。
俗人でごめんなさい、ウィキペディアなんぞに頼ってしまったが、逸見氏の突然の死の原因は明らかにされていないし、本作のオフィシャルサイトでも同様である。
でも劇中、ハルの死は、自死であることが明確にされている。その経過も、彼が自分自身ではどうしようもなく追い詰められていくのを、痛々しいほどに描写している。
ああでも、それでも、ここでもはっきりと、自殺だ、とはしていないのか。連絡を受けた女社長が、渋川氏演じるアニマルに問いただしはするものの、彼もまたそうとは言わない。でも、その遺体の首にはハッキリと跡が残っている。
監督を務めたメンバーである藤沼氏が、その事実を、どう差し出すかという葛藤を、メチャクチャ感じる。もちろん、死因なんてどうでもいいものかもしれない。ただ、いなくなってしまった。愛する人が、空の向こうに行ってしまった、そういうことかもしれない。
ハルには、嫁さんなのか、そんな、結婚という形をとっているようには見えない、はっきり言ってハルは彼女のヒモじゃねーのと思われるパートナーがいる。有森也実氏だと後から知って、うっわ、こんな彼女見たことない!!とビックリしちゃったが、彼女がめちゃくちゃ、刺さる。
彼女はずっと、愛するハルを、突然、図々しくも現れたかつての仲間たちに、彼女の感覚ではそそのかされて、利用されて、引っ張り出されるのがイヤでイヤで仕方なかった。彼女にとってのハルは、彼女だけのハルだったから。
そしてそのハルを演じるのが、北村有起哉だというのが、そうだよね、そうだよねとは思っていたけれど、まさか、金髪歯抜けの老いぼれパンクロッカーを演じるなんて、想像もしてなかったから、なんかもうそれだけでムネアツだった。
主演は永瀬正敏氏であるし、バンド再結成のきっかけとなるアニマルを演じる渋川清彦氏の、もうオンリーワンな傍若無人な無邪気さが愛しいし、永瀬氏と渋川氏とで、他のメンバーに当たるまでにしばらくは見せてくれる、コント的とさえ言いたい展開があったから、まさかこんな、こんな重く哀しいことになるなんて、思わなかった。
先述したけれど、もうすっかり大人になってしまった彼らには、それぞれの人生がある。永瀬氏演じるイチだけが、音楽の道に残ってメシを食えていると、後に再会するメンバーがうらやましがる。イチはスタジオミュージシャンとして口を糊している訳なのだが、彼自身はそれを、口にはしないけれど、決して良しと思っている訳じゃない。
アイドルちゃんのレコーディングに、そのアイドルちゃんと言葉さえ交わさず、ブースの外でピンポイントでギターをかき鳴らすだけ。一緒に仕事をしている若いミュージシャンは、売れる未来を、当然夢見ている。ソッコーで売れてしまって、年老いて迷っているガンズという存在すら、知らずに。
何にも考えていないように見えるアイドルちゃんにも、若いミュージシャンにも、それぞれの苦悩や葛藤はあるだろうが……と思ってしまうのは、年を取ってしまった証拠なのだろうか??自分の苦しみ悩みにしか直面出来なかった若い頃を思うと、私も随分と丸くなった。
だとしたら、そんな余裕さえ持てなかったハルは、やっぱり時が止まっていたんだろうか。パートナーである雅美はきっと、かつては彼のファンであったんじゃないかと推測されるような、彼女もまた時が止まったような、ハルを守るということに特化して、根拠のない自信を持っていたから。
ガンズ再結成は思いのほか話題を集め、インタビューを受けたり、忙しい日々である。ハルはイチの口説きによって参加を決めたけれど、彼らから声をかけられた時即座に、自分はやらないと、その決意を通していれば、死なずに済んだのかもしれない……というのは、言ってはいけないこと、だろう、か。
きっと、この映画を作ったのは、監督を務めた藤沼氏の想いは、そこにあったんじゃないかと感じられてしまったから、避けては通れない。
もちろん、真実がどこにあるかなんて判らない。なぜ死んだのかなんて、他人が、それも見も知らぬ他人が、勝手に、興味本位で、面白おかしく取りざたするものじゃない。
ギリギリ、ここまで、自分たちが、仲間である自分たちが、愛する仲間である彼を、誤解や憶測の中にある彼を、こんなヤツだったんだと、蘇らせたい、そんな気持ちを感じてしまうのは、間違っていない、よね??
すっかりハルに引っ張られてしまうからなぁ。一応、というか(失礼!)主人公はイチを演じる永瀬氏だから。スタジオミュージシャンとして働き、一人娘がちょいちょい訪ねてくる。名目は養育費が振り込まれていないから、という伝達役なのだが、元嫁側からのなにがしかもないし、このナマイキな娘とは良好な関係が築けているようだし。
この娘ちゃんは、いわば外側からの視点、なのかなと思う。美術系女子で、絵を
描いてる途中やたらほっぺたに絵具を塗り付ける、それも自然体を装って、っていうのが、このあたりに監督さんの昭和感覚を感じちゃうのが、同じ昭和世代としてちょっと気になる(爆)。
つまり、彼女は劇中の彼ら、そして私もだけど(爆)、そんな中高年世代の完全に外側にいて、彼女世代には当然、彼女世代の苦悩があって、今更親世代のお前らが苦悩してんなよ、さっさとどけよ、みたいな、頼もしいすがすがしさを感じる。
他のメンバーも結婚してたりなんだりはあるけれど、基本的には彼らは、いまだあの頃のままのような、結婚して子供を持とうが、別れて養育費を払おうが、婿養子に入ったり、借金して差し押さえになったり、いろいろな人生はあるものの、総じて男子的消極的情けなさというか、この状況に甘んじていることを、社会や強い女や、そんなもののせいだと思いたがっている節がある、気がする。
イチが、元嫁の姿も声さえも出てこずに、娘だけが登場して養育費とか言ってくるのが、誰も責めてないのに自分自身の境遇を卑下している感じがするし、それこそハル以外は、彼らの係累が彼ら自身を責め立てたりする描写はないもんだから、そんな彼らの弱さを感じたりする。
だからこそハルの、ハルだけが、親衛隊からも、パートナーからも、愛され、愛されるがゆえに追い詰められるのが際立つのだけれど……。
本当にね、ハルを演じる北村有起哉氏に持っていかれる。ハルは本当にクズ男。ヒモだし、イチに説得されて再結成に参加することを決めるけれども、その後、自信のなさから酒飲みまくりで、リハどころか練習さえままならず、吐きまくり、吐きまくり、……ああもう。
酒好きとしては、酒をこんな風に飲んでくれるなと、マジで思う。酒を、悪者にしないでくれと。でも、アルコール中毒というのは、酒が悪者なのだよな。辛い、辛い。殺人が悪なのは当然だけど、酒が悪だと言われるのは、辛い。殺人やんないのに、酒が好きなのも同等の悪なのかと言われるのが辛い。本作で、そこを掘るかと言われそうだけれど……。
永瀬氏主演のように見せて、北村氏で充満した本作だった。タイトルであるゴールドフィッシュ、金魚は、オフィシャルサイトではまた違った解釈がされていたけれど、金魚はフナから品種改良されたんだと。見た目の美しさだけで珍重されている奇形なんだと、そういった意味のことを、ハルの通夜の席でつぶやいたイチ。
それはハルのことを言っているのかと、激高したメンバーたちと取っ組み合いのけんかになり、骨壺をぶちまけ、ハルのパートナーが獣のように激怒して、粉々の骨を拾い集めたのだった。当然、愚かな男たちは何を言うこともできず、彼女は拾い集めた遺骨を納めた骨壺を抱えて、ふらりと外に出る。
私が女だから思うのかもしれないし、作り手さん側が、そういう意識であるのかもしれない。なんだかんだ、女は強いと。
ハルさん、いや、マリさんは、何故、死んでしまったのかなあ。そんなこと、誰にも判らないのだけれど……。★★★☆☆
はたしてこれはオカルト方向か、はたまたメンヘラ女なのかと思いきや、同棲しているこの二人の様子はとても穏やかで好ましく、40代同士のカップルとして見た目もイイ感じなのだ。
そしてそこから先の展開は、郁子の職場である税理士事務所、そこの同僚との関係性など、ちょっとコメディチックにドラマとして面白く展開していくもんだから、……これはつまり、何を描く物語なのだろう……でもつまらない訳ではないし……と段々不安にさえなってくる。
結局、最終的には、そのソワソワは解消された訳ではないのかもしれない。でも、不思議に面白く見ていられた。
最初はちょっと、演劇的なお芝居にも思えて、それもまたムズムズするものを感じなくもなかったけれど、職場の同僚、長年の戦友ともいえる同期入社の妙子(川村エミコ氏がいい感じ)とのやりとりが、むしろそうした傾向のお芝居加減の方がなじむ感じがあるから、この具合がちょうどいいのかもしれないと思えてきたり。
そして最終的には、郁子と雄大が、もしかしたらそれまでお互い踏み込めていなかったのが、踏み込んだ訳じゃないんだけれど、いろんなことがあって、お互いの存在が大切なものだと共有し合ったラストには、二人の感じが冒頭よりずっとずっと自然体に見えているから、不思議なものなのだ。
40代半ばの独身女子、というのだから、昨今は大分世間的プレッシャーもなくなってきたとはいえ、やはりまだまだ、あるのだろうと思う。
同期入社、戦友として共に頑張ってきた妙子の方は結婚して思春期の息子を抱えている。愚痴ともとれる世間話はしかし、もちろん幸せの証であり、郁子がそれに対していくばくかの思いを抱えていたのかもしれない。
そんなヤボなことは語られないが、雄大との同棲生活の中で、幸せなセックスの最中、それを覗き見ている“旦那”が見えている郁子は、それはいわゆる夢女子的な幸せな妄想なのか、それとも、今の年齢の女ならいた筈というプレッシャーが具現化したものなのか。
結局、この“旦那”の存在の是非というか、意味合いは正直よく判んないんだよね。そんなことを忘れ去るぐらい、衝撃的な展開になる。妙子の突然死。
それまでわちゃわちゃと、お菓子をつまみながら得意先や家庭の愚痴を言い合ったり、年若い同僚に連れられて怪しげな占いの館に女子三人でかけたり、平和なホームドラマ(ホームじゃないけど)そのものな雰囲気だったもんだから、本当にビックリする。
長年の付き合いだったから、妙子の夫や息子君とも親しく行き来していたらしい。一番に郁子に連絡が行き、夫はげっそりとして、郁子さんが来てくれたよ、と招き入れた。
その後、お線香をあげに訪ねた時にはすっかり部屋中が片づかない状態で、なにか……昭和の家族で、奥さんが急逝したみたいな感覚にとらわれた。
令和の今も、こんな感じなのか、妙子さんは税理士としてバリバリ働いていたんだし、共稼ぎならば家事も共有していて当然なのに、奥さんがいなくなってしまったら途端にこの状態、いまだにそんな感じなのだろうか……そうじゃないと思っていたから、ちょっとショックにも似た感覚を覚える。
夫は、ぜいたくを知らないままあいつは死んでしまったと悔やみ、直前に用意していたというネックレスを郁子に託す。男所帯だから、郁子さんにもらってもらったら、妙子も喜ぶと思う、と言って。
この衝撃の展開で、すっかり“旦那”の設定を忘れちゃうし、しかも妙子が横領していたかも、という更なる衝撃が待ち構えているんだから、ホントに、この物語のテーマはどこにあるの……と戸惑ってしまうのだが、ドラマとしてはそれなりに面白く展開していくもんだから、なんか納得させられちゃう。
死んでしまった人であり、事情を聞くこともできないし、死んでしまった人にそんな疑惑をかけることもあまりにも哀しい。
引継ぎを担当した郁子は、入金処理されているのに通帳に入っていないその事実を自分の胸だけに収め、こともあろうに自分の預金で補填しようとする。いやいやいや、それはやっちゃダメでしょ。
結果的に、年若い同僚の女の子が、妙子のかわりに集金に行ったそのお金を着服したことが、彼女自身の懺悔によって明らかにされ、郁子も観客もホッと胸をなでおろす。でも、これは絶対、やっちゃいけないよね。
その後、所長と郁子のやり取りがあり、横領女子は謹慎処分のちに、着服したお金は分割返却、穏便に済ます、という決定に至り、郁子が補填したお金が所長から返される。
……私はね、郁子の行為もとがめられるべきと思ったよ。もちろん、愚かな横領女子は処分されてしかるべき。郁子は妙子が横領したのではないかと思って、死者やその家族に罪をあらわにしたくないと思って……その気持ちは判るけど、でもこれは、絶対にしちゃいけないことであり、会社側も、この事実こそを、厳しく指導すべきだと思う。でも郁子には何のお咎めもないんだよね。むしろ、心配かけたね、ぐらいの感じで……。
本作にところどころ感じる、昭和的な感覚が、ここが最も大きかったかもしれない、と思う。
共働き世帯の妙子が、彼女がいなくなったら家庭内の何もかも立ち行かなくなるというワンオペ状態は一番と思ったけれど、社内で穏便に済ませる、それを助長した行為をした社員をむしろねぎらうということが、一番ヤバいと思った。凄く判るけれど、これは一番やっちゃいけないことなんだよね。
郁子が抱える悩みを、彼女自身雄大に、整理したら話すね、と言っていたし、同じ大人の職業人として、彼も判るから受け入れていたけれど、妙子の死後、郁子が、引継ぎの仕事量以外にも何か抱えていることを察していたから、悩ましい日々を過ごす。
彼の職場の後輩女子が、どうやら想いを寄せていたようで、彼の様子を見てとって、それをいい感じの誘い文句にして、ゲーセンでひとしきり盛り上がる。おやおや、これは、もしかしたらヤバい展開になるかと思いきや、後輩女子は雄大の彼女の有無を確認し、彼女さんいるんだ……となると引き下がる。
うーむ、つまらんメロドラマ的展開を散々見てきたから、こんな聞き分けのいい若い女の子がマジでいるんかいとついつい思っちゃうが、でも若かろうが老いてようが、時間のロスを嫌うのが女子ってなもんで、可能性がなければ、悔しくも、未練があっても、結構あっさりと捨て去るもんなのだよね。
まぁそうじゃない女子もいるけれど……なんか最近、イヤな事件も聞いたしな……。
その、後輩女子とのゲーセンデート?の後、雄大は妙子の息子ちゃんが、スーツ姿で往来を歩いているのを目撃する。郁子は妙子一家と懇意にしていたけれど、郁子と恋人同士になって日が浅いっぽい雄大がこの息子ちゃんを認識するほどには、葬儀では顔を合わせているけれど、それだけでよく判ったなとかついつい思っちゃうけど(爆)。
このシーン、後輩女子と別れて、雄大が郁子に電話をするシーン、往来にこの息子ちゃんを見かけ、かなり距離が離れていると思うんだけれど、判るか??とか思ったりしちゃうのは、いけない??
雄大の後輩女子とのデート?の後、雄大は郁子の仕事終わりを往来で待ち構えている。後輩女子とクレーンゲームでゲットした可愛い熊のぬいぐるみ、後輩女子は、雄大に彼女がいると知ると、彼女さんに、とそれを手渡した。
これを、どう処理するのか、ドキドキしながら見守っていたら、これが正解!!雄大は、もうそのとおり、何も隠すことなく言って、このぬいぐるみで出迎えたのだった。
誘われていたのかもしれないな、というところまで言って、嫉妬してる?だなんてところまで引き出して。うーむ、おぬし、なかなかやりおるのぉ!!
本作にはここまでいろいろ言ってきたように、まぁいろいろと、消化不良な部分は数あれど、このラストシークエンスは百点満点を上げたいぐらい。彼女持ちの男子がこういう事態に陥った時にすべき、百点満点のやり方よ。
正直なこと、愛の伝え方、こんな状況でゲットされたぬいぐるみを葬らず、むしろ二人の間をつなぐキューピッドにさえさせるチャーミングな演出。そして、この時点になると、郁子と雄大はとてもとても、これまでもそうではあったけど、素敵大人カップルになっているのだ。
中盤、雄大が実家を訪ねて、母親と会話するシークエンスがあった。父親は既に亡く、母親は夫との思い出が、本当にあったことなのか、そう思い込んでいるのか、判らなくなっているのだ、と言った。
なんか、判るのだよね。私は、郁子や雄大と彼らの親世代の中間世代。自分の親たちと、自分自身の感覚が、そんな感じだっていうのが、めちゃくちゃしっくりくる。思い出なのか、夢なのか、妄想なのか、判らなくなって、これはヤバいと思って、必死に切り分けていた時もあったけれど、今や、もはや、もうどうでもいいかと思っちゃったり、している。
どのあたりからそんな感覚になったのか……郁子や雄大たち世代では、まだそこまで行っていないのだろうと思うが、でも、郁子が抱えていた“旦那”の存在は、少し考えちゃう。
でも、すべてが解決して、雄大の隣で安らかに寝ている郁子に、その髪を優しくなでる“旦那”のその手を無意識に郁子が払ったのだった。その後、きっと、“旦那”は出てこないのだろうから……。
妙子の息子君と墓参りでばったり出会った郁子と雄大、息子君は、自分も母親と同じ、税理士を目指す、と言った。お母さんもきっと喜ぶよ、と郁子は言った。
まぁちょいちょい、都合がよすぎる気もしなくもないし、“旦那”って何なん、と思ったりもするが、誠実なドラマ構成で楽しめたので良かったかな。★★★☆☆
冒頭、もはや宇海はこの世にいないことが示唆される。ずっと会っていなかった、宇海のことをどんなことでもいいから知りたい、出会ったきっかけや、一緒にいた時のことを教えてほしいと、その母親と、再婚した夫である父親は言った。
その言われている相手が賢星(けんせい)。カメラを手に、言葉少なに語りだす。恋人だったんだろうとそりゃ判るけど、なにか事情がありそうな彼の様子と、彼女が死んでしまったというこの場面に戻ってくることが判っているから、その後どんなに明るくキラキラしたラブストーリーが刻まれても、胸が痛くなる。
全然特別じゃない、可愛らしいとでも言いたいような恋物語なのだ。運命的とか、情熱的とか、ドラマチックとか、そんなんじゃない。普通の大学生の男の子と女の子の愛しい日常。半同棲という言葉さえも照れちゃうような、手作りの甘いカレーを美味しいねと言い合うような、そんな愛おしい恋人たちの物語。
その別れが、いわば好きすぎるがゆえにくだらない見栄や意地を張った末のものであって、バカバカ!と観客が歯噛みするにしても、宇海が死んでしまうという結末がなければ、後々思い返して、若さゆえの愚かさに、その後悔に胸を甘苦くさせる、そんな大人として生きていくほろ苦さに落ち着くだけだったのに。
そう思うと、この作劇はなかなかに残酷である。でもほんの些細なプライドで、取り返しがつかないことになる、人生はそんな繰り返しであるようにも思う。
特別じゃない、普通の大学生の、と言ったけれど、賢星はそれにこそコンプレックスを持っていた。特段目的もなく漫然と大学に行き、バイトをし、それでもそれなりに楽しく過ごせている。
いや、それでいいのよ、全然いい。宇海に出会ったことで、賢星がその“普通”さがいけないんじゃないか、宇海のようにイキイキと生きなければいけないんじゃないか、と考えてしまったことがなんか判るだけに……。
そんなんはさぁ、人によって違うし、楽しさの感じ方とかも違うし、でも、判る、特にこんな風に若い時期、大学生という、今後の人生の選択に直面している時期だったら余計に判っちゃう。
宇海との出会いは、こればかりはなかなかにドラマティックだった。バイト帰り、暗闇から聞こえてくるうめき声、恐る恐るスマホのライトをかざしてみると、口元を真っ赤にした女の子と、倒れ込んでくるもう一人の女の子。
その倒れ込んできた女の子は賢星の通う大学のミスキャンパス。バイト先に貼られていたポスターをいつも眺めていたからすぐに判ったんである。
口中真っ赤(なのは、実はアメリカンドッグのケチャップ)な女の子は、彼女の友人である宇海で、泥酔したミスキャンの子を介抱していたんであった。
宇海の部屋に担ぎ込み、そのミスキャンはすっかり爆睡して、賢星と宇海がサシ飲みすることになる。賢星はすっかりこのミスキャンとの運命の出会いを感じていて気もそぞろなんだけれど、宇海はこの時から賢星にホレていたんだろうなぁ。
ミスキャンは当然のごとくイケメン先輩に持ってかれて、呆然としている賢星に宇海が告白する形で交際がスタートするんである。
恋愛相談している、師匠と呼んでいるバイト先の先輩(アキラ氏)からいろいろ指南を受けるんだけれど、宇海と付き合いだした賢星が口にしたのが、好かれるって、いいですね、という言葉だった。好きになってくれた相手と付き合う、その気持ちよさ。
片思いして、勝手に期待して、フラれることさえなく玉砕したミスキャンの顛末を考えれば、判らなくもない言い様だし、スタートがそうでも、賢星が宇海のことをちゃんと好きになっていることだってまるわかりだったから、のろけちゃってー、と思うぐらいだったのだけれど、実はこれが、めちゃくちゃ重要なファクターになっていたのだった。
宇海は地元の縄文遺跡を、地元をPRするものとして盛り上げたいと思って、サークルでイベントを立ち上げ、市役所にまで直談判する。賢星はそんな熱さの中に訳も判らず放り込まれ、その流れの中で宇海と付き合うようにもなった。
宇海は明るく、能動的で、仲間たちの輪の中心にいる。そんな眩しいような女の子の宇海に、まっすぐに愛の告白をされて、賢星は先述したような、好きになってもらって付き合うっていいですよね、なんて師匠に言ったのだった。
それ以降は自分の方が宇海を好きになってしまう、もしかしたら自分の思いの方が追い越してしまってるんじゃないか。なんたって宇海はいつでも中心にいて、男女問わず、老若問わず、サークルや、商店街や、どこでもとりかこまれて人気者で、ハグをするなんて当たり前で。
賢星は、彼自身がどこか自虐的に何度も言うように、普通の男の子。でも宇海だって普通の女の子だ。賢星が思う普通、というのが、友達三人ぐらいでダべって、アルバイトして、課題にキュウキュウとして、っていう日常が、それで充分楽しかったのに、宇海と出会って、ひょっとして自分は宇海に見合わないんじゃないか、宇海が自分に言ってくれた好きは、皆に言っている程度のことなんじゃないかと思ってしまう。
それぐらい、宇海は老若男女の輪の中にいて、和気あいあいとはしていたし、賢星がそんな彼女を最初は眩しく、次第に嫉妬で見てしまったとしても……それは、判らなくもないのだけれど。
賢星が何度も言う、普通であることへのこだわりとコンプレックス。出会いから宇海がエキセントリックな女の子である印象は確かにあって、彼女が注力している地元の縄文遺跡への情熱も、彼にとっては戸惑いに近いものだった。
賢星はちょっとね、この地では異邦人なのよ。長崎の県立大学、ほとんどが地元から進学した学生たちの中で、彼は静岡からやってきた。そんなに頻繁ではないけれど、ちょいちょい、言葉が違うことを言われた。
そんなにあからさまではないにしても、東京の言葉とまではいわないまでも、やっぱり明らかに違ったのだろう。バイト先の師匠がセッティングした合コンで、賢星にお持ち帰りさせた年上美女も、まずそこにグッと来たに違いないもの。
宇海だってそうだったかもしれない。でも、賢星を好きだという思いに猪突猛進で、その想いに押し倒されるような形で賢星も彼女を好きになり、彼女の部屋で半同棲のような日々は幸せだった。サークルで人気者の彼女を目にする時には心に引っ掛かりはあったにしても、一緒に島に撮影旅行に行こうね、なんて計画を立てて、お互いバイトに励んだのであった。
その忙しさのすれ違いと、師匠のお節介な進言、好きになりすぎた方が沼にはまってしまうという言葉、そして、目の前に見てしまった、サークルの男子が宇海を車に乗せて、走り去っていく場面が、決定打であった。
宇海の母親が怪我をして緊急入院、その知らせを受けて男子が宇海を駅に送って行ってくれた、判明してみればなぁんだという事件が、沼にはまるまいとして会いたいのに無視し続けた賢星と宇海のすれ違いに決定的を与えてしまう。
あまりにも連絡が取れない賢星の部屋に、合鍵を持っている宇海が訪ねると、そこには賢星を自ら連れ出させた女子がはべっている訳で……もうサイアクである。
賢星、あんたは一体何なの。宇海のことが好きなのに、師匠のアドヴァイスをネガティブに解釈して、生き生きと飛び回る宇海に嫉妬して、自分が好きになりすぎているなんて。
それでもいいじゃないの。結果的にはあんたら、双方好き好き同士だったのに、なんでこんなくだらない別れ方しなきゃいけないの。
でも宇海もさ……賢星が好きな人に出会って幸せなら、とか殊勝に引き下がったけど、その直後、号泣していたことが彼女が死んでしまった後に明かされる訳であり。
あんなにもあんなにも、正直でまっすぐだった彼女が、なぜその強い思いを賢星にぶつけられなかったの、って。先述したように、こんな若気の至りの見栄っ張りが、大人になって、そんな時もあったなと思えればいいよ。でも、一生後悔してしまう。宇海は、死んでしまったのだもの。
二人で行こうと、約束していた島だった。見栄を張って宇海と別れて、半ば忘れかけた時だったのだろうか、そのニュースを目にしたのは。
忘れかけていた……と思う。それがまた、切ない。賢星にとっては、心にとげが引っ掛かってはいただろうけれど、自分の愚かさゆえだということも自覚してはいただろうけれど、忘れたい過去であったろうと思う。
就職活動中、このままそれなりの会社に就職して、それなりの人生を歩む、そう思っていたんじゃないのか。
一人旅していた先での事故死。サークルの学生や、宇海と出会った時に岡惚れしていたミスキャンからの話で、あんなにイキイキキラキラしていた宇海の、誠実に生きてきた、家族への愛や、何より賢星への想いに直面する。
何かを、誰かを、好きだという気持ちを、何より大事にしていた宇海は、お母さんが再婚したお父さんを好きになり、そのお父さんが好きな縄文遺跡が好きになり、もうそんな具合で、どんどんどんどん、好きが増えて行った。好きだということが、彼女自身を支えていた。だから……賢星への好きが彼の裏切りによって失われかけても、それでも彼への好きは最後まで変わらず持ち続けていた。
どうしても開かなかった宇海のスマホの暗証番号は、ああやっぱり、賢星の誕生日で開いちゃったのだ。もうこの時点から号泣必至。半同棲の時から吹き込んでいたのを見ていたボイス日記、両親と賢星と共に聞くんだけれど……これはねぇ……ちょっと残酷よ。
賢星が彼女の両親に頭を下げたように、彼がつまらない見栄や嫉妬を起こさず彼女と交際を続けて、一緒にこの島に旅行に出かけていたならばと、思わずにはいられないもの。まぁそりゃさ、タラレバはどうしようもないけどさ……。
賢星だけが異邦人で、宇海以下他のキャストが可愛らしい長崎弁で、凄くそれが魅力的なんだけれど、賢星がそれに、プレッシャーを感じていたのかもしれないと思うと、胸が痛い。一人異邦人という設定は新鮮で面白いんだけれど、なんかその立場を想像するとソワソワしてしまうんだもの。
大学生の恋愛、本当にささやかな、何が普通か判らないけれど、普通の恋愛。でもだからこそ、こんな結末を迎えられると、胸に来ちゃう。
人生後悔しないためには、なんて考えちゃう。人生は後悔の連続だけれど……何が正解なんて判らないけれど……。★★★☆☆
結果的に昭夫(大泉氏)が選んだ、親友である同僚の懲戒解雇を逃れさせ、関連会社に再就職させ、自身がその責任を取って辞めてしまう、というのは、どうなのか、という議論は当然ある。昭夫自身はそれだけじゃなく、離婚問題さえも抱えていて、最終的には身ぐるみはがされた寂しい一人のオッサンである。
でもそれでも、自分の苦しさから逃れるために身ぐるみはがされたのなら、その方が人間として生きる価値があるんじゃないか。こんな風に潔く出来ればと、私たち、彼と同じ年ごろの、今の立場を捨てきれないオトナたちは悩ましく考えてしまうのだ。
山田洋次監督作品は、きちんと追いかけている訳ではない。寅さんの終焉をきっかけに、ちょっと距離を置いていたような感覚。それは、最初はリアルだった寅さんが最終的にはファンタジーと化してしまったあの下町の世界を、引き続き信じられなくなってしまっていたからかもしれない。
本作でもその下町の世界が描かれる。向島で足袋屋を営む昭夫の母親、福江(吉永小百合)と、ご近所さんたちはボランティア活動を共にし、まさに寅さんの実家、くるまやそのもので、小さな台所、茶の間に縁側、二階へ通じる階段が茶の間に隣接してむき出しになってる感じ。
確かにこの下町には、そんな古い家々が残されているのだろう。すぐ近くにスカイツリーを臨み、福江さんがずっと憧れていたという遊覧船(水上バス)が行き来する墨田川には遠く総武線が行き交う。
確かに現代の風景の筈なのに、大会社の人事部長として心身すり減らして働いている昭夫が久しぶりに帰ったそんな実家は、やっぱり何か、タイムスリップしたファンタジーのようなのだ。
こうした対比は、ある意味映画の常套句でもある。そうして疲れ果てたサラリーマンが一時故郷で心を癒し、また戦場に出かけていく、みたいな。
でも山田監督、あるいは原作が、ということかもしれないけれど、ハッキリと、下町じゃない側、つまり、昭夫がこれまで闘ってきた、古い言い方で言えばコンクリートジャングル(ホントに古い(爆))の側を断罪し、こんなところは人間の生きるところじゃないぐらいに、言いきっている気がする。
その中に人間がひしめいているとは思えない、ガラス窓の格子が無数に切られている巨大ビルが、きらきらと太陽の光を反射している、そんなあおった画面一発で、ここで闘っているリーマンたちを、まぁいわば、否定しているんだろうなと思ってしまう。
私なんかは、てゆーか、大半の人たちは、こんな巨大オフィスビル、一流会社に勤めている訳じゃないけれど、サラリーマン稼業は零細、中小ともに似たようなもんだから、むしろ昭夫にシンクロしてしまうのはどうしようもない。大会社、誰もが知っている有名会社に勤めている昭夫と下町とを対照にするから、なんだか騙されてしまうような気がするけれど……。
昭夫が久しぶりに会った母親、年老いている筈の彼女がオシャレに髪を染め、ボランティア活動仲間とイキイキとしていて、その中の牧師さんにどうやら恋しているらしいことを知ってひどく動揺するのは、すべての子供が感じる、親は親であり、恋愛したりするキャラじゃないというのは当然あるにしても、実家であるこの下町を、寅さん的ファンタジーの中に閉じ込めていたからじゃないかとどうしても思ってしまう。
その間を取り持つのが、昭夫の娘であり福江の孫の、舞(永野芽郁)である。離婚寸前の両親、母親のもとで暮らしていたけれど、今はおばあちゃんである福江の元に身を寄せている。
彼女の言い分としては、大学の授業がつまらないと。そう言うと母親から、あなたはお父さんと同じぐらいいい会社に勤めるか、そんな会社に勤める男を捕まえるかしかないと言われたと。それに絶望したんだと。
彼女の母親と言えば、私と同じ年ごろ。その母親がそんなそんな、古臭いこと言うなんてと慄然とするが、確かに私ら世代が直面した、男女平等雇用なんたらなんてまるで適用されていない不公平社会においては、愛する娘に対してそんなデリカシーのない文言ぐらいは言い放つかもしれない。
でもそれは、何故そう思うかを伝えなければいけない。カネを持った男を捕まえるべきだというのなら、何故なのかを説明して納得させ、その上でどう人生を組み立てていくのかを、諭さなければならない。
フェミニズム野郎としては、このあたりの甘さがイラッと来る。だって、昭夫の妻であり舞の母親は、結局声と足元しかあらわさないんだもの。電話で話す声、そして福江を訪ねてきたという時は、黒いハイヒールの足元しか映し出されなかった。
私は何か……同じ女として、それは許せないと思った。福江さんはそんなお嫁さんに直感して、好きな人が出来たんだわと思い、それを息子に伝えるけれど、優しすぎる。
昭夫がそれを知っていたかさえ観客には判らず、別居の理由が、妻に好きな人が出来たからというのをお互い了承しての別居期間を設けたのか、妻に好きな人が出来たがゆえに夫婦間がぎこちなくなったのか、なんだかよく判らないのだ。
娘の舞がおばあちゃんのところに家出してきたのが、先述したように母親とケンカしたからなのか、両親の不仲に心を痛めたからなのか、そもそも父親、母親のことをどう思っているのかさえ、なんだかよく判らない。
福江のもとで顔を合わせた時には、それなりな反抗期娘の様子は見せるけれど、福江の恋にキャーキャー言って昭夫を困惑させたり、ケンカっぽい会話にはなるけれど、ケンツクするとかシカトしあうとかはなく、これぞ寅さん的、ケンカしててもそれこそがコミュニケーションなのだ。
福江やご近所さんたちが活動しているボランティア、墨田川の川っぺりでホームレスをしている人たちに対する援助である。おせんべい屋さんのおばちゃんは、焦げや割れたものを提供する。その規格外品を口にした昭夫は、その美味しさにうなる。人をほっとさせるその味は、そうした仕事を自分もしたかったと吐露させるまでに至る。
彼の仕事と言えば、描写されるのは書類にハンコを押すだけ。離婚届に判を押すのも、得意だから上手く押せた、だなんて冗談を言うぐらい。
これもあんまりにもステロタイプな仕事描写だと思うが……。ひと昔、いや、ふた昔前なら確かにこんな風に、部長さんはハンコを押すだけ、みたいな描写はあったと思うけど、いくら何でもそれはないと思うけどなぁ。怒られそう、実地の部長さんたちに。もちろん、本作のメインは向島の下町であるからこそ、なんだけれど……。
昭夫の苦悩を、おせんべい屋さんのおかみさんが、私もパートさんをクビにするときは私が鬼になった、眠れなくなった、と吐露するし、確かに大なり小なりあれど、共通の苦しさであるのだろう。
でも、それを昭夫は同情の優しさとしか受け取れない、それは悪いわけではないんだけれど、同等の立場として受け入れられてはいないのが、根本的な違いと思っちゃって、歯がゆい。本当は、同じなのに。高層オフィスビルで働いていても、下町のパートさんでも同じなのに。
そんなところにばかり気になってしまったら、本作はもったいない。なんたって、福江さんの恋物語、なんだから。ボランティア仲間の、皆から先生と呼ばれている教会の牧師さん。もー、もーう、大好き、寺尾聰っ。
昭夫が実家に久しぶりに帰った時、母親が髪を染めていたことだけで驚いていた、つまり、彼にとっては白髪の母親がベースだったのだ。牧師先生に誘われたピアノのコンサートでは、びしっと和服姿に真っ白な足袋をはいて行ったと、舞がウキウキと報告し、昭夫は動揺を隠せない。
まぁ確かに……私らの世代で、親が恋愛する、という感覚は受け入れがたいのは判る。キャラ的にも、吉永小百合が!!みたいな。夫に先立たれ、その夫との恋物語を、孫娘に語って聞かせる場面はキュートで、ここで止まっていれば、息子の昭夫だって、両親にそんな物語があったんだ……というところだった。
成人式の晴れ着に合わせる足袋を計測する、それがプロポーズ、なんか、絶妙にエロい!店に飾っているモノクロの写真、足袋を作っている職人な写真なのだけれど、その左手の薬指にしっかと指輪が光っているのが、めちゃニクいのだもの!!
牧師さんとは、絶対に両想い、めっちゃイイ感じになったのに、故郷である北海道の別海への転勤が決まってしまって、離れ離れになる。最後の最後、思い切っての、私を連れていっての言葉は、あまりにもギリギリの、空港へと向かう車に乗り込んでからの問いかけ。
走り出してしまって、そんな冗談、福江さんが言うんだと牧師さんはつぶやき、運転手として送り届けるおせんべい屋さんのおかみさんが、本気ですよ!!としかりつけた。牧師さんだって、判ってた。きっとそれを他人に、第三者に、そうだよと、認めてもらいたかったんだ……。
失恋、と言うんじゃないと思うんだけれど、牧師さんが去ってしまって、福江さん、酔いつぶれ。そこに昭夫がやってきて、酒を酌み交わす。
花火大会の日だった。それは昭夫の誕生日。孫娘の舞は、ボランティアスタッフの青年といい感じになって、デートに出かけている。ビルが立ち並んではいるけれど、隙間から花火が見える。
昭夫が産まれた日、この花火の音に祝福されているような気がしたと、福江は言った。
今、昭夫は、父親と大喧嘩して二度と戻ることはないと思ったこの実家に帰ってきて、失恋した母親と花火を見上げている。失恋した母親と、フラれた形で離婚した妻との間に設けた娘と共に、この下町で暮らしていく新スタート。
よーちゃんが、山田洋次作品の主人公として迎え入れられるなんて、水どうファンから追っかけてきたこちとらとしては本当に感慨深い。
あれこれ素晴らしい作品はあったけれど、やっぱり松竹、山田洋次ってのは、マジで最終地点。過去写真で大学時代のナックスさん写真が(他の四人は顔をすげ替えられていたけれど)使われていたのがグッときちゃったなぁ。★★★☆☆